第百五十九話 ジュディスを自由にする方法
「それでは、こちらが当日の闘技者証となります。闘技者用の通用門を通過するための……割り符としてお使いください」
報酬等の協議を終えたブレナンは、木製の割り符を差し出した。割り符と言っても、何処かが欠けている風でもない。長方形の板きれである。それを受け取った弘は、まじまじと闘技者証を見た。
「割り符ねぇ。あ~……特別試合出場者? 氏名欄……で、当日のみ有効? あとは……試合日時か」
そのような文言が記載されている。中央には魔法陣っぽい紋様が描かれているのだが……。
(この板きれ……魔法のアイテムってやつか?)
「……ここに名前を書くように見えるけど……書けばいいのか?」
「左様です。これを、お使いください」
手渡された羽根ペンでもって記名すると、闘技者証に描かれた魔法陣が青白く発光。その直後、ヒビを生じて2つに割れた。手に持った部分はともかく、その先の部分は床に落ち……かけたが、弘は羽根ペンを持ったままの手ですくい取る。
おお~っ!
周囲の冒険者達が声をあげた。素早い動きと、ペンを持ったままの手で割り符を取った器用さに感心したらしい。注目を浴びた弘は気をよくしたが、両手に持った割り符を交互に見ると、少し固まっているブレナンに問いかけた。
「このどっちかを持って闘技場に行けばいいってか?」
ブレナンの説明によると、この割り符は記名者が持たなければ効力を発揮しないらしい。その効力とは、もう片方と合わせることで、割り符が接合するというもの。
「手が込んでるなぁ……。さすがは王都の闘技場って感じ?」
嫌味や皮肉ではなく、本当にそう思う。それが伝わったのか、ブレナンは事務的ではない笑みを浮かべた。
「それでは、これにて失礼します。あ、そうそう。試合当日は、開始の鐘1つ前までには控え室で待機してくださいますよう」
「了解っす」
一礼して去って行くブレナンを見送る弘。その彼を、カレン達が取り囲む。
「さ、サワタリさん! いいんですか!? あんな条件の試合だなんて!」
「え? まあ、何とかなるんじゃないか?」
弘は気楽な返事をした。闘技場で出てくるモンスターなのだし、そもそも人の手で捕まるような強さなら問題にならない。そう判断したからだ。
「何となるにしてもよ? もう少し、私達と相談して欲しいってのはあるわね。ヒロシが1人だけで危ない目に遭うのって、見てる私らとしちゃあイイ気がしないわけよ。無論、事前の相談がなかったことについてもね」
「うっ……。それは、その……悪ぃ……」
事前相談をしなかった件に関しては素直に謝罪する。勝手に話を決めて申し訳ない……と、弘は心から思っていた。しかし、敢えて言い訳をするならば、あの話の流れでは「返事は後日に……」と言えなかったのである。要するに、ブレナンによって「上手く乗せられたのであり、やはりリーダーとしては大いに反省するべきだろう。
「でも~。勝てば大きいわよね~。絶対に、やるべきよ~」
「だよな~。さすがはウルスラ、気が合うぜ!」
幾分、しゅんとなっていた弘は、ウルスラが乗り気なので気分を盛り返す。当日の賭け率がどうなるか、今のところは不明だ。しかし、有り金をブチ込めば相当な蓄財になるだろう。勿論、勝てばの話であるが。
ちなみに、気が合うと言われたウルスラは嬉しそうに微笑み、それを見たカレンが羨ましそうに口を尖らせている。耳を澄ますと「私だってサワタリさんと気が合うんだもん」などと言っているのが聞こえた。実に可愛らしい。
「あの……サワタリ殿?」
シルビアが遠慮がちに話しかけてくる。その視線が自分だけでなく、隣のグレースにも向いたので、弘は次いでグレースを見た。隣で座る美貌のエルフ……今は幻術のネックレスのおかげで人間女性にしか見えない彼女は、コクリと頷いて見せる。ただし、それは弘に対して頷いたのではなく、シルビアに対しての頷きだ。
この頷きを受けたシルビアが、話を続ける。
「サワタリ殿。今はグレース殿の件やジュディス様の件があります。そこに賭け事……それに類する行いを割り込ませるのはどうかと。……などと、少し前の私なら説教をするのでしょうが……。思いますに、何か理由でもあるのですか?」
「やはりシルビアも同じか。我も、そう感じたな。サワタリよ? ただ単に金を稼ぎたいだけではなかろう?」
グレースも問いかけてきた。これにより皆の視線が弘に集中するが、当の弘は……。
(読まれたか。てか、シルビアが言うとおり忙しい時にすることじゃないし。不自然だよな。うん、気づかれるよな)
