第五十話 六月十一日(月)放課後 2
「わたし、ちいさなころからタケくん……兄のことが、好きだったんです。その、家族としてではなく、男のひととして」
徹子ちゃんの相談を、委員長は真剣に聞いてくれているようだった。
「もともと、わたしとタケくんは、血がつながっていませんでした。子供のころは、ただのご近所に住んでいる友だち同士だったんです。それが、親の結婚で、兄妹ということになりました。こちらが小二、むこうが小三のときのことでした」
僕とゴーが知りあったのも、ほぼおなじ時期である。小学三年生のときに、クラスがいっしょになったのだ。
たしか、はじめにゴーと仲よくなったのは幸で、僕はあとから紹介されて、友だちになった気がする。いま考えてみると、われながら、もれなくついてくるオマケみたいな感じだったかもしれない。
あいつの苗字が、錦織になったのは、その年の秋ごろである。
なんでも、ゴーとその母親は、市外の出身だそうで、三ノ杜市に引っ越してきたのは、僕たちと出会うさらに一年まえだったらしい。
流れとしては、徹子ちゃんとゴーがまず遊び友達になり、それをきっかけに、親同士が懇意になったということのようだ。
なお、呉服店の旦那である徹子ちゃんの父親は、娘が物心つくまえに妻と死別しており、ゴーの母親は、その後妻として迎えられたということだった。
「錦織くんは、あなたの気持ちをしっているの?」
委員長が、徹子ちゃんにたずねた。
「はい。以前、告白したことがあります」
彼女の返答に、一瞬、僕は声をあげそうになった。
初耳である。いや、徹子ちゃんの気持ち自体は、ここ数ヶ月の態度を見ていれば、すぐにわかるようなものだった。しかし、口にだして相手にそれを伝えたとなると、これは意味がまるでちがってくる。
「いつ、告白したの?」
だが、委員長はとくにおどろいた様子は見せず、徹子ちゃんに続きをうながした。
「中等部のころ……わたしが、一年生のときです。でも」
いって、徹子ちゃんはつかのま目をふせた。
「えっと、わたし、いまもこんなですけど、当時はもっとちいさかったから、子供だって言われまして。真剣には、答えてもらえませんでした」
ちょ、中等部一年って、いまから三年もまえのことかよ。うわ、ぜんぜん気づかなかった。というか、最近のことですらなかったのか……。
それにしても、ふった理由が子供だからというのは、いかにもゴーと徹子ちゃんらしいと思った。
というのも、あいつは、おりにふれては彼女を子供だと言って、からかっているのである。徹子ちゃんは幼児体型なうえに、休日に好んで着物をきることもあり、おかっぱ頭との組みあわせは、座敷わらしを連想させるほどなのだ。
とはいえ、外見だけなら幸のほうがよほど幼いわけで、徹子ちゃんが子供よばわりされるのは、むしろその言動によるところがおおきい気がする。
もっとも、それはそれとして、告白の場でもおなじノリではぐらかされたとなると、さすがに同情したくなってくる。ゴーも、返事ぐらいはちゃんとしてやればよかったのに。あいつは肝心なところでデリカシーのないやつだからなあ。
「告白して、あなたはどうしたかったの?」
おっと、いけない。こちらがほかのことを考えているあいだに、委員長はつぎの質問をはじめていたようだ。僕はあわててふたりの会話に集中することにした。
「は……? いえ、告白したんですから、当然、タケくんと、ちゃんとした恋仲に、それこそ男女の仲になりたかったんです。でも、やっぱりむりだから、いまはあきらめてますけど」
くやしそうに、徹子ちゃんがくちびるをかみしめた。男女の仲という彼女の言葉が、ひどく生々しく僕の耳にひびいた。
聞いたところによると、義理の関係であっても、兄と妹が結婚をするのはむずかしいらしい。法的に、認められない可能性が高いそうなのだ。
正確には、養子に出るとか、法律のちがう国に移住するとか、そういう強引なやり方もあるようだが、現実的な選択かといわれれば、首をかしげざるをえない。
すくなくとも、周囲の祝福を受けられるような結果にならないのは、あきらかである。まだ高校生の徹子ちゃんに、結婚のたとえはおおげさかもしれないが、兄妹が恋愛をするというのは、結局はそういうことなのだ。
「むり? それはどうして?」
ところが、委員長はなぜか、答えのわかりきった質問を、徹子ちゃんに投げかけた。
態度は、あくまでも穏やかなままだった。まるで、取材をしているときのようだと思った。委員長は、小説を書くときの参考にするといって、友人によくこういう質問のしかたをするのである。彼女に聞かれると、言いにくいことでも答えてしまうことが、ままあった。
「どうしてって……! だって、わたしたち兄妹だし、そんなんじゃ、あ、あきらめるしか」
たいする徹子ちゃんは、いきなり声を荒げた。怒りでか、肩がぶるぶると震え、顔が真っ赤になっている。だが、すぐにはっとしたようにうつむいた。
「ご、ごめんなさい」
「ううん、かまわないわ。……じゃあ、兄妹だから、気持ちをあきらめたの? ほかに、理由はない?」
すると、徹子ちゃんはふたたび顔をあげ、怪訝そうに眉をひそめた。
「ほかに?」
「お兄さんのほうは、あなたをどう思ってるの?」
どうやら、それは決定的な質問だったようだ。見るまに、徹子ちゃんの表情が曇りはじめた。
「タケくんは、わ、わたしを、子供だと」
うめくように、徹子ちゃんがいった。
ほとんど泣きだしそうな彼女の顔を見て、僕は委員長の質問の意図が理解できた気がした。
ゴーが、徹子ちゃんを家族として大切に思い、愛情をもって接しているのは、まちがいのないことである。
しかし、同時にそれは、ゴーにとって、徹子ちゃんが、どこまでいっても妹でしかないということを意味している。ちょうど、幸が僕を弟としてしか見ていないのと似たようなものだ。こういってはなんだが、そもそも、異性としての関心をいだかれていないのである。
つまり、兄妹という特殊な条件が付加されているように見えて、そのじつ、これはもっとシンプルな話なのだ。家族だのなんだのという問題点をもちだす以前に、この恋は、徹子ちゃんの一方的な片思いなのである。
たぶん、徹子ちゃんは、自分のなかで、そこを認めることができていなかったのだろう。だから、兄妹ということに、思いがかなわない理由を求めようとした。委員長に指摘されて、つい感情的になってしまったのも、それが原因だったのだ。
仮に、ふたりがたがいに愛しあっていて、兄妹という条件がそれを許さないとかいうことだったなら、あるいは友人として、応援することもできたかもしれない。だが、単純な片思いとなると、相手の気持ちというなによりも重大な問題がでてきてしまう。
残念ながら、僕の見た感じ、徹子ちゃんの気持ちがとどく可能性は、あまり高くなさそうだった。