第百三十七話 弘対カレン(前編)
街道を外れた荒れ地で、沢渡弘とカレン・マクドガルが対峙している。恋人同士の2人であるが、これより試合を行うのだ。
「……特攻服」
弘が呟くと、何処からともなく特攻服の上着が召喚され、革鎧の上に自動装着される。刺繍無しの黒地は、黒塗りの革鎧と合わせたかのように雰囲気がマッチしていた。また、この特攻服には特殊能力が付与されており、装着している防具の防御力をコピーできる。つまり、今の弘は革鎧を2着、重ね着してるに等しい防御力を有しているのだ。
(とか言って、カレンのパワーが相手じゃ気休めにしかなんね~か……)
一瞬、召喚防具の一つである『ボディアーマー』を使うべきか考えた弘であったが、革鎧着用の方が戦い慣れているため却下した。
(どうせ、カレンに斬りつけられたら耐えられないだろうし)
だったら特攻服を着て、革鎧の防御力を2倍にしたところで同じではないか。確かに、そうなのだが、そこはそれ気分の違いである。ここ一番の喧嘩で特攻服を着込むと、普段以上に気合いが入るのだ。
(こいつは試合であって喧嘩じゃね~けど。気が抜けてていい相手じゃないからな。……いろんな意味で)
その他に、防御力を上乗せさせられそうな物と言えば、冒険者登録した当初に愛用していた木盾(角材を組み合わせた安物)がある。だが、今更木製の盾が役に立つとは思えないし、装着した方の腕……例えば、左腕が不自由になることを弘は嫌った。
「空いた方の手で、召喚具を使った方がいいものな。さて……」
概ね準備の整った弘は、正面方向、数歩分離れた位置で立つカレンに向かって声をかけた。
「カレン! 始める前に言っておくぞ!」
弘はハッキリとした声で言う。この試合、間違いなく全力で戦うが、それは全ての召喚具を使用するということを意味しない。
「戦いには『組立て』ってもんがあるからな。俺は勝つために色々やるってこった!」
それを事前に言うのは、もちろん理由があってのことだ。これまでの冒険行で、カレンは召喚具の幾つかを目撃しているが、アレを使わない、コレを使わなかった……などと、後から文句を付けられてはたまらないのである。
(もっとも……。殺傷力の高い召喚具は、なるべく使わないようにしたいし、当たらないように工夫もしたい。その言い訳でもあるんだけどな~)
そのことまでは説明しなかったが、どうやらカレンは納得したようだ。「わかりました!」と、元気の良い声が返ってくる。
では、始めるか……と弘は身構えたが、ここでカレンからも一声かかった。
「サワタリさん。私からも、お話しが……」
何を言い出すのかと皆が耳を傾ける中、カレンは語り出す。自分の着用する鎧は、魔法の鎧であること。この鎧を着用することで、自分は大きく増力すること。そういった事を説明したのだ。
「へ~え……。魔法の鎧?」
そう言いつつ、離れた位置で居るシルビアに目を向けたところ、シルビアが驚き慌てている様が見て取れた。
「どうやら、本当らしいな。……で? なんでそれを、今話す?」
何か狙いでもあるのだろうか。そう思いジッとカレンを見据えると、彼女は少し口ごもりながらではあるが話し出した。曰く、弘が戦い方について一言断ってくれたので、自分も何か言わなければ……と思ったとのこと。
「それに……」
カレンは伏し目がちに言う。
「私の『強さ』。それには理由があることを、知っておいて欲しかったんです」
「お、おう。そうか……」
弘が何と言って良いかわからず、ぎこちなく頷いていると、カレンは問いかけてきた。
「あの、サワタリさん? 私……魔法具のおかげで強くなっているんですよ? 私自身が強いんじゃないんですけど。……怒ったりしてませんか?」
