第百三十六話 2人は気が合う
「おっす! おはよう!」
都市門で待つカレン達に、弘は挨拶をした。見た感じカレンの様子がおかしいので、ことさら元気よく振る舞ってみたわけだが……。
「は、はい! おはようございます!」
そう返すカレンは、少しぎこちない様子だ。弘が「ああん?」と首を傾げていると、カレンの隣で居たグレースが一歩進み出る。2人居る恋人の……カレン以外のもう1人だが、彼女に関しては、いつもと変わらず落ち着いた雰囲気だった。
「主よ。とりあえず出発するとしよう。細々とした話は……まあ、道すがらで良いだろう」
弘が「お、おう」と返事をしたところ、グレースは都市外へ向けて歩き出す。これに弘がついて歩き出し、それを見たカレンや他の者達も移動を開始した。その後は街道を進んでいたのだが、暫く立ってから弘は小走りで移動しグレースと並ぶ。
「な、なあ? カレンがな……。なんか様子が変じゃないか?」
「うむ。昨夜は主が席を立ったあと、皆で色々と話し合ったのでな」
グレースは、そう言って横に並んだ弘をジッと見る。それが様子を窺うような視線であったので、弘は思わず確認した。
「な、なんだよ? 俺に気になるところでもあるのか? 顔の傷とか?」
「それはもう見慣れている。いや、そうではなくて。これから主は、カレンと試合をするわけだが。割と平然としているのだな……と思っていたのだ」
カレンの様子に戸惑っているのは別として、試合自体に関しては「やめよう」だの「考え直そう」だのと言い出さないので、グレースは感心していたらしい。
「ん~……」
弘は唸った。これでも、昨晩は大いに悩んだのである。試合のことを考えている内に、悩み疲れて眠ってしまったぐらいだ。
「今の俺が平然としてるように見えるなら……。そいつはノーマのおかげだな。一応、悩みはしたが……気が楽になったのは確かだ」
「ほう? ノーマのおかげ? それは興味深い。聞かせて貰おうか?」
などと言うグレースだが、昨夜は弘の泊まり部屋へ行くノーマを見送っている。だから、その辺の事情はよく知っていた。強いて言えば、弘とノーマの会話内容について知らないくらいだろう。
(くっくっく。ノーマに聞いても、詳しくは教えて貰えなかったからな)
ほくそ笑みながらチラリと後方を振り返ったところ、カレンより更に後方を歩くノーマが、慌てたような顔をしているのが見えた。偵察士という職業柄、彼女は聴覚が優れており、この距離で今の会話を聞き取ったらしい。
「馬鹿! 何を聞こうとしてるの!?」
といったようなことを口パクで訴えているが、グレースは見なかったことにして弘との会話に戻る。一方、弘はグレースが何か企んでる……ような気配を察知していた。
(今、振り返って何を見てたんだ?)
