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第百七十八話 暗躍

 バン!


 カレンの掌が、力強く受付カウンターに叩きつけられる。


「まだ試練達成の認可が下りないって、どういう事なんですか! 私が王都に来てから何日経っていると……」 


 怯える貴族院の受付嬢に対し、カレンは倒すべきモンスターに向けるような視線を突き付けた。

 今日は魔法甲冑を装備していないが、この怒りにまかせてカウンターの天板を引き剥がせそうだ。そう思えるほどに自分の苛立ちは大きい。

 ……という妄想に浸っていたカレンは、「その件でしたら、まだ決裁が降りていません」と事務的な対応をした受付嬢を見やる。髪を結い上げ、眼鏡を掛けた彼女は王都貴族院の職員制服に身を包み、ツンとすました態度を取っていた。

 妄想どおりにカレンが凄んでいたら、このように冷静では居られなかったろうが、ともかく受付嬢は「試練達成の認可については決裁が降りていない」と繰り返す。

 それに対しカレンは……。


「そうですか。それでは、また後日に伺います」


 と言って微笑むと、一礼して受付を後にした。

 遅々として進まない審査に対する苛立ちや不満。それを顔に出さないのは、少女ながら貴族子女……いや、実質的に貴族家の当主であるに相応しい態度と言えた。しかし当然ながら、その内心は穏やかではない。


(何だってのよ! 早く領地に戻らなくちゃいけないのに!)


 弘との恋愛に現を抜かしているようでいて、初志はしっかりと覚えている。

 上位貴族らの暇潰しだかで、父亡き後のマクドガル家当主になれないでいるのだ。課せられた試練を果たした以上は、一刻も早く領地へ戻りたいのである。


(できれば、サワタリさんを連れてね! それに……)


 カレンは弘だけでなく、彼を同様に愛している他の女性らも連れて行くつもりだった。カレン自身、シルビア達のことが好きだったし、弘を好きな皆と離れたくはなかったのだ。


(実家のお屋敷には空き部屋があったし、みんなと一緒に……。すっごく楽しそう!)


 そして小さな農村とは言え、マクドガル家の領地を皆で発展させていく。少しばかり先を見過ぎた妄想であったが、カレンには『あるべき未来』のように思えていた。


「おや、カレン・マクドガル殿ではないか。これは奇遇だ」


 頬を染めて望む未来を夢見ていたカレンに、男性の声がかかる。聞き覚えのある声であり、記憶を探ったカレンは声の主を思い出していた。そして、思い出すと同時に不機嫌となる。


 カツッ。


 足を止め、ゆっくりと振り返ったカレンは、相手を見ながら……少なくとも表面上は丁寧に挨拶をした。


「これは……ホローリン様。お久しぶりです」


「うん、お久しぶり。今日は貴族院にどんな御用なのかな?」


 親しく話しかけてくる青年は、その名をアレックス・ホローリンと言う。艶やかな金髪をセンター分けし、首の後ろで束ねた……なかなかの美青年だ。

 彼を手短に紹介するとしたら、王都の上位貴族であり、自称カレンの婚約者ということになる。ホローリン家の当主たる彼は、王立図書館でカレンを見て一目惚れした……らしいのだが……。


(……王都で一番見たくない顔を見ちゃった)


 カレンからは大いに嫌われている。

 アレックス自身、カレンに対しては親切に振る舞っており、第三者から見た場合だと異性に嫌われる要素は無さそうだ。顔だってマズくはない。しかし、言葉の端々でカレンの領地を小馬鹿にするなど、隠しきれない田舎貴族に対する蔑視。それがカレンの嫌悪感を煽っていたのである。


(本当に嫌な人……。サワタリさんとは大違いだわ)


 眼前のアレックスが、その出会った当初から今日に到るまで印象が悪いのに対し、弘は出会った頃から今日まで、その言動の一つ一つがカレンの心を掴んで放さない。


(最初、サワタリさんは討伐すべき山賊の一員。次はサワタリさんが冒険者になるまで、私とシルビアで付き添いをして……。ディオスクの闘技場で戦うサワタリさん……格好良かったな~)


