第百三十話 補助システムの少女
「……タリ! おい、起きよ! め、目を覚まさないぞ! 大丈夫なのか!?」
グレースの声が聞こえる。最初の方は聞こえなかったが、耳が慣れてくれると彼女が慌てている様子であるのがわかった。
(あのグレースにしちゃ珍しいな。俺が目を覚まさ……なんだって?)
弘は目を明けて身体を起こそうとしたが、どうにも身体が言うことを聞いてくれない。疲労困憊のあまり……というのではなく、自分の意志と身体の連絡が取れてないといった感覚だ。
(どうなってんだろな。目も開けられないとか、マジかよ?)
他人事のように呟いた弘は、何か出来ることはないかと考えてみる。まぶたを閉じているから暗いのは当然として……。
(いや、それも変か。ブリジットの暗視付与があるから、昼夜逆転して見えるはずだろ? まぶた越しに『闇夜の明るさ』が透けて見えるとか、そういうわけわからん感じになるんじゃなかったか?)
では、閉じたまぶたの内側が暗いのは、ブリジットの暗視付与が効果切れしたからだろうか。あるいは、戦闘が終了したのでブリジットが暗視付与を解除したとか。
(それとも、夜が明けたから暗視付与状態だと、朝日のせいで暗く見えてるとかか? む~……わからん)
先程のグレースの声を最後に、仲間の声は聞こえなくなったが、少なくとも周囲には仲間が居るのだろう。ならば、慌てる必要はない。オーガーを倒した際、自分が大怪我したような記憶はなかったから……やはり疲労で倒れたとか、そういうことなのだ。
(いや、たぶんだけどな。しかし、てこたぁ今は気絶状態ってことか? こうしてモノを考えてられるってのは妙な気分だ。なんつ~か……暇だし。本当に何か、出来ることはないのか?)
そう考えたところ、目の前にステータス画面が出現した。まぶたが上がらない状態だから、目の前という表現が正しいかはともかく、見えてるすぐ前でステータス画面が開いたのは事実である。
(まあ、何だっていいか。おっ? レベルアップしてやがるぜ! やった!)
名前:沢渡 弘
レベル:30→31
職業 :不良冒険者
力:103→112
知力:42→47
賢明度:80→88
素早さ:104→113
耐久力:115→130
魅力:69→73
MP:250→300
・日本刀(業物)
攻撃力+40 消費MP16
・AK-47
攻撃力+80 消費MP42
1弾あたりMP3
特殊召喚
幻E?R@T※U4O7HK
(お~……。い、イイ感じじゃん?)
レベルが1つ上昇しただけなのに、今までと比べて格段の数値上昇だ。MPなどは一気に50も上昇している。
(MPが300か。召喚具のスーパーカブは、MP20消費で1キロ走れるから~……一気に15キロ走れるのな)
ママチャリでノンビリ走るのも好きだが、エンジンを吹かしながら突っ走るのは、もっと好きだ。300という数値に達したMP表示を見て、弘はニヤニヤする。次に注目したのは、召喚具の追加項目であり、まず日本刀がバージョンアップしていた。
(準業物から業物になった? よく知らね~けど『準』の字が取れたから、良いモノになったってことなんだろうな。たぶん。うん、攻撃力とかも上昇してるし)
都合良く解釈しながら詳細説明を閲覧したが、ウインドウ表示された説明書きには小難しいことが書き連ねてあり、弘は読む気がしなかった。これが時代劇で聞いたことのある名刀などであれば、少しは読む努力をしただろうが……。
(まあイイや。次行こう、次)
日本刀(業物)に関する説明書きをスルーした弘は、もう一つ追加された召喚具、AK-47の詳細説明に目を通した。AK-47は旧ソ連製の自動小銃であり、設計年は1947年と古い。だが、その扱いやすさと信頼性から、現在もなお製造が続けられている軍用銃器なのだ。これならば高威力の小銃弾を、雨のように浴びせかける事が可能。そして、その攻撃力はトカレフの比ではない。
(戦争映画なんかで、よく見かける機関銃だっけ……)
これが先の対オーガー戦で使えていれば、もっと楽に戦えたかもしれない。そう思うと少し微妙な気分になる弘だが、何にせよ強力な遠距離攻撃ができるのは嬉しいことだ。
(この先、役立って貰うとするか。で、最後に気になるのが特殊召喚だな)
通常、各召喚具はステータス画面の召喚コマンドから分岐し、個別に表示窓が出現する。ところが、この特殊召喚は、ステータス画面の召喚コマンドに併記される形で、表示枠が追加されていた。つまり、その『特殊さ』が強調されているのだ。
問題なのは、続く召喚名が文字化けしていて、何と書いてあるかが不明だということ。いや、かろうじて『幻』の文字だけが読み取れている。
(てゆ~か。一文字だけじゃ、わけわかんね~よ。……でも、そういや思い当たることはあるぜ)
対オーガー戦で勝利の決め手となった、巨大なワイヤーフレームの腕。アレに関係するのでは……と、弘は考える。あの腕の正体は謎だが、手に持ったトカレフは巨大であり、その威力が凄まじかった。もしも、同じ事をRPG-7で出来れば、レッサードラゴンくらいは軽く一蹴できるだろう。
(いや、あの巨大トカレフだけでも倒せそうだ。で、これ……使えるのか?)
