第百十四話 クリュセダンジョン(15)
「相談は済んだかね? 何を話していたかは知らんが……。いい加減で縄を解いて欲しいものだ」
床で転がされたままのケンパーが訴えている。
離れた位置から戻ってきた弘達は、これからケンパーと交渉するのだが……望むとおりの結果を得られるかわからず、少しばかりの緊張を覚えていた。
「よし。では、頼んだぞ。リーダー」
「え? 俺が交渉するのかよ!?」
いきなりメルに交渉役を振られた弘は、自分を指さして言う。そんな彼を見ながら、メルは大きく頷いた。
「当然だ。依頼報酬に関連した交渉を行うのだからな。ジーンに関しては皆同情しているが、やはり大事なのは報酬だ。こういう事は、パーティーリーダーが行うものだろう」
「お、おう」
弘は気圧されたように返事をする。本当はメルに丸投げしようとしていたのだが、パーティーリーダーとしての責任論を持ち出されたのでは、自分でやるしかないだろう。
(……パーティーを組んだ頃、金にこだわらないようなことを言ってた気がするんだが……。上手いこと言って、面倒ごとを振られるのを避けたんじゃねーか?)
なんとなく納得しがたい。首を傾げながら前に進み出た弘は、頭の中で会話をシミュレートしながらケンパーの前でしゃがみ込んだ。いわゆるウンコ座りだが、MP回復姿勢の体勢でもあるため、先にタバコを召喚したことによって消費したMPが回復していく。
「あ~、縄ね。俺とちょっと話をして、色々と上手く話し終えられたら……解いてやってもいいかな」
「話? ああ、ジーンを解放するとか、依頼遂行の功績を私に譲るとか。そういう話か」
「そうなんだけど。端から譲られる前提かよ。まあ、いいや。結論に入る前に、ケンパーには確認したいことがある」
「確認? なんだ?」
弘はウンコ座りのまま顔を下げ、ケンパーの顔を覗き込んだ。
「あんたに必要なのは、依頼遂行の功績なんだよな? じゃあ……依頼遂行はケンパーがやったことにしていいから、報酬金は俺達に寄越せ。と言ったら、あんたどうする?」
「むう……」
弘の質問を受けて、ケンパーは一声唸る。すぐに返事をしないところを見ると、何やら考えているらしいが……。
ニヤリ。
ケンパーの口髭が、笑みによって揺れるのを弘は見逃さなかった。
(あ~……悪いこと考えてる顔だぜ)
「なるほど。サワタリの言うとおり、確かに私が必要としているのは功績であって報酬金ではない。だが、金というものは多くあって困るものではない。そして、ジーンの生死を自由にできるのは、この私だ。……ジーンを解放したければ、功績も報酬金も寄越せ……と言ったら、君はどうするね?」
やはり悪いことを考えていたようだ。
ケンパーが今言ったように、そして弘達が予想したとおり、彼は報酬金にこだわってはいない。だが、ジーンの解放というカードを持っている以上、弘達に対する譲歩は少なくしたい……そう彼は考えたようである。
(けど、こっちの質問に質問で返すっつうのはなぁ。もっとこう、ズバッと言いたいこと言いあって、サッと話を終わらせたいってのに。なんか面倒くせぇ……)
いきなり「何もかも寄越せ!」と主張して、それで弘達が激高して襲いかかって来たら、ひとたまりもない。恐らく、そういう不安要素からケンパーは質問するにとどめたのだろう。
縛り上げられているという状況がそうさせたのかもしれないが、彼がそう出るなら、弘としても事前に用意したカードを切るまでだ。
「どうするって言ってもなぁ。俺達だって慈善事業をしてるんじゃないし? 実質的に依頼を遂行したのは俺のパーティーだろ? 功績とかはともかく、なんで金までアンタに渡さなきゃいけね~んだ?」
これを聞いたケンパーは少し目を丸くした。弘達は、何の関係もない……それも会って間もないはずのジーンを、隷属の腕輪から解放することを要求していた。彼が言うように慈善事業ではないだろうが、人情や同情心から来た行動ではあるはず。
(なのに、ここで報酬金を譲らないとは……。ジーンの解放を諦めたか? いや、それは……)
弘達の雰囲気から察するに、諦めたようには見えない。どちらかと言うと、それ以外の表情が伺える。
(ニヤついてるのがサワタリとインスン。苦笑しているのがカレンとグレース。メルとノーマは興味なさそうだ。む、シルビアは不愉快そう……か? そして、ジーンは困惑顔。なにか企みでもあるのか?)
