第百六十五話 召喚術士の実力
「なんだアレは……魔法なのか?」
ジュディスの隣りで、父……リチャードが絶句している。
闘技試合が開始される前。ヒロシ・サワタリなる冒険者は、貧相な装備の戦士にしか見えなかった。リチャードとて、弘がディオスク闘技場で10連勝したという噂は聞いている。聞いてはいるが、ここは値の張る装備か魔法具、そういった品で身を固めた者が戦う王都闘技場なのだ。歴戦の騎士たるリチャードと言えど、偏見の目を向けざるを得ない。
だが、試合の開始直後、ゴブリンとの戦いにて彼は目を剥くこととなる。
相手は、たかがゴブリン。それが20体いたとしても自分は勝利する自信があった。しかし、先程見た弘のように戦うのは無理だ。ゴブリンを蹴り飛ばしたり殴ったり、似たようなことはできるだろうが、パワーの点で自分は弘に劣る。そして、囲まれた状態となると、もはやお話にならない。
(背後から1発くらって、体勢を崩し……袋叩きか……)
そう、この時点でリチャードは、弘が自分に勝る戦士だと認めたも同然だった。
だが、弘の戦いは終わらない。
ゴブリンを殲滅した後、対戦者側が本格的に行動を開始。最も優速なサンダーウルフ5体が迫るものの、ここで弘が召喚術士としての戦いを始めた。
超大型拳銃……パイファー・ツェリスカを召喚するや、馬車ほども大きなサンダーウルフを次々に射殺。同時に召喚した刀……同田貫で斬り殺したりもする。この武器や魔法具を何処からともなく取り出す様が、リチャードには魔法としか思えなかった。また、銃の威力には驚くしかない。
(剣はともかくとして、黒い魔法具。あれは凄いぞ。あの威力の魔法攻撃を詠唱なしで連発するとは……)
実際は、拳銃の外見と性能を再現した品を、MP消費することで構築……召喚を行い使用しているのだが、そういったことまではリチャードには推察できなかった。
そして、リチャードの驚く様を、娘のジュディスは胸がすく思いで見ている。
女にとって、父が恋人を見て瞠目するというのは気分が良いものだ。更に言えば誇らしい気持ちになる。
見よ、あれが我が恋人である……と。
試合場の弘は、導師竜やレッサードラゴンの支援ブレスをを浴びつつ、オーガーやゴーレムと戦おうとしている。王都で活躍する冒険者や、魔法具で身を固めた騎士でも、この状況では揉みくちゃにされて跡形も残らないはずだ。しかし、弘は小揺るぎもせず応戦に移ろうとしていた。
(本当に強くなったわね。もう強すぎよ!)
ジュディスも強くなってはいる。弘から贈られた『夜の戦乙女の指輪』。これにより夜間限定ではあるが、ある種の魔法戦士のような戦いが可能なのだ。が、そのジュディスを持ってしても今の弘には敵わない。
「そう言えばアレックスは、どうしてるかしら?」
恋人仲間であるカレンの婚約者、アレックス・ホローリン。カレンの方で相手にしていないため、自称婚約者と言うべきだが……その彼が、少し離れた左側の指定席に居る。
チラリと見たところ……。
「はっ?」
思わず声が出てしまった。
何故なら、アレックスの顔は怒りによって歪んでいたから。
思わず口元を押さえたジュディスは、アレックスから顔を逸らせると視線を落とした。
(え? なに? なんで怒ってるの?)
