第百八十話 盗賊ギルド本部
「あのう……副会長?」
弘達が去った後。テーブルに並べられていた茶器一式を回収した秘書が、代わりの茶を持ってロルフの執務机にまで来た。すでに執務机に戻り、書類に目を通していたロルフは、目だけで秘書を見上げる。
「なにかね?」
「先程のお話ですが……」
秘書の女性は、弘達の退室後に聞かされたことを話題として出した。
アンドース商会は王都のギルドと繋がりがあるが、ギルド本部の場所を軽々しく教えて良かったのか。例え、質問者の中にロルフの妹が居ても……である。
この質問に対し、ロルフは羽根ペンを動かしていた手を止め、口を開く。
「サワタリはロォ会計課長の名を出していただろう? アレが決め手と言えば決め手だ」
「確かにロォ氏は冒険者ギルドの重鎮であり、魔法学院における大幹部です。盗賊ギルドにも影響力はあるでしょう。しかし……」
あくまでサワタリの口から名が出ただけで、ロルフは何ら確認を取っていない。
「もう少し慎重に事を運ぶべき。……ロォ氏に直接確認するまで、返事をするべきでなかったと言うのかね?」
「はい……」
言いづらそうにしている秘書を見て、ロルフは「ハハッ」と笑った。
確かに秘書の言うとおりであるが、今期の件については確認を取る必要はない。何故なら、ウルスラが同席していたからだ。
「妹は、高位者……ロォ氏の場合は、地元の名士かな? その名を利用する場合は、後々問題になるようなハッタリなど使わない。いや、使うかも知れないが……私は、ハッタリではないと読んだ。ま、勘だな」
「はあ……勘ですか……。なんだか副会長らしくありません」
普段のロルフは、確実な情報を集め、総合的に有益となる方向へ向かって行動する。勘を判断材料にすることはあるが、それだけで意思決定することなど、ほとんどなかった。
実のところ、弘達はジュード・ロォから直接、「ロルフとの交渉時に名前を出して良い」と許可を得ているため、ロルフの勘は大当たりだったわけだが。
「勘が外れていたとしても、盗賊ギルドに幾ばくか詫び入れでもすれば済むことだ。多少の出費はあるだろうが……。いずれにせよ、ウルスラの機嫌を損ねるなんて、私は御免だ」
「サワタリ氏の機嫌ではなくて、ですか?」
それも怖いが……と呟きながら、ロルフは用意されたカップを手に取り茶を啜る。
「サワタリが目の前で暴れ出したら、私なんか生きてはいられないさ。まあ、そういう危険もさることながら、私はウルスラのことも同程度には警戒してるんだよ。君は聞いたことがあるか? アンドースの家の子は3人居るが、最も商才があったのは長女だ……と」
「噂では……って、まさか……」
「そういうことだ。商売における勘というか目利きというか、儲けの流れや筋道かな。そういった事を見極めるのが、妹は異常に上手いんだ。この私よりもな……」
ロルフが思うに、アンドース商会を継ぐのは自分ではなく、あのウルスラであるべきだ。だが、家督は男子が継ぐという父の決定により、長男であるロルフが後継ぎとなった。ロルフ自身にも商才はあったから、今では父の期待どおり商会の副会長にまで登り詰めている。
「家を継ぐ以外なら好きにして良いと言われたウルスラは、商神教会に入って尼僧になったんだ。あそこで出世……司祭位にまでなれたら、自分の神殿を持って商売ができるからな。将来的にアンドース商会のライバルになる可能性もあるが、上手く良い関係を保てれば、商神教会に強力なコネが出来るだろう」
反対に良い関係を保てなければ、将来的に厄介なことになる。
これが見も知らぬ他人が相手なら、暗殺するなりして排除しただろうが、妹相手にそこまでする気にもなれない。
「だったら、素直に協力して貸しを作っておいた方が良いというものだ。正直言って根に持った妹が、我が商会に敵対するなんて事態……考えただけで寒気がする」
