第百四十一話 グレースの思うところ
夜。
弘は約束どおり、ノーマと2人で飲んでいた。場所はギルド酒場ではなく、大通りの別の場所にある酒場だ。こちらはギルド酒場と違い、冒険者の姿はほとんど見えない。どちらかと言えば、身なりの良い男女が各テーブルで食事をしたり、良い雰囲気で話し合ったりしている姿が目立つ。全体的にギルド酒場とは比べものにならない程、上品な雰囲気だ。
そうした中、弘はテーブルの1つに着いていた。ちなみに、いつもの黒革鎧ではなく、この世界にあって裕福な者が着るレベルの衣服を着込んでいる。もっとも、黒革鎧と同じように黒基調であるが……。
「古着で良いから、ちゃんとした服を……とか言うから。何かと思えば……」
元々、ギルド酒場で夕食を取ろうとしていたのだが、ノーマが「私と飲む約束。してたでしょ?」と言い、弘の腕を引いてギルドから出たのだ。もちろん、カレンやジュディスから抗議を受けたが、グレースが説得してくれたこと。そして、「いやあ、約束しちゃったもんでさ」と言う弘の一言で、他の者は引き下がったのである。
そうして、ノーマに腕引かれるまま入ったのが古着屋であり、続いて案内された飲み屋と言うのが、日本で言う『雰囲気の良いバー』みたいな……この酒場だった。
「この俺が……。イイ感じの服を用意して、こんな飲み屋に来るとはな~。なんだかな~」
日本で居た頃は、族のOBが経営する飲み屋に通ったことがあるくらいだ。ガレージを改造し、何から何まで手作りの内装。酒は安物ばかりだったが、不思議と美味かったし、そして楽しかった。ああいう雰囲気が、自分には性に合っていた。なのに、今の自分は不似合いな場所に来て酒を飲んでいる。そんな気がして、弘は肩をすくめた。
「やっぱさぁ? ギルド酒場で良かったんじゃないか?」
「何を言ってるの」
ぼやく弘に対し、ノーマが薄く笑う。
「これから強くなって、もっともっと稼ぐ気なんでしょ? だったら、こういう店にも慣れておかなくちゃ。それに……その服、とても似合ってるわよ?」
「そ、そうか? でも、この服……どうにも、ちょっと……」
弘が上着の襟などを指で摘むと、ノーマは呆れたように溜息をついた。
「私が似合ってるって言ってるんだから、それで良いのよ。でも……黒基調にしたから、雰囲気的には軍人さんみたい。もっとこう白基調で、緑とか黄色とか、そういう配色を増やしても良かったかもね。きっと目立つわよ?」
服の色のことを話されても、弘にはよくわからない。しかし、ノーマがニヤニヤしているので、からかわれているというのは理解できた。
「よしてくれ。派手な服装は好きだけど。きちんとした場所で場違いな服装とか、マジで勘弁だぜ」
弘の好きな『派手な服』とは、言うまでもなく特攻服のことだ。ハチマキを締めて、黒いズボンに地下足袋。腹部はサラシ巻きで、最後に黒い特攻服を羽織る。その特攻服には、刺繍や金銀のラメ入りで不倶戴天の大文字とか、『神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬り~』といった長文が記されるのだ。そういった出で立ちで公道を暴走するのが、学生時代の弘にとっては大いに快感だった。
(……社会人になった今じゃあ、さすがに……まあ……なんだ。たまに特攻服の上着を羽織るぐらいは、やりたいかもな……。実際、今もやってるし)
こういった趣味の面から考えると、この世界に来て得た力で、特攻服を召喚できるというのは実に嬉しい話だ。今は黒無地だが、いずれはもっと派手派手しい特攻服が召喚できるに違いない。そう思い、嬉しくなった弘は口元が緩んでいく。
「何だか、嬉しそうねぇ?」
「え? いや、その……」
