第百七十九話 迫るヒロシと、その頃のノーマ
アンドース商会本店の副会長室。
それはウルスラの兄の執務室でもある。
中に通された弘は、左側奥に大きな木製の執務机があるのを見た。その手前には、ジュディスの家(騎士宿舎の一室だが)で見た応接セットよりも、数段豪華な物が用意されている。
(でけぇ一枚板のテーブルか。装飾とか、これ見よがしに凝ってやがんなぁ……)
こちらの世界に来る前、弘はテレビドラマや映画などで『豪華なテーブル』というのを見たことがあった。比較するに、目の前のテーブルは見劣りしない逸品のように思える。そしてそれは、その両側に設置されたソファも同じだ。
(全部で金貨1枚くらい……いくかな?)
日本円にして100万円。いや、いくら何でも応接セットで100万とかないわ~……などと値踏みしていたところ、執務机に座っていた人物が立ち上がった。歳は二十代後半ぐらい。茶髪を肩あたりで切りそろえた青年だ。太いもみあげが印象的で、スーツに似た衣服を着ており、その物腰は……。
(なんかシュッてしてる感じ? ビジネスマン風だなぁ)
元世界の見知った物で表現する弘。シュッというのは感覚的な意味合いだ。他に言いようがあるとすれば、無駄が無く、洗練された動作……そう、スマートとでも言おうか。
と、ここまでは一見したところの印象に過ぎない。
問題となるのは能力的、そして人格的にどうなのかである。
実は、ここに来るまでの途中、ウルスラから兄について聞かされていた。
彼女曰く、大商会を切り盛りするには充分な商才の持ち主であること。
外向きには人格者、そして好青年として通っており、人物的な評判はすこぶる良い。
しかし、彼はウルスラに厳しかった。いや、辛く当たっていたとウルスラ本人は言う。
「理由は~……よくわからないんだけど~」
そう言って苦笑したウルスラからは、身内に辛く当たられているという悲壮感は感じられなかった。まったくもって、いつもどおりに思えたのである。
(けどなぁ、上手く演技されてるとかで……俺がウルスラの本心を読めてないとか、普通にありそうだもんな)
こういう時、召喚術ではなくテレパシーや読心術の類が使えればと弘は思うが、軽々しく他人の心を読むのもどうかとも思い、ふと思いついたことを脳内で笑い飛ばした。
(もう面会してるんだし。腹ぁくくって頼んでみっか。……ん?)
「久しぶりだな、ウルスラ。今日は……その、何の用だ? 友人を連れて私に会いに来るとは、つまり、ああ~……珍しいじゃないか」
妹が会いに来たのに何の用だとは、さっそくギスギスしている。と、そう弘が思ったのも一瞬のことで、すぐ眉間に皺を寄せた。グレースやジュディスを見ると、彼女らも怪訝そうな表情になっている。
ウルスラの兄の口調が、どうにもぎこちないのだ。
何処か様子を窺うような、そして警戒しているような。少なくとも事前に抱いていたイメージ……妹に辛くあたる兄とは思えない。
(俺の気のせいか? なんつ~か……こう言っていいのか? ウルスラの兄ちゃん、ビビってるんじゃね?)
実の妹が相手なのに、どういう事だろうか。
一方、その妹であるウルスラは、弘達が気にした兄の態度など知らぬ顔で話しかけている。
「今日は~、お兄ちゃんにお願いがあってきたの~」
「他にも客が居るのに『お兄ちゃん』はやめてくれ……」
疲れたように吐き捨てたウルスラの兄は、弘達を応接セットに誘った。
弘達が長椅子に……左から、ジュディス、ウルスラ、弘、グレースの順で座ると、ウルスラの兄は対面のソファに腰を下ろした。位置的にはウルスラの真向かいである。
「茶の類は……今、用意させよう」
テーブル上の呼び鈴……どうやら魔法のアイテムらしい……を押すことで、室外から若い女性が入ってきた。こちらもOLスーツのような衣服を着ており、弘達が入った扉とは別の扉から入ってきたところを見ると、さしあたり秘書と言ったところだろうか。
(あの扉の向こうが秘書室……なんてな。……俺達、向こうから入ってこなくて良かったのか?)