 1つ思い出すたびに胸が高鳴る。

 異世界から来た召喚術士に憧れを抱き、そしてその憧れは恋心となって、今では弘に受け入れられたことで成就している。自分は何と幸せなのだろうか。


「どうかしたのかな? 許嫁同士、もっと語り合おうじゃないか」


 そして、好きでもない男に言い寄られてる自分は、何と不幸なのだろうか。

 これが町でチンピラに絡まれているのならば、適当に突っぱねるなり、しつこければ殴るなりしているところだが、相手は上位貴族。丁重に応対しなければならない。 


(え~……と)


 一瞬、思案したカレンは、丁重に……突っぱねることとした。

 結果的にチンピラに対する対応と同じだが、嫌っている人物と長話をする気は無いのだ。


「申し訳ありません。この後に、友人達と合流する約束がありまして。急いでますの」


 嘘は言っていない。貴族院での用は事務手続きの遅滞で上手くいっておらず、残っていてもしかたがない状況だ。

 そうなると、カレンとしては王都での拠点である冒険者ギルドへ戻りたい。貴族院まで同行してきたシルビアは、所用があると言って別行動中だが、先にギルドに戻っても問題ないだろう。


(アレックスが来なかったら、シルビアを探しに行ったんだけど……)


「友人ね。それならば仕方ないね。積もる話は、またの機会にしよう」


 アレックスが頷くのを見たカレンは、一礼をして踵を返した。そして早歩きにならないよう注意しつつ、アレックスから離れて行く。


(……えへへ~)


 一歩離れるにつれ心が軽くなっていくのを感じ、カレンの口元は弛みだした。だらしない笑み……もとい、心地良さげに表情が明るくなる。しかし、そんな彼女の背にアレックスの声が投げかけられる。


「友人と言うのは、シルビア君のことかな? 今日は一緒に居ないようだが」


 別れた後なのに、まだ話しをするつもりか。ここで足を止めて振り返るべきだろうか。


(せ、背中に向けて別れ際に声をかけてるだけよ。聞き流しちゃえ!)


 上位貴族に対し失礼かも知れない。だが今のところは無視して去りきれるはずだ。適当な曲がり角で曲がって、姿を見えなくしてしまおう。

 そう思うと、ほんの少しばかり歩速が上昇した。傍目には大して変りないように見えるだろうが、カレンにとっては細心の注意を払っての増速だ。


(あそこの角……を曲がったら、2階に行っちゃうけど。もう何でもいい!)


 とにかくアレックスから見えないところへ行こう。十数メートルほど前方に見えるT字路。そこを直進せずに右に曲がれば、この嫌な気分とはオサラバできる。

 しかし、そうはならなかった。

 次に投げかけられたアレックスの言葉が、カレンの足を止めたからだ。


「シルビア君でなければ冒険者か。友人は選びたまえよ?」


「……は?」


 ピタリと前進することを止めたカレンは、ギギギと音がしそうな動作で肩越しに振り返る。アレックスとの距離は十数歩ほど離れていた。


 ゆらり……。


 あるいはヌルリ……とでも表現したくなるような動作で、カレンが体ごと振り向く。


「ホローリン様? 今、何と……」


 カレンの表情に浮かんでいるのは『笑み』だ。ただ、押し殺しきれない怒りが、空気を伝わってアレックスに達している。

 貴族子女の怒気。しかし、それは単身でオーガーを屠ることが可能な、凄腕の戦士の放つもの。数歳ばかり年上とは言え、王都でぬくぬく暮らすアレックスが耐えられるわけがない。


「くひっ……」


 珍妙な声を漏らし、アレックスが左足を後方へ下げた。その引きつった顔を見るに、怯えているのはあきらか。が、それを見たカレンは怒気を収めた。


(相手は上位貴族、上位貴族。私の家より格上、格上)


 カレンの実家……マクドガル家は、御先祖様が騎士に取り立てられ、戦場での手柄を積み重ねた結果、小なりとはいえ領地持ちの貴族となっている。爵位は有していないものの、言うなれば男爵家クラスと言って良い。ジュディスの父親リチャードと似たような経緯だが、リチャードが騎士位だけで領地を持っておらず、王都の貴族に仕えているのに比べると、大きな違いがあった。