などと考えている。
もちろん、資金稼ぎ以外にも狙いがあるのだが、それを説明するには場所が悪い。弘が考えたのは、いわゆる悪巧みの類であり、他の者に聞かれるのは避けるべきだ。ならば、例によって貸し会議室の出番である。
「よし。じゃあ、また会議室を借りるか。そこで話をしよう」
そう言って席を立つと、弘は全員分の食事代の精算を済ませ、皆を連れて2階へ移動するのだった。
◇◇◇◇
弘が急遽、闘技試合への参加を決めたのには2つの理由がある。
1つは、資金稼ぎ。グレースの件で皆に依頼料を分配する手前、大金を稼ぐ機会を逃すわけにはいかないというもの。もう1つは、ジュディスに関することだった。
「ジュディスちゃんのこと……ですか?」
再び借りた2階会議室で、カレンが小首を傾げている。他の者達も、今ひとつ理解が及んでいないようなので、弘は話を続けた。
「俺達としちゃあ、最終的にジュディスが自由の身になればいいんだ。まあ、復学したら、そうはいかないんだろうが……。少なくとも、自宅軟禁みたいな状態は解消しておきたい。あと、冒険者稼業に復帰できりゃあ上々だな。が、これは難しいか……」
「ジュディス様の自由……。やっぱり手っ取り早いのは、お父さんを説得することかしらね?」
ノーマが言うのを聞き、弘は頷いた。しかしながら、それが非常に難しい。今ここに居るメンバーで、ジュディスの実家……と言っても官舎だが、そこを訪問できそうなのは、カレン、シルビア、ウルスラの3名のみ。弘や他の者が行ったとしても門前払いをくらうことだろう。
「私達が行ったとしても、話は聞いて貰えないでしょうが……」
困り顔のシルビアが言う。事実、ジュディスと行動を共にすることが多かったウルスラは、訪問こそ許されたが、ジュディスの父との交渉には失敗している。
「そういう事なら君と話すことは何もない! な~んて、取り付く島もなかったの~。正直言って~、余程の理由がなければジュディスを家から出すことは無理よ~。ましてや、おじ様の考えを変えるとか~」
最初、胸の前で祈るように手を組んでいたウルスラは、言い終わる頃には頭を抱えていた。ただ、口調が間延びしたままなので、少しは余裕があるように見える。
(俺が、ジュディスの件で考えがある……みたいに言ったからか? 期待されてる? だとしたら……なんか緊張してきた……)
「だが、サワタリには何やら妙案がある。そういう事なのだな?」
「お? おお。そ、そんな感じだ」
グレースが続きを聞きたそうにしているので、弘は咳払いをすると自案を述べた。
まず、現状確認から。現在、沢渡弘はジュディスと交際中の身である。
「デートだってしたいし? 俺の冒険行に、ジュディスが付き合ってくれることだってあるじゃん? そのためにはジュディスが外出できなくちゃいけねぇ。んで、親父さんの説得だが……。まあ交際中なんだから……ジュディスの親父さんには、俺のことを知っておいて貰いたいわけよ」
「お父さん、娘さんをください! って?」
ノーマが口を挟み、弘は「いや~、さすがに話が急すぎるだろ?」と言いかけた。が、そこでカレン、シルビアが椅子を鳴らす。動作を見るに立ち上がりかけたのだろうが、瞬時に思い直したらしく、気まずそうに目を逸らしている。
耳を澄ましたところ、「う~。私……お父様は、もう居ないし……」とか「実家とは縁切り状態ですから。何だか複雑です……」といった声が聞こえてきた。カレンの事情は知っているが、シルビアに関しては初耳の情報だったので興味が湧く。しかし、今はジュディスに関しての話をするべきだ。
「婚約云々の話は、もうちょい先かな。で……俺が今行っても、やっぱり門前払いだろ?」
何しろ、王都に着たばかりの田舎者で、一介の冒険者。しかも、こっちで言う異世界人である。異世界転位については会ってすぐ話すわけにはいかないが、冒険者仲間としてジュディスの行動の自由を要求したらどうなるか。
「家庭の問題に口出しするな……で、話は終わっちまうんだよな。それに、交際してます~……なんて言ったら、怒ると思うし」
「それはまあ……そうでしょうね」
そう言って相槌を打ったのはノーマだったが、いつもの彼女らしくなく言い淀んでいる。
(怒るかしら? ヒロシみたいに凄い男なら、ジュディスを嫁に出しても良いと思うのだけど……。ん? これって、あ~……)
自分が弘に好意を持ち、冒険者として高く評価しているからこその考え。それを自覚したノーマは口をつぐんだ。頬に熱を感じるが、少し色黒であるため弘は気がつかない。