副会長に御用の方は、秘書室にお回りください……的なルートではなく、廊下からか副会長室に直行できたのは、やはり身内のウルスラが居たからだろう。
「来客だ。お茶を用意してくれ」
短く用件を告げられた女性は、一礼して元来た扉へと姿を消した。
「さて……用件だ。手短に聞こう。今は少し、立て込んでいるのでね」
テーブル上に手を置いたウルスラの兄は、人差し指でテーブルをトントン叩いている。弘達などどうでも良くて、ウルスラに一刻も早く出て行って欲しい。そういったよろしくない雰囲気だ。これはあからさまな態度であり、グレースやジュディスだけでなく弘にも察することができている。
(俺にも解るとか、マジか。かなり嫌なんだな、ウルスラのことが……)
そんなに兄妹仲が悪いのだろうか。気にはなるが、事は余所様の家庭事情だ。軽々しく聞くべきではない。どう話を切り出したものかと弘が並んでいると、少しきつめの声が弘の左隣で発せられた。
「お兄ちゃん。ここに居るのは私だけじゃないんだから~。自己紹介とか、しなさいよ~。失礼でしょ~」
「あ、ああ、すまない。そうだったな。あ、あ~……私はロルフ・アンドース。そこに居るウルスラの兄です。当アンドース商会の副会長を……と、ここは説明の必要は無かったようで」
そこまで言うとロルフは言葉を切る。どうやら彼の自己紹介は終わったらしい。ならば次は弘の番だろう。
「俺……いや、自分はヒロシ・サワタリ。冒険者をやってます。こっちはパーティーメンバーのグレースとジュディス。ウルスラ……さん……妹さんも、パーティーメンバーなんだ。いや、ですが……」
「なるほど、貴方がヒロシ・サワタリか。噂は聞いている。闘技場でも大活躍だったそうで。それに……そう、妹が世話になってるようだ。何と言うか……感謝する」
「はあ……」
交際している云々については触れていないのだが、感謝するとはどういう事だろうか。よく解らない物言いに弘は首を傾げた。
「それで用件なんだけど」
その場に居た者すべての視線が一点に集中する。
今喋ったのはウルスラだ。だが、いつもの間延びした口調ではない。
(俺、知ってるぞ。ウルスラがキビキビした話し方をするときは、超真面目な話をするときか……)
あるいは怒っているときなのだ。いったい、何が彼女の気に障ったというのだろう。
この副会長室に居る者は、皆がウルスラについて知っているので、彼女の続く言葉に耳を傾ける。
「お兄ちゃん。盗賊ギルドの本部って、何処にあるか知ってるでしょ? 教えてくれないかしら?」
「盗賊ギルドの本部って、この王都のか? いや、お前……あそこの場所は簡単に喋るわけには……。っと……」
ロルフは口元を手で押さえたが、遅すぎる行動だ。今のセリフだけで、彼が盗賊ギルド本部の場所を知っていることは明白。となれば、後はどうやって彼の口を割らせるかだが……。
(まぁた秘密か。いい加減で腹が立ってきたぜ。しかし、交際相手の兄貴をボコるってわけにもなぁ……。それに他に当てもないし……)
ちなみに、アンドース商会へ来るまでの間、弘は道行く冒険者らに聞き込みを行っている。正確には、冒険者パーティーに含まれる偵察士が聞き込み相手だ。
(けど、どいつもこいつも喋りやがらねーし。買収も駄目ときたもんだ。どんだけ怖がられてんだよ。盗賊ギルド……の王都本部だっけ?)
