番外編 ブレニアダンジョン1
番外編ですが、話自体は第143話から続いています。
ブレニアダンジョン 初日
「お~。ギリギリまでMP使っちまったな」
あたり一面、獣人の死体が転がる地下駐車場。非常灯があるとは言え、遠くまでは見通せない。ホラー映画で例えるなら、柱の陰からゾンビでも出てきそうな雰囲気だ。そう言った状況下で、弘は今、ウンコ座りをしている。いわゆるチンピラ的休憩タイムだが、単に休憩しているわけではない。これは彼の開放能力の1つ、『MP回復姿勢』。MP回復姿勢とは、ウンコ座りの姿勢を保つことにより、10分で全MPが回復するというものだ。そして、このMP回復の合間に、弘は獣人の死体を『対象物解析』している。
対象名:トール(下位)
タイプ:獣人・モンスター種
背の高い犬型獣人。野生動物。
「解析するたびに、表示の雰囲気が違うのは何でだろうな? まあイイけどさ」
文句を言いながら、弘は解析内容を意外に思っていた。戦っている最中に思い出したのだが、背の高い犬型の獣人と言えば、元の世界……のファンタジー……では、ノールというモンスター名で知られていたはず。何故、名前が違うのか。
(確かノールは、頭がハイエナだっけ。こいつらは見た感じ……色々だな。セントバーナードっぽいのも居るし、プードルみたいな奴も居る。この世界のオリジナルモンスターってわけか)
しかし、ここまで犬種が違うのに、一括りにトールと呼んで良いものだろうか。それに『(下位)』という表示が気になる。
「下位……ねえ。じゃあ、上位って奴も居るのか? ランクが上になると、ミノタウロスのインスンみたいに話が通じたりする? よくわかんね~な……。それに……」
ミレーヌから聞かされていた程、モンスター側にタフ化している様子がなかった。ほとんどのトールは、胴体に1発被弾するだけで行動不能に陥ったのである。
「癒やしの泉効果で耐久力激増。って話、どうなっちまったんかな?」
そうしてブツブツ呟いているうちに10分が経過し、MPが完全回復した。薄暗い中、多くの獣人の死体に囲まれつつウンコ座り。そして長考。自分も大概、慣れてきたよな……などと思っていると、闇の向こうで物音がした。
「……むっ」
今度は、即座に対象物解析を発動。……しかし、またもや失敗。弘は、足下に唾を吐くと、渋い顔で立ち上がった。
「先に発見されると、解析できね~んだもんなぁ」
少しイラッとした弘は、やおら手榴弾を召喚すると敵集団目がけて投擲する。そして、手榴弾が爆発するより先に、日本刀を召喚。
フッと音も無く出現したのは、白木鞘で鍔無し……いわゆる長ドスだった。最近になって気づいたのだが、召喚時に黒鞘で鍔有りか、この長ドスタイプかを選べるらしい。続いてAKを消し、代わりにトカレフを召喚。1発あたりのMP消費は、AK弾の3分の1とお安い。これなら、あまり弾数を気にせずに撃てるだろう。
バーン!
