第百三十三話 そして、カレンの決意
弘と決闘をしたい。カレンは確かにそう言った。
空気が凍りついた馬車の荷台で、弘は考えをグルグルと巡らせる。
(決闘。決闘ってアレだよな? 一対一で戦う奴。お作法としては、手袋を相手の顔に叩きつけて……いや、そういう問題じゃねぇ! 早い話、俺とタイマンしたがってるって事だろ!? 俺、カレンを怒らせるようなことしたか? それにしてもタイマンって……)
冗談きついぜ! と弘は思った。男一匹、沢渡弘。これまでの人生において、男女の体力差がなかった幼児期を除き、女に手を挙げたことは一度もない。
(……そういやディオスクで、サーペンターのパルファンを殺しちまってるか……)
だが、パルファンと戦った状況は、それこそ命がけの試合場であり、相手側は弘のことを殺す気満々だった。しかも、バトルロイヤル形式の試合であるのに、弘は他の出場者全員と戦う羽目になったのである。
(でも、あの時とじゃ状況も、相手の設定だって違いすぎだ! 俺と決闘したいって言ってるのは、恋人になったばかりのカレンなんだぞ~っ!?)
「あ、あのね? カレンちゃん?」
弘が頭を抱えていると、ジュディスが怖ず怖ずと挙手した。荷台座席の対面側で居る彼女は、「何故、ヒロシと決闘をしたいのか?」「それを今のタイミングで言うのは、何か理由があるのか?」といった内容のことを質問する。これは弘のみならず、荷台座席で座る者達全員が知りたいことだった。
ジュディスに質問されたカレンは、キョトンとしていたが……。
「それもそうね! 説明しなくちゃ!」
と、主に質問者であるジュディスに説明を始めている。もっとも、話しながら弘や他の者達に視線を配っているので、皆に対して説明しているつもりのようだ。
「クロニウスに戻ったら、サワタリさんとは暫くお別れでしょ? 私は私で、別のオーガーを探して退治しなくちゃいけないし……。でね? そういうことを、馬車に揺られながら考えてたんだけど」
カレンは、こう思ったらしい。今回、ジュディスに助太刀する形でオーガーと戦う経験を得た。そして、倒しもした。しかし、しかしである。さっきまで居た森で出現したオーガーは、かなり特殊な個体だった。弘から聞いた話では、召喚術のような魔法を使っていたという。
「……試練の標的に対する、予行演習にならなかったってか?」
弘が聞くと、カレンは頷いた。
カレンに課せられた試練とは、実家マクドガル家の家督を相続するにあたって、王都貴族から圧力がかかっており、それを解消するために提示された条件のことを言う。その試練の1つにして最後の1つが、オーガーの単独撃破であった。
そもそも、貴族のカレンがシルビアと2人だけで旅をしていたのは、この試練を果たすためである。ちなみに、弘がカレンと出会ったのは、試練内容の1つ『山賊ないし盗賊団の討伐に協力する』をカレンが実行中の時であった。当時、弘はゴメス山賊団に所属しており、山賊団壊滅後はカレンによって捕縛されている。
(いや~、思い出すと複雑な気分になるなぁ。それに、随分と昔みたく感じるぜ。で、思っちまうんだが。あの頃の実力差のままだったら、カレンと決闘するってのは回りくどい死刑かリンチだよな~)
山賊団の壊滅時。ゴメスに止められなければ、カレンと戦っていただろうから、その時に弘は死んでいた可能性が高い。
と、このように弘が思い出にふけっていると、カレンが話の先を続けた。
森のオーガーとの戦闘が参考にならない。そう思うのは、あのオーガーが特殊個体だったから……だけではない。試練対象のオーガーと戦うときは、試練の条件上、単独戦闘になるからだ。
「パーティーで戦うのと、私1人で戦うのでは随分違いますしね。それに私……自信が揺らいじゃったんです。だって森のオーガーの時は、ほとんどサワタリさんが倒したようなものだし。私だけで、本当にオーガーを倒せるのかな……って」
「そう、お思いでしたら。いっそのこと試練は諦めて、王都で領地に関する交渉を……」
そう進言したのはシルビアである。カレンの幼なじみである彼女は、カレンの実家……マクドガル家に対して同情的な貴族から依頼を請け、試練の見届け人として同行しているのだ。そして、それら一部の貴族から託された任務が『旅の間でカレンを説得し、試練達成を諦めさせる』というものであった。