暫し考え、ふと思い当たり……ジュディスは口元に笑みを浮かべる。
(ははぁぁん。ヒロシに賭けなかったってわけね)
大方、闘技場側の闘技者に大金を賭けて、それで旗色が悪いものだから頭にきている……と。
(……ざまぁ)
ほんの少しだけ口の端を歪めて嘲笑し、ジュディスは周囲の様子を見てみた。大半の観客は弘の戦いぶりに熱狂しているが、ふて腐れたような表情の者もチラホラと見受けられる。中には、弘に対して罵声を浴びせている者もいた。やはり弘に賭けなかった者達なのだろう。
「んふふ。あたしは、ちゃ~んとヒロシに賭けてるもんね」
そう呟きながら手元を見ると、そこには1枚の賭け札が握られていた。入場間際、父と共に購入した物で、最安値であるが弘の賭け札だ。弘が勝った場合、ちょっとした食事代になる程度のものでしかないが……。
「父様の目がなかったら、有り金はたいてたのにねぇ……」
惜しいことしたわ~……などと呟きながら、ジュディスは試合場の弘に注意を戻すのだった。
◇◇◇◇
時間を少しだけ戻す。
両脇にオーガーを見ながら、弘は正面のゴーレム3体に突撃していた。
ゴーレムらの後方からは真鍮の散弾ブレス、それに導師竜によるブレスが飛んでくる。が、召喚した特攻アーマーで弾ける威力でしかない。
(あと飛び道具とか使いそうなのは、ゴーレムだな。バズーカとか持ってるし)
やはり、見た目がバズーカというのが気にかかる。漫画アニメで見る魔法と違い、ニュースや映画等でも見知った現代兵器……に似た道具は、心情的に警戒してしまうのだ。
(実写映像とか見たことあるし。そもそも召喚具にバズーカとかあるもんな。で、どうする? 避けるか? 気にせず当たっちまうか?)
威力的にドラゴンブレスや竜魔法ほどではないだろうが、成形炸薬弾といった装甲を貫通する性能を持っていた場合。命中弾を貰うのは危険かもしれない。
と、ここまで考えた弘は、マスクの下で笑った。
(当たっちまうか。たぶん大丈夫だろうし、ササッと避けるよりは絵になりそうだしなぁ)
そうしている間にもゴーレム達との距離が詰まり、先にゴーレム側が砲撃を開始する。しかも3方からの同時砲撃だ。これは一列でローラー移動していたところ、後続2体が左右に分離して行ったもの。魔法で書き込まれた思考に従っているだけかもしれないが、見事な連係攻撃だ。加えて左右をオーガーに挟まれているとあっては、回避するのは……普通の戦士職だと至難の業である。
とはいえ弘は『普通の戦士』ではない。その高レベル身体能力であれば、こういった状況からでも回避は可能なのだ。しかし先程、回避は行わないと決めた。だからゴーレム達の砲撃は、次々と弘に命中する。
カッ! ドフゥオ!
弘を猛烈な炎が包み込んだ。これは火薬の爆発ではなく、突然に炎の固まりが出現したように見える。続いて、左右斜め方向からの砲撃も命中したが、効果は同じだった。
(ふ~ん? 弾に魔法でも込めてんのか? 観客からは火達磨になってるみたく見えるんだろうが……)
実のところ特にダメージはない。内部にダメージが通らないばかりか、特攻アーマーや防弾盾にも損傷はなかった。
そこへ降り注ぐ、ドラゴン2頭のブレス。
ガキュウン! ガィィィン! ドガガガ!
凄まじい金属音と共に、盾やアーマーが真鍮弾を弾き返していく。他にバマーが放ったものらしい雷の矢や、斬り裂く竜巻などもあるが、こちらも被害皆無。
(ドラゴンが2頭いて、やることは結構違ってるのな)
ラザルスは、先程から真鍮の散弾ブレスが続いている。他に遠距離攻撃の手立てが無いのだろう。一方でバマーは、新たに火球……ソフトボール大のものを数十発ほど撃ち出してきた。
弘のファンタジー知識だと、赤竜は炎、緑竜は毒ガス、金竜は光線といった具合なのだが……バマーは光の槍や小型火球など、何種類か撃ち分けている。
(真鍮のなんたらとかじゃなくて、それこそ別種類の奴をな。導師竜っつ~ぐらいだから、ブレスも魔法扱いか?)
昔、ドラゴンブレス自体が竜魔法という『設定』を見聞きしことがあった。バマーのブレスは、体内のブレス袋が……のような怪獣風ではなく、魔法寄りなのだろう。
(って、ことにしておくか!)
考察は後でノンビリとやればいい。今は、戦うのみだ。それもなるべく派手に。
「くくっ……」
弘は駆け続け、手近なゴーレムに向かった。纏わり付く炎を真鍮のブレスによって吹き飛ばされながら。そして、続く小型火球の直撃や、至近着弾による爆風を受けながら。
「くくははは! がははははははっ!」
相手方からの集中砲火が、まるで通用しない。召喚武具の性能に感動を覚えながら、弘は右手の同田貫を振りかざす。
カキィ!