結局のところ、冒険者ギルドの大幹部ジュードから教えられた……このウルスラの兄に聞くほか手立てが無い。
「なに? 私の友達がさらわれたのに、お兄ちゃんは助けてくれないわけ?」
「いや、気の毒には思うよ? 思うけど、私の立場や信用が……」
弘が長考している間に、ウルスラはノーマが連行されたことを持ち出して説得に掛かっているようだ。しかし、どうにもロルフの口は堅く、聞き出すことはできていない。
「ぬ~……」
「ねえ……ヒロシ?」
左方、ウルスラの向こうで座るジュディスが、上体を前傾させて弘を見ている。
「ロォ会計課長のこと言ったらどう? 何か進展するかも」
「そうか、そうだったっけな」
言われて気づく、この切り札。
実のところ、ジュディスの父親が話のわかる人物だったので、ウルスラの兄も似たような感じ。そう思っていた弘は、ジュード・ロォに言われたことをすっかり忘れていた。
(爺さんの名前を出さなくて済むって、勝手に思い込んでたぜ……)
「ところで……ジュード・ロォさんが、よろしく言っていた……っすよ?」
「なに?」
困り顔でウルスラを説得していたロルフが、グリンと首を回す。その目は大きく見開かれ、弘の顔を凝視していた。
「冒険者ギルドの会計課長殿が、そう言っていたのかね? この件について、よろしくと?」
「ああ、そうさ」
ジュードの名を出したことが、どの程度の効果を発揮するか。弘には解っていない。しかし、ここは押し切るしかないと判断した。
(街行く偵察士が教えてくれねぇ。冒険者ギルドの幹部も駄目。王都で名の知れた大商人でも駄目ときたら……もう、どうしろってんだ)
ディオスクかクロニウスに行き、ご当地の盗賊ギルド本部に乗り込んで、ギルド長でも締めあげる。そう言った手段が脳裏をよぎったところで、ロルフが深い溜息をついた。
「本当はね。もう少し、私の事情や立場も考えて欲しいんだ」
下唇が持ち上がり、への字口となっている。
「いくら妹が一緒に居るとはいえだよ? 初対面の……しかも冒険者に、王都で一番大きな非合法組織の本拠地を教えるなんて」
自分だって裏では色々とやってるから、盗賊ギルドの世話になっているし。その彼らを裏切るような行為は……。
ハア……。
もう一度、溜息が出た。
ソファに座ったままのロルフは、右手の平を顔の右側に当てて目をつむる。
「わかった。盗賊ギルドには世話になっているが、ロォ会計課長にも世話になっている。ここは折衷案を提示しようじゃないか」
「折衷案?」
ここまで黙っていたグレースが聞くと、ロルフは右手を降ろして頷いた。
「そうだ。盗賊ギルドへの義理から、私は本部の場所を喋ることができん。しかし、本部への行き方を知っている人物を、紹介することならできる」
言いつつ、ロルフはテーブル上の呼び鈴を鳴らす。すると、先程の女性が再び入室してきた。大きなトレイを持っていて、そこには人数分のティーカップが載せられている。
さっき言ってた、お茶か……と弘は思ったが、同時に「随分と出すのが遅いな」とも思っている。しかし、ここはファンタジーの世界で中世ヨーロッパもどきの世界だ。電気ポットがあるわけでなし、湯を沸かすのにも時間が掛かるのだろう。
(魔法の火とか使いそうなもんだけど……。……いや、ひょっとして……)
話の展開によっては、「お茶など不要だ。お引き取り願おう」などと言って追い返されることもあり得たか。その場合、キレた弘が暴れるかと言うと、そんなことはない。繰り返すが、ロルフはウルスラの兄だ。余程のことがなければ、恋人の兄を殴ったりはできないのである。
「そのお茶を置いたら、シャリーフを呼んできてくれ。部屋に居るはずだから」
「承知しました」