 さて、アレックスである。彼の場合、何と伯爵家の御曹司となる。男爵の上に子爵位があるからマクドガル家よりも二段階上。事はそう単純ではないのだが、マクドガル家が地方のちょっとした地位を持つ地主で、ホローリン家は政権与党で大臣を任されている由緒正しき名家……と言えば解りやすいだろうか。とにかく格差が大きいのである。

 ただでさえ上位貴族の幾人かに玩具扱いされているカレンとしては、不用意に喧嘩を売って良い相手ではなかった。


(今の私の態度はどうかと思うけど。あれくらいは……)


 やはりマズいとカレンは思う。

 しかし、友人を侮辱されたのだから、いくら何でも聞き流すことはできない。


「ホローリン様。私にも交友関係というものがあります。何卒、友人達には御寛容であっていただけますよう。お願いします」


「う、うむ。貴族たる者、寛容の心は大事だからな。はは、ハハハ……」


 幾分笑顔が引きつっているが、立腹はしていないようだ。そうと見たカレンは、改めてアレックスから離れようとしたが、1つだけ、どうしても言っておかなければならないことを思い出した。


「ところで先程、私を婚約者とお呼びでしたが。以前、お断りさせていただいたはずです。また、現在の私には将来を誓い合った男性がいますので。どうか、御理解いただきたく……」


「ああ、聞いてはいるし、覚えてもいるよ」


 気分を害するかと思いきや、アレックスはハフンと鼻を鳴らす。本人としては気取った仕草なのだろうが、異性として嫌っている相手なのでカレンとしてはカチンときた。無論、表情は努めて穏やかなままだが……。


「ヒロシ・サワタリだったかな。先日の闘技場での試合は拝見した。いやあ、凄いものだったねぇ。彼に退場して頂くのは難しそうだ」


(サワタリさんに、何かする気なの? ひょっとして……もう何かした?)


 カレンの心に、モンスターに向けて剣を振るう。それに似た感情が生まれた。

 先程の受付嬢にも同じような感覚を抱いたが、今感じたモノはそれを遙かに凌駕する。

 すなわち、自分や仲間に危害を加える存在を排除するというものだ。

 かつて、試練を与えられて王都を出たことのカレンであれば、同じ状況であっても平静を保てただろう。上位者からの嫌がらせや侮辱に対し、いちいち怒ってはいられないからだ。

だが、今のカレンは違う。怒りや殺意、そういった負の感情を抑えきることが出来ないでいた。とは言え以前と比べてのことであって、顔には出していないし、今のところアレックスに気取られてもいない。


(サワタリさんや、他のみんなに……迷惑はかけられ……ないもの……。けど……)


 アレックスが、弘やシルビア達に手出しした……としたらどうだろう。

 弘1人なら、大抵のことは何とかなるとカレンは思う。暗殺者の100人や1000人を送りつけられてもビクともしないだろうからだ。しかし、シルビア達は違う。腕が立つとは言っても、それは一冒険者としての話。ノーマが姿隠しの短剣、ジュディスは夜の戦乙女の指輪を持っているが、油断は出来ない。


(大丈夫だと言ってもサワタリさんに何かあったら、やはり心配だし腹も立つわよ。それに……え? ちょっと待って……。シルビア達に何か……って)


 カレンは先日、弘とウルスラがデート……もとい買い出し中、ならず者に襲われたことを思い出した。あの時は、駆けつけた警備兵達の言動が妙であり、弘らが『チンピラとグルだったんじゃないか』と笑い話にしていたが……。


(そうよ! ギルド酒場に闘技場の職員が来て、サワタリさんが試合に誘われたときだって……)


 先程、アレックスが闘技場の一件を持ち出したこともあってか、連鎖的にカレンは関連することを思い出していた。

 不自然な試合参加の勧誘。そして、試合場で見たアレックスの顔。

 まさか、あの闘技場試合の件にアレックスが関係しているのでは……。

 そう考え出すと、王都に着いてからのアレコレに、すべてアレックスが関係するのではないかと思えてくる。


(どうしよう……)