「主よ? 昨晩はノーマと、どのようなことを話したのだ?」
「あ? ああ、ノーマとの話ね。いや、カレンとの試合について腹がくくれてなかったから、相談に乗って貰ったんだ。細かい内容は……話すと長くなるから面倒くさい」
「め、面倒くさい? いや、主らしいか……」
一瞬、呆れ顔になったグレースが1人で納得している。それを見た弘は「話すの面倒がったら、俺らしいって……なんだよ」と口を尖らせた。その後、グレースは「ノーマと仲良くしたか? もっとこう、色っぽい話はないのか?」と質問を投げかけてきたが、これに関しても弘は情報開示していない。
「色っぽい何かがあったとしても、それをベラベラ喋るわけねーだろ?」
「聞いているのが恋人の我でもか?」
「ぬっ……」
恋人という立場を持ち出された弘は言葉に詰まったが、さほど時をおかず首を横に振っている。
「それでもだ。恋人だからって、何でもかんでも話すってもんじゃないだろ?」
キスしたことは言っておくべきかと思ったが、浮気したというのならともかく、相手は告白に対する返事保留中のノーマだ。
(いや、どうなんだろうな。恋人じゃないから、やっぱりアウトか? だけど微妙な感じだし……)
結局のところ、相談に乗って貰ったということ以外は喋らなかった。対するグレースは、弘が口を割らなかったことについて特に気を悪くしていない。
「ふふ。まあ、良かろう。相手はノーマだからな……」
そう言って再度ノーマを振り返るが、今度は弘も同時に振り返った。2人から同時に見られたノーマは、驚いて肩を揺らしたが、すぐに引きつったような笑みを浮かべている。
「……なあ? 昨晩のこと、実は色々と知ってるんじゃないか? ノーマから聞いてるとか……」
幾分ドスの利いた声で確認するも、グレースは「さて……な」とだけ言い、詳しく語ろうとしない。
(俺には、アレコレ聞いたくせしやがって……)
とはいえ、無理矢理に聞き出すわけにもいかないので、弘は話題を変えることにした。
「行く先……試合する場所なんだけど。街道を外れた草原だか、荒れ地だかって話だったよな? 結局、どんなところなんだ?」
「この辺の地理はノーマが詳しかったのでな。昨日のうちに聞いておいた。もう暫く進むと、街道右手側に荒れ地が広がっている。土が悪いのか、草木がほとんど生えていない場所で……」
その荒れ地が街道を外れて、かなり離れたところまで広がっている。誰にも迷惑がかからないので、そこで試合をすればいいとグレースは言った。
(荒れ地か……。見晴らしのいい場所ってことだな。草原よりマシ……なのか?)
仮に草原で戦うとしたら、草の高さによっては姿勢を低くして隠れることも可能だ。それをされると銃器類の照準がつけにくいのだが、これから行く荒れ地では無用の心配である。ただし、自分が草むらに隠れるという手も使えない。
(カレンと出会って暫くした頃だっけか。野盗と、街道脇の草むらで戦ったことがあったな……)
あの時の弘は、草むらの中を駆け抜け、野盗達の弓矢を回避したものだ。数ヶ月ほど前の出来事だったが、弘は随分と昔のように感じている。
(懐かしいねぇ。しかし、隠れ場所が無いってんじゃ、やっぱ最初からガチの戦闘になるな。刃物以外の召喚具とか、上手く使いこなせるといいんだけど)
例えば召喚銃器を使うにしても、頭部や胴体に当てるわけにはいかないので、腕や足を狙うことになるだろう。だが、レベルアップしてステータス値が上昇しているとは言え、そう簡単に命中弾を得られるわけがない。カレンは速いのだ。また、威嚇射撃に限定したところで、自ら試合を申し出たカレンが怯むとは思えなかった。
(……どのみち、頭や胴体を狙うのはアウトだな。アレだ。縛りプレイって奴だ)
ゲームなどで、本来禁止されていない行為を自ら禁じ、高難易度のプレイをすること。それを縛りプレイと言うが、今の弘は、まさに縛りプレイをしているような気分であった。
(なのに、カレンの方が腕力やスピードが上っぽいときた。やべぇ。負ける要素の方が多いんじゃね~の?)
だが、冷静になって考えてみると、弘にはカレンと戦って勝つ必要性がない。カレンから求められているのは『全力で戦うこと』なのだ。
(カレンが自分の実力を確かめたがってるんだし。せいぜい期待に応えてやるとするか……)
自分でも意外なくらいスムーズに考えがまとまっていく。何故これが、昨晩できなかったのだろうか。
(酒が入ってたせいかぁ?)
