第百六十話 王都散策
「ついに、念願の王都観光というわけかね?」
魔法学院内のロビー。そのソファに座った魔法使いが、隣で座る弘に笑いかけた。
メル・ギブスン。かつて弘と行動を共にしたことがある、中年の男性魔法使いだ。
その実力は冒険者としては中程度か、もう少し上。ただし、彼の真価は分析力や豊富な知識にある。つまり、パーティーの知恵袋として非常に適性があるのだ。
今回、弘はパーティーにメルを迎えるべく、彼が滞在している魔法学院を訪ねたのであった。
「いや~、それがその……。色々と立て込んでて……。そっちは論文とか、もういいんすか?」
確かメルは、王都に戻ったら論文でも提出するか……と言っていたはず。
「それなら、もう提出したよ。本当は、君の召喚術に関して盛り込みたかったんだが、それをすると大幅に修正する必要があってね。いや、実に残念だ」
「論文に盛り込むって……」
それをされると、魔法使いの界隈で弘が有名になること間違いなし。いや、知識欲の権化とも言うべき彼らの間で有名にされても困る。幸いなことに、メルは論文に書かなかったそうだが……。
「そう困った顔をしないでくれ。冗談だよ。それで今日は何の用かね? 弘を筆頭に……大勢で訪ねてきてくれたわけだが……」
そう言ってメルは軽く前傾姿勢をとり、左右……弘達見まわす。このとき、弘達はロビーの一角にあるソファを占領している状態だった。しかも大半が美人の女性である。
表通りを歩いていたときもそうだったが、今の弘達は、ロビーに居る多くの魔法使い達から注目されていた。
「冒険者が居るから注目されてる……んじゃあないんだろうな」
「うむ。カレンらが美人揃いだからだな。そもそも、冒険者パーティーが所属魔法職を迎えに来たり、ロビーで打ち合わせするのはよくあることだ。やはり綺麗どころが……それはそうと……」
メルは弘を見て、口の端を持ち上げる。
「私を訪ねてきた理由を、まだ聞いてなかったな」
そう聞いてくるメルの笑みからすると、どうやら勧誘に来たのが読まれているらしい。
「……パーティーに誘いに来たんすよ。メルの知恵が必要。そういうことっす」
「ほう。私の知恵がね……」
……。
暫し会話が途切れ、2人は沈黙する。周囲のソファで様子を見ていたカレン達は、漂う緊張感に身を固くしたが……。
「って、この空気。疲れるんでヤメにしません?」
「そうだな。駆け引きするような間柄でもない。単刀直入に話すことにしよう」
一気に緊張感が霧散し、カレン達がガクリと姿勢を崩す。
「さ、サワタリ殿……。もう少し真面目に……」
最初に立ち直ったシルビアが抗議するも、弘は「え~? だから、真面目に話をするんじゃん」と取り合わなかった。更に何か言おうとするシルビアを、カレンとウルスラが「まあまあ」と宥める。その様子を横目で見ながら、弘は改めてメルに話しかけた。
「魔法使い、メル・ギブスン。あんたが必要だ。俺のパーティーに入ってくれ」
「承知した。ヒロシのパーティーに所属させて貰うとしよう」
互いに真剣な表情。しかし、メルが言い終わると同時に双方がニヤリと笑う。
こうして魔法使いメル・ギブスンは、再び弘のパーティーに加入することとなった。
その後、弘はグレースの仇討ちを手伝うことを説明したが、メルは特に反対することもなく賛成している。
「随分とボカした物言いだが、こういう場所だからしかたない。だが、だいたいは把握した。事情自体、以前にも聞いているしな。そういう事なら喜んで協力しよう。私の役割は……魔法によるサポートと、終盤の包囲網の一角かな?」
「さすがはメル。話が早くて助かるぜ。その後は、暫く同じパーティーでやってくって事で」
更に弘は、闘技試合に出場することも告げた。それを聞き、メルは「修行をして強くなったそうだし、また大いに稼がせて貰おう」と楽しげに笑う。が、すぐに首を傾げて見せた。
