第二話 一人山の中で
ドン!
という重い音を聞いたような気がする。
そう言えば躰が痛かったかもしれない。いや、衝撃を感じた瞬間には、躰がズレたと言うか飛んだと言うか……。
「……って、待てコラ! 俺、撥ねられたんじゃねーか! マジ死ぬって!」
弘は跳ね起きた。
痛いとか怪我をしたかとか取りあえず関係ねー! 俺を撥ねた奴はボコる! またバイトをクビになるだろうが、知ったことかよ! まずは運転席から相手を引きずり出して……。
「あ? トラックは? どこいった?」
周囲を見回す。
とても暗い……見上げれば夜空が見えたので、時間的には夜なのだろう。
だが、撥ねられた時は昼間だったはずだ。
(なんだこれ?)
周囲の状況が一変していることも、弘に衝撃を与えていた。
彼が来客誘導をしていたのは、街外れとは言え舗装道路に囲まれた駐車場内(より正確には駐車場に面した道路上)だったはずだ。なのに、見えるのは木々や草むら……どう見ても林か森の中である。見慣れた街の風景は、綺麗サッパリ消えてなくなっていた。
最初に弘が考えたのは、自分が拉致された可能性についてである。
例えば、自分を撥ねた相手がヤクザか、あるいはタチの悪い不良で、人身事故を揉み消すために弘を拉致して山中に連れ込み、殺して埋める……とか。
その割には縛られているわけでもないし、周囲に人の気配もない。弘を放置して逃げたのだろうか?
今居る場所は森の中だか、山中だか定かではないが、とにかく弘は一人だった。
身につけているのは、葬儀場で借り受けたブラウン系の警備員服に帽子。小汚い私物のタオル。そして誘導灯は……。
「お、あったあった。無くしたら弁償だもんな」
足下に転がっていた誘導灯を拾う。スイッチを入れると、チカチカと点滅が始まった。
何となくニヤッとしてしまうが、すぐに現実に引き戻されスイッチをオフにする。
ここはいったい何処なんだろう?
(トラックに撥ねられて、気がついたら山ん中とか冗談じゃねー……てか変だな? まるで痛くないぜ……)
そう、痛くないのだ。
記憶にあるトラックは、2トン車ほどの大きさだっただろうか? あんなのに撥ねられたら、道の反対側まで吹っ飛ばされてたはずだ。あの状況で道の反対側と言えば、確か民家があったはずなので、その敷地を囲むブロック塀に激突していた可能性が高い。
そうでなくとも、二トン車に撥ねられたら軽くない怪我を負うはずで、だがしかし……その怪我をしてる様子がないのだ。
着ている警備員服も、何処か破れているといった状態ではないし、気になる点と言えば汗を吸っていて臭うことだろうか。
(なんだかわからんが、怪我してないのはラッキーだな。それにしても……)
変な夢を見ていたような気がする。
何処か日本ではないような場所で、戦って……。
(あれ? 戦ってたんだっけ? んん?)
夢というのは目覚めた瞬間から忘却が始まる。それと同じように、弘は目覚める前に体験していた『夢』のことを思い出すことができなかった。
(ん~……まあいいか)
思い出せない程度の夢だ。どうせ大したことではないのだろう。
(そもそも、夢だし。あ、財布とか取られてねーだろうな)
尻ポケットをまさぐると財布が確認できた。
そこはひとまず置くとして、尻ポケットをまさぐると財布が確認できた。
弘はホッとする。
どうやら、自分をここに連れてきた奴は物取り目的ではないようだ。
(タバコもライターもあるし、取りあえずは一服するか……)
ケースから一本取り出して口にくわえ、ライターでもって火をつける。そして、おもむろにしゃがみ込むと、弘は胸一杯に吸い込み大きく煙を吐き出した。
いわゆるウンコ座り姿勢なわけだが、この状態でタバコを吸うと気持ちが落ち着く。
半端社会人とはいえ、二年ほど前はまだ不良高校生だったのだ。慣れた吸い方が一番なのである。
そしてリラックスしつつ、くわえタバコのまま周囲を見回すと、やはり見覚えのない山中あるいは森林であることを再確認できた。
(何処なんだろ~なぁ……歩いて帰れるとこだといいんだけど)
ちなみに弘は携帯電話を所有していたが、バイト先である葬儀場の更衣室に置いてきている。つまり、自宅や警察に電話をかけて連絡を取ったり、救助を求めたりすることができないのだ。
「くそ真面目に職務規程なんか守るんじゃなかったなぁ」
来客誘導している警備員が、突っ立って携帯電話やスマホをいじっていたとしたら?
