第百九十一話 九月十五日(土)昼下がりのなにか 2
止め結びにしたコンドームを、ベッドわきのクズ籠に放りこんだ。
すぐとなり、乱れたシーツのうえには、まるで投げ出されたかのように、うつぶせの裸体が横たわっている。僕は尻をずらしてベッドのへりに座りなおすと、彼女の上下する背中をそっとなでてみた。
ふれた指のすきまから、ほんのりと、くすんだ肌色の模様が見える。汗で濡れた手触りのなかに、かすかなざらつきも感じる。
一瞬、言いようのない感情に胸をしめつけられかけた。だが、相手の咎めるような声に、僕はすぐにわれに返った。
「いたずらしちゃダメ」
「あっ、……ごめん」
こころが、体勢をあおむけに変えた。両手をくんで、それを額のあたりに乗せるようなポーズをとった。
「べつに、いいけどね……。やっぱり気になる? 背中」
「そ、そんなことはないよ」
あわてて否定の意をしめすと、彼女はクスリと悪戯っぽく笑った。
「ちっちゃなころから、ずっと髪、伸ばしてたんだ」
「髪を?」
彼女の髪は、僕の知りあいの女性のなかではもっとも長い。背が高いのに、腰から、へたをすると尻のさきあたりまで届くほどなのだ。
ただし、長いのに手入れはよくされており、さらさらとした感触は、指で梳けばそのままこぼれて落ちてしまうほどだった。
「背中が、髪で隠れて見えなくなっちゃうかなと思って……。実際は、身体測定とかがあるたびに、あたらしいお友だちにびっくりされちゃってたんだけどね」
さすがに疲れてしまったらしく、こころはどこかぼんやりとした様子だった。夢を見ているように、視線を宙空にさまよわせている。
「いつか、白馬の王子さまが迎えにきてくれたとき、この背中を見て引かれちゃったらどうしようって、そんなふうに考えたこともあるんだよ。……こーへいしゃん?」
「うふっ、い、いや、その」
服を脱いだらすっかりおとなの女といった感じの恋人の口から『王子さま』というメルヘンチックな単語が飛び出したのがみょうにツボにはまり、僕はつい笑ってしまった。
しかし、彼女はいくらか気を悪くしたらしく、むーとくちびるを尖らせて抗議の言葉を口にしてきた。
「笑わないで。女の子は、いくつになってもお姫さまなんだよ?」
「わかってるよ。ほら、僕は引いたりしなかっただろ?」
そう弁解すると、こんどはこころのほうが吹き出した。
腕をのばして僕の手をとると、彼女はそのまま両掌にはさみこんでほおずりをはじめた。
「王子さま。こころの、こころだけの」
たぶん、こころは眠たいのだろうと思った。胎児のように体をまるめ、ふわりとまぶたを閉じている。
残念ながら、この場で眠ってしまえるほど、時間的な余裕があるわけではない。というより、一般に女性のほうが身支度に手間がかかることを考えれば、いますぐとまでは言わずとも、そろそろ帰る準備をはじめたほうがいいぐらいである。
もっとも、このまったりした雰囲気をせかそうという気には、ちょっとなれなかった。相手の掌をはずさないように気をつけて、僕もベッドに身を横たえてみた。
「バイトでも、してみようかな」
「……なに?」
どうやら、独り言を聞かれてしまったらしい。こころが顔をあげ、ふしぎそうにこちらを見つめている。苦笑しつつ、僕は補足をすることにした。
「やっぱりさ。こういう場所じゃないと、家じゃどうしてもゆっくりできないし、そのためにはお金が必要だと思うんだ」
もちろん、場所だけの問題ではない。ほかに、たとえばゴムだってタダではないのだ。いうまでもなく、生でなどは論外である。
「お小遣い足りないの? お金なら、こころも出すよ」
「うーん……。まあ、成績さえ落ちなければ、それなりにもらえるとは思うし、貯金もあるから、すぐに足りなくなるってことはないけど……。でもねえ、親に小遣いをもらっているだけの身分でラブホに来るっていうのは、どうにも心苦しいっていうか」
当然のことながら、アルバイトよりは成績のほうが優先なので、働くとしても週末や長期休暇など、時間に余裕があるとき限定での話になる。
家庭教師のように、勉強と両立できそうな仕事でもあれば一番いいのだが、そういうのは大学生以上が必須条件になる場合がほとんどなのだ。なにかやるにしても、おそらくは飲食店などで短期的にということになるのだろう。
「決まったら、こころにも教えてね。いっしょに働きたいから」
いって、こころが僕の胸に顔をこすりつけてきた。
「ふたりでできる仕事か……。そうなると、ますます選択肢がせまくなっちゃうなあ」
笑って、僕も彼女の身長のわりにちいさな頭をなでてやった。
結局、精算の時間がくるまで、僕たちはそんなふうに裸んぼうでじゃれあっていたのである。おかげで、帰り支度が非常にあわただしくなってしまったあげく、時間をすこし超過してしまい、延長料金という予想外の出費をしいられてしまったのだった。




