第百十八話 3人目と4人目
早朝の街道。
ガンガン! ヴァムヴァム!
トカレフが火を吹き、襲ってきたオークが倒れ込む。弘が射殺したのは、これで3体目だ。他に2体を日本刀で斬り殺している。
(草むらから出て来たのは15体ぐらいだっけ? あと10体ほど残っているはず……)
モンスターの残数を確認しながら視線を巡らせたところ、生きているオークは皆無となっていた。剣で切り倒された者。矢が突き立って倒れた者。短刀で喉を掻き斬られた者。そういったオークの死体が累々と横たわっている。シルビアのメイスで撲殺された者が居ないのは、彼女が直接戦闘に加わることなく倒しきったからだろう。
「……もう全滅させちまったか。ボディアーマーを召喚するまでもなかったな」
トカレフを握ったままグリップで頭を掻いていると、カレンやグレース達が駆け寄ってくる。
「サワタリさん! お怪我とかはありませんか!」
「いや、かすり傷も負ってないな」
実際、最初に2体を射殺した時点で相手側が浮き足立ち、そのまま飛び込んで更に2体を斬り倒した。そして最後の1体を射殺……という流れだったため、まったくの無傷だったのである。
(端っからトカレフだけで攻撃してたら、もっと楽だったか? いや……微妙だな)
トカレフは軍用拳銃なだけあって、確かに強力だ。オーク程度の人型モンスターなら、当たり所が良ければ1発で打ち倒せる。しかし、急所を外すと人間相手に撃つよりも弾数が必要となるのだ。
(そこら辺は、やっぱしモンスター……怪物ってわけか。人間よりは頑丈だし、体力だってあるもんな。ディオスクの闘技場じゃあ、サーペンターをトカレフで倒してるけど。あれだって結局は弱点狙いだったし)
ファンタジー世界で無双したければ、もっと強力な銃火器が必要だろう。召喚火器はレベルアップと共に消費MPが低減したり、1発当たりのダメージが上昇する。だが、もっと簡単に倒したいなら、この先に追加されるであろう召喚品に期待した方が良い。
(例えば機関銃とかなぁ……。ともかくトカレフじゃ、ファンタジーRPGで言う雑魚をやっつけるぐらいにしか使えないわけだ。レベルアップの補正は置いとくとしてな)
では、日本刀などの刃物類はと言うと、これがかなり強力だ。斬り倒した2体はいずれも革鎧を着込んでいたが、まったく問題とせずに両断できている。これは日本刀の切れ味もさることながら、レベルアップして強化された筋力を攻撃に上乗せできることが大きい。
(あとは『素早さ』が『器用度』を兼ねてるから、相手の無防備箇所を攻撃しやすいってのも良いよな)
そういった理由で現状、飛び道具より近接武器の方が攻撃力が高いのであった。
(いやまあ、離れた相手にはトカレフが役に立つから、ケースに寄るんだけど……って)
己の召喚武具について考察していた弘は、戦闘が終了したことで集まってきた面々を見まわした。
貴族の御令嬢。金髪美少女の戦士、カレン・マクドガル。
エルフ氏族の元族長。こちらも同じく金髪……の美女、グレース。
見た目はしっとり美人、しかし性格がキツい美人尼僧。シルビア・フラウス。
黒のショートカットで長身美人。偵察士のノーマ。
以上4名が、現在の沢渡弘が率いるメンバーのすべてだ。見事に女性ばかりである。
ちなみに弘以外で唯一の男性メンバーだったメル・ギブスンは、クリュセダンジョンのギルドに残っている。
どうしてメルが、弘のクロニウス行きに付き合わなかったかと言うと……。
「今の状態でジュディスと会ったら揉めそうなんだろ? 私は、痴話喧嘩に巻き込まれるのは御免こうむりたい」
(とか、抜かしやがった……)
メルの気持ちは理解できるが、弘としては見捨てられたような気分である。もう見えなくなったクリュセダンジョンの方角を睨んでいると、いつの間にか一番近くに来て居たシルビアが進み出た。
「サワタリ殿? 本当に怪我はありませんか? よろしければ私の法術で……」
「いや、いい。てか怪我してないっつってんだろ? だいたい、多少の怪我なら召喚タバコで治せるんだし」
