第六十三話 七月八日(日)親睦会 3
どうも、おかしなことになってしまった。徹子ちゃんの付き添いでこの場に来たはずだったのに、いつのまにか僕の恋愛相談になってしまっていたのである。
議題は、しらないうちにクラスに流布されていたおかしな噂と、昨日の幸からの電話についてだった。
顔を知っていたとはいえ、蛍子さんと話をするのは今日がはじめてである。だが、この状況ではいかんともしがたい。僕は幸にたいする自分の気持ちを、彼女にも包み隠さず語って聞かせることにした。
「ふうん、それじゃあ、ぜんぜん心当たりがないと」
料理を口に運ぶ手を止めて、ゴーがいった。あまりデリカシーのない男ではあるが、ものを咀嚼しながらしゃべるようなことはしない。食べるのは早いが、それを下品に感じたこともなかった。
「あたりまえだよ。だいたい、僕がひとまえで公然といちゃつくような男に見えるか?」
「あんま関係ないな、そこは。意外性があったほうがおもしろいんだから」
やれやれ、みんなおもしろがって噂しあっていたということか。
ゴーによると、噂とはもっぱら女子たちのあいだで囁かれていたものであったらしい。
なんでも、僕が街中で、恥も外聞もなく女と抱きあい、あまつさえ熱烈なキスをかわしていたのだとか。
あまりにもありえなさすぎる内容に、聞いた瞬間、僕はくらりと眩暈をおぼえ、しばらく呆然としてしまったほどだった。
「だれが言い出したんだかわからんが、ようは最初に見た人間の勘違いってオチか。なら、じき噂もやむさ」
「でもさ、一番つらいのは、幸がそれをあっさり信じちゃったってことなんだよ」
僕はため息をついた。
「なんどもいうけどさ、十年以上もずっと好きだったんだぜ? そんなに簡単に、つぎの恋なんか見つけられないよ。まして、まだふられてから三ヶ月しかたってないってのに」
「日数は問題じゃないだろ。おれとホタルが知りあったのだって、三ヶ月まえだぞ」
さきほどから見ていると、目のまえのカップルは、ゴー本人が自慢し、妹が嫉妬にかられるだけあって、じつによく息があっていた。
とくに、蛍子さんはあまり年上、お姉さんといった感じは出さず、一歩ひいたところで、さりげなくゴーを立てるようにしている。
目立たないが、むしろこういうところこそが、おとなの余裕というものなのかもしれないと、僕は思った。
「そりゃ、ゴーたちはそうかもしれないけどさ。やっぱり悔しいんだよ。幸は、僕がそんなに簡単にほかの女を好きになれるような、軽い気持ちで告白したと考えていたんだもの」
「ちがうと思う」
言ったのは、蛍子さんだった。
「その幸って子、たぶん、君のことが心配だったんだと思う」
「心配?」
意味がよくわからなかった。心配だと、なぜ僕の噂をすぐに信じてしまうというのだろう。
「わたしも、わかる気がします、それ」
つづいて、徹子ちゃんが合いの手をいれた。
「だな。おれもそう思う」
さらに、ゴーまでもが同意をしめしてきた。
……え? この場で意味がつかめてないのって、もしかして僕だけ? というか、ゴー。おまえほんとうにわかってるのか?
「ふたりの関係は、わたしもタケシからよく聞いてる。その幸って子が、君のことを大切にしているのは、まずまちがいないと思う」
すこしゆっくりめに、蛍子さんは考えながらという感じで、言葉をつづけた。
「ひとは、なにかを大事に思うと、それに心をとらわれてしまうことが、よくある。そのせいで、ときには言わなくていいことを口にしてしまうことも」
彼女の発言から連想したことがあり、僕は徹子ちゃんのほうに視線をうつしてみた。
悲しげに、うつむいているのが見えた。蛍子さんは、もしかして、徹子ちゃんのことも考えに入れながら話しているのだろうか。
すなわち、幸が僕のことを心配するあまり、徹子ちゃんがそうしてしまったように、言うべきではないことを口走ってしまったと?
「実際、いまの話だけでも、君のことが心配になるような要素はいくつもある。たとえば、さっきからなんども『十年以上も好きだった』といってるけど、そこまでだれかを思いつづけた人間が、ちゃんとほかのひとを愛せるのか、とか」
ふと、告白した直後、いっしょに食事をしたときに、幸が冗談めかして似たようなことを言っていたのを思い出した。
あのときは、こちらの気持ちにきっぱりと引導をわたすため、わざとああいうことを言ったのだとばかり考えていたが……。
「あと、相手がどんな人間かわからなければ、やっぱり心配。家族のような気持ちなら、なおさらそう。だから、その幸って子、噂がウソでもほんとうでも、確認せずにはいられなかったんだと思う」
耳が痛いと思った。このように、順をおって説明されてみると、たしかに、蛍子さんの言うとおりなのかもしれないという気がしてくる。
「すると、僕はどうすれば……」
「いままでどおり、相手とふつうに接すればいい。そして、ほんとうにだれか好きなひとができたら、正直にそれを伝えてあげること」
蛍子さんが、話をしめくくった。そうして、ほんのりとした笑みをうかべた。
そっけない言葉づかいとはうらはらに、あたたかさを感じるほほえみだった。
こういうひとを、ゴーは好きになったのか。なんとなく、僕はそう思った。