弘は手足の感覚がない中、思念だけで特殊召喚の『幻……』を召喚しようとした。ステータス画面は、慣れてくると直接に触らずとも操作が可能。実際の戦闘でも、召喚具選択画面を経由することなく、諸々の操作をスキップして手榴弾等を召喚したりしている。しかし、このときのステータス画面は、弘の思うように動いてくれなかった。
(あ~……。まったく反応しね~や。メリケンや警棒も同じか。枝分かれしたバージョンアップ先までは画面が開くが……。そこどまりだな)
従来の召喚具は、各画面の閲覧ができるのに召喚することができない。そして、肝心の特殊召喚に至っては反応すらしてくれないのだ。
(今の俺が気絶中とかで、ここが俺の脳内……いや、頭の中で考えてるだけってんなら、そりゃあ召喚できね~だろうけど。……お? アイテム欄からのアイテム取り出しもできねーか)
何も操作できないと判断した弘は、再び『特殊召喚』の項目に注目する。もっとも、アレコレ試して疲れているので、うんざり気味ではあるが。
(何だってんだ。せっかく画面に表示できてるんだから、説明文も表示して欲しいもんだぜ。まったく、使えね~ったら)
『使えないとゆ~たか、痴れ者め!』
(あっ?)
聞き覚えのない少女の声。それが突然聞こえたので、弘は周囲を見回した。首を回す感覚がないので、視線を左右に向けると言った方が表現上、正しいかもしれない。
(いや、そんなことより。今のは誰の声だ? ここ、俺の頭の中じゃないのか?)
『なんと、妾の声が聞こえるのか? ありえん事じゃ。いや、このような状態であればこそか……』
少女の声は、古風な喋り方をしている。だが、その声色からして、やはり年齢は低いと思われた。
(10歳か、それぐらいか? ガキだな)
『ガキと違うわぁああああああ!』
甲高い絶叫と共に、視界の真正面に1人の少女が出現する。
それは時代劇に登場する……お姫様のような着物姿。髪は銀髪で、いわゆるお姫様カットとなっている。面立ちは美少女の部類に入るが、気は強そうだった。
(ジュディスみたいな感じかなぁ……)
『あのような小娘と一緒にするでない!』
(いや、まあ……。つ~か、誰?)
問いかけたところ、少女は二度深呼吸してから自分の胸に手を当てる。
『妾は、術士システムの補助をしている……者じゃ』
(ほう。術士システム? それに補助者と来たか。オペレーターとか、そんな感じ?)
いきなり現れた少女が、召喚術に関わる者らしいと聞き、弘は大きく興味を持った。これまで、手探り状態でステータス画面を操作したり、召喚具を出したりしてきたが……。ようやく、マニュアルのようなものが手に入ったのかもしれない。
だが、弘の『オペレーター』発言を聞き、少女はフッと笑った。敢えて言うならば失笑である。
『この妾は、あくまでもシステムの補助者じゃ。本来、術士の貴様とは関わらぬ存在であり……こうして人の姿で話すこともないのじゃが……』
(へいへい。で? その補助者様が、俺みたいなチンピラに何の御用で?)
なんだか面倒くさい気分になった弘が聞いたところ、少女は難しそうな顔を見せた。
『用と言うか、その……。妾が本格的に起動したのは、つい先程でな。ほれ、オーガーと戦っていたであろうが?』
(ああ? あっ! そういや、戦ってる最中に『召喚妨害』って表示が出てたな! あれと関係あんのか!?)
