第百六十八話 九月十日(月)早朝 2
待ちあわせ場所のコンビニまえに、ゴーと、それから徹子ちゃんの姿もあった。
まだ午前七時まえである。前者はいいとして、後者は約束していたわけではないので、一瞬おやと思った。
もっとも、考えてみれば、彼女のクラスの出し物はお化け屋敷だったはずだし、僕たちと同様、あと片付けが必要なのだろう。
「公平さん、幸さん、おはようございます」
「おはよう、徹子ちゃん。じゃあ行こうか」
登校途中の話題は、やはりというべきか、昨夜のカップルコンテストについてだった。徹子ちゃんは、大羽美鳩の所業がイベント用のヤラセなどではないことを理解していたらしく、僕のために憤慨してくれているようだった。
「まったくだよ、徹子ちゃん。こっちのなにが気に食わないのかしらないけど、あんな場で吊るし上げみたいなマネをしてくるなんてさ。ゴーも、そう思うだろ?」
「お、おう」
対照的に、ゴーはさきほどから、なぜか無口だった。徹子ちゃんのようにいっしょに怒ってくれとまではいわないが、それにしても少々態度が冷たいのではなかろうか。
「前々から、わたしはあの女が大嫌いだったんです!」
かと思えば、徹子ちゃんも徹子ちゃんで、大羽美鳩を『あの女』よばわりである。味方をしてくれるのはうれしいし、基本的にはおおいに同意したいところであるが、いささか口が悪すぎるような気もする。
というか、この物言いだと、なにか私怨のようなものが混じっていそうな印象を受けるぞ。はて? 徹子ちゃんは、大羽美鳩と面識でもあったのだろうか?
だが、生徒会役員選挙の時期には、徹子ちゃんはまだ学級委員ではなかったし、部活などの関係もないはずである。彼女はいったい、なぜこんなにも腹をたてているのだろう。
幸が、ふしぎそうに小首をかしげている。僕も徹子ちゃんの態度に、なんとなくの不審感をいだきはじめてきた、そんなときだった。
徹子ちゃんが、爆弾を投下してきた。
「ほんと、タケくんも、あんな女とはさっさと別れて正解でしたよ!」
「ばっ、バカ、徹子!」
いきなり、ゴーがあわてたように手をふった。それを見て、徹子ちゃんはつかのまきょとんとしたような表情を浮かべたあと、はっと気づいたというふうに、両の掌で自身の口をふさいだ……えっ。
な、なに? いま、彼女はなんといった? タケくんも、さっさと『別れて』正解?
別れたってどういうことだ。ゴーと大羽美鳩は、一年のときのクラスメイトという関係だけではなかったのか?
ゴーが片手の甲を額に押し当て、天をあおいでいる。いかにも、これまで秘密にしてきたことが暴露されてしまい、途方にくれているといった雰囲気。
まさかこいつ、大羽美鳩と、いつのまに?
「おい、ゴー? いま徹子ちゃんが言ったことって」
つい、勢いこんでそう詰め寄ると、ゴーは観念したようにうなずいた。
「ああ、そうだよ。むかし付き合ってた。悪いか?」
いや、そんなふうにまっすぐ返されてしまうと、べつに悪いというほどのことでもないのだが。
それから、ゴーは渋い顔をしつつも、事情を語ってくれた。
なんでも、ふたりが付き合っていたのは、去年の五月ごろから夏休みの途中までぐらいの時期だったらしい。
当時のふたりは席がとなり同士で、たまの雑談のおり、誕生日が数日しかちがわない――大羽美鳩が九月十日で、ゴーが十三日――という話題で盛りあがったのだという。
話をしていて楽しいと感じたゴーは、いつもの軽いノリで、相手をデートにさそった。大羽美鳩も、あっさりとそれを受けた。
ふたりの交際は、そのデートがきっかけだったのだそうだ。
去年のゴーと大羽美鳩の様子を、僕は思い浮かべてみた。とくだん、男女のあれこれを感じさせたりはしていなかったような……。
ふむ? そういえば、大羽美鳩がゴーの服装や言動について、風紀委員だからといって、なにくれとなく注意していたことがあったぞ。
