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冥王星の少女 -the phantom girl of absolute zero-  作者: 草原猫
第九章後編 frozen bird 闇の少女
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第百八十八話 九月十四日(金)午前

 教室につくなり、僕は自分の席に腰を落ちつけて、数学の問題集をひらくことにした。前日に勉強をしていなかったので、適当になにかやっておこうと思ったのである。

 日々の積み重ねがあるので、授業についていくだけなら、一日ふつかぐらいサボってもどうということはない。それでも、習慣になっていることを怠るのは、朝おきて歯を磨かないとか、トイレに入ったあとで手を洗わないのに似た気持ち悪さがあった。

 さいわいなことに、一時間めは物理である。この教科の担当教師はちょっと変わったひとで、自分の授業は聞かなくてもかまわない、自由に内職してよろしいと、学生に公言してはばからないのだ。

 どうやら、教科書の内容をすべて理解し、それを踏まえて自分で勉強しているのを学生の当然のあり方、前提と決めこんでいるらしく、そちらは流すぐらいにしか触れない。

 そうやって、テスト範囲を猛烈に早くすすめておいて、空いた時間になにをするのかというと、物理学にかんするこぼれ話的な小エピソードを、大量に披露してくれるのである。

 つまり、学生に教科書にないことを教えるのをポリシーとしているわけだ。

 ほかにも、趣味のスキーをするためにカナダまで旅行にいってきた――五十をいくつも過ぎているのに元気なことだ――というような類の楽しい雑談もしてくれるので、外見のダンディさもあいまって、わりと人気のある先生だった。

 僕自身はといえば、先生の語りを聞くのは好きなほうなのだが、今日にかぎっては渡りに船である。せっかくの半自主学習時間とばかり、内職にいそしむつもりでいたのだった。

「よし、じゃあ今日の授業は、タイムマシン、タイムトラベルについて話してみようかな」

 教壇にたった物理教師の、年季を感じさせる微妙にまのびした声に、僕はふと、ペンを動かす手をとめた。

「SF小説や映画なんかでは、よく出てくるよな、タイムマシン。君らのなかにも小学生ぐらいのときには、将来、発明家になって自分で開発してやろうなんて思ったものもいるんじゃないか、ん?」

 なんとなく気になって、周囲の様子をうかがってみた。ふだんのこの先生の授業風景となんら変わるところもなく、みんな思いおもいに自分の勉強をしたり、黒板に目を向けたりしているようである。

 こちらから、左側前方の席にいるこころは、見た感じ拝聴組のほうである。最前列、先生のまん前の席にいる幸は、手をとめていないところから考えて内職組か。

 委員長については、斜めうしろ側の席ということもあり、僕の位置からではわからない。ただ、この先生の授業は創作の参考になると言っていたことがあるので、おそらくは話を聞く態勢にはいっているのだろうと思った。

「理屈のうえでは、タイムマシンの実現は可能だ」

 先生の話は、ロマンあふれるこの一言からはじまった。

「相対性理論、あるだろう、アインシュタインが提唱したやつだな。これのなかに、物体をどんどん加速して、光の速さに近づくほど時間が遅れるというのがある。日本じゃ浦島太郎のおとぎ話に似ているから、ウラシマ効果と呼ばれているんだが」

 浦島太郎伝説においては、亀を助けた太郎は海底の竜宮城に招かれる。そこで数日ほど滞在し、ぶじ帰還したと思ったら、数百年の歳月がすぎている。

 この状態は、太郎が未来にタイムトラベルしたのとおなじであるというわけだ。

「ちなみに、恒星間航行をするような宇宙もののSFでは、コールドスリープ、ようするに、搭乗員を冬眠状態にする技術が存在する場合もある。これも、ぐっすり眠っているひとたちにとっちゃ、一種のタイムトラベルだよな」

 光年、すなわち毎秒三十万キロメートルの速さですすむ光が、一年かかってようやく到達する距離の単位でしか表せないほどに隔てられた星の世界を移動するためには、人間の寿命はあまりにも短すぎる。

 そこで、SFにおいては、人体を低温状態にし、数ヶ月から数年、あるいは数百年ものあいだ、代謝がすくない状態を維持することで、長期の宇宙旅行を搭乗員視点で短縮するという架空の技術が考案された。

 これは、搭乗員の体感的にはほんの数日、宇宙船内ですごしただけなのに、地球上では膨大な時間がすぎさっているということを意味する。この手法のミソはそこにあり、その部分でドラマがつくれるのだ。