特攻服に思いを馳せてニヤけ面をさらしていた。などと言うわけにもいかず、弘は視線を泳がせる。そして、その視線が……ノーマの胸元で落ち着いた。2人用のテーブルで差し向かい。そういう状態であるから、視線の向きはノーマに察知されてしまう。
「あら? そういう目で私のことを見てくれるの?」
「そりゃ……。そんな胸元開いた衣装だと、目が行くに決まってんだろ?」
弘と同様、ノーマも古着屋で衣服を調達していた。彼女が着ているのは、赤を基調としたタイトな服だ。ちなみに、ノーマは貸衣装としてレンタルしており、弘の場合は「この機会だし。少しはキチンとした服を持っておくか」と衣服一式を購入している。
(ノーマに乗せられたのもあるけど、それなりに安値だったしな。にしても、ノーマの着てる服。金持ち奥様の外出着って言うか……。でも、嫌味とかオバサンっぽい感じじゃなくて、品が良い気がするんだよな。こりゃ服が……ってより、中身が物言ってるんだぜ。きっと)
行動を共にする女性の中だと、ノーマはグレースに次いで『大人の女性』的な雰囲気を有している。その衣装の効果も相まって、今の彼女は実に魅力的だ。思わず鼻の下が伸びそうになるが、それよりも先にノーマが話題を変えてきた。
「ねえ? 王都に行った後の、グレースの話なんだけど……」
「ん? ああ、仇討ちの話か」
確認した弘に対し、ノーマは積極的に手伝うと言う。以前に話したときは、相手氏族のお宝が目的だった。だが、今は違う。
「お宝目当ては変わらないけど、惚れた男の恋人が困ってるんだもの。ここで手伝わなくてどうするって話よね」
「ノーマ……」
本当にありがたい。と、弘は思った。氏族皆殺しの殲滅戦になるのなら、レベルアップ後の自分だけでも何とかなるかもしれない。しかし、数人を限定して殺害するだけであれば、偵察士ノーマの力は大いに頼れるはずだ。
(全滅させるにしたって、相手方の親分とか。そういうのを逃がすわけにはいかないからな。やっぱ、偵察士の能力は必要だぜ)
「……恩に着る。グレースが何処までやる気かは知らんが……。王都で合流したら、よろしく頼むぜ」
「何処まで? なるほど、まだグレースと話を詰めてないわけね。その辺は、この後にでも相談しておきなさいな。目標は、きちんと設定しておかないと駄目よ?」
軽くお説教された形であり、何とも決まりが悪い。だが、今のセリフの中でノーマは『この後、グレースと……』と言った。
「この後、グレースと……なんだって? どういう意味だ?」
「さすがのヒロシ・サワタリも、気がついてなかったみたいね」
ワインを一気に干し、ノーマは空になったグラスをテーブルに置く。
「ギルド酒場で皆と別れた後、グレースが私達をつけて来てるのよ」
「それ……マジか?」
弘は驚いたが、「何のために?」とは言わない。先程話した、仇討ちの話をしようとしているのだろう。と言うよりも、ついさっきノーマと仇討ち話をしたばかりなため、それ以外に思いつけない。鼻で大きく深呼吸した弘は、自分もグラスのワインを飲み干すとノーマを見た。
「しかし、よくもまあ気がつけたもんだな? さすがは偵察士……ってか?」
「まあね。尾行するのもされるのも、訓練は受けているから」
ノーマが言うには、曲がり角などを曲がる際に一瞬後方を見る。その時、自分を尾行している者の挙動を見るのだそうだ。他には、視界に入った者の服装を記憶するなど。
「で……尾行までするグレースに、弘との時間を譲ってあげたいところだけど……。ワインがまだ残ってるし。取りあえず飲んじゃいましょう。それと……もう少しぐらい、お話ししても良いわよね?」
「ああ」
頷いた弘が、ワインの入った陶器瓶に手を伸ばそうとしたところ、それを制してノーマが陶器瓶を手に取る。「お酌するわ」と嬉しそうに言うので、弘は照れ臭さを感じながらも、グラスにワインを注いで貰った。もう数度目のことなのだが、やはり照れ臭い。そして、ノーマが手酌で自分のグラスにワインを注ぐと、2人で目配せし合いながらグラスに口をつける。
