10.南結華(みなみゆいか)
はあ……自分の不甲斐なさにため息が出る、今日この頃。聞きたいことも聞けず、言いたいことも言えず、その場から逃げ出すことしかできなかった腰抜けの俺を誰か罵ってください。いや、冗談です。本気で罵らないで。
つうか、言いたいことって何だよ。聞きたいことって? おお。今のうちに考えとかなきゃなんねえじゃん。夏菜の話ってのは当然、金田先輩のことだろ? ここは二人の馴れ初め話でも聞いてやって場を盛り上げて――駄目だ、スベる確率120パーセント。大体、麗美が夏菜は金田先輩に告られたっつってたじゃん。どう転んでも話逸らせねえし、って逸らしてどうする俺! 可愛い娘が我が手から離れていくのは辛いが、これも娘の幸せのため! 耐えろ! 耐えるのだ俺! そして、世のお父様方、あんたらこんな葛藤に打ち勝つなんて、すげえの一言しか思い浮かびません。あんたら、大したハゲだぜ。
はあ……疲れた。
「ちょっと、言いがかりよしてよ!」
……ん?
職員室の廊下を出て、まっすぐ昇降口へ向かっていると、途中で女の子の金切り声が聞こえてきた。どうやら、声の元は一年生の昇降口付近。そして、その前を通りがかっていた俺は、なぜか反射的にそばにあった渡り廊下の柱の影へ身を潜めてしまった。
……いや、なぜか体が反射的に勝手な行動を。
「わ、私はただ、昼休みに鈴木さんたちが沙里と一緒に歩いてるところ見たって言う人がいたから――」
「だから、あんた私たちがやったって言いたいんでしょ!」
「そ、そんなことないよ。ただ――」
「ただ? ただ、なんだよ!? おもっきし疑ってんじゃねえかよ!」
うお。麗美以外にもそんな汚い言葉遣いをする女の子がこの世に存在したのか。あ、いや、麗美も普段はそんなじゃないけど、キレたら、あんな風になります。ただし、麗美の名誉のために言っとくと、大樹とのケンカ以外ではそんなとこ見たことないけどな。
おっと。いらないこと言ってる間に、なにやら険悪なムードがこちらにまで漂いだしてきたな。
「お前、何様のつもりだよ! 学級委員でちょっと可愛いからって調子乗ってんじゃねえよ!」
ぅおおう。これまた今時、そんないかにもな因縁をつける人間がまだ現代に存在しているとは。これは、思った以上の希少種だ。是非ケータイに収めておかねば。
「わ、私は――」
「んだよ! そんなに疑うなら、本人に直接聞けよ! まあ、あいつがまともにしゃべれたらの話だけど!」
そう言って人を馬鹿にしたような笑い声が響くと、遅れて複数の笑い声が重なった。が、その笑い声は、すぐにかき消されることとなった。
「――人でなし!」
大人しい印象の女の子の怒鳴り声に、一瞬だけ、時間が止まった。
「……あ?」
「何も知らないくせに! あなたたち卑怯よ! よってたかって、恥ずかしくないの!?」
「んだと、てめ――え?」
「……あ」
……し、しまった。柱から顔を出して、こっそりケータイのカメラで現場を収めようとしたら、目が合った。女の子に掴みかかってる女の子と。
「――え?」
さて、その場にいる四人の女の子全員がこちらに目を向けて、さあ大変。この状況どうしましょ。
「おう! ここで待ち合わせのはずだろ! そうだよ、一年の下駄箱前だよ! あ? ちげ、ちげえって、おま――はぁ!? もういいよ、俺帰んからな! 付き合ってらんねー!」
また懲りもせずケータイを耳に当て、一人演技開始。はい、案の定、女の子達全員キョトン顔。よい子のみんなは絶対真似しないでね。多少気まずくても、こういう場合は無条件でその場から逃げ出しましょう。じゃなきゃ、俺みたいに立ち去りたくてもこの如何ともし難い空気の中で身動き取れなくなりますから。
さて。戦況は我が軍が大いに不利である。見た目ギャルっぽい女の子は、おさげ髪の大人しそうな女の子の胸倉を掴んだまま、どうしていいか分からずそのまま固まり、こちらの様子を伺っている。また、掴みかかられている女の子も同様だ。そして、ギャルっぽい女の子の後ろに控えている二人の女の子は、険しい顔をしてなにやら内緒話を始めだした。
ふむう……まずい。ここは潔く戦って散るべきか(とりあえず状況説明してみる?)、敵前逃亡(こんな空気にしといて、なんの責任も取らずに逃げちゃう?)するか……って、あれ? こいつら、どっかで見た面だと思ったら、昼休みの時のあの三人組じゃね?