「主よ。到着したぞ?」
「ん? ありゃ? いつの間に……」
グレースに声をかけられ、弘は我に返った。周囲を見ると、すでに風景は街道のそれではなく、荒れ地に変わっている。考え事をしている間に街道を外れて、荒れ地を進んでいたらしい。
「気がつかなかったぜ。っと……じゃあ、この辺で試合するって事でいいのか?」
改めて見回してみたが、茶色の地面に小石が散らばっているのが目につく程度。草花の類は極々まばらに存在していた。
(小汚い荒れ地だが……地面が湿ってる様子はね~な。ここのところ晴れ続きだったからだな)
弘に言わせると、整備放棄して暫くたった学校運動場。そのような状態である。ここならば、多少無茶な戦い方をしても誰も文句は言わないだろう。
(いやまあ、地権人無しってこたないだろうし。持ち主は……国かぁ? 国有地……ねぇ。あまり荒らさないようにした方がいいかも)
弘は考えを改めた。多少のことなら知らん顔を決め込む気だが、やり過ぎると『犯人捜し』をされかねない。それに日本人としての意識もある。国有地に手を出して、官憲に追われるなんて冗談ではない……と思ったのだ。
(異世界だけど。やっぱ気になるじゃん。第一、今の俺はカタギなんだし? 世間体とかは大事ですよ……っと)
「主よ。見届け人、あるいは審判役は我が務めるとしよう。双方、怪我はせぬようにな」
「え? あ、ああ……」
一言言ってグレースが離れていく。その彼女を見送っていた弘は、ふと視線を上げた。空には幾つかの雲が浮いているだけで、晴天と言って良い天気だ。こんな青空の下で、恋人と全力試合。
(何やってんだかなぁ……)
と思うが、事ここに至っては「やっぱ、やめた!」などと愚図る気はない。ひとたび引き受けた以上は、やり遂げるまでだ。
(それに正直言って……。相手は女の子で恋人だけど。カレンと戦うのは、実は……興味あるんだよな)
◇◇◇◇
「あの……カレン様?」
シルビアが声をかける。カレンは、少し離れたところで居る弘を見ていたが、呼びかけられたことで振り返った。
「なぁに? シルビア?」
貴族学院の制服に板金鎧。左腕に円盾を備え、腰には長剣を吊っている。これが冒険者としてのカレンの出で立ちだ。剣も円盾も、幾度も壊れて交換することになったが、家宝の鎧だけは、屋敷を出たときのまま変わりがない。これまでの冒険行で、モンスター等の攻撃を幾度も受けたはずだが、この鎧は全てを防ぎきりカレンの身を守ってきたのだ。
「こうなった以上、もう試合を止めてください……とは言いません。ただ……」
シルビアは一度言葉を切り、カレンの鎧を見つめる。カレンが身につけた鎧は、マクドガル家に伝わる魔法の鎧だ。主な効果は、着用者の魔力を消費し、筋力を5倍まで増力すること。ただし、身体の耐久力が上昇するわけではないので、増力の度合いが増すほどに身体への負担が大きくなる。一戦闘終えると、筋肉痛で動けなくなるほどなのだ。
「カレン様。お気づきですか? その鎧を使用した後の疲労や筋肉痛。それが、以前ほど重くなっていないことに……」
「……」
シルビアの質問に、カレンは少しの間答えなかった。だが、やがて頷きハッキリと答える。
「ええ、気づいているわ。森のオーガーと戦ったときは、限界まで増力してたから。ああいう使い方をすると、後で筋肉痛が酷いのよね。……以前までなら」
ところが、オーガーが倒れた後で増力効果を解除したとき。生じた筋肉痛は、動けなくなるほどのものではなかったのだ。
「私の身体が慣れてきたのか。それとも、鎧が本来の力を発揮しているのか。……よく解らないわね」
そう言って笑うカレンに、シルビアは一歩詰め寄る。その表情は真剣なものであり、カレンは浮かべていた笑みを引っ込めた。
「カレン様。これは楽観的に考えて良い問題ではないと思います。よろしいですか? その鎧は……誰が作って、どのような経緯でマクドガル家にあったのか。一切わかってないのですよ?」
カレンが着込んだ鎧は、上位貴族らから無理難題……すなわち『試練』を言いつけられた際、カレンが屋敷の貴重品部屋から持ち出したものだ。明らかに男性用だったが、試しに着込んでみると粘土のように変形しカレンの体型にフィットしたのである。更には前述した、5倍増力の効果も備わっていた。使用後の身体疲労を考えると扱いづらいのだが、備わった能力は非常に優秀である。これほどの魔法具が、単に代々引き継がれているだけで、その由来自体はまったく謎なのであった。
