第百二十八話 現れたモノ
「というわけで。俺は、異世界から来た人間ってこった」
弘が、自身の身の上話を終えた。当然ながら、ジュディスパーティーの面々から幾つかの質問を受けるが、「日本とはどんな国なのか?」、「変わったモンスターは居るのか?」、「宗教はどうなっているのか?」といった内容だったので、知っている範囲で適当に応えている。
(たまには、脚色して喋ってみたいかもな……)
元の世界。つまり日本の話をするのは、ジュディス達が相手で3~4回目ぐらいだ。さすがに話し慣れてきた感もあるので、たまには話を盛ってみたい。
(例えば……何回も宇宙人に侵略されてて。その都度、巨大ロボットで撃退したとか何とか……)
そういう悪戯心が沸き上がってきたが、この場にはカレンやグレースなど、同じ話を以前に聞いた者が居る。悪ふざけでデタラメ話をしたら、さすがに叱られるだろう。
(それに、今は仕事中だからな)
倒すべきモンスターが、どこかで潜んでいるのだ。脱線するのは、程々にしておくべきだろう。
(休憩時間も長くなってきたし、この辺にしておくか)
弘は質問が途切れたのを見て、会話を締めくくる。
「こんなところだな。もういいだろ?」
「むう~。もっと聞きたかったけど、仕方ないわね」
皆で輪になって座る中、弘の正面で居るジュディスが残念そうに呟いた。それに対し「気が向いたら、また話してやるよ」と付け加えた弘は、立ち上がってタイリース達を見る。彼らは4人共が縛り上げられ、離れた場所で転がされていた。無論、放置していたわけではなく、カレンとグレースが見張りとして付いている。2人は、以前に弘の身の上話を聞いており、話が終わるまでの間、見張りを買って出てくれていたのだ。
「本格的にオーガーを探す前に、連中に少し話を聞いておくか」
「ねえ、ヒロシ?」
歩き出そうとした弘を、ジュディスが呼び止める。
「あなた、元の世界に帰りたいと思わないの? ご両親に会いたいとか、あるんじゃないの?」
弘は足を止めると、ジュディスを振り返った。
「元の世界に帰りたいとは思わないな。俺は、あっちでは上手く生きられなかった口だ。だから、こっちの世界で一旗揚げたい……いや、そうだな。上手く生きていきたいって感じかな。両親に関しちゃ……」
言いつつ、日本で居るはずの両親の顔を思い浮かべる。双方、普通のサラリーマンであり、普通の主婦だ。学生時代には不良だったので苦労をかけ、社会人になってからは就職しても長続きせず、やはり苦労をかけた。
(……たぶん俺は、元居た世界じゃ行方不明扱いだな)
両親達は心配してくれるだろうが、不良息子が行方不明……蒸発したことで、世間体の悪い思いもしているはずだ。
(俺のこと。諦めてくれてると、いいんだけどな……)
そう簡単にはいかないだろう。だが、もう自分は子供ではない。れっきとした成人男性だ。こちらの世界が気に入っている以上、こちらで生きていきたいし、それを自分の意志で決めて良い年頃である。
「両親に関しちゃ、俺は家出したも同然で……親不孝極まりないが……。まあ、良いんだ。これでな」
そう言って、弘は会話を打ち切った。極プライベートな話でもあるし、詳細を語る気もない。今の自分が、両親に対して義理を欠いていることは理解できている。しかし、そのことで他人から説教などされたくはないのだ。
(それにだ。ここには坊さんが2人も居るからな……)
シルビアとウルスラは今のところは黙っているが、彼女らが口を挟んできたら面倒くさいことになる。弘は再びタイリースらの元へ歩き出すと、カレンに声をかけた。
「どうだ? タイリースは目を覚ましたか?」
「それが……偵察士や、戦士の人達は意識を取り戻しているんですけど……」
