第百八十四話 出発前夜
翌日の夕刻。
ノーマが盗賊ギルドから戻って来た。
1階酒場で夕食を済ませ、全員で2階会議室へ引き籠もる。
「いや~便利便利。使い出したら癖になるぜ。ギルドの会議室」
階段を上がりつつ弘が言うと、皆が顔を見合わせるなどして苦笑した。冒険者ギルドの2階は、どの都市も執務室及び宿直室がある他は、宿泊部屋と会議室の構成となっている。会議室は1~3時間あたり銅貨3枚の使用料となっており、冒険依頼の打ち合わせに便利で冒険者達からは人気の施設だ。更に言うと、王都本部は他の都市のギルドよりも建物が大きく、受付脇から見える廊下の奥行きが凄いことになっていた。
「50メートルぐらいあるんじゃねーか? 明らかに1階酒場の面積を超えてるよな」
その分、宿泊部屋や会議室が他のギルドより多い。そして2階廊下の奥には関係者以外立ち入り禁止の扉があり、そこから1階部分にある倉庫等へ移動できるとのこと。
取りあえず、そういった普通の冒険者に関係ない部分は、今の弘にとっても関係ないわけで、詮索することを止めた弘は、皆と共に会議室の1つに入っていく。
「会議室が開いてて良かったですね! サワタリさん!」
「おお。てゆうか、これだけ部屋数があるのに一部屋しか開いてなかったしな。やっぱ、パーティー用の宿泊部屋で相談するより都合いいからかね?」
椅子を引いて腰を下ろしつつ弘は、カレンに相槌を打った。カレンはテテテッと歩いて弘の右隣をキープすると、自分の椅子に座りつつ頷いて見せる。
「会議室は大きな会議テーブルがありますし、ベッドなんかが無い分、部屋が広いですからね。椅子の数も余裕があって、依頼人を連れて入って相談したりもできますから。やっぱり便利ですよ!」
宿泊部屋でベッドに腰掛け、向かいあって話すのも良いが、いささか窮屈である、そのことを知っている弘は、カレンの説明に頷きつつ皆を見た。
グレースが左隣に座るのは定番だが、今回は正面にノーマが座っている。彼女には、盗賊ギルド等で今回の古竜討伐の依頼人……王国侯爵、グスタフ・フォン・セイファーディッツの素性及び、自分達の目的に都合が良さそうな他の貴族を調べて貰っていたのだ。
侯爵クラスの貴族に関する情報を取り扱うからという理由も、会議室を借りた理由の一つである。
「お疲れさんだったな。ノーマ。飯も食って腹も膨れたことだし……聞かせて貰おうか?」
軽口を交えながら弘は言う。元の世界での暴走族時代、弘は下っ端に指図するのは慣れていたが、こうして恋人に動いて貰うことには未だに不慣れだ。
(どうしても、こう……気を遣っちまうんだよな~)
思わず苦笑しそうになるが、ギュッと口元に力を入れて噛み殺したところで、ノーマによる報告が始まる。
まず、セイファーディッツ侯爵が古竜によって迷惑しているのは本当であるとのこと。自領の街道で、それもドラゴンの棲息域を通るエリアでは、基本的に通常種ドラゴンの襲撃が多いらしい。しかも、古竜が時折姿を現し、既に出現している通常種ドラゴンを蹴散らしながら街道を行く商隊をも襲っていくこともあるという。
「冒険者を雇って護衛にしようが意味がないのよ。通常種のドラゴンが1頭出ただけでも全滅するぐらいだし、その上、古竜まで出るとあってはね」
結果として、その街道は使用されることが極端に減り、セイファーディッツ領を通る商隊も少なくなった。いや、商隊に関しては現状、完全に通行を断念しているとのこと。
そうなると物資の輸送が遠回りで行われ、コストが高く付く。領内に流れ込む旅人も少なくなる等、元から経済的に豊かとは言えない辺境領にとっては大打撃なのであった。
「同じく古竜討伐の依頼を出してたファズビンダー公爵の領内よりも、通常種ドラゴンと古竜の出現率は高いらしいわ。それもまあ比較論の話で、しょっちゅう出てくる通常種ドラゴンと、たまに出る古竜が怖くて国軍が討伐に乗り出してくれないあたりは、どちらも同じね。対外的には、干されてる貴族なんて放っておけ……って事になってるそうだけど」
かくして国軍を頼ることができず、冒険者ギルドに依頼書を出し、引き受けてくれるものが出ないまま現在に到るというわけだ。
