第百六十三話 試合開始前
「あの……」
「うひゃ!?」
不意に耳元で呼びかけられ、カレンは観客席から尻を浮かせた。このとき、呼びかけられた側……右隣りで座っていたのはシルビアである。しかし、聞こえた声は彼女のものではなかった。
ぐりんと首を回したところ、まず見えたのは驚きの表情でカレンを見ているシルビア。続いてシルビアとの中間位置……胸の高さ程で夜の戦乙女、ブリジットを発見する。
「ブリジットじゃない。どうかした?」
腰を下ろし、身長20数センチの戦乙女に質問したところ、ジュディスからの伝言があると彼女は言った。眠そうな表情は相変わらずだ。
「伝言? ジュディスちゃんから? うん、うん。 へっ? ……アレックスが?」
気さくに受け答えしていたカレンの声が、その名を呼ぶ瞬間に歪む。そこに色濃く含まれているのは嫌悪感だ。
アレックス・ホローリン。カレンとは、親に決められた許嫁同士という間柄。もっとも、カレン自身は認めていないので、相手方が許嫁を自称している……と思いたがっていた。
「……どこに居るの?」
身体の向きを変えつつブリジットが指差す方向。右……十数メートルほど離れた、上層の指定席。そこにジュディスと父リチャードがおり、2人から向かって左方向へ少し離れたところにアレックスが居た。
センター分けの髪が肩まで達している……女性と見まがうような美青年。そう、美形だとは思うがカレンにとっては意味が無い。何故なら、今の自分はヒロシ・サワタリの恋人なのだから。
「ホローリン様ですか。カレン様が旅に出る前までは、日に一度は学院に姿を見せていたのですよね?」
「へ~え。随分と熱を上げてるじゃない? と言うか、カレン様より少し年上でしょ? 部外者でも学校に入っていいのね……」
シルビアの質問にノーマが口を挟んだ。その彼女をシルビアが睨むが、カレンは苦笑しながら先ずシルビアの質問に対して答えている。
「ん~……確かによく顔を見せに来ていたけど……。そう言えば、私が王都に戻ってきてからは数度ぐらいしか会っていないわね」
「あんなにお熱だったのに?」
「ノーマさん、しつこいです。だけど、そう言えば……変かも。私の知ってるアレックスは、こういう外に居るときは……」
外出している間中、カレンに付きまとっていた。一度や二度追い返したぐらいでは、暫くしてから偶然を装って姿を現すのだ。はっきり言ってウザイし、邪魔でしかなかったが……。
「こっちに来ないのかしら? それならそれで嬉しいけれど……」
「カレンよ? どうしてアレックスとやらを嫌うのだ?」
カレンの左隣で座っていたグレース……今は、幻術効果のある首飾りで、耳を人間風に変えている……が、何気なしに問うた。あのアレックスという青年は、家柄も良く見た目も良い。
「多少つきまといをされたとしても、家柄は向こうの方が上なのだろう? 我はよく知らぬところであるが、貴族子女というのは上位の家に嫁ぐことを望むものではないのか?」
これは遠回しに、アレックスの方に鞍替えしてしまえ……と言っているわけではない。もっと他に嫌う理由があるのではないか。例えばアレックスに何かされたのではないか。と、そういう事を聞きたかったのだ。
「ここまでカレンが他人を嫌うのは珍しい。そう思っただけなのだがな……」
「私って……そんなに人嫌いが無いように見えてます?」
周囲の観客がざわめく中、カレンは小首を傾げて見せる。
特に嫌いでもない相手には、相応に愛想良く振る舞っているだけだし、親しい人には心から親しく振る舞っているのだ。そして嫌いな相手……アレックスには……。
「本当は愛想良くしたくないんですけど。何しろアレックスの家の方が上位だし……」
不用意に喧嘩を売って、上位貴族を敵に回したくない。ただでさえ、自領をゲームの道具にされ、ようやく解放されつつあるのだ。
