第四十六話 六月十一日(月)昼休み こころのアルバム 1
最後は、堤さんの番だった。
彼女のアルバムは、ほかのふたりのとは違い、じつに巨大で分厚いものだった。これを持ってくるのは大変だったのではと思わせるサイズである。堤さんはものすごく綺麗な女の子だし、ご両親が自慢の娘とばかり、大量の写真を撮っていたのだろうか。
いや、しかし、これはさすがにおおきすぎるぞ。
「じつは、こころ、自分だけのアルバムをもってなくて……」
苦笑めいた表情をうかべつつ、堤さんがアルバムを机のまんなかあたりにうつした。
なんだ、やはり家族共用のアルバムか。よく見ると、後半にしおりがはさんである。たぶん、そのページからが彼女の写真なのだろう。
「ん? ひとり用のアルバムなんて、安いもんだよ。買ったら?」
幸がそういうと、堤さんはきょとんとしたような顔をした。あごのあたりに左手の人差し指をあて、小首をかしげている。
「でも……、アルバムって、どこに売ってるのかな」
「ふつうに、文房具屋に売ってるやん。ほら、まえに買い物にいった店にもあったよ」
そこからは、買い物についての話題になった。委員長も参加して、三人で堤さんのアルバムを選ぼうということになった。
当然、そのあいだ、僕は蚊帳のそとだった。所在ないが、しかたなかった。ゴーでもあるまいし、女子の買い物についていくなどと、主張できるはずがないのだ。重い荷物があるならともかく、買うのはあきらかに小物類である。
しばらく、そうやって待っているうちに、買い物の話題に一段落がついた。それで、ようやく堤さんのアルバムがひらかれることになった。
しおりのはさんであったページには、さすがに家族共用のアルバムというべきか、赤ちゃんのころの写真が貼られていた。例によって、幸と委員長が、可愛いかわいいと騒いでいる。
さきほどの僕の写真とはちがい、堤さんのそれは、きちんとベビー服をまとっていた。至極あたりまえのことである。というか、なぜ男の赤ちゃんは平気でヌード撮影をするのだろうな。
アルバムのなかの堤さんは、いつも人形やぬいぐるみといっしょだった。それも、あきらかにハンドメイドっぽいものが大半だった。
「こころのおばあちゃん、お人形さんとかぬいぐるみさんとかをつくるのが趣味で、できあがったものをよくプレゼントしてくれたんです。この子とかもそうですよ」
いいながら、堤さんが指さしたのは、幼い彼女が自分とおなじぐらいの背丈をしたぬいぐるみを抱きしめている写真だった。
ぬいぐるみは、猫をモチーフにしたものであるようだ。ちいさな堤さんは目をとじていて、まるで母親に甘えているかのような安らかな顔をしていた。
「ココちゃんって、お人形とかぬいぐるみとかが好きだよね」
委員長の発言をきっかけに、こんどは三人娘によるお人形談義がはじまった。またしても、話題にはいっていけなくなった。なにしろ、そういった品物について、僕にはまるで知識がないのである。
もちろん、幸の部屋には、女の子らしく人形が飾ってあるし、ベッドのうえには、つねにおおきなぬいぐるみが鎮座しているのも知っている。しかし、そのことについて、彼女が僕に話題をふってきたことはなかった。こちらが興味をもっていないのをわかっているからだ。
僕とそうした品物との関わりというと、子供のころのヒーローもののおもちゃを除けば、おととしの幸の誕生日に、腕でかかえられるおおきさの熊のぬいぐるみを贈ったことぐらいである。
あのときは、たしかに喜んでもらえたのだが、正直なところ、自分が贈った熊のぬいぐるみがどういった品物であるか、ろくに把握もしていなかった。幸がかわいいといったから、小遣いを貯めて買っただけなのだ。
もっとも、男なら、たいてい似たようなものではないかと思う。
閑話休題。堤さんの写真には、どれもかならず人形かぬいぐるみがうつっていた。そのため、彼女本人がどうとかいうよりは、むしろそれらの品物についての品評会という感じになってきた。
「……えっと、この子がいちばん最後につくってもらったものです。おばあちゃん、そのあとすぐに亡くなっちゃったから」
そういって、堤さんはつかのま目をふせた。
見た感じ、しめされた写真の堤さん――赤ちゃんサイズの人形を、背中から抱きしめている――は未就学児童っぽいので、十年以上まえのことであるはずだ。ところが、その話をしたときの彼女は、わりと最近の悲しいできごとに思いをはせているかのように、しんみりとした様子だった。
よほど、堤さんはおばあちゃんのことが好きだったのだろうな。
おばあちゃんが亡くなる直前につくったというその人形は、髪の長い女の子の姿をしていた。デフォルメされてはいるが、たぶんプレゼントする相手である彼女をモデルにしたのだろう。現在の堤さんがいつもそうしているように、にこにこと楽しそうに笑っているデザインだった。
人形のことなど、僕にはよくわからない。だが、それがどれほど愛情のこめられた品物であるかは、理解できる気がした。