第百七十五話 仇討ちの後で
「……うむ。少し落ち着いた……」
スンと鼻を鳴らしながらグレースが離れる。
その彼女に「そっか……」とだけ呟いた弘は、喉を刺され項垂れるように息絶えているダンサラスを見た。
いい加減で冒険者生活にも慣れたし、大事な場面で躊躇わず人を殺せるようにもなっている。しかし、やはり日本人としては目の前に人の死体があると、「うわぁ……」という気分になるのだ。
(これがそのうち、道ばたの犬猫死骸を見るような気分で済む……ようになるんかねぇ)
そうなりたくはないが、そうならないと後々で苦労するだろう。
「ふう……」
様々な思いを努めて顔に出さないようにしながら、弘はダンサラスの部下達を見た。
全員男で6人居る。そのうち4名がダンサラスの元からの部下で、残る2名はダンサラスによって滅ぼされ、あるいは吸収された氏族の幹部や相談役だ。この2名は弘達に対し、協力を申し出ている。
「いや、違うな。今後、グレースに手出ししない……そのために、ダンサラス派の氏族幹部を始末して欲しいんだっけ?」
確認するように呟いたところ、2名の反ダンサラス派エルフは何度も頷いた。一方、4名のダンサラス派のエルフは激昂しており、2名に対して噛みつかんばかりに喚き立てている。
後ろ手に縛られており、弘のパーティーメンバーによって囲まれてもいるから、突っかかりはしていない。だが、いささか鬱陶しく感じる。
「うるせぇな。おい、静かにしろ!」
パーティーリーダーとして一喝してみたところ、その一声でエルフ達は静かになった。グレースに聞いた話では、エルフには人間を下に見る者が多いらしいが……。
(本来、精霊寄りの種族たるエルフの方が、下賤なヒト族より上ってか? ゲームや小説でよくある気質だけど。こっちの世界じゃ人間に力で押し負けて、奴隷にされてる立ち位置なんだよなぁ)
チラッとそう思ってしまうものの、その奴隷扱いでグレースが酷い目に遭っているから口には出さなかった。
何にせよ一言言って黙ってくれるのはありがたい。弘は見た目人間だが、精霊集合体を操るダンサラスを撃破して見せた。これが大きく影響しているのだろう。
弘はノーマに言って、ダンサラス派エルフ4人をきつく縛り上げさせると、その場に転がした。その上で、少し距離をおいて皆で話し合う。そして、この『皆』の中に、反ダンサラス派の2人が含まれていた。
「で……今後の話だ。さっきも言ったが、あの4人は始末。森の中央集落で残りのダンサラス派の幹部も始末。これでいいよな?」
エルフ達は頷く。ダンサラスと彼の元からの部下……ダンサラス派幹部が一掃されれば、ダンサラスの元からの氏族よりも、吸収された氏族エルフの方が多くなるのだ。こうなれば、ダンサラスの氏族員を放逐するなどが可能となる。
「放逐は困るぜ。逆恨みした連中が、俺達にちょっかい出してきたら面倒だ」
弘個人としては平気だし、一度でも襲撃されようものなら、探し出してでも相手方を殲滅するだろう。しかし、パーティーメンバーに手出しされるのは困る。1人1人、暗殺されると言った展開になれば、防ぎきれる自信が無いからだ。
そのことはエルフ達も承知しており、絶対に森から……いや中央集落から出さないし、脱走した場合は追っ手を差し向けた上で、弘に連絡すること約束した。
「それで、ダンサラスの死因なのだが……。祭事場の検分中、何者かに襲撃されて死亡した。そういうことにしたい」
反ダンサラス派エルフのうち、年長者らしき者が提案する。ダンサラスは自信家であったから、襲撃者に真っ向から立ち向かった。結果として撃退に成功したものの、自身も重傷を負い、そのまま死亡……という筋書きだ。
