第百七十七話 新たな厄介ごと
グレースとの長い長い行為を終えた弘は、衣服を着用し、愛用している黒塗りの革鎧を着込んだ。様々な防具を召喚できる今となっては、革鎧の防御力は貧弱の一言に尽きる。しかし、弘が普通の冒険者の振りをするには必要な装備と言えた。
(プレートメイルとか着てる方が見栄えいいんだろうが。やっぱ動きやすいってのはポイント高いぜ)
ちなみに筋力値は大幅に上昇しているため、鎧の材質による重量増については問題とならない。あくまで着やすさ動きやすさが注目点となる。
「それにしても、『我ら恋人陣』……ねぇ」
「む? 何か変だったか?」
すぐ後ろ、ベッドにて座るグレースが聞いてきた。彼女も身支度を調えており、すぐにでも宿を出られる状態だ。行為の後は独特の臭いがするものだが、この宿は炎の精霊を使用した簡易浴室が備わっており、すべて洗い流した上での衣服直用。無論、これは弘も同様である。
「あ、いやな……」
弘は顎下を指で掻きながら、肩越しにグレースを振り返った。
「さっき『恋人陣』とか言ってたけど、『陣』ってどうなんだ? 俺が包囲されてるか、迎え撃たれてるみたいじゃん?」
「じゃあ、恋人団にするか? それともヒロシ・サワタリを囲む恋人の会とかはどうだ?」
「……もう、恋人陣でいいです」
からかわれているのは解るが、次々に出てくる呼称が酷いものであったため、弘は最初の『恋人陣』で良しとする。もっとも、それとてグレースの冗談だろうから、真剣には受け止めていない。
「しかし、ノーマを抱け……とはねぇ。そうやってけしかけなきゃならんほど、俺は奥手か? そりゃあ今のところ、手を付けたのはグレースだけだけどさぁ」
言いながら革鎧の裾を掴んで位置調整をしていた弘は、ふと躰ごとグレースを振り返った。グレースはベッドに腰掛けたまま、ニンマリと笑っている。
「ひょっとして、ノーマに何かあったか? いやでも、それって俺が抱いて解決することなのか?」
「さあな」
無責任。そう感じ取れる口調で言い放ったグレースは、ベッドから立ち上がると、トトッと進み出て弘の胸元に身を預けた。それを抱き留めた弘は、グレースが寄りかかってくるのを確認すると、力加減を気にしつつ彼女を抱きしめる。
「ふふっ。やはり、好いた男に抱きしめられるというのは良いな」
「お互い革鎧を着込んでるから、抱き心地もあったもんじゃないが……」
それでもグレースの背に腕を回し、弘は革鎧の無いところを撫でてみた。柔らかい。グレースはエルフで、エルフは本来、細身な体形がほとんどである。彼女が出るところが大きく出たスタイルなのは、何処かで人間の血でも混ざっているのでは……。
などと考えていると、心地よさそうにしていたグレースが弘の耳元で囁き出す。
「こういう気持ちをだな、ノーマにも教えてあげたいわけだ。無論、抱きしめるだけでなく、ベッド上でのアレやコレやも含めて……な」
「色々と気ぃつかってるのか? パーティーリーダーの俺としちゃあ、面倒見の良いお姉さんだな……とか思ってていいわけ?」
弘には判断がつかない。
現状、1人の男……すなわち自分に、6人もの女性が恋人として同行している。今のところ、彼女たちの間で仲違いしている様子は無く、皆が皆、互いに配慮したり気遣ったりと良好な関係であった。
(俺にしてみりゃ、恋人の誰かと誰かがいがみ合ったりとか……マジで勘弁して欲しいんだけどな)
今聞いた話からすれば、グレースはパーティー内女性の調整役をしてくれてるようで、そうなのだとしたら実に有り難い。
一方、グレースはフフンと笑ってから弘の問いに答えた。
「我は『面倒見の良いお姉さん』だ。他の者達より随分年上だが、おばさんではないぞ?」
「わかってるよ」
グレースから離れようとする動きが伝わってきたので、弘は抱擁を解く。離れたグレースは、壁際に立てかけてあったレイピアを手に取り、それを腰に吊ると弘を見て微笑んだ。
「こういうのは主が気づくべきだと思うが。忠告しておこう。ノーマは自分の成り立ちや、身の出所について悩んでいる。つまり、自分がカタギの出ではないから、我やカレン達の中で浮いているのではないか……と。そういうことだな」
「ノーマは盗賊ギルド出身……だったっけ?」