 この場でアレックスを問い詰めるべきだろうか。

 いや、そんなことをしても彼はしらばっくれるだろうし、カレンの立場が危うくなる。ここは一度、弘やシルビア達と合流して対策を講じるべきだ。


「あ、あのう……ホローリン様? 私、やはり友人達との待ち合わせに遅れそうなので。ここで失礼します!」


 ピョコンと一礼し、カレンは小走りに駆け出す。

 先に一度別れようとし、それを呼び止めたのはアレックスだ。待ち合わせの話は既にしてあるので、ここで走っても失礼ではないだろう。



◇◇◇◇



「困ったわ……。カレン様に、どうお話ししたら……」 


 貴族院内の通路を光神尼僧……シルビア・フラウスが歩いている。

 優しい顔をしていれば、ゆるふわ系お姉さんだが普段からキツめ。そんな面持ちが、いつにも増してキツい。

 原因は、つい先程まで面会していた人物にあった。

 カレンが家督相続を賭けた試練を受けるにあたり、同乗する形で支援してくれた上位貴族の執事である。

 今日、遅々として進まない試練の完了審査について問い合わせるべく、カレンは貴族院に来たのだが、彼女に同行していたシルビアは、前述の執事に会っていた。

 1人で面会したのは、彼の主人からの支援が秘密裏のものであったことと、カレンには内緒にしておくのが支援の条件だったからである。

 そして面会するにあたっての用件は、試練完了審査の遅延に何か事情があるのか聞きたいというもの。

 カレンの……マクドガル家の領地を、ゲームの景品扱いした上位貴族らが、何らかの妨害をしているのではないか。そうシルビアは考えていた。


(けど、あんな事になっていただなんて……)


 キリ……。


 早足で歩きながら下唇を噛む。

 執事から得た情報は、シルビアが考えていたこととは少しばかり違っていた。

 確かに審査について差し止めるよう、上位貴族からの要請が出ている。だが、それは元々、カレンの家督相続をネタに遊んでいた者達ではなく、まったく関係の無い上位貴族が出したものだった。

 その者の名を、アレックス・ホローリンと言う。


(どうしてホローリン様が? いえ、彼のお父上……ホローリン伯のお考えなのかしら?)


 考えてみたが、情報不足すぎて答えは出なかった。

 アレックスとカレンの関係は、アレックス本人が言うところでは、既に亡くなったカレンの父親との約束で、許嫁同士の間柄……ということになっている。

 ところがカレンからの話だと、彼女の父は確かに、それっぽいことを言っていたらしいのだが……。


(でも、カレン様のお父様……マクドガル卿は「良縁だと思うが。まあ、カレンがよく考えた上で……」と言われていたそうだし)


 アレックスとカレンを許嫁にする約束が、良家の間で交わされていたとは思えない。

 その一方で、今日得た情報が『マクドガル家の家督相続に関し、試練完了審査が進んでいたが、それが中断しているのはホローリン家の要請による』というものだ。

 これはもう、まったくもって、わけがわからない。

 事実だとしたら、アレックスの狙いは何なのだろうか。


「カレン様がマクドガル家を家督相続したら、ホローリン様……アレックス様にとって何か特別な旨味でもあるのかしら?」


 カレンを許嫁……その後は妻として迎えることによって、マクドガル家の領地を吸収する。そのことが、カレンを正妻としてまで得る価値があると、シルビアには到底思えなかった。マクドガル家の領地規模は、小さな農村程度であるからだ。

 家宝と呼べる物は、あの倍力鎧ぐらいであるし……。


「でも、魔法武具に重きを置く王国とはいえ、あの鎧の性能は特筆するほどではないわ……」


 聞けば、上位貴族の所有する魔法鎧の中には、鎧の各所から魔法弾を射出したり、同じく各所から圧縮魔力によるブレードを突出させる物があると言う。より上等な品になると、有する能力が複数の物まで存在するのだ。加えて言えば着用者への負担も、カレンの倍力鎧よりは軽微だという。