(カレン様が、試練を諦めて王都へ行けば。マクドガル家の領地……いえ、カレン様の家督相続については便宜を図って貰えるはず)
それは一部の貴族による口約束に過ぎなかったが、シルビアにしてみれば、カレンが単独でオーガーを倒すよりも現実的なように思えたのである。ただ、この裏取引について、シルビアはカレンに対し伝えることを禁じられていた。
(助力を申し出てくれた貴族の方々にも立場がある。カレン様に伝えた事が、後でバレたりしたら……)
それを思うと、こっそり告げるのも躊躇われる。シルビアは下腹がキリキリ痛むのを感じたが、その彼女に対するカレンの返答は否であった。
「駄目よ、シルビア。お父様が亡くなった今、マクドガルの人間は私だけなの。親戚も居るには居るけど、実家のことを任せるわけにはいかないわ。だから、私が何とかしなくちゃいけないのよ」
いつの間にか、カレンの表情から笑顔が消えている。発せられる言葉には『重み』が感じられるようになっており、それをすぐ隣で聞かされている弘は大きなプレッシャーを感じていた。
(うお~。マジかよ。学校の校長なんかとは比べものにならない説得力と言うか……。これがマジもんの貴族って奴なのか……)
人の上に立つ者、あるいは身分高き者の『言葉の重さ』。そこには、今の弘には想像もつかない責任感なども感じられる。弘は、額に汗が浮くのを抑えきれずにいた。
(族の特隊で隊長してたり、こっちの世界に来てからはパーティーリーダーとかもやったけど。やっぱ次元が違うな、モノホンの貴族ってのはよ)
と、ここでカレンが弘の顔を見上げる。
「サワタリさん?」
「お、おう!? 何かな?」
若干引き気味で弘が聞き返すと、カレンは話題を元に戻した。
「話が逸れましたが。私は今、自分がどれだけ強くなったか。その確認がしたいんです」
「え~と、つまり……。オーガーをやっつけた俺と戦って、自分の強さを計りたい……って事でいいのか?」
「はい!」
……。
しばしの沈黙の後、弘はカレンの真剣な眼差しを見返しつつ言う。
「それって決闘じゃなくて、練習試合とか……そういうのじゃね~の?」
「あっ! そ、そうでした! やだ、私ったら!」
一声発するや、カレンは自分の両頬を手の平で挟んだ。
「そうです! 練習試合ということで、サワタリさんにお相手願いたいんです! すみません、なんだか舞い上がっちゃって……」
テヘヘと笑うカレンは、小さく舌を出す。どうやら試合を申し込むのを、決闘と言い違えていたらしい。そのそそっかしさに皆が呆れたが、同時に安堵もしていた。
「あ、あはは~。本当に驚いたわぁ。カレン様が、弘を亡き者にしようとしてるのかと~」
「うむ。我も驚いたぞ」
ウルスラが多少引きつった笑いと共に言うと、弘の左隣でグレースが頷く。その後は荷台座席の面々で、カレンの言い間違いについて大いに盛り上がることとなった。恥ずかしくなったカレンが「あの、もうその辺で……」と申し立てても、なかなか収まらない。
(いきなしの決闘発言で、みんな凍りついてたもんな。誤解が解けたもんで、変なスイッチが入っちまったか)
そう思う弘であるが、彼自身「カレンと決闘しなくて済む」と気が抜けたせいか、最初は皆を止めようとしなかった。しかし、からかわれ続けているのを見ると、さすがに気の毒になる。そこで助け船を出そうとしたのだが……それよりも先に、カレンから話しかけてきた。
「あううう。さ、サワタリさんぁぁぁん。それで、その……練習試合の件は~……」
「あ? ああ、かまわないぜ? この俺相手で全力戦闘して、強さを計りたいってんだろ? おやすい御用だ」
荷台の空気が和んでいることもあり、弘は快く応じる。それを聞いたカレンが、瞳をキラキラさせながら礼を述べた。
「ありがとうございます! 私、思いっきり頑張りますから! よろしくお願いしますね!」
「だっはっは! 任されたぜ!」
交際中の美少女から頼りにされる。このシチュエーションに気をよくした弘は、笑いながらこう思っていた。
(カレンは強いけど、何とかなるだろうぜ! なにせ、俺は強くなってるんだからな!)