この商会が潰れちゃうよ。と言い、ロルフは残ったカップの茶を飲み干した。
「なるほど。そういうことでしたか……」
納得いった様子の秘書に、手を振ることで退室を促す。ロルフは退室して行く秘書を見送ると、執務椅子の背もたれに体重をかけた。
ギシリ……と、高級な椅子が軋む。
「見たところ、妹の奴はサワタリに入れ込んでるようだし。当分は放っておいてもいいか」
◇◇◇◇
アンドース商会を出た弘達は、ほぼ真上からの日射しを浴びながら王都を移動していた。
「ちっ……」
突然、弘が舌打ちしたので右隣りのグレース、そして後ろを歩くジュディスとウルスラからの視線が彼に集中する。
「ヒロシ……ひょっとして、御機嫌斜め?」
学生服にプレートメイル。腰には長剣といった冒険者スタイルのジュディスが、遠慮がちに声をかけてきた。グレースとウルスラは何も言わないが、何か聞きたそうな雰囲気は伝わってくる。
「あ~……いや、すまん」
皆を不安にさせてしまったと感じ、弘は頭を掻いた。
「みんな、もう知ってるかもだが……。俺さぁ……こんな風にアチコチ振り回されるのって嫌いなんだなぁ」
いわゆるタライ回しである。
ノーマが連行されたと聞き、彼女の元へ向かうべく行動に出た弘。だが、冒険者ギルドの幹部を頼れば、アンドース商会へ行けと言われ、そこで盗賊ギルド本部の場所を教えて貰えると思えば、直接に聞かせてくれるのではなくて案内者を用意される。
これがタライ回しでなくて、何だと言うのだ。
「方々の都合や事情ってのも理解できるんだけど、実際に幾つか経由して動いてると、こうイラッとくると言うか……」
この次に行く場所……盗賊ギルド本部でも「他を当たれ」的なことを言われたら、いよいよ暴れてしまうかもしれない。
(族経験者のチンピラってのはなぁ、そんなに忍耐力あるわけじゃね~んだぞ!)
とはいえ、そういった文句までを弘は口に出さなかった。
恋人3人に対して聞かせるようなことではないからだ。
「けど、それも盗賊ギルドの本部へ行きゃあ終いだ。いや、解消なのか? なんたって、そこにノーマが居るんだからな」
事情を聞き、何か揉め事に巻き込まれてるなら彼女に手を貸す。それが荒事なら弘の戦闘力が役に立つだろうし、知恵が必要なら、グレースやウルスラ……場合によってはメルなどの知恵を借りれば良い。
(俺のステータス値の中だと、知力と賢さが当てになんね~からなぁ。4桁もあるくせしやがって、てんで役に立たね~し。ありゃ、きっとバグか何かだ)
筋力や敏捷度は、体感できるほど向上しているのに……と弘は口を尖らせた。そして、数メートルほど先を行く盗賊、シャリーフの背に目を向ける。ウルスラの兄から紹介された盗賊ギルド本部所属の盗賊。が、アンドース商会を出てからこっち、最初に自分について来るよう言った後は、今のところ会話がない。
どうも、必要以上に関わり合いになりたくない様子だ。
(どんだけ警戒してんだよ……)
「警戒してると言えば、俺もだけどな……」
「何を警戒しているのだ? 主よ?」
ボソリと呟いた弘の耳に、グレースが口を寄せてくる。
「例えば……そう、例えばの話だけどな」
弘は前を行くシャリーフの背を見ながら呟いた。
「このまま、盗賊ギルド本部と関係ないところに連れて行かれたら、ど~しようかな~……とか」
びくり……と、シャリーフの肩が揺れる。そしてそれは、弘だけでなくグレース達全員の目に止まった。
「あ~らら、そうだとしたら大変だ。そんなとき、ヒロシはどうするの?」
意地悪そうな笑みを浮かべてジュディスが聞くので、弘は肩越しに振り返ってみせる。
「そうだなぁ。これだけ苦労してるのに、嘘ついて関係ない場所に連れて行く奴なんか、痛い目に遭わせちゃうよ~。マジでマジで~」