ちなみにカレンの場合だと、彼女は貴族子女だ。両親が他界した現在では、まだ国から認められていないものの、マクドガル家の当主でもある。
シルビアは、タルシア国内で最も権威がある光神の信徒。それも王国神学院を卒業したバリバリのエリートだ。
ウルスラも神学院卒で、こちらは商神信徒。実家は国内でも有数の商家であると言う。
ジュディスは父親が王国騎士であり、カレンよりも下位になるが一応は貴族の家柄。
グレースはパーティー内女性で唯一の亜人……エルフであり、一氏族を率いた族長経験者だ。
そしてノーマである。
彼女は、冒険者ギルドにおける偵察士養成所の出身者。が、その前は盗賊ギルドに所属していた。盗賊ギルドは、その根絶が難しい他、犯罪者をある程度取りまとめる機能があるため、余程の非道な行いをしなければ各国で黙認された存在である。ほとんどの構成員は犯罪者などであり、事実、ノーマも空き巣働きや御禁制品の密輸に関わったこともあった。
「主にパーティーには亜人の我も居るが。自分だけ特に身綺麗でないことが、ノーマは気にかかってるようでな。そのことで主に嫌われるのでは……と」
他に、最初は打算だけで弘の恋人候補に立候補したが、いざ恋人になってみると、自分の本当の気持ちがわからず情緒不安定という事情もある。だが、グレースはその点については触れなかった。
(これこそ他人の我が語ったのでは、ノーマの女としての面目が立たぬのでな)
「昔、盗賊だったから俺に嫌われるかもぉ? それ、俺がどう思ってるか言った気がするんだけどな……。気のせいか?」
思い出そうとするが思い出せない。
この世界に来てから今日まで、割りと一杯一杯の生き方をしていたので、どうにも記憶が曖昧だ。ノーマ本人に言ったことがあるかもしれないし、グレースが聞いていたかもしれない。
「さて……どうであったかな。重要なのは、今、主がどう思っているかであろう。盗賊出の女を恋人にしたことについて後悔はなど?」
「するわけねーだろ?」
弘は即答した。
「ノーマが盗賊ギルド出身って話自体は、前々から聞いてるんだし。何を今更……ってこった。だいたい、そういうの言いだしたら俺なんざ……」
元居た世界では、ろくに就職もできない有象無象。この世界に来てすぐの頃は山賊の一員。どう考えても上品な人生ではない。どこをどう引っ繰り返せば、盗賊ギルド出身者を馬鹿にできる要素が出てくるのか。
(しかし、『俺なんか元山賊で……』か。やっぱ前に、誰かに言った気がするな。相手はカレンだったっけ?)
「んん~。むしろカッコイイじゃん、ノーマ。盗賊から足を洗って、今じゃあギルドの偵察士さんだろ? いや、見た感じもカッコイイ系の美人だし。って、おっと……」
扉の前で立ち話となっていたが、ここで弘は言葉を切って口元に手を当てる。その彼をグレースが不思議そうに覗き込んだ。
「どうした?」
「いや、聞いたことがあるぞ。女って、他の女の話とかしたら嫌がるんじゃなかったっけ? ほら、別の女を褒めるとか」
しかも話し相手は、ついさっきまでベッドで絡み合っていたグレース。これはマズいのではないかと、そう思う弘であったが、グレースは一笑している。
「何を言い出すかと思えば。主よ、我とノーマは共に主の恋人なのだぞ? 主がノーマを褒めたとしても、嫌がろうはずもない」
「そうか、そうだよな。ハハハ……」
グレースの言うとおりだと思いながら、口から出る笑い声は乾いたものだ。これはグレースの言葉を信じ切れていないためか。それともノーマを思う自分の気持ちに、確証が持てないからか。いや、そうではない。
(恋人6人か。マジで、そろそろ慣れなくちゃなぁ……)
たった1人ではなく6人の女性を受け入れたのだ。いつまでも戸惑ってはいられない。カレン達は皆、自分を好いてくれているのだから、弘自身がシャンとしていなくてどうするのか。
不甲斐ない自分に呆れ、すぐさま内心で喝を入れた弘は口の端を持ち上げて笑う。
「ノーマが迷っ……いや、困ってるってんなら。何とかしてやらなくちゃな。彼氏として!」
◇◇◇◇
早朝。
精算を済ませて宿を出た弘は、グレースと共に冒険者ギルド王都本部へ向かった。そして、いの一番にノーマと会うこととする。その後は別宿の一室で……というのは、さすがに性急すぎるため、まずデートにでも誘ってみよう。