少なくともカレンの方では、弘をオーガーと同等以上の戦力だと認識しているらしい。考えてみれば当然の評価だ。実際にオーガーを倒しているし、ディオスク闘技場では、より強力なレッサードラゴンを倒している。つまり冒険者ヒロシ・サワタリは、ドラゴンに匹敵する戦闘力の持ち主と言って良いのだ。今の彼であれば、全力戦闘するカレンとも戦えるだろう。いや、勝ってしまう可能性が高い。
(いやあ、クロニウスに到着するのが楽しみだ!)
などと気楽に構えている弘であったが、この件について彼が見落としていることが1つあった。それは、とても重大な事柄であり、到着した先のクロニウスで……弘は顔から血の気が引くこととなる。
◇◇◇◇
冒険者達の馬車がクロニウスに到着したのは、その日の夜遅くだった。途中、小休止を挟みつつではあったが、早いペースで移動した結果。同日中の到着となったのだ。これは、依頼を達成したことで、早くギルドへ行きたかったこと。そして、散々な目に遭わされた森から、少しでも早く遠ざかりたかった……というのが理由として挙げられる。
そうしてクロニウスに帰り着いた弘達は、レンタルしていた馬車を返却し、他のパーティーらと連れだってギルド支部へ入って行った。
「おい。ジュディス達だぞ!」
1階酒場にある幾つかの円テーブル。そのうちの1つに居たパーティーの男性戦士が、弘達を見て声をあげた。今回のオーガー退治に6パーティーが動員されたことは、クロニウスのギルド支部に出入りする冒険者の間では知れ渡っていたらしい。2階への階段へ向かう弘達の周囲、各テーブルでは冒険者達が囁きあっている。
「フェルトンも居るし……。みんな、森から帰ってきたのか」
「てことは、オーガーを倒したって事だよな?」
「6パーティー動員かぁ。いったい、どんなオーガーだったんだろうな」
「そういや、タイリースの姿が見えないぜ?」
「……ちっ」
様々な声の中、タイリースの名が挙がったので弘は舌打ちをした。ノーマに諭されはしたが、タイリースの死因の1つに自分の判断があるのは間違いない。そのことを意識してしまったので、イラッと来たのだ。
(いつまでもウジウジ悩む気はね~んだけど……。タイリースが死んでから、日も経ってないしな。けっ……)
努めて顔に出さないようにしながら、弘はジュディスの後ろについて歩く。現状、彼女のパーティーに加入している事になっているし、これから依頼達成の報告をするのに、自分が前に出ていたのでは話がややこしくなると思っていたからだ。
「じゃあ、カレンちゃん達は1階で待っててね」
階段を上りかけたジュディスが、カレン、そして他のパーティーメンバーを振り返って言う。フェルトンや他パーティーのリーダー達も、自パーティーのメンバーを1階酒場に残すつもりのようだ。
(そりゃそうか。1パーティー6人だとしても、6組集まったら全部で36人居るって事になるからな)
パーティーリーダーらが、自パーティーメンバーに指図しているのを見ながら、弘は声に出さず呟いていた。と言っても実際は、6人以下のパーティーが居るし、タイリースのパーティーなどは、男性僧侶と女性魔法使いの2人のみとなっている。
(そういや、各パーティーの人数とか知らねーんだよな。まあ、大人数には違いないんだけど)
その大人数でギルド受付に押し寄せてもしかたがないため、受付には各パーティーリーダーと弘が向かうこととなる。リーダーでない弘が同行する理由は、依頼達成の証拠品であるオーガーの腕。これを弘がアイテム欄収納しており、彼が居ないと証拠品提出ができないからだ。
ちなみに、酒場の外あるいは中でオーガーの腕を出し、リーダーらに渡そうと弘は提案したのだが……。
