第百五話 クリュセダンジョン(6)
魔法物品資料倉庫。
古代文明において自国内で作成したか、あるいは他国から奪ったか。そういった魔法の品を、研究資料として保管するべく用意された部屋である。今日まで封印されていたおかげでホコリこそ少ないものの、陳列棚の品々は大半が劣化……使い物にならなくなっていた。
その中でもまだ使えそうだと思われたのが、長剣1本、短剣1本。方形盾1つに指輪が1つである。これらがすべて、魔力ないし魔法を付与された品なのだが、どういった効果や効力を持つかがわからない。使って確かめるしかないので……パーティー内の誰かが試すこととなった。
「で、頼りになるパーティーリーダーこと……この沢渡弘が、お試しで使おうってわけだ」
誰に言うでもなく言っているが、同じ部屋に居るカレン達にはよく聞こえている。カレンとグレースは別にしても、他の者達は弘に押しつけた形になっているため、顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
「なぁに、ここ最近の俺は(レベルアップにより)頑丈になってるからな! ちょっとぐらいのことで……ってゆうか、話の流れですっかり忘れてたぜ。対象物解析をしてみりゃいいんだ」
床に並べられた物品を吟味する前に、弘は対象物解析を試してみる。これで品々の正体が判明するなら、わざわざ危ない思いをしなくても……。
ブブーッ!
どこからともなくブザー音が聞こえ、弘の眼前にウィンドウが現れた。
「ああん? 『解析レベルが不足しています』だあ? ……でぇい!」
表示された内容を読むなり、弘はウィンドウに向けて怒りの右ストレートを放つ。もちろん彼の右拳は、毛ほどの感触を得た後、ウィンドウの向こう側へ突き抜けただけだ。無益な行いだった上、周囲からは弘が何もないところを殴ったようにしか見えない。
「ヒロシ? どうかしたのかね?」
「あ、いや。対象物解析で何とかならないかな……って、試してみたんすけど。上手くいかなくて。つまり画面表示が……あ~……とにかく試します」
メルに軽く説明し、弘は咳払いしてから長剣に手を伸ばした。
多少凝った意匠の剣という以外、カレンが持つ長剣と大して変わりがなさそうである。恐る恐る手に取ってみると、その重さも『長剣並み』としか表現しようがなかった。
「普通だな。なんかこう、炎が噴き出すとか……そういうのがないのか?」
イメージしたのは、クロニウスのギルド支部長、アラン・リッチマンが持っていた炎の剣である。ああいう目に見える効果があると、これぞ魔法剣! という気がするのだが……。
「じゃあ……ちょっと振ってみるか。……部屋の外でやった方がいいな」
そう判断した弘は、魔法の長剣を下げて資料倉庫の外へ出た。無論、カレン達もゾロゾロと後をついてくる。
弘は「なんだかなぁ」と思いつつ、通路の様子を見てみた。資料倉庫の前は、直前の戦闘で倒したモンスターの死骸が累々としており、それらの死肉をあさるモンスターの姿が……まだ見えない。
(死臭すげぇから、そのうち集まってくるんだろうな。あと、相変わらず暗ぇえし。管制室を見つけたら、まず電源とか入れたいねぇ)
今はダンジョンという地下施設を行動中なのだから、暗いのが当たり前である。しかし、せっかく照明設備とかが天井付近に見えるのだから、使えるなら使いたいと弘は思うのだ。
「……よし。じゃあ、この……」
すぐ目の前にある人型の爬虫類を、弘は対象物解析する。
<ケイブ・リザードマン>
洞窟棲のリザードマン。知能、総じて低し。
先ほどは役に立たなかった解析能力であるが、今回は上手く表示してくれた。
闘技者や冒険者にリザードマンが居るので、こっちの世界ではリザードマンは亜人扱いなのかと弘は思っていたが、どうやらモンスター枠のリザードマンが別に存在するということらしい。
(正直言って、闘技場で見たリザードマンの方がよほど動いてたけどな)
「この、ケイブ・リザードマンの死骸で試し切りするぜ! どっ……せいっ!」
気合いを込めて振った瞬間。
ピシャーーーン!
