第百二十話 森で何が起こったか?
ブルターク商店における拾得物の買い取り額は、弘にとって満足のいくものとなった。
特殊金属製のロッカー数点と、ガードアーマーの残骸。これらは金貨で5枚分。弘の感覚で言えば、日本円にして約500万円である。
「しっかし、よくわかんね~な」
店長から手渡された金貨5枚を見ながら、弘は首を傾げた。銀貨1枚で1万円相当というのも高価だと思うが、それが100枚分で金貨1枚に相当する。つまり金貨1枚は100万円相当なのだ。
(前から思ってたけど、やたら価値が高いんだよな。独自に金山とか見つけて、勝手に金貨を造ったら大儲けできるんじゃないか?)
そこでカレンに聞いてみたところ、銀貨や金貨が高価値である理由を教えて貰った。
「金や銀は、大規模な魔法儀式の触媒になりますから。それ自体に価値があるんですよ」
「ほうほう。アレだな、たまにRPGなんかで見かける設定だ。さすがは魔法とかがある世界だぜ」
詳しい理屈はわからない。だが、ゲームで似たような事例を見たことがある弘は「そういうものか」といった具合に納得した。なお、石器時代モノの漫画であるような巨大な石貨も連想していたが、こちらはチラッと考えたのみである。
「じゃあ、例えばメルに金貨を渡したら凄い魔法が使えたりするのか?」
「サワタリ殿。金で行う魔法儀式は複雑です」
カレンに代わってシルビアが口を開いた。彼女の説明によると、金と銀では使用に当たる難易度が大きく違うらしい。
「大きく違うのは、銀を使用する場合は1人で何とかなることが多く、金を使用する場合は、最低でも2人は術者が必要になるということです」
人数が必要な理由としては、同時に複数種の魔力波動が必要であるとか、1人では発音できない詠唱を複数人で行ったりする場合などだ。そして、金を使用して発動されるのは、広範囲を攻撃する魔法であったり、戦域内の味方の負傷を一気に癒したりするなど、大規模な魔法であることが多い。なお、銀であれば、弘が考えたように魔法発動に際しての増強アイテムとなるが、それとて長い呪文詠唱が必要なので、戦闘中に使用するのは難しいとのこと。
「銀は個人で使えるパワーアップアイテムで、金は集団でしか使えないマップ兵器……って感じか。なるほどねぇ」
弘は、昔やったシミュレーションゲームを例に挙げて感心した。
更に聞いたところでは、金には他にも様々な使用制限があるらしく、民間での使用には困難が付きまとうとシルビアは言う。
「実際には、各国ごとに秘伝と呼ばれる儀式法があって、それがなければ効率の良い運用ができないのです。下手をすれば自分が吹き飛んでしまいますから」
「それに……ねぇ。1枚当たりの単価が高すぎるのも困りものよ? 盗難に遭いやすいし。あと、重いから保管が難しいわね。そうなると、より価値のある宝石に換えたりすることも多いわけ」
ノーマがシルビアの後を継いで説明した。
貨幣よりも宝石の方が価値がある。これは元の世界でもあったことだし、ゲームでも概ねはそうだった。だから弘は、すんなりと納得している。
こうして銀と金については、色々と教わったことで『また一つ賢くなった』気のする弘であった。
(金や銀で魔法触媒になるんだったら、宝石でも色々ありそうだな。ってか、むしろゲーム的には宝石の方がなんかありそうだよな。魔法かぁ、すげーよな。……そういや)
クリュセに残こしてきたメルが、魔法使いとしてはどの程度の使い手なのか。弘は、ふと気になった。これまでの冒険の中で、かなり有能であることは自らの目で見て確認しているが、カレン達から見た場合。果たして、どうなのだろうか。
これに関してはノーマが答えてくれる。