「少なくとも依頼に裏があるような情報は無かったから、極普通のモンスター討伐依頼と思っていいわ。……討伐対象が主に古竜だってこと意外はね」
最後の一言を言う際、ノーマは乾いた笑い声を漏らす。その視線がスーッと下……会議テーブルに落ちた。
「ヒロシ……やっぱり、やめない?」
ボソリと呟くように言うノーマは、それだけ言うと口をつぐんで弘を見る。そのすがるような瞳は、普段のノーマ……いつもからかうような、それでいて色気ある雰囲気で語る彼女あるからは想像もできない。
これには弘も一瞬身を固くしたが、すぐに気を取り直して首を横に振る。
「やめません。つか、今更何言ってんだ。古竜の首取りは、カレンの用件にも関係してくるんだから。ワガマ……」
ドドスッ。
「ぬっ……」
右隣のカレンと左隣のグレースから肘撃ちが繰り出され、弘の脇腹に突き刺さった。しかし、弘は黒塗りの革鎧を着用しており、グレースの一撃はダメージを与えていない。一方、カレンは家宝の倍力鎧を着用しているため、その強烈な打撃によって革鎧の側部が肘の形に変形した。
とはいえ、このカレンの肘を受けても弘は平然としている。やはり、高レベルの耐久力は、増幅されたカレンのパワーであっても問題としないのだ。
(けど、今の肘は俺の言い方がマズかったからなんだろうな。恋人への接し方を注意しろってことか……。耐えないで素直に痛い思いしておきゃ良かったかも?)
弘は大きく息を吸ってから吐き出すと、努めて静かに語りかける。
「大丈夫だって言ってるだろ? 盗賊ギルドの方の仕事は、無理なら逃げていいことになってんだしさ。仮に逃げる羽目になっても、カレンの家督相続とかは、まあ別の方法で何とかするし?」
無理はしないつもりなのだから、今は報告を先にして貰えると助かる。
その様なことを幾度か言いあぐねつつ弘が伝えると、ノーマはカレンやシルビアなど他の女性らに忙しなく視線を配ってから……小さく溜息をついた。
「ごめんなさい。じゃあ、依頼に関して変な裏は無いってことで。次の報告に移るわね?」
声に張りが戻っている。どうやら、少しは気を取り直したようだ。
続く報告は、セイファーディッツ侯爵が、カレンの家督相続の妨害をしているアレックスに対し、その行動を止めさせることができるかどうか。
結論から先に言えば、可能である。古竜さえ倒せば、ホローリン家に対して口を聞いてくれることも可能らしい。
「え? そりゃあ嬉しい話なんだが……。大丈夫なのか? アレックスん家と依頼主は同格の侯爵だけど、干されてる分だけ依頼主の方が格下なんだろ?」
「そこはそれ、親戚筋を経由してなら何とかなるって話よ。ええと、セイファーディッツ侯爵の家から回り回って、アレックスの父親の……姉の旦那の……弟の奥さんの……母親の祖母のあたりにつながるとか」
「メチャクチャ遠いじゃねーか……。けど、一応はアレックスの親父んとこまで行くのか」
多少苦しい気もするが有効な手段だ。この古竜討伐を成功させ、冒険者ギルドの完了検査を済ませた後、古竜の首自体は盗賊ギルド本部に届ける。それでノーマの一件は解決だ。
その後、セイファーディッツ侯爵に連絡を取り、古竜討伐の一件を出しにしてカレンの家督相続について助力を願い出よう。首尾良く侯爵が聞き入れてくれたならしめたものだ。
どうにかアレックスの父親の姉か、義理の兄あたりに話を通して貰い、父に諭されるか説教されたアレックスが手を引く……という展開が理想である。
(ここまでやって駄目なら……アレックスの奴は、マジで始末するしかねーな。自動小銃の……M16とかを召喚して、ズキューンしてやるぜ)
今回、カレンの家督相続について弘が回りくどい行動をとるのは……ひとえにカレンのためだ。暗殺などの手段をとることで、万が一にもカレンに迷惑が掛かることを弘は恐れている。しかしながら、他に手が無くなれば狙撃等の行動に出ることも辞さない。
(この世界に来てからこっち、何人も人を殺してきた。たいがいは野盗なんかだが……。権力を笠に着て、俺の恋人に嫌がらせするような奴。生かしておく値打ちなんてねぇよ)
元居た世界。とりわけ日本と比べて、今居る世界では人の命が軽いのだ。
