第百六十七話 来訪者
アパートほど安くはないが、マンションと言う程も豪華ではない。
(言ってみりゃ団地に近いのか? そこまでデカくね~けど)
これがジュディスの自宅……騎士宿舎を見た弘の感想だった。ちなみにカレン達、こっちの世界人の感覚では、立派な建物であるらしい。
夕べのドンチャン騒ぎの後。ジュディスと訪問時間を打ち合わせ、この時間……朝食を終えて暫くたった今の家庭訪問となったわけだが……。
「ヒロシ~ッ!」
玄関口でジュディスが手を振っている。
さすがに外泊までは許して貰えなかったそうで、祝勝会が宴たけなわになったあたりで帰宅していたのだ。
ちなみに、今の彼女は闘技試合を観戦していたときと同じ服装。弘は冒険者スタイル(黒服&革鎧)ではなく、黒基調の衣服を着用している。トレンチコートに見えなくもないが、走ると裾がバタバタとはためくので弘的にお気に入りの一品だ。
そして、お供の2人……カレンは学生服姿。シルビアは、いつもの尼僧姿である。
しかし何故、カレン達が同行しているのか。いや、違う。何故、カレンとシルビアだけが同行しているのか。
実のところ、弘は1人でジュディス宅を訪問する予定だった。
場合によっては『娘さんをください』的な展開もあり得るため、同伴者が居ては男らしさに欠けると弘は考えたのだ。
だが、その考えを宴会明け……ジュディスが帰った後で表明したところ、パーティーで弘の他に一人いる男性魔法使い、メルから意見が出たのである。
「そう思ったとおりの展開になれば良いが……。ジュディスの父親に煽られて、ヒロシが激昂したらどうするね? その場で取っ組み合いの喧嘩に発展したら? その場合、ヒロシが勝つだろうが、相手を……ジュディスの父親をのしてしまうのは不味いだろう」
彼曰く、もしものときの仲裁役として誰か連れて行くべきだ……とのこと。
弘は「俺、そんな気ぃ短そうに見えるか?」と渋面であったが、これに関して誰も肩を持ってくれなかったので、同伴者を用意することに納得するしかなかった。ただし、誰を連れて行くかの協議には関与していない。
「ああもう、わかったよ。誰が行くかは、みんなで相談して決めてくれ」
元々自分1人で行くつもりだったのを、お前だけだと不安だから誰か連れて行けと言われた。実際は、ここまでキツく言われたわけではないが、弘としては少しばかり不満が残ったのである。
少し拗ねた弘を見てカレン達は苦笑したが、せっかく弘が納得しているのだ。今居るメンバーから誰か同伴者を選ぼう。
全員でついて行く……のは当然ながら無理だ。大人数で押しかけたらジュディス側が迷惑する。
では何人で行くべきか。7人全員案は却下となったのだから、それ以下でとなると……。5人や6人はまだ多い。3人や4人でも少ないとは言えないだろう。
「そうなると2人か。まあ妥当なところだろうな。で、誰が行くのかね?」
呟いたメルは女性陣からの視線を受け、降参するように手を挙げた。
「私は遠慮するとしよう。騎士殿とは面識も無いし、他に適任がいるだろう」
メルに向いていた多くの視線が、ザザッと向きを変える。各自の目視対象はテーブルに着いた他の女性だ。が、誰も喋らない。暫し沈黙の時が流れ、最初に口を開いたのはグレースだった。
「我も辞退しよう。パーティーメンバーという線で同行は可能だろうが。やはりジュディスの父君と面識が無いのが問題だ。そういう意味では、メルが言ったとおり他に適任が居るだろうしな」
「私も辞退するわ」
挙手しながらノーマが言う。
「騎士様達の宿舎に行くだなんて……。なんて言うか背筋が冷たくなるのよねぇ。元盗賊ギルドの一員としては……」
これで残るはカレンとシルビア。そしてウルスラの3名だ。弘としては3人でも良かったのだが、ここでウルスラが辞退を申し出る。
「何回かお邪魔して追い返されたりしてるしぃ~。カレン様とシルビアなら、まだそれほど印象悪くはないと思うのぉ~」
この後、カレン達が辞退しなかったため、弘に同行するのはカレンとシルビアに決定したのだった。
「はっは。それじゃあ、中に入るとしますかねぇ」
弘がニィッと笑いながら振り返ると、カレン達は困ったような笑みを返してくる。弘が乗り気なので少し戸惑っているのだ。
一方、そのことが何となく理解できた弘は、内心で唇を尖らせる。
(んだよ? これから恋人の親父さんと対決するんだぜ? 気合いが乗ってて当然じゃん)
ジュディスの案内に従って宿舎に入った弘は、カレン達を連れ、リチャード・ヘンダーソン宅へ向かうのだった。
◇◇◇◇
「失礼。こちらにヒロシ・サワタリさんはいらっしゃいますか?」
弘達が出発して暫くしてから、何をするでもなくギルド酒場で居たグレース達。その前に1人の男が姿を現した。
フードを被っており、顔は良くわからない。着込んでいるのは魔法職の者が着用するローブなので、恐らくは魔法職なのだろう。ただ、気になるのは魔法職にしては杖の類を持っていないこと。
(我と同じ、精霊魔法の使い手か?)