「どうかしたか?」
「いや、ここ最近の状況を聞かせて貰ったが。今の闘技試合の話は、タイミングが良すぎるな……と」
「メルも、そう思う? やっぱり怪しいわよねぇ?」
向かいのソファに腰掛けたノーマが、弘達の会話に口を挟んでくる。闘技試合への参加は、必要な行動として予定に組み込んでいるので、今更キャンセルする気はない。だが、パーティーメンバーの2人までが怪しさを指摘するのだ。
「……やっぱ、何かあるのか? 俺を闘技試合に参加させるのが目的だとして。そんなことして得する奴が……。ん~……俺の勝ちを確信して、俺に賭けようとする奴とか?」
「でも、サワタリさん。試合参加の勧誘に来た人は、闘技場の職員ですよ?」
「闘技場職員は~、勤務地の闘技試合で賭け札を買えないものね~」
挙手しながら発言したカレンと、おとがいに人差し指を当てるウルスラ。彼女らの指摘からすると、個人的に賭けの利益を得ようとしている者の画策。そういった線は薄いかも知れない。
(日本だと地方競馬場の職員は、地方競馬の馬券は買えねぇらしい。けど、聞いた話じゃあ中央競馬場の馬券は買えるとか……ああでも、こっちの世界の話だしな)
「あの闘技場職員が本物だとしたら、そういう職員を動かして俺を試合参加させようとしてる奴がいるわけだ」
「偽職員の場合は、割り符を使うところでヒロシが追い返されて終わりになるからな」
付け加えてくるメルに対して頷くと、弘は頭を掻く。
「そういや……ディオスクの闘技場で、似た感じのことがあったな。俺が人気闘技者を倒したもんだから、金持ち連中を怒らせて……」
闘技場に圧力が掛かった結果、無茶な試合を組まれたのだ。
具体的には10連戦の終盤、レッサードラゴンを含む大型モンスター3体と、同時に戦わされたのである。しかも、バトルロイヤル型式だったにもかかわらず、3対1で戦う羽目になった。
「いや~、あん時は死ぬかと思ったっけ」
「見てる方もハラハラして、心臓に悪かったですけどね」
向かい側ソファのシルビアが、ジト目で睨みつつ言う。カレンなどは「あ、アハハ……」と笑っているが……。
(シルビアがハラハラ……ねぇ)
弘はシルビアの視線を見返しながら考えた。
ディオスクで10連戦したのは、闘技試合にて大損した腹いせで選手登録したことによる。カレンとシルビアが合流したのは、その最中のことであったが……。
(ひょっとして、あの頃から俺に気が合ったとか? いや、もっと前から?)
だとしたら……凄ぇ萌える! と弘は思った。
当時はウザイとか、キツいとしか思っていなかったシルビアの言動だが、その裏では弘に好意を寄せていたのかと思うと、何となく嬉しくなってくる。
その思いが表情、あるいは目にでも出たのかシルビアが眉間に皺を寄せた。
「な、何をニヤニヤしているんですか。不真面目です!」
怒ってはいるが顔が真っ赤なので、可愛いとしか思えない。
「はいはい、俺が悪かったよ。で……話を戻すとしてだ。ディオスクの時みたいに、誰かが闘技場を動かして……俺を勧誘に来たって感じか。そうだとしたら……またヒドいことになりそうだなぁ」
「悪くすれば、また集団リンチよねぇ?」
これはノーマの発言である。特に心配している風ではなく、どちらかと言えば楽しそうに聞こえた。「あぁん?」と周囲を見まわしたところ、誰1人として弘を心配している者は居なかった。
「なんだよ? みんなして……俺のこと心配じゃね~の? ほら、俺……彼氏だよ? メルは別にしても、もうちょっとさぁ」
「な~に言ってるの~。さっき自分で言ってたじゃない~。なんとかなるんでしょ~?」
「うむ。修行を終えたサワタリであれば、闘技場で出てくるモンスター程度。相手にはなるまい」
