第百十七話 お互いの気持ち
ずだん!
音高くジョッキがテーブルに叩きつけられた。
それにより酒場内が一瞬静まりかえる。
この大きな物音を発したのは……弘達のテーブルであり、ジョッキの取っ手を握り締めているのは尼僧、シルビア・フラウスであった。
その後、シルビアが黙したままだったので、他のテーブルに居る冒険者達は元どおりにざわめき出す。そして、それを待っていたかのようにシルビアが弘を睨んだ。いや、睨むと言うよりは視線で串刺しにした……と言う表現が正しい。
(怖ぇええ。レディースの姉ちゃんのガンつけよりも、おっかねぇぞ)
元よりレディースに睨まれたぐらいでビビる弘ではない。だが、客観的に見て、彼女らのガンつけがどの程度のモノであるかはわかるつもりだ。そして、その記憶の中のレディースらと比較した場合。シルビアの視線は格段に迫力があるし、何より怖く感じる。
なにか彼女を怒らせるようなことをしただろうか……と考えてみたところ。一つ思い当たることがあった。
(グレースとのエロ絡みの話に、カレンが割って入ってきたからか)
なるほど。シルビアとカレンの間柄を考えれば怒りたくもなるだろう。しかし、話に絡んできたのはカレンの方なのだから、弘としては睨まれることについて釈然としないのである。
(俺を睨まれてもなぁ……)
そもそも、他にグレースの存在があるとは言え、弘とカレンはすでに交際中なのだ。多少性的な話題で盛り上がったぐらいで、第三者たるシルビアから文句を言われる筋合いはない。
(と、俺は思うわけだ。それに……彼氏の立場としては、ここで退くわけにはいかないぜ!)
睨むほどではないが、弘はシルビアの視線を見返してみた。これによりシルビアは、少し驚いたような表情を見せ、その肩を上げている。うつむき姿勢からの上目遣いをやめたわけだが、今は呆然としたような表情になっていた。
そして……。
「ふっう……。うう、う~……ぐすっ」
なんとシルビアは泣き出してしまったのである。声を押し殺しながらボロボロ涙をこぼす姿は、見ていてかなり痛々しい。
「えっ? いや……俺が、悪いのか?」
弘は、交際中の『彼女』に対する難癖や、いわれのない文句であるのなら、真っ向から受けて立つつもりであった。弘自身に対することであっても、堂々と議論したであろう。
しかし、シルビアは一睨みした後は何を言うでもなく泣くばかり。こういう状態にある女性の対処法について、弘はまったく知識や経験がなかった。
(どうすりゃいいんだ?)
途方に暮れていると、カレンとグレースが立ち上がる。女性2人でシルビアに事情を聞くなりしてくれるらしい。だが、更にノーマも立ち上がったので、その場に居たシルビア以外の者達はノーマに視線を集めた。
「私が話を聞いてみる。2階の宿部屋へ行くから、カレンとグレースは残っててちょうだい」
「でも、シルビアは私の……」
友人、あるいは身内と言おうとしたのだろうが、その言葉は突き出されたノーマの手の平により遮られる。
「少なくとも、この場じゃあ私が適任よ。この手の話題にメルは不向きだし、問題の中心にいるヒロシも駄目。まあヒロシには、後でシルビアと話して貰うかもだけど。カレンとグレースについては……なお駄目よね」
「ど、どうしてですかっ!」
「シルビアの悩み事に首を突っ込むには、2人とも立場が不味すぎるもの。そこは察してあげて欲しいんだけど。でも私の口から、これ以上説明するのも……ねぇ」
言い終わりに言葉を濁しながらノーマは移動し、シルビアの肩を背後から掴んだ。
「立てるかしら? 少し2階でお話ししましょう?」
「……」
シルビアは静かに頷くと席を立つ。そしてカレンを見た後で弘を見ると、何を言うでもなく、ノーマに手を引かれて歩き出す。
「ああ、暫くしたら降りてくるから。弘達は……そうねぇ、今後の予定でも話し合ってて。どうせ、賑やかに騒ぐ気分でもないでしょうしね」
「あ? あ~……そうだな。ノーマ? 何が何だかよくわからんのだけど、とにかく世話になる」
そう弘が言うと、ノーマは少し驚いたような表情を見せた。が、すぐに微笑みながら手を振る。そしてシルビアを連れ、2階へと姿を消したのだった。