女性は一言返すと、手際よく受け皿に載ったティーカップを並べ、副会長室から出て行った。そして皆が茶を啜りながら待つこと数分。1人の男が秘書室を通って副会長室へと入ってくる。どうやら、彼がシャリーフという人物らしい。
「お呼びと聞きましたが……」
年の頃は三十代後半。弘の元世界で言えばメキシカンと呼ばれる、鼻の下で揃えた髭が特徴的だ。服装や装備は、焦げ茶色の革鎧とブーツに濃紺のズボンという、見るからに盗賊か偵察士風。
「げえっ」
そのシャリーフは、不意に呻き声をあげた。視線は真っ直ぐ、弘へと向けられている。
「俺が……何か?」
人のツラ見て「げえっ」とか言ってんじゃねーよ。とは口に出さず、弘はシャリーフに問いかけた。
「あ、いや……闘技場で大活躍したヒロシ・サワタリと、こんなところで遭うなんて……。ハハハ……」
少し引き気味で言う態度が、ますます妙に感じられる。
「彼が……どうかしたのかね?」
シャリーフの態度が気になったのか、彼を呼んだロルフが口を挟んでくる。シャリーフは弘とロルフを交互に見ていたが、やがて頭を掻いてロルフに視線を留めた。
「……サワタリ氏には失礼なことですけど。警戒してしまうんですよ」
「警戒?」
「ええ……」
シャリーフは言う。
考えてもみて欲しい。そこに居る冒険者は、ドラゴン2頭を相手に圧勝できる存在なのだ。機嫌でも損ねて暴れ出したら、どうなることか……。
「むう……。確かに……」
「確かにって。そんな、すぐ暴れたりしねーよ。……気は短い方だけどさぁ」
弘は口を尖らせる。
(にしても、名前が売れすぎるってのもマジで考えもんだ)
彼が闘技場で戦うのは、主に金儲けが目的だ。そして、冒険者としての名声を上げるためでもある。
だが、過ぎた強さが知れると、こうやって警戒されることもあるわけだ。
(痛し痒しってか? やっぱ俺の能力……召喚術は隠してた方が良かったかもな? そういうの使わなくても、身体能力だけで凄さアピールできそうだし……)
今のステータス値、例えば筋力値を示す『力』は2397。この世界に転移したばかりの頃は、レベル3であり『力』は23だった。筋力だけ見ても100倍は強くなっているわけで、今考えたとおり身体能力だけ……すなわち普通の戦士としても、闘技場で勝ち星を稼げた可能性は高い。
(今更な話だけどな。……変わり種の強い奴ってことで覚えて貰ってたら、それでいいか)
注意をロルフとシャリーフに戻すと、ロルフが盗賊ギルド本部に案内するよう頼んでいるところだった。
「え~と、彼らは……そう、知ってのとおり見どころのある冒険者だ。特にサワタリ氏はな。そんな彼らを、私は盗賊ギルドに紹介したいと思っているのだよ」
「いや、しかしですね……」
シャリーフは何度か弘をチラ見しながら渋っている。
先程彼が言っていた、過ぎた強者に対する警戒だろうか。もしかすると、盗賊ギルド本部で弘が暴れ出したときのことを想定しているのかもしれない。
だとしたら重ね重ね失礼な話である。とは言え、先程考えたように、弘は状況によっては地方都市の盗賊ギルドへ行き、腕ずくにて事を運ぶことも辞さない構えだった。当然、これから向かう先の盗賊ギルド本部でも、最悪の場合は一暴れする気でいる。
(シャリーフって奴の勘がいいのか。それとも、やっぱ俺の強さ宣伝が効きすぎてるってことなのか……。まいったねぇ……)
とは言え、名を売ることを怠れば大きな仕事が入ってこない。冒険者ギルドで大物の依頼を取ろうとしても却下されるだろう。
(依頼に関しちゃ、もう今のままで困るこたないか? ん、ん~……)
当面は様子を見つつ、マメに名を売っていく。その様な方針を思い浮かべていると、シャリーフが妙な呻き声を出しながら、ロルフに意見した。
「う、う~……いくら名が知られ出してるって言っても。本来は、地方の盗賊ギルドの……支部長の紹介状とかが必要で……」
