第二十七話 五月七日(月)ホームルーム 1
午後の授業がおわると、僕は委員長とふたりで職員室へとむかった。学級委員としての主要な仕事のひとつ、ホームルームの準備のためである。
しらない人間からすると、学級委員の仕事など、点呼やホームルームの司会ぐらいで、楽なものだと思うかもしれない。しかし、実際はそうでもなかったりする。
たとえば、クラスの人数分のプリントを教室に運んでいくのは、学級委員の役目だ。
もっと正確にいうと、女子である委員長に、あまり重いものを持たせるわけにもいかないので、荷物の大半は僕が運ぶことになる。紙束をかかえて歩くのは、なかなか大変なのだ。
ほかにも、学級委員であることを口実に、担任の嵐山から臨時の雑用を命じられることが、わりと頻繁にあった。
職員室につくと、嵐山からホームルームについてのくわしい連絡をうけた。どうやら、今回は進路調査アンケートをとるということで、仕事は用紙などを運ぶだけのようだ。
「では、これと……これだ。よし、さあ廣井、がんばれ。委員長にいいところを見せてやれ」
嵐山が気合をいれて、こちらの両腕に書類をのせてきた。重い。だが、僕は男だ。このていどなら、どうということもない。これでも、ひそかに体を鍛えているのだ。
「廣井くん? わたしならかまいませんから、もうすこし持ちましょうか?」
委員長に、心配そうな顔をされてしまった。
「なあに、こんなの軽いもんだよ。なんなら、委員長のぶんも持とうか?」
そういって、笑ってみせると、彼女は心なしか、うっとりとしたような表情をうかべた。
「力持ちなんですね。すごいわ」
おもむろに、委員長が、自分の荷物を僕のそれに重ねていった。
うおっ、ふたりぶんだと、けっこうキツイな……。
いや、しかし、こちらから言いだしたことだ。いまさら弱音など吐けるものか。なに、だいじょうぶ。このていど、以前、子供をおぶって数百メートルを全力疾走したときに比べれば、どうということはない。
とりあえず、ふたりならんで廊下に出た。教室まで、書類を落とさないよう慎重に歩かなければならない。腕の筋肉が、悲鳴をあげそうだった。
「で……でも、さ。堤さんが泣いちゃうとは思わなかったよ。なんていうか、びっくりした」
荷物の重量から思考をそらすため、僕は委員長との会話に没頭することにした。さしあたっての話題は、昼休みの最後に起こったできごとについてである。
「わたしは、そうでもなかったかも」
いったんそこで言葉をくぎったあと、委員長は考えながらというふうにつづけた。
「ココちゃんって、なんだろう……。他人が怖い、のかな? この一ヶ月つきあってみて、そんな感じがしますね」
「他人が怖い?」
ふしぎなことをいわれたような気がした。
転校初日に、あれだけ目立つかっこうをしてきたり、今日もクラスメイトにお菓子をふるまったりと、彼女には、どちらかといえば天真爛漫、純粋無垢というような印象があったのだが。
「先々週の日曜日に、ココちゃんと商店街に遊びに行ったんですけど、そのときに、男の子から声をかけられまして。とくに乱暴そうな相手にも見えなかったのに、あの子、怖がって泣きだしちゃったの」
「えっ」
思いがけない情報に、僕は面食らってしまった。委員長は反応をうかがうように、こちらの顔をのぞきこんでいる。
「やっぱり、ココちゃんのことを人懐っこいタイプだと思ってました?」
「うん……。いや、それだけじゃなくて、無防備で傷つきやすいところもあるかなとは思ってたけど」
ナンパされたぐらいで、怖がって泣きだすというのは、相当なものだ。正直なところ、いつも楽しそうにほほえんでいる堤さんと、イメージが重ならない。
「今日、クッキーをくばったのもそうだと思うんだけど、ココちゃん、本人なりにがんばってるんです。はやくクラスになじんで、みんなと仲よくなれるように」
がんばっているという言葉を聞いて、口のなかが苦くなった気がした。
つまり、さきほどのおどおどと怯えた姿が、彼女の素だったということか。ふだん笑っているのも、他人を怖がらずにいられるようにと、必死で自分を奮いたたせていたからということなのか。
なんということだ。僕はアホか。知らなかったとはいえ、あの笑顔を、よくも子供っぽいなどと考えたものだ。
「けど、なんでそんな……。まえの学校で、いじめられたりでもしていたのかな?」
僕の疑問に、委員長はかぶりをふった。
「わたしも気になって、取材のときに、さりげなく聞いてみたんだけど、そんなこともなかったみたい。むしろ、当時のクラスメイトはみんな、ココちゃんを守ってあげてたらしいわ。それに、いまでもメールするお友だちがいるって言ってたし」
おや、堤さんにも、すでに取材をしていたのか。
ここでいう『取材』とは、一般的な意味のそれとは違い、委員長独自のコミュニケーション法をさす言葉である。
もともと、委員長は本を読むのが好きな子供だった。いつしか、それがこうじて、自分でも小説の執筆をするようになった。
ひとくちに小説を書くといっても、ものによっては、アイディアなどの材料が必要になってくる場合もある。そこで、彼女は取材と称して友人から話を聞くことをはじめた。
以前、本人から、そのように説明してもらったことがある。
もっとも、彼女のそいした口上は建前で、じつは単純に、相手との友情を深めるための打ち明け話といった要素のほうが濃いと、僕は思っていた。
ちなみに、昨年、委員長とよく会話をするようになってからは、僕もなんどか取材をうけている。幸からも、そういうことが先日あったという話は聞いていた。
「まえのクラスの子たちが、ココちゃんのことを守っていたっていう気持ち、わかるなあ……。わたしも、あの子はほうっておけないっていうか……。じつは、お昼に廣井くんを呼んだのも、彼女と仲よくなってほしかったからなんですよ」
またしても、委員長が意外なことをいってきた。どういうことなのか、意図がつかめない。
「堤さんと、仲よく……? えっと、できればそうしたいけど、でも、なんで僕が?」
すると、委員長はにこりと柔らかくほほえんだ。慈愛などというとおおげさだが、思いやりに満ちたような表情だった。
「あの子って、大声をだす男のひとが、とくに苦手みたいなんです。その点、廣井くんはいつもおだやかだから、ココちゃんも話しやすいんじゃないかと思うの。それに、あなただったら、わたしからもお願いしやすいし」
なるほど。たしかに、さきほど堤さんが泣いたのは、ゴーがわめきちらしていたのが原因だったように見えた。あいつにかぎらず、ああいったさわがしい男はダメということか。
転校生がクラスになじめるようにするのは、学級委員の仕事の一環ともいえる。べつに、断るようなことではなかった。
――と、そんなふうに話しあっているうちに、やがて教室についた。
もうすこし、堤さんのことについて、委員長と意見を交換したい気分だったが、じきにホームルームもはじまる。僕たちは会話を打ち切ると、準備にとりかかった。
なお、僕の腕がすっかりしびれていて、ぷるぷるとふるえていたのは、ここだけの秘密である。