破裂音がし、出現したモンスターの後列……ひょっとしたら中列で悲鳴があがった。手榴弾の炸裂時に閃光でシルエットが見えたが、相手集団はまたもや人型の模様。
「やれやれ……」
立ち上がった弘は、左手に日本刀を提げると、右手に持ったトカレフの銃口をモンスターの群れに向ける。
「またトールって奴か? いや、違うな。一度でも対象物解析したら、次から解析しなくても情報表示されるはずだ。……って事は別の……何あれ、虫?」
非常灯に照らし出されたのは、直立2足歩行をする虫だった。ほとんどが甲虫系、中には蛾のような者も居るが……。
ちっ。
弘は舌打ちをする。自分が手にしているトカレフや日本刀は、人間大の虫に通用するだろうか。マンガのように一刀両断。あるいは、片っ端から射殺できれば、それに越したことはないが、駄目だったらどうするのか。
「ん~……。手榴弾で悲鳴あげたぐらいだから大丈夫かな? クリュセに居たガードアーマーより、硬くなさそうだし。……スタン系の武器で対応してみるかな。召喚したばかりの道具が、無駄になるかもだけど……」
いわゆる判断ミス。そして、召喚武具の選択ミスという奴だ。せめて日本刀ではなく、長巻にしておくべきだった……と弘は思う。いや、ここはスタン警棒で良かったかもしれない。レベルが上がると共に威力が上昇するので、ダンジョンでエンカウントする程度の相手なら、スタン効果が期待できたはずだ。ただ、この薄暗い中でスタン攻撃をすると、弘の目が眩むというデメリットがある。トカレフのマズルフラッシュにも同じ事が言えるが、スタンの電光よりはマシだ。何故ならスタン系の武具と違い、銃系のマズルフラッシュは、ほぼ一瞬のことだからである。
(……機関銃だと、それが連続するから……結局は一緒か。AKも結構眩しかったし……)
「……取りあえず、長ドスとトカレフで何とかするか……。駄目なときは長巻を使うってことで」
そう呟くと、弘はトカレフを乱射。そのまま虫の大群へと斬り込むのだった。
ブレニアダンジョン 3日目
弘は5階層へと到達していた。
ここまでの間、ほぼ不眠不休で彼は戦い続けている。何故なら、出現するモンスター集団を撃破すると、数分ないし数十分で別のモンスター集団が出現するからだ。しかも、その間隔は戦う度に短くなっていく気がする。いや、確実に出現間隔は短くなっていた。戦闘終了後は必ずMP回復姿勢を使用し、可能な限り召喚タバコで体力を回復させる。そうすることで、ここまで戦い抜いてきたのだが……。
「う~……。眠い……。いや眠くない……いや、眠い……。何か気持ち悪い……」
現在、弘はソファのような物が沢山置かれた場所を、戦いながら移動している。相手は青白い鬼火のようなもの。外縁が青く、中心部は白い炎で、白い部分にガイコツの顔が浮かんでいた。なお、このモンスター集団に関しては対象物解析が成功しており、正体が判明している。
対象名:スカルフレイム
タイプ:アンデッド
上位死霊。可燃性の精神攻撃を行う。死体から魂を吸引する。物理攻撃無効。
物理攻撃が通用しないのは一目見て理解できた。相手は浮遊する炎の塊なのである。しかし、そういう設定や見た目であるにもかかわらず、日本刀もトカレフも効果を発揮していた。何故なら弘の召喚武具は、オリジナルを模しているだけでMP……魔力の塊だからだ。つまり、オリジナルと同様の効果を発揮する上に、魔法攻撃をしている事にもなる。
「この手の奴に魔法攻撃が有効ってな、ゲームの定番だからな。けど……もう、ほんっと気分悪い……。うおえ……」
幾度か前の戦闘で、弘は召喚タバコをくわえながら戦ってみた。だが、それでも倦怠感や睡魔が治まらない。その戦闘後に、再び召喚タバコを試したものの、やはり症状は治まらないのだ。召喚タバコには体力回復や負傷治療の他、精神疲労を癒す効果もあるというのに、これはいったいどういう事なのだろうか。
『キイイイイイイ!』
齧りつく目的があったのか、スカルフレイムが急接近してきたが、これを弘はトカレフの連射で撃ち落とす。いや、銃弾が貫通するや弾けるように消失したので、撃ち落とすという表現は正しくないだろう。