「お高い酒場って事もあるけど。ヒロシと一緒だと、本当に美味しく感じるわ」
「そりゃ、どうも。俺は、上品すぎて気後れしちまってるがな」
弘としては本音を言っただけなのだが、ノーマは「闘技場10連勝の猛者が、可愛いこと言うのね」と、からかうように言う。そして、顔の前でグラスを揺らし、熱を帯びた視線で弘を見た。
「この次に飲むときは、もっと親しい間柄になっていたいものね。……恋人とか」
「ぬっ……。おう。今度会った時に、きっちり返事してやるぜ」
一瞬言葉に詰まった弘は、少しの間を置いてから答えている。一方、ノーマは驚きの表情を見せていた。
「……意外ね。思ってたよりも返事が早いわ。もう少しぐらい、困るかと思ってたんだけど?」
「何だか慣れてきたし、腹もくくれてきた。いつまでも、うだうだ言う気はねぇ~って。後は……」
カレン達全員の面倒を見られる男になるだけだ。そのためには、まず強くならなければ話にならない。だからこそのレベル上げ作業である。
「ヒロシ? 期待してるけれど、無茶はしないでね。命あっての物種なんだから。それと……誰かに聞いたかも知れないけど、私達は貴方に何もかも頼り切るつもりじゃあないのよ? むしろ、頼って欲しいんだから」
「……わかってるよ」
その後、弘達は談笑しながら注文したワインをすべて飲み干した。そこで弘が席を立とうとしたところ、ノーマが「私は、もう少し……1人で飲んでいくから」と言う。
「おい?」
「いいから。支払いは任せておいて。今日のところは、私の奢りにしておく。服、買わせちゃったしね。……たぶん、入口を視認できるところにグレースが居ると思うから、外へ出て探してみたら?」
そう言って追い立てるので、弘は何度か振り返りながらではあったが、1人で酒場を後にした。
「さてと……」
弘が出て行くのを見届けたノーマは、姿勢を崩して一息つく。そして店員を呼び、新たなワインを注文した。それが届くまでの間……テーブルを人差し指でトントン叩きつつ、ノーマは次のように呟いている。
「グレースの他に、もう1人……見かけたんだけど……」
そう。ノーマはグレースの他に、もう1人……見知った人物を目撃していた。グレースと比べると拙すぎる動作であったが、自分達を尾行して……。
(……違うか。あの様子だと、私達を尾行するグレースの、その後をついて歩いてる感じだったわね)
そのことを弘に告げなかったのは、何となく癪に感じたからだ。
「私も、まだまだ小娘って事よね……」
自嘲気味に笑うと、ノーマは追加で届けられたワインを手酌で飲み出すのだった。
◇◇◇◇
「グレースが居るって……。ホントかよ?」
大通りでは、各店舗の店先にかがり火等が用意されているため、夜と言ってもかなり明るい。酒場から出た弘は、周囲を見回してみた。
「……おお。居た居た」
少し離れた斜向かいの建物前。そこで立つグレースの姿を発見する。長身かつスタイル抜群のエルフなので、遠目に見ても目立つのだ。
「いや~、マジで尾行されてたんだな。……こういうの、気づけるようになった方がいいんだろ~なぁ」
冒険者等の通行人を避けつつ、弘はグレースに近づいて行く。しかし、距離が詰まって行くにつれ、グレースの他にもう1人居ることに気づいた。酒場から出た時は、位置と角度の関係から、グレースの影に隠れて見えなかったのだ。その、もう1人の人物とは……。
「カレンじゃないか。日も暮れて結構たつってのに、1人で何してんだ? いや、グレースが一緒か……」
探していたグレースにではなく、カレンに意識が向く。これは、グレースを探すことしか考えていなかった弘にとって、カレンとも出くわすのは想定外のことだったからだ。だが、こうして2人一緒に居るのは、どういう事だろうか。