人殺しを楽しく感じるような感覚を持ち合わせていない弘だが、自分の人生や大切なモノの障害になるようであるなら、殺人も一つの選択肢である……と、そう考えるようになっていた。
(自重はするつもりだけどな)
何でもかんでも相手を殺して解決しようなんて自分は、カレンやグレース達と共に居るには駄目すぎる。そんな気がしていた。
「ふ……ん?」
少し考え込んでいた弘は、皆の視線を感じて一声唸る。皆、弘の決断を待っているらしい。
「よ、よし。セイファーディッツ侯爵の依頼を請けよう。後は、おおむね話していたとおりの段取りで進めて、最終的にはカレンの家督相続が上手くいけば大成功だな。こういうの、ゲームじゃあ勝利条件達成とか言うんだったか? まあいいや」
方針を決めた弘が言い終えると、皆の気が引き締まったように感じた。事実、引き締まっているのだろう。これで自分達は古竜討伐の依頼を請けることが確定し、ドラゴンが頻繁に出現する場へと赴くことになったのだ。
「出発は明日……と言いたいが、盗賊ギルドの方は、古竜の首を要求してる貴族の方から監視役が来るんだっけ? ノーマ、悪いがそこを確認しておいてくれるか?」
「了解。この後、ちょっと盗賊ギルド本部に行って確認しておくわ。たぶん、すぐに返事は貰えるはずよ」
ノーマが言うには依頼主が寄こした監視役は、盗賊ギルド本部に滞在しているらしい。盗賊ギルド本部の動向を監視することも兼ねている……というのは理由の一部で、メインは嫌がらせであるとのこと。
「そんなわけだから、先方の都合さえ良ければ、明日の午前中には出発できるんじゃないかしら?」
「なんだかなぁ。んまあ、とにかくだ。今、ノーマが言ったとおり、早ければ明日の朝の内に出発することになる。みんな、この後は身体を休めておいてくれ」
出発となれば、東門より王都を出て、暫くは徒歩移動。いい感じの木々など遮蔽物を見つけたら、そこでヘリなどを召喚して現地へと移動となる。
「現地……つってもドラゴンの居る山脈付近の、適当なところだけど。そこに着いたら、街道を挟んで大和は反対側の……離れた場所にトーチカを出すからな。みんなは、そこで観戦しててくれ。……監視役って奴も一緒にな」
召喚具のトーチカを使用するのは、これが初めてではない。前回の使用から期間が開き、他の召喚具との併用も可能となった今では、トイレ風呂にキッチン完備……と居住性は更に向上していた。
弘としては、召喚品目の中にログハウスなどもあるので、そういう落ち着ける物件……もとい、召喚具で寝泊まりしたいところではある。だが、それも時と場所によりけりだ。
「もしかドラゴンがカレン達にちょっかい出そうとしても、トーチカに籠もってりゃあ大丈夫だろ」
召喚具一覧におけるトーチカの説明では、火炎放射器に弱いようなことも書いてあったが、これはMPを割り増し消費することでカバーできる。実際、召喚したトーチカに同じ召喚武具の火炎放射器で攻撃してみたが、内部に異常はなかった。
(中の空気とかどうなってんだろうな。やっぱファンタジーって凄ぇわ)
「食料や水に関しちゃあ、大量に買い込んでアイテム欄に収納してるから。その都度、俺がトーチカに補充する。後は……そうだな。古竜が出てくるまで粘るつもりだから、寝泊まりの準備とかは余分に用意しておいてくれな」
仕様上、トーチカには洗濯機や乾燥機もあるので、かなりの期間頑張れるはずだが、弘は一つの区切りとして10日間を想定している。
「依頼が出るほど困ってるんだから、街道で居りゃあ通常種のドラゴンぐらいは出てくるだろうし。そこまでの長期戦にはならないと思うんだがな」
そう言ってから皆より質問が出ないことを確認した弘は、会議を終了させた。
この後は、会議室を出てセイファーディッツ侯爵の依頼書を取り、受付で申請するのみである。
◇◇◇◇
結論から言うとヒロシパーティーは、セイファーディッツ侯爵による古竜討伐依頼の単独受諾者となった。受付で依頼書を提出後、再び精霊通信によりセイファーディッツ家に連絡……先方が弘のことを大いに気に入ってくれたのである。