あのころは、なかば形骸化している委員なのに、真面目だなあぐらいにしか思っていなかったが、すると、あれはつまり、恋人同士でじゃれあっていたということだったのだろうか。
「マジかよ、それ……。うわっ、ぜんぜん知らなかった」
「まあ、こっちも秘密にしてたしな。あいつが、しられるのを嫌がってたんだよ。照れるからって。だから、把握してたの、たぶんクラスでも女子が数人ぐらいだったと思うぞ」
どうやら、僕が恋愛にかんして鈍いほうであるというのは、あまり関係なかったようである。さいわいなことにと、言っていいものかはわからないが。
「でもさあ、なんでタケちゃんのモトカノが、公平を目の敵にしてるん?」
あらためての幸の質問に、ゴーが一瞬いいよどんだ。
「どうしても言わなきゃダメか、それ?」
べつに、わざわざゴーに説明してもらわなくても、そちらについてはわかっていると思った。
ようするに、成績で僕の学年順位を抜けないからである。ひとづてに、そんな話を聞かされたことがあるのだ。
ところが、そのことを指摘しようと口を開きかけたやさき、僕はふとした疑問に心をとらわれた。
あれ? そういえば、だれにその話を聞いたのだろう。
時期はおぼえている。去年の二学期のなかばごろである。夏休み中にしっかりと勉強をしたおかげで、中間テストでは、僕の成績がいっきに三十番ちかくもあがった。そして、大羽美鳩の態度が悪くなったのも、ちょうどそのあたりからだった。
用があって話しかけたときに、すごい目で睨みつけられたのである。受け答えも、ひどく失礼なものだった。それで、腹がたって、だれかに愚痴った気がする。教えてくれたのは、その相手だったのかもしれない。
愚痴った相手は、だれだったかな。
たぶん、ゴーではなかったはずだ。周囲に内緒にしていたということだから、大羽美鳩について、こいつから話題に出したり、あるいは話に乗ってきたりということはなかったろう。いまだって、徹子ちゃんが秘密を漏らさなかったら、しらばっくれる気満々だったように見える。
ほかに、僕と大羽美鳩という組みあわせで、多少なりと共通点をもっていそうな人物となると、委員長が候補にあがるけど……そちらも、ないだろうな。
委員長とは当時、クラスメイトからいろいろ言われていたし、自分でも仲はそれなりによかったと思ってはいるものの、じつは、読書についてのことぐらいしか、語りあえる話題をもっていなかった。友だちと言いきってしまうには、まだ微妙に距離があり、愚痴や悩みを聞いてもらえるような間柄ではなかったのだ。
自作小説を読ませてもらえるようになったのは、二学期の期末が終わったあたり、連絡先を交換したのはもっとあと、三学期にはいってからである。なので、それ以前の時期に、彼女から大羽美鳩についての情報をもらったとは、まず考えにくい。
しかし……。そうなると、だれが僕にその話をしたのだろう。
ひとから聞いたというのは、まちがいのないことである。男か女かもいまいち判然としないが、とにかく、だれかが僕に『大羽美鳩は、廣井公平に成績で負けてくやしがっている』という話をしたのだ。これは絶対にたしかである。
なぜなら、僕は大羽美鳩の成績順位が、具体的にどのあたりか知らないからだ。他人に教えてもらわなければ、ひとりでそんなくだらないことを思いつくはずがな……い?
そこまで考えたところで、僕はふいに、足元がゆらぐような感覚を味わった。
ちょっとまて。
どういうことだ、これは。
大羽美鳩の成績を、僕はしらない。それなのになぜ、なにを根拠に、相手が学年順位のことで、こちらを嫉妬しているという話を信じこんだ?
他人に、そう聞かされたから? だれがそれを言ったのかも思い出せないのに?
むしろ、これは信憑性のある情報でもなんでもなく、ただの馬鹿な噂話のたぐいなんじゃないのか?
――と、思考の裏をつくように浮かびあがってきた、それらの疑問の答えを出しあぐねているうちに、ゴーが決心したように口をひらいた。
「おれとあいつが別れた原因さ。……コウと幸ちゃんなんだよ」