(2人して俺に同じ話でもあるのか? 違うとしたら、1人が俺と話してる間、残る1人が隣で立ってジッと見ているとか。いやいやいや、ないない)
ふと脳内で浮かんだ展開を打ち消し、弘はカレン達に話しかけた。
「よう。どうした? 特にカレンは、シルビアが一緒じゃないのか?」
話しかけられた側の2人は顔を見合わせている。グレースは苦笑気味に、そしてカレンは不安そうな様子だ。
「あん?」
弘が首を傾げて見せると、グレースが一歩進み出て言う。
「主よ。大通りでは話もしにくい。場所を変えよう」
特に反対する理由もないので弘が頷いたところ、グレースは「こっちだ」と言って歩きした。彼女について弘が歩き出し、遅れて歩き出したカレンが隣に移動してくる。
「カレン。なんか、深刻な話になるのか?」
「いえ、その……グレースさんは大事な話と言ってましたけど。でも、私の方は、いえ……なんて言ったらいいのか……」
どうにも要領を得ない。それに、さっきまで不安そうにしていたのが、今では恥ずかしそうにしている。弘は歩きながら頭を掻いたが、少し先を歩くグレースが足を止めたのを見て、彼女の周辺に注意を向けた。
そこはノーマと飲んでいた酒場より、少し離れた場所にある……別な酒場である。2階部分が宿も兼ねている典型的な酒場で、規模的にはギルド支部よりも二回り小さい。
「聞き耳兎亭? また酒場で話すのか……」
今朝から事あるごとに酒場入りしているので、さすがに胸焼けしそうだ。その思いが顔に出たのか、入口前で待っていたグレースが肩をすくめる。
「ギルドで会議室を借りても良かったのだが、あそこにはジュディス達が居るからな。何、少しばかり話をするだけだ。途中で喉が渇けば、その時に酒でもジュースでも飲めばいい」
「酒なら、さっき飲んだばかりだし……。ジュースがいいな」
どのみち、自分達を尾行していたというグレースに会い、話があるなら聞こうと思っていたところだ。飲み物など、グレースが言うように気分次第で注文すれば良い。
「よし。では入ろうか?」
そう言ってグレースが先に店内へ入り、続いて弘がカレンと共に入店する。今度の酒場は、弘に言わせると『普通の酒場』だった。どの辺が普通かというと、上品すぎない程度に小綺麗で、多くの地元民にチラホラと冒険者が混じっている。
(ギルド酒場が冒険者だらけで、ノーマと入った酒場は高級バーみたいだったからな。まさに間を取って『普通』だ)
さて、こうして普通なる酒場に入った3人であるが、服装はと言うと、グレースは普段の旅装束から革鎧など装具を取った姿。現在は、丈の短いスカートを着用しているので、何とも目のやり場に困る。弘は前述したとおり、パッと見で軍人に見えなくもない黒色の古着姿だ。そして、問題なのがカレン。彼女もグレースと同じく、旅装束から鎧を脱いだ姿となっているのだが……。
「お客人。ここは酒場なんだ。学生さんを連れてこられちゃ困るんだが……」
カウンターの向こうに居る店主から声をかけられ、弘達は顔を見合わせた。確かに、カレンは鎧の下に王都貴族学院の制服を着ている。だから、鎧を脱げば学生にしか見えない。
(お~……こっちの世界にも、未成年は飲酒禁止とかあるんだな。てゆ~か、前から思ってたんだけど、鎧を脱いだらマジでブレザー制服だぜ)
この世界、ファンタジーRPGほどにゲーム色の強くない世界ではあるが、時々、こういったゲームだかアニメだかを彷彿とさせるモノを見かける。あるいは、これも過去に転移して来た者達の影響なのかもしれない。
「保護者同伴だ。酒を飲ませるつもりはないから、大目に見てくれ!」
そう弘が言うと、店主は渋そうな顔のまま頷いて見せた。了承を得た……と判断した弘が、空いてるテーブルを探そうとしたところ、カレンが服の袖を引っ張る。