「鎧が狙いでないとしたら、ほかに……。あっ……」


 貴族院の出口、いわゆるロビー付近に到着したシルビアは、少し早めに歩くカレンを発見する。そして小声で呼びかけながら、彼女と合流すべく駆け出すのだった。



◇◇◇◇



「ここがアンドース商会。本店だっけ?」


 弘が呟く。

 ここは冒険者ギルド王都本部から、徒歩で10分程度の位置にある建物の前だ。

 周囲を見回すと、何々商会と看板の掛かった建物が幾つも見られ、それぞれの建物の後ろや脇に倉庫が建ち並んでいる。どうやら商人ばかりが本拠を構えている区域らしい。


「そ、そうよ~。はあ、ふう。それで私のぉ実家~。けほっ」


 弘のすぐ横で、ウルスラが咳き込んでいる。ギルドからここまで駆けてきたのだから、体力的に劣る彼女には辛かったらしい。

 他に同行しているのは、エルフのグレースと、女戦士のジュディス。この二名に関しては、少し息を整える必要はあっても、ウルスラほどに疲弊はしていない。


(身軽なエルフと、体力が売りの戦士だものな……)


「もう仕事が始まってるのか。昼までにはまだ時間があるから、午前中のイイ感じの時間に来たな。それじゃあ……」


 弘は、ようやく息の整いだしたウルスラを見る。

 黒髪のロング……和風美人がハアハア言ってる姿は目の保養になったが、ここからは真面目な話だ。


「中への案内は、ウルスラ・アンドースさんにお願いするとしよう」


「フルネームで呼ばないでよね~。一応、名前だけで冒険者の登録名……通り名にしてるんだから~」


 ぷくぅと膨れるウルスラは年の割に可愛く見える。


「すまんすまん。と、ところでウルスラって俺と同じ歳だっけ? 俺、もうすぐ21だけど」


「そおよぉ~。私もぉ、もうすぐ21歳~」


 ちなみに、こちらの世界では数え年が主流とのことで、誕生日を持つ者はそんなに居ないらしい。


(そういや俺より年下なのはカレンとジュディス。シルビアは確か同い年で、ノーマは少し年上だったかな。グレースは……最年長ってことにしておこう。うん)


 そんなことを考えながら商会本館に入ると、数歩先でウルスラが立ち尽くしている。何かあったのか……と小走りで中に入り、彼女に近づくと、そこはオフィスビルの1階のような空間だった。奥の方で事務スペースがあり、その手前には受付カウンターがある。

 加えて言えば、冒険者ギルドの2階受付の前で居るような気分にもなるが、規模としてはこちらの方が随分と上だ。

 ただ……。


「おい、あれ……ウルスラさんだぜ?」


「え? 尼さんになったんじゃなかったの?」


「ひょっとして、また忙しくなる? うわあ……」


 カウンター前を行き交う人々が足を止め、こういったことを言う。嫌われている風でもないし、ウルスラが凄そうだという雰囲気は伝わってくるのだが……。


(俺が騒がれるときに似てるけど。歓迎されてるって感じでもねぇ。え? ここ実家だよな? これって、どうなんだ?)


 当のウルスラはと言うと、立ったままで居るのをやめてカウンターへ行き、困り顔で笑いながら受付嬢と話している。


「え~? お父さん、居ないの~? じゃあ、お兄ちゃんは~?」


「ふ、副会長でしたら、副会長室に居るはずなので。暫くお待ちください!」


 そう言い残すと、それまでウルスラと話していた受付嬢が立ち上がり、奥へと走り去った。


(う~ん。元居た世界のOL服みたいの着てるな。いや、冒険者ギルドの受付だって、そんな感じだったけど)


 都市の下水や排水まわり、時間や距離の単位、そして衣服のデザインなど。時々、元の世界に似たようなことがあるのは、弘としては驚きであったし、その一方で安心できる要素だった。


(何度も思った事だけど……。やっぱ、以前の転移者が広めたことなのか?)