金属バットで白球を打ったような音が生じ、ゴーレムの持つバズーカの砲身が長さを半減させていた。見た目金属製の筒が、剣で切り落とされたのだ。
これを見た観客は息を呑むが、その時、すでに弘はゴーレムの左肩に駆け上がっている。そして防弾盾を手放すと同時に、超大型拳銃銃……パイファー・ツェリスカを再召喚。その銃口をゴーレム頭部に突き付けた。
ドガギン!
爆発音と金属音。これによりゴーレムは、頭部十字スリットから1つ目の光を消失させた。
倒した……と判断した弘であるが、ゆっくり倒れていくゴーレムを見て渋い顔をする。
「む~。なんか、派手じゃねぇ……」
自分が欲しているのは、もっと見栄えする倒し方だ。
剣で斬る。銃で撃ち倒す。その他に……。
『ブオオオーン!』
ローラーダッシュで迫る左右斜め前からのゴーレム達。双方共に、背負っていた長剣を持っており、その剣身は赤熱化していた。あれで斬りつけられたら、通常の金属鎧では溶断されてしまうだろう。そもそも、ゴーレムが振るう鉄棒の直撃を受けて無事で済む者は多くない。
「耐えて平気な顔するのも面白そう……なんだが」
弘は同田貫と拳銃を捨て、右前のゴーレムに進み出る。と言っても、その動きは早く、コマ落ちしたかのように懐へ到達していた。
『ブオッ!?』
標的の高速移動を捕らえきれなかったためか、ゴーレムが戸惑ったような声……音を発する。
「ふはは。よっ……と」
弘はゴーレムの右足を蹴飛ばし、体勢を崩して前傾したところを抱え上げた。
全高数メートルはあろうかという人型の金属塊。それを人間が両手で持ち上げる様は現実離れしており、観客らは何度目になるかわからない歓声をあげている。
「どっこらせっ! っとぉ!」
すぐ近くまで接近していたゴーレムに、かかげたゴーレムを投じたところ、ゴーレムは泳ぐような挙動を見せながら飛び、その最後の1体に激突。派手な金属音と共に2体まとめて大破した。見れば、腕が千切れ飛んだり頭部が外れたりしている。胴体も大きく歪んでいて、残った腕や脚もまともな動きはできないようだ。戦闘の続行は不可能だろう。
「で、次はオーガーを……ん?」
パムパムと手についたホコリを叩いていた弘は、自分を包囲していたはずのオーガーを見て目を丸くした。いつの間にか全滅している。
ある者は焼け焦げ、ある者は弾けてバラバラに。
そして、この瞬間にも降り注ぐ多種多様なドラゴンブレス……。
ゴァウ! ゴガガガガ! ゴギン!
火炎に炙られ、真鍮弾の雨を横殴りに浴びながら……弘は呆れ顔になった。
「ドラゴン共の仕業か……。オーガーも捨て駒とか、もったいないことするなぁ」
ゴブリンを様子見で使い捨てるのは理解できる。だが、バマーやラザルス達は、オーガーをも巻き込む形で攻撃しているのだ。
「オーガーだって、それなりの戦力だと思うんだが……」
かつて、とある森でオーガーと戦ったことを弘は思い出す。あの時のオーガーは召喚術らしき特殊能力を有していたが、それを差し引いても強敵だった。ここにいた普通のオーガーでも、4体いれば他に使い用はあったはずだ。
要は連係攻撃がなっていない。
チーム行動するという意味では、最初に戦ったゴブリンやサンダーウルフ、それにゴーレムらが、よほどマシな動きをしていた。
(いや、ドラゴン以外が全部捨て駒だとしたら、これでいいのか? う~ん……)
弘はバマー達について考えながら、ステータス画面を呼び出す。そして行ったのは、ウィンドウを展開して次なる召喚武具を選択することだ。別に画面展開しなくとも召喚は可能だが、ドラゴンブレスの威力が無視して良いレベルなので、じっくり選んでいいと判断したのである。
「これ……はデカすぎるか。これは効くかもしれねぇけど、見た目が地味だよな~」
人差し指でチョンチョンと画面送りしながら、弘はウケそうな武器を選び続けるのだった。
◇◇◇◇
一方、真鍮のドラゴン……ラザルスは大いに焦っている。
ゴブリンの殲滅ぶりから弘を警戒した後、残った者をけしかけた上で遠巻きにドラゴンブレスを放っていたのだが、まるで効果が見られないのだ。
「バマーよ。俺達のブレスは……何か調子でも悪いのか?」
もはや何射目になるかわからない真鍮の散弾ブレスを吐いた後で、ラザルスは呟く。もちろん、その声は後方のバマーにまでは届かない。単に呟いただけだ。しかし、問いかけずにはいられなかった。