「いや、ウルスラ……確かにそう言ったし。グレースが言う風にも思ってたけどさぁ」
2人に言いながら、弘は口を尖らせる。自分の強さを信頼してくれるのは嬉しいが、何でもかんでも大丈夫……みたいに言われてる気がして釈然としない。少し悩んだ弘であったが、数秒後……。
(ま、いいか……)
と、悩むことを放棄した。ついでに、自分が試合に誘われた裏について考えることも放棄する。
「要は、アレだ。試合に勝っちまえば、金は手に入るし、ジュディスの親父さんにも強さをアピールできる。良いことずくめじゃん。なあ?」
「負けた場合のことも考えるべきだが……。聞いた話ほどヒロシが強くなっているなら、まあ問題は無いだろうな」
そうメルが言うと、弘以外の全員が頷いた。
結局のところ、闘技試合への参加を最大限に活用することで話は終わる。そして試合日までの間、各自でやるべき事をやるものとし、ここで解散することとなった。
まず、ノーマは襲撃場所の下見をグレースと共に行う。この予定を聞いた弘は、目を丸くした。
「へっ? 試合日は明後日だぞ? 例のエルフ氏族の森まで行くとか……大丈夫なのか? その……時間とか」
「馬を借りていくから大丈夫よ。グレースは乗馬できないそうだけど、私にしがみついてくれればいいし」
「……森には馬など居ないのでな……」
手をヒラヒラ振りながらノーマが言うと、グレースが珍しく恥じらいながら呟く。その様子が可愛らしいので、ウルスラが「美人で可愛いだなんて反則~」などと言うが、そのウルスラはと言うと……。
「私ぃ? 私は~、カレン様とシルビアと一緒に~、ジュディスのお父様に会いに行くの~」
ジュディスを自由の身とするため、再度、父親にアタックするのだ。このジュディス宅訪問は、一つにはやれるだけのことはやる……という意味合い。そして、娘の友人達が諦めていないことを印象づける狙いがあった。
ちなみに、これはメルの発案による行動とのこと。
「他のことを画策しているとか、そう思われないように……ですよね?」
「ま、しないよりはマシと言った程度だが……。ジュディスのお父上には、娘さんに注意を向けて貰った方がいい」
カレンの確認に答えたメルは、何かを思い出したような素振りを見せる。
「話は変わるが、ヒロシ。君は冒険者ギルド王都本部の……ジュード・ロォ氏を覚えているかね?」
「レクト村の事件の時に、助っ人に来てくれた爺さんっしょ?」
弘は以前、ジュディスのパーティーメンバーとして活動していた時期があった。そして、とあるギルド依頼を遂行したのだが……その際に訪れたのがレクト村である。ここで危機に陥った際、ギルド本部から救援に来たのがジュード・ロォだった。
弘にとって恩人であるが、事件後に良くして貰ったことと、就職先の偉い人としては気さくな振る舞いもあって好感度は高い。
「本部の偉い人だっけな」
「そして魔法ギルドの重鎮でもある。で、その彼だが、今朝方から君について聞き回っているようだ」
「俺のことを?」
メルに対して問いかけながら、弘はノーマを見た。偵察士の彼女なら、何か情報を掴んでいるのでは……と思ったのだ。しかし、ノーマは首を横に振る。
「聞いてないわよ? 噂話には気をつけているつもりだけどね」
「そうか。けど、どういうつもりかな?」
ジュードの方で、弘に何か用でもあるのだろうか。目を付けられるようなことをした覚えはないが……。
「あっ……」
思案しつつメルを見た弘は、あることに思い当たった。
この魔法使いメルは、弘の召喚術に興味津々であり、事あるごとに調べたがっている。実際、彼の要望を聞き入れ、何度か召喚術の実験をしたことがあった。
「メルの指摘やら考察がイイ感じで、召喚術に応用が利くようになったもんな~。けど、そうなると……」