更には、アレックスによる『カレンの家督相続を邪魔する活動』をやめさせるについて、セイファーディッツ侯爵は協力を約束してくれた。
もちろん、古竜討伐を遂行することが前提条件であったが、何故出発前の時点でこうなったのか。
それはひとえに、セイファーディッツ侯爵が人格者かつ温厚な性格であり、大貴族らしからぬお人好しであったことが大きい。そのお人好しさが災いして、貴族間では浮いた存在となり、過去には余計なことに首を突っ込んで王の不興を買ったこともある。結果として、現在の境遇に到るのだが……少なくとも弘達にとって、セイファーディッツ侯爵の人柄は幸運以外の何ものでもなかった。
「これで何処かの公爵みたいな性格だったら、一連の行動プランは大きな修正が必要だったであろう。まあ、あの公爵めの性格が大貴族としては一般的らしいから。やはり、運が良かったと言えるだろうな」
とは、冒険者ギルド王都本部の精霊通信室にて、セイファーディッツ侯爵本人との会話を終えた後……グレースが呟いたことであったが、それを聞いた弘以下全員が頷いたのは言うまでもない。
「侯爵様。ファズビンダー公爵の半分しか報酬を用意できなかったって、凄く申し訳なさそうにしてたわよね。ああいう人……じゃなかった、ああいう方が中央から遠ざけられるなんて……本当、貴族って嫌な界隈よねぇ。あたしが言うのも何だけどさ」
精霊通信室を出たところでジュディスが言う。
下層に位置しているとはいえ、一応貴族の端くれであるジュディスは、始めて顔を見て、その声を聞いたセイファーディッツ侯爵に対し好印象を抱いていた。
長く伸びた白髪を背中で束ね、鼻下に白髭をたくわえた侯爵は、その着ている衣服の華美な点を無視するならば、1人の気の良さそうな老人だったように思える。
「ほんとなら執事の人が全部応対するそうなのに、俺が引き受けるってなったら執事さんを押し退けて、通信に割り込んできたもんなぁ」
押し退けられるまでに執事から聞いたところでは、最初、侯爵はランキング外の冒険者が名乗りを上げたことに難色を示していたらしい。それも当然のことで、王都で活躍する冒険者の上から10番目くらいまでなら、あるいは……いや、せめて上位5位ぐらいまでが引き受けてくれたら……ひょっとしたら古竜を追い払うぐらいはできるのでは……などと淡い期待を抱いていたのだ。もっとも、幾ら強いとは言っても冒険者パーティーが軍隊以上の戦闘力を発揮できるはずがないので、冒険者ギルドに依頼書を出したのは、駄目元以外の何ものでもなかった。
ところが、期待外れにも名乗り出てきたランキング外冒険者は、つい先日、闘技場でレッサードラゴン亜種を2体まとめて撃破した強者だという。
ひょっとしたら伝説やお伽噺で言う英雄、あるいは王城にある勇者の剣を抜けるような、勇者その人ではないのか……と。侯爵の期待が大きく膨らんだのである。
興奮しながら幾つかの質問をしたり、弘の戦歴を聞こうとするセイファーディッツ侯爵を見た弘は少し引いたが、落ち着きを取り戻してからの侯爵の言動には感心することしきりであった。
「一息ついて落ち着いたらと思ったら、『それで、自信の程はどうかね! 領民や街道を通る者達を救って貰えるのだろうか!』だしな。冒険者風情の俺に、真剣に話し込んでくれてもいたし。領民思いの殿様って感じがして、マジで偉ぇ人だよ」
弘は、ジュディスの独り言に応じながら、皆を引き連れて受付まで移動する。そして会議室の鍵を返却した後で、今度は宿泊部屋の鍵を借りた。借りた部屋は10人部屋だ。8人編成のヒロシパーティーであっても、余裕を持って宿泊することが可能。
弘の召喚具には宿泊施設の類も多く登録されており、街道外で夜を明かしても良かったのだが、今日は事前に話し合ったとおり、ギルド宿で泊まろうということになった。
受付嬢に宿泊代を前払いしながら、弘は言う。
「仕事前だし、久しぶりにパーティーでギルド宿……ってのもいいんじゃね?」
◇◇◇◇
そうして皆で宿泊部屋に入り、他愛も無い談笑で時間を潰し、眠気が差したところで就寝となる。が、弘は目が冴えていた。
(うおおおお。なんか、興奮? いや、よくわかんねーけど眠れねぇ!)