相手は人間。幾ら魔法鎧らしきものを装着しているとは言え、ここまでドラゴンブレスに耐えられるだろうか。自身の体調不良を疑うのも無理ないところである。
いや、1発や2発当てた程度では駄目なのかもしれない。
そう思い、サンダーウルフが全滅したあたりからは、射線に味方が入るのも構わず攻撃していたが……やはり効果は無いようだ。
結論、ドラゴンブレス……少なくとも真鍮の散弾ブレスは、ヒロシ・サワタリに通用しない。巻き添えを食ったオーガーは悲惨なことになったが、どのみち倒されたであろうから、ラザルス的には誤差の範囲である。
また、オーガーの全滅前に、弘がゴーレムを持ち上げて投げ飛ばしているのを目撃した。あれを目の当たりにしたときは、開いた口が塞がらなかったものだ。
(本当に人間なのか?)
かくして現状、試合場に残る自陣営は自分とバマーを残すのみ。
こうなるとラザルスに残された選択肢は、バマーの支援をあてにしながら単独で戦う。戻ってバマーと合流するか、あるいはバマーを呼び寄せるかして、2頭がかりで戦うかのいずれかだ。
もう一つ、この時点で降参するという手もあるが……。
「気に食わん……」
強者と戦うのは望むところだし、人間相手に負けを認めるのは癪に障る。
ラザルスは前方で何かしている弘を見た後で、空を見上げた。闘技場……の試合場は、上部開放型であり、屋根というものがない。代わりと言っては何だが、観客席を護る結界が上方まで伸びていた。これは闘技者の逃亡防止も兼ねている。
「……飛ぶか。そして、高所からのドラゴンブレスないし、強襲……」
それで弘を倒しきれる確証はないが、やれるだけのことはやっておきたい。
(負けるにしても、悔いなく負けたいからな……)
バサァ。
ラザルスは背の翼を広げた。
大きく羽ばたかせると、周囲の地面から土埃が舞い上がる。魔力を込めて羽ばたきを繰り返すことで躰が宙に浮き、それを見た観客席から「飛ぶぞ!」との声があがった。
徐々に上昇していく中で、ラザルスは後方の導師竜……バマーを振り返っている。2足立ちし、ドラゴンとしては異様に長い腕を持つ彼は、その腕を駆使して魔法発動の印を組んでいた。
ああすることでドラゴンブレスを変化させたり、増幅させることができる。そうバマーから聞かれさたことがある。
器用なことだ、と聞かされた当時は思ったものだ。だが、バマーぐらい色々できるなら、自分も他の戦い方があったかもしれない。
「いかんな。無い物ねだりは良くない。俺は俺の戦い方でやるだけだ。だが、願わくば……」
バマーには最後まで付き合って欲しいものだ。
途中で言葉を切ったラザルスは、上昇を続けながら弘を見据える。己と比べて小さな躰。人間。だが、その力は今まで戦った誰よりも強く恐ろしいものだ。
「相手にとって不足なし……」
飛びながらブレス攻撃の準備を始めると、口内に熱いものが込みあげてくる。これは散弾ブレスではなく、別のブレスの準備だ。
(我が名は真鍮の竜……ラザルス。強き者と戦うため故郷を離れた……)
ただ単に強い者と戦いたいのであれば、人族の闘技場ではなく、魔界域の古代竜や魔竜と戦えば良かった。だが、自分は強き者と戦い、己のの強さを高めたいのだ。決して回りくどい自殺をしたいのではない。
つまりはギリギリの戦いを欲していたのであり、今、目の前には勝てるかどうかわからない……そういったレベルの者が存在していた。
「どちらかと言えば分が悪いのだが……。……さあ行くぞ、サワタリ。受けきれるものなら……」
ボソリと呟くや、長い尾を一振りして方向転換。
ラザルスは眼下の弘目がけて急降下を開始した。その前足の爪。そして用意したブレスの有効射程に到達するのは、ほんの数秒後である。
◇◇◇◇
「おお! 飛んだ! すげぇ! いや~……マジで飛べるモンなんだな!」
ラザルスが飛ぶのを見た弘は、観客と一緒になって歓声をあげていた。
飛ぶモンスターには幾度か遭遇しているが、それらは小型モンスターだったことが多い。下位竜とはいえ、ドラゴンほどの巨体が空を飛ぶのは壮観な光景なのである。
しかし、感動している場合ではない。
飛んだ以上、そこからの攻撃が始まるはずだ。真鍮の散弾ブレスは問題ではないが、何かこう……別のことをしてくると弘は考えていた。
(どうすっかな?)