「なんだ?」
「サワタリさん。サワタリさんは……保護者じゃないです……」
子供扱いされたのが、どうやらお気に召さなかったようだ。むくれるカレンに対し、弘は頭を掻きつつ謝罪する。
「悪かったよ。でも、ああ言わないと……」
「2人とも? このテーブルが空いたようだぞ?」
身振り手振りを交えて弘が釈明しだしたところで、グレースが呼びかけてきた。彼女は数メートルほど離れたテーブルの近くで立っている。弘とカレンが一瞬視線を交わし、テーブルまで移動すると、グレースは苦笑しながら4つある椅子の一つに腰掛けた。そして、カレンを手招きして、彼女が隣に座るのを待つ。
「主は、反対側に座るといい。我とカレンの双方で、主に話があるのでな。ところで……」
弘が椅子に腰を下ろすと、グレースは悪戯っぽく笑った。
「保護者というのは感心せんな。カレンは主の恋人なのだから、せめて『俺の連れだ』と言っておくべきだったな」
これを聞いてカレンがコクコク頷いているが、連れ扱いしたところで、カレンが学生服を着ている事実は変わらない。
(やっぱり、誰かが保護者役を買って出るしかね~じゃん)
そう思ったものの、女性相手に口論するのも疲れるので、弘は何も反論しなかった。グレースの方でも、しつこく絡む気は無いため話題を変えている。
「それにしても……服を買ったのか。ギルド酒場を出た後、ノーマと古着屋に入ったようだが。……中々似合っているではないか」
「そうか? ノーマには、軍人さんみたいだとか言われたけどな……」
似合っているとも言われたが、それを伝える前にカレンがテーブル上に身を乗り出した。
「もう少し装飾を増やすと、王都の騎士が着ている服に近くなりますね。でも、確かに似合ってますよ? だって、格好良いです!」
「そ、そうか?」
恋人2人から似合っていると言われ、当然だが悪い気はしない。弘は頬を緩ませたが、同時に思い出したことがあった。
「古着屋に入ったところも見てたのか。てか、なんで、こそこそ尾行とかするんだ? あと、カレンもついて来たみたいだけど……」
「む? 先程は、主が酒場から出るなりキョロキョロしていたので、我の方から姿を見せたが……。やはり、尾行に気づいていたのか。……ああ、なるほど。ノーマだな」
森で狩りをするから追跡術には自信があったのだが、偵察士の目は誤魔化せないな……と呟き、グレースは事情を説明する。まず、弘とノーマの後をつけたのは、2人の用件が済んでから弘と話をしたかったからだ。
「何しろ、明日の朝には出発だからな。王都で合流した後の話を、もう少し詰めておきたかったのだ。カレンについては、我がギルド酒場を出てから……」
「ぐ、グレースさんの後を追いかけました。でも、声をかけられる雰囲気じゃなかったので……」
グレースの後を継いでカレンが話し出す。こちらはグレースのように追跡術に長じているわけではないので、オロオロしながらグレースに追従していたらしい。そして、弘がノーマに連れられて酒場に入ったところで……。
「我が保護したのだ」
「保護……って。私、迷子じゃないですよぅ!」
「はっはっは。すまんすまん」
貴族の美少女とエルフの美女がじゃれ合っている。弘は「おお。こういうの、いいなぁ」と思ったが、すぐに気を引き締めた。明日は午前中に出発する予定なので、話があるなら手早く済ませたい。
「で……俺と話したい事ってのは……」
グレースに話しかけつつ、弘はカレンに視線を走らせる。
「カレンにも聞かせていい話か?」
ピタッとカレンとグレースの動きが止まった。2人は暫く見つめ合っていたが、やがてグレースが弘を見て頷く。
「うむ。我がノーマの次だったように、我の後でカレンに順番を回したいところだが……どうやら時間がない。我らはともかく、主は夜更かしするわけにはいかんのだからな。そこで、この際だしカレンにも聞いて貰う。カレンは我らとは関係が深いし、聞かれて困る話でもない」