理由は簡単。夜が明けてからの冒険行で、ドラゴンと戦うことが楽しみで仕方がないのだ。無論、想像を絶する強者と聞く古竜との戦闘。これに不安があるのも事実だ。しかし、弘にとっては楽しみの方が勝る。
幾つか制限のある能力は別として、今ある召喚具の中から可能な限りの大火力品を用いての戦闘だ。これで興奮しないはずがない。
(しかし、能力の制限かぁ……)
簡易寝台の上で寝返りを打った弘は、他の者達の寝息を聞きながら暗い天井を見上げる。
制限されている能力というのは、『特殊召喚』……そのカテゴリーで唯一登録のある幻体召喚だ。
弘は過去に、とある森で召喚術らしき能力を持つオーガーと戦ったことがある。当時の弘にとってはかなりの強敵で、危うく負けるところだった。その戦闘の終盤、弘が危機に陥ったところで発動したのが幻体召喚である。
それは弘の頭上に赤いワイヤーフレームで構築された巨大な腕が出現し、その手の大きさに見合うよう巨大化された拳銃……あの時はトカレフだった……が召喚されるというもの。その銃口から撃ち出された、もはや砲弾とも言うべき銃弾により、オーガーは兜ごと頭部を破砕されたのだ。
(あの1回でスゲー消耗したんだっけな。消費MPの量は覚えてないが、今の俺は大きくレベルアップしてる。MP最大値だって百と数十万だ。今なら耐えられると思う……けど)
問題は、その幻体召喚の使用に制限が設けられていること。
その制限とは、特殊召喚という能力の解放条件であり……その内容とは……。
『特殊召喚の解放にあっては、召喚術士システムを再起動する必要がある。その際、術士の生命活動を停止し、速やかに蘇生させることで再起動を果たすこと』
というものだ。
つまり、特殊召喚……幻体召喚を通常の召喚術のごとく使用するために、弘は一度死ななければならないのである。
このことはステータス画面から派生するウィンドウにて、解放能力等の項目を閲覧することで確認できた。が、それを知った際の弘は激昂し、召喚したトカレフでステータス画面を銃撃している。
(生命活動を停止とか、冗談じゃねぇよな。速やかに蘇生って、どうすりゃいいんだ?)
転移して放り込まれた世界は、ファンタジーRPGのような世界で、魔法が存在する世界だ。ゲームで言う僧侶魔法は、法術と呼ばれているが、その中で蘇生魔法は相当な高位僧職者でないと行使できないらしい。施術の対象者は、主に大貴族の事故死者や病死者であり、地方都市では蘇生法術の存在すら知られていないこともある。
当然だが、シルビアもウルスラも蘇生法術は使えない。
(うっかり死んだら、生き返るのは難しい……てか無理だろうな)
銭金の問題ではなく、弘のような身分では高位の僧職者は動いてくれないだろう。
しかし……と、弘は思案の方向を変えてみた。
特殊召喚の解説をよく読めば『速やかに蘇生させることで』と書いてある。
ひょっとして、この特殊召喚は『死んだら1回だけ自動蘇生する』ということではないだろうか。そう、速やかに勝手に生き返る……と。
(いやいやいやいや。そんなこと、あるわけねぇし! いや、あるかもしれねぇけど……試して死んで、生き返れなかったら駄目だろ!)