「は? 俺が怒る? なんで?」
カレンの質問の意味が、弘には理解できない。首を傾げつつ聞き返すと、カレンは俯きながら説明した。日頃、弘はカレンのことを強いと言ったり、冒険行の中で頼りにしている。だが、カレンの『強さ』が、魔法具による借り物の強さであることを知って、弘は失望したりするのではないか……と。
「そう……思ったんです」
少し震える声でカレンが言い終えた。と同時に、弘は口を開く。
「思うなよ。心外だな。魔法の鎧? かっこい~じゃん?」
「へっ?」
変な声を出したカレンに対し、弘は笑って見せた。
道具の力を借りたから強い。それは借り物の強さだ……と言うのであれば、この自分はどうなるのか。
「俺自身、冒険中は思いっきり召喚具を使ってるだろ? 使える物は何だって使うぜ。そもそも召喚術自体が、俺に取っちゃ降って湧いた代物だし。だいたい……例えば、冒険者ギルドの……え~と、クロニウス支部のアラン支部長だったか? あの人だって、炎の剣を使ってるじゃね~か。それに、そこに居るノーマだって……」
見物人として居合わせているノーマを、弘は顎をしゃくって示した。そして、カレンの視線がノーマの方を向くのを見つつ、話を続ける。
「ノーマだって姿隠しの短剣を持ってるよな? 冒険者が便利のいい魔法具を使うなんて、珍しいこと……かもしんね~けど、いちいち気にするもんじゃないだろ? いいじゃん魔法の鎧。好きに使えば?」
「は、はあ……」
カレンが気の抜けた返事をし、2人から視線を向けられていたノーマがフッと笑った。その笑みに「それで良いのよ」ないし「上手いこと言い抜けたわね」的な意味を感じた弘は、軽く舌打ちして視線をカレンに戻している。
「そんなわけだ。余計なこと気にしてないで、試合することに集中しろ」
「は、はい!」
張り詰めた声でカレンが返事をすると、ここでグレースが2人に話しかけた。
「話も済んだようなので、そろそろ始めるが良いかな?」
弘とカレンが頷くと、グレースは双方、相手に大怪我させないよう気をつけること。そして、勝敗が決したと見たら、試合を止めにかかることを再度伝えた。
「……ちなみに、どうやって試合を止める気だ?」
気になった弘が聞いてみたところ、グレースは「風の精霊で吹き飛ばす」と言ってニッコリ笑う。
「数メートル転がる程度にするから、安心して戦うがいい」
それを聞いた弘は「マジかよ?」と目を丸くし、カレンが引きつった顔で「あ、あははは。お手柔らかにお願いします」とグレースを見た。
何やら雰囲気が和らいだ気がする。だが、それも一瞬のこと。カレンは、言い終わると同時に弘へ向き直り、剣を構えた。眼差しは険しくなっており、それを見て頷いたグレースがスッと手を挙げる。
「では……いくぞ? 始め!」
◇◇◇◇
「始め!」
その言葉がグレースの口から発せられた、次の瞬間。弘の目前にカレンが迫っていた。
「はやっ!?」
驚きつつ刀を縦に構えたところ、バギィィィン! という金属音が発生。同時に、右側から強烈な衝撃が襲いかかる。
「だああああっ!?」
かろうじて受け流した弘は、剣を叩きつけられた勢いに乗って飛び退り、カレンから距離を取った。とはいえ格好良く着地したわけではなく、飛び退いた先で転倒し、転がるようにして起き上がっている。結果として両者の距離は離れたが……。
「なんつ~速さとパワーだ。マジ、ありえね~……」
手に持った日本刀を見ると、大きく刃こぼれしていた。レベルアップによって強化された準業物なのだが、この調子では数回打ち合ったら折られてしまうだろう。
(どうする? 長巻に持ち替えるか?)