という音が、青白い閃光とほぼ同時に聞こえた。弘が剣を振ったことで、落雷が発生したのである。天井が高い通路とはいえ、施設内で落雷とはさすがは『魔法』だ。
ケイブ・リザードマンの死骸は……と見ると、白煙の筋が幾つも立ち上っている。今の攻撃により、スタン警棒のようなダメージが発生したらしい。
ただし、良い話ばかりではなく、発生する落雷が使用者の頭を直撃する……というのは大問題であった。
「ぐっ……げほっ。痛てててっ。心臓が止まるかと思ったぜ……」
全身各所から白い煙の筋を立ち上らせながら、それでも弘は倒れていない。自然発生の落雷が相手ならいざ知らず、長剣程度の魔法具から発する雷では彼を倒しきることは出来ないのだ!
「いや! いやいやいや、おかしいだろ!? なんで剣を握ってる俺に、雷が落ちるんだよ!?」
「さ、サワタリさん!」
「サワタリ! 無事かっ!?」
カレンとグレースが駆けつけてくるが、それを弘は掌を突き出すことで制した。
「ああ、大丈夫だ。しかし、この雷剣……ひょっとしてハズレ武器か?」
「使用条件があるのかもしれんぞ! 登録や契約を交わした者にしか使えず、それ以外の者が使えば真上から雷が落ちるとかな!」
メルが解説してくれるが、大声になっているのは彼が離れた場所にいるからだ。更に彼が言うところでは、攻撃性能は制作者の期待どおりであっても、今のように雷が落ちる欠陥があるのかもしれない……とのこと。
「なんにせよ。使いづらい剣であるには違いないな」
スタン警棒使用時には雷撃耐性がつくため、片手に鉄警棒を持っていれば、この剣とて使用できるかもしれない。しかし、それでは警棒とバスタードソードを同時に持っていた時と、大して変わらないのである。
「……一応、貰っておくか……」
言いつつアイテム欄に雷剣を収納すると、弘は次に短剣を見た。その視界の端では、カレンがシルビアに引きずられるようにして遠ざかっていくのが見える。グレースはと言うと、駆け寄ってきた時のまま近い位置にいた。
「大丈夫だから。いや、大丈夫じゃないかもしんねーから、離れとけよ?」
「わ、わかった」
まだ納得していない様子であったが、グレースもカレン達のいる場所へ戻っていく。
「どれ……次は短剣か……。……タバコ吸いながらの方がいいかな?」
弘はタバコを召喚すると、念動着火して吸い始めた。同時に、その場でウンコ座りをする。こうすることによりタバコ効果で負傷治療、ウンコ座り……MP回復姿勢により消費したMPが高速回復するのだ。
端から見るとガラが悪いことこの上ないが、弘は気にすることなく短剣をいじりだした。短剣は片刃で、刃渡り30センチほど。刃の広さは4センチほどであり、この武器も見た目は普通なのだが……。
「ああん? 鍔元になんかボタン……スイッチみたいなのがあるな……」
反対側にも似たような突起があるが、こちらは動かないようだ。なのでパッと見には、双方とも鍔の構造の一部のように見える。
(また雷とか落ちるんじゃないだろうな?)