幾つか可能性や、弘達がやりそうなことを考えてみたものの、これと言った妙手が思いつかない。少なくとも、自分が弘達の立ち位置だったら報酬金を諦めるか、値引き交渉に切り替えるだろう。
(とにかく、話を続けてみるか……)
電撃による麻痺効果が残っているせいか、普段よりも頭が働かないケンパーは、方針を変えないまま交渉を続けることにした。
「報酬金は譲らないのか? ならばジーンは助からないな。ダークエルフの石像が一つ出現する。それだけのことだ」
「ほ~う? ジーンを石像に?」
ついにジーンの石像化を持ち出したが、対する弘は小馬鹿にしたような口調で言うと、更にケンパーに顔を寄せて言う。
「じゃあ、やって見せろよ?」
「ぬっ?」
弘の言葉を受け、ケンパーが怪訝そうな顔をした。彼は暫し黙っていたが、何事かを呟くと……その表情を驚愕に歪める。
「馬鹿な! 仕置き用の激痛が発生しないだと!?」
「激痛って、おま……。石化じゃなくて、そんなことしようとしたのか……」
弘が振り返ると、カレン達が驚いている中で、ジーンが息を詰まらせたような表情をしていた。ケンパーの言葉からすると、死なない程度の激痛がジーンを襲うはずだったらしい。ジーン本人は、その激痛を体験したことがあるのか、恐怖にすくんでいたようだが、その痛みが訪れないことで徐々に表情を柔らかくしていった。
「そういう風に設定したって言ったろ? ……本当に上手くいって良かったけどさ」
ジーンに対して言った後で、弘はケンパーに視線を戻す。
「で、まだ気がついてないみたいだから教えてやるが。首元、何か付いてる気がしないか?」
弘に言われてケンパーは身をよじっていたが、やがて自分の首に首輪がはめられていることに気づいたようだ。
「なんだ、この首輪は!? ……なにか仕掛けでもあるのか!?」
「う~ん。隷属の腕輪なんて持ってるくらいだから、効果とかも察しがつくんじゃね~の?」
モガモガと蠢いていたケンパーが、その動きを止める。そして、その顔を苦虫でも噛みつぶしたかのように歪め、弘を睨みつけた。
「隷属の……首輪か」
「正解! 一応、何したかを説明するとだ。『隷属の腕輪が使えない』って設定したんだ。いや~、効果覿面だな♪」
「……私が、隷属の腕輪に石化発動を命じたとしても、本心では『命じることができない』状態というわけだな? ゆえに腕輪の効果が発動しない……と。だが、何故だ?」
「ん? なにが?」
観念した様子のケンパーが問いかけてきたので、弘は首を傾けた。
「私が気を失っている間に取り付けたのだろう? ならば報酬金の交渉などせずとも、私にジーンの解放を命じればいいのではないか?」
「ふふん。見くびって貰っちゃあ困る。この俺はな、功績欲しさに他のパーティーを襲撃する奴とは違って、スジは通す男なんだよ。さっきアンタも言ってたろうが? ジーンは自分の所有物だって。ヒト1人を持ち物扱いする件についちゃ、俺的に思うところはある。だが、国の法律が許してる以上は、文句をつけるわけにはいかねぇ。だけど、そこを無理して解放させようってんなら、色々交渉するってこった。だいたい、首輪を使って無理に言うこと聞かせたんじゃ、強盗と変わらねぇだろうが」
などと、もっともらしく語っているが、本当はケンパーが言ったとおりの使用法を考えていたのだ。それをしない……いや、できなかった理由がある。
◇◇◇◇
ケンパーが目を覚ますよりも、少し前。
「……おい? これ、普通に逆らえるぞ?」
隷属の首輪を装着した弘は、グレースに現状を訴えていた。
「いや、我に言われてもな……」
かつての装着者たるエルフは、弘の質問に憮然としている。以前の彼女は、諦め混じりではあったが納得した上で、隷属の首輪の影響下にいた。だが、自由を得て弘に身を寄せた今となっては、自分を縛っていた魔法道具など見たくもないのだろう。
(娼館に居た当時の自分自身について、思うところがあるとか何とかか?)