「ふむ、なるほど。しかし、その者だけでは事が済むまい」
いささか棒読み気味だった弘に続き、グレースも口を開いた。
「おそらくサワタリは、怒りにまかせて過剰な攻撃を行うであろう。それこそ、闘技場でレッサードラゴンと戦ったとき以上にな」
「ええええ~っ? そんなことになったら、どこに盗賊ギルドの本部があるのか知らないけど、色々と酷いことになるんじゃない?」
「勿論だとも、ジュディス。間違いなく大惨事だ。王都が火の海になるぞ」
女性陣が悪乗りしだした。ジュディスの隣りで歩くウルスラなどは、口元を押さえて肩を揺らしている。声を出して笑わないようにと必死の様子だ。一方で、視線を前に向き直ると、シャリーフの足取りが少しぎこちなくなっているのが見える。
動揺を隠さないようにしているらしいが、上手くいってるようには思えない。
「まあ、仮定の話だし、俺は町を壊すような暴れ方はしない。たぶんな。そもそも、シャリーフさんは! ちゃんと案内してくれるんだよな? 今の冗談話みたいなことしね~でさ?」
「も、もちろんだとも!」
言いながら振り返ったシャリーフの顔は、残念ながら引きつっていた。笑えることに口髭が震えているので、その引きつり具合が良くわかる。
「違う場所へ連れて行こうだなんて、ひ……人聞きの悪いこと、言わないでくれるかなっ。あ、次の角を右に曲がるから……ついて来てね」
シャリーフがスタスタと歩速を早めた。
そうして角を曲がることで、それまで向かっていた方角とは大きくズレていく。どうやら、正しいルートに戻ろうとしているらしい。
このことにより、弘側ではウルスラに限界が訪れた。
ぶふぅっ!
「ふはっ! ははははふっ! 本当にぃ、別の場所に連れて行こうとしてたのね~っ」
「さっきウルスラの兄ちゃんに抵抗してたからな。あの場でウンと言ってても、実際にまともな案内するか疑ってたのさ」
それにしても、別の場所へ連れて行ってどうする気だったのか。どうにかして逃げるつもりだったのだろうか。
(そう簡単には逃がしゃしないし? 仮に逃げ切られたとしても、ウルスラの兄ちゃんの所へ戻って別な案内人を呼んで貰うだけのこった)
ケケケと得意げに笑いながら、弘はウルスラを見る。コロコロ笑っていたウルスラは、その視線を受けて笑うのを止めた。
「な、なあに? どうかした?」
「いやあ、笑って気分転換できたかな……ってな」
「えっ……」
ウルスラが言葉を詰まらせる。一瞬、会話が途切れた……が、ここでグレースが感心したように口を開いた。
「シャリーフに腹を立てていないので妙だと思っていたが、主も気がついていたか」
「あ~……ウルスラ、普通っぽくしてたけど。少し堅くなってたものね~。本当は、あたしが何とかしたかったけど……」
指で頬を掻きながら言うのはジュディス。彼女は気まずそうに言いながらウルスラから目を逸らしている。
「な、なによ~。みんなで私のこと~、観察してたって言うの~っ?」
頬を赤く染めてウルスラが抗議するも、すぐに肩の高さまで上げていた両拳を降ろした。
「ふ~んだ。どうせ私んちは、兄妹仲が上手くいってませんよ~だ。私だってねぇ、ちょっとは気に病むこともあるんだからぁ。あ、言っておくけどぉ、妹とは仲がいいんだからね~」
先程のジュディスと同じく、弘から目を逸らすようにしてブツブツ言っている。ジュディスと違うところは、彼女が苦笑気味だったのに対し、ウルスラは不満げに口を尖らせている点だ。
「そう怒るなって、これからヤクザの組事務所……じゃなかった、盗賊ギルドの本部へ行くんだし。色々と面倒なことになりそうな感じだぞ? もっと肩の力抜いて~」
「それくらい~、わかってるの~。でも、何だかモヤッとするの~」
中々に面倒くさい。溜息をつきかけた弘だが、むくれてるウルスラも何だか綺麗だなと思う。