「この上、アレックスの家にまで睨まれたら……。でも、今のは私はサワタリさんの恋人で……」
かなりの困り顔。しかし、『恋人』と言った際のカレンは嬉しそうに微笑んでいる。つまり、愚痴を言いながら惚気が入っているわけだ。ただ、この場に居る関係者は全員が弘の恋人なので、「気持ちはわかるが……」や「はいはい。そのうち、私も似たようなこと言うから」と余裕の構えだった。
「こほん。話を戻しましょう。私がアレックスに何かされたか……という質問ですが。嫌うに足ることを言われた……としておきましょうか」
「具体的には~?」
問いかけるウルスラの声。これを聞き、カレンは少し眉間に皺を寄せた。
わざわざ回りくどい言い方をしているのに、突っ込んで聞いてくるとは……。
いや、具体的に説明しなかったのは、自分がアレックスの陰口を言っているようで嫌だったからだ。
(でも、ここまで言っちゃうと……全部聞いて欲しいかも。それに……)
ここに居るグレース達は単なる友人ではない。同じ男性と交際中の、言わば恋人仲間なのだ。相談相手として、これ以上の存在はちょっと居ないだろう。
「つまり……ですね」
アレックスに「僕の伴侶となれば、君の領地はもっと豊かになる。農作物や畜産だけを売りにしなくとも……ね」と言われたのだった。
カレン自身、実家の領地が小規模であることは承知している。しかし、しかしだ。好きでもない男性から、上から目殿で『豊かにしてやる』と言われたり、領地の生産性についてとやかく言われた。その上、付きまとわれている。
「これは嫌いになるのも無理ないと思うの。……私、間違ってる?」
そう言ってカレンが右方のシルビアとノーマ。左方のグレースとウルスラを見た。その問いかけと視線を受けたグレース達は、迷うことなく首を縦に振っている。
「凄いわねぇ、それ。て言うか、それで女が靡くと思ってるのかしら?」
「少なくとも、私は靡きませんね」
ノーマの呆れ声に、シルビアが相槌を打った。ここで気になるのが、シルビアの声が刺々しいこと。普段の物言いはキツイや厳しいの範疇だが、今の言い方には紛れもなくトゲがあった。
実は、シルビアが同席している場合でも、アレックスは同様の台詞を吐いてる。誰が居合わせようとカレンしか見えてないのだろう。しかし、幼馴染みであるカレンに対して失礼な物言いをされ、それを聞いたシルビアが怒らないはずがない。
当然ながら激怒したシルビアは、以後可能な限り、アレックスがカレンに近づかないよう注意を払っていた。
「ホローリン様が話しかけるたびに割って入ったり、ありもしない用件でカレン様を呼びつけたり……と言ったところですか」
「嘘ついて遠ざけたりしたのね~。それって、光の神の信徒としてはいいの~?」
そう聞いてきたウルスラに対し、シルビアは迷うことなく首を縦に振る。
「悪を遠ざけるためです。神もきっと、お許しになることでしょう」
これまた普段のシルビアなら考えられない言い回しだ。それだけに彼女の怒りの程が読み取れる。カレンやノーマ、グレースまでもが「おおっ!」と身を引いた。
「と、ともかく。私はアレックスのことを許嫁として認めていませんし、好きでもありません。むしろ嫌いです」
「私も嫌いです」
カレンが鼻息荒く言い切り、言い終わりに続けてシルビアも言い放つ。グレース他が、「今聞いた以外にも色々と嫌な思いしてるんだろ~な~」と思っていると、ここで入場アナウンスが始まった。
『御来場の皆様にお知らせします』
魔法具を使用したのであろう大音声が、場内に響き渡る。同時に観客のざわめきが大きくなった。
『本日の特別試合は、多数の闘技場闘技者対1人の招待選手……という組み合わせとなっております。まずは東側入場口を御覧下さい』
東側入場口。それはカレン達が居るあたり……眼下にあるらしい。角度的には見えないのだが、やがて一人の男が姿を現すと、カレンや他の女性陣は表情を明るくした。
