第百三十五話 カレンの負い目
「さて……。聞かせて貰おうか?」
暗い一室で、グレースがランタンを揺らす。結果として光源が揺れるため、対側に居るカレンの顔では影が踊っていた。
「包み隠さず話した方が、身のためだぞ?」
「って、なんでこんな尋問風なんですかぁ!」
「ちょっとした冗談だ。暫し待て……」
カレンが抗議するとグレースは、揺らしていたランタンをテーブルに置く。そしてスッと両手を伸ばし、ランタンの上に手の平をかざした。
「彷徨いし光の精霊。この灯火のもとに集え。群れなして留まり強き光となれ」
こういう内容の言葉であったが、グレースは精霊語で発声したため、カレン……そして他の者達には、精霊魔法を使っているとわかった程度で、言葉の内容までは理解できなかった。しかし、効果はすぐさま現れる。
ゥゥウン……シュバ!
弘が聞いていたなら「マッチを擦ったみたいに聞こえる」と評したであろう音と共に、青白い光球が出現した。それは4つ出現しており、天井付近に舞い上がって滞空する。これにより、室内は真昼のように明るくなった。
「光の精霊……ウィル・オー・ウィスプだ。燭台やランタンだけで話し合うよりは、雰囲気が明るくて済むだろう?」
グレースはランタンのシャッターを閉じる。壁には幾つか燭台があるのだが、ウィル・オー・ウィスプの灯りがある以上、わざわざ蝋燭を使うまでもないだろう。
「ふむ……」
ランタンを片付けたグレースが室内を見回すと、長方形テーブルの対側にカレン。その彼女の左隣で、シルビアが座っているのが見えた。一方、グレースの左側にはジュディスとウルスラ。右側では、ターニャとラスが座っている。この部屋は、ギルド支部2階にあるパーティー用の宿部屋……ではなく、同じく2階の一角にある会議室だ。最初は宿部屋で話そうとしたのだが、6人部屋に7人で入ったら窮屈である。腰を据えて話し合うには、やはり会議室だろう……という事になったのだ。ちなみに会議室の賃料は、グレースが支払っている。
「あ、あの、グレースさん? ランタンの火を媒介にして精霊を呼ぶなら、炎の精霊とかが来るんじゃないんですかぁ?」
「今回は炎の『光』を媒介にして、光球を呼んだのだ。まあ、媒介が無くとも呼べるが、せっかくの光源だし活用させて貰った。その方が疲れないのでな」
ターニャの質問に対し、ニッコリ笑顔で答えたグレース。だが、その視線をカレンに戻したときには、すでに眼光が鋭いものとなっていた。
「では、話を戻すぞ? カレンよ。サワタリと試合をしたい……しなくてはならない理由は、先程聞かせて貰った。が、まだ他にもあるそうだな?」
グレースの質問を聞き、皆がカレンに注目する。カレンは一瞬息を呑んだが、すぐに落ち着きを取り戻すと、質問者であるグレースを見ながら話し出した。
「最初に言っておきますが。対オーガー戦に向けて、強い相手と予行演習したい。それが一番の理由なのは本当なんですよ? サワタリさんと全力で試合をして、自分の実力を確かめたいというのも本当ですし……。ただ、もう一つ……」
ここでカレンは言葉を切り、皆を見まわす。他の者達はキョトンとしたり、互いに顔を見合わせたりしていたが、やがてカレンが苦笑気味に微笑んだ。
「いえ、皆さんがサワタリさんの事情を知っている方々だったかな……と。少し考えていたのですが。サワタリさんから、直接聞いたことがある方ばかりでしたね」
そう、この会議室にはクリュセダンジョンで、あるいはオーガーと戦った森で、弘から身の上話を聞かされた者が揃っている。
「それでは私とサワタリさんの出会いに関しても、皆さん御存知だと思います」
カレンと弘の出会いは数ヶ月ほど前。カレンが地方の町テュレで、山賊討伐に参加したときのことだ。この討伐対象だった山賊団に、弘が居たのである。当時の弘は異世界……つまりは、この世界に飛ばされたばかりであり、拾われた山賊団に加入していた。そして、カレン及び地元駐留兵と交戦した末、捕縛されたのである。
「私は……私自身は、サワタリさんと直接戦っていないのですが……」
「よくわからぬが。今の話、サワタリと試合をしたい理由に関係するのか?」
言いにくそうにしているカレンを見て、グレースが確認した。カレンは少し躊躇っていたものの、やがて頷く。
「山賊団を討伐したとき。私は山賊団の長を倒し……いえ、殺しました。彼はサワタリさんにとって、恩人だったそうです。だから、この私は……サワタリさんにとって、恩人の仇なんです」
「ああ……」
ジュディスが気まずそうに呻いた。他の者達も、俯いたり顔を見合わせたりしている。まだ全てを聞いたわけではないが、何となくカレンが気に病んでいる理由を察したのだ。
(カレンちゃん。ヒロシの恩人を手にかけた事を、負い目に感じてる?)