先ほどの雷撃はかなり痛かったので、弘は身構えつつ別なモンスターに短剣を向けた。今度の標的は、巨大なスズメバチ似の羽虫である。
「……せぇの……」
カチッ。
……押してみたところ、特に痛い目にはあわなかった。と言うよりも、何も起こらない。
「今度は故障品か?」
「ひ、ヒロシ! ちょっと!」
ノーマが何か言っているようだ。口調からすると慌てている様子だが……。
「あなた、身体が消えてるわよ!」
「はあ? 透明? 俺が? 使用者透明化の短剣ってことか? こいつは凄ぇ! でも、俺の目には身体が消えてるように見えないぜ?」
ウンコ座り姿勢のまま、弘は自分の身体を見回した。黒い衣服も革鎧も、すべて普段のままに見えている。しかし、ノーマは弘の姿が消えたと言うのだ。
……カチッ……。
再び短剣のスイッチを押すと、今度はカレンやグレースが「姿が見えた!」と報告してくれる。どうやらスイッチのオンオフで、使用者の姿が消える機能があるようだ。ノーマに持たせて試させたところ、やはり姿が消えた。
「どれくらい使うと効果が出なくなるのか? 使い切ったら、魔力は自然に回復するのか? 色々試したいが、取りあえずは良い品ってことでいいのかな?」
弘の意見に皆、異存はないようだ。この短剣もまたアイテム欄に収納しようとしたが……ここでノーマが待ったをかける。
「ヒロシ? この短剣、私が使ってもいいかしら?」
「いいんじゃないか? 拾得品の分配は帰ってからにするとして、今はノーマに持ってて貰った方がいい。戦力は多い方が楽だからな」
そう弘が言うと、ノーマは喜々として腰の短剣を取り替えた。ちなみに、元からノーマが持っていた短剣は、弘がアイテム欄に収納する形で預かっている。
「ありがとう、ヒロシ。凄く嬉しいわ」
「ノーマの個人所有と決まったわけじゃないんだが……。あと言っておくけど、戦闘中に使って相手の後ろを取るのはいいとして、充分気をつけるようにな」
「気をつけるって……何を?」
わかっていない様子のノーマがキョトンとしているので、弘は言ってやった。
「戦闘中に姿が見えなくなったら、何処に居るかわからんようになるのは味方だって同じなんだぜ? 俺の手榴弾や、メルの魔法に巻き込まれないようにしろよ……ってこと」
「うわ。そう言えばそうよね。わかった、気をつけるわ」
本当に気がついていなかったらしい。表情を引き締めるノーマが何となく可愛い感じだったので、弘は口元をゆるめた。が、他の女性達から鋭い視線が飛んで来ているのに気づき、慌てて他の道具に手を伸ばした。
「つ、次は方形盾いってみるか。どっちかって言うと菱盾だな。ヒーターシールドとか、そんな感じだっけ?」
手に持ってみたが、特に変わった様子はない。意匠としては、そこそこ格好良い部類に入るんじゃないかと思うが、重要なのは盾としての性能だ。大きさはカレンの円盾よりも少し大きい。表面をコンコン拳で叩いてみたが、強度は普通にあるようだった。
「内側は木製で、表面は薄鉄板貼りか? 今の俺だと軽々扱えるけど……カレンが持つとどうなんだ?」
「私ですか?」
名前を出されたカレンが前に進み出る。その後ろでシルビアが「危ないことは……」などと言っているが、弘もカレンも聞かない振りをして話を進めた。持っただけでは何も起こらないのだから、カレンに持たせて、重さや取り回し具合を見て貰うぐらいは問題ないだろう。
そうしてカレンに菱盾を持たせたところ、思ったよりも軽いらしい。このとき、カレンは鎧の力を使っていなかった。にも関わらず、鉄材を多く使用した菱盾を円盾より軽く扱えたので驚いている。
「構造材とか、見た目と比べても軽い……か。重量軽減の魔法でもかかってるのかな?」
メルに聞いてみたところ、フェザーフォールという羽毛のように落下速度を落とす魔法があるとのこと。その魔法を応用したとして、物品の重さを完全に消すのは至難の業だが、いくらか軽くする程度なら可能だろう……とのことだ。
「あとは防御力だなぁ。……この辺は試さなくてもいいか?」
今この場には弘という、強大な攻撃力を持った人間が居る。どこまで攻撃に耐えられるかを試しているうちに、菱盾が壊れては意味がないのだ。少なくとも円盾よりは防御力があるだろうと判断し、この菱盾は暫定的にカレンが持つこととなった。