黒い衣服に、黒染めの革鎧。オールバックに整えられた黒髪。
沢渡弘の登場だ。
その姿に観客らはどよめき、同時に失笑が溢れた。
「ううん?」
ノーマが剣呑な声を出すが、耳を澄ますと次のような声が聞こえてくる。
「大勢の闘技者を相手にするんだろ? なのに何だよ、あの装備」
「魔法の革鎧ってわけじゃあないな。死ぬ気か?」
「聞いた話じゃ、ディオスク闘技場で10連勝したそうだが。デマだろ?」
やはり、戦士としては軽装であることが問題らしい。王都の観客にしてみれば、値の張る魔法武具で身を固めた者でないと、強者として認識できないのだ。
「ふん。好きに言ってればいいのよ。どうせサワタリさんが戦いだしたら、馬鹿にしたようなこと……言えなくなるんだから」
「カレンの言うとおりだ。そもそも、事前に我と打ち合わせた戦い方をするのであれば。それはもう、凄まじい戦いぶりを目の当たりにするだろうからな」
落ち着いた声でグレースが言うも、その声が若干強張っている。やはり彼女も気を悪くしているのだ。そして、それはシルビアら、他の『恋人達』も同様だった。
「よし!」
やおら立ち上がったカレンは、両手の平を口元に当てて叫ぶ。
「サワタリさん! 頑張って!」
◇◇◇◇
「サワタリさん! 頑張って!」
ざわめきが大きくなった場内にあっても、その声は弘の耳に届いている。
「カレン? 後ろか?」
振り返ると、最下段の一般席にカレンの姿が見えた。その両脇にグレースやシルビア、それにノーマやウルスラが居るのも確認できる。
「みんな見に来てくれたのか。てこた、ジュディスも親父さんを連れてきてるかな?」
視線を巡らせてジュディスを探すが、一般席を見ている間に、場内アナウンスが再開された。
『登場しましたのはヒロシ・サワタリ氏。かのディオスク闘技場で、10連勝を果たした強者です!』
おおおおおおおおっ!
どよめきが大きくなった。弘の素性に関しては、ある程度噂が流れていたようだが、やはり知らない者が多かったらしい。
(特別試合はサプライズ試合だけど。ある程度は噂を流して、集客も狙う……だったか?)
それが上手くいっているかは定かでないが、見たところ場内の観客は大入りの状態だ。少なくとも王都闘技場は盛況であるらしい。
『そしてサワタリ氏が戦う相手は……西側入場口を御覧下さい! 対戦相手の入場です!』
場内アナウンスの誘導により、観客の視線が西側入場口に向いた。弘も正面にある入場口に注意を向けるが、その目が見開かれる。
最初に姿を現したのは20匹ほどのゴブリンだ。それぞれが短剣や手斧、スリングなどで武装している。ボロ切れのような衣服と粗末な革鎧が防具のようだ。
「あ、盾持ってる奴も居るな。小さいラウンドシールドみたいなの」
しかし、王都の闘技場……それも特別試合なのに相手がゴブリンでは観客が興醒めするのではないだろうか。勿論、弘だって興醒めする。が、その心配は無用のようだ。続けて登場した『闘技者』の姿に、観客が歓声をあげた。
ゴブリン集団に続いて登場したのは、背の高さが幌付き馬車ほどもある狼。それが5頭。対象物解析してみたところ、サンダーウルフというモンスターで、カテゴリーとしては魔法を使う獣……つまりは魔獣らしい。その巨躯だけでも脅威であるが、全身を雷で覆った状態での攻撃を得意とする。
次に登場したのは、オーガーが4体。全員が金属板を鎖でつなぎ合わせたような鎧を着込んでおり、大型の鎌や斧、槍で武装していた。
「オーガーか……。いや~、オーガーって闘技場に居るんだなぁ。てゆうか、カレンがあんな必死で探してたってのにねぇ……」
チラッと後方を見たところ、やはりと言うべきか、カレンが苦虫を噛み潰したような顔をしている。不機嫌そうな顔も可愛い。そう弘が思ったところで、更なる対戦相手が登場する。
現れたのは、頭頂部が5メートルほどの……。
(巨人? でも、あれ鎧か?)