(で、イイ感じで過ごせたら、そのまま……)
頬が緩む。が、すぐ後ろでグレースがクスクス笑っているのが聞こえるため、弘は緩んだ頬に力を込めた。嫉妬されたり腹を立てられたりするよりマシだが、別女性に対する行動や思惑を楽しまれては、何と言うか良い気がしない。
とはいえ、振り返ってグレースに抗議するのもどうかと思ったので、弘はギルドに向かって歩き続けた。
(この大通りの先の……)
歩く先を見やると、そこには大勢の人が行き交っている。クロニウスやディオスクも人は多かったが、さすがに王都だ。朝っぱらから人混みと言って良いレベルである。
(通りの中央は車道っぽくて、馬車や馬が行き交ってる……。両脇には歩道か……)
歩道の外側には店舗が建ち並び、多くは2階建て。中には4階建てのものまであった。
道路整備も元居た日本を彷彿とさせ、信号機こそ無いものの、交差点では兵士が手信号により交通整理を行っている。
(都会だなぁ。俺、マジで就職とか考えようかな……)
そう考えた弘であるが、すぐ苦笑いと共に打ち消した。
就職も何も、今の自分は冒険者ギルドに所属する冒険者なのだ。立派に就職しているではないか。
今ふと思ったのは、都会の風景を目にし異世界転移前の自分を思い出していただけに過ぎない。つまり、正社員になりたくて仕方なかった頃のことだ。
冒険者ギルド所属というのが正社員、あるいは堅い仕事なのかはさておき、それで生計を立てている冒険者が数多く居る以上、立派に就職してると言って良いだろう。
となれば残るは人生の方向性だ。自分は何を目指したいのか。どういう人生の落ちに自分を持って行きたいのか。
(嫁さん候補は6人。候補っつうか、この先別れなけりゃ今んところ6人と結婚だよな。前にも考えたが、バリバリ蓄財しまくって老後に備えるか。王都なら、いちいち稼ぎも良さそうだし~)
冒険者ギルド王都本部の依頼掲示板は、高額な案件が多い。ゴブリンのような弱小モンスターも存在はするから、その討伐依頼も当然あるが、やはり目を引くのはドラゴン退治といった高難易度の依頼であろう。
弘の戦闘力なら、その様な高額依頼をジャンジャンこなして大金持ちになることが可能だ。依頼が無くなれば闘技場に出て稼ぐ手もある。
財産に余裕が出たら、国を出て観光旅行をするのも悪くはない。
これらは以前、召喚術士として強くなり出した頃に考えた人生設計だ。当時は調子に乗っての考案だったが、現在の強さと王都の景気よさを思えば充分に実現が可能。
(カレンは試練を果たしたし。それが国に認められたら、騎士さんになって家督相続……だっけ? 他にも何かあった気がするけど。んまあ、色々解決したってこった)
このまま何事も無ければ、今考えたように蓄財して結婚生活の流れになるだろう。無論、結婚後も働き続けるから、やっぱり老後は安泰なはずだ。
「ふふ~ん」
実現性の高い夢想に気をよくした弘が交差点を右に……冒険者ギルド向きに曲がったところ、真正面から彼を呼ぶ声が聞こえてくる。
「あ、居た! グレースも一緒だ! おお~い、ヒロシーッ!」
「ジュディス?」
赤毛の女戦士……王都貴族学院の制服に軽甲冑姿のジュディスが、転がるようにして駆けて来ていた。その後方には商神尼僧のウルスラも居て、こちらも必死に駆けている。
遠目にも切羽詰まった表情をしており、どうやら何事か起こったらしい。
(むぁ~た、厄介ごとか。今度は何だよ)
力尽くで解決できることだったらいいのにな。そんなことを考えつつ、弘は駆け出した。
彼我の距離は数秒で無くなり、急停止したジュディスが肩で息をしながら弘を見上げる。
「ヒロシ! 大変なの! ノーマが!」
瞬間。弘の表情から、面倒くささが消失した。相手は少女であるし、怯えさせないようにと気を遣いながら問いかける。
「ノーマが? 何があった? ジュディス、落ち着いて説明してみろ」
「う、うん。ついさっき、革鎧を着た男が……」
その後、遅れて到着したウルスラも説明に加わった。この時ばかりは普段の間延びした口調はなりを潜め、キビキビと語ってくれる。ジュディスが幾分混乱気味であることを考えると、実に有り難い。
そうして聞き終えたところ、ノーマに起こった事態とは次のようなものだった。