「そりゃあ魔法の使い手としては、優秀よ? でも、あの年頃で言えば中の下じゃないかしら? 言い方を変えると、多少頑張った若手並み? だけど、実家のある王都では学者業がメインだそうだし。ムーンのパーティーには、確か論文を書くのに冒険者としての体験がしたい……とか何とか。そんな理由で参入してたんだっけね」
とはいえ、その知識や知力は相当なものであったため、ムーンパーティー在籍時はノーマも随分と助けられたらしい。
「そういやレクト村事件の時は、俺も色々助言して貰ったっけか」
投入できる魔力の大小だとか、使用できる呪文の数や種類。そういったこととは別の方面で、メルは魔法使いとして優秀だったわけだ。
「ちなみにジュディスのところに居るターニャは、年は若いけれど才能はあるって聞いたわね。真面目にやればメルを大きく超えそう……というのは、メル本人が言ってたことだけど」
言い終えてノーマはチロリと舌を出す。そのおどけた仕草に、思わず頬を弛めた弘であったが、店主の視線がキツくなってきているので退散することにした。
「用も済んだことだし、店ん中で立ち話も迷惑だ。次に行こうぜ」
次とは、食料の買い足しや馬車の借り受けである。特に別の意見が出ることもなかったため、弘は皆を連れてブルターク商店を後にした。
◇◇◇◇
食料に関しては、使った分よりも多めに買い込んでいる。弘が1人で使用すると3ヶ月は持つ量だ。そんなに買い込んでどうするのか……と指摘したのはノーマであるが、これに対して弘は「ジュディスとの用件が済んだら、山ごもり……いや、ダンジョンごもりするつもりだから。余裕を見て買い込んだんだ」と答えている。修行期間は2ヶ月間程度を見込んでいるので、多少贅沢に飲み食いしても大丈夫だろう。
付け加えると、町の通りを移動している際に、屋台の串焼きや菓子類も買い込んでいた。弘のアイテム欄収納は、収納時のまま内部で時間凍結される為、購入時に温かいモノは時間がたってから取り出しても温かいままなのだ。
そうして食料の買い足しを終えると、最後の用件……馬車の借り出しに向かう。クロニウスぐらいの都市ともなると、冒険者相手の馬や馬車のレンタル店があり、そこで借り出すことにしたのだ。
「レンタル時に前金で賃料と、保証金を支払うのか。合わせて馬車を買うぐらいの金になるけど、そんなもんだよな」
店主から一通りの説明を受けた弘は、納得して頷いている。
ちゃんと返しに来れば保証金が返ってくるシステムなのだ。借り主が馬車等を持ち逃げする可能性を考えれば、理にかなったシステムだと言える。
「そして冒険の最中に馬が死んだり、馬車が使い物にならなくなるほど壊れた場合。保証金は返ってこない……か」
その点についても納得した弘は、店主に言われただけの金を手渡した。その金額、なんと銀貨60枚。これとは別に、1日あたり銅貨50枚の賃料がかかるという。先ほど手渡した額とは別に、本日分の賃料を求めて手の平を出す店主。彼を見た弘は、思わず振り返ってノーマを見た。
「なあ? これってどうなんだ? お高いのか?」
「普通よ。ヒロシの世か……じゃなかった故郷じゃ、どうだったか知らないけど。馬車は結構な財産だから。そこに馬が2頭付いてくるんだから、こんなものでしょ?」
「ああ、そう」
ノーマは「だから、賃料はヒロシが払うのかって聞いたのに」などと言っているが、その理由を説明してくれなかったのだから、弘としては面白くない話だ。しかし、ここまで来て払わないわけにもいかない。弘は本日分として、銅貨50枚を支払うと馬車を借りることにしたのだった。なお、借りた馬車は二頭立ての幌馬車で、御者と助手を含めて16人乗れる大型だ。弘達は現状5人だからオーバースペックと言えるが、帰りはジュディス達を乗せるつもりであったのと、鎧や盾、その他バックパック類を抱えた冒険者が乗り込むのだからと大型の馬車を選んだのである。
その後、町外れの馬房と倉庫から馬車一式を借り受けたとき。その馬車の大きさにノーマが苦笑しながら言った。
