第五十八話 六月十一日(月)夜
そのご、委員長といっしょに徹子ちゃんの相談にのった話などもして、気がついたときにはかなり時間がたっていた。あたりはすっかり暗くなっており、もはや完全に夜である。
まったく、いくら早く来てもらっても、こんなに遅くまで話しこんでいたら意味がないよな。
そう思い、携帯の時計を確認したところで、僕はふと違和感をおぼえた。
「あれ? ねえ、あすか。なんだか、もう時間がすぎちゃってるみたいだけど、だいじょうぶ? 帰らなくていいの?」
「へ? ……ありゃ、ほんとだ。変だね。どうしたんだろ」
この子が僕と会うことができるのは、週にいちど、それも一時間だけだったはずだ。なのに、今日はすでに一時間半が経過している。誤差にしては長すぎるし、いままでになく早い時間帯にあらわれたことを考えあわせても、やはりなにかおかしい。
あすかは、腕ぐみをして、なにごとか考えているようだった。しきりと首をひねり、いかにも『アタシも不審に感じてるんだよ』といった様子で、うなり声をあげたりしている。
と思ったら、きゅうに青い顔――血色自体はもともとあまりよくないが、そんな雰囲気だ――になった。
「公平、ちょっとやばいかも」
「やばい? なにが?」
彼女の説明、といっても半分ぐらいは以前に聞いたことのおさらいだったが、それによると、まず、僕の体感しているあすかの姿や声などは、すべて幻覚であるとのことだった。
なんでも、死後の世界からこちらの脳にむけて、特殊なエネルギーのようなものを飛ばしているらしく、それはたとえるなら、テレビやラジオに電波を送信して、映像なり音声なりを視聴させるのと似たような感じなのだという。
つまり、僕は脳を受信機として、あの世からの電波を受けとることで、毎週一時間だけ、少女の幻影との逢瀬を体験しているのである……うわ、なんかこういうと、ものすごくアレだな。
とにかく、僕があすかと会話をしたり抱きあったりすることができるのは、その特殊なエネルギーとやらのおかげなわけだ。
ところが、あすかがいうには、僕の脳にとって、それはあまりよいことではないらしかった。この時間超過は、悪影響の兆候である可能性が、きわめて高いのだそうだ。
「もうなんども会ってるし、脳がその状態になじんできちゃったのかも。アタシの世界との回線がひらきやすくなってるんだと思う」
「すると?」
ため息まじりに、あすかがいった。
「最悪の場合、回線がひらきっぱなしになるかな。そうなったら、たぶん公平、こっちの世界であたりまえの生活ができなくなるよ。日常的に、他人には見えないものや聞こえない音なんかを認識しちゃうってことだから」
精神病院いき? と、あすかはかわいらしく小首をかしげ、半疑問形でいった。あまりのことに、僕は眩暈をおぼえ、その場でうずくまった。
「マジかよ……。それで、僕はどうすりゃいいのさ」
「アタシが、成仏できれば……。だからね、公平がいい女とつきあって、しあわせになったら、それでいいの!」
両こぶしをにぎりこんで、あすかが力強く気合をいれた。
「あはは……。がんばってみるよ」
「その意気だよ、公平!」
いって、あすかはそのまま、しゃがみこんで低くなった僕の頭を、胸にかかえこんでくれた。
正直なところ、なんで僕がこんな目にと思わないでもなかった。とはいえ、あすかにたいして腹を立てる気にはならなかった。この子を助けてあげたいというのは、自分で決めたことなのだ。
まあ、なんだ。ようは、女とつきあえばそれでいいんだろう。やってやるさ。僕だって男だ。すてきな恋人をつくってみせる。
「がんばって、しあわせになってね、公平……」
ふいに、あすかの声が、ひどく切なげなものに感じられた。思わず、僕は頭をうごかして、相手の表情をうかがった。
「帰る時間、きちゃった」
あすかは、笑顔だった。しかし、こちらがなにか返事をするまえに、すでに彼女はいなくなっていた。ほんの一瞬まえまであったはずの存在感すら、綺麗に消えうせてしまっている。
時間、か。多少は長くなったようだが、やはりあすかとずっといっしょにいることはできないんだな。
だけど、もし、僕の脳が彼女の世界と同調するようなことになったら……。
おかしなことを考えかけ、僕はかぶりをふった。
公園は、夜の闇でみたされている。商店街が近く、とくにさびれていることもないはずなのに、あすかと会うときは、なぜか決まってだれもいない。
いま、みょうな思考にとらわれそうになったのは、きっとそばに人間の気配がなくて、孤独を感じてしまったからだ。なんとなく、僕はそう思った。
<第三章・了>