第百七十三話 九月十日(月)放課後
ホームルームと掃除をすませ、机の並びをもどしてしまえば、いよいよ放課後である。クラスメイトたちが帰り支度をしたり、談笑しあったりするなか、僕はこころを席まで迎えにいくことにした。
途中、視界のはしに、ふと委員長の姿がはいってきた。
委員長は、すぐに帰る気がないらしく、文庫とおぼしき本を取り出して、開いているところだった。この時間帯に、彼女のこうした姿を目にするのはひさしぶりである。今日は黒田に部活があるはずなので、待つあいだのヒマつぶしなのかもしれない。
もしこんご、ふたりがいっしょに帰るようになるのであれば、クラスメイトに関係が発覚するのも時間の問題だろうと思った。
さて、視線をこころのほうにもどすと、わが恋人は椅子に腰をおろしたまま鞄をかかえ、僕が来るのを待っているようだった。
「行こう、こころ」
「うん」
どうやら、こころは近い席の女子数名と会話を楽しんでいる最中だったらしい。彼女たちは、僕たちがすぐに帰ると聞いて、不平をならべはじめた。
さすがに、公衆の面前でキスをした翌日である。あれが最初だったのかだの、じつはもっと進んでいるのではないかだのといった種類の質問を、さかんに浴びせかけられた。
「ごめんごめん、今日はちょっと、はずせない用事があってさ。いつか時間があるときにでも話すから」
最初の二つみっつの質問にはつきあってみたものの、もとよりゆっくりと語らっているわけにもいかないのである。こころとふたりで拝むようにして謝りたおし、僕たちはいそいそと教室をあとにした。
昇降口をぬけ、校門を出ると、そのまままっすぐに公園へとむかった。歩いてほんの二十分ほどの道のりである。たどりついても、日はまだそれなりには高かった。
「……だれもいないね」
公園をぐるりと見回して、こころがいった。
いちおう、あすかがあらわれる前後の時間に、公園からひとけがなくなるらしいことは話してある。ただ、どういう原理でかは僕にもわからないと、正直に伝えておいたので、こころのこの発言は、不審がっていたり説明をもとめたりしているのではなく、感想を述べただけだろう。
ひとまず、こころをうながして、ベンチに移動することにした。
ベンチと一口にいっても、この公園には複数箇所存在している。今回、僕たちがむかったのは、屋根つき休憩所のそれだった。中央の木製テーブルをゆったりと囲むように、よっつの長椅子がそなえつけられており、建物のわきには水道も設置されている。
四月の、幸に告白したときに座っていた場所だったが、とくに感慨があってそこを選んだわけではない。たんに、公園のすみにあたる位置なので、だれかが入ってきた際に見つけやすいからだった。
荷物を、椅子やテーブルの邪魔にならない場所におくと、あとはあすかを待つだけになった。
そっと、僕はこころの手をとってみた。
これから、幽霊という超常的な存在と会うのである。きっと不安がっているのに違いない。そう思ってしたことなのだが、こころはなぜかふにゃりとした笑みをうかべ、こちらにしなだれかかってきた。
どうやら、彼女はあまり緊張してはいないようである。まあ、むだに硬くなられるよりはいいか。僕はそのまま、恋人の手の感触を楽しむことにした。
身長のわりに、こころはかなり手がちいさい。男子はいうにおよばず、もうすこし背が低めの女子、たとえば立花さんあたりと比べてもそうなのだ。
だいたいにおいて均整のとれた彼女にしては、少々バランスがよくない気もしないでもないが、これはこれでかわいらしく、悪いものではなかった。なにより、こちらの手のなかに、相手のそれがすっぽりとおさまるのがいい。
「こーへいしゃん」
彼女の長い髪が、半袖の僕の腕にからみついてくる。頭をなでてやりたいが、手がふさがっているのでむずかしい。
むう、いったん手をはなして、肩を抱きなおしてみようか。でも、この髪の毛のくすぐったさも、ちょっと捨てがたいなあ。
――などと、能天気なことを考えて、公園に来た本来の目的を忘れかけていた矢先。
ふいに、こころがびくりと体をふるわせた。そうして、はじかれたように身を起こすと、あたりをキョロキョロとうかがいはじめた。
僕はといえば、あらためてしっかりと恋人の手をにぎりなおした。
気配があった。毎週月曜のこの時間に、いつも感じていたもの。しかし、こんなふうに警戒感をともなうのは、最初のとき以来かもしれない。
あすかがいる。どこかはわからないが、すぐ近くに。