そう思うジュディスであったが、同時に違和感も感じている。なるほど、カレンの話どおりであれば、彼女は弘にとって恩人の仇なのだろう。それならば、負い目にも感じることだろうし、カレンが気に病むのも理解できる。しかし、そういった事情があるのに、弘の方は気にしている様子がないのだ。
(カレンちゃんの考え過ぎじゃないの?)
そうジュディスが考えたとき。カレンの隣で座っていたシルビアが口を開いた。
「カレン様のお考えは理解できました。ですが、サワタリ殿は、こう言っていました。『恩人を殺された事は忘れない。ただし、気にしないことにする』……と」
いつになく、カレンに対する口調がきつい。その口調の厳しさと、話した内容に、他の者達は驚きを隠せなかった。そして皆が次のように思う。弘自身が気にしていない。あるいは努めて気にしないようにしているのであれば、カレンが気に病む必要は無いのではないか……と。カレン自身、その辺は理解しており、シルビアに頷いている。
「ええ。サワタリさんは、気にしないと言っていたわ。だから、気にしているのは……この私なの」
そう言うとカレンは、一呼吸置いてから話題を転換した。
「ねえ? ジュディスちゃん? ジュディスちゃんがサワタリさんと初めて会ったのは、このギルド支部の酒場で……よね?」
「あ、あたし!?」
いきなり話を振られたジュディスは戸惑ったが、隣のウルスラ、そしてターニャと視線を交わして頷く。
「え、ええ。そうよ。ウルスラやターニャと一緒にね。あのときは、カレンちゃんとシルビアも居たでしょ? ヒロシと一緒に、酒場へ入ってきたんだから」
「そう。そうだったわ~」
ぱむ!
突然、ウルスラが手の平を合わせた。
「思い出したんだけど~。ジュディスったら、初対面のヒロシ相手に態度が悪かったのよね~」
「ぬなっ!?」
ウルスラが茶々を入れたことで、ジュディスは目を剥く。しかし事実であるため、浮かせかけた尻を落とし、口を尖らせた。
「だ、だって……あの時は、チンピラがカレンちゃんに絡んでるんだ~……って思ったんだもん……」
「まあ、かく言う私もジュディスを止めなかったんだけどね~」
今はカレンの話を聞く時間であるため、ウルスラはジュディスをいじるのを早々に止めてフォローする。これにより、ジュディスは抗弁を中断。会議室内は……ほんの少しだけ雰囲気が和やかになっていた。
(ウルスラさん……)
こっそりウインクしてくるウルスラに微笑みかけ、カレンは話を続ける。
「この場には居ませんが、ノーマさんは冒険依頼の遂行中、サワタリさんと行動を共にした。それがサワタリさんとの出会い……ですよね?」
そう言いつつカレンが見たのは、室内で唯一の男性、戦士ラスだった。話を振られたラスは、『ノーマが弘と出会った頃』について思い出そうとする。
「ああ、そうだ。あの頃の俺とノーマは、ムーンのパーティーに居たからな。パーティー3つでレクト村へ行くってことになったんだが……。酷い目にあったぜ」
時期的には、ジュディスが弘と出会ってから暫くの頃だ。そのあたりの事情はジュディスから聞かされて知っているので、カレンは頷くだけに留めると、今度はグレースを見る。
「グレースさんは……。ディオスクで、サワタリさんと出会ったんですよね?」
「我の場合。娼館での仕事中、サワタリが客としてやって来たのだがな」
少し眼を細め、カレンを値踏みするように観察するグレースは、娼館に居たという話をサラッと口に出した。そのことは皆が知っていたが、改めて聞かされると『悪いことを聞いた』様な気になってしまう。その一方で、弘に抱かれたと言ってるも同然なのであり、居合わせた女性達は複雑な表情となった。
カレンも複雑な表情となった1人であったが、すぐに気を取り直し頷いている。
「そしてシルビアは、私が捕縛したサワタリさんを連行してテュレに戻ったとき。彼と出会った……」
「え、ええ。確かに……そうですが」
最後に名前を出されたシルビアは、先程までのきつい態度を崩して同意を示した。