「普段は徒歩移動ばかりなのに、こうして見ると贅沢な話よねぇ。私達が乗るだけだったら、もっと小さくて安いのが借りられたんじゃないの?」
「んなこと言ってもなぁ。ジュディス達とは早く合流したいし? 向こうで合流した後、『じゃあ、俺達だけ先にクロニウスに帰ってるから』ってわけにもいかねーからさ。まあ、たまにはイイじゃん?」
言いながら、弘自身「金を使いすぎたかな?」と思っている。しかし、これから頑張って稼げばいいのだし、今回は必要な出費なんだ……と自分に言い聞かせることとした。
こうして必要な準備を整えた弘達は、ギルド酒場に戻って遅めの昼食を取るなどしている。その後は、鐘2つがなるまで休憩(女性陣は、別途買い物などしていたようだ。)してから、予定どおり南東部の森林地帯目指して出発するのだった。
◇◇◇◇
弘達がクロニウスを出たのは、昼と夕刻の中間くらいのことである。
さすがに馬車移動しているだけあって、街道を(徒歩行に比べると)高速移動していたが、やはりモンスターや野盗は出没した。
「はいはい。手綱ゆるめて……はい、ここで真っ直ぐ向き直るように、こっちを引いて……。うん?」
御者席で弘に指導していたノーマが、街道前方、その脇にある草むらを見て視線を鋭くする。
「ど、どうかしたか?」
慣れない手つきで手綱を握っていた弘は、ノーマが唸るのを耳にしてはいたが、その視線の先を見る余裕がなかった。
「あそこ! 右前50メートルの辺りにある草むら! 何か居る!」
「へっ? 野盗? モンスター? ちょ、今馬車を停めるから……って、うお!?」
教わったばかりの方法で馬車を停めると、弘はノーマが指し示す方向を見た。この世界ではメートル法が広く採用されているので、弘としては距離が把握しやすくて大いに助かっている。これもまた過去の異世界転移者が広めたものなのだろうが、そんなことに思いを馳せている場合ではない。相手側でも、ノーマや弘が気づいたようなのが見えたらしく、一斉に立ち上がった。
「野盗の方だな。数は20人くらいか……。多いな。長剣に手槍……げっ! 長弓持ちが5人ほどいるぞ!? り、リーダーは……あいつかな?」
向かって中央右寄りに、比較的長身でガッシリした体格の男が居た。周囲の者達が良くて革鎧なのに対し、彼のみ板金製の胸甲を装着している。手に持っているのは大振りな曲刀のようだが……。
(中国とかで言う柳葉刀みてーな感じだな)
「サワタリさん! どうかしましたか!?」
馬車の中からカレンが顔を出す。しかし、弘が何か言う前に彼女はサッと顔色を変えた。
「野盗ですね! 馬車を降ります!」
「そうしてくれ!」
降りますか? と聞かないあたり、さすがに場慣れしている。荷台の方からは「野盗が出ましたよ! 降りましょう!」と声がけしているのが聞こえ、弘は頷きながら手榴弾を召喚した。
(自発的に馬車を降りてくれて助かるぜ。矢を射かけられたら危ないからな)
荷台は木造だが上部は幌がけであるため、矢の威力によっては簡単に貫通してしまうのだ。
「さて……」
意識と視線を野盗に戻すと、リーダー格の男が柳葉刀を振りかざして何か指図している。何を言っているかまではわからないが、その言葉を受けて幾人かが長弓を構えたので、弘は攻撃を決断した。
「そらよぉ!」
中腰ではあったが、手榴弾を渾身の力を込めて投擲する。こんな体勢だと、普通は遠投などできはしない。しかし、レベルアップによって強化された筋力が、それを可能にした。弾丸のように真っ直ぐ飛んだ手榴弾は、野盗リーダーの足下に着弾したのである。
相手側としては、離れた馬車の御者席から何か投じて、それが足下まで届くと思っていなかったのだろう。落ちた手榴弾を、リーダー以下数名で覗き込んでいるが……。
ずばん!