弘とグレースがギルド本部の宿を離れ、日が変わって朝になった頃。まずカレンとシルビアが宿を出た。用件は王都貴族院に出向き、試練の完了審査が済んだかどうか問い合わせるため。夕方頃までは戻れないらしい。
そして宿にはノーマとメルが残ったが、今度はメルが王都魔法学院へと出かけている。こちらは、新たな論文が発表されていないか気になったらしい。それが朝食後のことで、彼と入れ替わるようにして、ジュディスとウルスラがギルド酒場に入ったとのこと。
2人とも朝食は済ませていたので、ノーマと同じテーブルで談笑していたのだが……。
暫くして革鎧の男が5人ほど乗り込んできて、ノーマを連れて行った。
「そなた達は黙って見ていたのか?」
「止めようとしたんだけど!」
目尻に涙を浮かべながら、ジュディスがグレースに言い返す。
どうやら男達は盗賊ギルドの使いの者で、盗賊時代のノーマを知っている者。いや、知らされている者だったらしい。
そのうちの1人が階段を駆け上がり、少しして戻ってくると「話は済んだ! 連れていけ!」と言い放ち、全員でノーマを連れて行ったのである。
「今聞いた感じだと、盗賊ギルドと冒険者ギルドで話が通ってるのか?」
弘は通行人の邪魔にならないよう、皆と歩道の店舗側へ寄りながら首を傾げた。
盗賊ギルドは犯罪組織だが、足を洗った人間を偵察士養成所へ送り込んだりするため、冒険者ギルドとは全面的な敵対関係ではない。
今の話だと、ノーマを連行するにあたり、冒険者ギルドを納得させられるだけの理由があるように思える。
「冒険者ってなぁ、見知らぬパーティーで仲良しこよしはないけど。ギルド酒場で余所者に勝手されて黙ってるもんじゃねぇ。居合わせた連中は、話が済んだ宣言で引っ込んだかもだが……」
そこまで呟くと、グレースが後を継いでウルスラに問いかけた。
「もしや、その者達に、いや……ノーマに何か言われたのか?」
「そうよ」
ウルスラがいつになく鋭い視線でグレースを、そして弘を見ながら頷く。
ノーマは「全部、私の不始末だから。気にしないで」と言い残し、大人しく連れて行かれたらしい。
「自分の不始末ねぇ……」
弘は暴走族時代、スピード違反で切符を切られた時のことを思い出す。あの時は大人しく罰金を払ったが、それをせずに無視していたらノーマのようになったかもしれない。
これが元の世界で、仲間内の道路交通法違反であるなら「しかたねーな! おう、とっとと行ってこい」となるが……。
「でもなぁ……」
弘は雲が切れ切れに流れていく空を見上げた。
(ここは別の世界だ……)
「ヒロシ……。どうしよう?」
真正面、そして幾分下方から聞こえるジュディスの声。視線を下ろすと、心配そうなジュディスがジッと見つめてきている。その隣りに居るウルスラは冷静な様子で、そのキリッとした表情はシルビアを彷彿とさせるが、やはり心配そうだ。
「サワタリ……」
最後にグレースが呼びかけたところで、弘は店舗の壁から背を離した。
「冒険者ギルドは黙っちまったかも知れねーが。俺は知ったこっちゃねぇって思ってる。身内の話だし、ノーマは恋人だ。事情を知らんままっつうのも面白くないわけで……」
ニヤリ。
弘は口の端を持ち上げ笑った。それを見た恋人達の顔に、安堵の色が生まれる。
「ノーマが連れてかれた盗賊ギルドへ乗り込んでやろ~じゃねぇか。場合によっちゃ力ずくで連れ帰るぜ!」
◇◇◇◇
勢い良く宣言したものの、弘達は盗賊ギルドの王都での本拠地を知らない。
唯一知ってそうなのがノーマだったが、その彼女が連れ去られたのだから、他に情報源を求めるしかなかった。
強いて言えばメルが知っている可能性がある。しかし、勝手のわからない魔法学院に行って、彼を捜し歩く時間は惜しむべきだ。犯罪組織に連れ去られたノーマが、時間経過特共に安全でなくなるかも知れない。
カレンとシルビアを呼び戻して戦力を増やすのも、同じ理由で却下となった。
「まずは冒険者ギルドの受付だな。さすがに知らんってわけじゃないだろう」
ジュディス達から聞いた話だと、盗賊ギルドと通じてるようなので素直には教えてくれないだろうが、その時は……。
(こっちも力ずくで……。ん? 職場でゲンコツ振り回して大丈夫なのか?)