そう思いつつグレースは席を立った。
「サワタリに何の用か? 今は不在だから……差し支えなければ、用件を聞いて伝えることは可能だが」
「酒場の冒険者から、このテーブルに居るのが彼のパーティーメンバーと聞いたもので。そうしても良いのですが……」
ローブの男は下顎に手をやる。物腰は穏やかで、顔を見せない以上の怪しいところはない様だ。もっとも顔を隠すこと自体はグレースやノーマも時折やっているし、冒険者であれば事情もあるだろう。特に文句を付ける点ではない。
「ところで……」
双方に微妙な沈黙が生じたところで、メルが座ったまま男に質問した。
「どちら様なのかな? まだ名乗って貰えてないが……」
「ああ、これは失礼を……」
男がフードを取る。現れたのは黒髪の美男子。二十代後半と言ったところだろうか。前述したとおり、かなりの美男子であり女性にモテそうだ。が、これを男性から見た場合……気障ったらしい目つきと笑みが大いに不快である。
(それにだ。フードを取った瞬間から、グレースらを舐め回すように見ているのがわかる、うちのパーティーメンバーに妙なちょっかいを出さなければいいが……)
メルは自分のみ名乗りながら、チラリとグレース達に目をやった。
グレース達は憮然としている。やはり男の視線が不快なのだろう。女性陣からの負の反応に気づいているのかどうか、男は胸に手を当て自己紹介をした。
「私は、キオ・トヤマ。冒険者をしておりまして職種は……魔法使いです」
「ほぉ。最近、王都でよく聞く名だ。闘技場では大層な強さを披露したそうだが……」
メルが大袈裟に驚いて見せたところ、キオは満更でも無さそうな顔をする。どうやら、おだてに弱そうだ……と分析するメルであったが、同時に「ヒロシも、おだてられると弱そうだな」と考えてしまった。
軽く頭を振ったメルは、弘達が居なくなったことで空いている席を指し示す。
「すでにメンバーの女性が言ったが、サワタリに用件を伝えるのは可能だ。立ち話もなんだし……座ってみてはどうかな?」
「いえ、サワタリ氏と直接に話してみたかっただけですから。ここはこれで失礼します」
キオは、メルの誘いには乗らず一礼した。そのまま去ろうとしたが、去り際に一度振り返っている。
「あ、そうそう。そちらのパーティーは、どうも大人数の様子。色々と不便でしょう? もし良ければ、女性の方のみ限定となりますが……私のパーティーに移籍することをお勧めしますよ。では……」
◇◇◇◇
「……とのことだが。私以外の勧誘された皆はどう思うね?」
席に戻ったメルは、グレース達を見まわしながら言い……言い終わりにニッコリ笑う。その笑みは親しみに満ちているが、何処か愉快そうであった。
そして聞かれた側の女性らはと言うと、一様に嫌そうな顔をしている。
「人数が多かったら不便? 余計なお世話よねぇ。しかも、それを理由に自分のパーティーに引き抜くとか……」
片手で頬杖突くノーマが、言い終わりにハンと鼻で笑った。それを引き継ぐように、今度はウルスラが頬を膨らませる。
「失礼よね~。この場にヒロシが居たらぁ、きっと酷い目に遭わされちゃうんだから~」
「まったくだ。初対面だと言うのに凄まじいまでの厚顔ぶりだな。加えて言うなら恥の心も無いと見える」
口調こそ落ち着いているものの、グレースの言いようが一番キツい。
メルは「どうやら皆、移籍の意思は無いようだな」と確認しようとしてやめた。聞かずとも解るし、今それを言ったら自分に飛び火しかねない。そこで話題を変えることにした。
「彼の人となりはともかくとして。キオ・トヤマか……。確か、ヒロシが自分と同じ召喚……んんっ……同郷の者かも知れないと言っていたな」
先日、魔法学院で弘に勧誘されたメルは、ここまでの間に何度か弘と会話をしている。それは、どういった召喚品が増えたのか……とか、王都での噂話と言った雑談に近い情報交換だ。その際、弘がキオ・トヤマについて言及し、恐らくは……という前置きを付けて話したのである。
「へえ。興味深いわねぇ。じゃあ、あの気障男。ヒロシと同じことができるって言うのかしら?」