大きな破裂音と共に、数名の野盗が跳ね飛ばされた。もちろん、その中には野盗リーダーも含まれている。これにより敵方の指揮系統を潰せたものの、手榴弾の破片を受けなかった幾人かが、構えていた長弓を引き絞ったので弘は舌打ちした。
(先に弓の方を潰せば良かった!)
敵リーダーと長射程武器を天秤にかけて、敵リーダー排除を優先させたのだが、どうやら判断ミスだったらしい。50数メートルという距離は、長弓で狙って攻撃できる限度に近いが、相手の下手さ加減に期待するのは危険であろう。
「みんな気をつけろ! 弓が狙ってるぞ!」
叫びながら、すでに召喚していた手榴弾の2発目を投じたが、それが到達するよりも先に野盗側の矢が馬車に飛来した。
「ぼ、ボディーアーマー! 特っ服!」
叫び声と共に革鎧が消失する。その代わりに、元世界の陸軍兵が着用するようなボディーアーマーが装着された。更に無地の黒色特攻服も召喚され、アーマーの上から着込まれる。これは、ノーマを抱きかかえて矢を防ぐ盾になる。その覚悟からの行動であったが、放たれた矢は、弘はおろか馬車にすら命中することはなかった。
びゅごおおおお!
凄まじい突風が吹き荒れ、放たれた矢を吹き飛ばしたのである。それとほぼ同時に、投じた手榴弾が炸裂して弓兵らを吹き飛ばしたが、今は気にしている場合ではない。目の前……いや、馬車を取り囲むように吹き荒れる旋風。これは明らかに自然の風ではない。
「屋外ゆえ、風の精霊が活発でな」
「ぐ、グレースか!?」
エルフの精霊使いの存在を、弘はこの瞬間まで忘れていた。彼が薄情……といった理由ではなく、慣れない馬車運転の『講習中』に襲撃を受けたため、気が動転していたらしい。
(クソが。冷静に対処していたつもりが、なんてザマだ……)
本来なら、弓兵の姿を見るなりグレースを呼んで、精霊魔法での矢避けを頼むべきだったのだ。弘は己の迂闊さに腹を立てたが、その思いをグッと飲み込んでグレースを見た。彼女は御者席の側方に立っていて、弓を構えている。
「この我が居る以上、矢など当たらぬよ。……それより」
グレースは弓を降ろしながら、軽く咳払いをした。
「いい加減でノーマを放したらどうだ?」
「へっ?」
言われて腕の中を見ると、抱きかかえられたノーマがそこにいた。パーティーの女性中で一番の長身なはずが、今は随分と小さく思える。
(イイ匂いがするな……なんて言ってる場合か!)
我に返り身を離すと、弘は「今のは矢から守ろうとしてだな!」といった事情説明をノーマ相手に展開した。みっともないが、その気があったならともかく、他意がないのに誤解されるのは困る。
一方、解放されたノーマは、革鎧から出た衣服の襟を正していたが、やがて眼を細めて言った。
「できれば、お互い……革鎧を着てない方が良かったわ」
「あのな……」
少し頬を赤くしているノーマを前に、弘は脱力する。しかし、野盗の生き残りが居るかもしれないため、気を取り直すと御者席から飛び降りた。決してノーマから逃げ出したわけではない。
飛び降りた結果、必然的にグレースの隣に立つこととなったので、日本刀とトカレフを召喚しながら彼女に聞いてみた。
「他に残ってる奴は居るかな? 風の精霊に聞く……とかで、調べたりできないか?」
「む? 精霊魔法に詳しいな? 主が居た世界の精霊使いに教わったのか?」
グレースが『元居た世界に精霊使いが居る』ことを前提に話すので、弘は苦笑する。
「そう思うだろうけど。ゲームの話で……。いや、俺が元居た世界に精霊使いは……たぶん居ね~よ」
居ないと即答しなかったのは、自分が知らないだけで精霊使いが居るかも……と思ったからだ。事実、本物かどうかは別としても、海外には呪術師の類が存在していた。
(バラエティ番組とかで見たっけな。しかし、日本に居たままだったら、こんなこと思いもしなかったろうぜ)