「今度メシでも奢るからさぁ。……って、ジュディス? どうかしたか?」
いつの間にかジュディスが左側に並んでおり、弘を見ていた。こちらもウルスラのように頬を膨らませている。
「ヒロシ~? ウルスラとは、王都へ来た頃にデートしたばかりでしょ~が。あたしもデートした~い」
「……はいはい、また今度な~」
ジュディスが「何よぉ、その投げ槍っぽい言い方~」と絡んでくる一方で、反対側を歩くグレースも囁きかけてきた。
「交代でデートか。それも悪くはないな。我は2人きりの夕食などが良いぞ?」
「躰1つじゃ追いつかねぇよ……」
グレース、お前まで……と言いたい。だが、皆が乗ってきている状況では抵抗しても無駄だろう。弘は今度こそ大きな溜息をついた。
「わ~ったよ。もう好きにしてくれ。……俺が決めたら角が立ちそうだし、みんなで順番でも決めたらどうだ?」
これを聞き、皆が「おおっ!」と声をあげる。
(おおっ……じゃね~って)
内心ゲンナリする弘であったが、取りあえず良い雰囲気だしと口出しはしなかった。
しかし、後日。カレン達がデートの順番をクジ引きで決めているのを目撃し、この日のセリフを後悔……こそしなかったものの、「何やってんだ、お前ら……」とは思ったという。
◇◇◇◇
ノーマが通された盗賊ギルド王都本部、本部長室。
そこは本部長の執務机と、その背面は壁面にある書棚。そして応接セットという、弘がアンドース商会で案内された副会長室と似たような造りだった。それもそのはずで、ここは以前、とある商人の事務所として使用されていた建物を、盗賊ギルドが買い取った物。似ていて当然なのである。もっとも、調度の類はアンドース商会の方が数段豪華ではあったが……。
(正面のオジ様が本部長ね……)
執務机には商人然とした衣装の中年男性が座っている。髪型は五分刈りと言ったところで、鼻が大きいのが特徴のしかめっ面。左目には眼帯をしている。盗賊ギルドの長なのだから盗賊なのだろうが、がっしりとした体つきをしており、その辺の戦士職と殴り合いをしても勝てそうだ。
(さすがにヒロシとは殴り合えないでしょうけどね)
ミノタウロスと格闘戦ができ、急降下してくる飛竜を受け止められる弘。彼と比べるのは酷というものである。
そして、この部屋にはもう1人男性が居た。
内側から扉を開けた人物であろう彼は、革鎧を身につけた盗賊風。二十代後半の年頃で、弘並みの長身だ。本部長ほどではないが、こちらも体つきが良く、冒険者パーティーに組み込んだ場合は前衛で戦えそうに見える。武装は見たところ、背中にクロスする形で装備した短剣が二振りで柄の部分は上になっていた。
(両手に短剣を? それなりに腕力はあるようだけど……)
クイッ。
短剣2本の男が顎を振った。本部長の前に行けという事なのだろう。
「はいはい……」
小さく肩をすくめたノーマは、本部長の前に進み出た。そうして執務机まで三歩ばかりのところで、本部長が口を開く。
「そこで止まれ。さて、お前が偵察士ノーマだな。ディオスクの盗賊ギルド支部所属だった。間違いないな?」
「ええ、そうよ。もっとも、私が盗賊ギルド所属だったのは前の支部長の時までだけど」
ノーマが所属していた盗賊ギルド……ディオスク支部は、支部長の汚職発覚により一時解散となっていた。王都本部より後任の支部長が派遣されてきたが、ノーマを含む幾人かは盗賊ギルドから脱退している。ある者は余所の国へ行き、ある者は盗賊それ自体を引退してカタギになったりした。ノーマの場合は冒険者ギルドに加入し、偵察士の養成所を経て偵察士となっている。
「で、それがどうかしたの? 言っておくけど、私は前支部長の汚職とは関係ないわよ?」