「得体の知れない魔法具を使い続けて……。急に負担が軽くなったからと言って、喜んでいて良いものでしょうか? 本当なら、そんな鎧は使わないでいて欲しいのです」
「その話なら、お屋敷を出る前に散々したと思うのだけど……」
カレンは、上位貴族達から試練を背負わされた時のことを思い出す。あの頃は、心配して駆けつけた叔父に領地を任せること。そのことについて王都に許可を貰うなど。諸々の手続きで奔走していたものだ。そんな中で鎧を発見し、着用した上で効果を試して……直後に筋肉痛で動けなくなったのである。
(あの時、シルビアが居てくれて本当に助かったわ……。だけど、それより気になるのは領地のことね)
屋敷は今どうなっているだろうか。そして、領民達はどうしているだろうか。
(小さな村ぐらいの領地。大貴族からすれば取るに足りない……政治ゲームの材料に過ぎない田舎領地かも知れないけれど。私にとっては、かけがえのない大事なもの。いつまでも、叔父様達に任せきりにはできないし。私が頑張らなくちゃ……)
そう思ったとき。カレンは、それまで感じていた胸の重さが、幾分軽くなったような気がした。今、自分が旅をしているのは、マクドガル家を相続するため。そのためには、最後の試練であるオーガーの単独撃破をしなければならない。つまり、この2つを達成するのが彼女にとって優先するべき事なのだ。
(何だか初心にかえったような気分……。初心……か。となると……)
やはり、まずはオーガーの単独撃破を達成するべきだろう。そして、自分の実力に不安を感じたからこそ、弘相手に試合をし、全力時の戦闘力を再確認したいのだ。
(サワタリさんにとっては迷惑だろうし、ゴメスさんの事もあるけど……)
今は試合をしよう。そして、オーガーを探し出して倒すのだ。
「シルビア。鎧は必要よ? この先も暫くは……ね。でも、大丈夫。すべて解決すれば、鎧を着込むことなんて滅多になくなるわ!」
「カレン様……」
シルビアは力なくカレンの名を呟く。弘との試合を前に『いつもの説得』を試みたのだが、今までと同様、カレンには効果がなかったらしい。だが、もう1つだけ、念を押しておくべきことがある。シルビアは表情を引き締め、カレンに言った。
「カレン様。では、サワタリ殿との試合にあたって、お願いがあります」
「な、なぁに?」
ズイッと顔を寄せるシルビアに対し、カレンは寄せられた分だけ上体を反らす。
「危険な行為はしないこと! ウルスラも言っていましたが、試合で大怪我するなどもってのほかですから! いいですね? カレン様が危ないとなったら、私……黙っていられませんから!」
「で、でも……騎士なんかが試合するときは、怪我することだって……。いえ、何でもないです……」
カレンは言い訳しようとしたが、シルビアの眼光が険しくなったので、口をつぐむ。結局、怪我しないように善処することとして、シルビアを納得させたのだった。
◇◇◇◇
「そう言えば、カレンちゃん。ご実家は今、使用人と叔父様が仕切ってるんだっけ?」
弘の居る方へ歩いて行くカレンを見送りながら、ジュディスは呟いた。話しかけた相手はシルビアであり、そのシルビアはカレンの後ろ姿を不安そうに見つめていたが、ジュディスの問いかけに応じて頷いている。
「はい。正確には執事頭の方が取り仕切っていて、カレン様の叔父様……ウィリアム様が、定期的に指導監督を……」
ウィリアムは、カレンの父が家督相続するよりも前に、他家の婿養子となった人物だ。カレンやシルビア、それにジュディスが聞いた話では、壮大な恋愛結婚であり、王都も巻き込んだ騒動になったらしい。
「あたし達が生まれるよりも少し前だっけ。地方貴族の男性が、王都の……それも、それなりに地位の高い貴族のお姫様とラブロマンス。凄いわよねぇ。憧れちゃうわぁ」
そう言って一瞬、夢見がちな表情になったジュディスであるが、すぐに声のトーンを落とした。
「……ウィリアム叔父様は良い人だけど……。いつまでも頼っているわけにはいかないだろうし。早く試練を何とかしなくちゃね」
「ええ。本当に、そう思います」
言葉少なにシルビアは答える。彼女にとって最善の落としどころは、『カレンが試練を諦める』ことだ。そうすることで、友好的な上位貴族が便宜を図ってくれる……ことになっているのだが、それは単なる口約束に過ぎない。
(ウィリアム様に紹介していただいた貴族の方だけど……。本当に頼りになるのかしら?)