見た目はスーツアーマーとでも言うべき全身鎧。ただ腰回りのスカートのような部分が印象的だったり、東部の前面には十文字のスリットがあって、ピンク色の1つ目が……。
(数は3体で、背中に刃渡りの凄ぇサーベルを背負ってるか……。で、配色は黒とか紫とか……。なんかこう……著作権的にヤバい見た目してんな)
『続いて登場しましたのは、古代遺跡より発掘されたゴーレム! ドゥーム! 今回は3体すべてが出場です!』
場内アナウンスの解説を聞くに、この闘技場ではよく知られた存在であるらしい。もっとも、弘は「名前も何かヤバいな……」と思っていたりする。ちなみに、対象物解析はできなかった。解析を思い当たったときには、既に相手の方で臨戦態勢となっていたのか、能力発動ができなかったのである。
(相変わらず、使いにくい能力だぜ……)
『続きまして……』
「まだ出てくんのかよ!?」
ここまでに登場したのはゴブリン20体、サンダーウルフ5体。そしてオーガー4体に、ゴーレム3体。この時点で30体を超えている。街道外でモンスターの大移動に巻き込まれたならまだしも、ここは闘技場だ。多対一にも程があるだろう。
些かうんざりしつつ入場口を見ていると、奥の暗闇が盛りあがったように見えた。目の錯覚などではなく、大きな何かが進み出てきたらしい。
「おおっ!?」
出てきた『闘技者』を見て弘が声をあげる。ほぼ同時に、観客からの歓声も爆発していた。
それは2頭のドラゴン。1頭はディオスク闘技場で戦ったレッサードラゴン、クロムとよく似ている。ウロコは黄銅色で、体格がクロムよりも二回りほど大きい。翼を持った四足歩行タイプであり、かなりの強敵のように見えた。
対象物解析したところ、レッサードラゴンの亜種で、真鍮のドラゴンとも呼ばれる個体らしい。ブレスは高熱の黄銅。それを霧状にして吹きつけたり、散弾として飛ばしたり、挙げ句は液状に溶解させ、吐瀉物のように吐きかけてくるのだとか。
「ファンタジーでブラス・ドラゴンっていたよな? 真鍮のドラゴンって、そういうのとは違うドラゴンなのか? レッサードラゴンの亜種……亜種ねぇ」
自分の知ってるファンタジー知識と違っている気がして、弘は首を捻った。しかし、現に目の前に居るのだから、そういう固体だとして納得するしかないだろう。
「クロムのファイアーボールブレスもヤバかったけど、こっちもたいがいタチが悪いな。飛べるドラゴンと戦うのも初めてだし……気ぃ引き締めとくか」
もう1体のドラゴンは、真鍮のドラゴンと比して小柄である。そして体形も違う。真鍮のドラゴンは四足歩行型だが、こちらは二足歩行型。しかも魔法使いで言うローブのような衣服を着ている。
(映画の怪獣王が服着てるみて~だな。首はギドラな感じだけど。あと腕が長ぇ……)
ダラリと垂らした腕が、アンバランスさを感じさせるほどに長い。
弘は眼前で表示されたウィンドウ、そこに記された解析結果に目を通してみた。
「種族名……導師竜? 魔法が得意なドラゴンか……」
弘のファンタジーRPG知識だと、高位のドラゴンは強力な魔法を使うもの……となっている。
「竜語魔法とかそんなのだっけ? クロムは魔法とか使ってなかったけど……」
レッサードラゴンだから魔法が使えなかったと見るべきか。口から吐くブレスがファイアーボールだった時点で、竜語魔法を使っていたと見るべきか。
(昔読んだファンタジー解説本か何かで、そもそもドラゴンブレス自体が竜語魔法って書いてあった気もするなぁ……)
そういった書籍は、ファンタジー感を膨らませるための補助アイテムでしかなかったが、実際にファンタジー世界へ来てしまうと、これが大いに参考となる。名前を思い出せない執筆者らに感謝する弘であった。と、ここで登場したドラゴンらに関するアナウンスが聞こえてくる。
『最後に登場しましたのは、西方より訪れた真鍮のドラゴン……ラザルスーッ! そして導師竜、ブマー!』
それに応じてラザルスが咆哮し、ブマーが右手を挙げた。どうやら人語……共通語を理解できるらしい。この世界では、同じ種族であっても話せる者、話せない者が存在し、話せない者の多くは野獣や魔獣のような存在……いわゆるモンスターとして扱われる。そして話せる者達は、『亜人』として扱われ、種によっては氏族を形成していたりするのだった。
また、異世界転移後、今日までに弘が得た情報としては『人型から逸脱する種族ほど、モンスターとして登場する頻度が高い』というものがある。
(話せる奴か……。殺さない方がいいのか?)