相手が飛んでいるとは言え、対処は可能。対空攻撃ができる召喚武具は無数にあるからだ。例えばガンタンク……もとい、87式自走高射機関砲を何輌か召喚し、対空用の焼夷榴弾ではなく、対地用徹甲弾で射撃すれば恐らく撃墜できるだろう。
(でかい地対空ミサイルだと近すぎるから、91式携帯地対空誘導弾でズドン……)
そこまで考えてから、弘は下顎を指で掴んだ。視線の先には急降下に移ろうとしているラザルスの姿が見える。彼は何をしようというのか。
(単に急降下突撃するだけか? それとも他に何か? 興味あるな……)
……ニヤリ……。
悪い笑みが浮かぶ。
かつてレッサードラゴンのクロムと戦ったときは、今よりレベルが低かったこともあって必死で戦っていた。相手の攻撃を受けてみようなどという余裕は存在しなかった。だが、今の弘は違う。膨大な経験値を得て、大きくレベルアップしているのだ。
「やってみるか……」
弘はステータス画面を消すと、降下してくるラザルスを迎えるかのように両手を広げた。ラザルスは驚いたようだったが、それも一瞬のことで降下する勢いは止まらない。
見る間に大きくなるラザルスの姿。それを見上げている弘の耳に、カレンの声が聞こえてきた。
「サワタリさん! 頑張って!」
多くの観客が発する歓声。そんな中で、カレンの声だけが聞こえるということがあるのだろうか。ひょっとしたら幻聴の類かも知れないが、弘は『聞こえた』と思うことにした。
なぜなら、その方がドラマチックでイカすからだ。
◇◇◇◇
「サワタリさん!」
叫んだのはカレンである。紛れもなく彼女は弘の名を叫んでいた。
そうするまでは弘の戦いぶりを見てはしゃいでいたのだ。しかし、あれは良くない。
高所から襲い来るドラゴンに対し、弘は迎撃するでもなく立っているだけではないか。叫んでから周囲を見ると、グレースやシルビア、その他の恋人仲間達も声をなくして固まっていた。
やはり、彼女らから見ても弘の行動は無謀なのだ。
だが、ここで見守る以外に何ができると言うのか。応援する以外に何か……。
(信じる……。そうよ。あんなに優勢に戦っていたサワタリさんだもの! ああしているのだって、何か自信があってのことに違いないんだわ!)
それは盲信に近かったが、そう思わせるだけのものをカレンは見ている。微動だにしない弘の立ち姿。そこにある確固たる『余裕』をカレンは見ていたのだ。
「むっ……主が……」
グレースが何か言おうとしているが、それを掻き消す勢いで再びカレンは叫ぶ。
「サワタリさん! 頑張って!」
◇◇◇◇
ドラゴンは見た目だけでも威圧感がある。ましてや、それが高所から急降下してくるとなると迫力満点だ。
「うっひょー。おっかねぇーっ!」
風切り音を発しながら迫るラザルス。それを弘は、おどけつつ全身で受け止めた。
ガカァ! ズシン!