「ふぅん。戦った感じや、本人とチョイ話してみた印象だと、まあ有りそうな話だな」
「そして、後ろの4人のダンサラス派幹部は、その際に死亡した……というのはどうか?」
これを聞き、4人のエルフが再び騒ぎ出す。それなりに距離は取ったつもりだが、やはりエルフの聴力は侮れない。あまりに鬱陶しいので、弘はメルに言って眠りの魔法を掛けて貰った。戦闘中の切羽詰まった状態ではなく、じっくり時間をかけて呪文を詠唱。落ち着き気合いを込めた眠りの魔法に、4人のエルフは抵抗できず意識を失った。
「まあ、この状況で焦っていたのもあって、まともに抵抗できなかった……と。……寝たフリをしてるかも知れんがね」
そう言ってメルが肩をすくめたが、取りあえず静かにしてくれていればいい。
弘はメルに礼を言うと、エルフとの打ち合わせを再開した。
続く議題は、中央集落で居るダンサラス派幹部を始末する件となる。
「私達がダンサラスの死を告げに、倒けつ転びつしながら駆け戻る。そうしてダンサラスは幹部を呼び集めるのだ」
「そこを俺が狙撃なり何なりするってわけか……」
狙撃は良いが、どういった武器……召喚品で攻撃したものか。
爆発する砲弾のような物は駄目だろう。最悪、他のエルフに死人が出そうだ。また他に類を見ないような殺し方では、最近何かと噂になっている『召喚魔法を使う戦士』、ヒロシ・サワタリが疑われるかもしれない。
では、弓矢の類を使用してはどうだろう。例えば強力なコンポジットボウなどだ。使用するのに大きな筋力を必要とするが、弘ならば問題はない。銃器に比べて静音性に優れるため、ある程度は隠れたままで攻撃できるはずだ。ただし、弓矢で殺傷した場合は、外部のエルフの仕業ではないか……と推測される恐れがあった。ダンサラスに氏族を滅ぼされたが、逃亡に成功したエルフも居るだろうからだ。
この場合、今度はグレースに疑いの目が向けられる可能性がある。金で雇われた人間の仕業と見られるかも知れないが、やはりグレースに疑いの目が向けられることは避けたい。よって弓矢も却下だ。
「ん~。マジで、どうしたもんかな」
もういっそのこと、この反ダンサラス派の2名だけで戻って、こっそり弓矢で狙撃しろよ。と思う弘だが、この協力的なエルフ達には恩を売っておきたい。
「こうなったら石でも投げるか? 俺の今の筋力なら……」
「あの、ヒロシ~? ちょっといい~?」
ウルスラが挙手した。彼女が提案したのは、クロスボウを使用すること。
「エルフは~、ロングボウとかを好んでぇ、仕掛け弓のクロスボウはあまり使わないの~」
「そうなのか?」
弘がグレース、そして反ダンサラス派エルフらに視線を向けたところ、皆、頷くことで肯定した。
「サワタリ。我らは本来、森に住まう者。半妖精ということもあるが、金属部品がゴテゴテと付いた道具は好かぬのだ」
「それでね~」
グレースの説明を追いかけるように、ウルスラが言う。
クロスボウの矢は、弓で使用する矢よりも太くて重いから、刺さった矢を見た者はクロスボウで撃たれたと考えるはずだ。
「エルフは敬遠してるそうだけどぉ、冒険者や砦の見張りが使う場合もあるから~」
「使ってる矢からしてエルフじゃ無さそうだけど、特定するには範囲が広すぎて犯人を捜しきれんってとこか……。いいじゃん、クロスボウ。それでいこうぜ」
そして、ここでノーマから「賛成だけど、クロスボウなんて持ってるの?」という指摘が入る。現パーティーメンバーでクロスボウを使う者は誰も居ないし、弘も……。
「いや、持ってるぞ?」
そう言って弘は、アイテム欄からクロスボウと矢の一式を取り出す。