弘は、戦闘中に出た画面表示を思い出す。
【 召喚妨害。不正な召喚術発動によりエラー発生中 】
確か、このような表示だった。
(システムの補助してるんだっけ? じゃあ、あのシステムエラーを、あんたが解消してくれたってわけだ? こいつは、礼を言っておかなきゃな。と言っても、今は頭を下げるとかが出来そうにないが……)
『気持ちだけ頂いておこう。先程も言ったが、本来なら貴様とは話すこともなかったはずなのじゃからな』
(ああ、そう。けど、礼は言っておくぜ? ありがとう。助かった)
言葉だけでなく、一礼するイメージも付け加えて弘は言った。これを受け、少女は驚きの表情になり、頬を赤く染めて目を逸らす。
『うむ。そのような態度は……嫌いではないぞ?』
その仕草が妙に可愛らしかったので、弘は口元を弛めた。だが、雑談ばかりしているわけにはいかない。弘は、オーガーとの戦闘中に発生したシステムエラーについて、そして、特殊召喚について少女に聞いてみた。
『システムエラーに関しては、表示されたとおりじゃ。原因は、おそらく至近距離で不正な召喚術が発動したこと。その影響で、貴様の召喚術システムが正常作動しなくなったのであろう』
(その口振りだと、俺が『不正』したってわけじゃないんだな? となると……)
『そのとおり。察しが良いぞ? あのオーガーこそが、不正に召喚術を使用していたのじゃ』
塾の講師のような口振り。しかし、あくまで古風な口調で少女は解説する。
(具体的には、どんな不正をしてたんだ?)
『むう……少々複雑なのじゃが……。それに妾とて、相手方の事情までは知らぬ。その上で推測混じりに話すが、良いか?』
(おう。頼む)
少女の説明によると、あのオーガー。意識それ自体は、人間のものであったらしい。ただし、人間としての意識は発狂状態にあった。しかも、モンスターが魔気を発していたことで、召喚術の操作に悪影響が出ており……結果として、術の不正使用となったのである。
(不正……不正ねえ。バグった状態で術を使う感じか?)
その不正使用によるエラーに、弘も巻き込まれたというわけだ。
(迷惑な話だ。それにしても、やっぱり奴も召喚術士だったのか。で、なんだってオーガーに人間の意識が?)
『さあな。それは妾の知らぬことじゃ』
知らないのであれば仕方ない。事前に『相手の事情は知らない』と断られたのを思い出した弘は、話題を変えることにした。
(じゃあ、特殊召喚ってのは何だ? 妙にデカい腕とか召喚具が使えたぞ?)
『うっ……。アレは……な』
それまでと打って変わり、少女がモジモジしだす。
先の対オーガー戦。途中でシステムエラーが発生したのは、すでに説明されたとおりだが、そこで緊急起動された補助システム……目の前の少女は、事態に対処しきれなかったらしい。
『通常は、ササッとエラーを解消してじゃな。召喚術を正しく使えるようにしたら、それで終わりなのじゃ』
ところが、どういうわけかそれが出来なかった。しかも、補助システム……のプログラムに過ぎない自分が、少女のようなイメージとして出現してしまっている。この状況に慌てた彼女は、補助システムをフル活用して、ステータス画面に手を出したらしい。
(つまり?)
『今のレベルでは使用できない特殊召喚を、妾が無理に使えるようにしたのじゃ……。特殊召喚は解放されていなかったせいか、システム上、隔離されておったのでな』
特殊召喚にエラーが出ていないのを確認したことで、何とか使えるのではないか……と考えたのだ。そこで、レベルアップ時に発せられる信号を偽装し、必要レベルに達したと誤認させたのである。
『とはいえ、妾には召喚具についての知識が無い。あの状況を打開できるモノが召喚できれば良いな……と、祈るような気分であったのだぞ?』
(運任せかよ……)
事情を知った弘は呆れたが、少女が無理をしてくれたおかげで助かった事実は変わらない。なので、文句を言うこともなく会話を続けている。
(んで? 俺が今、こんな状態でいる理由は?)