そう説明する弘は、シルビアが詰め寄る分だけ後退している。色仕掛けで迫ってきているわけではないが、シルビアほどの美人が近づいてくると色々目のやり場に困るからだ。
(シルビアも見とれちまうほどの美人だし。胸デカいし。……これが二人きりなら良いんだけどなぁ)
周囲にカレン達が居る状況で、シルビアをジロジロ見るわけにはいかない。
弘が法術使用の申し出を断っていると、ノーマが話に割って入ってきた。
「あら、シルビア? そこで引いちゃ駄目よ。ヒロシは男の子なんだから。ひょっとしたら、やせ我慢をして怪我を隠してるのかもしれないわ」
「はあ?」
突然、何を言い出すのか……と視線を向けた弘に、ノーマは悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。
「夕刻になったら街道の脇でキャンプを張るんだし。そうね、日が落ちたら私がヒロシの身体を調べてあげようかしら? もちろん、怪我してないか~ってね」
「それ、絶対に別のことが目的だろ! 朝っぱらから濃い話をしね~でくれるかな! 酒が入ってるならまだしも……。今はカレン達が……」
日中の街道で、しかもカレンやシルビアが見ている前だ。その上、しらふときては弘も話に乗りにくい。
(夕べは酒が入ってたから。カレンとグレースを、一度にアレしようかと考えたもんだけど。さすがに今はなぁ……)
弘が渋面になったところ、グレースが、シルビアとノーマの間に身体をねじ込んできた
「ノーマの言うことにも一理あるな。差し支えなければ、我も手伝うとしようか」
ノーマが何をしようとしているか、それを理解した上で言ったのは明白だ。見る間に……カレンとシルビアの表情が硬くなっていく。更に言えば、赤くなってもいた。
「ぐ、ぐぐ、グレースさん!? 何てこと言うんですか! 2人でだなんて、そんなの絶対にダメです!」
「カレン様の仰るとおりです! その様なことは神がお許しになるはずがありません!」
今、沢渡弘の眼前では左側にノーマとグレース。右側にシルビアとカレンが居て、険悪ではないが言い争いをしている。その話題の中心に居るのは弘なわけだが、当の弘は口を挟むこともできずに呆然としていた。
(……なにこれ?)
「ああら? 生娘組が、夜の営みについて口出しする気なのかしら?」
「き、生娘組って! ノーマさん! け、経験が無いことを、悪いことのように言わないでください!」
カレンがノーマに抗議すると、シルビアも頷きながら前に進み出る。
「ノーマ殿は、ともかくとして。グレース殿。一氏族の元族長ならば、もう少し振る舞いをですね……」
「私はともかくって、どういう意味かしら!」
「いや……我はシルビア殿が言うほど、堅苦しい性格ではなくてだな……」
ノーマが噛みつく横でグレースが訂正を試みている……が、誰も相手にしてくれない。こうして、街道はオークらと戦っていたときよりも騒がしくなりつつあった。
「なんで、こんな事になっちまったんだ?」
途方に暮れる弘。彼は頭を掻きながら昨晩のことを思い出していた。
◇◇◇◇
クリュセダンジョンのギルド出張所。その1階酒場でのことだ。
シルビアとノーマが2階から下りてきたとき、弘はカレンやメル、それにグレースと談笑中だった。ちなみにカレンは飲酒をしていない。エール酒一口で眠気が生じるので、シルビアが来るまでは……とジュースを注文していたのである。
そのカレンが、シルビアの姿を見るなり席を立った。
「あっ! シルビア達が下りてきましたよ!」
「むう。思ったより早かったな」
ジョッキに口を付けながらメルが言う。まるっきり他人事の口調であるため、弘は恨めしさを込めて軽く睨んだ。弘にしてみれば、自分のことで泣いた女性が戻ってきたので、戦々恐々とした気分なのである。
(だいたい、ジュディスといいシルビアといい。何だって俺絡みで泣くかね? 俺の何が、そんなに良いってんだ?)