グレースの気持ちはわかる気がするし、その彼女の前で隷属の首輪を使おうとすることの意味も理解できている。しかし、今重要なことは隷属の首輪が問題なく使用できるかだ。
それを確かめるため弘が実験体として立候補し、その首に首輪をはめたのだが……。
隷属の首輪が思ったように効果を発揮しないのである。
「メル? 確かに『カレンの命令に逆らえなくする』って設定したんだよな?」
「うむ。試験運用とは言え、大胆な設定をすると思ったが……操作に間違いはなかったはずだ」
そう中年魔法使いが言うので、弘は下顎に手を当てて考えた。
隷属の首輪への設定内容はメルが言ったとおりのものであり、カレンが弘に命じたのは『立ったままで居ること』『武器を使用しないこと』『召喚術を使わないこと』の3つ。これは命令者に悪意があったとしたら、かなり危険な命令である。特に2番目と3番目の命令が危ない。だが、そこは相手がカレンなので、弘は何ら気にしていなかった。
(そもそも、命令内容は俺が指定したんだしな……)
そして実験結果を述べると、これらの命令に弘は逆らうことができたのである。
「ところが、首輪に直接『腕を上げない』とか『剣を抜かない』とか細々設定すると、これが上手くいくんだよなぁ……」
「うむ。極めて限定的な運用ではあるがな。聞けば、グレースの場合は『自身の所有者に従う』という命令設定だったらしい。それがヒロシに通用しないというのは、ヒロシが特別に耐性を持っているのか、あるいは首輪が機能不全を起こしているのか……。ヒロシ。その首輪、装着したままで見せてくれるか?」
弘が頷くと、メルが近寄ってきて首輪のアチコチをいじりだした。
「ふむ。装着状態だと、魔力の流れがよく見えるな。フム……ほう、これは……」
「なにか、わかったんすか?」
「うむ」
メルの解説によると、どうやらこの隷属の首輪……対エルフ用に術式が組まれているらしい。つまり、人間に対しては上手く機能しないのだ。
(グレース用に特注した品ってわけか? 要は規格の違いってやつで……ああ、なるほど。レギュラーガソリン車にハイオクガソリンを入れると、性能が良くなるどころか悪くなることがある。とか聞いたことあるけど。そんな感じか)
密かに納得した弘は、更に幾度か実験をしてみる。やはり、人間に使用した場合は、極限定された行動の制限しかできないようである。
「ん~……『隷属の腕輪を使用できなくする』とかなら、大丈夫そう……なのかな?」
「わからん。高い確率で上手くいくと思うが、こればかりは『隷属の腕輪』も併用して実験してみないとな……」
そう言ってメルがジーンの左手首を見たので、弘も彼の視線を追った。そこには簡素であるが、装飾を施された腕輪が装着されている。
(隷属の腕輪か……)
その名に『隷属』の言葉を冠したアイテムに遭遇するのは、このジーンのケースで2例目だ。この手のアイテムに良い印象を持たない弘は、軽く舌打ちをする。
「まあ、しかたね~や。ケンパーに首輪をはめて、隷属の腕輪を使えなくしておこう。上手く効果が発揮できるかはわからんが……。くそ、危ねぇ博打だな。他に手はね~のかな?」
ぼやきながら方針を述べ、それでも他の手段を気にかけるが……ここでジーンが弘に向けて進み出た。
「私、それでもいい。もう……誰かの言いなりになるのは嫌……」
その表情を見るに、彼女なりに覚悟を決めたのだろう。
黙って頷いた弘はカレンに首輪を外して貰い、それをメルに手渡した。
「こうなりゃ、やるしかねぇ。場合によっちゃあ、いちかばちかでケンパーを殺すことになるが……。メル、首輪の設定を頼むわ」
「承知した。私も、似た境遇のグレースと行動している身だ。ジーンのことは助けてやりたいのでな」
そう言い残し、メルは首輪を片手にケンパーのところへと歩いて行く。
彼の後ろ姿を見送る弘は、メルだけではなく、他の者達もジーンを気遣うような雰囲気になっていることに気がついた。
(いいことだと思うんだけど。俺が助けたいとか言ってるもんだから、気分でも伝染したか? それとも、これが多人数を率いるリーダーの発言力とか、そういうやつなのか?)