「うむ。ロォ会計課長も、ヒロシの召喚術に興味があると考えて良かろう。いや、これはモテてモテて困る話じゃあないか」
嬉しそうにメルが言うので、弘は軽く睨みつける。
思うに、メルは同好の士が登場したことで喜んでいるのだろうが、弘としてはメル1人で充分なのだ。
(オッサンと爺さんからアレコレ言われながら、召喚具を出したりとか……マジ勘弁だぜ)
「ともかく……試合日までは、準備とか進めておかね~とな。メルはどうするんだ?」
「私は身辺整理……いや、魔法学院内の私室を片付けておくさ。と言っても旅の準備をするだけだがね。そういう弘は、どういった行動予定だね?」
「俺? 俺は……」
「サワタリさんは明後日に試合なんですから。ゆっくりしててください」
すかさずカレンが発言する。
弘は「いや、ゆっくりしろって言っても」と言いかけたが、続けてグレース達もカレンに賛同したので、何も言えなくなった。
本来であればカレン達かグレース達、どちらかに同行するべきなのだろうが……。
「ああ、もう。わかったよ。好きにさせて貰うわ」
投げ槍に答える弘。
しかし、これと言って特にすることはない。敢えて何をするかと考えたが、闘技場の現地確認をしたり、武器屋を覗くぐらいだろうか。
「面白い雑貨があれば買うかな。ああ、水や食料も調達しておくか。アイテム欄に放り込めば新鮮なままだし……」
「つまりは、闘技場の位置確認を兼ねた王都見物というわけか」
「軽い散策みたいなもんっすよ」
弘はメルに対し、肩をすくめて見せた。すると、メルが更に問いかけてくる。
「で? それを1人でするのかね? せっかくなんだ、誰か連れて行ったらどうだ?」
ざわっ。
ロビーにある共用ソファ。そこで座るカレン達の間で空気が揺れたような気がした。弘がそれとなく皆を確認すると、カレン達は互いに目配せをしている。
今聞いた弘の行動に付き合うというのは、ちょっとしたデートのようなものだ。カレン達は全員、『弘の恋人同士』であるが、誰か1人、弘について行けるのなら。やはり、自分が行きたいという思いはある。
だが、では自分が! と主張して良いものかどうか、皆が迷っていた。
一方、弘は弘で少し悩んでいる。
(いや、俺は1人でもいいんけど。ん~……せっかくだし、誰かとブラブラ歩くのもいいか……)
今ここに居る女性5人。彼女らが、それぞれ弘に好意を持っているだけで交際まではしていない。そういうシチュエーションであれば、弘はヘタレて1人行動をしていたかもしれない。しかし、現実を見れば全員が弘の恋人なのだ。
(誰か1人選んでも、そんなに角は立たない……のか?)
とはいえ、他の者には多少のフォローは必要だろう。そこが実現してしまったハーレムの辛いところだ。
「……俺が選んでい~んだな?」
一応、確認してみたが、誰も返事をしない。怒ってるようでも、嫌がられているようでもない為……弘は誰を連れて行くか考えてみた。
カレンとシルビアは、ジュディスの家に向かわせた方が良いだろう。友人と幼馴染みの僧侶がセットで訪問したらなら、それなりの効果は期待できるはずだ。
(すでにやって門前払いされたらしいけどな……。しつこさはアピールできるか……)
グレースとノーマも、彼女らが言う予定の行動を取らせたい。事前に襲撃地を把握したり、前もって罠などを用意するのは必要なことだからだ。
(となると……)
「ウルスラ……。さっき予定を聞いたばかりだが、良ければ付き合ってくれるか?」
問いかけると、メルの隣で座っていたウルスラが両肩を一瞬上げる。どうやら驚いたらしい。が、すぐに悪戯っぽく笑うと逆に聞いてきた。
「私~? 私でいいの~? 予定だってあるのに~? 理由は~?」