ジュディとシルビアでは泣いた経緯や事情が異なるが、少なくとも彼女らが自分に好意を抱いてることは間違いない。
それが、今の弘には少々重荷だった。カレンとグレースのような美人達を彼女にできたこと自体、弘は身に余ることだと思っていたのである。
(俺って奴は元居た日本じゃ、ヤンキー娘に言い寄られたことがある程度だしな。それが貴族のお嬢様に、エルフ氏族の元族長様だろ? いや~……やっぱり思っちまうよな。俺みたいなチンピラが相手で良いのかって……)
そこへ来て、育ちの良い美人尼僧。さらにはジュディスまでが、自分に思いを寄せている。
(この異世界に来てから、妙に異性ウケしてるみて~だが。俺、何か変わったんか?)
顔面の左を走る切り傷が無くなったわけではないし、喧嘩を売り歩くようなことはしないが、ことさらお行儀良くしていたつもりもない。特に何も変わっていないはずなのだ。
(召喚術士って、女にモテるんかねぇ……)
そんなことを考えていると、シルビアとノーマがすぐ脇に移動してきた。視界の端でカレンと何か話していた様子は見えていたが……。
「あの、サワタリ殿?」
「おう。さっきは、えらく取り乱してたみたいだけど。もう落ち着いたんか?」
「えっ? ああ……。まあ、それなりに……」
シルビアが何やら驚いている。取り乱したこと自体を忘れていた風でもあり、座ったままの弘は首を傾げた。見れば、シルビアは何やらモジモジしている様子で、隣で立つノーマはニヤニヤしている。
「あ~ん? ……うっ!」
妙な態度の2人を見やっていた弘であるが、2人の間から後方のカレンが見えたことで息を呑んだ。
(怒ってる!? いや、睨まれてる!)
カレンが怒ってるのかどうか、実際のところはわからない。しかし、睨まれること自体、弘には心当たりがなかった。なにしろ、つい先ほどまで、メルを交えた4人で談笑していたのだ。
(俺に原因がなさそうってことは……シルビアかノーマか? さっき何か話してたものな!)
この2人がカレンを怒らせるようなことを言ったのだろうか。大いに気になるが、このときの弘には、シルビア達に問いただす度胸が欠けていた。2人の……と言うよりは、シルビアの発する思いつめたような雰囲気に気圧されていたのである。
(モジモジしてるくせに、妙に圧迫感が! こ、こういうときはアレだ! メルに場を収めてもら……)
救いを求めてメルを見たが、テーブルの向かい側にいたはずのメルが居ない。
「はあっ!?」
慌てて酒場内を見回したところ、いつの間にかカウンターに移動していて1人で飲んでいるメルを発見した。
「ぐっ……。逃げやがった……」
「あの、サワタリ殿?」
メルの方を向いていた弘は、反射的にシルビアを見る。かなり思いつめた様子であり、胸前で祈るように組んだ手が微かに震えている。
(あ……。なんかこれ、ちょっと前にもあったようなシチュエーションだな)
交際について告白される直前のカレン。確か彼女が、こんな感じだったと弘は思う。そうなると、次に待っている展開は……。
(……逃げたいけど、逃げたら駄目なんだろうな……)
生唾を飲み下して椅子から立ち上がると、それまで見上げていたシルビアを、今度は見下ろす体勢になった。そして立ち上がるにつれ、シルビアが視線を下から上へと移動させる。
スウッと息を吸い込む音が聞こえた。
(このクソ五月蠅い酒場の中でか? 幻聴じゃねーの? 俺、今すっげぇ緊張してるし)
「お話があります。聞いて頂けますか?」
「真面目な話か? だったら、こんな騒がしいところでなくとも……」
と、カレン達に交際宣言した時のように別室へ誘導しようとする。が、これに対してシルビアは首を横に振った。
「いいえ。これは、カレン様やグレース殿の前で言わなければならないことですから」
紫がかった青い瞳が、真っ直ぐに弘の瞳を捕らえている。これ以上無いと言って良いくらいの真剣な表情であり、このシルビアから出る言葉に対して軽薄な態度を取るわけにはいかない。そう弘が腹をくくったとき……シルビアが言った。
「サワタリ殿。私は……貴方をお慕いしています」
「……」
言い切ったな。と弘は思うが、それを口に出して言ったりはしない。ただの感想に過ぎない一言でも、シルビアの告白を茶化してしまうように思えたからだ。
(しかしながら……だ。「おう、ドンと来い!」と言うわけにはなぁ。俺ってもう彼女持ちなんだし)
カレンとグレースの告白を受けたとき、弘はまだ独り身だった。しかも、カレン達は2人同時に交際することを容認していたのである。だからこそ、2人同時の告白を受け入れられたのだが……。
(すでに付き合ってる女が居る状態で、別の女とも付き合うとか……そりゃ駄目だろう)
カレンとグレースに対して申し訳がない。そう思いつつ後方のカレン達を見る。このとき、弘の左後方にグレース、右後方にカレンが座っていたが、弘の視線を受けてカレンが口を開いた。
「サワタリさん。私は……シルビアなら構いませんよ?」
とんでもないことを言い出す。だが、その表情はいたって真面目。むしろニコニコしている。先程は弘を睨んでいたのに、どういう心境の変化だろうか。
(まさか……)
シルビアが告白する前に、カレンやグレースと何か話し合っていたことを弘は思い出す。
(これ、実はカレン達も了承済みのことなのか!?)