特攻アーマーと前足の爪の激突音。そして重量物の落下音が、ほぼ同時に発生する。これによりアーマーが損傷したか、あるいは弘にダメージが生じたかと言うと……皆無だ。
そして踵で地面の土を削り、数十センチばかり後退したものの、急降下突撃の勢いは完全に失われている。
「まあ、こんなもんか?」
まだまだ余裕があることを確認し、弘は言いつつ笑った。が、その弘の上方、長い首をもたげて見下ろしていたラザルスもまた笑っている。
「これで避けるのは無理だな?」
「あっ?」
くぐもった声で上から言われ、弘は若干苛立った。そして見上げたところ、ラザルスと目が合うのだが……その口元を見て弘は硬直する。真鍮が液体となって溢れそうになっていたからだ。
(え? なんだ? あれって金属とか溶けてる?)
ニュース映像や映画で見た溶鉱炉。それを連想した弘は、ラザルスを振りほどこうとした。自分の筋力なら可能なはずだから。しかし、その前にラザルスが行動した。
開いた口から、灼熱の液体金属が降り注いだのである。
ドロ、ドロロロ……ざばしゃああああ!
「おわあああああああっ!?」
両耳を揺さぶる『ジュオオオオ!』という嫌な音。幸いなことに、熱気は瞬時に遮断されており、高熱によるダメージは無いようだ。
とはいえ、溶けた金属を浴びせかけられているという体感が、弘を混乱させている。
(やべぇ熱さじゃね~けど! なんかドロドロが躰に纏わり付いてる!)
この状態を脱する方法は無いものか。召喚武具の類で何とかなるのか。弘は急速に冷静さを取り戻しつつ、そういった事を考えていたが、考えがまとまるよりも先に次なる攻撃が来た。
ひゅぉおおお……ズドドドド!
音を聞いたラザルスが飛び退ると同時に、十数本の青白い槍が弘に命中した。
それは氷の槍であったが、着弾と同時に弾けて猛烈な冷気を撒き散らす。
打撃と冷凍の力を併せ持った竜語魔法で、後方に控えていたバマーが放ったものだ。しかも、残った魔力を総動員した……渾身の魔法発動である。
こんなものが命中した結果、弘はどうなったか。
真鍮が冷却されたことにより、全身を覆う真鍮を何とかするべく藻掻いていた姿のまま、その場で立像と化したのである。
「やったか!」
上昇しつつ弘を見下ろしていたラザルスは、入場口の方を見た。導師竜バマーは、長い腕を弘に向けてかざしたまま、荒い息をついている。試合が開始されてからここまで、猛烈な勢いで魔法を連発したことで、激しく疲弊しているようだ。
「俺も疲れたが……」
どうやら勝ったらしい。
あの様子ではサワタリは生きていないだろうが、良き戦いだった。
着地を考えて羽ばたきを押さえようとした……その時。
ラザルスの目が大きく見開かれる。眼下で見える光景に、彼は思わず掠れ声を漏らしていた。
「ば、馬鹿なぁああ……」
◇◇◇◇
「ひっ!?」
弘が真鍮の溶解液を浴びせられたとき。カレンは思わず口元を押さえつつ立ち上がっていた。
「サワタリ! 主よ!」
グレースも顔色を変えている。
もちろん、シルビアやウルスラ達も声が出ない。そうしているうちに、バマーの冷却効果を持った槍が次々と着弾。弘の立像……表面が所々ドロドロヌメヌメとしており、かなり不気味な立像が出現した。
どう見ても無事かどうかの問題ではなく、生きている可能性すら危うい。
「そんなぁ……」
カレンはペタンと腰を落とした。その他女性陣も、完全に意気消沈している。……いや、唯一人、ノーマだけが厳しい表情で弘象を見ていた。
「ん~……。むっ! へぇ……」
その顔が少しゆるみ、口元に笑みが浮かんでいく。
「ねえ、ちょっと! あれを見て!」
褐色の人差し指を突き出した先。そこにあるのは、言うまでもなく弘の立象だ。いったい何が……と視線を向けたカレン達は、そこで発生していた自体の変化に目を見張ることとなる。
そして数秒後。
カレンは歓喜の声で声援を送っていた。
「サワタリさーーーーん!」
◇◇◇◇
「馬鹿なぁあ……」
唖然とするラザルスの下方、試合場で立つ弘象。真鍮で塗り固められた、その表面に亀裂が走っていく。
ピシ……パキ……。
あるいは、このときが攻撃のチャンスだったかも知れない。だが、ラザルスは滞空するだけしかできず、入場口付近で立つバマーも大きく口を開けたまま、目を丸くしているのみだ。
パキ、パキキキ……。
両者が固まっている間にもヒビは広がっていき、そして……。
バギャ! ゴガァアアアア!