偵察士からは矢を抜いてあり、法術治療こそしていないものの簡単な手当はしてある。戦士達は、ノーマの投石を受けて昏倒しただけなので、こちらは拘束して暫くすると目を覚ましたらしい。ただ、タイリースだけが気絶したままなのだと、カレンは言った。
「む~? 力の加減を間違えたかな?」
木刀ではなく、素手でブン殴れば良かったか。そう思う弘であったが、タイリースには早く目を覚まして欲しいところだ。したがって、彼が覚醒するための手立てを考えることとなる。
「……よし。タイリースが目を覚ますまで、殴ったり蹴ったりしようか」
「ちょっ!? 待てよ、待ってくれ!」
それまでグッタリしていたタイリースが、顔を上げて抗議した。縛り上げられたまま横になっているので、モガモガ動くと芋虫のようにも見える。
「縛られてる人間に乱暴するのは、よしてくれ。何て酷いことを考えつくんだ、まったく」
「やっぱし気絶のフリか? 定番だな。つ~か、襲って来たくせに、なんで被害者面なんだよ?」
幾分気を悪くした弘だったが、そのことは一先ず脇に置き、タイリースへの質問を開始した。
「と、その前に。指輪は返して貰うか」
そう言って手を伸ばした先は、タイリースのズボンポケット。そこに、奪われたブリジットの指輪があるはずだった。暫く探って目当ての物を見つけた弘は、後ろで居るジュディスに向けて投げる。投じられた指輪を片手で受けとったジュディスは、少し焦った様子で右手の薬指にはめた。
「ね、ねえ? ブリジット?」
「はい。お呼びですか?」
身長数十センチ。妖精のようにも見える漆黒の戦乙女が、ジュディスの眼前で出現する。
「何ともない? 無事だった?」
「はい。指輪に指を通されませんでしたので、守護対象に変更はありません」
ジュディスが聞いた「無事か?」とは、そういった意味ではないのだが、ジュディスは安堵の息を吐いて脱力した。
「心配したわよ。……ごめんなさい。ウルスラが危なかったからって、あなたを引き渡すようなことをして……」
「いえ。あの場合、ジュディスさんの行動は正しかったと判断します」
ジュディスの行動を肯定した上で、ブリジットは言う。タイリースの手に渡ったとはいえ、指輪に指を通さない以上は、守護対象はジュディスのままなのだ。であるならば、今は夜間であるし、隙を見て実体化。極至近距離からタイリースに攻撃する手もあった。
「やはりウルスラさんが危険だったので、手出しできなかったわけですが……」
「しかたないわよ。それにしても、気になってたんだけど……」
「はい?」
ジュディスは、胸ぐらいの高さで浮いているブリジットに問う。夜の戦乙女とは、つまりは神の使途だ。その意味で言うなら、ブリジットは神様の端くれなのである。
「どうして私達に対して『さん』付けなの?」
「……私は罰を受けている身です。それが敵対者でもない限り、偉そうに呼び捨てするなどできません」
「なるほど。それで『さん』付けなわけね。ああ、そうか。別に主従関係ってわけでもないから、あたし達を『様』付けで呼ぶわけにもいかないものねぇ。あなた、神様なんだし」
「御理解いただけたようで、何よりです」
こういった2人の様子を弘は横目で見ていたが、おもむろに咳払いをしつつ、タイリースの前でしゃがみ込んだ。
「さて? それじゃあ……あんたらの話だ。あの指輪が目当てだったようだが、失敗して残念だったな? あれだけのことして、ただで済むとは思ってね~よなぁ?」
ああ~ん? と眼ツケしたところ、タイリースの表情が目に見えて強張る。どうやら拷問でもされると思ったらしい。弘としてはカレン達が居る手前、そう惨いことをする気は無かったのだが……。
(召喚タバコで、デコに根性焼きぐらいするかもしれね~けどな!)