「王都での噂を聞く限りでは、氷を主体とした召喚をするらしいがね」
ノーマの呟きに反応したメルは、言い終えてから少し考えた。
弘と同じことができる召喚術士。本当に、そうなのだろうか。
「私がヒロシから聞いた話だと、イヌカイという召……術士は、炎に関連する召喚を行うらしい。……グレースは精霊魔法で炎の精霊を召喚できるかね?」
「我か? 可能だ」
話を振られたグレースは一瞬戸惑ったようだが、すぐに返答する。
彼女は森の精霊系種族、エルフだ。しかも、かつては氏族長を務めたほどの実力者である。
「我の場合、その辺のエ……ゴホン……精霊使いよりは精霊魔法に通じているつもりだ。主に風系が得意ではあるが、炎の精霊だとてある程度は使役できるぞ?」
「なるほど。では重ねて聞こう。イヌカイは炎の弓兵を召喚したそうだが。こういった精霊魔法は使えるのかな?」
「なに?」
グレースが目を細めた。
彼女は数秒ほど黙っていたが、やがて右隣で座るメルを見て言う。
「使えない。というよりも精霊魔法で召喚できるのは、風系であればシルフであったり、炎系であればサラマンダーだったりだ。そして我の知る精霊魔法の中に、炎で構築された弓兵を使役するものは……無い」
「そうなのか?」
メルが確認し、それを受けたグレースが頷いた。
「うむ。聞いたことすらないな。上位精霊であれば、炎の魔神……イフリートなどが存在するが……」
「つまり、従来では知られていない炎の召喚物か」
「あの~……つまりぃ、どういうことなの~?」
挙手しながら口を挟んだのはウルスラ。魔法ギルド系の魔法や、精霊魔法に詳しくない彼女は話についていけなくなったらしい。
メルとグレースは顔を見合わせたが、やがてグレースが、手の平をクイッと持ち上げるような仕草を見せた。メルに説明を任せたいらしい。
「あ~、要するにだ。ヒロシが話していたイヌカイ氏は、彼と同郷者である可能性が高いということだ。何しろ、こっちの世界では存在しない魔法を使うのだからな。もう1人、サイオンジと言う男性は、石の召喚じゅ……ではなかった、魔法を使うとのことだが……」
ここでメルがグレースに視線を向けると、グレースは肩をすくめて見せた。
「石のナニかを召喚するなど。炎の弓兵以上に知らぬ話だ。まあ、その者もイヌカイと同じと見て良いやもしれんな」
「そういうことだ。そして今の話で……」
トントントン……。
メルの人差し指がギルド酒場のテーブルを叩く。
「我らがパーティーリーダーの正体……いや、その立ち位置が良くわからなくなる」
「どういうこと? ヒロシもイヌカイと同じ術士なんでしょう?」
メルの右隣で居るノーマが首を傾げた。今の話で、どうしてヒロシの正体がどうと言った話につながるのか。彼女はグレースを見たが、返ってきたのは首を横に振る仕草だけだった。ウルスラも理解が及ばない様子で、そうなるとメルの説明を待つしかない。
「ふむ。場所が場所なので大きな声では言えんが……。つまりこうだ。イヌカイは炎のナニかを召喚する。サイオンジは石で、トヤマは氷。そうだったな?」
先程までより僅かに声を小さくしながら、メルは語り出した。グレース達は黙って聞いていたが、続くメルの言葉を聞いて互いに顔を見合わせることとなる。
「では皆に聞こう。ヒロシ・サワタリは、いったい……何の召喚術士なのだ?」
「何の……って、そりゃあ……。あ、あれ?」
苦笑しながら言いかけたノーマが、その台詞を中断した。
確かにメルの言うとおりだ。炎の召喚術士、石の召喚術士、氷の召喚術士。ときて、では弘の召喚術は……いったい何なのだろう。
「今日までヒロシを見てきたところ、様々な道具を召喚する能力。それが異世界から来た召喚術士なのだと、私は考えていた。だが、ヒロシが言うところの同郷者を見る限り、炎や石など、特定の現象や物体に由来する召喚しか行えないようだ。そうなると……」
特定物や、それに関係するモノしか召喚できないのが『召喚術士の特徴』だとしたら、弘は、その特徴から外れた存在ではないだろうか。