「嬉しそうだな、おい。……で、連れてく理由だが、メルが言ったみたく1人でウロウロするよりはいいかなって思ったからだ。ウルスラを選んだのは……まあ、なんだ。ジュディスん家への訪問組は3人居たからな。1人抜いても大丈夫かなって思ったんだよ。それと……そうだな」
ウルスラを選んで、自分はどうしたいのか。それを弘は考えてみる。
この商神の尼僧は、今は自分の恋人だ。その和風美人の要望と、ギャップを感じさせる利益優先主義は、見ていて飽きないし楽しい。総合的に考えても、自分が好意を抱くには充分な存在だ。と言うか、本来ならチンピラにはもったいない女性である。
(ウルスラだけじゃなくて、他の誰だって俺なんかにはもったいないんだけどな~)
それはともかく、自分はウルスラについて詳しいことは何も知らない。ここが大問題だと、弘は思った。自分とウルスラは恋人同士なのに……。
「……ウルスラとは一度、じっくり話をしてみたいと思ってたんだ。恋人同士の間柄になったんだし? 色々聞いてみたいじゃん? おっと、他のみんなにだって、そういうのは感じてるからな?」
すかさず付け加えると、ウルスラとのやり取りを見守っていた女性陣が「じゃあ、私の番もあるわけだ? 期待してるわよ~」とか「そうですね。私もサワタリ殿とは、じっくりお話をしてみたいです。無論、二人きりで」と、ある意味プレッシャーとなる言葉を投げかけてきた。
カレンなどは……。
「私は、王都でデートする約束がありますから。それを楽しみにしておきます!」
と、大変に元気がよろしい。
それらを聞いた後、弘の注意はウルスラに戻った。
「で、どうなんだ? この後、俺と一緒に来るのか?」
「勿論、行くわ~。せっかくの機会だもの。逃したら、もったいないじゃない~。カレン様とシルビアは、ごめんなさいね~。埋め合わせはするから~」
承諾しつつカレン達に謝罪する。それを受けてカレンとシルビアは「気にしないで頑張ってね!」や「あとで聞かせて貰いますよ。参考にしたいので……」とウルスラを後押ししていた。
こうして、ウルスラを伴っての王都散策が決定する。
「じゃあ、ここで解散だな。王都から出て行動するグレースとノーマは別にして、夜になったらギルド本部の酒場で落ち合おう。……ってゆうか、大事なことを聞き忘れてたぞ!」
別行動するメンバーの中では、グレースとノーマが危ない。何しろ、女性二人で街道を移動し、敵氏族の森へと入るのだ。
「そもそも道中だって危ないだろ! 野盗やらモンスターとかが出たらどうするんだ?」
やはり自分がついて行くべきではないだろうか。そう思う弘であったが、同行の申し出をする前にノーマがきっぱり言い放つ。
「心配御無用。ヒロシのパーティーじゃあ、私とグレースが一番気取られずに動けるんだから」
「うむ。それに敵性生物の察知は双方得意であるし。例え馬を無くしたとしても、逃げに徹すれば問題ないぞ? 我ら2人であればな」
だから気にすることなく、試合の日までノンビリしていろ。
そう言ってグレースとノーマは笑ったが、同席しているカレンやシルビアも同意見のようで、ここでも弘は引き下がるしかなかった。その後は、この魔法学院のロビーで一度解散し、グレースとノーマ以外は夜にギルド本部で落ち合うこととしたのである。
◇◇◇◇
「へえ。これが王都の闘技場か……デカいな……」
ウルスラに案内されて闘技場へ到着した弘は、正面入口を前に建屋の上部まで見上げている。ちょうど太陽が真上付近にあるので実に眩しい。それに逆光で建物がハッキリと見えなかった。だが、大きさは理解できる。ディオスクで見た闘技場と比べても二回りほど大きい。何より感心したのが、真正面だけギリシアのコロッセウム風だったディオスクと違い、完全な円形闘技場であること。
(もうファンタジーRPGとかに出てくるテンプレだな。昔に召喚された奴が、こういうのがあるとか言ったのか?)