今、まさに目の前に、グレースという本物の精霊使いが居るのだ。異世界転移するまでは魔法使いや精霊使いなど、おとぎ話かホラ話だと思っていたが、少しは元の世界のそういう話を信じて良いかもしれない。
そんなことを考えている間に、グレースは風の精霊を使って周囲を調べてくれたようだ。
「居ないな。正確には、もう居ない……ということだ」
どういう意味かを問うと、実は馬車に対して右側面、街道の草むら側にも数人の野盗が潜んでいたらしい。だが、戦闘が開始して早々、カレンによって察知され、瞬く間に殲滅されたとのこと。
「……カレンが? 全然、気がつかなかった……」
下手をすれば正面方向の野盗リーダーらに気を取られているところを、側面から襲撃されるところだったのである。パーティーリーダとしては失態も良いところであり、弘は下唇を噛んだ。
そして、野盗出没の中、別所に潜んだ野盗を発見したカレンに対し舌を巻く。
(やっぱ場数が違うってことなのか……)
弘にとって、カレン・マクドガルという少女は一つの目標であった。山賊時代の恩人、頭領ゴメスを倒した件について仇討ちする気はないが、やはり彼女より強くなりたいとは思うのである。
(それで、今は俺の恋人なんだよな。世の中ってな、わかんね~もんだ)
「サワタリさ~ん」
甲冑の重さを感じさせない足取りでカレンが駆けてきた。
「右側の野盗は、全部倒しました!」
8人いたそうだが、片っ端から斬り倒して生き残った者はいないらしい。正面方向にいた野盗については、弘が投じた手榴弾によって何人かが死亡。重傷を負った者も、暫くたってから死亡した。全滅である。
「上手いこと破片が当たったもんだ。そういや……考えてみりゃ、これが初めての人殺しってことになるのかな」
野盗達の死体を前に、手を合わせながら呟く。
この世界に来た当初は、なるべく人を死なせないように戦っていたように弘は思う。カレンと暫く行動を共にしていた頃にも、こうして街道移動中を野盗に襲撃されたが、弘は誰も殺していない。
(カレンは、バッタバッタと斬り倒してたけどな)
今日、このように弘が人を殺せたのは、異世界での生き方に慣れてきたということなのだろうか。そこで改めて殺人について考えてみたところ、やはり気分が悪い。
(けど、間違ったことをしたとは思っちゃいないな)
今回出現した野盗は、なかなかの戦力だった。リーダーは強そうだったし、長弓装備の弓兵を数人抱えていた。子分は弓兵を含めて30人近くもいて、一部は馬車の側面に伏せていたのである。最初に弘がリーダーを倒していなければ、こちらに死人が出た……とまでは言わないが、怪我人が出た可能性はあったのだ。
(俺は、やるべき事をやった。それだけだ)
人殺しを何とも思わないような人間にはなりたくはない。だが、この世界で生きていく以上、必要な殺人というのはあると弘は考えるようになっていた。
その後、弘達は死体を街道脇に埋葬し、再び馬車移動を始めている。
思わぬ事で時間を取られたが、このままで行けば翌日の午前中には現地到着するはずだ。
◇◇◇◇
翌日の朝。目的地である森林地帯……の少し手前に到着した弘は、御者席でカクンと顎を落としていた。
そこは問題の森林地帯を左手に見た平地であり、街道付近にはテントが6張りも存在する。周囲に冒険者風の者達が居るため、今回の特別招集で集まったパーティー群であることは間違いないだろう。
「少なくとも6パーティーか。パーティーを幾つ招集したか聞くのを忘れてたが、こりゃ相当なもんだ」
レクト村事件で集まる予定だったのが3パーティーだったことを思えば、今回の依頼の困難さがわかる。その集められた戦力にも驚くが、一番驚いたことは、テント周辺でいる冒険者達に怪我人が多いことだ。戦士や偵察士などだが、二の腕や額など、非装甲部に包帯を巻いているのが確認できる。