◇◇◇◇
「ノーマは、ああ言ってたわけだが。やっぱり……」
「いや、ちょっと待った」
1階に残ったメンバーでも、シルビアについて話し合った方がいい。そう続けようとした弘を、メルが制止する。
「状況を鑑みて、まずはノーマに任せた方が良いだろう。何しろ、ここにはシルビア本人が居ないのだからな。当人不在のまま、我々が勝手な憶測をしてもしかたがない」
後日、この発言について弘がメルに聞いてみたところ、メルは苦笑しながら次のように語った。
「あれは単に本人が居ないところで、アレコレ噂話をするのが嫌だっただけさ。他意はなかったよ」
つまり、シルビアに関する話し合いをするべきでないとしたのは、メル個人の気分によるものだった。もっとも、提案された側の弘達も、メルの言うことには一理あると判断している。
しかし、2人が戻ってくるまで何もしないのは苦痛だし退屈だ。そこで、ノーマが言い残していった『今後について話し合う』こととしたのである。
まず話し合ったのは、パーティーの解散についてだ。解散時期としては、翌朝の朝食を共に取ったら、その後に解散することとなった。ダンジョンで拾得したアイテム類に関しては、先に話したとおり、今持っている者がそのまま持ち続ける。
そして、その後の各自の予定については……。
「私は、当初の予定どおり王都を目指すつもりだ。魔術師ギルドへ出向いて、論文とかを読みあさるというアレだな。ノーマについては彼女次第ではあるが、引き続き護衛として同行してもらう」
これがメルの行動予定である。
カレンについては「シルビアの様子を見てからになると思いますが。本来の目的である、オーガーを探したいと思います」とのこと。家督相続のため、再び討伐すべきオーガーを探し求めるのだ。
グレースは、気分的には弘に同行したいものの、独り修行をしたいと言う弘の意志を尊重して同行しないことに決めている。
「主は、後日に王都を目指すつもりなのだろう? ならば、先に王都へ行って、主を待つとするかな。私個人の事情ではあるが、氏族を滅ぼした者どもの動向も探ってみるとしよう。王都なら、エルフ氏族の情報ぐらい伝わっているだろう」
そう言ってグレースが弘を見ると、カレンとメルも弘を見た。
「俺か? 俺は、グレースが言ったように独り修行をしたいな。2ヶ月ほど……かな。だけど、その前に果たすべき約束があるんだ。クロニウスに行って、ジュディスに指輪を渡さなくちゃな」
ガタタッ!
音高く椅子を蹴り、カレンとグレースが立ち上がる。
「そう言えば、そうでした! サワタリさんは、ジュディスちゃんに会いに行くんですよね!?」
「お、おう。そのつもりだ」
若干退き気味に頷いたところ、グレースがフンと鼻を鳴らした。
「しかも指輪を渡すためにだったな。これは……同行せざるを得まい!」
「同感です!」
突然、グレースが前言をひるがえし、カレンも同調して同行すると言い出す。独り修行……レベル上げは、ジュディスとの約束を果たした後に行うのだから、弘としては同行して貰ってもかまわない。
しかし、弘は嫌な予感がしていた。
(この2人を連れて、クロニウスに居るジュディス達に会いに行くのか? ……それって、マズくないか?)
暫く顔を合わせていないジュディスのことを思い出してみる。
パーティーを離れて別れるとなったとき。ジュディスは、弘と別れるのは嫌だと言って泣いたのだ。そんな彼女を納得させるため、弘は何か役に立つ物品を贈呈すると約束したのだが……。
(あのパーティーじゃあ、ジュディスが俺に好意的だったんだよな。ひょっとしたらウルスラもか? んで、約束どおり戻ってきた俺が、カレンとグレースを連れ歩いててだな。その理由を聞かれたら「いやあ。俺、この2人と付き合うことにしたんだ」って……)
これは……かなりの確率で揉める。
そう確信した弘は、カレン達を連れて行かないことを考えた。彼女らを連れて行かなければ、余計なことを聞かれずに済むのではないか。
(いや、駄目だな。そいつは不細工すぎる。つ~か、腹ぁくくって女2人と同時交際することにしたのを、なんでコソコソ隠さなきゃならないんだ?)