……むくっ。
弘は寝台上で躰を起こした。
(飲みに行くか……)
夜の遅い時間帯だが、ここは冒険者ギルド。いつ何時、冒険から戻った冒険者が来るかわからない施設だ。1階酒場は営業しているはずだし、品数は限られるだろうが、食事もとれるだろう。
「炒り豆とか、乾き物なんかが欲しいな」
酒に関してはエール酒ぐらいだろうが、軽く酔えるなら何だっていい。
弘は皆を起こさないよう、高数値の『素早さ』にモノを言わせて音も無く退室して行く。 それは本職の偵察士が見ても、見事な無音行動であり、勘の鋭い者であっても今の弘に気がつく者は居ないはずだ。
……。
「でもまあ、元から起きてる人にはバレちゃうわよねぇ?」
「ぐむ……」
カウンターで座る弘は、隣りで腰掛けたノーマに言われ、呻きつつジョッキのエール酒に口をつける。
宿泊部屋を出た後。1階酒場に降りた弘は、夜番をしていた店員にエール酒とつまみになる物を注文した。予想していたとおり、炒り豆ぐらいしかなかったが、それで充分と飲み始めたところ、2階からノーマが降りてきたのである。
渋い顔をしながらエール酒を飲む弘を、ノーマは楽しげに見て言った。
「こうして夜のに2人で飲むのは久しぶり……かしらね?」
「そうか? ああ、そうだったな。前は確か……」
ブレニアダンジョンへ向けて出発する前の夜。以前からノーマと2人で飲む約束をしていた弘は、冒険者ギルドの酒場ではなく、少しお高い酒場で彼女と飲んだのだ。
「あの時はワインで、今はエール酒。けど、弘と一緒に飲めるなら、凄く美味しい……」
「ああ、そう」
気のない返事をする弘だが、付き合ってる女性からこう言われると正直言って嬉しい。
「それで? 俺と飲みたくて1人でついて来たのか?」
「そう……ねぇ」
それまで楽しげだったノーマが言い淀む。手に持っていたジョッキをカウンター上に置き、それを両手で挟み込むようにした。そして、瞳だけ動かして弘の様子を窺う。
「私の面倒事で古竜と戦うことになって……で、そのことについて謝りに来たとしたら?」
「だったら聞きたくねぇ話だ。ノーマが申し訳なさそうにしてるのは散々見せられてるからな。気持ちはわかってるつもりだし、あんまりしつこいと悪くもない気が悪くなっちまうよ」
言いいながらも弘の声には棘がない。どちらかと言えば、困っているようなイメージをノーマは受けたし、事実、弘は困っていた。
(俺は難儀なことになってる恋人を助けたいだけなんだがなぁ。……これが逆の立ち位置なら、申し訳なくてたまらんから。マジで気持ちはわかるつもりなんだが……)
ぐびびっ……。
エール酒を喉に流し込み、弘は幾分朱のさした顔をノーマに向ける。
「惚れた弱みだ。恋人が好き好んで手ぇ貸そうってんだから、喜んで助けられてくれてたらいいのさ。それでも気になるなら、そのうち何かで返してくれ」
「手を貸すんだから、これは借りってわけ?」
微かに微笑みながら聞くノーマに対し、弘は首を横に振りかけた。
「貸すつもりとかねぇし……あ、さっき手を貸すって言っちまったか。もう、何だっていいや……」
「ちょっと。そこで投げやりにならないでよぉ」
弘は抗議するにノーマに笑いかけると、軽く息を吐いてから顔を引き締める。
「会議室でも言ったが古竜狩りはカレンのことも絡んでる。やめるわけにはいかねぇし。何より……俺は古竜と戦ってみたい」
戦闘狂とか、そういうのじゃないぞ? と断りを入れてから、弘は続けた。
先日の、闘技場ではアレはアレで全力戦闘だったが、それでも観客の安全に気を配った戦い方をした。
「今の俺の召喚具だと。物によっちゃあ闘技場の結界なんかブチ破っちまうしな。けど、街道の外で戦うんなら、何の遠慮もいらねぇ」
カレンに話したような大威力の召喚武具を、使いたい放題に使える。
「だから……」