「そこをなんとか頼めないだろうか? ああ、そうだ。これは、冒険者ギルドのロォ会計課長からも頼まれたことでね」
「あの魔法学院の? あ、う~ん。むう……」
ロルフが頑張ってくれている。加えてジュード・ロォの名を出したことが効いているのか、最初は渋り気味だったシャリーフが、今では徐々に押されていた。
そして結局のところ、この数分後にシャリーフは盗賊ギルド王都本部への案内を引き受けることとなる。
◇◇◇◇
「ではな、ウルスラ。気が向いたら……たまには帰ってきてもいい」
「そうする~。じゃあね~、お兄ちゃん~」
午前が終わろうとする頃。アンドース商会を出た弘達を、ロルフが見送っている。もっとも、彼の関心は妹であるウルスラにだけ向いているようだ。対するウルスラは、心残りする風でもなくアッサリと別れを告げていた。
「おい、いいのか? 急ぎの用件の合間だけどよ。もう少し話しするとかねーわけ?」
「それがぁ、ないのよねぇ~」
妙に機嫌良さそうにしながら、ウルスラは言う。
「さ~、シャリーフについて行くわよ~」
「お、おい、待てってば!」
シャリーフについて歩き出したウルスラを、弘は追う。グレース達も弘を追いかける形で歩き出すが、特に口出しはしない。みんなして、様子を……特に弘の様子を窺っているように感じられ、弘は少し苛立った。
(なんだよ。兄妹仲が悪いのか知らんけど、ウルスラの様子がおかしいだろ? もうちょっと、みんなで気をつかってもいいんじゃね~の?)
ひょっとしたら、こういうのは彼氏である弘の役割だと思われているのだろうか。そう考えると、そうかも……と弘は思うが、一方で「ここにウルスラ以外の『恋人』が2人も居るんだから、少しは口出ししてくれても」とも思うのだ。
(……は~あぁあ。しかたねぇ、ここは踏ん張りどころだ)
見た感じ、ウルスラは質問されることを嫌がってはいない。もう一押し聞いてみて、それで駄目なら話題を変える。そう決めた弘は、唇を一舐めして湿らせると、ウルスラの横に並んだ。
「念のため聞いておくけどな。俺が色々聞いたら迷惑か?」
「……」
ウルスラは即答しなかったが、歩きながら目の端で見返してくる。それが数秒続いたかと思うと、先程までのニコニコ顔が渋いものとなった。
「ハア~……。身内の~恥ずかしい話になるんだけど~……」
「ぬっ? じゃあ……」
弘は先行くシャリーフの背に目を向ける。加えて言えば彼だけでなく、周囲には多くの人が行き交っていた。ここは王都の大通りなのだ。
「内々の話をする場所じゃねぇよな。……後で聞かせてくれるか? 聞かせて貰えるんならな」
「そうして貰えると助かるわぁ~。割りと……う~ん触りぐらいなら知られた話なんだけどぉ、さすがに外を歩きながらぁ、当事者の口から直接というのはね~」
話しているうちに気が晴れたのか、ウルスラの表情が明るくなっていく。言い終わり様、ウルスラは振り返ってジュディス、そしてグレースを見た。
「この機会にぃ、ジュディス達や~……ここに居ないカレン様達にも聞いて欲しいのよね~」
◇◇◇◇
所変わって盗賊ギルド王都本部。
……と言っても、実は弘達が居た豪商社屋や倉庫のある区画と、そんなに距離が離れていない。
盗賊ギルド出身の偵察士や、冒険者ギルドの幹部であるジュード。そしてウルスラの兄、ロルフ。皆が所在地を明かすことをしなかった盗賊ギルドの本部。それは、特に地下に潜るでもなく堂々と本拠地を構えていたのだ。
もっとも、看板自体は一商人の事業所を装った物であり、その正体を大っぴらにしているわけではない。
そして、その本部の……一歩入ればアンドース商会と大差ない受付ロビーの奥。そこにある扉をくぐって廊下を進み、とある壁の隠し扉を使って移動した先……ちょっとした小部屋にノーマが居た。