 たとえば、僕がまえに読んだSFには、異星人による発見を期待して、冷凍状態で当てもない探索に出たパイロットが、いざ解凍されて未知との遭遇に感動していたら、回収したのは彼が眠っている数千年のあいだに技術発展し、宇宙中に拡散していっただけの地球人だったというブラックな内容のものもあった。

「あー、ここまで話してきたものは、いずれも未来へのタイムトラベルの方法だ。現代にもどって来られないと、一方通行になってしまって快適な旅行とはいえない。それではどうやって過去に移動するかということになるわけだが、じつはこちらのほうが面倒な話だったりするんだな」

 それまで書きこんでいた黒板の内容をいったん消し、先生がふたたびチョークを走らせはじめた。

 つづいての話題は、ワームホールやスーパーストリングなどの、なじみの薄い理論についてである。先生はそれらを図解こみで、高校生でもそこそこ理解できる形に噛み砕いて説明してくれた。

 今日の授業は、かなりの当たりだったようである。内職組のクラスメイトたちが、続々とペンを止め、聞きモードに移行していく気配を感じる。

「……ん、まあこんな具合だな。さて、ここで注意しないといけないのは、これらの話はいずれも『理論的には』という但し書きがつくところだ」

 チョークを置いてこちらに向き直ると、先生は教卓に両手を乗せるような姿勢をとった。

「君らにわかりやすく説明するために、いろんなたとえ話なんかも持ち出してみたが、実際にそういった装置なりをつくって実験するのは、まず不可能だといってしまっていいんだ。実行に膨大なエネルギーが必要だったり、そもそもミクロレベルでしか成立できないことだったりで、仮説の域をでない」

 いちおう、人類がこのまま進歩していけば、可能性としては、いつか革命的な理論なり技術なりが登場するかもしれない。だから、と前置きをしたうえで、先生は高名な物理学者の『わたしはだれとも賭けをしないだろう』という発言を引用した。

「個人的には、君らの子供や孫の代でもむりだとは思う。だけど、そういうつまらない決めつけをするのは、ぼくのような将来のない老人だけでいい気もするかな。若者は、夢や希望を持つべきだとね。もちろん、こういう科学的なことばかりではなく、だ」

 どうやら、先生はこの言葉を授業の〆にするつもりだったようである。しかし、チャイムはまだ鳴りそうもない。時計を確認すると、あと三分といったところだった。

「時間、あまっちゃったなあ……。もうひとつ話をするには、ちょっと中途半端だし、まあ、君らは二時間めの授業の準備でもしているといい」

 苦笑しつつ、先生が荷物のまとめにはいった。

 授業のおわりである。あからさまに私語をはじめるものこそいなかったが、クラス全体が、ほんのりと弛緩した雰囲気になってきている。そんななか、僕は勉強道具を片付けながらも、頭のなかでは先生の話の内容を反芻していた。

 先生の話の骨子は『タイムマシン、タイムトラベルは理論上の成否はともかく、人類が利用できる形で実現する可能性はきわめて低い』というものだった。導入のワクワク感からすると、かなり残念な結論にはなってしまったが、常識的で妥当なものだといえるだろう。

 現代科学の枠内でいえば、タイムマシンを開発し、人間を過去におくるなどということは、あと百年たったとしても夢物語でしかないのである。

 しかし……。

 ある思いつきが、天啓のように舞い降りて、僕の脳内を支配しつつあった。

 タイムトラベルという夢物語、絵空事にふさわしく、それはSFですらない。ほんとうに、ただの荒唐無稽な思いつきである。未来人が、過去の人間に干渉し、影響を与える方法。

 細部まで煮詰められた理論ではなかった。自分ひとりで考えついたわけでもなかった。限定的な状況、状態において、タイムトラベルに似たことができるかもしれないという結論がさきにあり、そこからゆるく組みあがったものだ。早い話がくだらない妄想であって、他人に語れることですらない。

 だが、僕にとっては体験的に理解できることがらを根拠としていて、微妙に説得力をもつと思えるものでもあった。

 ――と、その仮定によって導き出される結論の意味することを、僕が受け止めかねているうちに、授業の終了をつげるチャイムが鳴った。

 二時間めの授業は、ちがう教室に移動しなければならない。椅子にすわったまま、のんびりと空想にふけっているわけにもいかないだろう。僕は頭をふって、気持ちを切り替えるようつとめた。

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