「確か冒険者パーティーには、修行名目で同行する僧侶が多いって話だよな? なのに怪我人がウロウロしてるってことは……」
「これだけ集まったパーティーの僧侶が全員死亡したか、怪我人が多すぎて法術治療が追いつかないかの、どちらかですね」
幌の中からシルビアが顔を出した。その言葉に頷くと、弘はノーマに言ってキャンプ地へ馬車を移動させる。見ればテント群の近くに馬車が数台置かれ、車場のような状態となっていた。その辺りで自分達も馬車を駐めるのだ。
ガラガラガラ……。
街道を進みキャンプ地を横切ろうとした、その時……1人の少女が飛び出してきた。
「ヒロシ!? ヒロシじゃない! ちょっと待ってよ!」
「ジュディスか!? ノーマ! 停めてくれ!」
御者のノーマに言って馬車を停めさせた弘は、御者席から飛び降りる。そして、駆け寄ってきたジュディスの両肩を抱き留めた。
「無事だったか! 怪我人が多いから、どうなったかと思ったぜ!」
「ヒロシ! どうしてここに!?」
ここに来た目的を問われたヒロシは、ジュディスの肩から手を放してニッと笑う。
「ギルドで聞いたんだけどよ? オーガーを複数パーティーでやっつけるそうじゃん? ひとつ見物しようかと思ってな」
「……あんたって人は……変わらないわよね。って、そんなこと言ってる場合じゃなくて!」
ジュディスは、弘の横から覗き込むようにして馬車を見た。何かを探している様子だが……。
「馬車で来たってことは、他にも人が居るのよね!? お坊様……いいえ、治療法術を使える人、連れて来てるっ!?」
「あの……ジュディス様? それでしたら私が……」
馬車の後ろから降車したシルビアが、カレンと共に姿を現して言う。2人してジュディスの様子を訝しんでいたが、ジュディスはと言うと一目散にシルビア目指して駆け出した。そして相手の手を取るなり、キャンプ地へ連れて行こうとする。
「えっ? あの、ジュディス様!?」
「早く来て! ウルスラが、ウルスラが……」
そうして遠ざかって行く2人を弘達は呆然と眺めていたが、いち早く我に返った弘が皆に号令した。
「なんだかわからんが、とにかく行ってみよう!」
◇◇◇◇
ジュディスがシルビアを引き込んだのは、6張りのテントの内の一つである。
その中には男性戦士のラスと、僧侶のウルスラが寝かされていた。2人の傍らでは、魔法使いの少女……ターニャ・ビダルがいて、濡れタオルをラスの額に乗せるなど看病を行っている。
「見た感じ、ラスは普通に怪我してるっぽいな」
横になったラスは板金鎧等を脱いでおり、全身の各所に包帯が巻かれていた。そして、そのどの部位からも血がにじんでおり、受けた傷が浅くないことを示している。遅れてテントに入った弘が「普通に怪我」と表現したのは、ラスの隣で寝かされているウルスラがまったくの無傷であったからだ。少なくとも外傷を受けた様子はなく、こうして見ている分には寝ているようにしか見えない。
「いったい、何があったのですか?」
まずウルスラの傍らで膝を突いたシルビアは、泣き出しそうな顔のジュディスに聞いた。質問されたジュディスは、一度弘の顔を見た後で口を開く。
「……テントの中じゃ狭いから。外に出て話すわ。シルビアも……今は話を聞いて。事情を知って貰った方が、治療の参考になるかもしれない」
「わかりました」
シルビアが即座に立ち上がったので、彼女に押されるようにして弘が……そして、一緒にテントに入っていたカレンが外に出る。テントの入口前に立ったジュディスは、まず皆を見回していた。ほとんど知った顔なのだが、その中に1人知らない顔……グレースを発見して一瞬視線を停める。しかし、敢えて気にしないようにしたのか、すぐに話を切り出した。