「よろしいんですか?」
「俺は最近、盾を使わないからな。この中で言ったらシルビアも盾を持って戦えるそうだけど、尼さんを前衛に出すのは追い込まれてからだろうし。だったら、カレンが盾持ってればいい……って感じか?」
考え考えしながら説明したところ、カレンは頷いてくれた。そして、元から持っていた円盾をシルビアに渡している。盾持ちが2人になったことで、パーティーの防御力は向上したと言えるだろう。少なくとも、シルビア個人の防御力は上昇していた。
さて、最後に残ったのが指輪だ。弘は嫌々ながら手を伸ばす。
指輪は男性の……例えば、弘であってもはめられる程度にリングサイズが大きい。緑色の宝石がはまっていて、シンプルなデザインではあるが高級感を醸し出していた。
「エメラルドって奴かな? サイズからして男物って感じだが……。……指輪で魔法の品と来たら、一番呪われてそうなイメージがあるんだよな~」
人差し指と親指でつまみ上げたものの、この指輪もまた持っただけでは何も起こらない。となれば、後は指にはめてみるしかないのだ。
「……シルビアは、呪いの解呪とかできたっけ?」
僧侶であれば、呪われた場合にも対処して貰えるだろう。そう思っての質問だったが、カレンが動かないように袖を掴んでいるシルビアは、困ったように返事をする。
「ある程度は解呪できます……ですが、強大すぎる呪いだと私には無理です。と言うよりも、サワタリ殿? 今更言うのも何ですが、そんな危なそうな物を、この場で試す必要はないのではありませんか? サワタリ殿は大量の物品を持ち歩けるのですし」
「あ~……そういや、そうか」
これは1本取られたと弘は思った。
通常、ダンジョンの奥深くで宝物類を発見しても、その物量によっては一度に回収できないのである。他パーティーに発見される前に、回数を分けて内外を往復する必要があるのだ。
(あるいは、幾つかを諦めたり……とかだな。けど、俺にはアイテム欄があるから、ギルド宿とか、とにかくダンジョンの外まで運んでから試用できるんだ。最初から、そうしてりゃ良かったな)
と、そこまで考えてから弘は渋い顔をしている。
外に持ち出せたとしても、結局は自分が試すことになる……そこに気がついたのだ。
(脳天に雷くらうのは変わりないってことか……)
なんだか脱力してしまった気がするが、シルビアの意見を採用した弘は、指輪をアイテム欄に収納した。
(そういや、持って歩いてるだけでヒットポイントが減る……なんて指輪も、ゲームにはあったっけな。実際に持ち歩くのと、アイテム欄収納してるのでは結果が違ったりするのかな?)
我ながら良い疑問だと思うものの、それを実際に試したいとは思わない。アイテム欄収納のまま様子を見て、それで何もなければ可能な限り『アイテム欄』を活用した方がいいだろう。
「よーし、こんなもんか。みんな、疲れてるか?」
メンバーの疲労度を確認したが、休憩を要する者はいない。逆に、雷剣のアイテム効果で落雷を受けた弘を、皆が心配したぐらいだ。もちろん、弘は召喚タバコとMP回復姿勢によって、体力MPともに全快状態。行動するのに何の支障もなかった。
「しかし、便利だな。今度、絶食状態でタバコを吸って、それで体力が回復するか試してみないか?」
とは、メルの意見である。弘も興味はあったが、「また今度ね?」と返し、ノーマを呼んだ。
「じゃあまた先頭に立って貰うから。よろしく」
「任せておいて。さっそく短剣の力を試そうかしら?」
透明化の短剣の力で、透化しつつ先行するつもりらしい。なかなかアイテムの能力調査に熱心でよろしいと思うが、先行する彼女が姿を消したら皆がついていけなくなる。そこをグレースが指摘すると、ノーマは肩を落とした。
「そ、そうよね。ハア……今はモンスターの襲撃がないと、思い切り使えないってことね」
「まあ……そんときは、好きにしてくれや。もう行くぜ?」
そうしてダンジョン探索を再開することになったが、ここで通路の向こうから女性の悲鳴が聞こえてきた。いや、悲鳴などという表現では生ぬるい。金切り声、あるいは絶叫と言っていいだろう。
「他のパーティーがモンスターに襲われてるんでしょうか!」
カレンが発言する。恐らくは、そうなのだろう。では、どうするべきか?