だが、そんなことよりも気になるのは自分の体調だ。弘はスカルフレイムの集団が全滅したのを確認すると、数多く並ぶソファの間で立ち、ステータス画面を展開する。現在のレベルは38。ダンジョン入りしたときはレベル31だったので、格段の強化を果たした形だ。そして見たところ、ステータス上の異常は確認できない。にもかかわらず、気分は悪いし眠いのだ。
「おかしいな。レベルアップしたら体調とかMPとか、その都度、全回復するはずだろ? 実際、MPは全部回復してるってのに。俺、どうなって……」
そこまで呟いたとき、弘は1つのことに思い当たった。それは、高速でレベルアップしていることで、自分の精神面や体調に異常が出ているのではないか。そして、それは召喚タバコやレベルアップ後の回復では、補えないところまで来ているのではないか……と。
(こんなこと考えつくのって、やっぱし『賢明度』が上昇してるからか? それか、疲れてて錯乱してるだけだったりして……)
「はは、ハハハ……。ここらで休憩……少なくとも仮眠ぐらいは……」
だが、ブレニアダンジョンのエンカウント率の高さは、それを許してはくれない。またもや新たなモンスター集団が出現する。今度は……対象物解析が遅れた。相手方のデータは不明のままだ。非常灯によってシルエットしか見えないが、恐らくは不定形の生物……かも知れない。不定形だと思うのは、ウネウネしているシルエットが通路を這うように移動しているからだ。
「ああ、もう糞! ウンコ座りする暇もね~し!」
弘は、トカレフと日本刀を投げ出す。そして、ここまでのレベルアップで追加された召喚武具。その中から火炎放射器を選択して召喚した。それは革鎧の上に着込んだ特攻服……その更に上から装着され、背中にはバックパック式のシリンダーが背負われる。弘はシリンダーからパイプが繋がった銃部を握り込むと、前方のシルエットに向けて火炎放射を開始した。
ひゅご! ビュゴオオオオオ! ぼわあああ!
風切り音と共に火線が伸び、敵集団に炎が浴びせられる。このことで周囲が一気に明るくなり、相手の姿がハッキリと視認できた。ピンク色の粘体。どうやらスライムと呼ばれるモンスターの一種のようだ。炎を浴びせられ『ギュビアアア』などと悲鳴をあげているところを見ると、やはり火炎攻撃には弱いらしい。シルエットを見ただけで火炎放射器を選択したのは、テーブルトークRPGの知識によるものだが、今回は上手くはまったようだ。
(洞窟……じゃなかった、地下施設で火炎放射器とか使って大丈夫なのかな~。俺、窒息とかするんじゃね?)
迫り来るスライムを燃やしながら、ふとそんな事を考える。この辺、テーブルトークRPGでは換気や雨水対策が施されている……設定にされることが多い。また、コンピュータRPGでは、そもそも影響自体が考慮されていないことが多々ある。では、この世界ではどうだろう。火災時の換気等については、何らかの対策が講じられているだろうか。
(何かあると嬉しいよな~。……換気設備とか、死んでるんだろうけどな~)
ふと視線を天井に向けると、スプリンクラーらしき物が設置されているのが見える。そこから水ないし、消化剤が噴出……していないのだから、不具合が出ていると考えるべきだろう。
(ここ、古代王国がナンタラって言う古い施設だっけか。……マジで大丈夫なのかな……)
今更であるが、弘はスライムにだけ炎を浴びせるよう注意した。どうやら、スライムの動きが鈍いので、それほど延焼するには到っていないようだ。そして結局のところ、スライムを全滅させた後で、弘は消火活動を行うこととなる。その際に役立ったのは新たに召喚武具に加わった爆風型手榴弾であった。もちろん、専用の消火弾ではないため効果が薄く、鎮火できるまで手榴弾を十数個も投じられたことで、辺りが酷いことになったのは言うまでもない。
ブレニアダンジョン 14日目
弘は第10階層まで到達していた。
ここまで到達する間に解ったことは、確かにブレニアダンジョンのモンスターは、聞いたとおりタフであること。そして階層を下へ進む度に、タフさの度合いが強くなることだ。このタフさの理由は、ミレーヌが言っていたように癒やしの泉が原因で間違いない……と弘は思う。何しろ頭を半分吹き飛ばされても、襲いかかってくるのだ。まるでアンデッドである。不死系モンスターでもないのに、ここまでタフなのは、やはり癒やしの泉効果なのだろう。