あるいはメルが言ったとおり、グレースの過去事情にジーンの境遇を重ね合わさせて同情したのかもしれない。
ただ、弘は次のようにも思っていた。
(さっきの戦闘で誰か死ぬか、大怪我する奴が出てたら……ここまでジーンのために動こうって気にはなれなかっただろうな)
その場合、ケンパーとジーンを殺して、サッサと地上に戻っていたことだろう。
(それでも俺が『ジーンを助けたい』って言ったら、みんなは従ったか? いや、どうなんだろうな……。……うん?)
あれこれ思い悩むうち、弘はグレースが浮かない顔をしていることに気づいた。自然と足が彼女に向かい、距離を詰めていく……だが、グレースは何やら考え事をしているままだ。
「なあ?」
「えっ? 主か……」
聴力に優れるエルフであるから、弘の足音は聞き取れていたはず。なのに驚きの表情を見せるということは、やはり何か思いつめていたのだろう。
「わ、我に何か用か?」
いつもの武人然とした雰囲気は見る影もなく、不安の塊のような顔をしている。弘は腰に手を当てると大きく息を吐いた。
「隷属の首輪のことか? あんたを縛ってた魔法具だからな。相手が人間のケンパーでも、あんたが見ている前で首輪を使うのは……やっぱり配慮が足らなかったな。すまん」
そう言って弘が頭を下げると、グレースは慌てて首を横に振った。
「違うぞ! 何を勘違いしている! 配慮と言うのなら、主は事前に首輪を使うことを、我に話してくれた。なにより、誰かのために使うのなら文句など言うはずがない……と我は言ったのだぞ? 主の思い違いだ」
どうやらグレースは、弘が隷属の首輪を使うことを気に病んでいたのではないらしい。では、何を思いつめていたのだろうか。
「差し支えなけりゃ教え……。ああ、やっぱ聞いたらマズいかな?」
教えてくれと言う要求の言葉を飲み込み、弘は質問に切り替えている。このグレースとは『交際相手』と言って良い間柄であったが、何でもかんでも話して聞かせろ! というのは、何か違うような気がしたのだ。一方、グレースはと言うと、困り顔でモジモジし始める。
「うっ……。我も、主には隠し事などしたくないのだが……。これは、その……恥ずかしいから聞かないでおいて欲しい。とにかく主が気にするようなことは何もない。わかったな?」
「お、おう」
ここまでグレースが言うのなら、本当に気にしなくて良いのだろう。それにどうやら、グレースが浮かない顔をしていたのは、『羞恥心』につながることが要因らしい。
(だったら尚更、無理に聞くわけにはいかないか……)
グレースから離れた弘は、メルがケンパーの傍らで膝をつき、首輪装着の作業をしている姿を見た。そして、先ほどのグレースの様子についてこう思っている。
(女に気を遣うのって、難しいよな。……わけわかんね~し)
◇◇◇◇
弘が距離を取ったのでグレースは一息ついたが、別の足音が近づいてくるのを聞き取り身を固くする。先ほどは、考え込んでいたせいで弘の足音を聞き漏らしたが、今度は事前に察知できたようだ。
長い耳をヒクつかせながら振り向くと、そこに金髪の少女戦士……カレン・マクドガルが居た。
「カレンか。我に何か用かな?」
「あの……さっきサワタリさんと、お話ししていたことなんですけど……」
その話出しを聞いて、グレースは「聞かれていたか……」とバツの悪い思いを感じている。何でもないから気にするな……と突き放すのも1つの手ではあったが、このカレンとは、弘を間に置いて長い付き合いとなりそうだ。
(邪険にすることもないな。むしろ、この機会に腹を割って話をしてもよかろう。それに……同じ女だ。何かと話しやすいかもしれぬ)
普段のグレースならば、このような考え方はしない。自分1人で考え、自分1人で悩み、自分1人で解決するはずだ。少なくとも、そのように行動しようとするだろう。それを今しないのは彼女自身、気が弱くなっていることの表れだった。
「うむ。実は……いや、ちょっと待て。他の者に聞かれたくない。風の精霊魔法を使うが良いかな?」
「え? ええ、構いませんが……」
カレンが了承したので、グレースは彼女を壁際まで連れて行き、そこで精霊語を呟く。
サイレント・ウィンド。それが、グレースが行使した精霊魔法の名だ。精霊魔法の中には、空気の動きを止めて音を聞こえなくさせるものがある。たいていは、敵性魔法使いにかけて呪文詠唱をできなくしたり、相手を騒ぎ立てさせず始末する場合に用いられる。このときは、周囲に音を通さない風の流れを発生させ、誰にも聞かれぬように会話しようとしたのだ。
「とまあ、そういったわけで内緒話ができる。強力な精霊魔法や、解呪魔法を飛ばされたら効果は消えるが……今は、その心配はしなくても良かろう」
そう前置きしてからグレースは、恋敵であり同時に恋仲間とも呼べるカレンに対して、胸の内を明かしていくのであった。
◇◇◇◇
カレンがグレースに声をかけようと思ったきっかけは、相手が思いつめた表情をしていたからだ。ただし、グレースが弘と何やら話しだしたので、その会話内容が気になった……という方が声かけの理由としては大きい。
(だって、好きな人と……その人を好きな女の人とのお話しだもの。普通は気になるわよ……ねえ?)