先日、買い出しを兼ねたウルスラとのデートにおいて、諸々買い込んでおいたのだ。
「いやほら、召喚術が使えなくなる様なことがあったら、他に何も持ってないってのも嫌だしさぁ。……てか、実物のクロスボウとか欲しかったし」
まだまだアイテム欄には余裕がある。実物のファンタジー世界のクロスボウだし、記念的な意味合いで1丁確保しておきたかったのだ。
「最後に本音が出てる~。私はぁ、無駄づかいはよしなさい~って言ったんだけどね~」
ウルスラが半目で軽く睨むも、弘は「今、役に立ちそうだからいいじゃん」と、まるで気にしない。実のところ、召喚術の召喚品にはクロスボウも存在するが、それで狙撃した場合、暫くしたら矢が消えてしまうのだ。
「まあ、なんだ。証拠を残さないといけないなら、本物を使わないとな!」
「ヒロシ。それは1丁だけなのか?」
これはメルの質問だが、返答としては1丁だけということになる。基本的に自分が使うことを想定しているため、複数買ったりはしていないのだ。
「非常用ってことで、専用の矢も多く買ってないな。あ~……20本あるだけだ」
「そうか……複数あれば、標的を多方向から狙撃することも考えられたのだが。まあ、無いものは仕方がない。ところで……」
メルは弘の前に移動し、その顔を見ながら提案する。
「ダンサラス派幹部の狙撃について、私とノーマで1つ考えたことがある。いや、先程までの話に、幾つか修正を加えたものなのだが。聞いてみるかね?」
◇◇◇◇
夕刻。
大森林の中央集落。その大広場に、3人の男性エルフが転がり込んできた。
ダンサラス派の幹部1人を先頭として、続く2人は反ダンサラス派の幹部である。
この時、大広場には幾人かの子供と大人が居たが、幹部達が戻って来たのを見て氏族長……ダンサラスの家へと駆けて行った。そしてさほど間を置かずに、居残っていた幹部達が姿を見せる。人数としては4人で、その内訳はダンサラス派と反ダンサラス派が2名ずつだ。
ダンサラス派を前にして駆けて来た居残り組は、肩で息する3人に声を掛けようとしたが……。
ヒュッ……ドス!
3人が駆けてきた方から1本の矢が飛来し、戻って来たダンサラス派幹部の背に命中した。矢じりが胸から突き出ており、この一撃で幹部は死亡する。
「なんだこれは!? 何が……氏族長はどうした!」
「それが……」
戻って来た幹部のうち、反ダンサラス派の1人が膝を突きながら、居残りのダンサラス派幹部を見上げた。そこへ新たな矢が飛来したのである。
……ゾブッ!
今度は戻って来た反ダンサラス派幹部……今返事をしようとした者とは別の1人に命中した。幸いなことに狙いが逸れたのか、肩に矢が突き立っており、即死するには到らない。だが、その痛みは相当なもので、彼は一声叫ぶや肩を押さえて倒れ伏した。
この時点で広場に居た者の多くは、その場でしゃがむか、近くの物陰に非難している。中には広場から逃走しつつ、仲間を呼び集める者も居た。
「くっ! とにかく広場から出るぞ!」
「そ、そうだな!」
居残り組のダンサラス派幹部2人は、踵を返して駆け出す。倒れた反ダンサラス派のエルフらを放置しての行動だ。共に駆けつけた反ダンサラス派の幹部は、2名とも逆方向……つまり、倒れたエルフ幹部に向かっているが、知ったことではない。
弓矢で狙われている以上、怪我人を抱えていては数人がかりであろうとも迅速な離脱は無理だ。また、あのダンサラス派幹部達が標的となってくれれば、その間に自分達は逃げられるかもしれない。
そう言った打算により、身軽な状態で逃げたダンサラス派幹部達。彼らが無事逃げ切れたかと言うと……。
……ズドッ!