『……特殊召喚は、膨大なMPを消費すると思われる。無理に使用したことで、MPを根こそぎ消費したのじゃ。しかも、MPの枯渇状態から、更にMPを使い込もうとした。その結果じゃな』
(ああ、なるほど。根性搾りきった状態で、更にケンカしようとした感じか。そりゃブッ倒れるわな)
『ううっ、すまぬ……』
弘のコメントを聞いて、少女が拝むように手の平を合わせた。これに「いいから、気にすんな」と言って、弘は呟く。
(てこた、暫くすればMPが回復して、意識が戻るんだな? 安心したぜ)
その後、弘は召喚術士に関して、更には自分を召喚した者は誰なのかを聞いてみたが、少女は首を横に振った。
『すまぬな。妾は、あくまで術士システムの補助的存在に過ぎぬ。管轄外のことは何も知らぬのじゃ』
(……ふむ。じゃあ、この術士システムやシステムを作った奴に関しては? 自分の生まれや育ちみたいなのは知ってるんじゃねーか?)
『いや、それもわからぬ。すでに言うたが、妾が本格的に起動したのは先程のこと。それに……今の質問に関して考えようとすると、上手くは言えぬが、考えてはいけない気分になるのじゃ』
(情報規制って感じか。まあいいや。今聞いた話だけでも、結構重要だものな)
会話を一段落させた弘は、あくまでイメージ上でのことだが肩の力を抜いた。すると、先程まで真っ暗闇だった視界が徐々に明るくなっていく。
(俺のMPが回復したのか?)
『そのようじゃな。貴様の意識が戻ったとき、妾のことを覚えているかどうかわからぬが……。こうして話が出来たのは得難い体験であったぞ?』
(へっ? 俺の意識が戻っても、話ができるんじゃないのか?)
こうして会えた以上、そして彼女の役割上、今後も行動を共にするものと弘は思っていた。しかし、少女は首を横に振る。
『こうして話が出来たことすら例外中の例外なのじゃ。そもそも何事もなければ、妾が起動することもなかったし、本来、こういった人のイメージを形取ることもない。それに……妾自身、自分から貴様に話しかける術を持たぬのじゃ……。だから今後はどうなるか、想像もつかぬわ』
(そっか……)
短く呟いた弘は、寂しさを感じていた。この少女は、こちらの世界に来て初めて出会った『異世界転移に直接関わっている人物』なのだ。もう少し、話をしてみたい。そう思ったのである。
(じゃあ、最後に名前を教えてくれ。言い忘れてたが、俺は沢渡弘だ)
『知っておるよ。これでも補助システムなのでな。しかし、妾の名前か。妾に名など無いぞ? この姿や口調とて、貴様の記憶等から構築したモノじゃ……。だから妾に名は……。いや……』
俯き、少し寂しげに説明していた少女は、ふと弘を見上げると……悪戯っぽく笑った。
『貴様が決めてみよ』
(なんだって?)
聞き返した弘に対し、少女は言う。
『この姿は貴様の意識や、記憶の欠片を集めて構築したモノ。ならば、名前もそうあるべきであろう』
(ふうん。この俺が、あんたの名前をねぇ……)
妙なことになったと弘は思う。しかし、相手は恩人であるし、断る理由もないので少し考えてみた。
(見た目に似合った名前がいいよな?)
少女の髪は銀髪だ。銀色ということでシルバー。女性らしくシルヴィア……というのは、どうだろう。
(却下だ。補助システムってこた、俺とずっと一緒ってことだろ? 仲間にシルビアが居るってのに、そりゃないわ……)
第一案を却下した弘は、続いて少女の身なりに注目した。髪型と言い、綺麗な着物と言い、やはりお姫様を連想させる。
(ふ~ん? お姫様って言やぁ……地元のレディースに『芙蓉』ってのが居たっけ)
過去の集会時。彼女らと話をする機会があり、弘はチーム名の由来について聞いたことがあった。基本的には花の名前で、三国志に登場する豪族令嬢の名でもある。そこまで聞いた弘は、「レディースにしては、お淑やかだな」とコメントしたが、戦時中の日本軍航空隊に芙蓉部隊というのがあって、そこにも絡めた名であると聞かされ「色々と考えてやがるぜ!」と感心したものだ。
(そうだな。ふよう……芙蓉って言うのはどうだ?)