そういう目にタイリースが遭うかどうか。それは、彼の態度次第だ。
「ふむ……」
弘はタイリースには見えないよう、後ろ手にタバコを召喚すると、念動着火してから口にくわえた。その動作を……特に御禁制品であるはずのタバコを見て、タイリースが目を丸くする。
「おい、それ……タバコじゃないか? また値の張る、いや……バレたら危な……」
「そ~だけど。質問するのは俺だ」
聞きたい事……と言うより気になっていた事は、なぜタイリース達が、さっきのタイミングで襲撃してきたかだ。
「俺とウルスラが、2人だけでパーティーを離れたから。それで、チャンスだと思ったのか?」
そう考えると好判断のように思えるが、結果としてタイリース達は倒され、こうして捕らわれている。弘達が松明やランタンの類を使用していなかったので、タイリース側も灯火の使用を控えることとなり、この暗闇の中、相手人数を見誤ったのが敗因だ。
(ノーマが居ないことを、攻撃されるまで気づかなかったからな。まあ、俺達の運が良かったって言やあそれまでだけど)
「こうなる可能性があったわけだし。せめて、俺達が警戒を解くとか、見つけたオーガーと戦闘になるまで待ってても良かったんじゃね?」
「……そうしようと、してたんだけどな」
歯切れの悪い物言いでタイリースが言う。それを弘は、失態の理由を説明させられているからか? と考えていたが、どうも違うらしい。
「藪や茂みの中で待っているうちに……な~んか、早く仕掛けなくちゃ……とか。いいから、とにかくやっちまえ! 的な気分になったんだ。もう、わけわかんね~よ」
「ふうん……」
嘘をついている様子は無いようだ。
などと判断ができるほど、弘は観察眼がないし、人間だって練れていない。あるいは、レベルアップによって知力や賢さが上昇しているものの、いま少し数値が足りないのかもしれなかった。
「タイリースが、本当のことを言ってるとしてだ」
独り言として呟きながら、弘は言い終わりにカレン達を見る。
「後で振り返って、本人が首傾げるくらいの心変わりだってよ? どう思う?」
「げ、現状、思い当たるのは、森から発生している魔気です」
舌っ足らずな口調でターニャが発言した。
「やっぱ、それが気になるよなぁ」
頷いた弘は、クリュセダンジョンでパーティーを組んでいた頃を思い出す。あのとき、自分のパーティーに居た魔法使いはメルだった。中年期の魔法使いとしては、並程度の実力らしいが、彼の知識には大いに助けられたものだ。
(なんかこう、魔法使いが自分と同じ意見だと思うと……自信が湧いてくるな)
他のメンバーから異論が出ないと見た弘は、ジュディスの傍らで浮遊しているブリジットに話しかける。
「ブリジット? 今、森の中の魔気はどうなってる?」
「全体的な濃度が増していますね。ここまで濃くなると、人間は正しい思考を保てないでしょう」
流れるように答えたブリジットを、弘は少し険しい目で見た。
「そういう大事なことは、もっと早く言うもんじゃね~の?」
「パーティーメンバーは私の守護下にあります。多少、魔気が濃度を増したところで問題はないからです」
そう言ってブリジットが胸を張る。どうやら、自分の力に自信があるので黙っていたらしい。
「気になることがあったら、どんどん言ってくれよ。守護対象はジュディスに移ったんだろうが、今はパーティー行動してるんだからさ」
感情的に怒鳴りつけるのもどうかと思い、努めて諭すように言ったところ、ブリジットはジュディスと何事か相談した後で頷いている。
「了解しました。ヒロシさんの指示に従います」
どうやら、弘の指示に従うべきかどうかをジュディスと相談していたらしい。弘は「わかってくれたなら良い」と頷いたが、ブリジットの態度には、やりにくさを感じていた。
(守護から外れると、こんなもんか? 契約の切れ目が縁の切れ目ってか?)
日本に居た頃。コンビニのバイトをクビ(顔傷のせいで、客が怖がるというのが理由)になった後で、同店に客として訪れる機会があった。その際、かつて上司だった店長から、嫌味なことを言われた記憶があるのだが……。
(あんな感じか? いや、違うか? ……どうでもいいか……)
何となく過去の事例を思い起こしたが、それでまた妙な気分になったので、弘は顔をブンブンと振った。
(今は、目の前の事態に対処しなくちゃ)