弘と行動を共にしている女性達が、彼と出会ったときの模様。それが再確認されわけだが、その事に何の意味があるのだろうか。元々の話題であった、『カレンが弘に試合を申し込む理由』、それと何の関係があるのか。話の意図を計りかねた皆が沈黙すると、その様子を見回しカレンは言った。
「みんなとサワタリさんとの出会い。それを今確認したわけだけど。……わかる? この中で私だけが……サワタリさんにとって『敵』だったのよ」
「ちょ! ちょっと待ってよ!」
ジュディスが席を立ち叫ぶ。会議室内は、カレンの『敵だった』発言にどよめきかけていたが、ジュディスが声を発したことで再び静まりかえっている。
「か、カレンちゃん? さっきシルビアが言ってたけど、ヒロシは気にしてないんでしょ? だったら、もう良いじゃない。それに……出会ったときの印象が悪いって言ったら、あたし達なんか……」
胸に手を当ててジュディスは訴えた。確かに弘との初対面時、ジュディスが取った態度は褒められたものではない。その悪印象により、当時の弘はジュディスパーティー(この頃はジュディス、ウルスラ、ターニャの3人パーティー)を敵認定した程なのだ。もっとも、そのことを弘はすっかり忘れているのだが、ジュディスは取った態度について覚えており、今なお気に病んでいたのである。
だが、それを聞かされたカレンは首を横に振った。
「そういう事じゃないの。出会いの悪印象は、後から取り返しができる。でも、私がサワタリさんの恩人を殺した事実は消えないし。失った命は取り返しがつかない」
「そんな……」
「カレンの言いたいことはわかった。そして、何を考えているのかもな」
言葉に詰まったジュディスが椅子に腰を落とすと、入れ替わるようにしてグレースが発言した。
「聞けば、山賊団討伐の際。そなたとサワタリが交戦しなかったのは、山賊団の長が止めたからだったな?」
カレンが黙っているので、グレースは先を続ける。
「その時できなかったサワタリとの戦いを、今ここで行う……。そなた……自分の負い目に決着をつけたいと、そう思っているのではないか?」
「……その気持ちがまったく無いと言えば嘘になります。ですが……」
伏し目がちに言ったカレンであるが、言葉の最後で反論しようとした。弘の恩人を殺害した負い目を晴らす。確かに、それも彼と試合をしたい理由の1つだ。しかし、一番の理由は、やはり先程述べたとおりなのである。
それを説明するべく話を続けようとしたところ、グレースが掌を突き出した。これによってカレンが口をつぐみ、グレースは……優しげに微笑んで見せた。
「もしも、我がカレンの立場であったなら……。そう思えば、カレンが気に病むのは理解できるのだ。無論、そのためだけに試合を思い立ったのではないことも理解しているぞ? 皆も、同じではないか?」
そう言ってグレースが左右を見回すと、ジュディスやウルスラ、恋人候補ですらないターニャまでもが頷いていた。
「グレース……さん」
カレンは震える声で、エルフの名を口にする。天井付近を漂うウィル・オー・ウィスプの光で照らし出されたグレースは、カレンに再度微笑みかけた後……その笑みを苦笑に変えた。
「とまあ気持ちはわかるし、理解もするが……。今の話を聞くに、カレンが自己満足を得るためにサワタリに剣を向ける。そういう印象は、やはり受けてしまうのだがな」
そう明るく言い放ったことで、その場に居た全員が肩を落とす。
「ぐ、グレース……。あんた、今良い雰囲気になってたのに……」
何とか持ち直したジュディスがツッコミを入れると、グレースは動じず鼻を鳴らした。
「事実を言ったまでだ。それに、カレンの決意が固い以上。我らは最悪の事態が発生せぬよう、手助けをせねばならん。今は、そちらを考えることが重要だ」
「はううう……。て、手助け?」
涙目になっていたカレンが聞くと、グレースは一転真面目な表情となってカレンを見る。
「1つ、確認するぞ? カレンよ。負い目を晴らすのは、理由の1つに過ぎないのだろうが……。そのために、サワタリに殺されてやろう……などとは思っておらんだろうな?」
「も、もちろんです! そんなこと考えてすらいません!」