カレンとグレースの思惑が気になるが、今はカレンが「シルビアなら構わない」と言った件を追求するべきだろう。
「はあ? いや、でも。それだと3人になっちまうぞ? おい、いいのか? ……グレースも、何か言ってくれよ!」
肩越しに振り返りつつ助けを求めたが、彼女が何か言うよりも先に弘は肩を落とすこととなった。グレースが満足そうに何度も頷いていたからである。
「うんうん。できる殿御には、やはり複数の女人が居て然るべきだ。族長に子供が多いのは良いことだからな」
「特殊な考え方を持ち出してんじゃね~よ。あ、グレースはエルフ族の元族長か……。って、そうじゃなくて! シルビアとも交際してい~のか!?」
今度は身体ごと向き直って言ったが、対するグレースはキョトンとし弘を見上げている。
「かまわんのではないか? 我とカレンでは、カレンの方が先任……と言えば言い方が妙か。だが、サワタリとの付き合いが長い分、カレンの意見が優先すると思う。そのカレンが、良いと言っているのだから。我も『良い』と言っておこう。何より、我もシルビアのことは嫌いではないし、有能であることは認めているのでな」
「ああ、そう」
なにやら抵抗する気力が失せてしまった。第二夫人的な気分でいるグレースにも疲れるが、ここでの返答次第で話がどう転ぶか。それを考えたとき、弘は大きな精神的疲労を感じたのである。
(いや、俺だってシルビアは嫌いじゃね~よ? むしろ、好きなぐらいだし。でもよ。カレンやグレースが良いって言ってるからって、シルビアとも付き合っていいのか? ここは心を鬼にして振っちまった方が……)
「あの……」
長考していた弘に、申し訳なさそうな顔のシルビアが話しかけた。
「やはり、御迷惑でしたでしょうか?」
「そ……」
弘が焦りつつ発声しかけた、その時。シルビアの斜め後ろで立っていたノーマが、前に進み出て言う。
「そんなに悩むなら、ひとまず保留ってことにしたら?」
「保留って……おい。まさか……」
告白に対する返答の保留。それは、つい先頃まで、弘がカレンとグレースに対してしていたことだ。それを、もう一度しろと言うのだろうか。
「ヒロシの気持ちもわかるわよ? 今はカレンやグレースと交際しているわけだし。その2人が良いって言っても……ねぇ。でもね、せっかくなんだし。1人や2人と交際してるからって3人目や4人目を諦めることはないと、私は思うわけよ」
そう諭すように述べたノーマはニッコリ笑う。だが、その発言内容は問題だ。ノーマは弘の交際人数が増えることを、後押ししているのである。
(おいおいおい。3人目や4人目とかマジかよ。ゲームや漫画じゃね~んだか……えっ? 4人目? 4人目って誰だ?)
先ほど、宿部屋でノーマと話していたシルビアが気づいたように、弘もまた気がついた。
「なあ? 今、4人目って言ったか? まさか……」
「んふふ。もちろん、この私。私もシルビアと一緒で、弘に面倒見て貰いたいな~って」
呆気にとられた弘を、ノーマが目を細めて見つめる。
「いえね。ダンジョンで助けて貰ったときのこと思い出すと、この胸にキューンと来るわけよ。小娘みたいなこと言ってる感じで、笑っちゃうでしょうけど。これは本当よ?」
「あ、ああ。って、いや……だって……」
弘は混乱した。
ダンジョンを出て、ケンパーとジーンの件を解決し、ミノタウロスのインスンとは別れた。その後から、この瞬間まで、まだ1日も経ってはいない。なのに自分は、カレンとグレースの2人と同時交際することとなり、今またシルビアに告白され、その返事もできていないうちにノーマから告白されている。
(いいのか? このまま女の数を増やしちまって!)