その部屋は日本で言うところのビジネスホテル風の一室であり、浴室は備わっていないがベッド付き。ギルド宿の木製寝台よりはマシな物であり、寝心地は悪くなかった。
トイレに関しては、見張りの女に声をかけた上で廊下を移動した先のトイレが使用できる。さすがにトイレの中まで同行されないが、頑丈な格子のはまった通風口があるだけでは脱出など到底不可能だ。仮に格子を外せたとしても、狭くて通り抜けることはできない。
と言った具合で、早い話、ここは監禁部屋であった。
ベッド上で仰向けに寝そべるノーマは、面白くも無さそうに鼻を鳴らす。
「部屋は部屋で窓も無いし、通気口は扉の覗き窓と壁に1つだけとか。息苦しくて最悪……」
冒険者ギルド王都本部から連行されたノーマは、特に何をされるでもなく、この部屋に放り込まれていた。軽食は出して貰えるものの、建物からは出して貰えないのでストレスが溜まることおびただしい。
(連れてこられた理由は最初に聞かされたから知ってるし。それに関しちゃあ……まあ、多少の理解は示せるけど。何だって私が……って気にはなるのよねぇ)
文句を言おうにしても、一応の見張り番は会話に応じてくれなかった。良く訓練されていると言うべきだろう。その見張り番というのが女性だったため、色仕掛けで何とかするわけにも行かない。
(鍵開け具の類は没収されたし……。まあ、道具があって鍵開けができても見張りが居たんじゃ……)
こういう時に姿隠しの短剣があればと思うが、武器の類も没収されているため、ノーマは完全に手詰まりの状態だった。
「あてが外れちゃったかな……」
元々、連行時に聞かされた盗賊ギルド側の用件は、ノーマには関係こそあれど責任が無いことであった。だから、連行された先で相手側に申し開きをすれば、自分は解放される。そう判断していたのだが……。
(私を呼んだのがギルド本部の長ってのは意外だったわね)
事の規模から考えると、富津は中堅クラスの幹部が出てくるはず。それが予想を超えて、ギルド本部の長が相手。これはいったい、どういう事なのか。
(私が思ってるより話がややこしくなってる? でも、それだったら尚のこと、私にお鉢が回ってくるわけないし……。あ~……昔の上役とか、どうしちゃったんだろ……)
答えの出ない思考迷路。
いっそのこと、盗賊ギルド構成員がギルド酒場に現れたとき。あの時、一緒に居たジュディスとウルスラに助けを求めれば良かったか。
「性に合わない……って言うか、嫌なのよね~」
盗賊時代からの揉め事に、かたぎの娘を巻き込みたくないのだ。ジュディス達は冒険者であり、荒事にも慣れているが、裏社会的な厄介事には不慣れ。下手に巻き込むと、彼女らに迷惑なばかりか、事態が悪い方向へ傾く恐れもある。
「あと……ヤクザな厄介事に関わってる自分を、あまり見られたくないってのもあるかな。ハハ……私って、こんなこと気にするような性格だったっけ?」
以前の自分は、もっと自分の都合のためなら手段を選ばないとか、誰を利用しようがお構いなしとか。そういう面があった。もちろん、自分があくどい事をしている様を他人に見られるのだって平気。
ところが、今の自分は以前のようには振る舞えない。少なくとも弘やカレン達に見られるのは嫌だった。
「ヒロシだけじゃなくて、カレン達にも情が移っちゃった? そう思うと……う~ん、悪くない気分だけど。だけど……ああ、もう!」
ガバッと上体を起こしたノーマは頭を掻く。仲間を気遣ったり、悪い気がしたり、そういう事をしている場合ではない。
今自分がしなければならないのは、この状況を切り抜けることだ。
相手方の用件は概ね解っているのだから、上手く交渉をして成功させ、ヒロシ達のところへ帰る。
「ヒロシ達が動き出す前に……ね」
ベッドから足だけ下ろしたノーマは天井を見上げた。