仮に実行したとして、それでカレンが死んだら、弘の心には大きな傷が残るだろう。カレンが気色ばんで否定すると、グレースは「それなら良し」と満足気に頷き、皆を見まわした。
「では、カレンを手助けする話に移ろうか。今聞いた感じでは、かなり本気の『試合』をやるようだからな。双方が大怪我しても対処できるよう、注意するべきだろう」
グレースが言う大怪我への対処とは、僧侶による治療法術のことである。幸いにも、ここにはシルビアとウルスラという2人の僧侶が居るのだから、例え弘とカレンの双方が大怪我をしたとしても対処は可能であろう。
「そんな必要がないようにして欲しいものねぇ。僧職としての見解を言わせて貰うと~、決闘や命に関わるような試合だなんて、余程の理由がなければやるべきじゃないしぃ。何の得にもならないんだもの~」
ウルスラが損得を絡めて発言するが、これには皆同意見だった。試合を言いだした張本人……カレンも大きく頷いている。
「もちろんです。殺し合いをしたいわけじゃありませんから」
カレンはルールを決めた上で試合をすると言い、『相手を降参させたら勝ち』、『相手を殺さない』などと提案する。それをグレースは頷きながら聞いていたが、カレンが話し終えると会議を取りまとめにかかった。
この練習試合は、カレンの試練にある『オーガー単独撃破』のための、予行演習……あるいは、カレンの実力を計るためのものであること。ただし、弘に負い目を感じるカレンが、気持ちに決着をつけるべく希望している試合でもあること。この場に居る者達は、一方ないしは双方の死亡……などという最悪の事態を避けるべく、協力すること。
途中、申し訳なく思ったカレンが小さくなる場面もあったが、異議が出ることもなくグレースは発言を終えた。
「とまあ、このぐらいか……」
「あ、あのう……」
話題が尽きたと思われたところ、怖ず怖ずと挙手する者が居る。グレースのすぐ右隣で座るターニャだ。この場に居る女性の中で唯一、弘と恋愛沙汰の関係がない人物であるが、いったい何を言うつもりなのか。
「ふえええ……」
皆の注目を浴びて気圧されるターニャは、それでも隣のグレースを見上げながら発言した。
「わ、私も当然協力しますし、方針も理解しました。それで、その……肝心のヒロシさんは、この件についてどう思っているんでしょうか?」
「あっ!」
と言ったのは、ターニャ以外のほぼ全員である。確かにターニャの言うとおり、カレンの方ではやる気満々だし、それに対する他メンバーの協力体制についても意思統一できた。ただ、カレンの試合相手たる弘が、どう思っているか。そこが未確認だったのである。
「確か……ヒロシって、頭抱えて宿部屋に籠もってたわよね。彼、どうする気なのかしら?」
ジュディスが、形の良い下顎に人差し指を当てつつ呟いた。あの沢渡弘は、世間一般で言う『ガラの悪い』青年だ。売られた喧嘩は買う性分であるのは、普段接していてわかることだが、今回の対戦相手は……恋人のカレン。
「ヒロシが好き好んで、カレンちゃんと戦うとは思えないし。悩んだあげく、逃げちゃったりして……」
「そんなぁ……」
ジュディスの推測を聞き、カレンが悲鳴をあげる。だが、その可能性もあると感じたのか、カレン達のみでなく、室内の全員が黙り込んだ。
「いや、待て」
不意にグレースが声を発し、ポンと手を打つ。
「サワタリの様子なら、知る方法があるぞ?」
「あの、グレース殿? 風の精霊で盗み聞きをするのなら、私としては見過ごせませんが?」
「違う!」
シルビアの指摘と疑わしそうな視線を、強い言葉で否定したグレースは説明を始める。
「まったく人聞きの悪い。そもそも、こんな森もない場所で、そこまで器用に風を操れるものか。で……先だって、ノーマがサワタリの様子を見に行ったはずでな。彼女が戻っていれば……。……ふむ、カレンが良いかな」
「私? 私が何か?」