カレンと旅に出た頃は、他に手立てを思いつけなかった。なので、紹介された貴族の言葉を信じて疑わなかったのだが、今では不安を感じている。カレンが試練を諦めたとして、その貴族の手助けがなければ家督相続はできないのだ。
(約束を反故にされた場合。お家が取り潰しにあい、領地没収……。いえ、嫌がらせでしかない試練に大真面目に取り組んでいるのだから、貴族の方々も少しは大目に見てくれるかも……)
そのように考えたシルビアであったが、力なく首を横に振っている。今は上位貴族の幾人かから同情を得ているようだが、最後まで同情的であってくれるとは限らない。他の貴族と対立してまで、カレンを……マクドガル家をかばうとは思えないのだ。
(……このまま、どうにかして試練を完遂するしかないのかしら?)
それが出来れば、越したことはないのだが……。
ただ気になるのはカレンが着用する、5倍増力効果の魔法鎧だ。理由は不明であるが、能力使用後の負担が軽くなってきており、カレンの継戦能力は大幅に向上している。少なくとも、オーガーを相手に無理な短期決戦を挑む必要がなくなっていた。これならば単独撃破も可能……かもしれない。しかし、その『負担の軽減』について、シルビアは不安に感じていたのである。
(世の中、都合の良いことばかりではないわ。何か……嫌な予感がする)
しかし、自分なりに考えてみたものの、特に思い当たることはない。
(あるいは、私の考え過ぎなのかもしれない。カレン様は鎧を使いこなせるようになったのだし、そのことで強くなった。おそらく……いえ、きっと、それだけのことなのだわ)
希望的観測に過ぎないが、シルビアは自分に言い聞かせるように考えた。だが、このときの判断を、彼女は後に後悔することとなる。
◇◇◇◇
「よう? 準備は万端か?」
シルビア達から離れ、カレンが歩いてきたので弘は声をかけた。カレンは伏し目がちだった目を弘に向けて微笑んだが、いつも見せている懐いてくるような笑みではない。
(苦笑い? 違うな。自嘲気味とかってやつか? ……シルビアに説教でもされたのかな?)
そう考えているうちにカレンは、すぐ目の前までやってきた。そして斜め下から弘を見上げると、軽く息を吸ってから口を開く。
「準備なら問題ありません。いつでも試合開始できます。あの……サワタリさん?」
「うん? なんだ?」
聞き返す弘にカレンは言った。自分の我が儘で、試合などさせて申し訳ないこと。しかし、自分にとっては必要であることなどだ。ただし、弘の恩人……山賊団頭領ゴメスの殺害に関しては、口に出していない。大事なことだという認識はあったが、今は言うべきでないと判断したのである。
そして、これらの話を聞き終えた弘は、口の端を持ち上げて笑みを浮かべた。
「そんなことなら今更だし、昨晩にも聞いたぜ。まあ、いいじゃね~か。試合だろうが決闘だろうが。別に憎みあってるわけじゃなし。手合わせして悪いってこたね~さ」
「は、はあ……」
戸惑う様子のカレンを見て、その顔を覗き込むようにすると、弘は先を続ける。
「考えてみりゃ、カレンと試合するってのは興味あるんだよな。けっこう面白そうじゃん?」
「興味がある。面白そう……」
弘の言葉を聞いていたカレンは、気になった部分を復唱した。自分は、必要だと感じて試合を申し込んだのだし、心の中ではゴメスの一件で負い目を感じている部分がある。しかし、弘と剣を交えることに興味があり、面白そう……あるいは、楽しそうだと期待する気持ちも少なからずあったのだ。それを、今の弘の言葉により再認識したのである。
(サワタリさん。私と……同じ気持ちなの?)