当然ながら見栄えがよろしくないので、勤務時間中は持ち歩かないよう言われたことを弘は思い出す。
さらには次のバイト予定があることも思い出していた。
「やっべぇじゃん! 明日ぁ、朝一で……こうしちゃいられねーっ!」
ザッ!
立ち上がり、タバコをやはり持ったままだった携帯吸い殻入れに放り込むと、弘は歩き出した。
自分を拉致した奴らが何処かで見ているかも知れないし、トラックに撥ねられてから夜まで寝てた自分の体調も気になると言えば気になる。だが、優先すべきは明日のバイトに間に合うよう自宅に帰り着くことなのだ。
(あ~……いや、葬儀場に戻るのが先かな。でも、昼から夜まで持ち場にいなかったんだから……)
やっぱしクビだよなぁ……。
自身の失業記録に、また一つ上乗せされたわけだ。
そうなると、いっそ葬儀場に向かうのはヤメにして自宅に戻った方がいいような気がするが、弘は葬儀場に戻ることにした。
元来、責任感はある方なので、勝手に持ち場を離れたことについて詫びの一つも入れなければ……と、そう思ったのである。
(着たままの警備員服も返さなきゃならねーしな~)
このまま歩いて葬儀場に辿り着き、服を返して自分の荷物を持ち、そのまま次のバイト先まで移動……正直、色々と無理かもしれない。
「クソが! 街灯もないんじゃ暗くて何も見ねーし! っと、そうだ!」
持ってる中で照明器具にできそうな物と言えば、やはり誘導灯だろう。しかも、先端部には白色LEDライトが備わった優れものだ。
問題は前に電池を入れ替えたのが、果たしていつのことだったかという点。
だが、敢えて考えないことにする。
電池切れになったら、そのときのことだ。
(ライターもあるから、松明を作ってもいいしな……って、そういや松明って、どう作るんだっけ?)
白色LEDの光を頼りに歩きながら、弘は考えた。
(棒の先に布とか巻いて、そうだ、オイルとか染み込ませるんだっけ? そんなオイルとか持ってねーし……)
ガックリくる。
今持ってるライターは百円ライターだから、オイルだけ出して……といったこともできやしない。いや、できるかもしれないが弘は自分には無理だと考えていた。
もっとも、油類に限らず松ヤニで代用もできるのだが、その方法を思いつく知識が弘には無かったし、仮に思いついたとしても、そこまでする必要はないと判断したことだろう。
なぜなら、ここは日本。
例え拉致されて自動車で運ばれたとしても、体格のいい弘を長距離担いで山中(?)移動できるとは思えない。不可能ではないだろうが、一苦労ではあるはずだ。
ならば、この辺りは自動車で乗りつけられる車道から、さほど離れた場所ではないのだろう。
と、ここまで順序立てて考えたわけではなかったが、弘は直感的にそう考えていた。
できれば日が昇るのを待って行動したいところだが、明日のバイト先には朝の早い段階で出向かねばならない。
(まあアレだ、暫く歩けば道路に出くわすだろうぜ)
誘導灯先端部から白色光をほとばしらせながら歩く弘は、あくまで楽観的であった。
なお、山中で道に迷った際は、無闇に動き回るべきではないと言われている。
その程度の知識は弘にもあったが、先程述べたように彼には急ぐ理由があった。そして、道路は近いだろうという思いもあった。
しかし、このときの弘は、アスファルト舗装された道路からは想像を超えて遠い場所にいたのである。