名前を出されたカレンが自分を指さすと、グレースは「酒場にノーマが戻っているかも知れないから。見て来てくれ」と頼んだ。一氏族の長とはいえ、エルフが貴族子女に指図しているのであり、普通であれば貴族側が気を悪くするところである。しかし、同じ男性を愛する者同士という間柄であること。さらには、カレンが小さな事に拘らない性格であったため、特に問題は発生していない。
(……カレンはともかく、シルビアの視線が怖いわけだがな)
テーブルの対側、カレンの隣で座るシルビア。彼女が鋭い視線を飛ばしてくるので、グレースは目を逸らしつつカレンを見た。
「頼めるかな? ノーマが居たら呼んでくるのだ。居なければ戻ってくる……という事で」
「わかりました。酒場を見て来ますね!」
元気よく席を立ったカレンは、パタパタと会議室から出て行く。そうしてカレンが居なくなると、シルビアがグレースに話しかけた。
「グレース殿? 何故、カレン様を指名したのですか?」
この会議室に集まったのは、カレンの思惑について本人から事情聴取するためだ。それが一段落したとは言え、ノーマを探しに行くくらいなら自分が行ったのに……とシルビアは言う。
「カレン様を、まるで使い走りのように……」
「シルビアよ。そう思うのであれば、我がカレンを指名した時、今のように言えば良かったではないか。何故言わなかった?」
「そ、それは……」
シルビアが言葉を詰まらせる。どうやら自分でも、よくわかっていないらしい。その様子を見て「シルビアが何やら変だ……」と皆が思い出したところで、グレースが口を開いた。
「今回の『試合』の件に関しても、そうだ。普段のシルビアであれば、カレンがサワタリに試合を申し込んだ時点で、もっと強硬に反対していたのではないか?」
「……つまり、そういう話をしたいが為に、カレン様を行かせたと? 私に気を遣ったというわけですか?」
ジロリとシルビアが睨むが、その突き刺さるような視線を、グレースは真っ向から受け止める。
「まあな。で? どうなのだ? シルビアはシルビアで、何か悩みでもあるのか?」
「……」
聞かれたシルビアは俯き、そして沈黙する。このとき、シルビアの脳裏にあったのは、カレンを説得して連れ戻す任務のこと。それをカレンに打ち明けられないこと。そういった悩みを抱えている時に、カレンが弘に試合を申し込んだこと。その結果、両者が負傷するかもしれないことなどだ。そういった事情や心配事が渦巻き、精神的に『いっぱいいっぱいの状態』だったのである。
一連の悩みのうち、試合に関する心配事だけなら、グレースや他の者に相談しても良かっただろう。だが、今のシルビアには、それすらできなかった。
(相談している内に、任務について話さなければならなくなったらどうしよう。上手く隠したままで切り抜けられるかしら? いいえ、そんなの無理よ! もしも、カレン様のお耳に入ったりしたら……)
こういった、悪い方向の自己完結に陥っていたのである。
一方、グレースは、シルビアの悩みの詳細までは把握できていない。だが、彼女の精神状態が危ういものであることには気がついていた。
(張り詰めているのか? いや、混乱している様子でもある。しかし……)
自分から話す気になっていたカレンと違い、シルビアは『悩み』を隠そうとしている。その彼女から無理に聞き出そうとするのは下策だ……とグレースは判断した。
(今居るメンバーの中では……ノーマあたりに相談して、シルビアから目を離さないようにする。こんなところか)
グレースが内心で方針立てていたところ、会議室の扉がノックされる。
「グレースさ~ん。ノーマさんが居ました~」
ノーマを連れて戻ったカレンであった。
◇◇◇◇
「何よそれ? 馬鹿じゃないの?」
これは、先程までの相談内容を聞かされたノーマが、『弘に負い目を感じている』という部分について述べた感想である。この一言を受けてカレンが涙目となり、他の者達は「あ~あ、言っちゃった」と言いたげな顔になる。とはいえ、ノーマも『我が身をカレンの立場に置き換える』という考え方から、皆の決定に賛同を示していた。
「恩人を手にかけたのでは、仕方がない……のかもね。まあ、いいわ。私も協力する。で? 私は後で、グレースから話を聞くつもりだったんだけど。こうして呼びつけたからには……何か用があるんじゃないの?」