「え? そんなの、ここで出されても困るぜ」
「そもそも重いから、2~3人がかりで運ぶことになるだろ?」
「だったら、サワタリが受付で取り出してくれよ」
とリーダー達に言われ、受付への同行が決定している。
(言われたとおりなもんで、反論する気もなくなっちまったぜ……。それにしてもだ。アイテム欄収納に関しちゃ、皆の驚きが長続きしなかったな……)
リーダーらと一緒に階段を上りながら、弘は口を尖らせた。彼にしてみれば「道具を幾つでも持ち運びできるのか! そいつはスゲーッ!」的な目で見て欲しかったのだが、皆、最初こそ驚き感心したものの、すぐ普通に接するようになっている。
(魔法具か何かの能力だと思われたのかもな)
元居た日本では驚きも持続しただろうが、さすがは魔法が存在する世界だ。あるいは、ここで自分自身に備わった能力であることを説明すれば、皆の反応が変わるかもしれない。しかし、そこまでベラベラ喋る気は弘にはなかった。
さて、そうこうしているうちにギルド受付へと到着し、まずはジュディスとフェルトンが報告を始めている。次いで、各パーティーのリーダーらが報告を始め、最後に完了検査の話となった。通常であれば、ここで日程調整をし、後日にギルド派遣の冒険者と共に現地調査をする。だが、受付嬢と話していたジュディスが、後方の弘を振り返って言った。
「ヒロシ? じゃあ、アレを出して貰える?」
「おう。ちょっと待ってくれ」
弘は受付に背を向ける。あまり意味はないかもしれないが、アイテム欄取り出しする瞬間を見られまいとしたのだ。その結果、受付側……そしてカレン達からは、背を向ける弘が何処からともなく、巨大な腕を引っ張り出すように見えていた。
「え? 証拠の品って……オーガーの腕ぇっ!?」
受付嬢の声が裏返っている。彼女は「今の、どこから出したんですかっ!?」と質問してきたが、弘は適当にはぐらかした。この取り出されたオーガーの腕を証拠として、ジュディス達が報告を再開し、最終的には依頼達成が認められることとなった。
「片腕だけのオーガーが、まだ生き延びている可能性がありますが……。ジュディスさんや、その他の方々……実績ある冒険者パーティーの証言もありますし。依頼達成の検査完了として扱います」
受付嬢ではなく、後から出てきた管理職の男が言うと、ジュディス以下の冒険者リーダー達は喜びの声をあげた。
随分といい加減なように思えるが、こっそりジュディスに聞いたところ、やはり証拠品があることが大きかったらしい。また、受付男性が言ったように、実績ある複数パーティーの証言があった点も検査完了が認められた大きな要因だ。
「ギルド側だって、本当は面倒な現地検査なんかしたくないもの。もっとも、あたし達が嘘をついてたとして、それがバレた場合……。色々と厳しい処置が下されるでしょうね」
ギルド支部への出入り禁止は当たり前として、場合によっては、お尋ね者にされることもあり得るとのこと。この話を聞いた弘は、「嘘の達成報告は、やめておいた方が良いな」と肝に銘じている。
ともかく、報酬は貰えるようであり、弘は額に浮いた汗を手の甲で拭った。
「上手くいったみたいだな。少し揉めかけた感じだけど。やっぱ頭を持って来た方が良かったか……」
「まったくだ。今度は、頭が残るように倒してくれよ?」
弘の呟きに応じたのは、リーダー格の1人……男性戦士だったが、別に嫌味で言ったのではない。それどころか彼が上機嫌であることは、表情を見れば一目瞭然であった。
「んんっ?」
不思議そうに首を傾げる弘に、その男性リーダーは説明してくれる。
「だって、また現地まで行って完了検査するとか、面倒じゃないか。それが無いだけでも嬉しいもんさ」