先程、宿泊部屋の寝台上をで考えていたことと同じことを話していた弘は、不意に言葉を切った。
特殊召喚における『幻体召喚』。自分の死と蘇生をもって解放される強力な召喚術。
このことをノーマや皆に話すわけにはいかない。間違いなく心配され、幻体召喚を使わないよう諭されるからだ。
(今すぐ試そうとか、死ぬ気とかないけどな……)
「どうかした?」
「いや……俺の勇姿ってやつを、好きな女に見てもらいたいじゃないか。そう心配とかしないでさ。俺に任してくんない?」
そう言ってニカッと笑うと、ノーマは肩の力を抜く。
「恋人のために好き好んで。そして好きな女に見て貰いたい……か。そこまで言われて、これ以上何か言うのも、女としてどうかと思うわけよね。……ねえ? ほんっとうに怪我とかしないでね? 死んだりしたら、私、泣いちゃうんだから」
「言ったろ? 古竜退治は一応戦った事実さえあれば、逃げたっていいんだ。侯爵さんは気の毒だが、命あっての物種だし? 無理とかするつもりはないって」
そう弘が言うと、ノーマは「信じたわよ?」と念押ししてから、ふと何かを思い出したように人差し指を下顎にあてる。
「そう言えば……カレンが自分も戦うって言い出さなかったのは意外よね? それなりに心配している風ではあったけど」
「カレンは理解してるっぽいからな。今回の俺は周囲のことなんか、お構いなしで戦う気でいる。言い方を変えっと、そういう風に戦う……実験みたいなことをしたいんだ。だから、組んで行動してると危ないってことをさ」
弘は口には出さなかったが、恐らくカレンは、そういう戦い方を弘がする場合……自分達が弘の邪魔になることも理解している。
(自分が邪魔になるから……ってのは、俺に気遣って言わないようにしてた……のか?)
付け加えるなら、自分が邪魔になると口に出すことで、情けない気分になることや、皆が落ち込むことを避けたというのもあるが、そこまでは弘には解らなかった。
ともかく、カレンの倍力鎧を駆使した戦力はあてになるものの、今言ったとおり、今回は仲間と組んで戦う……パーティー戦闘自体が難しい。
「あの娘は解ってるのね。自分の家のことで弘に戦わせることを、気に病んでるはずなのに……」
そこへ行くと、会議室で弘に食い下がり、今また酒場で飲んでるところに押しかけた自分と来たら……。
ズーンと落ち込むノーマを、苦笑いしながら見ていた弘は話題を変えるべく、明日以降のことについて話し合った。と言っても、ここで話に出したのは、盗賊ギルド側から……正確には、盗賊ギルドに依頼遂行を求めている貴族から派遣される監視役のことである。
「その監視役って人。弘の足手まといになる……かしらね?」
「いや、皆が入るトーチカに一緒に入れておけば問題ないんじゃね? 俺の召喚術を見られるについちゃ……まあ、仕方ねぇってことにしておくか」
あの手やこの手、切り札になりそうな召喚術を見られるのは良くないが、見聞きしたことを伝聞される程度なら、それは宣伝効果と割り切って良いだろう。
監視役について話したところで話題が尽き、ノーマは席を立ちかけたが、そこで弘を一度振り返った。
「うん? まだ、何かあるのか?」
「ヒロシ。シルビアのこと、気にかけておいた方がいいわよ?」
あの生真面目な光神尼僧は、怒ったり叱ったりと硬い態度を取っているが、パーティーの女性メンバーの中では、最も不安定なところがある。無論、冒険者パーティーとしての同行歴が長くなってきているので、弘もシルビアの危うさには何となく気がついているが……。
「ノーマから見ても、危ない感じか?」
「あの人、無理に我慢する人だもの。光神宗派の教えもあるんでしょうけど。あれは良くないわ。いつ何処で爆発するかわからない。言うでしょ? 大人しい人ほど怒ったときに怖いって。それと同じよ」