そして下へ行く程、モンスター強くなるのは、どうやら癒やしの泉の影響下にある別のモンスターを捕食することで、よりパワーアップしているらしい。事実、別モンスターを捕食したモンスターが、やたらと元気になった姿を弘は目撃している。そう言ったわけで、怒濤のごときエンカウント。さらには、強くなっていくモンスターを倒すことにより、弘のレベルアップは留まるところを知らない。
そして、ここで1つの変化が弘に生じていた。
「あ~う~……。なんか知らね~けど、楽になってきた……」
庭園のようなエリアを歩きながら、弘は唸り声をあげる。それは温泉に浸かった中年男性のような声だ。相変わらず戦闘続きであったが、不意に身体が軽くなった様な気がしたのである。より具体的には、按摩機をあてがっているような。あるいは身体がほぐされて血行が良くなってきているような。そんな感じだ。
数日前まで、自身を苛んでいた倦怠感や睡眠欲は、跡形も無く消失している。自分に、何か変化でもあったのだろうか……。そんな思いを抱きつつ、弘はステータス画面を開いてみた。表示されたレベルは82。ステータス値は飛躍的に上昇しているが、弘が感じていた倦怠感等は、それら数値に関係なかったはずだ。
(ステータスが上昇したのが理由じゃないってのか? じゃあ……)
『グガアアアア!』
バカカカカ!
襲ってきた触手で移動するワニ……テンタクロコを、M60機関銃の連射で撃ち倒す。重量10キロを超える銃器だが、今の弘は片手で扱えていた。このダンジョンに入る前ですら、常人の5倍近い筋力値だったのだから、現レベルだと軽機関銃の反動など問題ではない。とは言え、体重は以前どおりな為、踏ん張りや開放能力『射撃姿勢堅持』を活用することとなる。そして、それらのやりくりはレベル30台では難しかったが、今では呼吸するがごとく自然に行えるようになっていた。
「走り回りながら反動デカい鉄砲をブッ放しても、ほとんど影響出ないんだもんな……」
テンタクロコの集団で動く者が居なくなったため、弘は一息つく。そして、追加のモンスター集団が出現しないのを確認すると、その場で腰を下ろした。少し前までは、刀剣類の召喚武具を使って弾薬……MPの節約を心がけていたが、今となっては機関銃を撃ちまくっているだけで片のつくことが多い。しかも、MPが大きく余るようになっている。それでも戦闘後にMP回復姿勢を取るのは、序盤にMP不足で悩まされたからだ。
(回復できるときに、回復しておかね~と……)
ゲームなどでもそうだったが、回復を怠ったために突然出現した強敵に敗北する。その危険性を考えたとき、やはり回復は怠るべきではない……と弘は判断する。そして、次に思うのは、戦闘終了間際に呟いていた『何だか楽になってきた』と言うこと。倦怠感に苛まれていた頃と比較して、格段に楽になっているのは間違いない。これには、やはり何か理由があるのだろうか。
弘は何の気なしにステータス画面を開いてみた。すると、画面上部に右から左へスクロールする文字がある。それは召喚武具追加とは異なる能力……開放能力が一つ追加された告知だ。このレベルになるまでに2つ程追加されていたが、また1つ増えたらしい。
「あ~? 『疲労軽減』だって? 肉体疲労や精神的疲労を……軽減します……か。ぶは、ぷははははは!」
弘は大笑した。その笑い声で次のモンスター集団が寄ってくるかも知れないが、今はとにかく笑いたかった。目尻に浮かんだ涙を指で拭い、召喚タバコを吸い出す。
「こいつは最高だ。ばんばんレベル上げして、酔うだか気分悪くなるだかして、オマケに睡眠不足でヘロヘロになりかけてたってのに、何だって? 開放能力が1個増えただけで、楽になっちまうってのか。ぎゃはははは! ……あ~あ……」
ウンコ座りのまま、タバコを持った右手の肘を膝に乗せる。その拍子に灰が落ちたが、それはすぐさま消失した。その様子を目で追っていた弘は、再びタバコのフィルターをくわえる。
(俺……このままレベルを上げていいのかな?)