「もしかすると、ヒロシが召喚術士という話さえ怪しくなってくるぞ」
「サワタリが……我らに嘘をついていると?」
グレースの声が硬いものになっている。が、メルは手の平を振りながら即座に否定した。
「いや、切り札的な召喚物を隠しているとは思うが。根本的な嘘はついていないだろう。第一、異世界から召喚された召喚術士と言うだけでも、私達からすれば希少かつ特別な存在だ。その中でも更に特別と来たら……」
メルは口の端を、笑みの形になるよう持ち上げる。
「とっくの昔に、彼は自慢げに語っているだろうよ。俺は、特別に特別な奴なんだ……とね」
その言い回しが似ていたので、テーブルに着いたパーティーメンバーらは苦笑した。
メルの言うとおりだ。普段の弘が気を遣っているように、無闇に言いふらしたりはしないだろうが、少なくともパーティーメンバーには本当のことを言うはず。
そう判断したグレースらは、納得いったと頷くことで示した。
実のところ、弘自身も似たような考察をしたことがあり、メル達がそうだったように召喚術のタイプを特定できていない。そこで自嘲する意味も込めて、チンピラを揶揄した『不良の召喚術士』などと考えていた。これをグレース達に話していないのは、冗談半分で決めたため、少々照れ臭かったからである。
「これ以上は私達だけで話しても解答を得られまい。ヒロシが戻って来たら、本人に直接聞いて、諸々を確認するとしよう。もっとも彼は彼で既に考えてるだろうがな。なにせ自分自身のことだ。ところで……」
一つの話題を締めくくったメルは、咳払いをしてからグレースを見た。
「トヤマとの一件に関しては、どの程度までヒロシに話そうか? ありのままを聞かせると、ヒロシは怒ると思うのだが……」
「うっ……」
グレースが呻く。呻いただけではない、その顔が強張ってもいた。
(やはりな。ヒロシが怒るとチンピラのノリになるだろうが、ただのチンピラならばともかく……それを恋人がやると怖いのかもしれん)
メルはグレースの内心を推察すると、小さく溜息をつく。
「まあ、話しづらいだろうし。私が彼と2人の時に……」
「良い……な」
「はっ?」
グレースの口から出た台詞が理解できず、メルは間の抜けた声を発した。彼が思考停止に陥り、そこから復帰するまでに、今度はウルスラ達が口を挟んでくる。
「あ~、やっぱり~? グレースもそう思うのね~。恋人にちょっかい出されて怒る男の人って素敵~」
「それが自分の彼氏なら尚更か。確かに……グッとくるわね」
どうやらノーマもグレース達と同意見らしい。
軽い目眩のようなモノを感じ、メルは手の平で顔を押さえた。
(ノーマやウルスラならまだしも、グレースまでもが小娘のような反応を示すとは……)
ズズッと手の平を下にズラし、指の隙間からグレース達を見てみる。グレースらはメルを気にせず、弘の反応や対応の予想で盛りあがっていた。
(仲が良くて結構なことだ……としておくか。しかし、この場に居ないカレン達も、同じようなことを言うのかな。ふむ……)
暫し黙考したメルは、声に出さず呟いている。
(同じ……だろうな。シルビアは別と思いたいが……)
光の神の信徒である彼女は、基本的にお堅い。しかし、弘のこととなると、どうにも普通の女性として振る舞いがちである。そしてそれは、恋人として弘に受け入れられてから、より顕著になっていた。
「早く戻ってきて欲しいものだ……」
どうも若い娘さんの相手は苦手。それを再認識したメルは、軽く溜息をつくとギルド酒場の入口に目をやるのだった。
◇◇◇◇
ジュディスの案内で宿舎に入り、弘達はヘンダーソン家へと入って行く。
内装は質素ではあるが落ち着いた雰囲気で、どことなくギルド宿に雰囲気が似ていた。もちろん、こちらの方が金は掛かっているようだが……と、短い廊下を歩く弘の目に、1枚の扉が見えてくる。
「ジュディスの部屋……だったりしてな」
そう呟いたところ、先頭を歩くジュディスの肩がピクリと揺れた。
「な、何でわかるの?」