そう思うカレンの胸に、小さな『嬉しさ』が生じた。その嬉しさは見る間に大きなものとなり、カレンの心を満たしていく。
「そ、そうですね! サワタリさん! 実は私も、サワタリさんと試合をしてみたいな~って。そうしたら楽しいだろうな~……なんて、ワクワクしてたんです! ホントです!」
花が咲いたかのように表情を明るくしたカレンは、感じたそのままを述べた。最後に『ホントです!』と付け加えたのは、その他の事情や別の思いも存在するが、弘との試合が楽しみなことに偽りはない……と、そう伝えたかったからだ。残念ながら、弘は『ホントです!』の意味合いを読み取れなかったが、カレンの思いを聞いてニンマリと笑う。
「なんだ、カレンも面白そうだと思ってたのか。なんてこった気が合うじゃね~か。さすがは恋人だぜ!」
「気が合う……。私とサワタリさんが? う、嬉しいです! そうですよね! 私達、恋人同士なんですから!」
そう言いながらカレンが瞳を輝かせると、弘はケラケラ笑った。
試合とは言え真剣勝負をする予定の2人が、今は楽しそうに笑いあっている。険悪であるとか、落ち込んだ気持ちのままで戦うよりは良いはずだが、後方で見ている恋人候補達にとって……あまり面白くない光景であった。
「ぐぬぬ……。カレンちゃん…。ヒロシとイチャイチャしてる……」
「ホントにね~。私も、ヒロシとイイ雰囲気になりたい~。ノーマもそう思うでしょ~?」
ウルスラは、眉間にシワを寄せたジュディスに同調したが、言い終わり際でノーマに話を振った。このとき、ノーマは胸の下で腕組みをし、弘達を見ていたのだが……。
「えっ? 私? ああ、うん。イイ雰囲気になりたいわね」
と、おざなりな返答をしている。これを聞いて、ジュディスとウルスラは顔を見合わせた。弘と『恋人』のカレンが仲良い姿を見せつけているというのに、自分達と同じ『告白保留組』のノーマが特に気にしていない様子なのだ。
(「もうちょっと悔しそうにしても良いんじゃないの?」)
(「夕べ~、弘の様子を見に行ったそうだけどぉ。何かあったんだったりして~」)
すぐ近くにノーマが居るにも関わらず、顔を寄せてのヒソヒソ話。と、ここでジュディス達は、あることを思い出す。それは昨晩、遅れて会議室にやって来たノーマが、グレースとしていた会話内容だ。
『……ああ、なるほど。してたのか』
『違うわよ! まだ、してない!』
これはグレースによる『ノーマと弘が性交していたのではないか?』という推測と、それに対し、ノーマが顔を真っ赤にして言ったセリフである。ノーマの言葉を真に受けるなら、身体を重ねる等の行為はなかったのだろう。だが、何らかの色っぽい何かがあったと見るべきだ。
(「『何らか』とか、『何か』とか……まだるっこしいわね」)
(「早い話~、キスくらいはしてたと思うのよ~」)
ヒソヒソ話は続くが、ノーマは素知らぬ顔をしている。ただ、その耳が赤くなっているので、やはり聞き取ってはいるらしい。それに肩がフルフル震えてもいる。その様子を見たジュディスとウルスラは、声を揃えて言った。
「「う~らやましいぃ~」」
「ああ、もう! うっさい!」
耐えきれなくなったノーマが噛みつくも、ジュディスとウルスラは、ニヤニヤ顔で囃し立てる。
「まったく……。困ったものだわ……」
ジュディスはともかく、僧職者のウルスラが一緒になってはしゃいでいるので、もう1人の僧職者……シルビアは渋い顔となっていた。彼女としては、カレンのことに集中して居たいが、こう騒がしくては気が散ってしまう。