ブレニアダンジョンを探索開始した時点で、すでに自分は常人離れしていた。その強さは、この剣と魔法の世界にあってもトップクラス。英雄レベルと言って良いくらいだ。ただ、そのレベルの強さの者は、希少ではあるが他にも存在するらしい。例えば、レッサードラゴンではなく、有翼の上位竜をも単身で倒せる者が知られている。
しかし、現時点の自分は、そういった者達をも超えているのではないか。だったら、レベル上げは、この辺で切り上げても良いのではないか。このまま強さを上げすぎたら、自分は人間ではない、別の何かになってしまうのではないか。そう弘は考えていた。
「けど、まだ半月……いや2週間だ。3ヶ月は頑張るって決めたんだし。この先、カレンやグレース達を放って修行旅……なんて、また出来るかどうか……」
やろうと思えば出来る……と、弘は思う。とは言え、そう何度もカレン達と離れたくはない。恋人を放ったらかしというのは、それはそれで気になるからだ。
(何より、カレン達に悪いし……)
ならば結論は1つだ。この3ヶ月という期間の中で、目一杯レベル上げをすること。
「んだよ。結局、今までと変わらんじゃないか……」
弘は召喚タバコを投げ捨て、立ち上がる。投じられたタバコは、地面に落ちるより先に消失した。落ちた灰が消えるように、それもまた召喚タバコの特徴なのである。
「さてと……」
気を取り直した弘は歩き出す。現在地は前述したとおり、ブレニアダンジョンの第10階層、庭園エリアである。途中で見かけた通路壁の表示板……文字は良くわからないが、雰囲気や感覚で言うならば、もう1階層下に動力室等があるらしい。だが、弘の目当ては冒険者ギルドの依頼内容にあるとおり、癒やしの泉の発見だ。ここへ来るまでに見かけなかったから、この庭園エリアにあると思うのだが……。
「庭園って言っても、そう俺が思ってるだけで……。ああ、でも何か変な感じだな」
相も変わらず非常灯が頼りであるため、広いあちこちに池のようなモノが見える。それに、腰の高さ程の設置物も幾つかあるようだ。
「やっぱ蛍光灯でもLEDでもいいから、照明が欲しい……。おっと、そういやアレがあった!」
弘は、つい先日得た開放能力に『感覚強化』がある事を思い出す。それは、視覚や聴覚等の感覚器官を強化するものだ。この能力が開放されたのは、数レベル程前のこと。弘は「こういう身体強化系って、もっと早く開放されてても良いんじゃね~の?」と思ったものだが、能力が追加されること自体はありがたい話なので、その場で思っただけに留まっている。
さっそく視覚を強化してみたところ、周囲の景色が一変した。正確には、かなり明るくなった……ように見えるのだ。そうなった事で弘は、自分の居る場所が庭園などではないことに気がついたのである。
「え~と……何て言うか……スーパー銭湯?」
さらに限定するなら、その露天風呂エリアと言ったところだろうか。幾つかの池に見えたモノは、浴槽だったらしい。つまり、ハーブ湯等の変わり湯といったものなのだろう。そして腰の高さ程の設置物は、どう見ても壷湯……御一人様用の浴槽のようだ。もっとも、1つか2つは戦闘中の流れ弾でも当たったのか、無惨に砕け散っていたが……。
「ここは地下だし。ああでも、天井には青空っぽいペイントの跡があって……。露天風呂……風味の屋内大浴場? なんつうか、日本~って感じがするよな……」
それどころか、何処かの日本旅館へ鉄砲を持って乗り込んだような気がしてくる。そう言った感覚を、頭を振ることで振り払った弘は、M60を構えながら前進した。もっとも、銃器を使う訓練は受けていないので、映画で見た兵隊の動作を真似ているだけである。
そんな弘が奥まで辿り着くと、ひときわ大きな浴槽が出現した。
「岩風呂っぽい……。察するに大浴槽ってやつ? なんかムワッとするな……」