姑息であるし、性に合わないし、何よりカレンとグレースに対して失礼すぎる。第一、ジュディスとウルスラに関しては、お互いに好きだとか告白しあった間柄ではないのだ。カレン達との関係について、とやかく言われる筋合いはない。
(という理屈なんだけど。やっぱ色々言われるわなぁ……)
最悪でも二、三発殴られる覚悟が必要だろう。いや、剣と魔法の世界なのだから、『最悪の事態』は、もう少し危険かもしれない。例えば、剣で斬りつけられるとか……。
「……畜生。胃が痛くなる話で……うん?」
革鎧の上から胃を押さえていると、カレンとグレースが弘を見ていた。何か用でもあるのかと考えたが、どうやらクロニウスへ同行する件について了承が欲しいらしい。弘は、大きく溜息をつくと口を開いた。
「わかった。わかったよ。クロニウスまで一緒に来てくれていい。けど、向こうで用が済んだら、俺はそこから単独行動をするからな。そこは、わかってくれよ?」
「はい!」
「無論だ。主が己を磨く修行を、我が邪魔するはずがない」
要望が通ったことで嬉しいのか、カレン達の声が弾んでいる。これを聞いて弘は少しばかり苛立ちを感じたが……顔には出さず、自分のジョッキに手を伸ばした。そして、エール酒で口をしめらせながら、誰に言うでもなく呟く。
「クロニウスに言っても面倒なことになりそうだが……。その前に、シルビアのことはマジで何とかしておきたいよなぁ」
この一言で、それまで浮かれていたカレンが静かになった。グレースは直接関係ないものの、空気を読んで居住まいを正している。
「やれやれ……」
弘は階段を見て、シルビア達が降りてくる様子がないのを確認すると、半分ほどジョッキに残っていたエール酒を飲み干した。
(女絡みで揉めそう……か。……もっと気楽に異世界ライフを送りたいんだけどなぁ……)
◇◇◇◇
その頃。
2階のギルド受付で個室を借り受けたシルビア達は、木製寝台に並んで座っていた。
ノーマがシルビアに座るよう促し、2人して腰を下ろした後は、何を話すでもなく時間が過ぎている。だが、数分ほど経過した頃にノーマが口を開いた。
「で? あなた、いったい何をどうしたいわけ?」
「えっ?」
捨てられた子供のような表情のシルビアがノーマを見ると、ノーマは間近でシルビアの顔を覗き込んだ。
「幼なじみだかなんだか知らないけれど。大事なお嬢様に彼氏ができたんでしょう? それが不服なのだとしたら……ヒロシとカレンを引き離したいの?」
「それは……そんなこと、思うわけありません」
シルビアは言う。カレンに交際相手ができたことは喜ばしい。もちろん、貴族階級のカレンが弘と交際するについては、問題が多々存在するが。しかし、冒険者として剣を振るい、胆力や度胸等を培ってきたカレンであれば、多少の障害などは耐え抜いてみせるだろう。
「問題はあるけど深刻って程じゃないわけね。じゃあ、なんで泣いたりしたのかしら?」
「それは……言えません」
消えそうな声で言うとシルビアは顔を背けるが、その彼女の下顎を掴んでノーマが振り向かせた。
「言いたくないなら、私が言ってあげる。シルビア。あなたは嫉妬してるのよ」
「ち、違います!」
「いいえ、違わないわね。密かに意識していた男……ヒロシがカレンと交際することになって、あなたは嫉妬したのよ」
強く否定したシルビアを、ノーマは追い込んでいく。
「でも、カレンに遠慮してるのか、あなたはヒロシのことを諦めようとしてる。でも、諦めきれない。どうして良いかわからなくなって泣いてしまった。そういうことなのよ」
「もし、そうだとして……。それが、なんなのですか?」
それまで泣きそうになっていたシルビアが、ギュッと眉間にシワを寄せてノーマを睨む。
「今、あなたが言ったとおりだとして……。サワタリ殿は、もうカレン様やグレース殿と交際することになったじゃないですか。そんな3人に割って入るだなんて、私にはできません。割り切ってサワタリ殿のことを諦めるべきだと、本当はわかってるんです。でも……」
シルビアの頬を涙が伝った。
「私だって1人の人間で、女なんですよ? 諦めきれなくて悩んだり、苦しんだりしてもしかたないじゃないでしょう! それが悪いことだとでも言うんですか!」