前ディオスク盗賊ギルド支部の支部長が犯した汚職とは、いわゆる業務上横領だ。当時のノーマは新米から卒業しつつあった頃で、ギルドの運営には全く関わっていない。加えて言えば、支部長が横領を働く片棒を担いだこともないのだ。
「まあ、聞け。実はディオスクの前支部長が始末……いや、解任される直前のことだ」
前支部長は、とある貴族からの依頼を請け負っていた。それは野生のレッサードラゴンの頭部を入手すること。それも可能な限り、角が多く大きく立派であることが望ましい。
「前支部長は、腕の立つ冒険者を雇うつもりだったようだが……」
「それを達成する前に、汚職の責を問われて処分されたってわけね。何となく解ってきたわ」
つまり、その貴族からの依頼が宙に浮いたままなのだ。
しかし……そうなると、ますますノーマが呼ばれた理由がわからない。
責任を問われるのは前支部長か、とばっちりを食うにしても旧支部幹部らのはずだ。それ以外となると、現ディオクス支部が後を引き継いで依頼遂行に当たるべきだろう。なのに何故……。
「私が呼ばれるわけ?」
「続きを話そう……」
まず、現ディオクス支部は、引継いだ依頼を遂行しようとはした。だが、指定されたドラゴンの生息地には、他種の強大なドラゴンも姿を現し、5組の冒険者パーティーが全滅したらしい。ちなみに、前支部長時代からの残留組を全員組み込んだ上での派遣であり、同様に全滅している。
以後、同依頼を引き受ける冒険者が居なくなり、人員も大きく減じたことで万策尽きたディオスク盗賊ギルドは依頼をキャンセルしようとしたのだ。
「ところが……だ。その依頼主の貴族が大層腹を立ててな。大見得切って引き受けておきながら、散々待たせた上に今更できませんとは聞けない話だ……と」
「うわあ……」
スジ者揃いの社会の暗部、盗賊ギルド相手に強気なことこの上ない。しかし、貴族の気持ちもわかる。何に使うつもりだったのかは謎だが、レッサードラゴンの野生の個体。その頭部ともなると、そこそこの珍品だ。納品が遅れたことも問題だし、あてにしていた入手経路が潰れたことも痛手であろう。
「依頼料の前金があるなら、それを返して……後は賠償金を払って勘弁して貰うとかは?」
「もちろん、それを伝えたそうだが相手を怒らせるだけに終わったそうでな」
打つ手無しだ。
ここで相手が調子に乗ったチンピラなんかだと、暗殺の手を差し向けるところである。幾ら自分達に非があるとは言え、好き放題キレられて、それで黙っていては盗賊ギルドの面子が潰れるからだ。ヤクザ相手に過ぎた喧嘩を売るものではない。
「けど、それをしてないってことは……相当な大貴族が相手なの?」
「元々の依頼主は田舎貴族……一応、領地持ちだった。が、今は違う」
元依頼主が泣きついたのか、彼から依頼の権利を買い取った者が居るとのこと。そして、それが王都の貴族であり、こちらこそが『相当な大貴族』なのである。
「聞いたこともない貴族で、恐らくは偽名なんだろうが……。王都でつてのある貴族に確認したところ……黙って言うことを聞いた方がいいと忠告されてな。偽名らしき名前について問い合わせたのにだぞ? 裏で何者かの手が回っていると考えるべきだが……それ以上は追求できなかった」
本部長は、広げた両手の平を肩の高さに持ち上げ、処置無しのポーズを取って見せた。
「で……だ。その相当な大貴族様……正確には使いの者が言うには、大言の責任は現ディオスク支部や王都の本部ではなく、旧ディオスク支部の者が取るべきだと。現ディオスク支部に残留している者が全滅したなら、脱退した者を探し出してでも遂行させろ……とな」
「うっ……。どれだけ旧ディオスク支部にムカついてんのよ? それとも、元の依頼者が、そうするように頼み込んだとか?」
呻くように言うノーマの細喉を、一筋の汗が伝って落ちる。
旧ディオスクの盗賊ギルド支部、その元構成員。そこにはノーマも含まれるのだ。
(でも……ねぇ?)