弘は熱気のようなものを感じて顔をしかめる。ただし、『ようなもの』と表現したように、これは実際の熱気ではない。熱さを感じるような……漫画的表現を借りるのであれば、押し寄せる何らかのエネルギーを感じたのだ。これを弘が口に出して表現すると「ムワッとする」という事になる。
「ひょっとして癒やしの泉? もっとこう、神々しい感じのをイメージしてたんだけどなぁ」
振り返って幾つかあった浴槽に目をやる。それらも何らかの液体で満たされているが、感覚強化された目で見たところ、タダの汚水であることがわかった。詳しく成分調査したわけではないが、ドブ川のような印象である。一方、目の前の大浴槽には清んだ感じの液体が満たされていた。この荒廃した空間の中で唯一、清浄な雰囲気を醸し出し……かつエネルギーを溢れさせている。
「間違いない? 俺が飲んでも大丈夫か? でもなぁ……」
これが森の中で見つけた神秘的な泉……と言うのであれば、弘は水面に手を差し込み、すくって飲んでいたかもしれない。だが、ここはどう見ても露天風呂風大浴場。となれば、目の前の泉は、やはり浴槽なのだろう。不特定多数の人間が使用したであろう浴槽。しかも、この保養施設が放棄されてから、今の今まで手入れが成されていなかった。そんな場所に満たされた水を、見た目が綺麗だからと言って飲めるものだろうか。
「いや、無理……」
口元が引きつるのを自覚しつつ、弘は一歩後退した。と、後方より多数の気配が接近する。もはや弘は驚かなかった。ここへ来るまでに何百回、いや下手をすると千回を超える程あった展開だ。
「ま~た、モンスターが湧いたか。いい加減で全滅とかしね~のかよ……」
考えてみればおかしな話で、この第10階層に到達するまで、出てくるモンスターはすべて殲滅している。言うなれば、その階層のモンスターを駆逐しながら下りているようなものだ。それなのに、進路の前後を問わずモンスターが出現する。一応、くまなくマッピングしながら階層移動しているのだが、自分が発見できなかった隠し扉でもあって、そこから『お代わり』が出てくるのだろうか。溜息をつきつつ振り返ると、遠く、大浴場の入口らしき場所からモンスター集団が入ってくるところだった。今までなら、弘の姿を見るなり襲いかかってきたのが、フラフラと覚束ない足取りで迫ってくる。
(俺のことを見てないっぽい? この泉が目当てか?)
M60の銃口を向けつつ、弘は数歩後退してモンスター集団に道を譲った。入ってきたモンスターは、先程倒したテンタクロコや、ミノタウロスなど。ミノタウロスを見た時、弘は闘技場のバイケンや、冒険者のインスンを思い出したが、口がきけない様子なので、モンスター寄りの亜人だと判断している。
(マジで思うんだけど、見た目だけで判断できね~ってな厄介だよな)
パッと見モンスターだからと言って、不意打ちして殺したら実は冒険者でした……なんて展開は実に困る。もっとも、弘には開放能力の『対象物解析』があるので、相手に気づかれさえしなければ、モンスターかどうかは判別できた。また、相手側から問答無用で襲って来た場合なら、戦って倒しても問題にはならないだろう。
今回の場合。相手方に戦意が無いようなので、モンスター集団が入ってきた後でも対象物解析が発動している。もっとも、ここへ到達するまでに倒してきたモンスターばかりであるから、目新しい情報は得られなかったわけだが……。
『ぎぎぎ!』
『ぶも! ぶももも!』
『きしゃーっ!』
『ごび、ごびび!』
弘の前を素通りしたモンスター達が、奇声をあげながら泉……大浴槽の水を飲んでいる。そんな豪快な飲み方をしたら泉の水が無くなるのではないか。弘は心配になったが、よく見ると大浴槽の隅には給湯口があり、新たな水が常に補充されていた。
(源泉掛け流し……ってか?)