弘は少女に提案し、名の由来について説明する。少女はフンフン聞きながら頷いていたが、やがて満面の笑みを浮かべた。
『花の名であり、有力者の令嬢の名であり、軍隊の部隊名でもある……か。勇ましくも華やかで、実に良いではないか! 妾の名は芙蓉! 決まりじゃ!』
(気に入ってくれたようで、何よりだぜ)
少女……芙蓉の反応に気をよくした弘であったが、暴走族レディースの名も絡んでいる件については、黙っていた方が良いと判断している。せっかく本人が喜んでいるのだから、水を差す必要はないのだ。
『むっ? そろそろ終いか……』
芙蓉が周囲を見回しながら言うと、つられて弘も視線を巡らせた。先程よりも周囲が明るくなっており、どうやら気絶状態から回復する時が来たのだろう。
『では、達者でな。名前をくれて……感謝しておるぞ』
(ああ。また会えるといいな)
そう言う間にも、視界が白い光で埋め尽くされていく。眩しくて目をつむる瞬間、弘は苦笑する芙蓉を見た。
『妾と会うときは、システムエラーが出たときじゃがな』
そう聞いたのを最後に、弘の意識は途切れたのである。
◇◇◇◇
「ほら、な? 俺が言ったとおり、目を覚ましたじゃないか!」
「馬鹿者! やり方が雑すぎる!」
尻餅をついたラスに対し、グレースが叱責している。弘は身体を起こすと周囲を見回した。まず、視界は暗い。いや、複数のランタンにより明るくなってはいるが、夜間であるのは間違いないだろう。
(ブリジットの暗視付与が、効果切れしてる? それとも解除された? どっちだ?)
考えながら周囲を見ると、離れた位置にオーガーの死体があり、ここがオーガーと戦った広場であることがわかった。オーガーは頭部を喪失しているので、もはや立ち上がってくることはないだろう。
次に気になったのは、自分の身体がビショ濡れであることだ。
「なんだこりゃ? 雨でも降ったか?」
「すまんな、主よ! ラスが勝手に……」
「いたたたたた! 耳を引っ張るなって!」
ラスの右耳を引っ掴んだグレースが、弘の所まで来て片膝をつく。彼女の説明によると、どうやらラスが、水筒の水を弘に浴びせかけたらしい。
「止める間もなかった……」
「いや、だってさぁ」
申し訳なさそうに項垂れるグレースを見てカチンと来たのか、ラスが身振り手振りを交えながら抗弁する。
「ウルスラ達が法術を使っても駄目だったんだぜ? それにぃ、気絶した奴を起こすには水をブッかけるってのが……」
「よく聞く話だが、いきなり実行する奴があるか!」
最後まで言わせずグレースが叱責した。と、その騒ぎを聞きつけたのか、シルビアとウルスラ、そしてノーマにターニャらが弘の周囲に集まってくる。
「サワタリ殿! 気分はどうですか? 身体のどこかに痛みなどは?」
「気がついたのねぇ~。良かったわぁ。念のために、法術で体力を回復させておく~?」
「なに? ラスが何かしたの?」
「さ、サワタリさん! よろしければ、最後に召喚した大きな腕について詳細な説明を……」
「お前ら、一斉に喋るな! 俺は聖徳太子か!」
数人でワァワァ話しかけられても対応しきれない。思わずそう叫んだ弘であったが、今度は『聖徳太子とは何か?』について、説明する羽目になってしまう。
「ああ、もう! 俺の世界で昔いた偉い人だよ! 10人くらいの話をいっぺんに聞いて、きちんと受け答えを……って、そうじゃなくて! カレンとジュディスは? あの2人の姿が……」
言いつつ2人を捜したところ、シルビアとウルスラの後方で横になっているカレン達を発見した。寝ているのか気絶しているのかは定かでないが、シルビア達がこちらへ来ているぐらいなので、心配するほどのことはないのだろう。
「一応聞いておくが……カレンとジュディスは大丈夫なのか? 寝かされてるじゃねーか」
聞かれたシルビアとウルスラは顔を見合わせていたが、やがてウルスラが微笑みながら説明する。
「だ~いじょうぶよ~。カレン様の方は、無理しすぎて精神疲労に全身筋肉痛。……一部、筋とか切れてたけど、私達が法術治療で処置済みなの~」
「ジュディス様は……精神疲労のみですね」
ジュディスに関しては、シルビアが説明してくれるらしい。