言うだけ言い切ったシルビアは、肩で息をしながらノーマを見据える。その視線を正面から受け止めながら、ノーマは口の端を持ち上げた。
「悪いとは言わないわよ。ここへあなたを連れてきたのは、あなたの気持ちを確認したいと思ったから。で、思ってたとおりの悩み方をしてたみたいなので、一言言わせて貰うわ」
スッと手を伸ばし、シルビアの目元や頬の涙を拭う。
(お坊様にしておくには美人すぎるのよねぇ。それに……)
普段の澄ました顔や、僧侶らしく真面目ぶった顔も綺麗と言えば綺麗だが、今の『女』を剥き出しにした顔も綺麗だとノーマは思った。僧職ではなく、例えばカレンのような立ち位置の……貴族の令嬢だったとしたら。さぞかしシルビアはモテたことだろう。
そんなことを考えながら、ノーマは言った。
「諦める必要なんて……ないんじゃないの?」
「はいっ?」
シルビアの目が丸くなる。ノーマが言ったことの意味が理解できていない様子だ。しかし、呆気にとられていた表情が不機嫌なものへと変貌していく。
「何を言っているんですか! サワタリ殿は、もうカレン様達と……」
「交際してるわよ? でも、相手女性は2人いるのよねぇ? カレンとぉ、グレース」
わざとらしく天井を見上げながら、ノーマは指折り数えた。
「じゃあ……今居る2人が3人、ひょっとしたら4人になっても良いと思わない?」
「良いわけが……え? 今、4人って……」
自分がヒロシの交際メンバーに加わったとしても3人。4人と言うからには、もう1人……別な女性が存在しなければならない。シルビアが震える指先をノーマに向けると、ノーマはニッコリ笑って頷いた。
「んふっ。私も、ヒロシとくっついちゃいたいかなぁ~って」
「あ、あなたも、サワタリ殿を慕っているのですか!?」
焦り声のシルビアを、まあまあと制してノーマは続けた。
「慕う? 慕うかぁ……。私のは、あなた達とはちょっと違うのよねぇ。だけど、私から見てもヒロシはイイ男よ? 彼と親密になってもいいって思える程にはね」
(それに、大いに見込みがあるもの。ツバを付けておいて悪いってことはないわ)
カレンとグレースは、憧れや恩義から発展した思慕や恋慕。シルビアは暫く同行した結果、好印象が発展した恋愛感情。そして、このノーマの場合は、好印象と打算により弘を気にかけていたのである。
◇◇◇◇
偵察士、ノーマ。彼女の人生設計は、ある程度の私財を蓄えたら貴族や金持ちの妾、あわよくば本妻となって安泰な余生を得るというものだ。だが、おとぎ話の主人公のような能力者、ヒロシ・サワタリを見た時。ノーマは「これだ!」と感じたのである。
(あの召喚術って言うのは、物凄い能力よ? それを使うヒロシの強さは、レッサードラゴンを単独で倒せるぐらいだし。聞けば、更に修行をして強くなるつもりだとか。これは……大物になること間違いないわ)
クロニウス近辺でムーンパーティーに居た頃。すでにノーマは、ジュディスパーティーに在籍していた弘に狙いを定めていた。ただ、当時はジュディスやウルスラが邪魔で、なかなか弘に接近することができなかったのである。そうしている内に弘は、ジュディスパーティーを抜けて1人で旅立ってしまった。
(でも、ヒロシが王都に行こうとしてるのは知ってたから、メルの護衛を引き受けて王都に向かったのよね)
先ほどグレースも言っていたが、王都にて弘を待ち受けようと考えたのである。彼が1人で行動しているのならば、当然、そこにジュディスやウルスラは居ない。そして、弘が冒険者として当面の生計を立てていくつもりであるなら、偵察士としての自分は彼の役に立つはずだ。
(そこから落としにかかるつもりだったんだけど……)
思いのほか早く、ディオスク闘技場で弘を発見したのである。これ幸いと接触を試みたのだが、その時すでに、弘の側にはカレンとグレースが居た。それでもノーマは、ダンジョン探索をすると言う弘に、パーティーメンバーとして同行したものの……。
(結局、カレンとグレースに先を越されちゃった……)