「そうそう! もう1回、現地と支部を往復するぐらいなら、その時間を使って次の依頼を請けたいしな!」
続けて発言したのは、複数の金袋を受け取ってホクホク顔のフェルトンだった。
仕事の完了検査が面倒くさい。
そう思うのは自分が異世界人だからかと思っていたが、どうやら他の冒険者……この世界の住人達も面倒に感じているらしい。それを知った弘は、フェルトン達に親近感のようなものを感じて、何となく嬉しくなった。
その後、受付係の男性から「オーガーの腕は持って帰るように」と言われたので、弘はオーガーの腕をアイテム欄に再収納している。
(この場に放置したら迷惑ってことか……。そりゃそうだよな)
「じゃあ、1階に下りましょうか? 報酬の分配が済んだら、みんなで宴会しましょう!」
ジュディスが言うと、皆が同意を示しつつ移動し出したので弘も歩き始めた。と、ここで気になることがあったので、ジュディスに歩み寄り聞いてみる。
(「なあ? タイリースのパーティーメンバーの生き残りだけどよ? あの2人も宴会とやらに出るのか?」)
パーティーリーダーを含め、主だったメンバーが死亡したばかり。そんな彼らがクロニウスに戻って早々、次の参加パーティーを探すであろう事はジュディス達から聞いていた。だが、飲み食いして騒ぐことはないだろうと弘は思ったのである。
(「え? ええ~……ふ、普通は参加しないと思うわよ?」)
少し目を丸くしたジュディスは、断定的な物言いをしない。そして言い終えた後で、周囲に気を配りながら囁き返してきた。
(「でも、世の中には仲間が死んだら、『分け前が増える!』とか言って喜ぶ連中も居るのよね~」)
そういう人物であるなら、この後の宴会にも平気な顔で参加するかもしれない……とのこと。
(「ああ、やっぱり居るのな。そ~ゆ~奴が」)
漫画やドラマでも見かける性悪キャラであり、暴走族時代にも白バイやパトカーから逃走中、他のメンバーが捕まったのを見て囮呼ばわりした者が居た。漫画等では嫌われ者だったし、現実に居た暴走族関係者の場合も同様である。
タイリースパーティーの残存メンバーは、そうであって欲しくないと弘は思うのだが……。
(タイリースが同業者を襲うような奴だったし、あまり期待できないな)
そのようなことをジュディスと話している間に、弘は1階酒場への移動を終えた。元から入っていた冒険者のほとんどは、食事を終えるなどして立ち去っている。見える限りでは、今回の一件で行動を共にした6パーティーのメンバーばかりのようだ。
(いや、知らん顔もチラホラ居るな……)
男性の戦士や偵察士らが、カレンやラス、それにフェルトンのパーティーメンバー相手に話しかけている。どうやら森でのオーガーがどうであったとか、そういったことを話しているらしい。要は噂話なのだが、その様子を見た弘は渋い顔となった。
(カレンやジュディス達はともかく。他の連中からは、俺の能力とか、ブリジットの情報が漏れる……か)
箝口令を敷いているわけではないし、それをする権限など弘にはない。内緒にして欲しい的なことは言ったつもりだが、フェルトン達が口約束を守る保証などないのだ。では、自分の召喚術やアイテム欄収納、それに夜の戦乙女の指輪についてなど。それらを知られないように行動するべきだったのだろうか。
(……無理だな)
少なくとも、夜の戦乙女……ブリジットの力を隠したままで、あのオーガーを倒すのは至難の業だ。例えば、ウルスラが昏倒したままで誰かを介護に残し、森の中では高濃度化した魔気に対処ができない。そんな状態で対オーガー戦を戦うなど、弘は想像しただけで寒気がした。
(あれで良かった……としておくか。んっ?)