ブリジットは「魔気が濃くなっている」と言ったが、それによって生じる事態について、弘は聞いた覚えがあった。
(山賊時代に、ゴメスさんから聞かされたっけ)
大陸中央部にある、魔物の密集生息域。そこを人は『魔界』と呼ぶ。魔族や魔物が多いだけあって、人体に有害な魔気で満ちた危険地帯らしいのだが……。
「魔気が濃いってこたぁ、その魔界に似た環境になってるわけか。そりゃあ身体に悪いはずだぜ」
言いつつブリジットを見ると、彼女が頷いているのが確認できた。今の考え方で間違いないらしい。
「けど、ブリジットの守護を受けてる以上、魔気に関しては考えなくていいわけだ。だったら、ここはオーガーの捜索を本格的に始めるとするか。もちろん、ブリジットが前に言ってた、魔気の元凶みたいな奴。そいつを見つけたら、優先してブッ倒すとするぜ。ウルスラを解放するのが第一だからな」
この方針を告げると皆が同意を示し、弘達はグレースやブリジットの意見報告を頼りに、森の探索へと……。
「お~い! 待て待て! 俺達は、このままかよ!」
縛られたままのタイリースが、歩き出そうとした弘を呼び止める。彼のパーティーメンバーである戦士や偵察士らも、モガモガ蠢きながら一緒に騒いでいた。
「そうだ、そうだ! せめて解放しろ!」
「解放しろったって……なぁ?」
ヘラヘラ笑いながらラスが言うので、弘は同じく笑いながら頷き、タイリースに言い放つ。
「お前らを解放して、何かいいことあるのか? ホブゴブリン共は片付けたっぽいし、暫くそのままで居てろよ」
気が向いたら帰りに拾って、キャンプ地までは連れて行ってやる。
そのようなことを言い足し、弘は仲間を連れて森の奥へと歩き出した。その背にタイリース達の罵声が飛ぶが、気にしてはいられない。
「とはいえ、別の意味で放置もできないか。ジュディス~? ちょっといいか?」
隊列後尾に居るジュディスを呼びつけ、弘は用件を述べた。
「ブリジットに頼んでだな。魔気からの守護対象にタイリース達を含めてもらってくれ」
「えっ? 彼らも守るのですか?」
そう口を挟んできたのはシルビアである。光の神の信徒としては、無法者達には試練や罰が必要だと考えていたらしい。少なくとも、守ってやるという考えは無いようだ。
「いや、俺だって魔気のことがなけりゃ、放置したままにしてやりたいんだがな」
魔気が濃くなると、人間の人格や思考に悪影響が出る。先の襲撃時、タイリースらが事前の思惑を無視して強襲してきたのが良い例だ。このままタイリース達を放置しておくと、再び魔気に捕らわれて妙な行動を起こしかねない。そう、弘は考えていた。
「縛ってても安心できねーんだよ」
「かと言って……冷静でいられてもねぇ。連中、何しでかすかわからないわよ?」
ジュディスに言われた弘は「それも、そうなんだよなぁ」と呟く。
タイリース達を魔気から守るか、守らないか。果たして、どちらが正解なのだろうか。
少し考えた末、弘はタイリース達を……ブリジットの守護から外すことにした。
「この後、オーガーとか魔気の元凶とか、そういうのを相手するわけだ。それを考えると、ブリジットの負担が増すのは良くない。タイリース達は……放っておこう」
ゲーム感覚で言えば、今はボス戦やイベント戦の直前だと言っていい。だとしたら、自パーティーの消耗は可能な限り避けるべきだろう。
「タイリース達が、また魔気の影響を受けて変になったら?」
後方のラスが聞いてくるので、弘は肩をすくめ答えた。
「4人とも縛ってあるから大丈夫だろ? 仮に縄を解いて襲ってきても、さっきと同じで撃退するまでだ。とはいえ、一応は気をつけておくとしよ~ぜ?」
なお、次にタイリース達が襲ってきたら、正気だろうと魔気の影響下にあろうと、殺処分とする。こっちは聖人君子や仏様ではないし、何度も襲いかかられて、その都度手加減してやるほど甘くはないのだ。
この方針に異議が出なかったので、弘は皆を促し歩き出す。
「あとはオーガーを捜索して、退治して……か。それで諸々、解決すりゃいいんだけどな……」
暗視付与のおかげで明るく見える森。立ち木や茂みなどを見回しながら、弘は独り呟くのだった。
◇◇◇◇
タイリース達と別れてから数分。
オーガーの捜索は、弘が思っていたよりも順調に進捗していた。まず、ノーマがオーガーの足跡を発見したのが大きい。彼女が言うには「ブリジットのおかげで明るく見えるから、発見するのは簡単だったわ」とのこと。しかし、説明を受けなければ判別ができない痕跡であるため、やはりノーマの功績は大であろう。