「うらぁああああ!」
全身を揺さぶり、腕を振るうようにして弘が姿を現す。躰を封じていた真鍮は粉々だ。
「あ~……ぶったまげた。まさか、本当に真鍮のゲロをぶっかけられ……ん?」
首を傾けてゴキボキ鳴らしていた弘は、自分が何か大きな影の中にいることに気づく。見上げれば、そこにいるのは翼をはためかせて滞空するラザルスだ。
二者の視線が合うが、狼狽している様子のラザルスに対し、弘はカクリと首を傾げて言い放つ。
「次は……俺の番って感じでいいよな?」
これを聞いてラザルスは顔色を変えた。何をしてくるつもりかは不明だが、この後に来る攻撃は今までよりも威力が高いはず。そんなものをくらえば……。
「ちょ、ちょっと待っ……」
攻撃を待って欲しい。そう言おうとしたラザルス。しかし彼は、途中で言葉を切った。そして目に力を取り戻すや、まるで逆のことを言い放つ。
「いや、来い!」
「おっしゃああああ!」
ラザルスの言葉を受けた弘は、陸上自衛隊で使用される110㎜個人携帯対戦車弾を召喚し、ほぼ真上に向けて構えた。本来は、弾頭先端のプローブと呼ばれる信管を伸長させる……等の事前作業が必要だが、召喚時点で対戦車榴弾モードとなっている。つまり、いつでも発射が可能な状態だ。
「飛行機を狙って撃つ道具じゃないんだが……。ま、硬いこと言いっこなしだ」
言いつつ引き金を引くと、本体後方から反動を相殺すべくカウンターマスと呼ばれる重量物が射出され、先端からは弾頭が射出される。そしてそれは、狙い過たずラザルスの腹部に命中した。
ズバァァァァン!
「ギャアアアアアアアア!」
轟音。そして、それを掻き消すほどの絶叫をラザルスが吐き、真鍮のドラゴンは落下しだす。
「うおっと……」
巻き込まれても無事でいられるかもしれないが、敢えて危ない思いはしたくない。先程、急降下突撃を真正面から受けに行ったのは、自分を試したい考えもあったからだ。
ド、ドドォォォン!
地響きを立てて落下したラザルスは……もはや生きてはいなかった。腹部には巨大な破口が生じ、内臓や血液などが大量に漏れ出ている。
「……」
事切れたラザルスを一瞥した弘は、次いで入場口付近でいるはずの導師竜……バマーを見た。残るのは彼だけであり、先程からの戦いぶりを見るに、また多種類のドラゴンブレスを連発されるだろう。
「距離もあることだし、デカい榴弾砲でも召喚して吹き飛ばす……か?」
思考を口に出していた弘であるが、ふとバマーを見て次なる召喚を中断した。
バマーが両手を挙げている。降参の意を示しているように見えるが……。
(両手を挙げて降参ってのは、こっちの世界でもありなのか?)
攻撃をしてくる様子もないし、やはり降参しているのだろう。だが、それを認めるかは審判の判断だ。
審判。試合が開始してから姿を見なかったが、どこにいるのだろうか。
「いた……」
弘が出てきた入場口。その影から顔だけ出して様子を窺っているのが見える。その彼は弘が見ていることに気がつくと、入場口から飛び出てきて試合場をわざとらしく見まわした。かなりなオーバーアクションだが、そういう仕草も観客を盛り上げるためには必要なのだろう。
そして動かないラザルスと、降参の意を示すバマーを確認し、その右手を高くかかげた。
「勝者! ヒロシ・サワタリ!」
高らかに響く勝利宣言。
次の瞬間、観客席を埋め尽くす者達は総立ちとなって歓声をあげるのだった。