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冥王星の少女 -the phantom girl of absolute zero-  作者: 草原猫
第四章 噂話と誤解と疑惑
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第六十七話 七月八日(日)夕方 2

 相手が泣きやむのを待って、僕はいったん体をはなすことにした。

 今日は、よく女に泣かれる日だと思った。

 自分の腕のなかで、女が泣いているというのは、なかなかに強烈な体験である。いくら感触が気持ちいいといっても、これではおかしな気分になりようがない。心配でいたたまれないし、このあとどう慰めてあげればいいかと、途方に暮れてしまう。

「あ、あの……。ごめんなしゃいです」

 顔をあげて、堤さんはようやくそれだけを言った。いつにもまして、ほんとうにちいさな子供のようだと僕は思った。

「どうしたの? いったい」

「えっと、商店街を、歩いてたら、し、しらない、男の、ひとたちが」

 心底おびえきっているという様子で、堤さんが体をふるわせている。彼女のあまりにも痛ましい姿に、僕は衝撃的な告白を覚悟して、思わず緊張してしまった。

 しかし、くわしく話を聞いてみると、その内容は、とりたてて驚くべきものではなかった。

 そもそも、堤さんは毎日の食事を、すべて自分で作っているそうである。趣味とかなんとかいうまえに、ご両親がいつも仕事でいそがしいため、自然とそういうことになっているらしい。食材のたぐいは、おもに平日、下校の途中で商店街のスーパーに寄り、そこで購入してから帰ることが多いとのことだった。

 ところが、今日にかぎっては、買い忘れていたのか、作ろうと思っていた料理の材料が足りなかったのだという。

 そこで、堤さんは調理をいったん中断し、買い物に出てきたわけだが、商店街は日曜ということで、ひとが多かった。とくに、若者である。彼女が道を歩いていると、三人か四人かの騒がしい男たちに呼びとめられた。そして、これからどこかへ遊びに行こうといわれた。

 つまり、堤さんはナンパに遭遇してしまったわけだ。

 彼女は男、とりわけ大声を出すようなタイプを、ひどく苦手としている。以前など、ゴーがすこし近くで騒がしく話しかけただけで、泣き出してしまったほどなのだ。案の定、堤さんは体がすくんでしまい、その場でうごけなくなってしまった。

 男たちは、堤さんが黙っているのを見て、承諾と受けとったのか、あるいは馬鹿にされているとでも思ったのかもしれないが、いきなり彼女の手を引いて、どこかに連れていこうとしたらしい。

 それが、限界だった。堤さんは恐怖でわけがわからなくなり、おそらくは相手をおしのけるようにして、走って逃げたのだろう。とにかく、彼女の記憶はそこで途切れており、つぎに覚えているのは、僕に抱きしめられて、頭を撫でられていたことだったのだそうだ。

「落ちついて、堤さん。わかったから。だいじょうぶだから。もうそいつらはいないからね」

「で、でも……。さっきのひとたち、こころを、追いかけて、きて、ない?」

 要約すれば、数人の男たちにナンパされて怖くなり、走って逃げてきたというだけのことである。なのに、堤さんはかなり混乱しているようだった。話は前後し、だれがなにをしたのかも要領をえないし、しまいには、恐怖を思い出したのか、その場にうずくまって、ふたたび泣きはじめる始末で、なだめるのにかなり苦労してしまった。

 こういうとき、どうしたらいいのだろう。困りはてた僕の脳裏に、ふと、あすかの泣き顔がうかんだ。

「だいじょうぶだからね。僕がついてるから」

「あ……」

 正直なところ、男が苦手な彼女にこういうことをして、ほんとうにいいのか、僕にはわからない。ただ、堤さんは、さきほどおなじようにしたときに、すくなくとも嫌がってはいなかった。また、あすかも、感情が激したときにこうしてやると、かなり落ちつくのである。