旧ディオスク支部時代のノーマは、いわゆる下っ端構成員だったに過ぎない。第一、旧ディオスク支部を抜けた者は他に何人か居る。こうしてここに呼ばれた以上、嫌な予感はするが、まだ責任を取らされると決まったわけでは……。
「旧ディオスク支部長は、既にこの世に居ない。引退した元幹部クラスを探したが、皆、行方不明だったり死んでいたりしてなぁ。ま、何人かは前支部長と同時期に始末してたわけだが……」
「はあ? なによそれ?」
更には幹部に限らず捜索したものの、見つかったのはノーマだけだったと本部長は言う。
「それって怪しくない? そんな都合良く、私以外が駄目になってるなんて……」
「同感だ。お前と共に旧ディオスク支部を抜けた者は、幹部を含めて10人ほどだが、他全員が死んでたり行方不明というのは……な」
殺された……と見るべきだろうか。
「ここだけの話……と言うわけでもないが、南方の暗殺業者の姿を見たという情報が入っている。その死が確認できた旧ディオスク関係者の近辺でな」
「本当に? そこまでして、私以外の旧ディオスク支部関係者を殺して回ったって言うの? わた、私も殺されるとか……。いえ、そのことも気になるけど……」
「うむ……」
重い……いや、気まずい空気が本部長室に充満する。発生源はノーマと本部長だ。
「さっきの話で聞いた『相当な大貴族様』に関連づけるのは……私の考えすぎかしら?」
「安心しろ。俺だって、そう思ってる」
宙に浮いた旧ディオスク支部への依頼と、その依頼の権利を買い取った貴族。
依頼に関しては、現ディオスク支部で遂行し難いとなったら、旧支部から抜けた者を探し出してでも責任を負わせようとする。
しかも、タイミング良くと言うか、ノーマ以外の者は死んだか行方不明ときた。
「結構な確率で、私を狙い撃ち……よねぇ。でも、そんなことをして、どんなメリットがあるって言うの?」
「お前が言い寄ってきた男を振って、その中に大貴族様が居たんじゃないのか? それで恨みを買ったとか……」
ノーマは美女の部類に入っている。
スラリとした長身、それでいて出るところは出て細いところは細い。更には短髪の褐色美人であり、町を歩けば道行く男達が振り向くほどの美形だ。
当然ながら言い寄ってくる男も多く、一定の仲になった者も居れば、相手にしなかった者も居た。だが、貴族男性は1人も居なかったと断言できる。
まず、ノーマは育ちの良いお坊ちゃんや高慢な貴族は趣味ではなかった。このことから、その手の男性が近寄ってきても相手にしていない。
「痴情のもつれでなければ、他の……いや、原因はともかくだ」
本部長は強引に話題を変えてきた。
「結論から言うと……盗賊ギルド本部は、旧ディオスク支部の最後の1人であるノーマ……お前に丸投げしたいと考えている」
悪い予感が当たった……と、ノーマは肩をすくめて笑う。
「やっぱり、そうなるのねぇ。嫌……とは言えないんでしょう?」
「そうだ……と言いたいが、少し違う」
机上で手指を組んだ本部長は、ニヤリと笑った。
「実は『相当な大貴族様』が要求を上乗せしてきてな」
あまりにも依頼受注から日数が経過したことで、ただのレッサードラゴンの首では不足だと言いだしたのである。
「なによ? レッサードラゴンで不足なら、亜種でも倒して来いって?」
レッサードラゴンの亜種とは、レッサードラゴン種において時折生まれる特殊な個体だ。先日、闘技場で弘が戦ったラザルスやバマーらがレッサードラゴン亜種である。
しかし亜種狩りとなったら、ノーマとしては弘を頼るしかない。元々、ただのレッサードラゴンだって、彼女の手には余るのだ。
(困ったときに頼って、しかも好きな男を危険な目に合わせるだなんて。……正直言って心苦しいわ)
これが好きでもない相手で、向こうが好意を寄せているパターンであれば、ノーマは弘を利用し倒していただろう。だが、そうではなく本当に好きな男なのだから、こういった面倒事に巻き込むのは気が進まなかった。
ノーマが渋い顔になっていると本部長は『違う、違うんだ』と否定する。何が違うのか、一瞬、ノーマには理解ができなかった。