ついさっき、脳内人生設計で冒険者として蓄財していくこと考えたばかりだ。やはり乱暴は慎むべき。そうなると断られた時の、対策を考えておいた方が良い。
皆を手招きして冒険者ギルドへ向かいながら、弘は呟いた。
「答えられねぇとか言われたら、ジュード爺さんの名前を出してみるか?」
「ああ~。ギルド王都本部の会計課長さんね~」
ウルスラが言ったとおり、ジュード・ロォは冒険者ギルド王都本部の重役であり、魔法学院の重鎮でもある。各都市の冒険者ギルドに対する予算関係……その決裁権者であるため、その権力は非常に大きい。かつて共に戦ったことを持ち出せば、あるいは使える手札なのかも知れなかった。
「あんまり好きなやり口じゃない。けど、グズグズしててノーマに何かあったらダメだろ?」
他の冒険者からは虎の威を借る狐、あるいは「何だアイツ、すぐにお偉いさんの名前を出しやがって!」と思われる可能性がある。だが、今は恋人の一大事かもしれないのだ。
「何だってしてやるさ!」
言い放つ弘の背に、グレースら恋人達の好ましげな視線が向けられた。彼女らは互いに目配せをし、この件に関して全力で弘やノーマを手伝うことを誓い合う。
パーティーメンバーの一大事だから、どのみち彼女らはノーマの手助けをするつもりであった。だが、今回の場合。恋人ヒロシ・サワタリが、自分と同じ恋人の1人……ノーマの危機に対して本気の行動に出ている。その姿を見ることができて、一気に気分が高揚したのだ。故に、言葉を交わさずとも完全な意思統一ができたのだった。
「お~う、邪魔するぜ!」
ギルド酒場に飛び込んだ弘は、階段を駆け上がり、ギルド受付の受付嬢に問い質している。
「さっき盗賊ギルドの連中が来て、俺のパーティーメンバーを連れて行ったって聞いた! 直接交渉してくるから場所だけでも教えろ。盗賊ギルドの本社ビ……じゃなかった本拠地の場所。たいがいの偵察士は知ってるんだから、教えてくれるよな? な?」
「それは、その……。お教えできません。規定ですから……」
怯えつつ受付嬢は教えられないと言った。瞬間、弘の頭に血が上る。が、この場でキレることはしない。彼とてコンビニバイト時代には、客の無理な要求で苦労したのだ。雇われて働いている以上、できないこと言えないことと言うのはある。それが理解できるだけに、弘は舌打ちし、カウンターに手を突いたままで視線を横に逸らせた。
「そうだなぁ。あ~……ええと。ジュード・ロォ会計課長と連絡は取れるか? ヒロシ・サワタリが相談あるって言ったら、話ぐらいは聞いてくれると思うんだが……」
今は鐘7つ過ぎ、午前7時に相当する時間帯だ。弘の元世界基準では会社員の始業には早いが、こちらの世界ではどうだろうか。
言ってから心配するも、受付嬢は「暫くお待ちください」とだけ言い残して奥へ消えて行った。
「……まあ、いいか」
フウと一息ついて周囲を見回すと、弘を取り囲む立ち位置でグレース達が居る。その他受付前に居る冒険者パーティーは居ない。これは受付が始まってから少しした頃に来たため、依頼受理を申告に来たパーティーなどは、とっくに出発しているからだろう。
「やっぱしジュード爺さんを頼ることになっちまったな……」
できることは何でもするつもりだったが、いざ相手方に迷惑を掛けるかもと思うと、弘の心は重くなる。暴走族時代の自分であれば、ヘラヘラ笑いながら助力を求めたろう。しかし、今の弘には難しいことだ。
(カレン達に恥かかせるわけにいかね~し? 社会人になって恋人もできたら、も~……気軽に馬鹿やれないってゆ~か、何と言うか……)
単独行動していて博打で全財産をすったり、アブク銭で娼館に行ったことなどを弘は思い出す。カレン達には絶対に聞かせられないが、あの頃は自由だったな……と思うのだ。