カレン達に近寄りながら改めて冒険者等を見回すと、タイリースパーティーの残存メンバー……男性僧侶と女性魔法使いが進み出てきた。
弘が見たところ、男性僧侶は『いけ好かない』感じである。他の者を見下すような態度。いや雰囲気が見て取れた。一方、女性魔法使いは、どことなく暴走族レディースのような印象がある。早い話が不良少女風なのだ。
(森のキャンプ地では話もしなかったし、ろくに顔合わせもしなかったが……。あのタイリースのパーティーメンバーだからなぁ。なんつ~か、イメージどおり?)
内心、失礼な感想を抱きつつ「よう。どうした?」と声をかけたところ、「報酬の分け前が欲しい」と男性僧侶……カートウッドと名乗った男が言う。詳しく聞いてみたところと、報酬を受け取ったら、この場で別れたいとのことだ。
(やっぱ仲間が死んだばかりだからな。宴会に参加する気は無いか。その辺、まともな感性の持ち主だったってわけだな)
そう思った後、心の中で「本心は、どう思ってるか知らんけど」と付け足した弘は、ジュディスに今の話を振った。今回の冒険依頼、功績第一位はジュディスパーティーということになっているので、報酬分配の判断は彼女に任せようとしたのである。
「わかったわ、任せておいて。フェルトン、それにみんなも? ちょっとこっちに来て?」
快く応じたジュディスは、パーティーリーダー達を引き連れてテーブルへと移動して行った。そのテーブルには、6パーティーの内の1つが陣取っていたが、リーダーの1人によって退かされている。そして報酬分配の交渉が始まり……さほど時間が経たないうちにジュディスが戻ってきた。その手には大きな金袋と、幾分小さな金袋が持たれている。
「はい、これ。渡しておくわね? タイリースのことは色々と残念だったけど……」
「いや、気にしないでくれ」
カートウッドは、ジュディスから小さな方の金袋を受け取ると、他パーティーに視線を巡らせた。その視線の動きや向きからすると、自分の手にある金袋を、他パーティーのそれと見比べているらしい。
「……他のパーティーと同じだけあるようだが? いいのか?」
カートウッドは言う。魔気の影響で狂ったとは言え、タイリースは他パーティーのメンバに襲いかかった。そして怪我人まで出したというのに、報酬分配が同等で構わないのか……と。
「それに俺達は、元の編成からすると人数が減って……」
「いいのよ。報酬分配は、元々はパーティー単位でするものだし。タイリースの件は、貴方たちに責任がないでしょう? それに……」
人数が減った分、取り分も少なくて良いんじゃないか……などと言う者は、招集されたパーティーの中には居ない。そうジュディスは言った。カートウッドは暫し黙していたが、やがて「そうか。では、ありがたく頂戴しておく」と言い、ジュディス……そして弘に背を向ける。その後は、連れの女魔法使いとで各パーティーリーダーに挨拶回りをすると、宴会が始まる前に2階へと姿を消した。
「ギルド宿で報酬分配……かな?」
そう弘が呟くと、ジュディスが頷く。
「そうでしょうね。でも後は、あの2人が考える事よ。それより……これ、見て!」
突然、口調を明るくしたジュディスが、金袋を弘に差し出す。それはパーティーリーダー達で交渉した結果決まった、ジュディスパーティーの報酬取り分だ。見たところ、他パーティーのリーダーが持つ金袋より大きめである。
「おう。本当に取り分を多くしてくれたのか」
「みんな苦笑いしてたから、少し恥ずかしかったけどね! あ、そうそう。みんな言ってたわよ。サワタリによろしく……って」