夜更かしするわけにはいかない。先程、自分でも思ったことだが、これを他人に言われると、「何が何でも明日出発しなければならない……わけじゃないけどな」と弘は思ってしまう。だが、ずるずる出発を先延ばしにするのも考えものであるため、弘はグレースの言に頷いた。
「俺の方でも、グレースには確認しておきたいことがあるんだ。で? やっぱ、話題はアレか?」
「そうだ。我の氏族の仇討ち。その助っ人を、主にして貰う話だ」
自分が気を遣って『アレ』と言っているのに、グレースが本題を切り出す。仇討ち話のことを、グレースは隠したがっていた節があるが、どういう風の吹き回しだろうか。
「そういうの、内々の話にするんじゃなかったか?」
「何を言う? 我と主にとって、カレンは身内も同然であろう?」
そういう事を今更説明させるな……的な口調のグレースであったが、言い終わりに申し訳なさそうな顔となる。
「ただ、その……我の私怨に主を巻き込む形なので、カレンに黙っておくわけにはいかないと……。何しろ、我と同じく主の恋人だし……」
「ああ、そう」
グレースの方で隠す気が無くなったのであれば、弘としても気兼ねしなくていい。と、ここで弘の右斜め前で座るカレンが、横目でグレースを睨んだ。
「そういう危ない事をするなら、もっと早く教えて欲しかったです」
「うっ……。すまんな、我としても他の者には話しにくいことだったのだ。大まかには外で話したのだから、勘弁してくれ」
「もう。そんな風に言われたら、何も言えないですよぅ」
そう険悪な雰囲気でもないし、傍目には姉妹がじゃれ合ってるようにも見えるから、もう暫く見物していたいと弘は思う。しかし、それでは話が進まない。
(いけね。また見とれてた……)
咳払いをして2人の会話を中断させると、弘はグレースに質問した。
「グレースに聞きたかったんだがな。仇討ちって、どの程度までやるつもりだ? 氏族まとめて全殺しか? それとも、何人か狙って殺っちまうのか?」
これを聞き、グレースがカレンから身体を離して姿勢を正す。
「我が相談したかったのも、その点だ。相手氏族には幼子もいるだろう。それまで手に掛けたのでは、相手方と非道の程度が変わらぬ。とは言え、仇討ちを止める気もない」
もしも、今ここに大地母神系の僧職者が居たのなら。復讐などしても空しいだけだ……などと、グレースに説教したかもしれない。そして、その程度の理屈はグレースにも理解できている。
「だがな……」
緑の瞳に怒りの感情を宿しながら、グレースは言った。
「もしも、我が仇討ちをしなければ。滅ぼされた我が氏族の無念は、何処へ行くのか? 浮かばれぬままではないのか? そして、こうも思う。彼の氏族がしでかした非道。それには相応の報いがあって然るべきではないか……と」
要するに、本音では氏族殲滅までやりたいが、一部の者を殺害するだけで勘弁してやろうと言うわけだ。これには概ね納得した弘であったが、カレンが怖ず怖ずと挙手したので彼女を見る。
「カレンは、何か意見があんのか?」
「え……と、ですね。グレースさんが無関者や子供に配慮するのは、立派だと思います。だけど、そうやって相手の氏族に人員が残ると……今度は、グレースさんが仇討ちの対象になるのでは?」
弘はグレースと顔を見合わせた。
(ああ、なるほど。マンガなんかで言う、復讐の連鎖とか……そんな感じか。確かに、カレンの言うとおりだな)
では、方針転換して氏族殲滅で行くのか。この仇討ちはグレースの目的なのだから、グレースが決定すべき事だが、弘は嫌な予感がしていた。
「今度は、我が仇討ちの対象となるなら……。我は甘んじて受けよう……」
(だ~っ! やっぱりそうなったか!)