頑丈さで言えば日本刀などより上のはずだ。だが、長巻でカレンを追い切れるかと言うと自信が無い。それに……。
「てゆうか! 今、首を狙ってきただろ! 寸止めはど~した!」
さすがに頭に来たので怒鳴りつけたところ、「大丈夫です~っ! ちゃんと止めますから~っ!」との返答を得た。正直言って信じがたいが、ここでケツをまく……もとい、尻尾を巻く弘ではない。
「んの野郎~。だったら、こっちにも考えがあるぞ! トカレフ!」
一声叫ぶや旧ソ連製の軍用拳銃……トカレフTT-33が出現し、左手の中に収まる。狙って当てるのは難しいが、連射すれば命中弾が見込めるかも知れない。だが、これを見たギャラリーの中から、シルビアが警告を発した。
「サワタリ殿! 危ないことは無しですよ!」
「俺にだけ言うなぁあああっ! って、うお!?」
シルビアに怒鳴り返したところで、またもやカレンが斬りかかってくる。やはり速いが、二度目の斬り込みであるため、弘は極短時間で落ち着きを取り戻した。そして、トカレフの銃口をカレンに向けるなり引き金を引く。
ドカドカドカ、バギン!
連射すること4発。このとき弘は、カレンの胴体付近目がけて発砲していた。試合前、カレンを気遣って銃火器の使用を躊躇していたのに、いったいどういう事なのか。
(いや……。だってよぉ)
弘は目撃した。カレンが素早いステップで、発射された弾丸を回避する様をだ。こういう風に躱されることを想定し、ある程度は乱射気味に撃ったのである。にも関わらず、避け損ねて当たってくれることすらなかった。
ガガーン! ドカドカ!
(くっそ。弾ぁバラまいても、こうなんのか。……って、来た!)
左右にステップしていたカレンが、最後のサイドステップ後に飛び込んでくる。剣を振り上げているところを見ると、袈裟斬りに斬りつけてくるつもりのようだ。弘は、トカレフのトリガーガード付近に刀を当て、今度も受けに回った。
ガギイイイン!
火花が飛散し、弘の日本刀とカレンの長剣が打ち合わさる。先程味わったばかりだが、やはりカレンの攻撃は強烈だ。このまま鍔迫り合いに持ち込まれたら、押し負けるかもしれない。そう思い弘は焦ったが、当のカレンはと言うと、鍔迫り合いに移行することなく右後方へ擦り抜けていった。
(助かった……。けど、何でだ?)
あのまま、鍔迫り合いになったら、パワーで勝るカレンに圧倒されていたはずだ。鍔迫り合いの状態で、蹴られるなどしても危なかっただろう。なのに、それをカレンはしなかった。
(俺と、取っ組み合いをしたくなかったか? いや……何かあるぜ)
カレンを振り返った弘は、トカレフと傷んだ日本刀を手放す。そして、新たに日本刀と長巻を召喚した。左手に日本刀、右手に長巻を1つずつ。本来なら重量武器の長巻……いや、日本刀ですら片手で扱うのは困難である。しかし、レベルアップにより向上した『力』が、それを可能としていた。
一方、カレンは、弘が武器を持ち替えたことを警戒したらしい。続けて斬り込んで様子はないようだ。
(ちょいと探りを入れてみるか……)
右手の長巻を、長大な柄も含めて盾のようにかざし、弘はカレンに対して距離を詰めるのだった。
◇◇◇◇
「いや~。驚きだ。カレンの速さはヤバすぎるな!」
再び菓子類をボリボリ食べ出したラスが、興奮気味に言う。これに対し、ノーマが頷きながら口を開いた。
「さっき言ってた鎧の力もあるんでしょうけど。クリュセダンジョンで拾得した、盾の取っ手。アレを使ってるのも大きいでしょうね」
ノーマが言う『盾の取っ手』とは、『速度上昇の魔法』がかけられた魔法具のことである。元々は別の盾に取り付けられていたのだが、戦闘中に盾本体が破損し、今ではカレンの円盾に使用されていた。
「でも、いいの?」