対オーガー戦の終盤。ブリジット……つまりは『夜の戦乙女の指輪』に蓄積した魔力が枯渇したことで、『憑依変身』は使用者の魔力消費に切り替わった。本来であれば、ここで変身解除となるはずだが、ジュディスが変身状態を維持しようと粘ったのである。
「魔法使いのように魔力を練って溜めることができれば、もう少し持ったのでしょうが。基本的に戦士ですから……」
そもそも魔力を有していないため、すぐさま精神力消費に移行。あっという間に消費し尽くして気を失ったのだ。
「なんとまあ……。ゲームでも、戦士職は魔力とか少ない方だが……。頑張りすぎだろ?」
状況が状況だったので、少しでも長く変身状態でいたかったのだろうが……。
弘が呆れ顔で呟くと、それを見たウルスラは頷いている。
「本当にね~。でも、ブリジットが言うには暫く寝かせておけば大丈夫……ですって~」
要するに、弘がMP枯渇状態で無理をして倒れたのと、ほぼ同じ症状というわけだ。
(単にMPがゼロになるのは平気だけど、その状態で無理したら気絶か……。気をつけないとな)
自分を戒めた弘は、シルビア達の後方で寝かされている2人のうち、カレンに目を向ける。
「ジュディスに関しちゃ納得いったが。カレンが倒れる……ねぇ」
カレンの超人的な戦闘力は、あくまで鎧の増力効果によるものであり、身体の耐久力や体力自体は元のままだ。おまけに、魔力や精神力を消費して効果を持続させるので、無理して使い続けると精神消耗により倒れてしまう。要するに『夜の戦乙女の指輪』と同じタイプなのだ。
そういった事情を知らない弘が首を捻っていると、不意にジュディスが跳ね起きた。そして、弘を発見するなり駆けてくる。近くまで来た彼女は、その勢いのまま弘に飛びついた。
「ヒロシ、無事っ!? 大丈夫!?」
「ちょっ!? それ、さっきシルビアに言われたから! 心配するほどじゃね~よ!」
驚きながらも、弘は首に両腕を回してくるジュディスの頭を撫でていた。と、今度はカレンが目を覚まし、弘とジュディスの抱擁シーンを目撃する。
「むにゅ……ふに? ……あっ! ジュディスちゃん、ずるい! 私もするーっ!」
「か、カレン!? って、はやっ!?」
カレンは瞬き1回ぐらいの間で、弘の下へ移動していた。これは回復したてであるにも関わらず、鎧の力を使用したらだ。が、さすがに抱きつくにあたっては素の腕力だけにしている。こうして、座ったまま少女2人にしがみつかれた弘であったが、さすがに悪い気はしない。
しかし、そういう思いが顔に出たのだろう。グレースやシルビア達が渋面となり、それを見た弘は咳払いをした。
(いかんいかん。いくら女性陣の仲が悪くないとはいえ……だ。この俺が、だらしなく鼻の下を伸ばしてちゃあ……)
(『良い気がせんわなぁ』)
「へっ?」
自分の内心での呟き。その最後の部分を誰かが言ったので、弘は思わず声に出してしまった。これを聞いたカレンとジュディス、そして周囲にいるグレース達は怪訝そうな顔になるが、それよりも弘が気にしたのは今聞いた声だ。
(これって、もしかして……)
「そう! 妾じゃ!」
ぽむん!
可愛らしく聞こえる破裂音と共に、着物姿の少女が出現する。年の頃は10歳前後。銀の髪、整った顔立ち。時代劇のお姫様のような姿の芙蓉は、ブリジットのように宙に浮きながら弘を見た。
「思いのほか早く、再会ができたのぉ?」
「いや待てよ。またエラーか何か出たのか?」
芙蓉は召喚術を運用するシステム(?)の補助システムだ。ついさっき教わったばかりだが、普段は活動を休止しているらしい。なのに、こうして出てきたのは、またエラーが出たからではないか。そう考えた弘が問いただすと、芙蓉は難しそうな顔をしてみせた。
「それがな。よくわからんのじゃ。本来であれば、妾は活動停止するはず」
にもかかわらず、芙蓉は起動したままであり、こうして外にも出てこられたと言う。
「まあ、外部にイメージを映し出せて、あとは話ができるだけじゃがな」
「そっか」
こうして聞いていると、ブリジットのように戦闘参加することはできないようだ。しかし、召喚術に関して相談できる相手が居るというのは、弘からすると実にありがたい。
「ともあれ、今後ともよろしく頼みたいねぇ」
「妾こそ。よろしく頼む」
そう言って互いにニッコリ笑うが、その弘の服の袖をカレンが引いた。
「あの、サワタリさん? そちらの方は……どなたですか?」