小中学生の頃。弘はラブコメ系の漫画を読んだことがある。主人公男子に好意を抱く同年代、あるいは年上や年下の異性が複数存在する話だ。読んでいる分には面白かったが実際にやるとなると、これが結構キツい。カレンとグレースは今のところ仲が良いようだが、そこにシルビアとノーマが加わったらどうなるか。
(アホでチンピラな俺にもわかるぞ。きっと、色々と酷いことになる!)
今、カウンターで1人飲んでいるメルが聞いたら、「今更遅いね。告白されて振る勇気が無いなら、いっそ全員まとめて面倒見る……ぐらいの気概を見せて欲しいものだ」と言ったかもしれない。無論、弘は『まとめて面倒を見る気概』を持ち合わせていたが、恋愛経験が豊富とは言えない彼にとって、この状況は如何にも厳しかったのである。
◇◇◇◇
(まあ、普通はこういう風になるわよね……)
街道でモンスターを撃退した後、弘を巡って女性陣は揉めていたが、その中でシルビアは、昨日の酒場での出来事を思い起こしていた。
結局のところ、弘はシルビアとノーマに関しては態度保留としている。
カレンとグレースは、ノーマに対して若干抵抗を示したのだが、シルビアがノーマを擁護したことで、そのように決定したのだ。
(……すでにサワタリ殿が対多数交際をしていたことも、ノーマ殿の肩を持った要因ではあるのだけれど……)
他には宿部屋で話したときに、自分の背を押してくれたノーマに感謝していたことと、シルビアがノーマに対して少しばかり好感を抱いていた事も挙げられる。
「とにかく! 数人でベッドの……とか、ぜぇ~~~ったいに駄目なんです!」
目の前では、カレンがノーマ達に食ってかかっていた。対するノーマは小馬鹿にしたようにカレンをあしらい、グレースは「少し調子に乗りすぎたか……」と反省しているように見える。そして弘は……困り顔で溜息をついていた。シルビアが見たところ、この状況を嫌悪している風ではなく、多数女性が揉めている状況を前に困っているだけのようだ。
(サワタリ殿……さわ……ヒロシ殿……。……っ!?)
いつものように姓を呼ぶのではなく、なんとなく名前で呼んでみた。声に出したわけではないが、それだけで心拍数が上昇したような気がする。
すううう、はああああ。
大きく深呼吸すると、シルビアはカレンに加勢するべくノーマに対して抗議し始めるのであった。
◇◇◇◇
最終的に、街道での一件はグレースが「もう、その辺にしておいてはどうだ?」とノーマを止めてくれたので、それ以上の事態悪化を回避できている。後で弘が聞いたところでは、「シルビアに、元族長として振る舞いを正すよう言われたからな。少し反省したのだ」との回答を得た。
こうして再びクロニウスに向けて街道を歩き始めたのだが、時折、カレン達は言い争いを始めたりする。当初は弘も、「仲が悪いのか、それとも……やっぱり多人数交際に無理があったか」と心配していが、やがて仲良くじゃれあっているだけだと気づき、無闇に心配することを止めていた。
「ふう……」
小さく息を吐いて周囲を見まわしてみる。今のところ、別のモンスターが出現する様子はない。ディオスクには寄らず、街道の分岐を直接クロニウスに向けて移動しているのだから、早くて3日、多くとも4日ほどでクロニウスに到着することだろう。
(思ったよりも早い……か。パーティーで一番体力が無い魔法使い、メルが居ないからな。最も足が遅そうなシルビアだって、他の3人と比べれば劣るってだけで割に健脚だし。早くて当然だな。けどなぁ……)
自分1人ならママチャリで移動していたはずだから、もっと早く移動できていたはずだ。また、そのうち試そうと思っているのだが、原付を召喚してMPが続く限り走り、MP枯渇と共に原付が消滅。そうしたらMP回復姿勢、つまりウンコ座りでMPを回復させて、また原付移動。この繰り返しで、ママチャリよりも早く移動できたかもしれない。
(マジで今度試してみよう。つ~か、パーティー行動してると、俺の移動系の召喚術って使いづらいよなぁ)