ノーマはシルビアを見る。先程、カレンが弘に対して行った、魔法鎧の能力説明。ああいう情報は、秘密にしておくべきではないのか。それを確認したのだが、聞かれたシルビアは、カレンに向けた視線を動かさないまま返答する。
「良いわけがありません。私が言うのも何ですが、あの鎧は使いがたい代物です。とはいえ、魔法具は魔法具。転売目的で狙われることもあるでしょうし……」
そこまで言ったシルビアは、溜息をつきノーマを見た。
「このような場で、ああいう説明をしたという事は。カレン様には相当の覚悟や、思うところがあったのでしょう」
これがどういう結果に繋がるかわからないが、せめて双方が怪我をしない決着になること。それを祈るしかないとして、シルビアは発言を締めくくった。ノーマは頷いたが、ここでジュディスがラスに話しかけたので、そちらに視線を転じている。
「ねえ、ラス? ヒロシだけど……。あの火を吹く魔道具を使うの、やめちゃった?」
「当たらないと思ったんだろ? 俺としちゃ両手に大小……剣を持って何するつもりなのかが気になるね。てゆうか、本当に便利だな。あいつの召喚術ってのは」
ラスは言う。弘は召喚術士という存在らしいが、実際は武器を持って前衛で戦うことが多い。すなわち、近距離で戦う場合は戦士職と大差ないのである。その戦士職であるラスから見れば、壊れたからと言って即座に新しい武器を取り出せる能力は、実に羨ましく思えるのだ。
「確かに便利よね。しかも、その召喚術とは別に、いろんな物を隠し持てるんでしょ?」
弘とパーティーを組んで行動している間、何度も思ったことだが、改めてジュディスは弘の能力の便利さに感心していた。
「ねえ~? カレン様が動いたわよ~?」
ウルスラの声に、皆が試合場へと視線を戻す。離れた試合の場では、カレンが弘に対して幾度も斬りつけていた。弘は長巻を盾代わりにして防いでいるのだが……。
「なんだい、ありゃ。ヒロシの奴、やられっぱなしじゃないか」
ラスの言ったとおり、弘は防戦一方だった。カレンは一撃当てると脇を擦り抜けたり、あるいは後方へ飛び退くなどしている。いわゆる一撃離脱に徹しているようだ。対する弘は、動けない様子であり、時折、刀を振るっているようだが……これが当たらない。なので、ラスやジュディス達からすれば『防戦一方』に見えてしまうのだった。
「それにしても、カレン……かなり本気で攻撃してない?」
ノーマが戦況を見守りつつ言うと、皆が頷く。試合前、カレンは「寸止めで戦う」と言ってた。それが、いざ試合を始てみるとフルスイングの攻撃が目立つ。弘は上手く防いでいるが、いったいカレンはどう言うつもりなのか。そして、この試合はどうなってしまうのか。
「グレース殿に言って、試合を止めさせた方が良いのでは?」
そう言ったのはシルビアであるが、試合当事者の弘が頑張っているため、声をかけにくいのだ。こうなったら、もう中止でも勝ち負けによる決着でも、何でもいいから無事に終わって欲しい。それが観戦者達の統一した意見であった。
◇◇◇◇
では、防戦一方の沢渡弘は、どう思っていたかと言うと……。
(なんつ~か、もう……泣きたい……)
このような心境であった。
今の自分は『恋人にボコボコにされるチンピラの図』に他ならない。すべて長巻で防ぎきり、怪我一つ負わされていないが……情けない事この上ないのだ。しかし、カレンの猛攻に対し、弘がまったくの無策だったわけではない。猛烈な攻撃にさらされながら、カレンを観察していたのである。
「たああああああっ!」
低く跳躍して離れたカレンが、右に左に跳ねながら戻ってくる。それが残像が見えそうなくらいの速度であり、弘は必死の思いで長巻を攻撃点へ移動させた。
バキイイイン!