「シルビアの場合は『我慢できる奴は、我慢できなくなったときが怖い』……だな」
そこまで理解してるなら、それでいい。と、ノーマは頷いた。
「本当なら他の女のことなんか知った話じゃないけれど。シルビアは……恋人仲間だしね。この先、全員でヒロシの奥さんになったら、姉妹みたいな関係になるのかしら? ともかく気にはかけてるのよ。だから……大事にしてあげてよね?」
そう言い残したノーマは、1人で2階へと消えて行く。これから寝なおすのだろう。
弘はカウンターに向き直り、エール酒の追加を注文して考え込んだ。
「シルビアか……」
自分より一つ年上の光神尼僧。弘にとっての恋人の1人。
彼女の付き合いはパーティーメンバーの中では、カレンと同じで最も早い。弘の加入していた山賊団が壊滅した際、そこに居合わせたのがカレンとシルビアだからだ。
当初、自分に懐くと言うか良くしてくれるカレンに対し、シルビアは厳しく接してくることが多くあった。弘自身、美人だけどキツい人だな……としか思っていなかったが、やはり命を救って貰ったり、行動を共にしたことで意識はしていたらしい。
シルビアから自分に想いを寄せていることを告白されたとき。弘は即座に拒否するでもなく考える時間を設け、後日に彼女を……彼女を含めた、自分を好いてくれている女性全員を受け入れたのだ。
(そうか、シルビア……ヤバいのか。そういや、古竜絡みの話をしてたときも、なんかこう……プルプル震えてる感じだったし。あ~……今度、デートにでも誘ってみるかな?)
恋人として受け入れているだけあって、当然ながら弘はシルビアを好いている。
好きという気持ちに理由付けをするのは無粋だが、彼女の『ゆるふわお姉さん』な容姿が好きだったし、普段からキツいところは困ることもあるが、そういう性格面も気に入っていた。
(あと、なんつ~か包容力って言うの? グレースとまた違って、本人が頑張って支えてくれたり、一生懸命に抱きかかえてくれそうな。そういうのがな~……たまんね~んだよな~)
弘も男として、何もかもシルビアに任せきり、あるいは頼りきりという関係は望んでいない。むしろ、そういった気に入った面を持つシルビアに頼られたい、褒められたいという欲求も持っていた。
(そういうのを色々考えてると、改めてドキドキするっつ~か。やっぱ、好きだわ……うん)
今更ながら気の多い自分に苦笑してしまうが、全員まとめて受け入れると決めたのは、他ならぬ自分自身だ。責任感や義務的な意識が多少あるのは否定しないが、全員好きなのは揺るぎようのない事実である。
だから、恋人が不安定であり危ないと聞いた以上、弘としては放置しておくつもりはなかった。
(デートだな。これしかないって)
他に思いつかなかったというのもある。
弘はジョッキのエール酒を飲み干すと、勘定を済ませて2階へと向かった。
シルビアとデート。
だが、その前にカレンとのデートが予定として存在する。
それは随分前から交わしていた約束であり、外すわけにはいかないことだ。
(シルビアとデートするのは、その後でいいか? いや、どうだろうな)
カレンとデートするとしたら、彼女の家督相続の問題が解決してからのことになるだろう。その後にシルビアとデートしたのでは、間が開きすぎる気がした。シルビアを放置しすぎる……そんな気がしたのだ。
バリバリバリ……。
オールバックにまとめた頭を掻くと、弘は階段上に見える2階の天井を見上げた。
「デートの順番の後先で、ここまで悩むたぁなぁ。恋愛ゲームじゃねぇんだから。……やべぇ、こんなこと古竜と戦う(やる)前に考えてたら、変なフラグ立って死ぬかも」
死ぬ気はサラサラなかったが、気は引き締めておくべきだと弘は考える。
ギュッと拳を握りしめ、奥歯を強く噛んだ弘は、擦れ違う者が居たら怯えたであろう凄味のある笑みを浮かべながら宿泊部屋へと戻っていくのだった。