前を走っていたエルフ幹部の背に矢が突き立ち、一撃の下に射殺してしまった。
「ひ、ひいいいいっ!?」
残る1人は、その場で這いつくばり、匍匐前進のように遠ざかろうとする。
しかし、狙撃は更に続き、彼の周辺に幾本かの矢が突き立った。これでは動くこともままならない。
「お、おい! 貴様ら、これはどういうことだ!」
ダンサラス派幹部は、後方に残してきた反ダンサラス派幹部らを振り返る。氏族長らが祭事場の検分に出かけ、そろそろ帰ってくるかと思えば、6人付けた随行幹部が3人だけで戻ってきて、1人が射殺されてしまった。そして、更に居残り幹部が1人射殺され、今、自分は逃げることもできずに広場で釘付けにされている。
「早く説明せんか!」
「お、おそらく、商隊の報復だ!」
戻って来た幹部のうち、負傷していない方のエルフが、広場に取り残された他の者にも聞こえるよう大声で叫ぶ。
祭事場の検分中、十数人ほどの武装した人間が襲ってきた。いや、中には亜人も混ざっていたようだが、突然のことだったのでハッキリとは覚えていない。確かなのは、襲撃時に「街道で好き放題やってくれたな!」とか「たまには自分達が襲われろ!」などと口走っていたこと。そして、交戦の結果、敵数人を道連れにダンサラスが死亡したことだ。
「一緒に居た者も、3人まで倒された! それで指示に従って……」
広場に戻って最初に射殺された者の指示で、中央集落まで逃げ戻って来たのである。
「それを集落まで追いかけてきたというわけか! おのれ、ヒト族の商隊風情が報復だと! そんなもの、私が蹴散らしてくれる!」
這いつくばっていたダンサラス派幹部は、叫ぶなり立ち上がった。そして両腕を振りかざして精霊を呼び始める。周囲に落ちた木の葉が舞い上がっているので、風の精霊魔法を使う気なのだろうが、その口から精霊語が紡ぎ出されるや新たな矢が飛来した。
ドス!
クロスボウの太い矢が、幹部の喉を真正面から貫く。更には胸、腹と矢が突き立ち、ダンサラス派幹部は仰向けに倒れてしまった。
彼の死亡により、ダンサラスが元から引き連れていた氏族の幹部は全滅する。
そして広場のエルフ達が動き出すよりも早く、森……正確には広場の外縁から声が聞こえてきた。
「散々襲撃された商隊の恨み、覚えたか! エルフ共!」
「次に街道で悪さしたら、森ごと丸焼きにしてやるぞ!」
それだけ言うと、最後に高笑いを残して声は消える。その後、数分ほどしてから、広場の者達は近隣住居へと非難し、怪我人は手当を受けることとなった。もっとも怪我人は戻ってきた反ダンサラス派幹部の1人だけであり、彼以外で矢が当たったダンサラス派幹部の3人は全員が死亡している。
そして翌日。祭事場の予定地でダンサラス以下、4人の死体が発見されると、中央集落は本格的な混乱状態に陥った。
中央集落は元からダンサラスが連れていたエルフが多いのだが、氏族を率いて集落を運営できる者が居ない。何しろ氏族長や幹部が全員死亡しているのだ。そこで、かつて吸収された他氏族の主立った者が集まり、合議制で各氏族を取りまとめることとなる。
以後、この大森林に住むエルフ達は森から出ることなく、長い時を過ごすこととなった。
ダンサラスらを襲撃した者や、彼らを雇った者については、森に迷い込む者や、時折訪れる行商人に聞き込みをするに留め、積極的な調査は行われていない。誰もが、森の外へ出ることを恐れたからである。
また、ダンサラスの元からの氏族エルフについては、長きに渡って肩身の狭い思いをすることになった。そして不思議なことに30年も経過した頃には、1人も残っていなかったという。
◇◇◇◇
「サワタリさん。さっきは物凄い速さでクロスボウを連射してましたね! 凄いです!」
最後のダンサラス派幹部を射殺し、森の外へ向けて撤収していたところ。カレンが話しかけてきた。
「ああ、あれか」
