第百九十話 九月十四日(金)夕方~九月十五日(土)昼下がりのなにか 1
メールを桐子さんに送ったのは、夕方、自宅にもどってからだった。
ふたりで会って話したいことがある。できれば、あすに。こころにかんする非常に重要な案件の相談である。
緊急性があるわけではないので、後日でもかまわないが、その場合は代替の日時を指定してほしい。
なお、このことは、くれぐれもこころには内密に願いたい。
いちおう、敬語はつかったものの、おおむねそんな内容の文面にした。送信してから、書きかたが用件の押しつけばかりで非礼だったかもしれないと思ったが、もはやあとの祭りである。
夕食をすませ、携帯の受信フォルダを確認すると、もう返信が来ていた。
了承の旨とともに、待ちあわせの場所と時間がしたためられている。商店街の入り口にて、午後七時とのこと。
追伸として、せっかくだから、話は夕食をとりながら聞くことにしたい、ともあった。
じつに色よい返事である。なのに、僕はひどく憂鬱な気持ちになった。これは、こころにたいする裏切りではないのかと、また考えたりした。
翌土曜日は朝から空が曇っていて、そのことは僕をますます沈みこませた。
天候と気分に、因果関係を見出す必要はない。そう自分に言い聞かせはしたものの、胸は晴れそうになかった。
ともあれ、今日の授業は昼までである。弁当を片付け、毎度の食料品の買出しをすませてしまえば、のこった放課後は恋人とすごす時間になる。
「いったん帰って、私服に着替えてくるよ」
「じゃあ、こころは公園で待ってるね」
デートは、ウィンドウショッピングのはしごがメインだった。とくに、これというプランはない。暇さえあれば、いつでもいっしょにいる間柄なので、むりにイベントを探す必要性を感じないからである。
さらにいえば、ふたりでゆっくりのんびりしているだけというのも、それはそれで、なかなか悪くないものだった。
「こーへいしゃん、元気ない……」
表面には出さないよう努めていたつもりだったのに、どうやら僕は、見た目にもわかるぐらいに落ちこんでいたらしい。こころがしきりと、心配の言葉を口にしている。
恋人の気遣いはすなおに嬉しいと思える反面、自分の気持ちが荒れはじめてきているとも感じた。
時計をみると、時刻は午後三時に差しかかりつつあった。なにかに押されるように、僕はこころを商店街のそとへと誘い出した。
目的地は、駅裏にある繁華街の、さらにはずれに位置する区画だった。そこに、カップルが利用するための『ある種の施設』が集中しているのだ。
ファッション、ブティック、レジャー等々、穏当な別名はさまざまあるそうだが、ようはラブホテル街というやつである。クラスの悪友たちに教わった場所だった。
歩みをすすめるにしたがい、いくつもの、それらしい看板が目にはいってくる。こころも、自分たちがどこに向かっているかに気がついたらしい。『このあたりって……』というかすかなつぶやきが聞こえた。
そのまま、林立するホテル群のひとつに決めて、入り口のまえにたった。
「こころ」
恋人に向き直り、うながすように手を引いてみた。
返事はなかった。かわりに、彼女はこちらの腕に強くしがみついてきた。僕たちは軽くうなずきあい、ラブホテルに――おとなの領域に、足を踏み入れたのだった。
さて、そんなふうにおおげさに覚悟を決めて、いざ入ってみたところ、ホテルのフロントは無人のようである。
ただ、たしか従業員に見られて恥ずかしい思いをしないですむようにとの配慮から、そういうシステムになっていると聞いたこともある。だれもいないからといって、不安がる必要はないだろう。
案内に目をやると、まだ明るい時間帯だからなのか、フリータイムを利用することができるらしい。タッチパネルがあり、それを押すことで部屋が選べるようだ。
もっとも、どれがいいかなど、経験にとぼしい僕たちには判断のつきようもないので、適当に『在室』マークのついていないものを選ぶことにした。
指定の番号の部屋に移動してみると、そこはおおきなベッドがある以外はとりたてて目を引くもののない、シンプルな内装の個室だった。
荷物を置いて、ふたりでなんとなくバスルームをのぞいてみた。イメージどおりというべきか、かなり広々としている。身も蓋もない言いかたながら、その気になれば、このなかでもいろいろとできそうな感じである。
「ね、ねえ、いっしょに入ってみる?」
口元を握りこんだ拳で隠しつつ、こころがそんなことをいってきた。顔が真っ赤である。もちろん、それについてはこちらも同様だろうが。
「よし、は、入ろうか」
さっそく、僕たちは脱衣所に移動して、衣服を脱ぎはじめた。
まず、僕が神速で生まれたままの姿になった。バスルーム側の出入り口に近い位置にいるこころのほうに視線をむけると、彼女はちょうど、着ていたワンピースを籠に入れたところだった。
なんとも生々しい光景だと思った。女とこういう場所にきて、このような姿を目にしているのだ。
つかのま、僕は恋人の脱衣シーンを、なに食わぬ顔でこっそりと眺めていた。しかし、やがて彼女が上下の肌着をはずしたあたりで、ついに頭がくらりとするような衝動をおぼえ、その場でこころに抱きつこうとした。
ところが、つかまえたと思った瞬間、こころはさっと身をひるがえし、バスルームに飛びこんでしまった。
一瞬あっけにとられかけ、それでもすぐに追いかけていくと、彼女はすでに浴槽のへりに腰をかけていて、嫣然とした笑みをうかべていた。
両手を、ふともものわきに置いている。形のよい乳房、ひかえめな臍、そして、そのしたにある茂み。本来なら秘められているべきすべてが、明るみにさらけだされていた。
「がつがつしすぎだよ。今日はちゃんと洗ってから、ね?」
体を見せてもらったのは、はじめてではない。それでも、ハンドタオルを片手に浴槽に湯を張りはじめた恋人の姿に、僕はなかば魂を抜かれたように見蕩れていた。