第二十六話 五月七日(月)昼休み 4
幸とゴーが、ならんで教室にもどってきたのは、昼休みのおわる数分まえだった。
「あれぇ、公平、耀子ちゃんたちといっしょに食べてたん?」
「うん、そうだけど……。幸は、ゴーと?」
はて? たしか、ゴーは徹子ちゃんと約束があるとかで、昼食もそちらでとっていたはずなのだが。
もしかして、三人だけで集まっていたのだろうか? そのメンバーでの会合に、呼ばれなかったことなどいちどもないのに、ど、どうしたことだろう。
「いんやぁ? タケちゃんとは、すぐそこでばったり」
すぐそこ……ああ、なるほど。たんに帰りがおなじタイミングになっただけか。仲間はずれにされたかと思って、一瞬あせったぜ。
――すると、突然、その場に男のふとい声がひびいた。
「聞いたよ、堤さん! みんなにお菓子くばったんだって? ねえ、おれのぶんある?」
見ると、ゴーが堤さんに話しかけているところだった。
どうやら、ゴーはクッキーをもらいそびれていたようである。黒田か、あるいはそれ以外のだれかに聞いて、いまさらおねだりにきたのだろう。
しかし、いつもながら、物怖じしない男だと思った。僕など、さきほど堤さんに話しかけるとき、わりと緊張していたんだけどな。
「え……ええ? あの、その、ご、ごめんなしゃい。ぜんぶ配っちゃいました」
堤さんがうろたえている。だが、べつに彼女のせいではない。教室にいなかったゴーが、不運だったというだけの話だ。
「惜しかったな、ゴー。堤さんのクッキーは、すごくおいしかったぞ」
場をおさめようと、僕はゴーの背中をぽんとたたいた。
「あっ、コウ。てめ、ずるいぞ! ちくしょー! おれも食いたかったぜ!」
ゴーがわめいた。まったく、騒がしいやつだな。
苦笑しながら、僕はなにげなく堤さんのほうに視線をもどした。
瞬間、息がとまりそうになった。
震える肩。そして、固く組まれた両手。堤さんはうつむいて、目に涙をためている。
これは、怯えているのだろうか? いま、ゴーが大声をだしたから? だけど、そんなことぐらいで?
状況がよく理解できず、たくさんの疑問符が、僕の頭のなかを跳ねまわっていた。
ほどなく、僕以外のまわりにいた数名も、彼女の異変に気づいたようだった。幸と委員長が、すばやく堤さんの両隣に移動した。
「おい、おいったら」
とりあえず、僕はゴーに注意をうながすことにした。
「なんだ、コウ? ……えっ」
事態の変化を、こいつもようやく感じとったらしい。同時に、原因が自分であると悟ったのか、しまったというような表情をうかべた。
「その、なんつうか、残念だっただけでさ。文句をいってるとかじゃないから。……ごめん。ほんとうにごめん」
掌をあわせ、ゴーが拝むようにして、堤さんに謝りはじめた。
いっぽうの堤さんは、おぼつかない手つきでハンカチ――幸にわたされたものだ――を目元にあてていたが、やがて引きつったような笑みをうかべた。
「ちょっと……びっくりしちゃいました。ごめんなしゃい、平気です」
ひどく、たよりなげな声だった。
「錦織くん、わたしのぶんがすこしあるから、これで我慢してくださいね」
委員長がそういって、机のうえにあったクッキーの残りを、ゴーに手渡した。
「お、おう。サンキュー、委員長。じゃあ堤さん、よく味わっていただかせてもらうよ」
ややおどけた感じで、ゴーが委員長と堤さんにお礼をいった。それで、ようやく、その場の雰囲気が柔らかなものにもどった。
「あの……。また、作ってきますから。そのときは、ちゃんと錦織さんにもあげますね」
すまなそうに、堤さんがいった。だいぶ、彼女も落ちついてきたようだ。
「そんな、気をつかわなくていいからさ。ほんとうに、どうもありがとう」
態度を真剣なものにあらためて、ゴーがいった。
ちょうどそこで、昼休みの終了をつげるチャイムが鳴った。おのおの、軽く挨拶をして席にもどった。
つぎの授業の準備をととのえながら、僕は堤さんのことを考えていた。
さきほど、堤さんが泣いたのは、ゴーが怖かったからでまちがいないだろう。
なにしろ、ゴーは体も声もおおきいのだ。背丈は僕よりすこし低いぐらいだが、重厚さというか、筋骨のたくましさがすごい。そういう男が、吼え声をあげていれば、威圧されたように感じてしまっても、いたしかたないのかもしれない。
もちろん、あいつは女の子にはやさしいし、男の僕から見ても、友だちがいのあるいいやつである。しかし、転校してきたばかりの堤さんには、そんなことはわからないのだ。
それにしても、堤さんはいかにもおとなの女といった感じの外見とは裏腹に、子供っぽい口調とふわふわした雰囲気で、どこかしら無防備なように見える。些細なことで、傷ついてしまうのかもしれない。
こんご、できれば仲よくなっていきたいが、どんなふうに接したらいいのだろう。
授業がはじまるまでのわずかなあいだ、僕はあれこれと思いをめぐらしていた。