ああいった連行のされ方をしたからには、ジュディス達は弘に相談をするはず。ノーマの知る弘ならば、すぐに自分を救出するべく行動に出るだろう。
(ここ、王都だから。カレンやジュディスに気を遣って無茶はしないと思うんだけど。……それでも、ヒロシの行動力って凄いから……)
強くなるんだと言って単独でダンジョンに潜ったり、したいやりたいと思ったことは、大抵何とかしてきた。
この盗賊ギルド本部にだって、そう時間が掛からないうちに辿り着くに違いない。
「ま、自分のことぐらい、自分で何とか……ってね。そうすれば、私もヒロシにイイところを見せられるかしら? ……いや~、もう傑作。私にも可愛いところがあるんじゃない」
両膝に手を置き、勢いを付けて立ち上がる。
ノーマは廊下への扉に向けて歩き出し、覗き窓から見張りの女性に向けて話しかけた。
「ねえ? まだ本部長は戻らないの? 話があるんだけど……」
◇◇◇◇
そうして声がけを行ったところ、ノーマは盗賊ギルドの本部長が戻っていることを知らされる。更には使いの男が駆けてきて、ノーマに本部長室へ出頭せよとのことだ。
(午前中に外出してたみたいだけど、もう戻って来たって事は王都の中で居たのかしら?)
前に男性盗賊、後方に見張りだった女性盗賊と言った具合で、ノーマは挟まれながら通路を歩いている。
ノーマが知るところの盗賊ギルド本部長は、もう20年ほども本部長を務めている大ベテランだ。歳は50過ぎと言ったところで、これだけ長くトップに君臨していると、もはや伝説の盗賊と言っていい。近年は体力の衰えから、現場に出ることは無くなったようだが……。
(体力面以外……頭の方でもやり手だって話だから、凄いものよねぇ……)
幾つかの隠し扉を通過し、ノーマはとある通路に出た。
「この奥が本部長室だ。中で本部長が待ってるが……失礼なことはするなよ?」
先に通路に出た男性盗賊が忠告する。口の利き方を間違えたぐらいで即座に殺されることは無いが、後々裏で手を回されて酷い目に遭うらしい。
「はいはい。大人しくしてればいいんでしょ?」
肩をすくめたノーマは歩き出した男性盗賊について行く。そして行き当たりの扉の前に立った。
(ま、御立派な扉だこと……)
装飾が凝った木製の扉であり、これだけ剥がして売ってもそこそこの金になるだろう。
もちろん、そういった事は声には出さず、ノーマは男性盗賊が中に呼びかけるのを見ていた。
「ノーマを連れてきました」
「そうか。中に入って良いとのことだ。開けるぞ」
呼びかけに答えたのは若い男性の声で、声は扉のすぐ向こうから聞こえる。中には本部長以外にも誰か居るようだ。
(護衛でしょうね。けど……)
中に入って良いと聞こえる寸前、ノーマは別の声を聞き取っていた。
それは中年男性の声で、「わかった。入って貰え」というもの。護衛に対し指図しているのだから、恐らくは本部長の声なのだろう。
(入って貰え……。貰え……ねぇ。中に入れろ、じゃなくて?)
ほんの少しの言葉違いだが、ノーマは本部長が自分に対してある程度気を遣っているように感じていた。
(思ったよりも交渉の余地がある?)
今回、ここへ呼び出され……いや、連行された用件。大まかに言えば、仲間の尻ぬぐいである。これは本来、ノーマが責任を取ることではないが、何故か盗賊ギルド本部長から指名されたのだ。
(一人で背負い込むにはキツいから。上手く言い抜けて……他の誰かに丸投げしたいのよね~)
我ながらヒドいと思う。だが、この用件の責任をノーマが背負わされること自体がヒドいのである。自分が他人に同じ事をして、それが悪いという事は無いだろう。
(……いやあ、悪いわよ? でも、他に名案もないし。……イイ感じで押しつけられそうな人、見つかるかしら?)
ノーマは軽く頭を振ると、内側より開けられた本部長室の中へ入って行った。