先日助けた冒険者達が、モンスターの襲撃を受けた後で転がっていたのとは状況が違う。この声の主達は、今まさにモンスターと戦っているのだ。
(悲鳴の感じからすると、圧倒されてるっぽいな)
今すぐ駆けつければ、幾人かは助けられるかもしれない。遅れて駆けつけ、多少なりとも疲弊しているモンスターと戦う手もあるし、いっそのこと放置することもできた。
カレン達を見ると、皆黙って弘を見ている。パーティーリーダーが、どう判断するか待っているのだ。
弘は皆の視線を見返すと、とじていた口を開く。
「まずは見に行ってみるか。手出し可能な状況だったら助けても良いし、駄目なようなら……彼女らには気の毒なことになるってことで」
消極的であるが、この判断について異議を唱える者は居なかった。
◇◇◇◇
弘が率いるパーティーメンバーで、最も走るのが遅いのは誰か?
この問いに対する回答は、魔法使いのメルということになる。職業柄、運動不足であるし筋力も足りていない。ましてや中年期にさしかかろうという年齢では、弘達に合わせて速く走るなど無理な相談だった。
とはいえ、彼なりに懸命に走ってくれたため、思ったよりもパーティーの移動速度は速い。悲鳴や絶叫はまだ聞こえてくるので、襲われているパーティーは幾人かが生き残っているようだ。
……ボガーン!……。
遠くから炸裂音が聞こえてくる。メルが使うファイアーボールのような呪文でも唱えたのだろうか? そして、女性達の怒鳴り合うような声も聞こえてきた。
「全……効い……じゃない! この役……ず!」
「う……いわね! ……だって真剣……」
どうやらモンスターを前にした状況で、喧嘩を始めたらしい。
(おいおい、大丈夫かよ?)
大丈夫ではなかった。先ほどまで聞こえていた悲鳴とは別の声が、新たに絶叫し始めたのである。
「ぐわああ~。女の絶叫って耳に来るよなあ」
駆けながら弘が呟いていると、前方を駆けていたノーマがパーティー停止の指示を出した。すでにノーマは松明を消しており、後続のシルビアは、ランタンのシャッターを降ろし気味にして光をしぼる。
直前に見えたのは、曲がり角の手前で立ち止まるノーマの姿であり、弘達は光量を落としたランタンを頼りに、ノーマのところまで移動した。
「どうなってる?」
「見ればわかるわよ……」
駆けつけるなり聞いてみたが、ノーマが説明してくれない。仕方がないので、曲がり角から顔だけ出して覗いてみると……そこに巨大なサソリが居た。助けた冒険者達から聞いたとおり、横幅はアーマーライノスよりもあり、持ち上げた尾の高さは、やはりアーマーライノスを超えている。
何より、目を引いたのは全身に貼り付けられた鉄板だった。それは単に貼り付いているのではなく、各部を鋲のようなもので固定されているようだ。
「なんだありゃ? リベット打ちってやつか? 生き物相手に強引なことしやがるな」
「それより、サワタリさん! あの人達がっ!」
弘の下から覗き込んでいたカレンが、前方を指さす。それを受けて弘が視線をずらすと、向こうを向いているサソリの頭部付近で悲鳴が聞こえる。そこでは魔法使いらしい女性がいて、壁際でへたり込んでいた。そして……胸の悪くなるような咀嚼音が聞こえてくる。
「誰かが喰われているようだな」
グレースが、弘とカレンの間に割り込むようにして顔を出した。
「あの女魔法使いが最後の1人のようだが、どうするサワタリ? 助けるのか?」
「見捨てるのも何だし。助けてやりたいが……近くまで行ってブン殴るかな?」
弘が有する遠距離攻撃手段としては、覚えたばかりのRPG-7がある。しかし、弾種が『炸裂弾』だけなので、あの女性に被害が出るかもしれない。