グレースの言いそうな事だと思っていたら、そのまま意思表明されたので弘は頭を抱えた。カレンと同様、弘もグレースの考え方は立派だと思う。だが、恋人が他人から付け狙われる事態というのは避けたい。
ある日突然、グレースの胸に矢が突き立つ……などと言う惨劇を想像した弘は、自分だけで相手氏族へ向かい、こっそりと全滅させる事を考えた。しかし、すぐに思い止まっている。
(それじゃ、俺にデカいトラウマが残るぞ……。死ぬまで夢に見そうだ……。他に手段が無くなったときの最終手段にしておこう)
では、その『他の手段』というが無いものか。無ければ、いよいよ弘だけでやる事になるが……。と、このように弘が困り果てていたところ、またもカレンが発言した。
「グレースさんが討ちたいと考えるのは、一部の者。つまり相手氏族の上層部……という事でよろしいですか?」
「えっ? ああ、そうだ。族長は勿論、補佐役の数名が対象だな」
グレースは、氏族祭事を司る主立った者を討ちたいと言う。祭事役は、人間で言う町議会の議員のようなものだ。グレースの氏族を襲撃する案も、その辺りの者達が出したものらしい。
「我を嬲っていたとき、自慢げに語っていたからな。間違いない」
「氏族の祭事? お祭りみたいなもんか?」
「そうだ、主よ。精霊祭と言ってな。エルフ氏族は、どの氏族であっても年に一度、自分達を守護する精霊に感謝して祭を行うのだ」
グレースが言うには、その祭というのは毎年決まった場所でやるのではなく、森の中の何処か……精霊の力が濃くなった場所を検分して、祭場を設定するのだ。
「最終的には族長と祭事役、他に何名かだけで現地視察をする。そこで仮祭壇を設置して……。あっ……」
グレースが何か気づいたらしく、弘に視線を向ける。弘も、ほぼ同時に思いついた事があったので、一つ頷いてからカレンを見た。
「カレン、ひょっとして……」
「はい。標的が少人数で動いてくれるのなら、そこを狙うべきです!」
なるほど、それならば少人数を殲滅すれば良いだけだ。上手くやれば、グレースが後々に仇討ち対象になることもない。弘は、大いに感心したが一方で意外にも思っている。お嬢様育ちのカレンが、こうも効率良い襲撃案を提示してくるとは……。
「カレンは、軍学とか勉強したことあんのか?」
「こ、これは、そんな大層なものじゃありません。ただ、その……貴族の家に生まれると、色々あると言うか……」
弘の質問に対し、慌てて訂正したカレンが徐々に暗い面持ちとなっていく。その様子を見ていた弘は「ああ、なるほど。余所様の家督相続をネタにして遊ぶような界隈だからな。足の引っ張り合いとか、暗殺とか……。そんな感じだな」と勝手に納得して、それ以上の追求を避けた。
その一方で、本来であればグレースや自分が考えつくべき事だったとも、弘は思う。やはり、相手氏族の誰を何人殺すのか……とか、子供まで巻き込むのか……といった事に目が向いていたので、気が回らなかったのだろう。
こうして概ねの方針は決定した。相手氏族の主だったメンバーが、少人数で行動する機会に襲撃するのだ。しかし、弘は一つ気になることがあり、グレースに確認している。
「なあ、グレース? このやり方なら、上手くすれば相手に姿を見せないでやり切れるかもしれね~。でもよ? これでいいのか?」
「これで良いのか……とは?」
聞き返してくるグレースに、弘は言う。
「連中の前に顔出して、恨み言の一つでも言ってやりたくはないのか? って聞いてんだ」
グレースが息を呑む。その音が確かに聞こえた。弘はグレースの返事を待つが、そこへカレンが割り込んでくる。
「さ、サワタリさん。グレースさんが姿を見せたら、秘密性が……」
「そこを工夫してどうにかするんだよ。この件には、偵察士のノーマも噛んでくれてるからな。ノーマに相談すれば、何とか……」
自信あるように言い出して、最後はノーマが頼み。我ながら情けないと思う弘であったが、協力を得られる以上は頼りにさせて貰うつもりだった。
「ともあれ……。なあ、グレース? 氏族の仇討ちは大事だし、自分が仇討ち対象にならないようにするってのも大事だと思うぜ? 相手側の皆殺しを避けようってのも理解できる。でもな、グレース自身の気が晴れなきゃ意味ないんじゃないか?」
グレースは俯いたまま、返事をしない。その彼女に対し、弘は続けて言った。
「さっきカレンにも言ったが、やりようはあるはずだ。後は、グレースの判断で……」
ダン!