こうした騒ぎを、魔法使いのターニャはオロオロと見守っていた。だが、話しに加わることができず、かといって注意もできないので……隣で居るラスに話しかけている。
「ら、ラスさんは、どちらが勝つと思いますか?」
「あん? 俺に聞くのか?」
クッキーなどの焼き菓子を摘んでいたラスが聞き返すと、ジュディスらもピタリと騒ぐのを止めた。どうやらラスの感想ないし、見立てに興味があるらしい。皆の視線を浴びたラスは、菓子袋の口を巻いて封をすると、下顎を手で撫でつけた。
「そうさなぁ。俺が見たところじゃあ、カレンの方に分があるんじゃないか? パワーもスピードもカレンが上っぽいし。ヒロシの方は、殺すつもりで戦うんだったら勝てると思うけど。いくら全力で戦うったって、恋人が相手じゃ出来ることと出来ないことがあるだろ?」
いつになく真面目に語るので、皆が感心しつつ聞いている。そして、そのラスの話は、離れた場所で居るグレースも聞いていた。
審判役として立つグレースは、その長い耳をヒクヒク動かしている。
(ふむ。我も、ラスとは同意見だな……)
離れているジュディス達の会話を聞き取っていた彼女は、最初こそ呆れ顔だったが、ラスの試合予想を耳にして少し感心していた。そして、注意を弘とカレンに戻すと、楽しげに笑い合っていた2人は、いつの間にか真剣に話し合っている。どうやら試合に関してのルールを取り決めているらしい。
「グレースさ~ん。試合のルールを決めたので、聞いて貰えますか~?」
「うむ。聞こう」
呼ばれて移動し来たグレースに、弘とカレンは試合ルールを説明する。それは次のようなものだ。
一つ、相手を降参させた方が勝ちとする。
一つ、攻撃は可能な限り寸止めとする。
一つ、怪我人が出るか危険を感じた場合は、審判の判断で勝者を決める。
これを聞いたグレースは、何度か頷いてから弘達を見た。
「寸止めか……。ふむ、『可能な限り』というのが気になるが。ま、寸止めには違いなかろう。では、双方位置につけ。……ああ、そうだ。5歩ほど離れておけよ」
グレースの指示に従い、弘とカレンは距離を取る。弘は、トテテテ……と小走りに離れて行くカレンを見送り、次いでグレースを見た。もう1人の恋人、美貌のエルフは落ち着き払った様子で弘達を見ている。
(落ち着いてるって言うか……。こういうのに慣れてるのか?)
考えてみれば、グレースはエルフ氏族の族長だ。部族内では決闘などがあり、族長が見届け人となることもあった……かも知れない。あるいは、単にグレースの肝が据わっているだけとも考えられるが……。
(後で聞いてみりゃいいか……。それより……)
改めてカレンに注意を向けると、既にこちらへ向き直り、剣を抜こうとしていた。その姿を見た弘は、プレッシャーのようなものを感じて息を呑んでいる。
(組んで行動してると頼もしいんだが……。こうして向き合うと……。やっぱ凄味があるな。それと……色々思い出しちまう)
それは、カレンとの一番古い思い出。山賊時代に、彼女と対峙したときのことだ。あの時の弘は、カレンの戦う姿をほとんど見ていない。しかし、倒れたゴメスの前で立つ彼女は、今思えば恐ろしかったように思う。その後、幾度か行動を共にすることがあって、カレンの強さは何度も目の当たりにしたが……。
「ククク……。こうして向き合うと、マジでおっかね~」
だが、感じたのは怖さだけではない。
「なんて言うのかな。そう、ワクワク……しちまうんだよなぁ。これが」
そう呟くと、弘は召喚具の中から日本刀を選んで召喚するのだった。