どうやら組み上げ機構がまだ機能しているらしい。排水に関しても不具合など無い様子だ。自動メンテナンスの可能性もあったが、そこまで考えた弘は、モンスター達が険悪な目つきで自分を睨んでいることに気づく。
「げっ……。まさか……」
と、呟いた瞬間。モンスター集団が襲いかかって来た。
「さっきまで無視してたろ~が! ざっけんな!」
ドカカカカカカ!
M60の引き金を引きつつ、左から右、右から左へと往復するように銃口を振っていく。相手のほとんどは大型のモンスターであり、本来の軽機関銃の威力でも心細い感はあったが、そこはそれ弘の召喚具は普通ではない。最初に召喚武具として追加されてから、レベルの上昇と共に、ほんの少しずつではあったが威力が増しているのだ。
そうして、襲いかかってきたモンスターを片っ端から射殺した弘は、辺り一面に広がるモンスターの死骸を見まわす。
「飲むなり襲いかかって来たってこたぁ。この泉、やっぱしヤベーんじゃないか?」
『ぴぎゅい! HYGTJGジュイ。……翻訳開始……』
不意に人……男の声がした。弘はギュッと顔を引き締め、周囲を確認する。もちろん、M60の銃口を向けながらだ。
「誰も居ねぇ……。でも声はしたぞ。……おい、誰だ! 姿を見せろ!」
『失礼しました。私は大浴場のメンテナンスプログラム……ヒラヌマと申します』
やはり声しか聞こえないが、どうやら弘の召喚術システムにおける、芙蓉のような存在であるらしい。ヒラヌマという名は随分と日本的であり、この世界に日本、あるいはヒノモト的な国家が存在しないと聞いている弘は意外に思っていた。
「なんだ? この施設は日本人が造ったのか?」
『日本人? 理解しかねます。私は、あくまでもメンテナンスプログラムですので』
プログラムであることを重ねて言っているが、その声は肉声にしか聞こえない。何か用があって話しかけてきたのか。そこを問いただしたところ、ヒラヌマはメンテナンス会社か警察組織に通報して欲しいと言う。
『当施設に不測の事態が生じたらしく、外部と連絡が取れないのです』
「そりゃあ……連絡できね~だろうな」
若干呆れつつではあったが、弘は施設が古代の遺跡として扱われていることをヒラヌマに教えてやった。だが、ヒラヌマは信じられないと言う。
『その様な情報は入っておりません。貴方様からの情報については、肯定する根拠が不足しております』
「んのやろ……。お前さんが人間なら、外まで引きずって行くとこだぜ」
聞けばヒラヌマは、動力室近辺にある制御室……その一角に設置された大浴場のメンテナンス機構であり、この大浴場を統括しているだけの存在であるらしい。警備システムとはリンクしていたそうだが、その警備システムに異常が出ているため、内部や外部を問わず映像情報が入らないとのこと。ちなみに、弘の存在に気づけたのは、弘の独り言を『人語』として音声検知したからだ。
『しかしながら、私は私の務めを果たさねばなりません。この大浴場の異常を解消しなければ……』
「異常? モンスターが湧いて出てくることか?」
そう聞いてみたが、ヒラヌマはモンスターの存在について否定的だった。先の戦闘音に関しては検知したものの、それが何の音かまでは把握できないとのこと。その彼が言うには、現在、弘の眼前にある大浴槽に異常があるらしい。
「そいつは、どんな異常なんだ?」
『警備システムからの最後の報告では、大浴槽の壁面……浴槽底部から天井部に到るまでの範囲で……壁面が検知不能になっています。それが原因かは不明ですが、泉質……もとい、水質に変化が生じています』
この大浴槽は、遠方の地下より転送した含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉。その源泉掛け流し風呂であったとのこと。それが、自然河川のごとき水質に変貌しているとのこと。
『見た目で言えば、赤みを帯びた湯であったのが、無色透明になっています』
「なるほど」
詳しい理屈は解らないが、どうやら元々は普通の温泉だったらしい。それがこのような状態になったのは、この目の前の壁に問題がある……可能性がある。そういった曖昧な言い方になるのは、説明しているヒラヌマ自身も推測するしかないからだ。
『それと……』
「まだあるのかよ?」
『その壁面が検知不能となってすぐ、施設内各所に不審者が出没するようになりました。その後、警備システムとのリンクが途絶えましたので、詳細は不明です』
「不審者ぁ?」
それは、恐らくモンスターのことであろう。確証は無いが、他に思い当たることが無い。
(この壁の異常と、施設内で何処からともなくモンスターが湧き出るアレは、関係あるかも? てか、そうだとして……俺、どうすりゃいいんだ?)