これまでに出会ったことがある亜人と言えば、ディオスク闘技場で戦った、カメレオン亜人のラングレン。ダンジョン探索で行動を共にしたミノタウロスのインスンなどがいる。友好的な関係を築けたこともあれば、最後まで敵対関係だった者もおり、こうして亜人もしくは口がきけるモンスターと戦うことになった弘は、少しばかり複雑な気分だった。
◇◇◇◇
「いくら何でも多すぎるんじゃない!?」
カレンが憤然と声をあげている。最初、数が多いとは言えゴブリンが登場したときまでは余裕だったのだが、サンダーウルフが姿を見せたところで口元から笑みが消え、ゴーレムが加わったとこで表情が険しくなった。
そしてドラゴンの登場である。
「サワタリさん……大丈夫かしら?」
自分に勝ったことがある弘とは言え、数が数であるし、対戦相手の厄介さや強さも問題だ。この時点で、心配そうな表情を見せているのはカレン、シルビア、ウルスラ。引きつったような笑みを浮かべているのがノーマで、グレースも幾分険しい表情となっていた。なお、視力の良いノーマが確認したところでは、ジュディスの顔から血の気が引いているとのこと。
「ふむ……」
険しい表情のまま、グレースが口を開いた。
「強さを印象づけるように戦う余裕が、サワタリにあるかどうかだな。余裕が無くとも……そう、前にも言ったが、サワタリ本人が言っているほどの強さがあれば、負けることは無いだろう……」
そう言いつつも表情が険しいのは、登場した対戦者が多すぎると彼女も思ったからだ。
さて、ここからは、王都で闘技場に入ったことがある者ならば皆が知っている定番展開が待っている。
「挑戦者や招待闘技者にインタビューするのよね? で、怖じ気づいて逃げたりする奴もいるし、対戦相手の戦力を削ぐように交渉したりとか……」
ノーマが指折りしながら呟くように、試合開始前のインタビュー時点ならば、そういった交渉が可能だ。とはいえ、それをするとイイ笑いモノになるわけだが……。
「そうやって招待闘技者を嘲る……。なんとも恥ずかしいですね」
こちらはグレースよりも険しい表情のシルビア。光の神の信徒としては、これらの行為や、それを楽しむということが理解できないらしい。また、異世界から来た弘に、こういう体験を自国でさせるのが恥ずかしく感じられたのだった。
◇◇◇◇
一方、カレン達よりも上層の指定席で居るジュディス。
彼女は次々に現れる闘技者らを見て顔色を無くしていたが、すぐに憤慨している。そして不平を漏らそうとしたところ、父リチャードが話し出したので、それに耳を傾けた。
「驚いたな。この後の交渉で、幾らかは出てきた入場口へ戻るのだろうが。それにしても、この数や戦力は前代未聞だ……」
この闘技場で戦ったことがあるリチャードにとっても、弘と戦うとされる闘技者達は過剰戦力であるらしい。その呟きを聞いたジュディスは、努めて笑顔を維持しながらリチャードに話しかけている。
「父様なら勝てそう?」
「……」
無言でジュディスを見たリチャードが、自分自身を指差した。コクリとジュディスが頷く。
「無理だ。普段出場しているパーティー編成で戦っても……ムウ……」
一声唸り、リチャードはブツブツ呟きだした。
「ゴブリンは問題ないな。サンダーウルフの相手を私がして……いや、5体同時は無理だろ? ゴブリンを早期に殲滅して、邪魔立てできないようにしたらウルフ5体はいける……か。その間、オーガーとゴーレム……ドラゴンが動かなければ……だが」
ここまで呟いてからリチャードは溜息をつく。
「やはり無理だ。パーティーで戦っても途中で終わりになる。1人だと……ゴブリンを倒しきる前にサンダーウルフに攻撃されるだろうから……う~ん、なんとかウルフ2体を倒せるかどうかだ」
「やっぱり、交渉して相手の数を減らすのが良いかしら?」
「そうだな。命には替えられん。パーティー戦であれば仲間の命に関わるし、私の場合は……。ジュディスが嫁ぐまでは死ぬわけにはいかん」
娘の存在を言い訳にしているように聞こえるが、父の普段の言動を知っているジュディスには本心であると理解できた。
(たまにウザいんだけど。良い父様なのよね~……。あ、でも普段は厳しすぎるか)