ダンサラス派幹部の狙撃自体は予定どおり実施され、弘は広場を見渡せる樹上からクロスボウを撃っていた。弘が使用したのは、本来なら1射ごとに先端金具へ足を掛けて弓を引き絞るタイプの物。しかし、弘は軽々と手だけで装填作業を行い、通常のクロスボウでは有り得ない速さで射撃していた。確かに凄いだろうが……。
「けどよ、カレンも倍力鎧を着てるから、同じことができるんじゃねーの?」
走りつつクロスボウをアイテム欄に収納し、弘はカレンを見る。彼女が学生服の上に着込んでいる鎧。それは彼女の屋敷から発見された魔法の鎧だ。見た目は軽甲冑だが、効果は着用者の体格に合わせてサイズを変えること。そして着用者の筋力を、魔力を消費することで数倍化するというもの。ただし倍力効果は、使用後に膨大な筋肉痛を引き起こし、限界以上に魔力を消費すると失神状態に陥る副作用……欠点があった。
「そういや最近さぁ、カレンが筋肉痛で悶絶してるとこ見てね~よな」
「え? あ、あ~……」
カレンが困ったように笑う。彼女は「何でもないですよ。躰が慣れてきたんじゃないですか?」と続けるが、やはり態度が気になった弘は、後でシルビアに聞いてみることにした。彼女なら何かしら知っているだろう。
(カレンのことを他の女に聞くってな、どうかと思うが。聞いて大したことね~なら、それに越したことないしな)
周囲を見ると、グレースと偵察士のノーマが、遅れずについて走っている。他のメンバーは森の外で待っているはずだ。
グレースは事の顛末を見届けたいが為に同行しており、ノーマについては偵察士という職種柄、何か手伝えることがあるのでは……と同行を申し出ていた。そして、この時。グレースとノーマは、互いに目配せをして接近している。
(「ねえ? カレン様が倍力鎧を使って平気なのって、ちょっと前に聞いたあの話?」)
(「うむ。いよいよサワタリにバレるか……。隠してどうすると言いたいが……」)
双方、耳が良いため、森の中を走りながらでも、小声での会話に支障は無かった。
『あの話』や『いよいよバレる隠し事』とは、カレンが次第に倍力鎧の副作用を感じなくなってきていること。そして、倍力鎧の使用を繰り返す度、戦闘時に気分がするようになっていることだ。原因は不明なままだが、カレンの躰に異変が生じているのは間違いない。当のカレン自身は、弘には黙っているつもりのようだが。
(「まずいタイミングでバレたら、ヒロシが怒ったりするかもしれないわ」)
(「そう深刻な事態には並んだろうが。ふむ、ここは一肌脱いでおくか」)
カレンとの関係性が単なるパーティーメンバーと言うだけなら、本人の意思もあるし放置しただろう。だが、彼女はグレース達にとって『恋人仲間』なのだ。将来的には、同じ夫を持つ姉妹関係(?)になるかもしれない。
(「身内の問題だもの。クチバシを突っ込まないわけには……ねぇ」)
(「王都に戻ったらシルビアと相談して、カレンの背中を押すか。よし、ジュディスとウルスラも巻き込もう!」)
メルに関しては男性だし、弘の恋人でもないので保留だ。しかし、彼の魔法知識は頼りになるため、場合によっては参加して貰うこととする。
そこまで話をまとめると、グレース達は前を走る弘の背を見た。
それは異世界から来た召喚術士の背だ。本人は不良の召喚術士だと言って自嘲しているが、彼の言動や活躍に心惹かれ、幾人もの女性が彼を慕っている。
(「我はな、燃える娼館から救われ、彼に身請けされたときから。我の全ては彼の物だと思っていた。無論、惚れてもいたぞ? だが、皆の協力もあってのことだが……今日、氏族の仇討ちが果たせた。もう我は……サワタリの……ヒロシの背しか見えぬよ。他の男など考えられん」)
(「ふぅん。そぉ……」)
グレースの想いを聞かされ、ノーマは少しだけ羨ましいと思った。
弘に付き従う女性達は、いずれも弘との関係を積み上げた結果、思慕の情を抱くに到っている。
刑罰に耐える弘の姿に惹かれ、それから行動を共にし恋するようになったカレン。
先に本人が述べた経過をたどり、恩義から思慕恋慕へと発展したグレース。