金属音と共に、カレンの長剣が弾かれる。同時に、弘は左手の日本刀を振るったが、これは空振りに終わっている。防御に気を取られた状態では、へっぴり腰での攻撃となり容易く回避されてしまったのだ。
(やっぱり、そうだ……)
後方へ跳んで距離を取ったカレンを見て、弘は眼を細める。
(鍔迫り合いを嫌がってるのか?)
弘としては接近戦でカレンの動きを止め、スタン系召喚具を使うのが狙いだ。そのため、先程からカレンの斬り込みに対し、身体ごと止めて鍔迫り合いに移行しようとしているのだが……。そのカレンが速すぎて、上手く捕らえきれない。また、反撃するだけでなく、手首を支点に日本刀の刃峰を叩きつけ、カレンを抱き込もうともしていた。しかし、これも今のところ成功していない。何故ならカレンが、時には攻撃を諦めてでも回避に専念したからである。
(なんで一撃離脱に拘るんだ? パワーはカレンの方が上だろ? やっぱ、俺のスタン系召喚具を警戒してるのか?)
カレンは、弘が使うスタンナックルやスタン警棒について見知っている。警戒しているのは間違いないだろうが、他にも何か理由があるように弘は感じていた。
「やあああっ!」
またもや、カレンが斬りつけて来る。
チュギイイン!
火花を撒き散らし、カレンは後退して行った。こうして彼女が離れた隙に、弘は長巻の状態を確認する。サッと見ただけだったが、数カ所で刃こぼれが生じており、このまま攻撃を受け続けるのは無理があるようだ。そして、そのことも弘は妙だと思っている。
(おいおい。頑丈さじゃ長巻の方が刀より上じゃね~の? それが、ここまでボロボロにされるとか。カレンの長剣って、なんか特別な剣だったっけ? それこそ、魔法剣とか……)
いくらカレンが増力していると言っても、使っている剣が普通の物なら、何度も長巻を叩くうちに破損するはずだ。ところが、壊れかけているのは長巻の方なのである。弘は長巻を放り出すと、それが地面に落ちるよりも先に次の長巻を召喚した。
武器が傷んだら、すぐさま新品を取り出す。ラスとジュディスが感心したように、傍目には弘の継戦能力が優れているように見えるだろう。しかし、現状のMP最大値が300で、長巻召喚に必要なMPは18。けして余裕があるわけではないのだ。
(むしろジリ貧だぜ。MPが無くなったら、あとはアイテム欄の武器を取り出すしかないけど……。普通の武器じゃなあ……)
バスタードソードや安値の槍では、カレンの攻撃を防ぐことはできないだろう。いや、バスタードソードは少し持ち堪えるだろうが、それでも長巻よりは早く壊れるはずだ。
(強いて言うなら、モールが使えるか?)
弘が言うモールとは、巨大な鉄槌……を、店頭看板用にスケールアップした物である。前の所有者が、ミノタウロスの冒険者に売りつけようとした程の巨大さを誇るが、これを弘はアイテム欄に収納し、時には打撃武器として使用していた。モールならば、カレンの攻撃に耐えるだろう。だが、その重量のため素早く扱うのは無理だ。
(上手く使わないと、体重差で振り回されちまうんだよな……)
覚醒能力の『射撃姿勢堅持』をタイミングよく使えば、モールを上手く扱えるかもしれないが、ぶっつけ本番で成功するとは思えない。弘は、モールで状況を変える事を諦め……。