弘の話題に移っているのだが、ジュディスは嬉しそうに伝えてくる。取り分の多さだけが理由であるにしては、随分と上機嫌だ。
(目の前に居るのがウルスラなら、報酬額のことだけで機嫌の良さが説明つくんだけどな)
「さ、カレンちゃん達のところへ行くわよ!」
小首を傾げる弘の手を引き、ジュディスが歩き出す。
その後は、6パーティー改め、5パーティーのメンバーが入り乱れての宴会となった。と言っても、今回の依頼とは関係のない冒険者達にも酒を振る舞ったので、酒場全体が宴会場と化している。
「いやあ、賑やかだし盛り上がってるぜ。それにしても……」
10人掛けの大型円テーブルで居る弘は、先程から勧誘してくる他パーティーの冒険者に辟易していた。強さを誉め称えられるのは嬉しいし、勧誘されるのも自分が評価されていると感じて悪い気はしない。だが、あまりしつこく勧誘されると、いちいち断るのが面倒くさくなってくるのだ。
(そもそもだな。ようやく1人でレベルアップ作業ができるってのに……。……勧誘なんてなぁ。あ、また来た……)
エール酒の入ったジョッキを持つ弘の元へ、顔を赤くしたフェルトンがやってくる。
「な~、サワタリ~? 今度は俺達と組もうぜ~? あんたが居れば、たいがいのモンスターなんか問題にならないんだしさ~」
(こいつ、さっきも来てなかったか?)
弘の記憶が正しければ、フェルトンは弘を勧誘に来たリーダー格としては一番手だったはずだ。酔いが回って断られたのを忘れたのか、それともわざとやっているのか。弘には読み取ることができない。
(くそ~。カレンやジュディス達が居る手前、怒鳴りつけて追い散らすこともできね~し!)
恋人達の顔を潰すことはできないと判断し、弘は再度フェルトンの申し出を謝絶する。そうして暫くすると、さすがに諦めたのか、弘を勧誘に来る者は居なくなった。と、ここで、宴会の始まりから右隣で座っていたカレンが話しかけてくる。ちなみに左隣はグレースである。
「サワタリさん、大人気ですね」
「人気ねぇ……。けど、俺には1人行動する予定があるから、誘われても断るしかないし……。それよりな、カレン?」
弘は、カレンが申し出ていた決闘……もとい、練習試合の予定日について聞いてみた。カレンが言うには、いつでもオーケーだそうで「だったら明日の朝にしようぜ!」と、その場で日時が決定する。
「どこか、いい場所はあるかな?」
「このクロニウスを出て、街道を進み……暫く行ったところで街道から外れましょう。人目に付かない草原や荒野なら、私もサワタリさんも思いきり戦えます!」
カレンの提案は悪くない。そう弘は思った。
「そいつはいい。誰にも迷惑がかからないし、カレンが言ったみたいに思いきり……んっ?」
「ど、どうかしましたか?」
弘が途中で言葉を切ったことで、カレンが心配そうに顔を覗き込んできた。恋人たる金髪美少女の顔が近いところにあり、普段の弘であればドギマギしていることだろう。しかし、このときの弘は、あることを考えていた。それは……。
(思いっきり……このカレンと戦うんだよな? 練習試合だけど。でも……えっ? ちょっと待てよ? 思い切りって……召喚する銃とか手榴弾とか、ああいうのを使って戦うってことか?)
両想いの一方である『彼女』。つまりは恋人のカレンに対して、例えば手榴弾を投げ、あるいはトカレフを乱射する。弘が思いきり戦うというのは、そういうことなのだ。
(は、ははは。いやいや、冗談きついぜ。俺が召喚能力を使うとしてもだ。いいとこ刀か長巻だろ? んで、寸止め前提で戦う。これだよ、これ!)