弘は迷った。冒険依頼の内容は、癒やしの泉の発見であり、モンスターの殲滅ではない。泉の場所を覚えてギルドに報告すれば、それで依頼遂行……いや、違う。後日に冒険者ギルドの検査員を連れてこなくてはならないのだ。そのためには、モンスターが湧き出る現象は何とかした方が良いだろう。
「俺が検査員の人を守りながら……ってのは危ないもんな。つっても、どうしよう? この壁を吹っ飛ばせばいいのか?」
今の弘は、ダンジョン入りする前より遙かに強化されている。召喚武具も増えており、例えば遠距離攻撃が出来る品としては、M777 155mm榴弾砲が召喚可能となっていた。有効射程は24,000m。人力装填で毎分2発の連射が可能……だが、召喚武具は全て自動装填である。また、召喚術によって召喚される兵器は、MPを用いた具現化兵器であるため、本来の威力と同時に魔法攻撃としても機能するのだ。
更に言えば、ここまでの間に開放された能力で『物理効果付与』がある。これは召喚武具の攻撃に、完全な物理化が発生するというものだ。前述したMP具現化兵器の特性……MPで模した兵器の威力を再現する……と同じではないか。と、そう思うところだが、さにあらず。MP具現化兵器は、その特性上、結局は魔法攻撃になるため魔法防御に弱い。だが、この開放能力を使用することで、召喚武具には『物理攻撃である事実』が上書きされるのだ。
具体的には、そこに魔法防御があった場合。普通の物理攻撃として、魔法防御を素通りして威力を発揮する。では、これを防ぐために『対物理防御』の効果がある魔法結界を張ってはどうか……となると、これも難しい。弘の召喚武具は、大抵連発できるため、普通に数を撃って魔法防御の耐久限界を超えられるのである。これらの追加特性により、例えばグレースが居た娼館部屋の特殊扉なども破壊できるようになっていた。
「てなわけで、大抵の結界やらはブッ壊せると思うんだけど。これって……そういうモノなのか?」
弘は顎下を手で掴みながら唸る。こういう時、魔法使いが一緒に居てくれると、目の前の現象について考察してくれるのだろうが、あいにくと今は自分1人だけだ。自分で判断するしかない。
やはり155mm榴弾砲で攻撃するべきだろうか。他にも強力な召喚武具は追加されているが、このエリアで使えそうな大物と言えば、これになる。
「対戦車ミサイルもいいんだけど。んじゃまあ、ちょっと離れて……んっ?」
不意に、目の前の壁……透明な液体で満たされた大浴槽の壁が明滅した。それは金色であり白色でありと、やたら眩しい。弘は咄嗟に顔前に手をかざしたが……。
「おおっ!?」
奇妙な浮遊感が生じて声をあげ、次の瞬間。沢渡弘の姿は、かき消すように消失していたのである。