第三十一話 五月七日(月)放課後 3
正面玄関を出ると、そぐそこで、委員長が待ってくれているのが見えた。
あっさり『送っていくよ』などと言ってしまったが、彼女と帰るのは、じつはこれがはじめてである。おかげで、僕はすこし緊張していた。
「やあ、おまたせ」
「いえいえ。じゃあ、行きましょうか」
ふたりして、ならんで歩きだした。
クラスの女子のなかでも、委員長はかなり小柄なほうである。たぶん、ひとつ年下の徹子ちゃん――先日の身体測定のときに、百五十四センチになったとかいっていた――とおなじぐらいだろう。むしろ、むこうのほうが背が高いかもしれない。
徹子ちゃんと歩くのは慣れているので、歩幅をあわせるのは、とくに面倒なことではなかった。
「だけど、そもそもどうしてああいう話を書こうと思ったの?」
道すがら、僕はさきほどの小説について、委員長にたずねてみた。
小説にかんしては、僕は読むのが専門で、自分で書いたりしたことはない。そのため、委員長のように自作するひとが、いったいどんなふうにして着想を得ているのか、気になっていたのである。
「ええと、まえにお貸ししたダブル・スタンダードっていう小説は、覚えてるかしら? じつは、あれがヒントになったの」
「え、あれが? 覚えてるけど……うーん、でも、ぜんぜんちがうような」
ダブル・スタンダードとは、三月のおわり、すなわち昨年度末に、春休み中の読みものとして、委員長がすすめてくれた小説である。
内容も興味深かったが、僕にとっては、幸に告白してふられたあの日、眠れないまま夜おそくまで読んでいたという意味でも、かなり印象の強い本である。もっとも、委員長の自作小説の元ネタといわれると、どうも釈然としなかった。
というのは、ダブル・スタンダードは構造がきわめて難解で、言葉遊びの要素も多く、いわば実験的な作品だからである。いっぽう、彼女のギャング小説は、どちらかというと王道の作品だ。感情をゆさぶるつくりで、論理的というよりは、情緒的でもあった。
およそ、ふたつの作品は、小説としては対極に位置するのではなかろうか。
意外に思って、そう聞きかえすと、委員長は人差し指をぴんと立て、舌を鳴らしながら左右にふった。
「似たようなものを作っちゃったら、オリジナルになりませんよ」
いわれてみればそうか。まったくおなじでは、ただの盗作になってしまう。
「あのお話、現実世界の主人公が、本のなかに入りこんじゃうでしょう? それを、未来の主人公が、過去に紛れこむというふうに置きかえてみたんです」
笑いながら、委員長はふたつの物語の共通点について、詳細な説明をはじめた。
創作の話をしているときの彼女は、ほんとうにうれしそうである。こちらはただ解説を聞いているだけなのに、なにかものすごく相手の喜ぶことをしてあげているような、そんな楽しい気分になってしまう。
この顔が見たくて、彼女と話をしているのだとすら、僕には思えた。
「あと、タイムスリップの理屈についても、あのお話を参考にしているんです。本の世界だと、読んでいるあいだは連続しているように感じるけど、実際は好きなページをめくって移動することができますよね? それとおなじで、時間もページをめくるように移動できるんじゃないかと」
へえ、そんなこまかいところまで考えてあったのか。すこしふしぎで感動的な話とばかり思っていたら、ずいぶんと練りこまれていたようだな。
「もっとも、それだと、時間移動者は世界の外からの視点をもつ必要があるんです。そこで、いったいどんな状況なら、そんなものが持てるのかと考えて、思いついたのが走馬灯体験でした。人間が死ぬときに見るといわれる幻のような回想。死のまぎわという極限状態で、主人公は時間を超越した立場から、過去に干渉する能力を」
声が、強い熱をおびていた。
去年から、委員長とはよく話をしたが、彼女のこんなにも興奮した姿を見たのははじめてである。
いつのまにか、歩みも遅く、というよりは、ほとんど立ち止まってしまっていた。
ふいに、僕は違和感をおぼえた。
彼女との距離が、近すぎるのである。腕をのばせば、すぐに抱きよせられる位置。
西日にてらされ、彼女の顔があかね色にそまっている。だが、夕焼けというフィルターをかけてもなお、その肌の白さは実感できた。病的なものではなく、健康な女の子のそれ。殻をむいたゆで卵のように、きめがこまかい。
ふれた感じを想像して、僕は思わずうろたえてしまった。
「あ……あれ? ご、ごめんなさい。わたしばっかりしゃべっちゃって」
ふと、われにかえったというように、委員長がいった。僕も、いまさらのように、自分が黙りこんでしまっていたことに気づいた。
「いや、ぜんぜん気にしなくていいよ。おもしろいし」
「で、でも、その……。いえ、話題をかえましょう。ねえ、うさっちとのことを、取材させてもらえませんか」
熱弁をふるっていたのが恥ずかしくなったのか、委員長は強引に話題を転換してきた。
「かまわないけど、なにを話したらいいのかな」