「いやほら、宿舎だから床面積とか余裕無いだろうし。個室があったら誰かの部屋かと思うじゃん?」
「うっ……当たってるけど……。そうなんだけど……」
確かに宿舎は狭い。一戸建てでもなければ、カレンの家のようにお屋敷でもない。だが、恋人たる男性に自宅の狭さを指摘されたようで、ジュディスは恥じていた。
「あの……サワタリ殿?」
さすがに見かねたシルビアが口を挟む。
「サワタリ殿は、こういった宿舎はお嫌ですか?」
ジュディスが聞こうと思っても聞けないことだ。第三者かつ、恋人であるから、このタイミングでこういう事を聞ける。
ここまで黙っていたカレンはと言うと、ハラハラしながら見守っているが、肝心の弘はキョトンとした表情になった。
「いいや、別に? だって普段から野宿とかギルド宿で泊まってるからな。2~3人で住むなら、こういう宿舎もありだと思うぞ? ただ……」
ただ……。
宿舎に肯定的なことを言っていた口が「ただ……」と言う。これを聞いてジュディスの顔が強張ったが……。
「このまま行くと、俺は嫁さん6人と同居するわけだし? 子供も産まれるって考えたら……やっぱ家は広い方がいいよな!」
笑いながら言った弘の言葉に、ジュディスの目が丸くなる。それはカレンやシルビアも同じで、3人とも視線を交わした後で俯いてしまった。ちなみに皆、顔は真っ赤である。
「あん? どうかし……」
「今、嫁がどうとか聞こえたのだが……」
奥から男の声がした。
廊下の先にある広間。その入口付近で1人の男が立っている。
金髪を短く切りそろえた軍服姿。年の頃は30代前半と言ったところだ。
「ジュディスの親父さん……かな?」
「はじめまして。私がジュディスの父、リチャード・ヘンダーソンだ。カレン君にシルビア君も、ようこそ」
数歩進んで手を差し出してくる。その手を握りながら、弘は「どうも、お邪魔します。冒険者のヒロシ・サワタリです」と自己紹介を返す。
(しかし、前から思ってたけど『へんだぁそん』ねぇ。ジュディスの家の名前とかって、欧米風なんだけど、あまりゲームとかじゃ聞かない感じだよな)
西洋風ファンタジーな世界に来たのだから、それもありなのかな……弘は思っていた。だが、一方でゴメスのように、スペインやポルトガル系な名前の者も存在する。随分と統一性が無いような気がするのだ。
(ムーンのパーティーにサイードがいたけど。あの人はアラビア風な名前だもんな~)
色々と国があるようだし、国が違えば言葉や名前も違うのだろう。
(元の世界でもそうだったし、そういうものなんだろうな)
適当に結論づけ、弘はリチャードから手を離した。そうして案内された部屋は、それほど広くはない。日本人的な感覚では5畳部屋と言ったところだ。しかし、差し向かいの簡易なソファと、膝高ほどのテーブルが用意されている。
(壁に絵をかけてあって、隅には花台と花瓶……。う~ん、日本でもよくある御家庭の応接セットだ……)
豪華ではないが、宿舎の一室であること考えれば上出来だと弘は思った。
「さあ、座って。用件はだいたい解っているんだが……」
そう言ってリチャードがニコニコ……いや、幾分ニヤニヤが混ざった笑いをする。事前に情報を得ている者の余裕だろうか。少しばかりイラッと来た弘はジュディスを見た。すると、彼女は気まずそうに目を逸らす。
(別に、そこまで怒っちゃいね~し。……ったくよぉ)
ジュディスが父の尋問に屈したせいで、このような態度を取られているのは事実だ。確かに腹は立つが、ある程度は予想できていたし、何より……。
(平常心平常心。今日は恋人の実家に挨拶に来てるってことを忘れんなよ……俺)
スウと息を吸ってから勧められるまま、ソファに腰を下ろす。
入口から奥の方に弘。その隣りにカレンとシルビアが着席した。対するリチャードは弘の真正面で、その隣にジュディスを座らせている。
「まずは、昨日の試合について『おめでとう』を言わせて貰おうか。大した強さだ。王国の騎士でも、君と1対1で勝てる者は少ないだろう」
「そりゃ……それは、どうも……」