「彼は……ヒロシ・サワタリと言ったか。お前の知り合いなのか?」
「えっ?」
ジュディスが固まる。ここまでボロを出した覚えはないが、気づかぬうちに弘のことでリチャードに勘づかれたのだろうか。
「ど、どうして知り合いだと思うのかしら?」
「いや、彼はディオスクで著名な冒険者だそうだし。お前も近場のクロニウスで冒険者をしていたのだろう? ならば面識があるのでは……とな。あと、こうして闘技場観戦をねだられたのが初めてだったので、何か思惑でもあるのかと思ったわけだが……」
ジイッと見られ、ジュディスは背が汗で濡れていくのを感じた。
「どうした? 汗をかいているようだが?」
「え? いやだって、これだけ観客が居たら暑くもなるわよ。こうやって空が見えていてもね!」
そう言ってジュディスが空を見上げる。天気は快晴で、雲一つない。これで父の気が逸れれば良かったのだが、同様に空を見上げていたリチャードは、おもむろに視線をジュディスに戻した。
「それで? 知り合いなのか?」
「ぐう……しつこい。そうよ! パーティーだって組んだことがあるんだから!」
我慢しきれず噛みついたジュディスであったが、リチャードが目を細めたことで肩を落としている。
「なによ? あたしがヒロシと知り合いだったら……文句でもあるの?」
「ヒロシ……か。名前で呼ぶとは……」
「……」
どんどんボロが出ているようでジュディスは言葉が続かなくなった。続かなくなったが……しかし、ここで父に質問をしたくなる。どうしても、どうしても聞いておきたいことだ。
「父様? あたしが例えばヒロシ・サワタリのことを好きになったら……どうする?」
反対するだろうか、それとも許容してくれるだろうか。娘としては父の反応が気になるところだ。聞かれた側のリチャードは暫し黙っていたが、娘の目を真っ直ぐ見返しながら口を開いている。
「例え話に聞こえんが……。そうだな。この後の試合内容によっては……どうだろうな」
「やっぱり貴族の男性じゃないと駄目?」
「そうは言わん」
リチャード自身、元から貴族ではないし、今は貴族と言っても最底辺に近い。冒険者に対して、ある程度の理解もある。
「できれば、何処かの名家に嫁いで欲しいんだが……。重要なことはジュディス。お前を幸せに出来るかどうかだよ。まあ……なんだな。少なくとも、この試合を立派に戦い抜けないようでは。とてもとても……」
「へえ……。じゃあ、立派に戦い抜けたら……。あたしとヒロシがイイ仲になってもいいんだ?」
ジュディスの声に煽るような口調が混ざった。無論、それに気づいたリチャードは意地悪そうに笑う。
「……いや、もう一押し必要だ。やはり実戦での成果がなければな。おっと、インタビューが始まるようだぞ?」
「むう……」
この試合だけでは駄目なのか。充分ではないか。
そう思うジュディスであったが、弘がどうインタビューに答えるか。それが気になり、試合場へ視線を向けるのだった。
◇◇◇◇
「インタビューねぇ。プロレスじゃないんだから……」
モンスター……もとい、闘技者の群れを見ながら弘は呟く。
このインタビュー、そして交渉については、入場間際に闘技場職員から説明を受けていた。その際、「何だよ。控え室の奴ら。試合場に入ってからでも交渉できるんじゃん」と苦笑したものだが、弘としては相手を減らそうという気はサラサラない。
「では、インタビューを開始します。サワタリさん、まずは対戦相手を見た御感想など……」
闘技場職員の制服を着た女性が小走りに近寄ってきて、マイクのような物を差し出す。円筒形に削った水晶をはめ込んだアイテムで、女性職員が話す度、闘技場内には彼女の声が大きく響き渡っていた。
弘としては、こうしたノリは好きであり、調子に乗ってベラベラ喋りたいところである。しかし、観客席にはジュディスの父親が居るのだ。
(あんまりチャラい姿見せるのもな~)
もしも知っている観戦者がカレン達、恋人だけであったならば。弘はノリノリで調子の良いことを言っていただろう。
そうはいかない以上、ここは言葉を選ぶ必要がある。
「感想か……。ディオスクの闘技場でも滅多に見ない数だけど。こっちじゃ、いつもこんな感じなのか?」