(あるいは俺が女を何人連れてよ~が、勝手気ままに生きてくっぽい性格だったら良かったのかねぇ)
「お待たせしました!」
性に合わない生き方に思いを馳せていると、奥の方から受付嬢が戻ってきた。
「ロォ会計課長が、直接にお話しするそうです! こちらへ!」
カウンター脇の羽根板を上げ、受付嬢が奥へと誘う。弘は「おう」とだけ返し、グレース達を連れて中へ入って行った。
受付嬢に案内されるまま奥へ入って行くと、そこは広いフロアになっていて、幾つかの机が集合し、島化しているのが見て取れる。
各机島の上には天井から紐でプレートが吊られており、そこには『総務課』、『検査員室』といった文言が記されていた。そういった各課机島の間を縫い、更に奥へと弘達は案内されて行く。
最終的には、精霊通信室というプレートが掛かった部屋へ入ることになった。
精霊通信とは風や光の精霊を用いて、遠隔地との会話を可能とする精霊魔法だ。魔法陣を描くのに畳数畳分の床面積が必要であり、最初の発動に数十分を要することから、冒険者パーティー単体では使用するのが難しい。そもそも、かなりの実力者でなければ、この精霊魔法は行使できないのだ。
(けど一度発動させると、定期的に精霊力を注げば通信状態は維持できる……だっけ?)
弘は、冒険者として駆け出しの頃に得た知識を思い出している。
そのまま中に入ると、室内はガランとしていた。室内灯の類は四隅の燭台に魔法光が1つずつ。通風口はあるが、窓の類は無い。そして、床中央に複雑な魔法文字で魔法陣が描かれており、その中央位置の弘の胸高ぐらいの高さで青白いモヤが浮かんでいた。
「うお。人の顔が……」
モヤの中に人の顔が映し出され、弘は思わず呟く。音声会話だけなのかと思っていたのだ。
(顔見ながら話しができるとか。ファンタジー世界、侮れねーな)
ファンタジー系の漫画ではよくある描写だが、実際に見ると驚いてしまう。
(スマホでも同じ事は出来るんだろうが、機械を使わないでやってるんだから恐れ入るぜ。さて……)
驚いてばかりも居られない。弘は前に進み出ると、モヤの中の顔が以前に見たジュード・ロォであると確認した。
白髪長髭の老人……ジュードは、その髭を掴んでしごきながらニンマリと笑う。
「久しぶりじゃのぉ。ヒロシ・サワタリ。王都に着いてからの活躍は聞いておるよ。それと、今儂と話したい用件もな」
「受付の姉ちゃんから聞いたんだな! だったら話は早ぇえ! 盗賊ギルドの場所を教えてくれ! 何なら爺さんから言ってノーマを返すように……」
弘の言葉が尻すぼみに消えた。いつの間にかジュードの眼光が鋭さを増し、更にはモヤの中で掌を突き出していたからだ。押し返されるような掌が意味するところは拒絶である。
「駄目だっ……てのか? おい、待てよ! 自分とこの登録冒険者がさらわれたんだぞ! ギルドの酒場で! 手助けが無理なら自分で何とかするってのに、場所も教えられねぇのかよ! ええっ!?」
怒声が精霊通信室を揺るがした。後ろで並ぶグレース達も、自分が怒鳴られたわけでもないのにビクリと肩を揺らす。
一方、怒声を叩きつけられた側のジュードは涼しい顔をしていた。
「ま、そう怒鳴るな。聞けば、ノーマ君は昔の不始末で連行されたそうじゃないか。彼女の行いが、どの程度のことかは知らんが、生きるも死ぬも、彼女次第ではないかのぉ?」
「そこを何とかしてやりたいのが、パーティーリーダーだし? 彼氏ってもんだ。けど、冒険者ギルドが手伝ってくれねぇってんなら、他の手を探すまでだな」
「ほう? 他に盗賊ギルドの本拠を探す手があると?」