「いや、待てよ……。武器じゃなく、道具ってことで……」
「でえええい!」
ブツブツ呟いているところに、カレンの斬り込みが来た。またか……と弘が思っていると、今度は一撃離脱ではなく、間近で足を止めて突きを入れてくる。
「ぶわっ!?」
弘は長巻で受け流し、後方へ跳んで距離を取った。追撃があるかと思ったが、その場からカレンが追ってくることはない。どうやら、無理に急停止して突きを放ったことで体勢を崩したらしい。弘は顎下の汗を手の甲で拭うと、カレンに抗議をした。
「こ、殺す気かコラァ!?」
「寸前で手加減してますってば!」
そうは言っても、その手加減を誤れば防具を貫通しかねない。カレンの戦い方を妙だと感じていた弘であったが、ここへ来てカレン自身が変じゃないかと思いだしていた。
(試合が始まってから、どんどん好戦的になってる感じだ……)
戦ってるうちに興奮したり、ハイになっているという事なのかもしれない。弘自身、身に覚えがあるので不思議な話ではないが……。
(あの、カレンがね~……)
無邪気というか、天然というか。明るく優しい貴族のお嬢様! というイメージだったのだが、認識を改める必要がありそうだ。無論、それでカレンを好きな気持ちが揺らぐわけではない。そして、今気にするべきは、どうやってこの試合を終わらせるかだ。
(MP切れになる前に、仕掛けてみましょ~かねぇ。……どうか上手く行きますように)
最後に心の中で祈った弘は、ステータス画面を展開すると、カレンの攻撃を待ち構える。秘策……と言うほど大したものではないが、狙いどおりに事が運べば、この試合に勝てるはずだ。
(それも、カレンに怪我とかさせずにな)
◇◇◇◇
ディオスク闘技場で10連勝を成し遂げた、ヒロシ・サワタリ。その彼を、防戦一方になるまで追い込んでいる。それは確かに事実であったが、カレンは余裕を持って戦っていたわけではない。
「えやああああっ!」
一撃加えての離脱後、間髪入れずに再突撃。腕だろうが肩だろうが首だろうが。隙ありと見た箇所に、カレンは斬り込んでいく。しかし、これがことごとく防がれていた。弘の右手にある長大な剣……長巻による防御であったが、カレンにしてみれば長巻が刀剣の類ではなく、堅固な壁のように思えてならない。何故なら、弘のどの部分を狙って斬り込んでも、そこに立ち塞がり攻撃を受け止めてしまうからだ。
(でも! これだけ叩けば、そのうち剣が駄目になって……あっ……)
正面方向。少し離れた位置で立つ弘が、持っていた長巻を放り出した。
ついに武器を破壊した!? と、表情を明るくしたカレンであったが、すぐさま弘が新たな長巻を召喚したので、その肩を落としている。
(う~……。また新しいの出してる……。これじゃ埒があかない~……)
下唇を噛むカレンは、攻撃を中断して足を止めた。大量に汗をかいているため、頬や額に髪が貼りつき気持ちが悪い。鎧の下では学生服が汗に濡れていて、これまた不快だ。そして何より問題なのは、全身を筋肉痛が襲っていること。それは鎧の増力効果の代償である。本来の運動能力を超えて躰を動かすため、筋肉や筋にダメージが蓄積されているのだ。
ここ最近は、増力して戦っても割と平気であったのだが……。
(痛たたた……。ちょっと、無理をしすぎたかしら?)
