第百七十六話 九月十日(月)夜 1
自室でひとり、爪を切っている。
こころとは一時間ばかりカラオケを楽しみ、あとはそのままマンションまで送りとどけた。いまは夕食と風呂をすませ、そろそろ勉強でもしようかという時間帯である。
夜に爪を切るのは、理由は忘れたがあまり縁起のいい行為ではないらしい。とはいえ、しょせんは迷信であるし、ちいさなころから幸が、爪が伸びていると汚いといって怒るので、気がついたらすぐに切るのが習慣になっていたのである。
「つっ」
いけない、深爪をしてしまった。僕はあわてて、右手の人差し指を口にふくんだ。さいわい血は出ておらず、舐めているあいだに痛みはおさまった。
「やれやれ……」
ため息をつきつつも、爪切りを再開することにした。
パチン、パチンと小気味良い音をたてながら、僕はなんとなく、さきほどのカラオケを思い返してみた。
残念ながら、こころはカラオケをあまり楽しんでいなかったような気がする。いちおう、彼女十八番のアイドルソングや、ふたりで行くときには定番になっている男女デュエット曲なども歌ったのに、どこか身がはいっていない様子だった。
もっとも、それも当然だろうと思った。あすかから、あれほど失礼な態度をとられた直後なのだ。むしろ、こちらに気をつかって、内心の落ちこみを隠そうとしていたのが、滲み出ていたという感じかもしれない。うわの空というほどではないにせよ、考えごとをしているように見えたのだ。
ほんとうに、今日は彼女に申し訳ないことをした。そう思ういっぽうで、しかし僕は、すこし違うことも考えていた。こころの、自己評価の低さについてである。
僕は今日、あすかに会うまで、相手の態度の悪さにこころが腹をたて、ふたりが喧嘩をはじめてしまうことを懸念していた。
実際、思っていたのと方向が違うとはいえ、あすかの態度はこれ以上ないというぐらいに悪かったから、予想の半分はただしかったわけだが、こころの反応が意外なものだった。
いま、冷静に考えなおすと、むしろ僕のほうが腹をたてたあげく、こころがそれを取り成すという形になってしまっていたのである。
思えば、昨夜の大羽美鳩のときもそうだった。こころは途中、相手にたいして反論をしてくれたが、あれも、本人が自分自身のあつかいに腹をたてたというより、僕をかばってくれたという感じだった。
もとより、こころも人間である。いくらおとなしい女といったところで、怒りの感情がないということはありえないし、そもそも僕自身、うかつにもその対象になったことがある。
なのに、いくつかの普通なら怒って当然と思えるような場面では、彼女は腹をたてるどころか、逆に自分が悪かったなどと言ってくる始末なのだ。
いつぞやも感じたことだが、どうもこころには、自信のようなものが足りない気がする。僕と付き合うまえの時期には、ちょっとしたことでおどおどした態度になる場面も多かったし、こういうとおおげさかもしれないが、それは彼女の人格的問題点といえるかもしれない。
では、こころはなぜ、そんなふうになってしまったのか。そのあたりに思いをはせるとき、僕はひやりとしたものを感じる。
一般論ではあるが、ある人物に人格的問題点があるとき、通常は家庭環境に原因をもとめがちである。もちろん、いついかなるときもそれが通用するわけではないという但し書きは必要であるとして、こころの場合はどうなのか。
率直にいって、堤家の家庭環境はあまりよくないと、僕は思っている。
たしかに、経済的にはどちらかといえば余裕のあるほうだろうし、こころの桐子さんへの接しかたや、父親のことを話すさいの様子などからして、情愛の点でも、そこまでの問題はなさそうに見える。
だが、両親が家にいないのである。とくに、忙しい時期でも朝だけは顔をあわせられる母親と違い、父親のほうは週に一日がデフォ、場合によっては月に二日というレベルでしか帰ってこないのだ。
聞いたところによれば、こころの背中にあるという火傷あと、その原因とされる虐待をおこなったのは、家族ではないとのことだった。しかし、そうだとしても、だれがそれをやったのかという話になるわけで、誘拐されたとか、その類の犯罪に巻きこまれたということもありえるのである。幼少期にそんな目にあった子供を、家にひとりで放っておけるものなのか。
桐子さんとは、なんどか会って話をした。好感のもてるひとだと思ったし、こころに一定以上の気配りをしている感じもあった。おそらく、自分の仕事と家庭の両立を、本人なりに考え抜いたうえでいまの形になっていると、彼女についてなら好意的に解釈することもできる。
しかし、それではこころの父親はどうだろう。彼の人間性について、僕はなんの屈託もなくうけあうことができるだろうか。
以前、あすかの態度の悪さの理由を『じつは、こころの父親とあすかの母親が不倫した結果、生まれたのがあすかで、その出生から異母姉であるこころを憎んでいるのでは』と想像したことがある。
邪推であることはわかっているが、否定する材料はない。肯定する材料は、いちおうある。こころとあすかが、血縁を連想させるほど似た容姿をしていることだ。
もちろん、それはただのたくましい妄想でしかなく、そもそも僕自身、いま関心をもっているのは違う仮説であって、ほんとうにこころとあすかの父親が同一人物であると信じているわけでもない。
とはいえ、それはそれとしても、胸にもやもやしたものが広がっていくのを、僕は否定できないでいた。