言葉少なに返しながら、弘は内心で小首を傾げた。
先日の試合を見てもなお、自分に勝てそうな者が居るとリチャードは言う。本当なのだろうか。
(試合じゃあ大型の銃とか出したけど、デカい大砲や爆弾は出してない。戦車なんかを出して自律行動で暴れさせたりもしてない。試合内容だけ見て判断してるんなら、親父さんが言う奴ら相手でも負けない思うんだけどな)
問題は、この国の騎士のほとんどが魔法武具使いということだ。カレンが増力鎧を使っていたりするぐらいだし、リチャードだって何かしら魔法武具を持っているのだろう。
(よく知らん魔法アイテム使いか。そんなの向こうに回すんなら、やっぱ油断できねぇわ)
少し気を引き締めていると、リチャードが話題を変えてきた。いや、本題に入ったと言うべきか。
「さて、今日は呼び立ててしまって申し訳ない。サワタリ殿に聞きたいことがあってね」
「こっちも話したいことがあるんで、願ったりかなったりっすよ」
いささか敬語に疲れてきた弘は、口調を砕けたものに変える。リチャードも機嫌を損ねたりせず、話を続けるつもりのようだ。
「事情の概ねは娘から聞いているんだが……。単刀直入に聞こう。君は娘を……ジュディスをどうしたいのかね?」
「どうしたい……って。むう……」
話が早くて助かるが、こうもズバリと聞かれると即答しかねる。いや、既に答えは決まってるのだが、少しばかり切り出し方を考えたいところだ。と、ここでジュディスを見ると、上目遣いで弘を見ている。その目は非常に不安そうで、今にも泣き出しそうな様子だった。
チラリと視線を左に向けると、カレンとシルビアが弘を見ている姿を目にすることとなる。
(おいおい、みんなして不安か? 俺がジュディスを諦めるようなこと言うと思ってんのかよ?)
実に心外だ。だから弘はリチャードに言ってやった。
「……娘さん……お嬢さん……いやあ、ジュディスをね。自由にしてやりたいんすよ。今、休学して自宅謹慎中だって言うじゃないすか」
「確かに。娘は休学中で謹慎中だ。しかし、それはそうなるだけの事情あってのことだし。我が家の家庭事情について、君が口出しする権利はあるのかな? ん?」
余裕綽々。実に和やかでいて……からかうような物言い。
(この野郎。ジュディスから聞いて知ってるくせしやがって……)
またもやイラッとしてきたが、これを気合いと根性で押さえ込み……弘は口を開いた。
「権利なら大ありっすよ。なにせ俺は今ジュディスと交際中でしてね。いずれは娘さんをくださいって話もしようってんだから、恋人の窮屈な様は見てられない。だから、これまでの不都合を無かったことにしろとか言う気はね~……ないっすけど。ちょっとは扱いをゆるめにしてやってもいいんじゃないっすかねぇ」
ここまで言い切ると、ジュディスが顔を上げて嬉しそうにし、カレンとシルビアからホッとしたような気配を感じる。一方、リチャードは僅かに感心したような表情を見せていたが、すぐに引っ込めて作り笑顔を浮かべた。
「ほう、交際中? 初耳だな」
「それ嘘っすよね? てゆうか、そろそろ腹の探り合いとかやめて、話を進めません?」
自分はジュディスを自由の身にさせるために来たのだ。呼びつけたのはリチャードだが、彼の方で用件があるのなら早めに済ませ、自分の目的を果たしたいのである。
急かす弘を見たリチャードは肩をすくめると、ソファの背もたれに体重を掛けた。そして天井を見上げる。
「余所の男が娘を自由にしろと……いや、貰いに来た。父親としては、もう少し駆け引きを楽しみたいところなんだが……」
「……どうかしたんすか?」
単に娘の彼氏を警戒しているのではないらしい。他に何か事情でもあるのだろうか。
ソファに座るカレン達を見ても、解らないと首を横に振るばかりだ。
「ヒロシ・サワタリ君。君……本気でジュディスのことが好きなのか? 娘を一生面倒見る気はあるのか? そこのところ……どうなんだ?」
「え? そりゃあ好きだし、嫁さんにしたら大事にするし、頑張って働いたりしますよ? 大マジっす」