「お、お前ら、あん時の三人組だな!」
っと、そうと分かったら、思わず声が出ちまった。ああ、そうさ。元を辿れば、あの無意味な拷問の原因はすべてこいつらのおかげなのさ。そこに直れ、てめえらっ!
「えっ……あ!」
そして、俺の指摘に、三人は三人とも訝しんだ後にはっとして声を出し、そういうあんたはあん時の挙動不審なキモ男じゃん! ってなリアクション――って。
「誰がキモ男だ、こらあ!」
「はあ!?」
あー、もうこうなったらヤケクソだ。状況説明も逃げるのももうヤメヤメ。男なら、開き直って、直進あるのみ。さあ、男の生き様を見せてやれぃ。
「テメエらのせいで俺がどんだけひでえ目に遭ったと思ってんだ、ごらあ! 昼休みに今後もう二度と遅刻しませんって誓っといて、いきなり次の授業遅刻して延々正座させられて、放課後まで教育的指導という名目の体罰受ける羽目になったんだぞ、ああ!? つうか、テメエらがあの子(障害のある君)旧校舎の裏に置き去りにしてくのは、ばっちし、きっちりこのお目目が見てるってよ! その子の言う通り、てめえら、揃いも揃っての人でなし共だな、ああ!? まだ疼くこの足の痺れどうしてくれ――」
「あ、あの……もう、みんないませんけど」
恐る恐る女の子が俺に声をかける。はい。昼休みに、の時点で三人組が「キモッ」という残酷な捨て台詞を残してその場から立ち去ったことは知ってました。知ってましたけど、大人しそうな女の子とたった二人この場に取り残されて、あまりにも気まずいあまり、大人しそうな女の子の方から声をかけてくれるのを待ってました。すいません、相も変わらず腰抜けで。
「お、おぅ。なんだ。口ほどにもない連中だな」
「……」
いや、イタイイタイ。そんな目で見ないでください。
黙ってじっと俺を見つめてくる女の子の視線に耐え切れず、俺はそそくさと声を出した。
「あ、あーと、じゃあ、俺はこれで」
「あ……待ってください」
「――ほえ?」
って、やばっ。引き止められるとは思ってなかったもんで、間抜けな声が出ちまった。オーマイガッ!
「あの、あの時、沙里を教室まで連れてきてくれた人ですよね」
察するに、沙里とは昼休み(過ぎ)に教室まで連れて行ったあの子のことらしいな。
「あ、ああ。うん。まあ、その、そうらしいね」
「どうも、ありがとうございました」
そう言って、女の子は俺に向けて丁寧にお辞儀をしてきた。うぉ、なんて礼儀正しい女の子だ。
「あ、いや……別に君にお礼を言われるようなことでは――つうか、あの状況じゃほっとけねえし、なくなくっつうの? だから、別にお礼言われることではないっつうか」
って、やべ。なに緊張してんだ、俺。
「沙里は私の大事な友達なんです」
そう言って、今度は小さくぺこりと頭を下げてから、女の子は控えめに微笑んだ。
「ありがとうございました。長谷川先輩」
「お、おぅ。って、あれ? 何で俺の名前知ってんの?」
「沙里を連れてきてくれた時、先輩自分の学年とクラス、それと名前先生に言ってましたよね。私、沙里と同じクラスだから」
「あ、ああ、そういうことか」
「私、南結華って言います。本当に、沙里のことありがとうございました。じゃあ、私部活あるのでこれで失礼します」
「お、おぅ」
南はまたぺこりと俺に頭を下げると、渡り廊下を駆けていった。
いや、いや、それにしても今時珍しい礼儀正しいいい子だったな。うん。南結華ちゃんか。今時おさげ髪とは随分古風というか、地味というか、まあ、あの子の場合はいい意味で似合ってるからいいんじゃね? もっとも、結構な可愛いこちゃん(私語)だったから、もっと派手にしても問題ナッシングだろうな、うん。おそらく密かにクラスで男子から人気を集めていることだろう。性格もよさそうだったし、なにより、友達思いだったしな。にしても、あの三人組は是非あの子のなんちゅうか、慎ましさっつーもんを見習うべきだ。柱の影からこっそりケータイのカメラで隠し撮りしてる野郎は確かに「キモっ」以外の何者でもないがな。
「……帰るか」
とにもかくにも、これ以上のイベントをこなす元気も残っていなかったので、俺はさっさと一人寂しく家路に着いた。