そして、もう一つ大きな変化があった。ノーマを先頭にオーガーの足跡を追跡していたところ、一行を取り巻く魔気の濃度が更に上昇したのである。
「魔気の流れからすると、前方に発生源があるのは間違いないでしょう」
そうブリジットが言い切ったことで、弘は次のように思った。
「この魔気って、やっぱオーガーと関係あるんじゃね?」
確証はないが、そうであるなら好都合。そのオーガーさえ倒せば、ウルスラが魔気の糸から解放される……かもしれないのだ。
「主よ。風の精霊から報告があったぞ」
更に森の奥へ進むと、今度はグレースが報告してくる。
「しばらく進んだ場所で、洞窟らしきモノを発見したらしい。その周辺には、風の精霊が近づけなくてな。遠巻きに調べさせていたのだが……」
精霊達からの報告を組み合わせ、「大きな洞窟がある」という意味が読み取れたとのこと。
「ふうん。精霊が近寄れないとか、それも魔気のせいかな? だとしたら、ブリジットが居なかったら、マジでヤバかったな」
拾得アイテムが次の移動先で役に立つ。御都合的に感じるが、事実として自分達の助けになっているのだから、文句を言う筋合いはない。
(ブリジットが居なけりゃ居ないで、クロニウスのギルドまで走って……アラン支部長に泣きつきゃ良かったんだしな)
ベテラン冒険者であるアランなら何とかしてくれただろうし、彼でも無理なら、支部長名で王都本部に救援要請をして貰う手もあった。なんにせよ、今のところは自分達だけで解決できる見込みがある。
「よし。グレースが見つけた洞窟に行くぞ。オーガーが居ると、いいよな!」
半ば自分に言い聞かせるように号令を出すと、弘はグレースから聞いたとおり、進路そのままに移動を再開した。そして、十数分ほど経過した頃になって、一行は開けた場所に出る。
「森林地帯の中にポッカリ開けた場所があって、山肌みたいなところには洞窟の入口が……か」
見たままの光景。それを弘は、まるで解説するように言った。
眼前の光景は、かつてのゴメス山賊団の隠れ家を連想させるものであり、感慨深い思いにとらわれたのだ。だが、それも一瞬のことで、弘は皆を呼び集めた。
「さ~て、それっぽい場所に到着したわけだが……。ブリジット? 魔気は、どんな感じだ?」
「魔気は、主に洞窟の入口から流れ出しています。物凄い濃度ですね。この場に何の備えも無しで居たら、卒倒して……そのまま衰弱死してしまうでしょう」
このブリジットの説明を受け、弘達は一様に表情を渋くした。
『仮に、自分達を守っているブリジットの守護が無くなったとしたら。パーティーから、卒倒者が続出する』
そう告げられたも同然だからだ。
「やれやれ。不測の事態って言うのか? メンドくせぇ事になる前に、けりつけね~とな」
弘は、右手を首の後ろに回して首筋を何度か揉む。次いで首をグルリと回してから、再び口を開いた。
「この奥に居る奴が、オーガーかどうかは知らんが……。こんな、魔気だだ漏れの場所に居るような奴、今の状況と無関係なわけないぜ。そういうわけで……みんな、戦闘準備だ」
弘は皆に戦闘態勢を取るように言うと、各自が配置につくのを待つ。
洞窟を正面に見て、前列左からラス、ジュディス、弘、カレン。後列は左からノーマ、ウルスラ、ターニャ、シルビア、グーレス。このように皆が移動を終えると、弘は手榴弾を1つ召喚した。
「一応、声はかけるぞ? 少し待って反応が無いようなら、この爆発する召喚具を放り込む。それで倒せるなら、良し。もし、中に居る奴が飛び出してきたら……。総掛かりでやっつける。そういう段取りだ」
皆が頷き、それを確認した弘は洞窟内部に向けて叫ぶ。
「こんばんは~っ! 冒険者ギルドの者ですがぁ!」
これから、命を懸けた戦いが始まるかもしれない。そういう状況に、まるで似合わない声かけをしたので、弘に注目していた者達は少なからず脱力した。そんな中、いち早く復活したのがラスであり、疲れ声で弘にツッコミを入れる。
「あのな。もうちょっと、その……気合いの入ったこと、言ったら?」
「え~? でも、ギルドの仕事上、必要な挨拶じゃね~の? 俺ら、押し込み強盗じゃないんだからさぁ。それに万が一、中に居るのが普通の……」
ゴアアアアアアアッ!