「対象物解析……」
<大サソリ>
・尾に熱線砲を装備。
・装甲板追加。
また随分と簡潔な解析であるが、表示されたウィンドウが時折ブレているので、どうやら何かしらの妨害を受けているらしい。
「あるいは解析レベルが足りないか……だな。よし、前に助けた奴らみたく何か情報が貰えるかもしれねぇ! 助けるぞ! あと、今わかったのは、助けた奴らが言ってたみたいに、尾の先から熱線を出すってことだ。尾に注意しろ!」
弘が言うと、カレン達は一斉に頷いた。
さて、攻撃方針だが、今回もガードアーマーを倒した時と同じだ。弘が突撃し、他メンバーは後方から支援。カレンは予備戦力として、後衛メンバー等と共に残る。
「間際まで手ぶらで走って、間合いに踏み込んだらモールをアイテム取り出しして攻撃する。……上手く背後を取ってる形だけど、サソリって何処を攻撃するのがいいんだ?」
皆に聞いてみたが、知っている者は居なかった。なので、弘が素人なりに考えて攻撃部位を決める。
「背後から接近して尻尾の根本をブッ叩くか。聞いた話じゃ、尾の先から光線出すみたいだし、最優先で潰さないとな。尾を潰したら、背に乗って甲羅を割るんだ。心臓とかもその辺にあるんだろ? たぶん」
「尾を叩かれたサソリが、サワタリ殿を振り向くかも知れませんが?」
そう意見を述べるシルビアに、弘は笑ってみせた。
「そんときゃ、顔面をブッ叩くまでだ。それにメル達が魔法とか飛ばしてくれてたら、俺にばかり集中できないだろうしな。ここへ向けて移動するようだったら、こっちにはカレンが残ってるし? それはそれで俺と挟み撃ちにできるから、何の問題もないぜ」
一気に言い切ると、皆納得したらしい。それを確認した弘は、曲がり角から一歩出た。まだ大サソリは獲物を咀嚼しているようだが、壁際の女魔法使いが動こうとすると、ハサミを振り下ろして邪魔をする。すぐに殺さないのは、直前まで生かしておいて新鮮さを保つためだろうか?
(動物の、いや虫だっけ? サソリの考えることなんてわからんけどな)
声に出さず呟く弘は、両手の指をワキワキ開閉してほぐしている。召喚物品は出現と同時に重さが発生するので、それに対応するためだ。
そして、一瞬だけカレン達に視線を飛ばすと、何も言わずに駆け出したのである。
◇◇◇◇
弘は、瞬く間にサソリの背後へと到達していた。サソリは弘の接近に気づいていないが、この状態がいつまで続くかはわからない。
(今のうちに攻撃だな。明るくて助かるぜ)
弘は松明やランタンを持っていないが、襲われたパーティーの所持品だろうか、幾つかの松明やランタンが床に転がっていた。中には漏れだしたランタン油が床で燃えているのも見られ、おかげで大サソリが居る周辺はそれなりに明るかったのである。
「……モール」
弘はステータス画面を展開してモールを取り出すと、尾の付け根目がけて力一杯に叩き込んだ。そこにも装甲板はあったがモールの一撃を受けると、大砲の炸裂音のような音を立てて変形する。しかも内側に向けて裂けた装甲板は、大サソリの尾に刺さって体液を流出させていた。
「ピギャアアアア!」
耳障りな絶叫をあげたかと思うと、サソリは身体の向きはそのままに、尾の先端を弘に向ける。そこには情報どおりに金属製の覆いがあり、先端部に筒のようなモノが取り付けられていた。
第二撃を加えようとしていた弘は、その大サソリの行動を見て目を剥く。
「まだ動きやがるんか! くっ!」
このまま攻撃を続行するべきか? それとも、いったん回避行動を取るべきか?
弘は前者を選んだ。必要最小限の動きで熱線をかわし、さらなる一撃を加えるのだ。
(拡散するように撃たれたら無理だが、そんときは耐えるしかないな!)