事実関係は不明だが、どうあれ目の前に立派な闘技場があるのだ。せいぜい利用させて貰おうと、弘は考えていた。
「しかし、金かかってんなぁ。商神の信徒さんとしちゃあ、こういうのって採算合ってるのか?」
隣で立つウルスラにコメントを求めてみる。
……隣で立つウルスラ。
普段はカレンかグレースが居るポジションだが、こうしてウルスラを立たせてみると実に新鮮だ。
(いや、カレンやグレースに飽きたってんじゃなくてな……)
誰に対してのものか言い訳を考えていると、ウルスラが話し出す。
「ん~……ディオスクの二番煎じ~……なのに、建物にお金をかけてるからぁ。計画段階では、かなりリスキーだったかも~」
王都近辺に何故か多く出現する、脅威度の高いモンスター。これらを捕獲して使えるのが大きな利点で、今では老舗ディオスク闘技場に並ぶほどの人気を誇っているらしい。
「初期の不安を営業努力で切り抜けて~。うまく軌道に乗せてるんだからぁ、評価は良い点数を付けていいと思うの~」
「ほうほう」
商売のことは良くわからないが、ウルスラの方で解りやすく説明してくれるので理解はできる。それに……。
(やっぱ『カタギの』若い女と話してると、普通に嬉しいもんだよなぁ。おい)
レディースの女の子らとの会話も、趣味が合ったりして面白いものだったが、カレンやウルスラ達との何気ない会話。それが弘をウキウキさせてくれるのだ。
その後、各店舗で食料品や雑貨などを買い込んだ弘は、購入品をすべてアイテム欄に収納し、通りの屋台でウルスラと軽食をとっている。買ったのはドネルケバブのような料理。ただし、肉類を挟むパンは少々硬い。
屋台脇に用意された長椅子(カンフー映画で振り回される木製の椅子風)に並んで腰掛け、料理を頬張る。硬いパン、野菜、まだ温かい肉。そして肉汁に香辛料。
「けっこう美味いな……」
「ホントにね~……。でも……」
大口開けてかぶりつく弘とは違い、ウルスラはリスのように少しずつ食べている。
「こうやってぇヒロシと2人で食べてるから、より美味しく感じるのかも~」
「そ、そうか……」
……。
もぐもぐもぐもぐもぐ。
……ごくん。
「そういうの、不意打ちで言われるとリアクションに困るんだが?」
「そこは照れるといいんじゃないかしら~」
そうして2人で笑う。
これだ。こういうのが、いわゆるデートだ。
弘は少しばかり感動しつつ、後日に控えたカレンとのデートのことを考えてみた。今と似たような展開があるとしたら、やはり楽しいものになることだろう。そしてこの先、他のメンバーとデートする機会もあるはずだ。
(はっはっは。メルも言ってたけど、モテてモテて困っちゃう……的な。うん?)
気がつくと、隣のウルスラが不機嫌そうに睨んでいる。
「なに?」
「今、他の女の人のこと……考えてる顔してた~」
あいてる方の手で頬を撫でてみたが、よくわからない。そんなことが解るのかと聞いてみたところ、ウルスラは「勘よ~」とだけ答えてくれた。
「……すまん」
「ど~せ考えてるのはぁ、カレン様達のことでしょうから~。大目に見てあげるんだけどぉ。……せっかく2人で行動してるんだし、私に集中してくれると嬉しいのよね」
台詞の後半がキビキビとした物言いになる。大目に見てあげると言いながら、少し御立腹のようだ。
(どうしたもんかな……)
ケバブモドキをモグモグしながら考えていると、いつの間にか先に食べ終えていたウルスラが立ち上がる。
「そ~ね~。今日はぁ、ヒロシの買い物に付き合うってことだったんだけど~。今から軽くデートってことにしてくれるなら~。私の機嫌が、いい感じになるかも~」
「そう来たか……」
弘自身はわからないが、今の自分の表情は驚きと呆れが混じった……苦笑のようなものだっただろう。
「いいぜ、じゃあ……今からはウルスラとデートだ」
◇◇◇◇
デートと言っても、やることは事前の予定とほとんど変わらない。つまりは、王都闘技場の位置を確認し、雑貨類を購入し、少し散策する。それだけのことだ。
しかし、すぐ隣を歩くウルスラは実に楽しそうだ。鼻歌まで聞こえてくるのだから、楽しく感じているのは間違いない。
「公園まで歩いてるだけだが……。そんなに楽しいか?」
「楽しいわ~。だって……恋人と歩いてるんですもの~。……ヒロシは、楽しくない~?」
「俺か?」