カレンは屋敷を出てから今日まで、一対一の戦いにおいては、相手を短時間で倒しきっている。増力されたカレンの攻撃に耐える者が、ほとんど存在しなかったためだ。しかし、弘が想像を超えて粘ったことで、カレンの肉体にはダメージが蓄積されていたのである。
今のところ一撃離脱に徹しているので、もう少しは持つだろうが……。
(サワタリさん。私を捕まえようとしてたけど……。合わせるわけにはいかないわ)
鍔迫り合いから格闘戦になったとして、早期に弘をねじ伏せられなければ、カレンに勝ち目はない。あっという間に限界が来て、戦えなくなるだろう。
「……」
カレンは剣を握りなおした。が、その指に力を入れるだけで、関節が痛む。
(指だけじゃない。肘や肩や膝……全身がギシギシ悲鳴をあげてる……。でも、戦闘中に身体が痛くなるなんて、今までにだって何度かあったわよ。モンスターの集団を退治したり、山賊……を討伐したり)
一瞬、目の前の弘に、かつて倒した山賊団の頭目……ゴメスの姿がだぶって見えた。筋肉痛とは別の痛みが胸に生じるが、それをカレンは強引に押さえ込んでいる。
(今は気にしちゃ駄目。せっかく……)
「せっかく、サワタリさんと剣を交えているんだもの。もっと色々試しておかなくちゃ。でも、ああ……楽しい……。何だか、凄く楽しい……」
今の呟き、前半は明るく真面目に呟いているのだが、後半部には妙な艶めかしさが混じっていた。そのことについて、カレンに自覚はない。
オーガー単独撃破のための予行演習。あるいは自分の実力試し。そういった主旨の下に弘と試合をしていたはずが、戦っているうちに楽しくなっていたのだ。しかし、純粋に楽しいだけだったそれが、いつしか『歪んだ楽しさ』へと変貌している。
(もっと……速く斬りつけなければ。もっと力強く剣を振らなければ。もっと! 防がれないよう、攻撃を工夫しなければ……)
試合前、あるいは試合中に言っていた『寸止め』や『手加減』と言ったことが、カレンの思考から完全に抜け落ちていた。逆に、恋人に対して剣を振るうのが楽しくてたまらない。目の前に居る青年は、自分のすべてを受け止めてくれる。憧れも、愛情も、強くなりたいという願望も。
「サワタリさ……ん。好き、大好き……。だから、もっと……してもいいよね?」
それは小さな声であり、弘の耳に……いやエルフのグレースや、偵察士ノーマの耳にすら届かなかった。そして、言い終えたカレンは円盾を正面に構え、弘に向けての突撃を再開したのである。
◇◇◇◇
「来たな!」
暫し休憩していた様子のカレンが、再び斬り込んでくる。心なしか笑っているように見えたが、悠長に観察している場合ではない。弘は、展開したままのステータス画面からアイテム欄を開き……多数の物品を取り出した。
「やれやれ。せっかくイイ感じで揃えてあったのにな」
それは着替え用の衣類であったり、保存食を詰めた木箱だったりと様々だ。ただし、出現点はカレンが突進してくる方向、それも彼女のすぐ目の前に設定していた。要するに、大量の物品で進路妨害を行ったのである。
「え? ええええっ!?」
出現した雑品の中へ飛び込む事となったカレンは、一瞬慌てたが、すぐさま纏わり付く衣類などを斬り払いにかかった。このすぐ向こうに弘が居るのだ。前進を止める気は毛頭ないし、衣類や木箱程度では、自分を止めることなど出来ない。
一振り、二振りするたびに物品が吹き飛ばされていく。そして、三振り目。
がぎいいいいん!
これまでにない硬さ、そして重さがカレンの長剣を食い止めた。いや、強いて言えば、弘の長巻に攻撃を止められた時と手応えが似ている。
「……これ、モール!?」
クリュセダンジョンの探索時に、弘が使用していた巨大鉄槌だ。色んなモノを出現させたと思っていたが、モールまで取り出していたらしい。
「こんなものっ!」
一瞬驚いたカレンだが、即座に気を取り直しモールを払いのけている。そして弘の姿を探したところ……前方、十数メートルほど離れた位置で立っているのを発見した。この試合中、弘やカレンが、相手から距離を取るシーンは何度かあった。しかし、それらと比較しても、より遠くへ離れた状態である。
「これだけ離れたら充分か。今のところは順調だな」
カレンが自分を発見したのを見て、弘は首の関節をカキンと鳴らす。先程は大量の物品にモールを紛れ込ませ、カレンの足止めを狙ったのだが思いのほか上手くいった。
(こ~して距離も取れたし。後は……)
チラッと足下を見る。荒れ地の地面が見えるだけだが、そこをブーツの底でゴシゴシ踏みにじると、弘は呟いた。
「後は……もう一回、斬り込んでくるのを待つだけか」