 だから、僕は堤さんを抱きしめることにした。しゃがみこんでいる彼女を、膝立ちになって、両腕でつつみこんでやった。そうして、ゆっくりと頭のうしろをなでながら、子供をあやすようにやさしく話しかけた。

 効果は、あったのかもしれない。しばらくするうちに、堤さんは、いくぶん落ちついてきたように見えた。

「……そろそろ、離れていいかな?」

「ご、ごめんなしゃい、もうすこしこのまま」

 まだ、彼女の体の震えはとまっていなかったようだ。

 なぜ、堤さんは、こんなにも怯えているのだろうかと思った。たかが、ナンパされたぐらいではないか。手をつかまれたというが、現場の人通りの多さと、すぐに逃げてこられたことを考えれば、そこまで乱暴にされたわけでもあるまい。

 もちろん、もとから男が苦手で、しかも相手が複数となれば、怖いと感じること自体は理解できる。しかし、ここまでというのは、いささか過剰というか、ちょっと異常なのではなかろうか。

 変な言いかただが、これではほとんど、殺人鬼と出会って命からがら逃げてきたレベルの怯えようである。

 もしかして、堤さんは今回以前に、ナンパがらみで、男からなにか恐ろしい目にあわされたことでもあるのかな。

 そんなことを、ふと考えてしまい、僕は自分の想像に戦慄した。冗談じゃない。シャレにならないぞ、それ。

 堤さんが、こちらの肩のあたりに顔を押しつけてきている。かなり強い力でしがみつかれており、痛みを感じるほどだった。なんとなく、僕は、はじめてあすかに抱きつかれたときのことを思いだしてしまった。

「ありがとう、ございます……」

 ようやく、堤さんが腕の力をゆるめた。僕が立ちあがると、彼女もそれにならった。

 立ったといっても、うつむいたままである。堤さんは、恥ずかしそうに目をふせていた。

「気にしなくていいよ。男の肩は、女が頭をあずけるためにあるのさ」

 すこしでも、相手の気分をほぐしてあげようと、僕はおどけて、そんなことをいってみた。あまりのクサさに、言った端から顔が熱くなった。

 やれやれ、僕はアホか。

 いや、アホでいいのだ。堤さんが笑ってくれるのなら。

 ――残念ながら、堤さんは笑ってくれなかった。ただ、下腹のあたりで両手を組んで、もじもじとしている。さすがに、むこうも照れているのか、顔が真っ赤だった。

「おほん。で、買い物はどうなの? 堤さん」

 見た感じ、堤さんは手ぶらである。いくら美人でも、スーパーの買い物袋をさげた女に声をかけるとは思えないから、ナンパされたのは買い物のまえなのだろう。とはいえ、彼女の場合、荷物を放りだして逃げてきたという姿が、容易に想像できてしまうのが、なんとも参ってしまうところではある。

「あきらめて、おうちに帰ろうかな……。今日は、べつのお料理をつくることにして」

「なんなら、僕がいっしょに行ってあげようか? 男がよこにいれば、ナンパしてくる人間もいないだろうし」

 こちらの申し出が意外だったようで、堤さんは目をまるくした。

「え……ええ? でも」

「僕のほうなら、問題はないよ。用事もないし、ちょっとぶらぶらしたら、すぐに帰ろうかと思ってたぐらいだから」

 うーんとつぶやき、堤さんが顎のところに左手の人差し指をあてた。考えごとをするときの癖なのだろう。彼女がこうするのを、なんどか見かけたことがある。

「そ、その……。それでは、おねがいします……」

 やはり、彼女としても、買い物はつづけたかったらしい。ひどく申しわけなさそうな態度ではあったが、堤さんは承諾してくれた。

「じゃあ、はやいとこ行こうか。いそがないと、夜になっちゃうよ」

 いって、僕はつとめてほがらかに笑って見せた。すると、それにつられてか、ようやく堤さんも硬い笑みを返してくれたのだった。

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