第四話 ステータス画面
「ぐぎゃが!? ぎぃごぼぼぼぼ!」
悲鳴が途中で泡吹くような音に変わり、そのまま相手が仰向けに倒れる。
「へっ……やった? やったよな?」
荒い息の中で呟くと周囲から物音が聞こえ、複数の足音が遠ざかっていく。
どうやら先に倒した連中が逃げていったらしい。
あと、ゲームで聞いたようなファンファーレが聞こえたような気がするが、たぶん幻聴だろう。
「けっ、一人死んだら逃げちまうとか格好の悪い……。って……し、死んだ? 死んだって?」
弘は右手に持ったナイフを見た。
いつの間にか闇夜に目が慣れていたので、雲間からの月明かりでも少しは見ることができる。
ナイフの刃は……根本までドス黒く染まっていた。
昼間であれば赤く見えたかもしれないが、それが刺した相手の血であることに間違いない。
「うわ、うわあああああ!」
慌ててナイフを放り出す。
投げ出したナイフは闇の中を飛んでいき、藪の中へ入ってしまった。
それを探しに行くでもなく、弘は足下で転がる相手を見下ろした。
「いや、暗くて見えねーよ……って、ああ、誘導灯が壊れちまったんだっけな」
左手で握り締めたままだった誘導灯は、スイッチを入れ直しても再び点灯することはなかった。
無造作に草むらへ放り投げる。弘には修理ができないし、こういった場所を歩くには邪魔だからだ。
「紛失したってことにして、弁償するしかないなぁ……」
小さく呟きながら死体を凝視する。
やはり月明かりのみでは詳細に観察できないので、ポケットからライターを取り出し点火した。
シュボッ!
「刺し傷から大量出血……あまり見たくないんだけどな」
喉元からゴボゴボと血が噴き出しており、どう見ても完全に死んでいる。
医者が診断するまで死亡したとは限らんじゃん? と思いたいが、これはもう無理だろう。
「俺が殺しちまったんだよな? 人殺し……だよな」
吐き気がこみ上げてくるが、それと同時にこみ上げてくるものが弘にはあった。
苛立ちである。
そもそも、こいつらが刃物を振り回しながら襲ってこなければ、こっちとしてはボコボコにするだけで済んだかもしれないのだ。
こちとらバイト中にトラックに撥ねられて、拉致られて、山の中だかに捨てられて、迷い歩いた挙げ句にいきなり襲われて……。
「お、おめーらが悪い! いや、逃げとかじゃなくてマジで!」
そうは言って相手を悪者にしても、人殺しをした不快さは残ったままである。
弘はタバコを一本取り出すと口にくわえ、照明代わりにしているライターで火をつけた。
(あ~ったく、ムカつくんだよ。なんだぁ、あ? 俺が悪いんじゃねーってんだよな)
紫煙を吐き、ライターの火で再度相手を照らし出す。
免許証とかがあれば、相手の身元もわかるだろう。
なるべく流血部を見ないようにまさぐると、木の実やゲームセンターのメダルの様な物が出てきた。
妙な模様が描かれた円盤状の金属片であり、日本円で言う十円硬貨ほどの大きさだろうか。色も茶色っぽいが、妙に歪んでいるのが気になるところだ。
「しけてんなぁ……小学生だって、もうチョイ金目の物を持ってるぜ」
結局、運転免許などの身分証が見つからなかったので、嫌々ながら、相手の顔を照らしてみる。こうなったら顔だけでも覚えておかなければ。
(俺って、こんな真面目な奴だったっけかな~?)
学生時代なら、死体だろうが放って逃げちまってるよな~……とボヤきながら確認した弘は、思わず目を剥いた。
喧嘩中は単に不細工な奴だとしか思わなかったが、こうしてじっくり見てみると、どう見ても人間の顔立ちではないのだ。頭髪のないツルンとした頭部、漫画のデフォルメのように大きな目。頭頂部に達するほど長くとがった耳、そして耳まで裂けた口と並ぶ牙。
とどめは、深緑の体色であろう。
何処をどう見ても人間だとは思えない。
弘は、インターネットなどで見かけた『怖い話』に登場するクリーチャーかと思ったが、そこに考えが到達すると、何やら気分が落ち着いてきた。
自分が殺したのは人ではない別の生き物か? と思ったのだ。
「待てよ、待て待て……変な生き物の死体っ言てうならなら放置していいとして、これからどうする?」
道路でも見つけるべく移動を続けるか? それとも、ここにとどまって朝を待つか?
