第二十五話 五月七日(月)昼休み 3
「おまたせしました。……今日は、廣井さんもいっしょですか?」
椅子に腰かけると、堤さんは僕に会釈をしてくれた。顔には屈託なさそうなほほえみも浮かんでいる。
どうにも、緊張感のないふにゃふにゃした表情だった。
ととのった面差しは、だまっていれば凛々しいとすら形容したくなるほどなのに、この表情のせいで、だいぶ印象がかわってしまっている。また、舌ったらずな喋りかたもあいまって、ついちいさな子供を連想してしまった。
「わたしが誘ったんですよ。今日はうさっちもいないし、たまには男の子といっしょに食べるのもいいかなって。ココちゃん、廣井くんとお話したことは?」
「ない……です。これがはじめて、かな?」
いちおう、連休中のいつだか、幸と商店街を散策していたときに、偶然あったことがあり、そこで二言みことの挨拶もかわしている。もっとも、ただの挨拶だから、堤さんのなかでは会話として数えていないのかもしれない。
あるいは、単純に忘れただけということもありえる。もしそうだとしたら、印象にないということだから、すこし残念だ。
「クッキーどうもありがとう、堤さん。すごくおいしかったよ」
ひとまず、お礼をいってみることにした。
「お店の味みたいだって、さっきも言いあっていたんですよ」
よこから、委員長もくわわってきた。
「わあ、喜んでもらえてなによりです。もってきた甲斐がありました」
うれしそうに、堤さんが目を細めた。
それにしても、見れば見るほど、彼女は美人である。こんなに綺麗な女の子と、昼食をともにできるのだ。ただそれだけで、気分が浮きたってこようというものである。
よし、せっかくの機会だ。多少なりと、仲よくなるための足がかりを作ろう。そう思い、僕はすこし積極的に、彼女に話しかけることにした。
「このクッキー、手作りって聞いたけど、堤さんは休日とかに、よくお菓子を焼いたりするの?」
すると、堤さんはとても上機嫌な様子で、うなずきをかえしてくれた。
「こころ、将来はお菓子屋さんになりたいから……。まえの学校でも、よくクラスのお友だちに食べてもらってたんですよ」
ふうん、菓子職人志望か。お菓子にもいろいろあるが、クッキーを焼いているところから考えて、洋菓子のたぐいだろう。それなら、パティシエールというやつかな。
僕は、エプロン姿でにこにこと笑いながら、生地をこねたりクリームを泡だてたりする堤さんを想像してみた。
ほほえましい。なんというか、じつに癒される情景が思いうかんでしまった。
「でも、転校してきたばかりで日も浅いし、せっかく焼いても、みんなに食べてもらっていいのかなって思ったんだけど……。あの、お母さんが、だいじょうぶだから、持っていきなさいって言ってくれて」
お母さん?
ええと、堤さんのお母さんというと、たしか始業式の日に、ゴスロリ服を着てくることをすすめたひとだったよな。自己紹介のときに、そんなことを言っていたのをおぼえている。
いくら三ノ杜学園での学生の服装が制服・私服のどちらでもいいとはいえ、あれはいろんな意味でインパクトが強かった。
しかし、どんなお母さんなのだろうと思わないでもなかったが、このクッキーの話を聞くかぎり、娘が早くクラスに溶けこめるように、いろいろと考えていただけなのかもしれない。
今日の堤さんの服装は、黒を基調としたワンピースである。袖口や、フロントのボタンまわりにフリルがたくさんついていて、いかにもかわいらしい感じのものだ。とはいえ、さすがにゴスロリとは比べるべくもなかった。
「みんな、喜んでいますよ。わたしも、ココちゃんさえよければ、いつでも味見したいわ」
「うん。僕も、機会があったらぜひ」
委員長とふたりで、口々にいいあった。お世辞ではなかった。堤さんのクッキーは、ほんとうにおいしいのだ。
「どうもありがとう。こころ、がんばってまた焼いてくるね」
そういって、堤さんは楽しそうに笑った。