「そこで……だ。さっき勧誘された闘技場の特別試合に出て、俺の雄姿を存分に観て貰う。俺が凄い奴だ~……って理解して貰えたら、話くらい聞いてくれるんじゃね?」
とにかく話を聞いてくれる気になって貰うのが肝心。そう説明すると、グレースが頷いた。
「ふむ。手っ取り早い方法ではあるな。他にも手はあるだろうが……」
ちなみにグレースが考えた他の手とは、カレンのつてを頼って他の貴族から根回しをして貰い、ジュディスの父親に方針転換をして貰うこと。
「でも、それは……」
「わかっておるよ、カレン。すでに試してみたのであろう? それで上手くいかなかったと。そもそも、今から同じ事をしても成果が出るのに時間がかかるだろうしな」
ここは、やはりサワタリの案で行くべきだ。と、グレースが言うと、彼女と弘以外の者が一斉に頷く。
「だけど、ヒロシ~? どうやって、おじ様を闘技場に行かせるの~?」
「簡単さ。自分の娘を官舎に閉じ込めたまま……ってのは、世間体が悪いだろうし。多少は外の空気を吸わせないと、ジュディスが変に塞ぎ込む……なんて考えてるかも知れん。まあ、何かしらマズいと思ってる……とする」
ウルスラに対し、立てた人差し指をフリフリしながら言っていた弘だが、希望的観測が混じっていることに気づき、舌の動きが鈍った。だが、ここまで来たら言いきるしかない。
「そこで、ジュディスに連絡を取って……闘技場で試合観戦したい……とか、親父さんに言わせるんだよ。息抜き名目で、しかも保護者同伴となったら……」
「なるほど。多少は娘を懐柔したりするためもあって、闘技場へ出かける気にはなるかもね」
ノーマが納得いったように言うと、弘はホッと息を吐いた。が、すかさず質問が飛ぶ。
カレンだ。彼女は「それで、おじ様が『やはりダメだ』と言ったら……どうしましょう?」と聞いてきた。
当然の疑問だ。と言うより弘の案は、ジュディスの父が試合観戦に賛成するのが前提である。ここが希望的観測な部分だ。
(だいたい、「試合で強かったからって、自分の娘と何の関係があるんだ?」とか言われたらアウトだし。……そのときは、そのときで何か……)
今のうちに他の策を考えておくべきだろう。しかし現状、弘には『他の策』が思い浮かばなかった。
「……今の話が失敗したら……。その時点でもう時間が無いようなら。グレースの件に関しちゃ、ジュディスは不参加……ってことになるかな」
そう弘が言うと、会議室内の空気が少し重くなる。ジュディスが参加できない場合。それはグレースの仇討ちで、人手が減るということだ。しかも、不足するのが戦士職ときては、包囲網を突破される可能性が上昇する。
そして、カレン達が気を重くした理由は、もう一つあった。
「危ない事をするヒロシの手伝い。それに加われないとなると……ちょっと可哀想かもね」
ノーマが呟いたように、恋人弘のために助力できない。あるいは、何もできない状況で居る……というのが辛いのだ。
これらカレン達の想いについて、弘は薄々勘づいている。が、彼が何か言おうとするよりも先に、カレンがパンと手を叩いた。
「とにかく! 行動しましょう! まずはジュディスちゃんと連絡を取るんです!」
「ああ、カレンの言うとおりだ。で、それについてだが……」
女が醸し出す重い雰囲気。これをカレンが吹き飛ばしてくれたので有り難く思いつつ、弘は隣のグレースを見る。
「グレース。風の精霊魔法でジュディスと連絡取れないか? 今ここに居る誰かが直接動いて、それがバレたら。闘技場行きの申し出を怪しまれるかも知れん」
「連絡を取ることは可能だ。早速やってみよう。……つまり、闘技場にジュディスの父親を誘い、サワタリを印象づける作戦。実行するということで良いな?」
席を立ち、窓際に寄ったグレースが振り返って確認する。真っ先に弘が頷き、他の者達も頷いて見せた。
「ふっ。わかった」
微かに微笑みつつ言うと、グレースはカレンを手招きする。
「なんですか?」
「ジュディスの実家……官舎だったか? そこの位置を教えて欲しい。そこに向けて風の精霊を飛ばそう」
この要請を二つ返事で受けたカレンは、グレースの元へ行き、官舎の場所について話し出した。途中、「魔法で防犯結界を? 面倒だな、小石でも窓に飛ばしてみるか……」や「ダメですよ。それでも警報が鳴るってジュディスちゃんが……」といったグレースの声が聞こえてくる。
それらを聞きながら、弘は椅子の背もたれに体重をかけていた。
(闘技場の試合相手も気になるが、ジュディスの親父さんか……。厳しいって話だが……やっぱ挨拶とかはしておくべきなんだろうな。今回の件がなくても……)