弘は空を見上げた。雲が幾つか見えるだけの晴天。
次いで周囲を見てみる。ディオスクで見たような少し装飾のある衣服の人々が、数多く行き交う通り。もちろん、冒険者の姿も見えた。
そして隣には、尼僧服に身を包んだ和風美人。しかも恋人だ。
「楽しいに決まってらぁ。つか、やべぇな。言葉に出しちまうと、余計に嬉しくなってくるし」
「それはそれは~。彼女冥利に尽きるわ~」
そうして話ながら歩くと、やがて中央広場に到着する。各所に池があったり、その池の周囲にベンチがあったり。一方では、大きな木々も植えられているという……王都に相応しい公園だ。
「緊急時には~、避難場所になってるのよね~」
「お~……俺が元居た世界の公園っぽい。いや、公園ってな、そういうものなのか」
そのまま歩き、手近な木陰のベンチに落ち着く。
さて、話題だ。普段の軽口ならともかく、こういう時に何を話して良いのか……弘には見当がつかない。少し迷った後で、ウルスラの実家について聞いてみた。
「私の実家~? ん~、少し成功してる感じの商家よ~? 両親は健在~。家督は姉が継ぐ予定~」
ウルスラ自身は他の商家に嫁ぐよりも、独り立ちしたくて商神教会へ入信したらしい。
「やっぱり~、商いは自分の好きなようにしたいし~。実家の力を借りるのは面白味が無いから~。商神信徒になってぇ、そこから始めようかな~って~」
商神信徒が信徒のまま商売を始めるのは、よくある事とウルスラは言う。
なお、ウルスラの本名はウルスラ・アンドース。実家を出たときから、名前一つで世渡りするべく、ファミリーネームは可能な限り使用しないこととしたのだ。
「じゃあ、呼ぶときは今までどおり『ウルスラ』でいいんだな?」
「ええ~。それでお願いするわ~」
商神教会に入信したウルスラは修行をし、神学院に入り、そこでシルビアと知り合っている。
「宗派が違うのに学校は同じなのか? 別宗派の坊さん同士で喧嘩になったりしね~の?」
「この国は宗教差別とか、教義を論じ合う以上の諍いは禁止だから~。各自の心中は別にしてもね~。だいたい~、喧嘩自体は犯罪よ~。それに補助金なんかの問題でぇ、宗教学校が幾つもあるのは国としても嫌らしいの~」
だから学校施設としては1本にまとめて、『宗派』は『学科』扱いとなった。これによって他宗派も学べることになり、評判は良いらしい。
かくしてシルビアとセットでカレンと知り合い、カレンの学友であるジュディスとも知り合うことになった。
「後は知ってのとおりかしらぁ。カレン様が事情あって冒険者になって~、後を追いかけたジュディスが強引に学校を出て~……」
「ジュディスについて行く形で、ウルスラも冒険者になったんだな?」
そこまで聞き終えた弘は、フウと一息つく。
「それで……今は、異世界から来た不良の召喚術士と交際してるわけだが。御感想は?」
さりげなく聞けてるだろうかと不安になりながら、聞いてみた。要は自分で良いのかどうか、今になっても不安なのである。これに対し、ウルスラは座高の高い弘を見上げてニッコリ笑った。
「最高にスリリング~。他の誰だかも言ってたけれどぉ、ヒロシは英雄になる器だと思うの~。だから~、大いに期待させて貰うわ~」
「英雄……ねぇ」
弘は腕組みをする。こっちの世界に来て、召喚術を身につけたことを知り、『異世界転生モノの主人公だ!』的な浮つきを感じたことはあるが……。
(主人公がチンピラ君じゃあ、テンプレな楽しさとかね~んじゃね~の?)
と、今では思う。
育ちだって良くないし、正義漢というわけでもない。そもそも、この世界には『ちゃんと』魔王が存在するらしいが、今は大人しくしている上に、自分には魔王と対決する動機も理由も無い。
それに、ハーレム呼ばわりして良い人数の恋人が出来てしまった。正直言って、もう良いんじゃないか……と弘は思う。カレン達とノンビリ、面白可笑しく過ごして行ければ充分じゃないか。
(物語の主人公様なんざ、例えばそう……あの犬飼毅とかに任せちまってさぁ……)
世界的な危機を救う大冒険。それをする必要がある危ない人生。そんなものは、御免被りたいのだ。とは言え……。
「……みんなが期待してくれるなら、それなりに頑張ってみてもいいかもなぁ……」
彼氏として彼女の期待には応えたい。そういう気持ちも、また存在するのだった。
