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冥王星の少女 -the phantom girl of absolute zero-  作者: 草原猫
第五章 花火大会の夜に
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第八十二話 八月四日(土)朝

 翌朝である。朝食をすませたところで、僕は母さんに『よそで食べるから昼はいらない』と伝えた。

「こーちゃん、お弁当つくってくれる子とデートなんだね。わあ、うらやましい」

 ここぞとばかりに、からかわれた。いっぽう、父さんはなにも言わず、ただじっと新聞紙に目を落としているだけである。

「ちがうよ。ゴーや徹子ちゃんといっしょに、幸の家にいくんだよ。むこうでお昼をご馳走になるってだけ」

 たしかに、今日は土曜なので、堤さんと買い物にいく日である。しかし、それは夕方からのことで、日中にはべつの予定が入っていた。

「あ、幸ちゃんのほうか……。ねえ、こーちゃん。どっちが本命なの?」

 今日の母さんの追及は、いつになくしつこかった。

「幸ちゃんもいい子だけど、同級生のお弁当を毎日つくるなんて、なかなかできることじゃないわよ? それに、その子、ご家族のぶんもぜんぶ食事つくってるんでしょ?」

「い、いや、本命とかそういうのじゃなくて」

 すると、突然、父さんが顔をあげた。

「おい、コウ。なんでもいいが、二股だけはかけるなよ。それは男として最低だぞ」

「だから、そんなんじゃないってば!」

 どうやら、新聞を読んでいるふりをして、しっかりと話を盗み聞きしていたらしい。わが父ながら、呆れた所業である。

 一言だけいって気が済んだのか、父さんは、ふたたび新聞に視線をもどした。

「……けどね、こーちゃん。こういうのは、ほんとにちゃんとしないとダメなんだよ? 変なことになったら、あんただけじゃなくて相手も傷つくんだからね?」

 と思ったら、こんどは、母さんの態度が、きゅうにふだんと違うものになった。その意外なほど真剣な口調に、僕はつい返答につまってしまった。

 子供のころから、ずっと幸と仲よくしてきた。それにたいして、母さんにからかわれたのは、一回や二回のことではない。だが、こんなふうに諭されるような言いかたをされたのは、はじめてな気がする。

「隆一さんだってねえ。結婚するまえは、いろいろあったんだから」

「き、清美? おまえ、なにを」

 母さんの言葉に、父さんがいきなり慌てだした。声が裏返っている。

 はて、結婚するまえに、いったいなにがあったというのだろう。興味がわく反面、どうにも生々しく、気持ち悪くもあった。

 結局、母さんは、とくに詳細を説明することもなく、笑って場をごまかすにとどめた。カチャカチャと音をたてて、空になった食器を集めると、そのまま台所へと消えてしまった。

 なんとなく気まずい感じがしたので、僕も茶の間を出て、自室にもどることにした。

 しばらくのあいだ、部屋で読書をしたり軽いストレッチをしたりして暇をつぶし、やがて予定の時間になったので、いつもの待ちあわせ場所であるコンビニにむかった。

 外は、夏らしい抜けるような青空である。気温はそれなりで、湿気があまりないので、なかなか快適だった。セミの鳴き声にも、心地よさを覚えるほどである。

「よう、久しぶりだな、コウ」

「やあ、元気だった?」

 ゴーだった。おととい、電話で話しはしたものの、会うのは一学期の最終日以来である。これから、こいつや徹子ちゃんとともに、幸の家へとむかうのだ……おや? 