「うむ。実はな……」
グレースは、ノーマがカレンの右隣に座るのを待って話し出す。その質問内容は『カレンと試合することについて、弘はどう思っているのか?』というものであったが、ノーマは「えっ?」と聞き返すや……その頬を赤く染めた。
「……なんだ、その反応は? ……ああ、なるほど。していたのか」
一瞬いぶかしげに首を傾げたグレースが、すぐさま察したかのように言う。ノーマはと言うと、この一言で更に顔を赤くしていた。
「違うわよ! まだ、してない!」
「そうなのか? 意外と奥手なのだな」
「あのねぇ!」
2人のやりとりを、カレン達は発言のたびに視線の向きを変えて見守っている。それらギャラリーの視線に気がついたノーマは、咳払いをすると椅子に座り直し、足を組んで腕も組んだ。
「話を戻すわよ! ええと、弘が試合についてどう思ってるかよね? 結論から言うと、やる気よ。それも、大真面目に」
「それって、意外~。だって酒場で別れたときのヒロシってぇ、ヨロヨロしてたじゃない。あれって、酔いだけのせいじゃないと思うの~」
ウルスラが言うと、隣で座るジュディスが頷く。
「同感。でも、あの状態からカレンちゃんとの試合に乗り気になるとか……。どんな心境の変化があったのかしら?」
「一応、言っておくけど。彼、相当悩んでたわよ?」
ジュディスの疑問に対し、ノーマが報告を追加した。これを聞いて真っ先に反応したのが、カレンである。
「はううう。サワタリさんが悩んでたって……」
「そんなにショックを受けるのなら、今からでも良いから『やっぱり、やめにします』とか言ってくれば?」
ノーマが冷たく言う。いささか冷たすぎな気もするが、元々こういった口調であること。そして、カレンの事情に関しては、掻い摘んで聞かされていたため、他の者ほど感情移入していなかったことによる。
「まあ、その辺にしておけ。で? サワタリは試合に対し、大真面目に乗り気だとのことだが……」
カレンをかばいつつ、グレースは『弘のやる気の程度』を再確認した。まさかと思うが、カレンを殺すつもりで試合に臨むようであれば、試合の取りやめを働きかけることも考えていたのである。
「そうねぇ。弘から個人的に受けた相談だから、ベラベラ喋りたくはないんだけど……」
弘やカレンの命に関わることなので、話さざるを得ない。そう判断したノーマは、「ヒロシ。ごめんなさいね」と一言呟いてから、グレースを見た。
「彼、言っていたわよ? カレンに怪我させるなんて絶対に御免だ。とはいえ、冒険者や戦士としてカレンの気持ちも理解できる。だから、試合はする。最善は尽くす……ってね」
これを聞き、会議室内の者達は言葉が出なくなる。弘は、彼なりに悩み抜き、恐らくノーマの助言があったとは言え、カレンの気持ちを真剣に考えた上で、試合に臨もうとしているのだ。
「……」
グレースは、いささか顔色を無くしているカレンを見た。
(ところが、このカレンは部分的にとはいえ、己の負い目を解消するために試合しようとしているのだからな。いや、大方は真面目な理由なのだし、悪く言うことでもないか……)
あるいは、ここで試合を止めさせるのが正解か。と、グレースは考えたが、すぐに却下している。試合をさせない事にした場合、カレンの心に負い目が残るからだ。
(そんなもの、時間と共に解決する! と言いたいが。そうもいかん)
そもそも時間が経過しても解決しなかったら、どうするのか。その場合は、弘の恋人などやめて別れてしまえばいい……などと言えるほど、グレースはカレンのことが嫌いではなかった。また、皆に対して言ったように、カレンの気持ちは理解できている。
(友人や恋人仲間としては、カレンに協力するべきだな)
そう結論づけると、グレースは試合をする方向で、自分達はどう行動するべきかを皆と話し合うのだった。
◇◇◇◇
翌朝。
目を覚ました弘は、桶に湯を貰い、身支度をした。そして宿部屋を引き払うと、1階酒場へ降りていく。そこには何組かの冒険者パーティーがたむろしており、カウンターでは朝晩の店員が居て、注文を受けたりしていた。