今後のレベルアップで車両も召喚できるようになるかも知れないが、今のところは自分ともう1人を乗せて走れる程度だ。
(リヤカーみたいなのにカレン達を乗せて、ママチャリで引きつつ俺がペダルを漕げば……。むう……なんか、馬車馬みたいで嫌だな)
チラッと考えついたアイデアを振り払う。やはり、車両が召喚できるようになるまで、多人数を召喚品で移動させることは考えない方が良い。非常時であれば、先程のアイデアを実践するかもしれないが、少なくとも普段行うのは御免被りたかった。
「はあっ!? 私がヒロシにベタ惚れしているですってっ!?」
背後でノーマの声がする。戦闘時は別として、対人会話で彼女が声がうわずらせるのは珍しい。肩越しに振り返ってみると、ノーマがしたり顔のグレースに食ってかかっていた。
「そんな大声を出さずともよい。我が見たまま言っただけのことだ。ちなみに、ノーマが自分で思っている以上にサワタリを好いている……と言っただけで、ベタ惚れなどという表現は使っていないぞ?」
「ぐっ……。……ねえ? ひょっとしてカレン達にも、そう見えているのかしら?」
「……私とシルビアは、ディオスクでノーマさんを初めて見ましたけれど。あの時と比べても、かなり好意的に見えますよ?」
話を振られたカレンが考えるそぶりを見せてから言い、それを聞いたノーマが再び言葉に詰まったところで、シルビアが頷いた。
「確かに。私もカレン様と同意見です。ですが、ヒロ……いえ、サワタリ殿を慕って行動を共にしているわけですから。彼に対する好感が表情に出ていたとしても、別に問題ないのではありませんか?」
静かに諭すシルビアの姿は、尼僧と呼ぶに相応しい物腰であり、これにはノーマも反論できなくなってしまった。とはいえ、カレン達から目を逸らせつつブツブツ呟いていたりはする。
「いやだって。そりゃあ、ヒロシのことは好き……な方よ? けど、私はカレン達ほど、好き好き大好き! って感じじゃなくて、あくまでもヒロシと一緒に居たら、大儲けが……」
そういった呟きは、弘には途切れ途切れにしか聞こえていない。しかし、概ね内容が把握できるため、弘は「なんだかなぁ……」と苦笑していた。
(取りあえず、険悪な方向に仲が悪くないってだけでも有り難いな)
ケンパーやインスンを加えてパーティー行動していたときは、元々敵同士だった2人を同時に抱え込むことで、多少胃の痛い思いを味わったことがある。だが、今の状況は別の意味で胃が痛い。
(ハーレム系漫画の主人公達を尊敬しちまうぜ。女が10人前後とか当たり前に居て、決定的な揉め事が少ないんだもんな。そこへ行くと俺は……)
例に挙げたハーレム系漫画の主人公達を見習って、すべて曖昧なままにしておけば良かったかと思うが、すぐに弘は否定する。
例えば学校校舎の靴箱にラブレターが入っていて、それで放課後に呼び出されて告白されたとしたら。その女子が自分の好みだったならどうだろう。普通は、そのままオーケーして付き合ってしまうのではないだろうか。
つまり、カレンらの告白を受け入れたことについては、何の不思議も落ち度もないわけだ。
(で、その後に数を増やしちまってる件だが。暴走族時代、ヘッド格の連中は何人かの女子とイイ関係だったし……考えてみりゃ、そう悩むことでもないのか? 俺が、しっかりすればいいだけの話か?)
この女性陣をビシッとまとめていく。
自分にそれが出来るかどうか自信は無いが、出来なければ恐らく酷いことになるだろう。
女性間の仲違いが悪化するのもマズいが、モンスターとの戦闘中に連携が取れなくなったら命に関わる。
(……ここは一つ、頑張るしかないか……。だって俺……)
歩きながら、また肩越しに振り返ってみた。
すぐ後ろをカレンとグレースが、最後列をシルビアとノーマが並んで歩いている。4人は何か言い合っているようだったが、その表情は実に楽しそうだ。
弘は、表情を緩めると前方に向き直る。そして思った。
(だって俺、みんな好きなんだよな……)