 見ると、ゴーはひとりだった。徹子ちゃんの姿が、影も形もない。

「あれ、徹子ちゃんはどうしたの?」

「あいつは、夏風邪をひいたみたいでな。幸ちゃんにうつすと悪いから、今日は来ないってさ」

 いわれて、僕は昨日の徹子ちゃんを思い返してみた。浮かぶのは、覇気のない彼女の様子である。

 はあ、なんだ。てっきり、ゴーのことが心配で落ちこんでいるのだとばかり思っていたが、たんに風邪をひいて具合が悪かっただけだったのか。

「わかった。お大事にと伝えておいてくれ。じゃ、いこうか」

「ああ。……で、補習はどんな感じだ?」

 歩きながら、ゴーが聞いてきた。

「たいへんだよ、もう。朝から夕方まで、みっちり勉強漬け。……なあ、ゴーは大学には行かないの? 親御さんは、進学には反対していないって聞いたけど」

「おれは、家業を継がせてもらうつもりだよ。親と話しあって、そう決めたんだ」

 いかにも自信に満ちあふれているというように、ゴーがいった。

「大学卒業したあとじゃダメなの? それ」

「ダメってことはないさ。ただ、おれ自身が早く店で働きたいってだけだ。いまだって、部活のない日にはちゃんと手伝いに入ってるんだぜ?」

 声の調子からも、迷いは微塵も感じられなかった。

「おまえが後悔しないっていうなら、それでいいんだけどさ」

「徹子やホタルには、大学は出ておいたほうがいいとは言われてるんだけどな。店を継ぐんなら学歴は必要ないし、目的もなく遊ぶぐらいだったら、すぐに働いたほうがいい」

 目的もなく遊ぶ、ねえ。たしかに、なにも学びたいことがなくて、しかも就職に関係ないのであれば、進学はいわゆる『モラトリアム』にしかならないのだろうというのはわかるが……。

「家族に遠慮しているんじゃないかってさ。徹子ちゃんが心配してるんだぞ?」

 思いきって、そう言ってみると、ゴーはいきなり噴きだした。

「くっくっ、いや、すまん。ああ、あいつらしいな、そりゃ。なあ、コウ。おれがそんな、家族に遠慮して夢をあきらめるとか、そういう殊勝なキャラをしているように見えるか?」

 正直なところ、そうは見えなかった。悪い意味ではなく、こいつは基本的に裏表がないので、なにか含むところがあるなら、すぐにわかると思えるのだ。

「ま、無駄に心配をかけてもしょうがないか。あとで徹子ともよく話しあっておくよ。ありがとうな」

「でもさ、ゴー。どうしてそんなにすぐに働きたいって思うんだ? すこしぐらい大学で遊んでも、親がいいって言ってくれるなら、かまわない気がするんだが」

 これは、純粋な疑問だった。ゴーは、遊ぶのが嫌いなまじめ人間というわけではない。むしろ、学業と部活のあいまを縫って、友人と街に繰りだしたり、ナンパを楽しんだりするタイプである。

「うーん……。まえにいったこと、覚えてるか? おれの母親が再婚した経緯」

 ふいに、ゴーが表情を真剣なものに改めた。

「じつの親父さんのこと、でいい?」

 言葉をえらんでそういうと、ゴーはこくりとうなずいた。

 あまり、楽しい話題ではなかった。

 こいつの血縁上の父親は、ありていにいえば、家族に暴力をふるうことについて、まるで抵抗を感じない人間だったそうなのだ。

 しかも、金銭面や近所づきあいといった部分にも問題をおこしていたようで、耐えかねたゴーの母親は、まだ幼い息子をつれて逃げ出したのだという。いちじは、親戚の家を転々とせざるをえないところまで追いこまれていたのだとか。

 それでも、なんとか裁判までこぎつけ、ゴーの実父は元妻子――この時点で離婚が成立していた――に近寄ってはならないことになった。母親とともに、こいつが三ノ杜市に引っ越してくるすこしまえのことだった

 ところが、これでほっとひと息と思いきや、相手は早々に約束をやぶり、引っ越しさきに押しかけ、付きまとい行為をはじめるにおよんだのである。もはや、完全なストーカーだ。

 そして、その際に、ゴーの母親が頼ったのが、当時、息子の遊び友だちだった女の子の父親、すなわち、錦織呉服店の若旦那だった。

 なお、ゴーの母親と徹子ちゃんの父親が結婚したのは、そういったことがすべて解決したあと、さらに数ヶ月してからだそうである。つまり、したしくなる過程で男が女を守ったという形ではなく、問題がなくなってから、改めて交際をはじめたという時系列になるようだった。

 いずれにせよ、この話をしてくれたとき、こいつは『いまの家族になってから、ようやく毎日、安心して暮らせるようになった』などといって、めずらしくしんみりとした顔をしていたのをおぼえている。

 僕はといえば、さいわいなことに家庭に恵まれているといっていいので、身近にそういう経験をしている人間がいたことに、ショックを受けたものだった。

「なら、わかるだろ? おれは、いまの家族に恩返しがしたいんだ。いくら許してもらえるからって、親の金で遊び呆けようなんざ、まったく思わんよ」

「そうか……。ああ、わかるよ。おまえの言うとおりだ。応援するぜ、ゴー」

 ほとんど無意識のうちに、僕は相手の肩をぽんとたたいていた。ゴーは、どこか照れたような表情を浮かべている。

 もう、幸の家はすぐそこだった。

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