心の中で言い訳しつつ、カレンはグレースの話に耳を傾けた。
(「我が気に病んでいたのは、やはり隷属の首輪のことだ。ただし、サワタリが気にした、『我から取り外した首輪を別の誰かに使う』こと。……そのことについて悩んでいたのではない」)
(「と、言うと?」)
身長差があるため、上目遣いでカレンがグレースの顔を覗き込む。グレースは、一瞬言葉を詰まらせた後で、気まずそうに口を開いた。
(「我はな、サワタリが隷属の首輪を使うことに関して、本当に気にはしていない。そのはずなんだ。だが、実際に彼が首輪を使ってケンパーを脅す……もとい、交渉をしたとき。妙なことを我自身が考えないか、それが不安で……」)
(「妙なこと……ですか?」)
(「ああ……」)
グレースは言う。
隷属の首輪を使うにあたり、弘は事前に相談してきた。彼なりにグレースに気を遣ったのである。その弘に快諾しておきながら、いざ首輪を使用するとなったら彼に悪い印象を抱いたりはしないか。それがグレースには不安だったのだ。
(「……笑ってくれていいぞ?」)
(「笑ったりしません。むしろ、グレースさんが羨ましいです」)
(「う、羨ましい?」)
(「はい」)
目を丸くするグレース……というのは滅多に見ない表情だが、その様子に可愛らしさを感じつつカレンは頷いて見せる。
カレンは初めて弘と出会ってから、今日まで幾度か行動を共にしてきた。その中で、沢渡弘という男は、確かに粗暴な振る舞いは多いものの、身内や親しい者に関しては割と気配りをする人物であることを、その目で見て知り得ていたのである。
(本当に羨ましい……。私が見た限りじゃ、サワタリさんが女性のためにアレコレ動いたり、気を遣ったのってグレースさんぐらいなのよね。……あ、ジュディスちゃんもか……)
瞬間、脳裏に『してやったりな笑顔』で親指を立てるジュディスが思い浮かび、カレンのこめかみにはピキッと血管の筋が浮いた。
(「か、カレン?」)
(「ああ、いえ。何でもないですよ?」)
言い繕いながら人差し指で青筋をなぞると、カレンはグレースに微笑みかけた。
(「ともかく……考えてみてください。サワタリさんが自発的にグレースさんを気遣ってるんですよ? 嬉しくないですか?」)
(「それは……そうか。けっこう嬉しいな」)
一瞬、戸惑いを見せたグレースは、徐々に表情を和らげていく。それがまた、カレンには面白く感じられなかったのだが、努めて表情には出さないでいた。
(「う~……我慢我慢。でも羨ましい……」)
(「さっきも言っていたが、そんなに羨ましいのか?」)
不思議そうなモノを見る目でグレースが見下ろしてくる。いつの間にか考えを声に出していた……と気づいたカレンは、口元を手で押さえたが後の祭りだ。
(「だ、だって……私もサワタリさんに、色々して欲しいなぁ~って」)
(「なるほど。そういうことか」)
事情を察したのかグレースがニンマリ笑うので、カレンは頬を赤く染める。
(「うう~っ」)
(「ははは。カレンは……かわゆいなぁ。しかし、サワタリとの付き合いはカレンの方が長いのであろう? 我に言わせれば、カレンこそ羨ましい」)
(「そ、そうなんですか?」)
美貌のエルフから意外な言葉が飛び出たので、カレンは思わず問いかけた。これに対し、グレースは「うむ」と頷く。
(「つまり、我が知らぬサワタリのことを見て知っているわけだ。いや、話して聞かせて貰えば我も知ったことにはなるだろう。だが、聞いて知っただけの我と、その場でサワタリと共にいたカレンとでは大きな差があるのよ」)
(「何となく……わかります」)
弘と共に行動し、同じ時間を共有すること。その経験量が自分よりも多いカレンを、グレースは羨ましく思っているのだ。
(「まあなんだ。これからサワタリとの思い出を、どんどん作ればいいだけのことではあるがな」)