運の要素が強いが、弘は振り上げたモールを再度振りおろした。今度は、先ほどの打撃痕を目がけての攻撃である。
……ズズッ……。
命中する瞬間、打撃痕の位置がずれた。大サソリが身をよじるかして動いたのである。これにより弘は、同じ位置へモールを当てることに失敗したが、それでも装甲破損部の近辺に命中したので、大サソリには更なるダメージを与えていた。
「ギャキシャアアア!」
「よっしゃあ! どんどん行……」
気炎を上げる弘。しかし、その彼に向かって大サソリの尾から熱線が放たれた。
ずぉび! ジャッ!
赤いそれは一条の線となって伸びたが、弘には命中しない。身体をずらしたせいか、二度にわたって尾へ打撃を受けたためか。いずれかの要因で狙いを外したらしい。ただ、その熱線の威力は恐るべきものだった。
ダンジョンの床は、何かを塗って固めたようになっており、継ぎ目のようなモノが見あたらない。そこをガードアーマーや大サソリがのし歩いても傷1つ付かないのだ。これは相当頑丈な造りになっているということなのだが、大サソリが放った熱線は、この床にソフトボール大の穴を穿っていたのである。どのくらい深いか定かではないが、下手をすれば下層にまで貫通しているかもしれない。
助けた冒険者達からの情報では、この光線を盾で受けた戦士が、盾ごと腕を吹き飛ばされたという。間違ってもくらいたくない攻撃であった。
「……ぐっ」
暫し、弘は躊躇う。それはほんの数秒に過ぎなかったが、その間に大サソリが驚くべき速さで方向転換していた。
「カァアアアアア!」
大きな口を……と言っても比較的小さなハサミがあって、それを開きつつ威嚇してくるが、この状況は想定内だ。眼前の巨大な顔を見て弘は呆気にとられていたものの、先ほど躊躇ったときよりも素早く復帰し、モールを振り上げた。
「くらええっ……うおっ!?」
ガクン! とモールが止まる。いや、大サソリの右触肢……右のハサミによって止められていた。普通ならここで武器を取り上げられるところだが、弘の腕力は普通ではない。
「でい!」
あっさりとモールを引き剥がし、続けざまに襲ってきた左触肢のハサミを、自由になったモールで打ち返した。
ガコァア!
ハサミにも装甲板が貼ってあったが、ものともせずにモールがハサミを打ち上げる。しかし、そこへまた右触肢のハサミが……。
「くそ! きりがねーな! ……ぬっ?」
襲い来る左右のハサミを、超重量武器とは思えない速度でモールを振り回し(自身もモールの重さに振り回されながら)迎撃していた弘であったが、その頭上で大サソリの尾の先端……熱線砲が向けられているのに気づいた。
「げえ!? まだ、あんな思うように動くのかよ!」
相当痛めつけたつもりであったが、現に熱線砲が狙いを定めている。今撃たれたら、回避は困難であり、さすがの弘も直撃を受けて無事でいられる自信はない。今こそ召喚防具のボディーアーマーの出番か……と思ったその時、大サソリの後方から火球が飛んできて、熱線砲に直撃した。
ドグァアアアン!
「メルのファイアーボールか!」
熱線砲それ自体に破損した様子はないが、それでも爆発の衝撃は大きかったのだろう。大サソリが藻掻いている。そして左右のハサミの動きが獲物を狙うものではなく、支離滅裂に振り回されてるだけと見た弘は、持っていたモールを再度振り上げた。
「でけぇ面さらしてんじゃねーよ!」
ガードアーマーを縦に叩きつぶしたモールの一撃。これが、ものの見事に大サソリの顔面に直撃した。まず顔面中央付近にある鋏角を粉砕し、右の大ハサミの根本まで達してこれも砕く。この一撃により、大サソリは巨大なハサミが片方使用不能となったが、弘は容赦することなく攻撃を続行した。
そして数回も叩いた頃だろうか。鋏角の下にあった幾つかの突起や構造物を、原形をとどめないほどに破壊され、大サソリは地響きを立てて身体を落としたのである。