面白そうにしているジュードを、弘は睨みつける。
「表を歩いてる偵察士を誰か1人締めあげて、喋って貰う。そいつが盗賊ギルド出身者なら知ってるだろうさ」
ザワッとグレース達がどよめく。今弘が言った方法でも盗賊ギルド本拠は見つけられるだろうが、それでは王都の冒険者すべてを敵に回す可能性がある。冒険者ギルドだって黙ってはいないはずだ。
しかし、ノーマが危ない状況にあって弘は手段を選ぶ気などない。今のところ割りと穏便に済むよう動いているが、手詰まりになるなら荒っぽく動くだけだ。
「むう……」
さすがのジュードも笑みを引っ込めて渋い表情となる。
「少しばかり、からかいが過ぎたようじゃな。謝罪しよう。だが、この件、冒険者ギルドからは手出しできん。お前さんが思っているよりも面倒なことになっていてな。せっかく頼ってくれたのにすまんが、儂から直接教えたりも無理なのじゃよ」
「……無理言って悪かったな」
「む? いや、ちょっと待……」
どうしてもできないと言う相手に、これ以上食い下がっても時間の無駄だ。そして腹いせに暴れて、自分の立場を悪くすることもない。弘はサッサと退室しようとした。グレース達も弘がアレだけ言って協力を得られなかったのだからと、同じようにジュードに対し背を向ける。いや、1人だけ動かない者が居た。
「ウルスラ? どうかしたの?」
ジュディスが振り返って名を呼んだため、弘とグレースも足を止めて振り返る。ウルスラは数歩ほど後方に居て、弘達を見ていた。
「あ~う~。ヒロシ~、その……実はね~」
「ふむ。そう言えば……」
何か言いたそうにしているウルスラ。そのウルスラを、彼女の後方から見ていたジュードが口を開く。
「そこに居る商神尼僧は、実家が王都でも有名な商家じゃ。儂なんぞに聞くよりも、盗賊ギルドに関しては詳しいかものぉ……」
「ぬっ……」
弘の脳裏に、大手企業と暴力団の癒着……的な組織関係図が浮かんだ。元の世界ではニュースなどで見たことがある構図だ。
ウルスラの実家がそうだと言うのだろうか。
「なんで俺んとこの、メンバーの家庭事情とか知ってんだよ?」
「儂は冒険者ギルド、王都本部の会計課長じゃぞ? 直接関係なくとも、金回りの情報は多く聞こえてくるもんじゃ。それじゃ、後は適当にやって……」
ウェシャシャシャと笑うジュードは、モヤの中で背を向けかけたが、その動きを途中で止める。
「ふ~む。もう一声、出してやっても良いかの。そこの商神尼僧の家で、今の相談をするならばじゃ。『ジュード・ロォが、よろしくと言っていた』とでも言うがよい。ではな……」
それだけ言い残し、ジュードは今度こそモヤの中で姿を消した。
精霊通信の魔法陣は起動したままなので、四隅の魔法光と合わせて室内は明るい。その中で弘は、中央付近に立ったままのウルスラに目を向けた。
「それで……だ。ウルスラ。色々と詳しく聞かせてもらっていい……のか?」
今まであまり深く聞いたことがないウルスラの家庭事情。そこに踏み込むことになるが、事態が事態だ。ジュードの言ったように、ウルスラの実家で情報が得られるなら大助かりである。
他の恋人達はと見たところ、グレースは興味深そうにしており、ジュディスは「あちゃ~。気の毒と言うか……何と言うか……」と複雑そうに苦笑していた。
そしてウルスラは……。
引きつった笑みを浮かべながら手を組み、祈りを捧げている。
「仕方ないのよ~。ないったらないのよ~。ノーマのためだもの~」
おもむろに弘を見返したウルスラは、その修道服を盛り上げる胸に手を当てて言った。
「ここで教えて貰えたら、それが一番だったんだけど~。こうなったら私の実家に行くわ~。たぶん何とかなるはずよ~」