(「ふふっ。そうですね。……ときに、今の気分はどうですか?」)
グレースの口調や雰囲気が普段と変わらなくなっているのに気づき、カレンは問いかけてみた。問われた側のグレースは、キョトンとしていたが……やがてカレンを見て微笑む。
(「そう言えば……特に息苦しさや、気の重さを感じなくなっている。カレンのおかげだな。礼を言うぞ」)
(「感謝されるような事じゃありませんよ」)
そう言って笑ったカレンは、離れた位置でメルの様子を見ている弘に目を向けた。つられるようにグレースも弘を見たが、やがて2人で顔を見合わせると、照れたような……それでいて、困ったような表情で笑い合うのだった。
◇◇◇◇
(そういやカレンとグレースが何か話してたみたいだけど。何だったんだ? ……まあいいけど)
メルと行った隷属の首輪の運用実験。その時の模様を思い出していた弘は、回想を打ち切ると、再び眼下で転がるケンパーに意識を集中した。
「ともかくだ。お互い隷属の魔法具を使ってるんじゃあ、人質やら脅しやらもあまり意味ないだろ? 交渉が決裂して魔法具を使い合ったら、ジーンは石像になるだろうがケンパーは死んじまう。そんなことになるくらいなら、依頼遂行の功績ってやつだけで手を打たね~か? なあ?」
諭すように言う弘に対し、ケンパーは暫し黙したまま睨み上げている。1分か2分も経過した頃だろうか、やがて口髭を振るわせながらケンパーは口を開いた。
「わかった。サワタリの言う条件で手を打とう。金は……それほど問題じゃないからな」
「わかってくれて嬉しいぜ」
内心ホッとしながら弘は腰を上げた。そして思い直したように膝を突きなおすと、アイテム欄取り出しした短刀で、ケンパーを縛る縄を切っていく。そして立ち上がったケンパーに、アイテム欄収納してあった彼の剣を手渡した。
「……いいのか?」
「上層に近いとは言っても、モンスターは出るだろうからな。縛った状態で連れ歩くのは面倒だし? 丸腰で歩かせるのも危ないだろ?」
そう言って縄の残骸をアイテム欄収納した弘は、周囲で見ていたパーティーメンバーを呼び集める。
「え~、話し合った結果。ケンパーは報酬金については諦めてくれることになった。ジーンの解放についちゃ……どの時点で腕輪を外すんだっけ?」
解放時期については話を詰めていなかったので、弘が聞いてみたところ、ケンパーは嫌そうな顔で弘を見た。
「……まず、ダンジョン外のギルド出張所で、私が依頼遂行を報告する。その後、ギルドの検査係……中堅クラスの冒険者だが……彼らと共に再度ダンジョンに潜って、管制室を確認するんだ。そうして検査終了したら、晴れて私は依頼遂行者となるし、報酬金も受け取れる」
ここまで一気に話したケンパーは、一息ついてから再び口を開いている。
「ジーンの腕輪を解除するとしたら、受け取った報酬金をサワタリに渡したときだろうな。私に取り付けた首輪は、そこで解除してくれるんだろう?」
「もちろんだ。金を貰ってジーンも解放できたなら、あんたを『隷属』させておく必要なんてないからな。そうなると……報酬金が手に入るまで1~2日ぐらいはかかるのか」
毎度のことだが、ギルドで達成報告をしたら、その場で報酬を貰えればいいのにと弘は思う。しかし、ゲームではない現実のことだから、やはり確認作業は必要なのだ。
「そういや依頼達成者が同行する必要があるんだっけ。まあ……隷属の首輪があるし、ケンパーに任せきりでいいか。いや……待てよ?」
呟くように確認していた弘は、はたと思い当たった。
管制室を発見したからと言って、ダンジョン内が安全になったわけではない。資材不足を補うためのモンスター捕獲と、捕獲したモンスターを流用した兵器開発は今も続いているのだ。