弘を慕うカレンを見ているうち、自身も弘に惹かれていったシルビア。
最初は険悪だったが、幾度か行動を共にするうち意識するようになったジュディス。
オーガーの森で危機を救われ、自分のために身を投げ出した弘に心奪われたウルスラ。
皆、異性として弘を慕う切っ掛けやプロセスがあった。
だが、ノーマは違う。冒険中、弘に助けられたことはあるし、カレン達との仲を見せつ
けられて嫉妬したこともある。だが、彼女本人が言うところでは、最初は好印象と打算によって弘に接近したのだ。
(大物になる見込みがある男にくっついていく。カレン達が居るのに弘を諦めなかったのって、それが理由なのよねぇ。……まあ実際、いい男だとは思うし)
時折、弘との触れあいや会話の中で、小娘の様にドギマギしてしまうことも確かである。世間一般では、それを惚れていると言うし、あるいは気があると言うのだろう。だが、弘に告白をし、弘から恋人として受け入れられた今となっても、ノーマは自分が弘に対して本当に『恋愛感情』を抱いているのか自信が無かった。
(だって私、子供の頃から盗賊ギルドで育ったし。周りの男共とは腹の探り合いとか、得物の奪い合いしかしてこなかったし……)
つまり、誰々を好きになるといった経験が、ノーマにはまるで無かったのだ。
よって弘に対する胸高鳴る感覚も、あるいは気の迷いではないか……と思ってしまう。
カレン達は弘と良好な恋人関係を楽しんでいるというのに。あの堅物宗教、光神の信徒シルビアでさえ、自分の気持ちに正直に従っているというのに。
(「何やってるのよ、私。シルビアを焚きつけて、便乗する形で恋人候補に名乗り出たのだって。豊かな将来のためなんだから。でも……この気持ちは……」)
いっそ、抱かれてしまえば、ハッキリするのだろうか。
グレースに聞いてみたいところだが、そこは女としてのプライドが許さない。
「はあ……。うじうじ悩むなんて、私らしくないか……」
「どうかしたか?」
ノーマが声のボリュームを上げたので、グレースも囁くことを止める。その彼女の顔を見ながら、ノーマはニッコリ笑った。
「決めたわ。私、王都に戻ったらヒロシに抱いて貰うの」
◇◇◇◇
森の外へと出た。時刻的には、もうすぐ日没で夕暮れも終盤と言った頃だ。
カレンとシルビア、そしてウルスラとメルは、弘が事前に召喚したトーチカの中で待機している。大型の狼や、刺々しい大型スズメバチが数体たかっていたものの、弘がM60機関銃を召喚し、すべてを射殺した。スズメバチは中々硬かったように思うが、弾種をM993徹甲弾に変更したところ、難なく射殺できている。
そうしてトーチカ外部のモンスター集団を排除し終えると、中からカレン達が出てきた。先頭切って弘に飛びついたのはカレンである。
「サワタリさん! お帰りなさい! 上手くいきました?」
「たりめーよ! これでグレースが、後から仕返しされるってのは……あんまり無いのかな?」
抱きついてくるカレンの頭を撫でながら、弘は呟いた。
ダンサラスは倒したし、彼についていた幹部エルフも全員殺害している。後は反ダンサラス派だった幹部エルフが、ダンサラスの元からの氏族エルフを上手く仕切ってくれれば、何の問題も無いはずだ。
「これだけ手間かけたんだ。上手くいって欲しいよなぁ。メル?」
弘はトーチカの入口、シルビアとウルスラの後ろから姿を現した魔法使いに呼びかける。
今回の冒険依頼、グレースの氏族の仇討ち。それは街道を脅かす野党エルフに痛撃を与えるものだったため、特別に依頼受理されたものだ。
グレースが依頼をし、弘達が請けて行動に出る。
その締めくくりに、今後、大森林のエルフ達がグレースにちょっかいを出さないよう手を打ったのだが、最終的に行動案を考えたのはノーマと、このメルだった。
ダンサラス死亡の後、捕縛したダンサラス派エルフ4人を眠らせ、1人だけ残して殺害。