◇◇◇◇
その頃、ジュディスは王都に数多くある官舎……その一室に居た。
父と食事を共にした後、彼の言いつけで自室に籠もっているのだ。無論、トイレや食事の必要があるため、官舎内での行動は自由だ。ただ、なるべく自室で居るように言われている。
自室としてあてがわれた部屋は、貴族学院に入る前とさほど変わっていない。勉強机に、クローゼット。ベッドに本棚。部屋の隅には椅子があり、小さい頃に買って貰ったぬいぐるみ……角の生えたウサギ……がある。それらを見たジュディスは、視線を本棚に向けた。そこには、冒険小説や過去の英雄についてまとめた書籍が並んでいる。そこそこ女子っぽい部屋の『女子力』を大いに引き下げているが、ジュディスにとってはお気に入りの書籍類だ。英雄に憧れを抱いているカレンと学院で親友になったのは、第一に趣味が合ったから。
「ヒロシか……。昨日会えたのは嬉しかったけど……もっと一緒に居たいなぁ……」
呟きつつ、今自分が着ている衣装を確認する。
品のあるデザインで、しかもフリフリしすぎないというジュディスの好みも反映した部屋着だ。ちなみにスカートである。
「嫌いなわけじゃないんだけど、やっぱり冒険者の……女戦士としてのスタイルがね。気に入ってると言うか、何と言うか……」
やはり深窓の令嬢として過ごすより、自由に外の世界を旅したい。楽なことばかりでないのは、これまでの経験で身に染みている。だが、それでも自分は冒険者でいたいのだ。そして凄く強い冒険者、ヒロシ・サワタリと共にありたい。
ジュディスはヌイグルミを抱きかかえると、椅子に座って窓の外を見た。
(第一、もう恋人同士なんだから。離れ離れって言うのは辛いのよねぇ。ホント。あたしだって男の人とイチャ……ラブラブしたいし。冒険者……冒険者か~……それが駄目なら、自由騎士みたく……ん?)
何か……窓の外で動いている。この部屋は2階だ。鳥や雲でもなければ、普通は窓の外に動くモノなど見えはしない。
「何?」
閉じ込められた貴族令嬢から一転、ジュディスは冒険者の顔に変わった。護身用のナイフを手に取ると、窓に駆け寄り……勢い良く開け放つ。
「へっ?」
窓の外に居た者。それは鳥でもなければ、ましてや空の雲でもない。紐でくくられた一巻きの巻物だった。
「え? 何これ? スクロールが空を飛んでる?」
呆然としていると、そのスクロールは振り子のような動作をした後、窓越しで室内に飛び込んでくる。
「うわっ!」
慌てて飛び退いたジュディスは、恐る恐る、床に落ちたスクロールへ近づいた。抜き放ったナイフの切っ先でツンツン突いてみるも、特に反応はない。
「手紙……なの?」
拾い上げて紐を解き、広げてみた。そこに記された文面を読み進めていくうち、ジュディスの口の端が持ち上がり、最終的には悪そうな笑みが浮かぶ。
「なぁぁぁるほど。そういう手でいくわけね。最悪、家出することも考えてたけど、父様の了承を得られる方が良いもの。そうよ! 父様だって弘の凄いところを見たら、私をヒロシに預け……ても……ん?」
スクロールを握りしめていたジュディスだが、ふと握力が弱まった。確かに、父に闘技場で戦う弘の姿を観戦させ、一目置かせてから談判する。悪くない案だと思う。しかし、自分のよく知る堅物な父が、そう上手く陥落するだろうか。
(余程の……物凄い試合じゃないと駄目かも……)
この王国の騎士団は、周辺国の騎士と比べると強い部類に入る。鍛え抜かれた心技体に、魔法具による武装。たまに闘技試合に出場したときなどは、大型モンスターを苦も無く倒すのだ。事実、ジュディスの父はパーティーによる戦闘ではあったが、闘技場でレッサードラゴンを倒したことがある。
「大丈夫なのかしら? でも……」
握りしめていたスクロールを再度開き、最後の方を視線でなぞってみた。そこには、この『作戦』が上手くいかなかった場合は、ジュディス抜きでグレースの仇討ちを決行すると書いてある。
エルフのグレース。着飾った貴族令嬢達を数多く見てきたジュディスが見ても、絶世の美女である。そして、ここが重要なのだが、自分にとっては『恋人の先達者』だ。
(加えて恩人でもあるのよね~)
すでに弘の恋人となっていたグレースが、ジュディスを拒絶した場合。弘はジュディスの告白を受け入れなかったかもしれない。その意味では、同じく先に弘の恋人となっていたカレンにも恩はある。ただ、グレースが言う『優れた男は多くの女を従えて当然』といった主張。完全に同意はできないが、アレによって救われたのも確かだ。
ぐしゃ!