「検査する頃には、モンスター兵器とかが補充されてるかもしんね~な。……俺達も同行した方がいいのか」
この弘の発言に、ノーマやシルビアが不服そうであったが、口に出して反対はしなかった。弘達が同行しない場合。ギルドの検査委員とケンパーだけで、ダンジョンに潜ることとなる。ダンジョン最深部で遭遇したモンスター達のことを考えると、かなり不安だ。かといって、他のパーティーを雇わせるのもどうかと弘は思う。
(なんか見張ってないと、ケンパーが何しでかすかわからないって……それもまた不安なんだよな)
検査への同行について特に反対意見が出なかったので、弘はケンパーに対して凄んで見せた。
「しかたね~から、検査に付き合ってやる。いいか? 妙なことは考えない方がいいぞ? その首にゃあ隷属の首輪がはまったままなんだからな?」
とはいえ、この隷属の首輪……装着種族の適性が合わないため、すでに設定した『隷属の腕輪が使えない』以外の命令追加ができない状態なのだ。この設定を変えるためには、直接に首輪を操作する必要がある。しかし、ケンパーはそのことを知らないので、今のままでも充分脅しになるだろうと弘は考えていた。
「わかってる。私とて、無理をして依頼遂行者になる機会を不意にしたくはない。せいぜい仲良く、またこのダンジョンに潜るとしよう」
(よし。バレてないな)
ケンパーが素直に従ったので、弘は内心ほくそ笑む。
「よっしゃ! 話はまとまったな! じゃあ急いでダンジョンの外に出るとしよう!」
弘が宣言すると、居合わせた者達は皆が頷いた。元からのパーティーメンバーではないインスンやジーン、それにケンパーまでが頷いている。もっとも他の者達が程度の差こそあれ明るい表情をしているのに対し、ケンパーのみは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
(まあ、無理もないか……)
目標は達成できただろうが、経過や現状に関しては不本意。それがわかる弘は苦笑したが、手早く皆に指示を出し隊列を組む。インスンとケンパーが加わった頃の隊列に近いものの、少し差異がある。ケンパーが、いつもどおり先頭を行くノーマの……さらに前を歩いているのだ。
これは弘が、メルやノーマと相談して決めた配置である。ケンパーが『首輪の遠隔操作で一撃死になる』と思い込んでいるため、逃げる恐れがないこと。一応なりとも帯剣している彼に、背中を見せたくないこと。妙な行動を取ったら、即座に弘が射殺できること。この3点が主な理由だ。
(やれやれ。管制室も見つかったし、ケンパーとの一件も片がつきそうだし。だいたい上手くいった感じか……)
歩き出したケンパーについて歩き出すと、他の者達も歩き出す。ダンジョンに潜りだした当初とは違い、照明が機能している通路は実に明るい。かなり先まで見通せるようになった通路を見やりながら、弘は思う。
(あとは金を手に入れて、このダンジョン探索は終いだな。そうだ。拾った指輪とか調べて、ジュディスに渡して良いものか考えないとな)
そうしてジュディスとの約束を果たしたら、いよいよ一人旅で本格的に修行……いや、レベル上げ作業だ。日本に居た頃、ネット喫茶で見かけた異世界小説の主人公達。彼らほど強くなれるかは定かではないが……。
(そんなに時間をかける気もないけど、やるしかないな。レベルアップに最適な場所も見当がついてるし。魔王とかマジで居るような世界じゃ、レベルは高いに越したこたぁないよな)
レベルアップに最適な場所。
すうっと視線がスライドし、弘が見た方向はディオスクの西方だった。その先には岩山地帯がある。
(クリュセダンジョンの依頼を選んだとき、もう一つ、ダンジョン探索依頼があるのを見かけたな。あそこで、みっちりと経験値稼ぎだ……)
ブレニアダンジョン。それが、そのダンジョンの名称である。