「ヒロシ~。おにい……兄の副会長が会ってくれるって~」


 テテテッと戻って来たウルスラが言うには、父親である会長は出張中。その代わり、兄の副会長が居るとのことで、その彼と面談することになった。


「ふむ……」


「どうしたの~。緊張してるぅ~? 恋人の身内に会うのは~、ジュディスの時にしたでしょ~?」


 下から覗き込んでくるウルスラに対し、弘は自分の左こめかみから顎に至る向こう傷をツルリと撫でる。ジュディスの父は、この傷跡について何ら感想を述べなかった。元が冒険者だから、大して気にもとめなかったと言うところだろう。

 しかし、今から会うウルスラの兄は、かたぎの商人さんだ。顔傷持ちのチンピラに対して良い印象を持たないのではないか。そういった不安を弘は感じたのである。


(けど、これ、そのまま言ったら『オメーの兄ちゃんに、チンピラ扱いされるかもで。なんか不安~』ってことになるのか。……言わない方がいいな)


「いや……な。さっき俺の名前呼んでから、副会長さんのことを『お兄ちゃん』って言いかけたじゃん?」


 本当の不安は包み隠し、別の話題を持ち出す。これで誤魔化せれば御の字だ。


「う~……家族と話すときは、お兄ちゃんやお父さんだしぃ。他人と話すときは兄や父で通してるんだけど、さっきはつい~。でも、そうがどうかした~?」


「なんてことない話なんだが。俺の名前と続けたら、ヒロシお兄ちゃんって聞こえたかもなぁ……とか」   


 本当に、なんてことない話である。

 背後でグレースとジュディスが苦笑しているのが聞こえ、弘は「言うんじゃなかった」と思った。が、ウルスラの様子がおかしい。

 弘の言葉を聞いた後、驚いたように目を見開いていたのが、素肌の見えている首筋から徐々に赤みが増していき、やがて顔が真っ赤となった。


「あ、え? ほっぺた熱っ……なんで赤くなってるの~っ!?」


 両頬に手を当てたウルスラは、頬の赤みを消すかのように何度も擦りつつ混乱している。

 それを見ている弘達は、それぞれがウルスラの様子を観察しつつ感想を述べた。


「うおぅ。こいつは……可愛い」


「ふむ。我が無くした純情というやつだな。小娘だった頃を思い出すではないか……」


「あのウルスラがねぇ。もっと数字と計算で恋人付き合いしてるかと思ってたわ」


「あんまり見ないで~っ! って言うか、ジュディスは失礼すぎ~」


 まるでカレンのように腕をブンブン振って抗議したウルスラは、二度、三度と深呼吸してから、やっといつもの調子に戻った。それでも、困惑顔でブツブツと呟いてはいるが……。


「恋人で同い年のヒロシを、お兄ちゃんって呼ぶなんて。ああ、もう。考えただけで照れ臭いって言うか~、恥ずかしいって言うか~。なにこれ~」 


「お嬢様? 副会長が準備ができたので、執務室まで来て欲しい……とのことです」


 先程奥へ行った受付嬢が戻ってきた。内線電話などがあれば、その場で取り次いで貰えたのだろうが、こういったファンタジー世界ではしかたない話である。


「準備って何だったのかしら?」


「たぶん~、机の上の書類を片してたんだと思うの~。兄はぁ、そういうところ真面目だから~」


 ジュディスの疑問にウルスラが答えた。そして彼女は先頭に立ち、弘達を見回す。


「じゃあ、受付の娘に案内して貰いましょ~。私がぁ案内してもいいんだけど~。一応、外部の人ってことになるし~。そういうことで~」


 公私は混同しないということだ。無論、弘達に異論は無く、受付嬢に先導されるまま奥へと向かった。途中で通路を通って更に奥へ進んだところで、とある一室の入口上部に表札が見えてくる。

 副会長室。


(あれがウルスラの兄ちゃんが居る部屋か。副会長ねぇ。一族経営って奴なんだろうけど。ウルスラって、貴族とはまた違った感じのお嬢様だったんだな)


 こうして考えてみると、自分の周り……特に恋人の6人には良家の子女が多い。盗賊上がりのノーマを別として、ほぼ全員が……。


(おっと、シルビアに関しちゃよく知らないんだった。孤児って言うのは聞いたが、王都の神学院出だろ? 何か凄い秘密があるのか……。いや、止めよう) 


 興味はあるが本人に聞けば良いことだし。言いたくないと言われたなら、それ以上は詮索しないだけのことだ。


「どうぞ」


 受付嬢が扉を開いてくれたので、弘は気持ちを切り替え、ウルスラの後に続いて中へと入って行くのだった。 


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