「ヒロシ……。私達ね、オーガーに負けちゃったの……」
◇◇◇◇
先日の昼過ぎ。
つまり、弘がクロニウスを出発する少し前。ジュディス達は、他パーティーと共に森林地帯へ踏み込んでいた。
ちなみに、統一したリーダーの元で行動するのではなく、各パーティーは単独で行動している。このことについて、ジュディスの他1パーティーのリーダーが難色を示したのだが、とあるパーティーの年長リーダーが「道も整備されていない森林地帯で、大人数が固まっていては動きにくいだけだ」と主張。これに残りのパーティーリーダーらも賛同したことで、このような行動方針になったのだ。
さて、最初の異変は、森に踏み込んでから数分と立たないうちに発生している。
先頭をラス、2番手以降がウルスラ、ターニャと続き、最後尾をジュディスが行く形で森を進んでいたのだが、突然、悲鳴が聞こえてきた。
「おい! ナンシー、しっかりしろ! なんで返事をしないんだ!」
「それよりコックス、ホブゴブリンが……ぎゃあああああ!」
これを耳にして、ジュディスパーティーの足が一斉に止まる。皆、不安そうな面持ちで周辺を見回すが、彼女らは巨大な樹木や茂みなどで囲まれているため、遠くまで見通すことができない。
「おい。これって、ヤバくない~?」
ラスが誰に言うでもなく呟いた。
長剣に大型の円盾を持つラスは、板金鎧を着込んでおり、現パーティー内では壁役を担っている。彼がパーティー参入してから、幾つか冒険依頼を遂行してきたが、その軽薄さはともかくとして、実力の高さはジュディスら女性陣から一定の評価を得ていた。
「ジュディス? 声がした方に応援に行くべきかしらぁ?」
ウルスラも不安そうにしながらジュディスに聞いた。聞かれたジュディスは、ターニャに視線を向けたが、気の弱い少女魔法使いは滑稽なぐらいに怯えている。
「ど、どどど、どうしましょう!?」
「どうしましょうったって……」
ジュディスは、盾を装着した方の左手で赤毛を掻いた。そして数秒考えた後、口を開く。
「助けに行くしかないでしょ? 頭数が減ったら、その分だけ不利にな……」
「きゃああああ! なんで、なんで倒れちゃったの!? 誰か! カートウッドを助けて!」
方針を述べようとしたジュディスの声を遮り、女性の絶叫が飛び込んでくる。今のは明らかに、先ほどと別の方向から聞こえてきた。ラスの、ウルスラの、そしてターニャの視線がジュディスに集中する。
「ああ、もう! いったん森から出るわよ! 入って間もないんだから、すぐに出られるわ!」
「賛成賛成! ほら、お嬢様方! とっとと逃げるんだよ!」
隊列はそのままに反転180度。つまり先程までとは違ってジュディスが先頭となり、ターニャ、ウルスラ、最後尾がラスの順で森を移動していく。木の根などに足を取られつつ駆けると、目前に森の切れ目が見えてきた。
「見えたわ! 森の外に出て体勢を立て直すわよ! 他のパーティーと力を合わせて……」
駆けながら指示を出していたジュディスは、肩越しに振り返って言葉をなくす。3人目として走っていたウルスラが、不意に脱力して倒れ込んだのだ。
「ウルスラ!?」
「止まるな! 走るんだ!」
身体ごと向き直ろうとしたジュディスを、ラスが叱咤する。彼は完全に倒れ込む前のウルスラを抱き留めると、そのまま抱きかかえて駆け続けた。その様子を見たジュディスは、言われるがままに駆け続ける。
(無理だわ。森を出て体勢を立て直すなんて無理! そのまま逃げなくちゃ!)
森を出たら、ウルスラの様子を見つつ逃げる。ターニャの攻撃魔法で牽制しながらであれば、それは可能なはずだ。そんなことを考えていたジュディスの耳に、新たな悲鳴が飛び込んできた。
「ぐあああああっ!?」
それは、ウルスラを両腕で抱えて走る、ラスの声だった。