弘とリチャードの視線がぶつかる。周囲ではジュディスがこの上なく幸せそうな顔をしたり、カレンとシルビアが羨ましそうにしたりしていた。が、リチャードから目を逸らすわけにはいかないため、弘には見えていない。
睨みあい、あるいは意思のぶつけ合いは数秒間継続したが、やがてリチャードが笑みを浮かべて溜息をついた。
「なるほど。真面目なお付き合いをしているようだ。娘を任せるにも実力は申し分ないし……。まあ、ジュディスが良いのなら私は構わない。学院も……まあ、復学するよりは自主退学とかして、冒険者でやっていくのがいいのかもしれんしなぁ」
「随分と理解のあること言うじゃないっすか。ジュディスが喜びのあまり、気絶しそうになってるんすけど?」
弘が指摘したように、舞い上がったジュディスは顔を真っ赤にしたまま過呼吸になったかどうか、少しばかり咳き込んでいる。その背をポンポンと叩きながら、リチャードは苦笑した。
「理解がある……か。私の立場であれば、本当は『何処の馬の骨とも知れぬ輩に、娘はやれん。お引き取り願おう!』とか言うべきなんだろうが……。この際、言ってしまうと……」
リチャードは言う。自分は騎士階級とは言え、貴族としての暮らしに嫌気が差している。家同士の腹の探り合いや対立などは、どうも性に合わない。正直言って、何もかも放り出して若い頃のように冒険者生活を送りたいが……。
「何しろ養父に対する義理があってね。ヘンダーソン家を放り出すわけにはいかないのさ」
「父様……」
父の苦悩を初めて知ったジュディスが、心配そうにリチャードの横顔を見つめる。それに対し、リチャードは軽く手を振った。
「気にしないでいい。これは私個人の都合や事情だ。家の存続に関しては、まあ養子縁組か何かをしても問題ないわけだし。私の方で何とかするよ。肝心なのは、ジュディス。お前が幸せに……いや、せめて後悔しないような人生を歩んでくれれば、それでいい。今日、サワタリ殿を呼んだのも、娘を任せられるかを確認したかったからさ」
この時点でジュディスがボロボロと涙をこぼして泣き出したが、彼女に関しては席を立ったカレン達が慰めているのに任せ、リチャードは会話を継続する。
「あるいは、下位でもいいから貴族の世界に押し込めておいた方が、ジュディスは平穏無事に過ごせるのかも知れんが……。このとおり、私に似てしまっているものでね。お転婆なんだ。サワタリ殿も苦労すると思うよ?」
「苦労……って、ちょっと父様……」
娘が抗議しようとしたが、すでに喋り出していた弘がその声を掻き消した。
「いや~、出会いからして難儀したもんで。その辺は覚悟してるっす」
「って、ヒロシも!?」
ソファから腰を浮かせたジュディスが抗議するも、男2人の会話は止まらない。
「出会い? その辺はジュディスから聞いてなくて。良ければ教えてくれるかな?」
「これが傑作なんす。俺が冒険者登録するってんで、そこのカレンに引率されて冒険者ギル……」
「わぁあああっ! 駄目ぇえええ! もがががっ!?」
大声で妨害しようとするジュディスであったが、先程まで慰め役に回っていたカレンが押さえ込む。シルビアはと言うと、こちらは我関せずと言った様子で、横を向いていた。
「か、カレンちゃん。どうして止めるのっ!?」
「え? え~……と。面白そうだから……かな。てへへっ」
「カレン様……」
シルビアが口を挟み、カレンに対するお説教が始まるのか……と思ったらしいジュディスの表情が明るくなる。しかし、そうはならなかった。
「カレン様。一応、サワタリ殿に聞いておいた方がよろしいのでは?」
「それもそうね!」
「ちょっとぉ!?」
ジュディスは言う。「サワタリさん? お話の間、ジュディスちゃんを止めておきましょうか?」と。弘は一瞬困ったような顔になったが、すぐに「仲良く頼むな~」とだけ言ってリチャードとの会話に戻っていった。
「みんな、ひどい~。あ、こら! ヒロシ! 聞かれるまま喋っちゃ駄目だって! うわああああん!」
その後暫く、応接間にはジュディスの悲鳴が木霊するのだった。