第五十七話 六月十一日(月)黄昏 3
「……で、どの写真にも、かならずそういうのがうつってるわけ。聞けば、彼女のおばあちゃんの趣味だったらしくて、ちいさなころに、たくさん作ってもらっていたみたいなんだ」
「ふうん」
ひどくそっけない相槌をかえされた。
悪くなりかけた雰囲気をもとにもどそうと、堤さんのことを話してみたのである。幽霊といっても女の子だし、人形やぬいぐるみの話をすれば、食いついてくるにちがいない。そんな考えで選んだ話題だったのだ。
なのに、案に反して、あすかはまったく気乗りしない様子だった。
「以前もいったと思うけど、堤さんってものすごい美人なんだ。子供のころの写真もほんとうに綺麗で、まるで本人が人形みたいだったよ」
「へえ」
いちおう、あすかは笑顔を作ってくれている。だから、すくなくとも、さきほどの口論を引きずって、こちらに意趣返しをしているとか、そういうことではなさそうだった。この子は考えが顔に出るタイプなので、そのあたりは読みとりやすいのである。
しかし、ならば、これはいったいどんな気持ちをあらわしている顔なのだろう。笑っているのに、無関心を絵に描いたかのような、そんな表情のうごかなさ。ほとんど、能面をつけているかのようですらある。
前々から、そうではないかという気はしていたのだが、こうもあからさまな態度をとられると、不本意ながら認めざるをえなかった。あすかは、堤さんの話を歓迎していないのである。もっとはっきりいえば、相手にあまりよくない印象をもっていて、その話題を避けようとしているのだ。
最初に話したのが、トラブル――例の、ゴーの大声におどろいて泣き出してしまった事件――についてのことだったのが、よくなかったのかもしれない。そのごも、結局、きちんとフォローすることができていなかった気がする。
ともあれ、すでに悪印象をもたれてしまったのはしかたないとして、なんとかいまからでも巻き返せないものだろうか。そんなことを思いながら、僕は言葉を選んで話しをつづけた。
「あとは……。ちいさなころの写真は多かったけど、小学校入学以降のものは、逆にものすごくすくなかったかな。ちょっとびっくりしちゃったぐらい」
ふと、そこで、あすかがかすかに小首をかしげたのが目にはいった。
いうまでもなく、疑問を感じたというジェスチャーである。ひどく薄い反応ではあったが、それでも、いくばくかの興味は持ってくれたということだ。なんとか、話の足がかりぐらいにはなるかもしれない。
「もともと、堤さんのご両親がいつも仕事の忙しいひとたちだったみたいで、記念撮影のたぐいは、毎回、彼女のおばあちゃんがしていたらしいんだ。なのに、小学校入学まえに、そのひとが亡くなっちゃったものだから」
だが、説明しているうちに、この話の内容が、どちらかといえば鬱・不幸系のものであることに気づいてしまった。
「しょ、小学校以前と以後で、写真の量にギャップがありすぎるということになっちゃったわけ。本人はあんまり気にしてなさそうだったけど、やっぱりかわいそうだなって思ったっていうか」
見ると、あすかはうつむいていた。だまって、目をふせている。
しまった、僕はアホか。ただでさえ、この子は堤さんによくない印象をもってしまっているというのに、鬱話なんかを聞かせたら、それがなおさら悪化するに決まっているではないか。
やれやれ、どうしたものかな、これ。
「公平、その転校生なんだけど」
「え?」
ところが、意外にも、つぎの話題をふってきたのは、あすかのほうだった。
「ふだん、どんな服を着てるの?」
「服? うーん、今日は薄ピンクのワンピースだったかな。ゆったりしていて、かわいらしい感じだったよ」
基本的に、堤さんは長めのスカートを好んでいるようだった。クラスの私服姿の女子は、最近の流行なのか、たいてい細いズボンを履いていることがおおいのだが、彼女はいつも女らしい落ちついたものを身につけている。
「堤さんのお母さんって、服をつくる仕事をしているみたいなんだ。たぶん、母親ゆずりなんだろうけど、服装のセンスはなかなかいいと思う……」
「ごめん、もうちょっとくわしく聞かせて。長袖だった?」
なぜか、こちらの言葉をさえぎるようにして、あすかが質問を重ねてきた。
「いや、半袖だけど? というか、もう気温も高いから、むしろ長袖なんてほとんど見ないかな。制服を着ているひとも、みんな衣替えしてるし」
さすがに、六月ともなれば、日中は暑さすら感じるようになる。幸のように、特殊な事情をかかえているのでもなければ、ふつうは半袖を着るはずだ。
にもかかわらず、あすかはみょうに驚いているようだった。ただの慣用表現ではなく、実際に目をものすごくおおきく見開いている。はて、どうしたのだろう?