「何か食っていくか? いや、いいか……」
朝食を取る気分ではない。そのまま酒場を出た弘は、大通りを歩き出す。指定された待ち合わせ場所は、都市門のすぐ内側だ。
「確か、北側の都市門……だっけな」
呟きながら歩く弘は、不思議と動じてはいない。悩むだけ悩んだからか、ノーマに相談に乗って貰ったからか。それとも一晩寝て、酔いが醒めたせいなのか。自分自身でもよくわからないが、ともかく心身共に快調だ。
(ステータスの数値に耐久力とかあるけど。そいつの数値が上昇してるからかもな……)
そんなことを考えながら歩いていると、やがて都市門が見えてきた。そこに……数人の人影が見える。目をこらして見たところ、まず長身のグレースとノーマを視認。次いで、ジュディス。シルビアとウルスラが居て、ラスとターニャの姿も見えた。そして最後に、本日の試合相手。カレン・マクドガルの姿を確認する。
(遠目つっても、対戦相手を確認するのが一番最後になるとか……。しかも、相手は恋人だぞ? 何考えてんだ、俺は……)
これから戦う相手の姿を見たくなかったという事だろうか。そう考えると、弘は先程まで軽かった足取りが重くなる。
(ぐあ~。なんか胃が重たくなってきた。いくら覚悟を決めたとか言っても、いざカレンを見ちまうとなぁ……)
それでも足を止めることなく歩き続けると、都市門付近で立つ皆の表情が確認できるようになった。サッと見渡したところ、皆緊張している面持ちで……いや、ラスが紙袋に入った菓子などをポリポリ食べている。
(あの野郎。思いっきりギャラリーモードかよ)
とはいえ、緊張感のないラスを見ていると、弘は肩の力が抜けるような気がしてきた。そうして幾分余裕が出たところで、カレンを観察したところ。やはり、試合を前に緊張しているように見える。
(表情が硬いな。森でオーガーと戦ったときにカレンの顔を見たが、アレとはまた違った感じで……。うん、『彼女』の緊張した面持ちってなぁ、結構オツなもんだぜ)
シルビアが聞いたら怒り出すであろう不謹慎さ。しかし、頬を緩ませかけた弘は、視線の合ったカレンが、ふいっと目を逸らしたことで小首を傾げた。
「あん?」
どうもカレンの様子がおかしい。そう弘は思う。
恋人同士で試合をする、自分と対戦相手。自分……すなわち弘の場合は、恋人から試合を申し込まれた立場なので、本来は乗り気がしない。しかし、対戦相手……カレンは試合を申し込んだ側なのだ。なのに、今の彼女は少しオドオドしているように見える。
(夕べ、酒場で別れた後で何かあったのか? わかんね~な)
もしかしたら宿部屋に引きこもらず、皆と一緒に残っていれば良かったのかもしれない。そう考えてみたが、今更どうしようもないため、後でカレンに直接聞くこととした。
「それはそれとして。試合のこと考えなきゃ……だよな。……やっぱ、斬り合いがメインになるか?」
事前に『寸止めルール』を申し込む前提だが、弘はカレンとの戦いでは銃器使用に重きを置かない方針である。理由は、素早いカレンに当てるのが難しいこと。そして、当たったら当たったで危ないことが挙げられる。
(斬り合いだと長巻じゃ追い切れないかもだから、やっぱし刀を使うか。あと、本命は……スタン系の召喚具だな)
メリケンサックか警棒。双方にスタン系の召喚具があるので、それさえカレンに当てられれば、大怪我させずに勝つことができるだろう。問題は、メリケンサックは勿論のこと、警棒もリーチが短いことだ。
(メリケンや警棒だと、カレンの長剣の方が長いんだよなぁ。スカッと空振りしたところを斬りつけられたりして……。ん~……こんな対策で大丈夫なのかぁ? スタン武器に関しちゃ、カレンも警戒してるんじゃないか?)
もう数メートルにまで接近したカレンを見ながら、弘はステータス画面を展開する。これは他者には見えないので、思念操作しつつ弘は項目を開いていった。
(あるいは……こいつが役に立つかもな)
内心で呟く弘の視線の先……ステータス画面には、次の様な記載がある。
『レベル30 自弾無効、射撃姿勢堅持』