だいたいの事情は知っていたが、そこは敢えてとぼけてみる。すると「ディオスク闘技場でも滅多に見ない」というセリフに反応した観客達が笑った。人数が多いため、弘にしてみるとバラエティ番組の録音笑いのように聞こえ、それが失笑や嘲笑の類であったとしてもピンと来ない。
このとき、カレン達やジュディスは憤慨していたのだが、弘自身は特に腹も立たないまま、更に話し続けた。
「ところでさ、ドラゴンはそうだと思うんだけど。口がきける奴って他にもいるの? そいつらって殺したりしたらまずいかな?」
その瞬間。闘技場内の喧噪がピタリと止んだ。
弘としてはディオスク闘技場で人気闘技者を倒し続け、結果、金持ち連中の恨みを買った経験があるだけに、その再現を防ぎたかったという思いがある。更に言えば、殺し合いの場ではあっても試合場……その施設が『闘技場』ということもあって、可能であれば恨みも無い相手を殺したくはない。
(あいつらだって、クロムみたいにイイ奴かもしれね~し……)
「死ぬのが嫌なら、今からでも帰ってくれていいし……」
「あ、あのう……」
女性職員が怖ず怖ずと口を挟む。「ん?」と首を傾げた弘に対し、女性職員はチラチラと対戦相手らを見ながら、魔法具のマイクを自分の口元に戻した。
「あ、相手が多いとのことでしたが……その、対戦相手の数を減らしたいとか。試合を棄権したいとか。そういったことは……」
「ないよ? このまま試合開始していいんじゃない? あと、質問に答えてくれないかなぁ。殺したらまずい奴とかいるの? いないの?」
弘の平然とした声が、静まりかえった闘技場に響き渡る。対戦相手たる闘技者……ドラゴン達から、異様な殺気が向けられているが、弘はお構いなしに喋り続けた。
「売れっ子闘技者とか、死んだりすると闘技場としてもマズいんじゃ……」
「もういい!」
その声は対戦相手の中から発せられた。誰の声か……と見てみたところ、ゴブリンやサンダーウルフが、後方のドラゴン達を見ている。
「大層な自信があるようだが、王都闘技場を舐めて貰っては困るな!」
どうやら真鍮のドラゴン……ラザルスが話しているようだ。
「この中で共通語を話せるのは俺とブマーだけだ。だが、ディオスクのレッサードラゴンを倒したぐらいでいい気になっては困る!」
「……あ?」
ほんの一瞬ではあったが、弘は不機嫌そうな声を出した。その音声はマイクが拾って場内に届けられたが、気にすることなくラザルスは続けている。
「クロムだったか? 田舎ドラゴンとは比べ物にならない強さを、今から味わうことになるぞ!」
「そのとおり」
ラザルスの隣で立つ導師竜……ブマーも喋り出した。
「先程から聞いていれば好き放題……。老舗とは言え、地方闘技場で培った驕り……か。嘆かわしい。クロムとやらは無様に敗死したそうだが、これから後を追わせてやろう」
言い終えるとブマーはクククと笑い、ラザルスは豪快に笑っている。
「もういい。ってのは、さっきラザルスとかが言ったっけ? とにかく、もういいや」
弘は女性職員を見ると、マイクを差し出すように伝えた。そして、水晶体を向けられると、目だけはラザルス達を睨みながら言う。
「これ以上は話し合うこともね~な。口喧嘩しに来たんじゃないんだから。とっとと始めよ~ぜ?」
「そ、それではインタビューを終了します!」
そう告げて、女性職員は試合場から去って行った。小走りで駆けて行ったから、よほど怖い思いをしたのだろう。
そんな彼女の後ろ姿を見送っていると、入れ替わるようにして男性職員が入場してきた。どうやら彼が審判らしい。そして、審判の姿を見た観客達が、先程までの静寂を打ち消す勢いで騒ぎ出す。
「おいおい、対戦相手の数を減らさないのか!」
「こいつはたまげたな! いったい、どれくらい持ち堪えるやら」
「ディオスク闘技場で10連勝か……。あるいは思っている以上に頑張るかもしれんぞ」
そう言った声が聞こえ、中には「ふざけんな! 殺されちまえ!」などと物騒な罵声も混ざっているようだ。
が、弘は据わった目でラザルス達を睨むと、誰にも聞こえない声でボソリと呟いた。
「要するにアレだ。皆殺しにしていいんだな……」