弘の声を遮って、雷鳴のような雄叫びが聞こえてきた。その発生源は目の前の洞窟だ。暫くして雄叫びが聞こえなくなると、ラスが弘を見てニンマリ笑う。
「普通の……オーガーだったみて~だな」
「……まあ、それが確認できて良かった。ってことよ」
仏頂面で弘は手榴弾のピンを抜いた。そして渾身の力を込めて、洞窟内へ投じる。
ズバシ! という、およそ人間が投擲したとは思えないような風切り音が発生し、投じられた手榴弾は洞窟内へと消えていった。洞窟内は、ブリジットの暗視付与によって見通せていたものの、通路がカーブしているところで壁に当たり、手榴弾は見えない部分へと飛んでいく。そして……。
ズガァアアン!
先程の雄叫びを上回る大音響が、洞窟内部から聞こえてきた。それと同時に、再びオーガーのものと思われる雄叫びが聞こえてくる。
「で、出てくると思う?」
弘の左隣で立つジュディスが言うと、弘……ではなく、後列のグレースが答えた。
「巣穴にちょっかいを出されたら、頭にきて飛び出してくる。ケダモノとは、そういうものだ。たいがいはな……」
「そ、そうじゃないケダモノは、どうするんですかぁ?」
不安そうにしているターニャが聞くと、グレースは微笑みながら続ける。
「弱ければ巣穴の奥で縮こまっているだろう。だが、自分の強さに自信があるのなら……」
「サワタリさん! 奥の方から足音が!」
洞窟奥からズシズシと重い足音が聞こえてくる。カレンが叫んだことで、洞窟に注意を戻しながら、グレースは最後に付け加えた。
「どうやら、頭に血が上りやすいタイプだったようだ」
森に生きるエルフだけあって、グレースはモンスターも狩りの対象としている。こういう状況は、彼女にとってなじみ深いものなのだ。だが、そんな落ち着き払った彼女の顔が、洞窟から出てきたモノを見て引きつる。
「何だ……あれは……」
洞窟の奥から姿を見せたのは、身の丈3メートルほど。ミノタウロスよりも若干背丈は低いが、筋肉量では勝っている人型の大型モンスター。いわゆるオーガーだった。
耳元まで裂けた口。そこに並ぶ無数の牙。尖った耳。頭頂部の2本角。毛皮を腰に巻いただけの姿は……弘に言わせると、日本のおとぎ話で見かける『鬼』のようだ。
しかし、このオーガーには、グレースを驚かせるだけの特徴があった。
「あれ何? 黒いモヤみたいなのが漂ってる。いえ、身体にまとわりついてる?」
ただならぬ光景に、長剣を構えたジュディスが後ずさる。一方、弘は目を細めてオーガーを観察していた。
「んん~? 魔気がど~とかって状況なんだし。オーガーが、原理不明なアレで魔気を身にまとってる~……とか、そんな感じじゃね~の?」
そ~いうの、お約束じゃん。なあ? と、魔気に詳しいブリジットを見たところ、なんとブリジットまでが驚いている。
「違います! 魔気は普通に見えたりはしません。それにアレは、魔気ではなく別なものです!」
「魔気じゃなかったら何なんだよ? もうイイや、サッサと倒しちまお~ぜ?」
姿を現した敵の前で、長話をするわけにはいかない。弘は召喚武具の中から、長巻を選んで召喚した。ここへ来るまでは狭かったが、この広場なら長巻のような大型武器も扱いやすいだろう。
「うし! やるぜ!」
瞬時に出現した長巻を手に取ると、弘はオーガーに向けて構えてみた。だが、その姿を見てオーガーが右手を弘に突き出す。
「ヤ、闇ノ大……鎌……」
ゴロゴロと喉を鳴らしながらオーガーが発した声。それはオーガーという種族の言語ではなく、明らかに共通語だった。人語を喋るオーガーに皆が驚愕したが、続いて生じた現象は、更なる驚きを弘達にもたらす。
オーガーの身体にまとわりついていた黒いモヤが、急激に増えて右掌に集まると、巨大な鎌を形取ったのだ。
「いいや、増えたんじゃないな。どこからともなく黒いモヤが湧いて出た感じだったぜ」
独り呟く弘の背を、冷たいモノが伝って落ちる。
「よお? オメー。今の、まるでアイテム欄取り出しみてーだったな?」
オーガーに語りかけながら、弘は長巻を握り直した。
「それか、俺と同じで……召喚術ってやつじゃねーの?」