「知りあったのは、いつ?」
話題がかわっても、僕と委員長との距離はまったくかわらなかった。足も、根が生えたように動かない。彼女は顔をあげ、こちらを注視していた。
瞳の奥まで、のぞきこまれているかのような気分だった。
そんなに見つめられると、照れてしまうんだけどな。なんだか、今日の委員長はいつもと違う気がする。いったい、どうしたのだろう。
「幸と知りあったのは、小学校に入学するまえの年だよ。そのころに、脚の骨を折ったことがあってさ。連れていかれた病院に、ちょうど彼女がいたわけ。当時、むこうは小学一年生だったんだけど、体がちいさすぎて学校にかよえなかったそうで……」
ひとつひとつ、幸との思い出を話してきかせた。
初対面のとき、妖精に見えたこと。お礼合戦で泣いたのは幸なのに、それをあちらは勘違いしておぼえていること。僕が小学校に入学したら、年上であるはずの彼女がおなじクラスにいて、おどろいたこと。
ときどき質問をはさみつつ、委員長は興味深げに聞いてくれた。
「ちょっとまって。うさっちって、ちいさなころは廣井くんのことを『こーちゃん』って呼んでたんですか?」
「ああ。母さんに、子供のころからそう呼ばれていたから、たぶんそれをマネしていたんだと思う。なにしろ、幸はむかしから、僕に対しては姉というか母親というか、そんな感じの態度で接していたし」
すると、委員長はふしぎそうに小首をかしげた。
「なら、なんでいまは、名前を呼びすてに? なにかきっかけでもあったの?」
きっかけは、たしかにあった。少々なさけなくて、みっともないできごとではあるが。
つかのま、それを話そうかどうしようか迷った。だが、委員長には、僕が十年以上も幸のことを好きだったということも、知られてしまっている。このごにおよんで、体裁をとりつくろってもしかたないのかもしれない。
せっかくの打ち明け話だ。いってしまえ。
「ちいさなころ、家に祖父がいたんだ。一平じいちゃん。僕の公平って名前は、じいちゃんから一文字もらってるんだけど……ま、そっちはいいか。とにかく、幸といっしょに、よく遊んでもらっていたんだ」
祖父の姿を、僕は思いうかべた。
痩せていて、背の高かった祖父。触れあいを大切にするひとで、おもちゃや菓子を頻繁に買いあたえてくれるというような甘さはなかった。それでも、僕も幸も、じいちゃんの肩車が大好きで、よく順番をあらそったものだ。
「もともとは、じいちゃんが僕のことを『公平』と名前で呼びすてにしていたんだ。年のわりには元気なひとでさ。けど、当時、もう七十すぎてたから、ある冬の朝に、きゅうに亡くなっちゃったわけ。ぽっくりと、という感じで」
その日、僕は祖父とおなじ部屋で眠っていた。目が覚めたとき、彼の様子はふだんとちがっていた。
体が、冷たくなっていたのである。
子供ごころにも、なにかとりかえしのつかない異変が起こったことを理解して、僕は泣きわめいた。
「それはまた、なんといいますか」
「さすがに、子供にはキツイよね。だから、僕もしばらくはふさぎこんじゃってさ。友だちと遊んでいてもぜんぜん楽しくないし、ちょっとしたことですぐにメソメソするようになったんだ。幸は、よく慰めてくれていたけど、いっしょになって泣いたりもしたっけ」
話をしているうちに、自分のなかで、感情が波立ってきているのがわかった。
うれしい思い出ではまったくないが、やはりなつかしい話なのだ。それに、どこかしら、やさしい痛みをともなっていて、油断をすると涙腺がゆるくなりそうだった。
じっと、委員長が僕を見つめている。弱さを見すかされそうな気がして、思わず顔をそむけてしまった。
「……ところが、そんなある日のこと。幸が突然、じいちゃんのモノマネねをしたんだよ。公平、元気だせって」
ひと呼吸おいて、僕はつづけた。
「以来、幸は僕のことを名前で呼びすてにするようになった。こっちも、それでやっと、気持ちを切り替えることができた。……とまあ、これがきっかけ」
ふたたび、委員長のほうに目をやると、彼女はなにやら、みょうな表情をうかべていた。
まるで、言いたいことがあるのに出てこないような、そんな様子である。どうしたのだろうか。僕はしばらくのあいだ、委員長の言葉を待った。
「うさっちと……ほんとうに、子供のころから仲がよかったんですね」
ようやくそれだけをいい、委員長はすこしうつむいた。しかし、すぐに顔をあげて、付けくわえた。
「おもしろい話を、どうもありがとうございました。小説に、活かせそうです」
「は? ……いや、こんなの書かないでよ」
あわてて釘をさすと、委員長はくすくすと笑いだした。
もしかして、またからかわれたのかな。それに、雰囲気が、ついさきほどまでと違っている気がする。いつもの彼女にもどったというか。
「とりあえず、歩きましょう。なんだか、立ち話みたいになっちゃったわ」
委員長が、肩をすくめた。そうして、おたがいになんとなく苦笑しあったあと、僕たちは歩きはじめた。