「え? なに? 違うって……レッサードラゴンの亜種じゃないの? まさか……ドラゴンを狩って来いだとか?」
この場合のドラゴンとは、レッサードラゴンの上位種のことを言う。
基本的に有翼であり、その知能は高く、ほぼ全ての個体が強力な魔法を使用する。種族的に人間などは小賢しい小動物扱いだ。ゆえに会話できるのに会話する気がほとんど無い。
縄張り内での遭遇は大変危険で、たまに人里を襲撃したり、強い冒険者に狩られたりするのがこのタイプ。
一騎打ちでなくとも倒すことができれば英雄扱い。吟遊詩人の飯のタネに慣れるというレベルの存在だ。
「そ、そんなの……ヒロシだって勝てるかどうか……」
「だから早合点するな。新依頼主様はな……ドラゴンじゃなく、古竜を狩って来いとの仰せだ」
ノーマは、もはや言葉すら出ない。
古竜とは前述のドラゴンが老齢に達した個体で、歳を重ねることによって躰は巨大化し、知能も更に高くなっている。基本的に人間には不干渉だが、怒らせて戦闘になった場合は軍隊でも蹴散らされることが多い。例えば、このタルシア王国は近隣諸国と比べても軍隊が強い方なのだが、その強力な軍でも、甚大な被害を被った末に何とか撃退できるかも……という、途轍もない存在なのだ。
「わ、私に死ねって言うの? に、逃げちゃうかもよ?」
「ああ、そうしてくれて構わない。具体的には、いったん引き受けて現地へ行き、適当に戦ってから逃げてくれていい」
震え声のノーマに対し、意外なことを本部長が言いだしたので、ノーマは呆気に取られた。
「そ、それでいいのね? てっきり、狩るまで帰ってくるなって言われるかと……」
「正直言って、この件にはウンザリでな。もう付き合いきれん」
本部長は言う。
相手が相手だけに、一応は要求を呑む。盗賊ギルド本部としては旧ディオスク支部関係者……ノーマを出すしかないが、そこで話はお終いだ。
「先方からは見届け人を出すとのことだが、そいつのお守りをしながら古竜に接触して……後は、さっき話したとおりだ」
適当に危ない思いをしたら帰ってきて良し。見届け人さえ連れ帰ってくれたら、盗賊ギルドの方で相手とは話をつけるとのこと。
「こっちとしちゃあ、ディオスク支部が何度も失敗して死人を出したあたりで止めにしたいくらいなんだ。賠償金を払ったっていいさ。だが、これ以上相手の過ぎた要求を呑んでたら、裏社会じゃやっていけねぇ」
だから、気にせず仕事を引き受けてくれ……と言って本部長は話を締めくくった。
「はあ……」
(思ってたよりマシな話だったのか、そうでないのか。わからなくなってきたわね)
お前、行って死んでこい……な話でないだけマシと言えるが、古竜を相手にするのは接触するだけでも死の危険がある。
頼れる人物に恋人である弘が居るので、ノーマ1人、もしくは冒険者を雇うに比べれば、遙かに分が良いと言えるが……。
「なんだ? お前の男って、例のヒロシ・サワタリだろ? 行って逃げ帰ってくるぐらいなら、何とかなるんじゃないか?」
「やっぱり、ヒロシが居ることも計算して私を呼んだのね?」
「当たり前だ」
闘技場で有名な冒険者をあてにできそうでなければ、ノーマ1人だけを呼んで丸投げしようとは思わない。
「さすがに古竜を倒すのは無理だろうがな」
そう言って本部長は笑ったが、ノーマは「どうかしらね」と声に出さず呟いた。
弘の召喚術。あれならばあるいは古竜すら屠れるのではないかと、そう思うのだ。
ただ、それでもノーマは気が進まない。
「彼を、あまり盗賊ギルドの厄介事に巻き込みたくないのよ」
「もうすっかり惚れ込んでいる……と言ったところか?」
渋面で言うノーマを本部長は面白そうに見やる。
ノーマとしては、その辺の小娘の様に思われるのは癪に障るが、今考えるべきは別のことだ。
(どうにかして、ヒロシを巻き込まない方法を考えなくちゃ)
コンコン……。
不意に入口扉がノックされる。
ノーマが振り向くと同時に、本部長が短剣2本の男に向けて顎を振った。指図された男は扉に向かって何事か語りかけていたが、やがて本部長に向き直り報告を始める。
「本部長。冒険者のヒロシ・サワタリが受付に来ているそうです。そこのノーマに会いたいとのことで……」