「あの、サワタリさん?」
覗き込んでくるカレン。その青い瞳を見ていると……弘は何だか不安になってきた。カレン自身は、いったいどう思っているのだろうか。
「いや、あのな。カレン?」
弘は確認するべく聞いてみた。召喚武器の全使用オーケーで戦う。これが自分の妄想であるなら、それで良し。もし、そうでないのなら……。
ゴクリ……。
生唾を飲み下す弘に対し、カレンは朗らかな笑顔で答えた。
「え? 召喚術ですか? もちろん使って欲しいです! だって私、サワタリさんのアレと戦ってみたかったし!」
「え、えええええ? 嘘、マジかよ……」
最悪の事態である。ショックを受けた弘は、あれこれと理由を付け、刀あるいは剣での試合にするよう説得を試みた。が、カレンは承知しない。あくまでも、全能力使用の弘と試合することを望んだのである。
「だって……当たったら怪我するんだぞ? あたりどころが悪かったら死ぬかもしれないし!」
「そうなったとしたら、所詮それまで。それが私の運命だったということです」
「わけわかんねーよ!」
格好良いことを言ってるようで、カレンの言い様は無茶苦茶だ。思わず声を荒げた弘であったが、すぐに口をつぐんで周囲を見まわす。皆、酒を飲んで騒いだり、思い思いの相手と話をしたりと、弘達の会話に気づいた様子はなさそうだ。
「あのな……」
カレンに視線を戻した弘は、一度深呼吸をしてからカレンに聞いてみた。
「なんで、そうまでして全力の俺と戦いたがる? 普通のオーガーと戦う。その予行演習がしたいってんなら、単に力自慢の戦士……そんな風に戦う俺と試合すれば、それで充分じゃねーか?」
「サワタリさん」
カレンは、これまでに無いほど真剣な眼差しで弘を見る。そして言った。
「私は……対オーガーの予行演習だけが目的で、練習試合をお願いしたのではないのですよ?」
マクドガル家の家督を相続するため、課せられた試練を果たさなければならない。それは確かに大事なことだが、今の自分は冒険者カレンでもある。家を出て旅を続け、幾度も戦い実績を積んでいくうちに、冒険者として、そして戦士として自分はどうなのか。どの程度のものなのか。それを確認してみたくなったのだ。
「もちろん、森での戦いで自信が揺らいだというのも本当です。だからこそ、あの時の……あの特殊なオーガーと戦っていたサワタリさん。貴方と試合をして自信を取り戻したいのです。そして、自分の強さを確かめたいんです。だからサワタリさん……いえ」
カレンは席を立った。そして弘を真っ直ぐ見ながら言う。
「ヒロシ・サワタリ……。お願いします。私と……全力で戦ってください」
「うっ……」
言葉に詰まった瞬間。弘の脳裏に「強い奴と、タイマン張りたいって気持ちはわかるぜ!」とか「試練のために旅してたのが、冒険者業にはまっちまった……ってことか?」とか「出会った頃は、試練達成一筋っぽかったのに! 何でこうなったんだ?」といった思いがよぎった。
そして、恋人としてカレンのことを思うのであれば。このまま彼女と試合するべきか、止めておくべきか。いったいどちらが正しいのか、弘には判断できなくなってしまったのである。
(カレンに怪我させるとか絶対に御免だぜ! 下手すりゃ死んじまうし! けど、カレンの気持ちもわかるんだよな。って、死んだら元も子もないじゃねーかぁあああああああ!)
……ぷつん。
弘の脳内自分会議が、ピタリと止まった。考えがまとまったわけではない。堂々巡りに陥った結果、何も考えられなくなったのだ。
「俺……ちょっと1人部屋借りて寝てくるわ。酒の入った頭とか冷ましたいし……」
そう言って席を立った弘は、フラフラと覚束ない足取りでテーブルから離れていく。その背にカレンの声がかかった。
「サワタリさん! 朝になったら、都市門で待ってますから!
「……」
これに対して弘は無言で手を振ると、2階への階段を登りだしたのである。