第二十三話 五月七日(月)昼休み 1
購買は、思ったよりすいていた。
昼食の惣菜パンを買いにきたのである。いつもは弁当だが、今日は特別だった。
じつは、昨日の夕方から、母さんが職場の友人と旅行に出かけているのである。
ゴールデンウィーク終了直後、しかも実質的に今日を初日と考えれば、月曜からというおかしな日程だった。これは、母さんがパートに行っているスーパーのシフト調整が原因だった。
もちろん、旅行それ自体には、なにか問題があるわけでもなかった。ふだんの感謝の気持ちをこめて、僕も父さんもわがままをいわず、気分よく母さんをおくりだしてあげられたと思う。
問題は、わが家に母さん以外、料理をつくれる人間がいないということなのだ。
休日なら、店屋物でもとるか、外食でもするところだが、平日の昼ではそうもいかない。必然的に、食事は各自でどうにかしなければならなくなったというわけである。
こういうとき、自分で弁当が作れたらいいのになあ。こんど、やってみようかな。そんなことを考えながら、めぼしいものをあさっていると、うしろから声をかけられた。
「よう、廣井も購買か。めずらしいな」
見ると、クラスメイトの黒田だった。
「ああ、ちょっとね」
この細身のロンゲ男、黒田卓朗は、わりと気のあう友人のひとりである。昨年度から、二年連続おなじクラスで、いつのまにか、よく話をするようになっていた。昼はもっぱら、こいつやゴーをまじえた数人と食べているし、ときにはそのメンバーで遊びに行ったりもする。
軽く世間話をしつつ、僕は黒田とともに、適当にパンを選んでいった。
「そうそう、委員長が廣井をさがしてたぜ。いっしょに昼メシをくいたいってさ」
会計をすませたところで、黒田がいった。
「え、委員長が? わかった、ありがとう」
なかなか、うれしい連絡だった。
用というほどあらたまったものでもないが、こちらも彼女とは話したいことがあったのだ。そういう意味でタイミングがいいし、女子と昼食をともにできるというのは、それだけで魅力的な提案だった。
よし、それではさっそく教室にもどるとするか。そう思い、踵をかえしかけたところで、なぜか黒田に呼びとめられた。
「まあ、まてよ。聞きたいことがあるんだが」
聞きたいこと? はて、なんだろう。黒田はやけに、にやけた笑みをうかべている。
「おまえ、やっぱ委員長とつきあってんだろ? な、正直にいえよ」
なんだ、またその話か。僕は苦笑した。
委員長、すなわち安倍さんと僕は、二年連続で学級委員長と副学級委員に就任している。
クラスがいっしょなのは偶然としても、役職までおなじ、しかも立候補でというのは、僕たちを知るものにとっては不自然きわまりなく、申しあわせてのことに見えたらしい。つまり、ふたりは大の仲よしで、片時もはなれたくないから、いっしょにできる仕事を選んだといったところか。
もっとも、真相は、どうせ学級委員などだれもやりたがらないし、それなら経験者が率先してやろうと立候補したら、たまたま彼女も同様のことを考えていたというだけのことだったわけだが。
「つきあってないよ。そんな雰囲気になったこともない」
「マジか? だって、廣井と委員長って、すげー仲いいじゃん。なんか、ふたりでいろいろ話してて、盛りあがってることとかあるだろ?」
たしかに、僕と彼女には読書という共通の趣味があり、話題にはことかかない。本の貸し借りなどもするし、読んだ小説の内容について、感想や考察を述べあったりもする。だが、それだけでつきあっているというのは、いささか短絡的すぎる結論ではなかろうか。
「仲がいいのは認めるよ。友だちとしてだけどね」
「……廣井って、あの宇佐美って子ともいい雰囲気だよな。なあ、どっちが本命なんだ? 教えてくれよ」
思わず、返答につまってしまった。
本命というなら、まちがいなく幸がそうである。しかし、現状はいちど告白してふられ、そのごもふつうに接してもらっているというところだ。いったいそれを、こいつにどう説明したものか。
幼いころから共通の友人だったゴーとちがい、黒田と幸はおなじクラスになったばかりで、いまのところ、とくにしたしいわけでもない。せいぜい、顔と名前を覚えたていどだろう。
これは僕ひとりの話ではなく、相手のあることなのだ。いくら黒田でも、あまり軽々しく言っていいとは思えなかった。
「そんなんじゃないって。幸はただの幼なじみだよ」
とりあえずごまかした。すると、黒田はさらに追求してきた。
「わかった、じゃあ質問をかえよう。胸がおおきい子とちいさい子、どっちが好き?」
やれやれ。こいつはおもしろくていいやつだけど、ちょっとしつこいところがあるんだよなあ。
ようするに、胸のおおきい子というのが委員長で、ちいさい子というのが幸のことなのだろう。
いうまでもないことだが、委員長はじつに豊かな、おっぱいとよぶのにふさわしいすばらしいバストの持ち主である。そちらの方面で、クラスの男子の話題にのぼることも多いのだ。
いっぽう、幸は中学生、へたをすれば小学生とまちがわれかねないほど小柄であるため、胸部もおっぱいというよりはちっぱい、もとい、発育はそれなりということになる。
とはいえ、女子の体つきに関心がないなどというつもりもないが、さすがに、それが理由で恋におちたりもしないだろう。そういうのは、好きになった相手がどんなものかという問題であるはずだ。
「どっちも好きだよ。じゃあ委員長がまってるからいくな」
埒があかないので、話を切りあげることにした。『どっちも好きって両手に花か』などとわけのわからないことをいう黒田をおいて、さっさと歩きだした。
しかし、黒田はなおも食いさがりつづけ、僕は教室にもどるまで、質問攻めをのらりくらりとかわすことを余儀なくされたのだった。