弘達は角度的に見えなくなる場所まで移動し、召喚したトーチカにカレン、シルビア、ウルスラ、メルが入って待機を開始する。弘とグレース、そしてノーマは、先に中央集落の外縁部……大広場の近くまで行き、樹上待機となった。
やがてダンサラス派幹部が意識を取り戻すと、2人の反ダンサラス派幹部が「あのヒト族達が、他の幹部を殺したのだが……」と説明を始め、泣いてすがって途中で勘弁して貰ったと嘘の説明を行う。
ダンサラス派幹部は半信半疑であったが、ともかく中央集落に戻って事の顛末を知らせなければ……という説得は受け入れ、連れだって森へと入って行った。
そうして大広場まで到達し、居残りの幹部が姿を見せたところで、弘がクロスボウによる狙撃を開始。真っ先に戻ったばかりの反ダンサラス派幹部を射殺しているが、これは彼が余計なことを口走る前に始末したのだ。残る標的も当然ながらダンサラス派幹部のエルフとなり、誰がダンサラス派かは衣装の紋様で判別できるため、グレースが標的を指示している。
にもかかわらず、戻って来た方の反ダンサラス派幹部に矢を当てているが、これは事前の打ち合わせどおりだ。1人ぐらい怪我をしなければ怪しまれる……という理由によるもので、これは怪我人役を買って出たエルフの策である。
かくしてダンサラス派のエルフ幹部を全て倒した弘は、最後に「商隊の恨みを~」と脅しを入れた。あれはグレースの風の精霊魔法によって、弘の声を震わせ変声させたものだ。弘としては自分の演技力に自信なかったものの、その場に居たグレースやノーマからは充分だと評価されている。
「反ダンサラス派のエルフだけ戻ったのでは怪しまれると、ダンサラス派の捕虜を1名、殺す前提で逃がしたわけだ。これは、ノーマの発案を私なりに練ったものだが。私はてっきり、弘が反対するかと思ったぞ」
それとカレンやシルビアもな……とメルは、軽く笑いながら言う。芝居を打つために必要だったとは言え、殺す前提で逃がすのだから、嫌がられるかと思ったのだ。
「えぐい作戦だったけど。まあ、しかたねーじゃん。連中も、それなりに悪事は働いてたんだし」
「この仇討ちを戦だと見た場合。捕虜を活用するのは当然の行為です。それが非道過ぎなければ……ですが」
「私もシルビアと同意見だわ。」
弘の言葉にシルビアとカレンが追従する。別に愛しい弘が言うのならばと同調したのではなく、本心からそう思って言っているようだ。
「なるほど。そう言ってくれると私もノーマも気が楽でいい。では、後は王都に戻り、依頼完遂の報告を冒険者ギルドにするとしよう」
今回の依頼では、依頼人のグレースが依頼遂行に同行しているため、彼女自身の報告があればギルドによる検査は省略できる。報酬はグレースの支払った依頼料から、ギルド側の手数料を引いて支払われるため、ギルドには何の損害も出ないからだ。
「王都側が~、弱体化した大森林のエルフ氏族を本格的に討伐する……というのはありそうなのかしら~?」
ウルスラが人差し指を下顎に当てて言う。
その可能性は確かにあった。しかし、ノーマが大丈夫だと笑いながら説明する。
「王都を出て街道移動をしたら、すぐに強力なモンスターが出現するわ。私達の場合は、弘やカレンが居るから蹴散らしていたけど。王国軍を出すとなると、一般兵……ああ、歩兵なんかも動員するわけ。騎士団だけ出したら経費がかかるしね。で、騎士様はともかく、一般兵が強いモンスターとまともに戦ったら損害が出るわけで……」
「あ~、なるほど。森へ着くまでに死人が出たりしたら、それが一般兵でも割に合わないってことか。かと言って少数精鋭で行ったら金もかかるし、騎士に死人が出たら大損害……。あ、騎士って下級貴族の位置づけなんだってな。そりゃあ駄目だわ」
納得言った弘は大きく頷く。
結論として、暫くは様子見ということになり、このまま大森林のエルフらが大人しくしていれば、即時討伐というところまではいかないだろう。
ただ、エルフ側の戦力が弱体化したことで、奴隷商人らに狙われる恐れがあったが、そこまでは弘達の関知するところではない。
