第五十九話 七月七日(土)午後
蝉の声が鳴りひびいていた。
土曜日の昼下がりである。ほんのすこしの居残りのつもりが、いつしか話が盛りあがりすぎてしまっていたようだ。教室には、すでに僕と委員長のふたりしかいなかった。午前中はフル稼働していたクーラーも、とうのむかしに止まっている。
ずっとしゃべりづめだったので、喉が乾いたのだろう。委員長が、500ミリリットルペットボトルの緑茶に口をつけた。
半分ほどはいっていた中身を、勢いよくごくごくと飲みくだしている。彼女の白い喉元に、玉のような汗が浮いていた。
「で、ループもののお話を考えてみたわけ」
ふうと息をついて、委員長がいった。
「新作?」
「それが……。いちおう、途中までがんばって書いてたんだけど、なかなかうまくいかなくって。結局、没にしちゃいました」
最近まで、委員長が執筆していたというその小説は、時間を巻きもどす超能力をもった少女が主人公の作品だったらしい。
内容は、恋人が交通事故で死亡してしまったのを、主人公が自身の能力で時間を巻きもどすことで、なかったことにしようとするというものである。
はじめ、主人公は恋人を撥ね飛ばす車を事前に見つけだし、細工をして走れないようにしてしまう。
車の持ち主にとっても、人身事故を起こすよりはマシだろう。そういう考えでの行動だったのだが、恋人は、なぜか、ほかのことが原因で死亡してしまった。
そして、つぎの原因を取りのぞいても、さらに、違うことがというふうに、なんど未然に防いでも、恋人はそのたびにあたらしい理由で死につづけるということになった。
つまり、いくら時間をもどしても、かならず恋人が死んでしまうため、結果としてループになってしまうというわけだ。
「過去をかえても結果はかわらない、そういう固定された運命のなかで、必死に恋人を守ろうとする女の子の姿を描こうとしたんだけど、どうにもいい結末がひらめかなくて」
委員長は、浮かない顔をしていた。
「これだと、なにかつごうのいい奇跡みたいなことが起こるか、さもなければ、逆に主人公が恋人をあきらめて、見殺しにしちゃうぐらいしかオチのつけようがないんですよね。考えかたをかえて、ブラックジョークふうにすることも視野に入れてみたんだけど、それはそれで気分が悪いし」
ため息まじりに、委員長が試行錯誤のさわりを語ってくれた。なんでも、面白おかしい展開にするために、いわゆる『まぬけな死にかた』を調べていて、いやな気持ちになってしまったのだという。
「しかたないから、完成はあきらめて、つぎの作品を書いてみようと思ったら、こんどはあたらしいアイディアがでてこなくて……。なんだか、スランプになっちゃったみたい」
そういって、自嘲的な笑みをうかべる彼女の姿に、僕は創作って大変なんだなとの感想をいだいた。
僕自身は、読むのが専門であるため、産みの苦しみ、創作の苦労などはよくわからない。とはいえ、ただ話を聞いて相槌を打つだけというのもどうかと思うので、とりあえず、アドバイスのまねごとをしてみることにした。
「ねえ、委員長。恋愛小説を書いてみたら?」
「恋愛小説?」
こちらの提案に、委員長は怪訝そうに眉をひそめた。
「ああ。僕が勉強をするときによくやる方法なんだけどさ。壁にあたったと感じたら、とにかく簡単な問題を解いてみるんだ。それとおなじで、小説も、書きやすい話からつくってみるのがいいんじゃないかと思う。その点、恋愛小説なら自分の経験も活かせるし、すぐに書けるんじゃないかなという気が」
見るみるうちに、委員長の表情が微妙なものへとかわっていく。
あ、あれ? もしかして、へんなことをいっちゃったかな。素人考えでは、やっぱりアドバイスにならないのだろうか。思わず、僕は狼狽した。
「うーん……。恋愛小説だから書きやすいということは……。自分のことを書くにしても、それはそれでむずかしいし……。でも……」
と思ったら、委員長は、一転してなにごとか考えはじめたようだ。はて、いったいどうしたのだろう。僕は、彼女のつぎの言葉を待つことにした。
「おもしろいかもしれない。うん、いいかも!」
いきなり、委員長の表情が力強いものになった。ぱんとひとつ、かしわ手をうち、気合のはいった様子である。
ええと、なんだかよくわからないけど、もしかして僕のアドバイスが役にたったのだろうか?
「廣井くん、あしたはあいてる? よかったら、取材を手伝ってほしいんだけど」
彼女の申し出は、突然だった。
「取材?」
「ええ、取材。ちょっと調べたいことがあるの」
いって、委員長は顔をほころばせた。
一瞬、彼女のやわらかな笑みにどぎまぎしそうになり、しかし僕はそこで、あす日曜日の予定を思いだしてしまった。
「あしたは……。ごめん、ちょっと予定があるんだ」
間の悪いことに、じつはゴーたちと遊ぶ約束をしてしまっていたのである。
もちろん、ただ遊ぶだけなら、キャンセルして委員長の取材のほうを選んでもかまわない。というより、むしろそちらを優先してしまいたいぐらいなのだが、今回だけは、どうしてもはずせない事情があった。
「ほら、例の、徹子ちゃんだよ。彼女がゴーの恋人と会うことになってさ。ひとりじゃ不安だからって、付き添いをたのまれてるんだ」
「え? あの子が?」
徹子ちゃんから悩みを打ち明けられた翌日、僕と委員長はそろってゴーに礼をいわれた。
聞けば、あのあとすぐに仲直りをすることができたのだという。もともと、仲のいい兄妹だったし、ゴーは徹子ちゃんのことを怒ったりしてはおらず、むしろ純粋に妹の心配をしていただけだったようだ。
そのときに、こんごの方針として、とりあえず当事者同士、三人で会ってみるのがいいのではという意見が出た。委員長の案である。僕もいい考えだと思ったし、ゴーも、あとで確認したところによるとあいつの恋人も、乗り気だったそうだが、なかなか実行にうつされなかった。ひとり、徹子ちゃんだけが、難色をしめしていたからだった。
どうやら、徹子ちゃんは、相手に強い言葉を叩きつけてしまったことをかなり気にしていて、踏ん切りがつけられなかったらしい。
そんな状態で、しばらく時間がたっていたのだが、つい先日、ようやく徹子ちゃんが決心して、自分からゴーの恋人に会いたい旨を伝えてきた。ただし、僕と幸もいっしょにという条件つきだった。
おそらく、徹子ちゃんとしては、兄への思いうんぬんを抜きにしても、カップルのなかに、自分だけがオマケのようにくわわるのは嫌だったのだろう。それよりは、せめて、仲のいい友人たちの輪のなかに、ゴーが恋人をつれてくるという形にしたかったのかもしれない。
「ところが、幸に家庭の用事がはいって、来られなくなっちゃったんだ。これで僕までドタキャンということになると、徹子ちゃんがかわいそうだからね」
「……そっか。なら、しょうがないわね」
残念そうな声だった。委員長がうつむいて、目をふせている。その様子が、なぜか、ひどく消沈しているように見えてしまい、僕はあわててフォローをすることにした。
「で、でも、今回はたまたまダメだったけど、僕にできることがあったらなんでも手伝うから」
「ありがとう、廣井くん」
ふたたび顔をあげた委員長は、いちおう、笑みをうかべてくれていた。
だが、さきほどのうれしそうな表情とは対照的に、それはどこかさびしげな笑みだった。