ジュディスは再度、スクロールを握りしめる。
「ここで手を貸さなくちゃあ、あたしの女が廃るってものよ!」
◇◇◇◇
「ジュディスは、この作戦……いや計画か? ともかく、サワタリの案に乗るそうだ」
風の精霊を使って何度か文書のやり取りをしていたグレースが、最後に届けられたスクロールを見て言う。
場所は変わらず冒険者ギルドの2階会議室だが、グレースが席に戻ったのを見て弘は大きく息を吐いた。
「よっしゃ。じゃあ、後は行動するだけだな。さっそくだが、グレースは仇討ち依頼をギルドに申請してくれ。そうそう、俺のパーティーを指名するのを忘れんよ~に」
「承知した」
「それが終わったら魔法院へ行って、メルを誘ってみよ~ぜ? またパーティーを組もうってな」
皆が頷く。そして弘が席を立つと、全員が席を立った。そのまま会議室を出ようとしたところ……ノーマが何やら呟いている。どうやら考え事をしているようだが……。
「どうかしたか?」
「いえ、ね。今のところ話がうまく進みすぎてるかな……って」
「なんだぁ? 今のところ……つったら、俺が王都に着いてからこっちの話か?」
足を止め、肩越しから完全な振り返りに移行した弘は、腑に落ちていない様子のノーマを見た。褐色長身の偵察士は、弘の視線を受けて頷きを返してくる。
「ふぅん。上手く進みすぎてる……ねぇ」
何かマズいことでもあるのだろうか。
現状、行動目的は大きく分けて2つ。グレースの仇討ち遂行と、ジュディスの解放……少なくとも自宅謹慎の解除だ。ジュディスに関して言えば、冒険者に戻って貰いたいが、学生さんに無理は言えないだろう。
「で、せめて親父さんと俺が話をできるよう、いいタイミングで誘いのあった闘技場試合に参加して……俺の試合を見て貰……う? んん?」
弘は下顎を指で掴み、天井を見上げた。そして視線を下ろしてノーマを見る。
「いいタイミングで試合の誘いか……。ノーマは、この辺が気に入らないのか?」
「気に入らないって言うか……。偵察士の……じゃなかった、その前の盗賊ギルドで訓練してたときに、講習を受けたことがあるのよ」
当時の教官曰く、「物事が順調なときは、一度落ち着いて周囲を確認しろ。何か悪いことが起こっているかもしれない」とのこと。
「それで『悪いこと』とやらが発見できるかと言うと、そうとは限らないけれど。少なくとも気をつけていないよりはましだ……ってね」
「なるほどな。ためになる話だ。けど……ん~」
今から試合参加をキャンセルできるだろうか。恐らくできるだろうが、逃げたように思われるのは面白くない。それに、ジュディスに関しての打つ手が1つ減ることになる。
「今の話を聞くと、ここ最近の中じゃあ試合の誘いが怪しく思えてくるよな。けど、このまま参加した方がいいと俺は思う」
その理由についてグレースに聞かれたが、前述の理由を話すと、彼女は呆れ顔になった。
「ジュディスに関しては、そうなのだろうが。逃げたように思われるのが気に入らないというのは……。いや、サワタリらしくて良いと思うがな」
最後は苦笑で締めてくれる。弘は下唇を突き出しそうになったが、グッと堪えて会議室を出た。
「とにかく会議室の賃料を払って、仇討ちの依頼に行こーぜ?」
◇◇◇◇
「依頼が受理されるといいですね!」
冒険者ギルドを出て魔法院へ向かう道すがら、隣を歩くカレンが話しかけてきた。彼女が言うとおり、仇討ち依頼はしたのだが書類審査があるとのこと。受理通知が出るのは昼過ぎと言われたため、いったん外へ出たのだ。
「聞いた話じゃあ、サラッとチェックするだけらしいな。俺の世界のお役所じゃあ、一週間や十日はかかるんだろうが……」