今となってはもう遅いが、もっと積極的にアタックしておけばとノーマは思う。やはり打算まじりでは、自分に真剣さが足らなかったのだろう。しかし、まだ望みは絶たれていなかった。シルビアにも言ったとおり、たった1人をではなく2人同時に受け入れてくれるのであれば、そこに2~3人加わっても大丈夫ではないか? と、そう考えたのだ。
(ヒロシは諦めてしまうには惜しすぎる男だもの。何とかして親密になっておかなくちゃ)
パーティー解散となる前に、告白と言うほどではないが、敢えて言うならばツバを付けようとしたのである。そして、それをどう切り出そうかと思案していたところ……彼女の目に止まったのが、弘の交際宣言を受けてショック状態にあるシルビアであった。
(私はカレンやシルビアよりも、ヒロシとの付き合いが浅い。グレースみたいに、すでに肉体的な関係があるわけでもないし。……正直、今ここに居ないジュディスやウルスラにも負けちゃうかも)
そんなノーマがアタックしたとしても、弘はカレンやグレースに気を遣って振ってくる可能性が高い。恋人枠に余裕がありそうとは言え、「じゃあ、お前も来い」とまではいかないのは目に見えているのだ。
(そこでシルビアの出番よ。煮え切らない彼女をヒロシの前に押し出して、告白させる。で、そこで私も名乗りをあげる……というわけ)
ノーマ1人では駄目だとして、シルビアと一緒ならどうか? 恐らくシルビアに関して、弘は即座に拒絶したり、お断りしたりはしないだろう。そして、ノーマに対しても態度を保留させるはずだ。
(抱き合わせでいくってのは、女としてプライドが痛いわね。でも、今は私を強く印象づけられれば、それでいいわ)
◇◇◇◇
ノーマの胸の内に気がつかないシルビアは、暫し黙り込んでいる。
僧侶として、そして光の神の信徒として考えるなら、ノーマの提案は拒絶すべきだ。しかし、一女性として考えたとき……。
(この機会を逃すべきではない……のかしら?)
そう思ったのである。
そして、こうも思った。自分はカレンに対し、弘との付き合い方に関して色々と口を挟んできたが、それは真実、カレンを思ってのことだったろうか……と。ひょっとしたら、弘に親しくしようとするカレンを邪魔したかっただけなのかもしれない。
(ノーマが言ったとおりに嫉妬して……。そんなはずはない。そんなはずは……でも……)
ノーマの提案に乗って、弘に告白等した場合のことを考えてみる。少なくとも、今よりは思い悩むことがなくなるだろう。受け入れられるにしろ振られるにしろ、自分の気持ちに決着がつくからだ。ただ、その行動に出るには少しばかり勇気が足りないようだった。
(……神よ。私は、どうすれば……)
1人で悩み、ノーマに焚きつけられ、そして悩んだ末に神にすがる。
我ながら情けないと思うものの、それでも祈らずにはいられない。
(『……せよ』)
「えっ?」
誰かに語りかけられシルビアは目を開いた。すぐ隣では、ノーマが木製寝台に腰掛けている。だが、彼女が何か言った様子はない。むしろ、不意に声を出したシルビアを怪訝そうに見ていた。では、誰がシルビアに話しかけたのか。
(『……ろの……動せよ』)
(また聞こえた! ノーマには聞こえていないみたいだけれど。え? これって、もしかして……)
この頭の中で響く声に、シルビアは覚えがあった。
神学院での修行中、祭壇前で神へ祈りを捧げている時に聞いた声だ。
(神託?)
修行を積んだ僧侶。もしくは才覚ある僧侶が、時として神の声を聞くことがある。それが神託だ。多くは試練を得たり、直面した問題の解決策を授かったりする。
(確かに、法力と似た力の波動を感じる。これは間違いなく神力。でも……こんな神殿でもない場所で……。いえ、今は神の声を聞き漏らさないようにしなくては)
「あ、あの? シルビア?」
再び瞑目しだしたシルビアにノーマが声をかける。しかし、シルビアは答えることなく、神の声に耳を傾けた。
(教え……に逃げる、なかれ? 心の……ままに、行動……せよ? これは……)
教えに逃げるなかれ。心のままに行動せよ。
どういう意味か計りかね、シルビアは小首を傾げた。今の状況に当てはめるとしたら、宗派の教義、そして僧侶としての在り方にこだわるな。自分の思うまま、弘に対して行動せよ……と言っているように思える。
(私……逃げていたのかしら?)