おもむろに立ち上がると、くわえタバコのまま腕組みをして考えた。
長時間、山中を彷徨っていたせいで正直疲れた。ここは一眠りするとか休憩をしたいところだ。しかし、さっきのような奴らがまた出没する可能性もある。やはり移動した方がいいのだろう。
頼りになる照明器具、誘導灯は失われてしまったが……自分にはまだライターがあった。
「あ~、そうだ。貰えるもんは貰っとくか……」
足下の死体の前で再びしゃがみ込むと、弘はまずナイフを拾い上げた。
相手を殺した際に使用した物とほぼ同じ、大して代わり映えがしない。
よく見ると、やはりナイフと言うよりは短刀と言った感じだ。ただし、ダガーナイフなどよりは幅広である。昔、バタフライナイフを所持していたことがある弘であったが、この短刀の無骨さ、大きさには感じ入るものがあった。
「さっきの今でいい気はしないが、まあ貰っておくか。あとは……」
相手の衣服をはぎ取る。そして手近に落ちていた木の枝に巻き付けると、ライターで火をつけた。
衣服については怪我の治療にも使うことを考えたが、布地が不潔すぎたので使用するのを諦めている。
仕方なく警備員服を脱ぎ、肌着を裂いて躰や腕に巻く。切り傷の長さはともかく、深さはそれほどでもないので充分だろう。
「まさか、松明を作るハメになるとはなぁ」
何となく笑えてくるが、この状況は笑えない。
ハア……。
溜息とともに肩を落とすと、弘は歩き出した。
方向は、さっきの連中が逃げたのとは反対向き。
あるいは逃走方向にこそ人里があるかもしれなかったが、連中のたまり場があるかもしれないし、そんなところに近づきたくなかったのだ。
「これから俺、どうなるんかなぁ……」
答えてくれる者は居ない。
「くそ……」
弘は、もはや「適当に歩けば道に出る」といった楽観論を抱いてはいない。だが歩かないわけにもいかず、松明の火が木々に燃え移らないよう気をつけながら先へ進むのだった。
3日後の昼時ぐらい。
弘は、まだ何処にも出られずにいた。
松明はとうに無くなっている。
いい加減な造りだったせいか、すぐに燃え尽きてしまったのだ。
そして悪いことに、元々残量の少なかったライターがガス欠になってしまった。
更に言えば手持ちのタバコも吸い尽くしている。
とにかく今度こそ照明器具が無くなってしまったので、夜になると移動するのをやめ、適当な木に登って睡眠を取った。そうして夜が明けると木から下りて歩き出すのだが、最初の夜に出くわした連中……の仲間らしき者達が、日中になっても襲撃してきた。
なんと、この昼までの間に3回も出没している。
1回目は逃げつつ応戦して撃退した弘であったが、2回目の時点では少し慣れてきており、立木を利用して攻撃を防ぎつつ一人二人と倒していった。この時点で、弘は短刀で相手を斬りつけることに躊躇することがなくなっている。なぜなら、1回目の襲撃時に散々会話をしようとしたが、まるで言葉が通じなかったのである。ギャアとかギイとか吠えながら、問答無用で攻撃してくるのだ。
弘は黙って殺されるほど平和主義ではないし、地の利で負けているから逃げられないときては、戦って切り抜けるしかなかった。
3回目に至っては、相手集団が出てくるなり駆け寄ってリーダー格を薙ぎ倒し、パニックに陥った者達を蹴散らしたのである。
最初の夜の戦闘から数えて4回も戦った計算になるが、負傷したのは最初の一戦のみで、後はすべて無傷。相手の戦闘時の挙動がワンパターンなことと、体格差から手足のリーチで有利であることが原因であろう。
そうした連戦の結果、もはや弘は相手集団を人間だとは見なしていなかった。
「なんて~のかなぁ。詳しくねーけど、ゲームとかで出てくるゴブリンって奴?」
弘は家庭の経済事情により、少し古いコンシューマゲームでしか遊んだことがない。
オンラインゲームに手を出したこともあるが、不良少年丸出しなプレイを続けた結果、多くのプレイヤーと喧嘩になり嫌気が差したのでやめてしまった。
なので、ゲーム知識は完全に一昔か、二昔前のモノになっていたのである。
「ゲームかぁ、そういや携帯ゲーム機とか買って貰えなかったっけなぁ……」
やはり家庭の経済的事情によるものだ。あと両親の育児方針でもある。
その結果、周囲の話題に溶け込めず孤立し、高校デビュー的にグレて現在に至るというわけだ。情けないことこの上ないと自分でも思う弘であったが、暴走族はもう卒業した(脱退リンチ的なものはあったが、実力で撃退した)し、定職に就けていないがアルバイトなどで働いてはいる。
割とマシな方ではないだろうか? と本人は思う次第である。
さて、もう一つ気になることがあった。
これはひょっとしたら、あてどなく彷徨ってるのと同じくらい重要なことかもしれない。
襲撃者達……ゴブリンを撃退していると、どこからともなくファンファーレが聞こえるのだ。最初は幻聴かと思ったが、2回目を聞いたあたりで「幻聴じゃないのか?」と思うにいたる。
(なんだかRPGで、敵を倒して経験値が入ってるみたいだなぁ。ガキの頃、古本屋で見た漫画で、頭の上にステータス画面とか浮いてるやつがあって……)
そんなことを考えてるうち、ふと「マジでステータス画面とか出たら笑えるのによぉ」などと思ってみた。
その瞬間、眼前にステータス画面が出現したのだ。
黒い板のようなものを白枠が囲み、内部にはさまざまな情報が書いてある。そのトップに記された登録名には、沢渡 弘と書いてあった。
まぎれもなく、ゲームなどで見かけるステータス画面である。
あまりのことに笑うどころではなかったが、ところどころ触って別窓などを出したりしているうちに、やはり弘は大笑いした。
(こんな3日も歩き回って何処にも出られず、のたれ死ぬかもしれないってのに、なにが悲しくてステータス画面なんだよ? 俺はゲームのキャラクターか? どうせなら食い物か水でも出せよ!)
怒りのあまりステータス画面をブン殴ったところ、その拳が画面を突き抜けてしまった。呆気に取られて拳を引き抜いたが、ステータス画面は何の支障もなく表示されていたのである。
(このガキャ~、画面をタッチするときは普通に触れるくせしやがって……)
飲まず食わずで3日以上が経過。
いよいよ体力の尽きかけてる弘は、眼前で浮かぶステータス画面を睨み付ける。
そのステータス画面には、次のような情報が記載されていた。