「あっ、なるほど、こっちはじき夏だもんね。そっか、半袖か……」
そういえば、あすかは四月のころからずっと半袖のブラウス姿だった。夏に亡くなったから、その格好をしているということのようだ。
命日は、最初に聞いた亡くなった状況の説明や、これまでの会話のなかから引き出したいくつかの情報を考えあわせると、梅雨のおわりごろ、すなわち七月の上旬あたりだろうと推測することができる。
もっとも、何年まえのことなのかはわからなかった。聞いても、教えられないと繰りかえすばかりである。
ただ、彼女の口ぶりから、どうやら死後の世界とこちらとでは、時間の流れかたが違うらしいので、あるいは、ものすごくむかしのことという可能性もあった。
もし生きていたら、とっくにおばあちゃんだったりして。まさかね。
――などと、あれこれ考えていると、ふいにあすかが話題の転換をしかけてきた。
「あのさ、公平。その転校生って、料理とかが趣味なんだよね」
むう、こんどは趣味についてか。まいどのこととはいえ、話が飛ぶなあ。
とはいえ、彼女のほうから、堤さんのことを聞いてくるのは、かなりめずらしいことである。いつもは、さきほどのように興味のなさそうな顔をされるか、さもなければ、自分を名前で呼ぶ癖をブリッコだと決めつけたときのように、批判的な発言をかえされるだけなのだ。
これは、うまくすれば、誤解をとくことができるかもしれないぞ。
「ああ、そうだね。まえにもらった手作りクッキーは、おいしかったなあ。……今日のお昼休みのときなんだけど『おばあちゃんが人形作りの名人で、お母さんが、服作りのプロ、そして堤さんは料理の達人だ』っていったら、なんか彼女、ちょっと照れてたっけ」
「でも、達人っていってもさ、失敗することはあるよね。じつは、頻繁に火傷とかしてるんじゃない? 腕とか、包帯でぐるぐる巻きにしてたりして」
笑顔で、あすかが軽口をたたいてきた。よし、いい感じに話が盛りあがってきたぞ。
「べつに、そんなことはないよ。堤さんの腕前は、怪我をしたりするようなレベルじゃないもの」
ついでに、なんとなく思いついたことを口にしてみた。
「ねえ、あすかは料理は得意だった?」
「アタシ? えっと」
とたんに、あすかが口ごもった。おや、答えられない質問だったのかな? いや、この気まずい沈黙。そして、悲しげな表情。まさか、あれか。彼女は料理の技術がひどく不自由なタイプだったのか。
まずい、せっかく会話が弾んできていたのに、これでは元の木阿弥だ。
「あんまり、したことないんだ」
ぽつりとつぶやくように、あすかがいった。
「したことない?」
「なんていうか……。アタシんち、家で料理つくろうとすると、いっつも母親が文句いってきたのよ。だから、家庭科の授業でやったぐらいしか、経験がないの」
母親が文句? なんだそりゃ?
娘が料理をつくろうとすると、文句をつけてくる母親……。
ダメだ、意味がわからん。
「それはまた、どうして?」
「さあ。自分の調理器具にさわられるのが嫌だったんじゃないの」
そんな理由がと言いそうになり、僕ははっとした。あすかが、ひどく忌々しそうな顔をしていたのである。
そして、同時に、彼女が生前、両親と折りあいが悪かったらしいということも思いだした。たしか、この子が受験の時期なのに、それをネタに、親が自分たちの喧嘩をしていたとか、そういうような話も聞いている。
また、やってしまったのかと思った。自分自身に、舌打ちをしたい気分だった。
せっかくいい流れになっていたのに、どうやら僕は地雷を踏んでしまったらしい。
「そ、その……大変だったんだね」
いずれにせよ、家庭のなかの事情は、当事者以外には理解しきれないところがある。まして、あすかは幽霊としての制約だとかで、話せないことが多いのだ。僕にはほかに、どうとも言いようがなかった。
とりあえず、なんとかして慰めてみるか。そう思い、あすかの頭をなでようとすると、彼女はいきなり、僕に抱きついてきた。強い力だった。
「ほんとだよ。ずっと、大変だったんだから」
つめたい体である。気温が高いので、以前のように寒いとまでは思わないが、やはり死者の体温だった。心臓の鼓動も感じない。
それから、しばらくのあいだ、あすかはじっと僕の胸に耳をあてていた。なにもいわずに、ただ眠るように目をとじていた。