何にせよ、書類仕事が早いのは良いことだ。
弘はカレン以下、5人の女性を連れて大通りを歩いて行く。地元住民や冒険者らの姿が多く見られるが、徒歩移動中、多くの人々から注目された。昨晩の騒動を知っている者が、弘の名を口にしているのが聞こえる。だが、それ以上に女性陣が注目を集めているようだ。
「おい見ろよ。美人に美少女の集団だ。装備からして冒険者パーティーかな?」
「女戦士に、弓兵。偵察士? に、僧侶が2人か……。戦士職が少ないな」
「俺……戦士職だから売り込みに……」
「不細工は、お呼びじゃないだろ? にしても女冒険者のパーティーは結構あるけど、これまたマジで美人揃いだ」
「先頭付近を歩いてる奴。ほら、あの貧相な革鎧の戦士野郎。あれ……パーティーの一員かな?」
「だとしたら羨ましい限りだ。周りの声聞いてると、そこそこの実力者らしいが……」
そういった声を聞きながら移動していた弘は、ふと自分が着込んでいる革鎧を見てみた。
冒険者になった頃に購入した物で、随分とくたびれてきているが、お気に入りの鎧である。
「貧相……なのかな?」
「サワタリ殿に似合っていると思いますよ? 周囲の評価は無視するべきではありませんが、私が見たところ何ら問題はないです」
きっぱりとした物言いはシルビアだ。さすがはお坊さんなだけあって、その口調は聞いてると安心してしまう。
「でも~。ヒロシは板金鎧とか着ようと思わないわけ~? 無駄づかいは駄目だけど、必要な投資はケチっちゃ駄目なのよ~?」
同じ僧職者でも、ウルスラは商神の教義に基づいた意見を述べていた。実に彼女らしいが、最近ではそのキャラが好ましく感じてしまう。
(恋人補正なのか? いや、前から印象は悪くなかったけど)
守銭奴や銭亡者と言われているのだって、商神信徒が全般的に言われていることらしく、特に悪口ではないらしい。むしろ言われている商神信徒側でも、銭亡者扱いされるのは誇らしいのだとか。
「もっとも~。字面どおりの銭亡者だと駄目なのよ~。と言うより~板金鎧~」
「はいはい。でも、俺はアーマーとか召喚できるしなぁ。あと、歩くときにガチャつく鎧とか、ウゼェし……」
「それは共感できるかも」
これはノーマの意見だ。偵察士の場合、潜入任務もあるし身軽さが売りなわけで、軽量かつ静粛性に富む革鎧は必須アイテムと言える。
「ねえ? どうしてウルスラは板金鎧に拘るの?」
「カレン様~。やはり見た目はぁ、重要だと思うんです~。確かに~ヒロシは強いし~、試合なんかで見たらぁ、強さは理解できると思うんですけど~」
よく知らない者に強さを印象づけるためには、より良い装備は必要とのことだ。
「それにぃ……見た目だけで、ヒロシを悪く評価されたくないの~」
これを聞き、一行の女性陣が「ああ……」と納得いった様子。つまりは、『好きな男』を見た目で悪く言われたくないのだ。そのことについて、ウルスラ以外の者達も同感であったらしい。
弘自身の鎧に関する拘りは先に述べたとおりだ。だが、恋人達が望むのであれば、板金鎧ぐらいは買っていいかもしれないと思っている。
(見た目でナメられるってのも、それはそれで嫌だからな)
「ま、鎧の新調に関しちゃ、そのうち考えてみるか。……って、着いたみたいだ」
目の前に、複数の尖塔を束ねたような建物が見えていた。これが魔法院らしい。
「ここには魔法学院があります。そして、メル殿が在籍する魔法使いのギルドも」
シルビアの説明を聞いて頷いた弘は、正面扉に向かって歩き出した。
「さて……メルは居るかな?」