俯いていたグレースが、両拳でテーブルを叩く。その音で周囲の目が集まるも、多少の騒ぎは酒場の常なのか、すぐに元の雰囲気へと戻っていった。そんな中、グレースは上目遣いで弘を睨みつける。
「混ぜっ返してくれるではないか。せっかく、姿を見せずに一部の者だけを討つ……で話がまとまりかけていたものを……。ああ、そうだ。主よ、サワタリよ。そなたが言うように、この顔を見せつけ、言うべき事を言い散らし、その上で討ち果たさねば……」
顔を上げきったグレースの双眸から、涙があふれ出た。
「氏族の恨み、晴れたとは言えぬ! そして、そうでなければ我は……我は、あの娼館で燻っていた頃の我のままだ。我は……」
「よ~しわかった。じゃあ、話は決まりだ」
手の平を突き出してグレースを黙らせた弘は、グレースとカレンを見ながら話をまとめていく。
「再確認だ。仇討ちの対象は族長以下、上層部のみ。狙い目は祭事の準備の時。襲撃するときに、グレースが直接一言言ってやる。……その上で、他の連中にグレースの事がバレないようにする。これでいいな?」
「……うむ」
スンと鼻を鳴らし、グレースが頷いた。弘が言った行動内容は、最後に「グレースのことを秘密にしたままで事を終える」を加えた事で、難易度が上昇している。しかし、弘もグレースも、この方針を変えるつもりは無かった。
「後は……その祭事の準備ってやつにさ。出来るだけ標的が集まって欲しいとこだよな?」
「さすがに氏族の指導者を1人も残さず……というのはあるまい。当然、討ち漏らしはあるだろう……」
弘の懸念に対し、グレースは「1人や2人程度が残ったとしても、後日に射殺してくれる」と述べる。これに頷きながらも、弘は釘を刺すことを忘れなかった。
「その時は、俺が付き添うからな。絶対に1人で行くなよ? 仇討ちが成功した後の事だろうけど、相手は警戒してるに決まってんだから。それでグレースが死んだりしたら……」
(たぶん相手氏族のこと。俺が皆殺しにしちまうだろうな……)
最後の部分は声に出さなかったが、それを察したのか、グレースは神妙な面持ちで頷いている。
「我の身も心も、すべて主の物だ。軽々しく死んだりはせぬよ」
「身も心もって……。いやまあ、とにかく突っ走るときは俺を巻き込むようにな? それと、仇討ちの時期だけど。俺と合流してからって事になると、秋の終わりか、冬ぐらいになるな。その祭事の準備ってやつには間に合うのか?」
グレースによると何処の氏族も、秋の終わり頃に精霊祭を執り行うものらしい。
「秋の実りの時期が終わって、一年間の感謝を……ということだ。主が予定どおりに合流できれば、丁度良い頃合いであろうな」
「なるほどな」
だが、カレンの方では、仇討ち行へのタイミングが合わせられるか自信が無いとのこと。
「お手伝いをしたいのですが……」
「いや、ここで相談に乗って貰えただけでも助かる。カレンには試練があるからな。我らのことは気にせず、自分の目標に専念することだ」
そう言ってグレースが微笑むと、カレンは安堵したように微笑みを返した。
(上手い具合に言ってるが、仇討ちの実行にカレンを巻き込みたくないんだろうな)
そう弘は考えている。そして、自分とノーマ以外に、手助けする他人を増やしたくないのかもしれない……とも考えていた。
「段取りに関してはノーマとも相談して、上手く考えておいてくれ。と言っても、今夜は彼女……酒が入ってるだろうけどな」
そう言って弘が笑うと、グレースもカレンも表情を緩める。こうしてグレースの件については話が終わったが、今度はカレンの番だ。
「それでカレンだけど……。俺に何か用があったのか? 話したいこととか」