そして、ボソリと呟いた言葉にウルスラが反応する。
「ヒロシはぁ、好きに行動すればいいわ~。そういう貴方を~、みんな好きになったんだもの~。でも~……」
一度言葉を切ったウルスラが、悪戯っぽく微笑んだ。
「私は~楽しいのが好き~。あと、お金儲けができれば言うことなし~」
「ああそう。ったく、好きにやれば良いけど、楽しませてくれって……。それに金儲けか……。それは俺もやりたいな」
だが、自分に商才は無いと思う。熱くなりやすい性格だし、交渉事には向いていない。冒険者働きで資金稼ぎをし、商いに関してはウルスラに任せるのが得策だろうか。
「そんな感じで……うん?」
「どうかしたの~?」
話に夢中で気がつかなかったが、いつの間にか自分達は囲まれていた。相手は10人ほどで、亜麻色だか砂色だかのマントを羽織り……フードで顔を隠している。その隙間から見えるのは金属鎧。金物の鎧を身につけて近づき、それで気配を悟らせなかったところを見ると、どうやら腕利き揃いらしい。
(って、ことにしとくか。まあ、俺の油断なんだけどな)
マントの腰の部分が、長物を差しているように膨らんでいるため、それぞれ腰に剣を下げているのがわかる。
どう見ても襲撃されているシチュエーションなのだが、弘に心当たりはなかった。
「となると、ウルスラが誰かに損させて恨みを買った……とかか?」
「違うわよ、失礼ね~。私ぃ、そんなことしてない~」
違うらしい。そんなやり取りをしている間に、真正面に居た男が剣を抜いた。顔は見えていないが、体格からして男だろう。他の者達にも女は混ざっていない様子。
弘は立ち上がると、腰に下げているバスタードソード……普通の冒険者を装うために購入し、ほとんど使用していなかった得物に手をかける。
「あ~……こんな場所で剣まで抜いてんだから、用件はわかるんだけどよ? 人違い……じゃね?」
「いや、ヒロシ・サワタリ……お前で間違いない」
最初に剣を抜いた男が、そう言った。
「理由を聞いてもいいか?」
「答える必要はない。ここで死んで貰う」
愛想がない上に、殺す気満々の御様子。これを聞いた弘はと言うと、一瞬、逃げることを考えた。理由はウルスラの存在である。
元居た日本でもあったことだが、彼女連れで喧嘩しても良いことは何もない。
首尾良く相手に勝てば良いのだろうが、弘に言わせれば、巻き添え食った恋人が怪我する可能性もあるわけで……。
(女連れで喧嘩するんなんざ、阿呆のすることだ)
ということになる。もっとも、冒険依頼を請けてパーティー行動をしているなら話は別だ。その場合、誰も彼もが危険を承知で行動しているのだから。
「じゃあ、もう一つ。彼女は帰っていいよな?」
ウルスラだけ逃がして、心置きなく戦う。それが狙いだ。自分だけが狙いなら、受け入れてくれる。いや、受け入れて欲しい。
この質問をした時点で、弘は一応ではあるが冷静だった。だが、男からの返答を聞き、こめかみに血管が浮くこととなる。
「駄目だ。一緒に死んで貰う」
感情を感じさせない口振り。これを聞いたウルスラが、表情を固くして腰のメイスに手を伸ばす……が、続いて弘が発した声を聞き、動きを止めた。
「……あっ? お前、今なんつったよ?」
ぶわっ。
突風のような殺気が弘から生じ、男達を吹きさらす。その圧倒的な圧力に、包囲していた男達が一歩後退した。
「俺のウルスラを殺すとか……。ぶっ殺……いや、色々立て込んでんのに人殺しはマズいか」
フッと殺気が消失する。
その瞬間、最初に剣を抜いた男……の隣に位置していた男が、弘に斬りかかった。直前まで剣は抜いていなかったのだから、相当な早業である。しかし……。
ズヴァム!
大音響と共に男が倒れ伏した。持っていた剣を放り出し、鮮血に染まる太股を押さえている。
「じゃあ、しゃ~ね~わ。死なない程度に、痛い思いして貰うか」
そう呟く弘の手に握られている、黒光りする物。
それは旧ソ連製の拳銃……トカレフだった。
弘は倒れた男を見てフ~ンと鼻を鳴らす。
「あ~あ。足まで金属鎧とか付けてね~か? まあ、走りにくいだろうから、そうなんだろうけど。次の奴はどうする? 鎧付けてる胸とか狙ってやろうか? いい鎧だったら貫通しなくて済むかもよ?」
淡々と語り、弘はトカレフの銃口を移動させる。
次なる目標は……最初に剣を抜いた男だった。