確かに弘のことに関し、自分は僧侶としてどうあるべきかを気にしていた。だが、それは『逃げ』だったのだろうか。そうは思いたくないが、神託は神託だ。
(そして『心のままに行動せよ』……か。思ったとおりに動け。自分の気持ちに嘘をつくな。そう解釈して良いのかしら?)
そこまで考えたシルビアは、今一度自らの心に問いかけてみた。
自分は、本当にヒロシ・サワタリに恋愛感情を抱いているのだろうか。そしてそれは、カレンやグレースが居る場に割り込んでまで押し通していい感情なのか。さらには、ノーマが言った、あと2~3人ぐらい増えても大丈夫……という考えに賭けてみるべきかどうか。
ノーマに呼びかけられてから十数秒。考えに考えたシルビアは、目を閉じたことによる暗闇の中で、弘の顔を思い浮かべてみた。
『よう。シルビア』
神託の声ではない。あの、勝手気ままな異世界人の声が聞こえた……ような気がする。
「……悪くない……気持ちですね」
その目を開いたシルビアは、心配そうに見ているノーマに話しかけた。
「カレン様には申し訳ないながら。どうやら私は、サワタリ殿に対する気持ちを諦めたくないようです」
そう言うと、シルビアは静かに微笑むのだった。
◇◇◇◇
「思ってたよりも、すっぱり決断したものねぇ」
宿部屋を出て廊下を歩きながら、ノーマが後方のシルビアに言った。ノーマが思うに、もう少し悩むかと思っていたのだ。その言葉を受けて、シルビアがフッと笑う。
「……自らの心に従ったまでですよ。それよりも、ノーマ。あなたは、どうなのですか?」
「どう……って?」
足を止めて振り向いたノーマに、シルビアが問いかけた。
先ほど、宿部屋の中でノーマは「カレンやシルビア達と比べて、慕う意味合いが違う」ようなことを述べている。
「本当は私達のように特別な感情があって、それでサワタリ殿に接近しようしているのではありませんか?」
「と、特別な感情って言われても。私の場合は、主に打算が……」
口の端をヒクつかせて笑うノーマに、シルビアが一歩二歩と歩み寄った。身軽さや身のこなしでは、偵察士であるノーマに分があるはず。だが、このときのノーマはアッサリと詰め寄られていた。
「打算? 本当にそれだけですか? この機会によく考えて……いえ、自分を振り返ってみてはいかがですか?」
「そんなこと言われても……」
ついさっきまでは利用する対象でしかなかったシルビアに問い詰められ、ノーマは戸惑った。そして、戸惑ったまま考える。
(それは確かに、少しはヒロシのことをイイ感じだと思ってるわ。だけど、それは……)
その瞬間。ノーマの脳裏には、レクト村で操られた村人に追い詰められたとき。外から駆けつけ、皆を助けてくれた弘の姿が思い浮かんだ。
(あのときは、メルも一緒だったわね)
その後、同じ村でもう一度助けられている。こちらは巨大蜘蛛の襲撃に遭っていたところを、ギルド王都支部の幹部や、クロニウス支部の支部長を連れた弘が駆けつけたのだ。
そして、このクリュセダンジョンではギガントワームに襲われた際、弘が粘着液まみれの床をものともせず駆けつけてくれている。
(あのとき。私、ヒロシに抱きしめられたんだっけ……。うん?)
気がつくとシルビアが、普段の彼女からは想像もできないニヤニヤ顔でノーマを見ていた。
「な、なによっ!?」
「顔……赤くなっていますよ?」
「えっ? えええっ!? いや、ちょっと……」
慌てて両頬を手で擦る。紅潮しているかまではわからなかったが、熱を持っているのは確かだった。
「あっ……く。へ、変に意識しちゃったじゃない!」
「さっき、さんざん追い詰めてくれた仕返しです」
澄まし顔で言うシルビアは、そのままノーマの横を通り過ぎると、ギルド受付の方へと歩いて行く。
「やってくれるじゃないの。ちょっと甘く見てたのかしらね。……ああもう。ヒロシと話をする前に、火照った頭とか顔を元に戻しておかなくちゃ」
シルビアの後ろ姿を、恨めしく思いながら見送るノーマは、軽く舌打ちしてから歩き出すのだった。