「ま、取りあえずは終わりってことだ。グレース、良かったじゃ……」
弘の言葉が途切れた。駆けだしたグレースが、その胸に飛び込んだからである。
「サワタリ……」
「おう」
胸の中から呼ばれ、弘はグレースから漂う森の香り感じながら答えた。
(いい匂いだぜ~。あと、汗の匂いもな。……今度から、普段でも鎧着るの止めようかな……)
今は店買いの黒革鎧を着用しているが、着ていなければグレースの豊満な胸の感触を楽しめたのに……と弘は考えていたりする。
「主よ……」
「ん? おう」
グレースが呼び方を変えたので、弘は小首を傾げながら答えた。一方、グレースは暫くモゾモゾしていたが、やがて弘の胸に顔を埋めたまま呟く。
「ヒロシ……」
「お、おお? どうした?」
下の名で呼ばれ、弘は少し戸惑った。グレースは普段、弘をサワタリと呼ぶのだ。そして2人きりの時や、親しくしたい時などは主と呼ぶ。だが、下の名で呼ぶことは滅多にない。このような、他者の目がある場でなら尚更だ。
「グレース?」
なおも呼びかけると、グレースは泣きはらした顔を上げる。そして、そのまま爪先立ちし、弘に口づけた。
「ヒロシには、どう感謝して良いのかわからぬ。一度は娼館で腐り果てようと思った身。しかし、よもや我が氏族の恨みを晴らすことができようとは……。我は……」
スッと弘から離れ、グレースはその豊かな胸に手を当てる。
「改めて誓おう。ヒロシ・サワタリ。我のこの身も、この心も、すべてそなたの為にある。愛しき男よ。永遠の愛を捧げるぞ」
涙に夕日を映して煌めかせ、グレースは弘を見つめ続けた。弘はと言うと、グレースの美しさに惚けていたが、彼女が返事を待っていることに気づき、慌てて表情を引き締める。
「お、おうよ。どんと来いだぜ! 嬉しすぎて目眩がすらぁ!」
せっかくレベルアップして賢明度が1360もあるのだ。もっと気の利いたことを言いたいのだが、弘には性格上、こういったことしか言えなかった。
グレースは弘の返事を聞き、再び溢れた涙を指で拭っていたが、やがてニッコリ笑って「では、メルの言うとおり王都へ踊ろうではないか。ギルドへの報告を済ませ、今夜は宴会だ! 無論、我が奢らせて貰うぞ!」と宣言する。この場にジュディスが居たら、喜びはしゃいだかも知れないが、生憎と彼女は今王都だ。代わりにカレンとシルビア、それにメルが礼を述べ、ウルスラとノーマは心から嬉しそうに礼を言っている。
「おい、いいのか?」
ただでさえ弘のパーティーは人数が多めなのだ。王都に戻るとなればジュディスも合流するだろうし、全員分の飲食代となると……。
「かまわぬ。その程度の貯えはあるからな。ところで、主よ……」
名前呼びから主呼びに戻したグレースが、弘の服の袖を引っ張り、数歩ほど移動する。そしてカレン達が王都に着いてからのことを話し合っているのを横目で確認し、弘の頭の位置を下げせた。どうやら耳打ちしたいことがあるらしい。
(「王都に戻って諸々済んだら、その……別宿を取り、2人で泊まりたいのだ」)
その意味するところは、抱いて欲しい……だ。そこに気がついた弘は、二つ返事で了承。どこの宿にしようかなどと考え出す。
(「それとな、主よ……」)
グレースの耳打ちは、なおも続いた。
(「我が先という事になるが、王都に戻ったらノーマに優しくしてやってくれ」)
(「へっ? ノーマ?」)
不意に褐色の偵察士の名が出たことで、弘はカレン達の方に視線を向ける。カレンやウルスラは楽しげに談笑していたが、唯一人、ノーマのみが驚きの表情で弘達を見ていた。夕暮れも終わろうとしている頃なので判別しにくいが、どうやら赤面しているようだ。
「おい。それって、どういう……」
「頼んだぞ?」
グレースは弘から離れ、イタズラっぽく笑うとカレン達の方へと歩いて行く。
その後ろ姿……金色のポニーテールが、落ちかけた夕日を反射して光るのを見て、弘は頭を掻いた。
「なんだってんだ。……ま、いいか」