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冥王星の少女 -the phantom girl of absolute zero-  作者: 草原猫
第九章前編 broken heart 少女の闇
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ガールズサイド あすか

 雪が降っていた。

 かすかな重力にひかれ、綿のように白く細かいつぶが、信じられないほどゆっくりと落ちてくる。

 風がないせいか、雪はまるで空中に浮かびあがっていくかのようにも見えた。

 岩だか氷だかも判然としない大地の、小高い丘の斜面に身をよこたえ、わたしはそれらを眺めている。

 世界が白く染まっていた。

 とても綺麗な光景だと思う。大好きなあのひととおなじ名前のものが、おなじ色をしたものが、視界に満ちみちていくのだ。

 凍てついた空と大地。生身の人間であれば、おそらくは数秒で絶命し、そのまま氷になって砕けてしまうだろう死の世界。だけどわたしは寒さを感じることがない。

 なぜなら、わたしは幽霊だから。

 墨を流したような黒々とした空には、巨大な月がおぼろに浮かんでいる。『憎悪と悲嘆の渡し守』の名を冠したそれを見上げながら、わたしはひとまず感傷にひたるのをやめることにした。

 ほかに考えなければならないことがあるのだ。

 事態が、予想外の方向にむかおうとしている。アレがフィルターを通過して、ホームに設定したあの公園に侵入してきたのである。

 もっとも、そのことだけなら、まだしも想定の範囲内ではあった。逢瀬のとき、公平とすこしでも長くいっしょにいられるように、セキュリティレベルを落としていたということもあるし、アレの属性を考えれば、フィルターが完全には機能しない可能性がありうるのも、はじめからわかっていたことだ。

 遭遇にかんしても、おなじ都市に存在している以上、偶発的なものがないとはいえないことを、つねに頭には入れてあった。『三ノ杜商店街』という場所に、虫除け程度の効果は期待しても、過信はしていないつもりだった。

 問題はそこではなく、アレと遭遇したあとの公平の態度である。

 公平は、アレがいることに気づいたとたん、ほとんど反射的にという感じで立ちあがった。それから、思い出したようにわたしの手を振りほどこうとした。

 そして、たしかに言ったのだ。『あすか、手をはなして。――が誤解する』と。

 誤解とは、なんなのか。いまの公平とわたしがいっしょにいて、それをアレに見られて、いったいどんな問題があるというのか。

 ふうと、ため息がこぼれた。

 やはり、そういうこと、なのだろうか。

 認めたくないというおのれの感情を無視するのなら、そのように考えるのが妥当な気がする。なぜ、いつのまにそうなったのかはわからないが、公平はすでにアレと。

 だとしたら、最悪どころの話ではなかった。

 まだ、状況はよく把握できていないが、それでもこの乖離は、自然な確率的ゆらぎによって引き起こされたものではない気がするからだ。

 すなわち、介入――へたをすると、事態がこんなふうに悪化してしまった原因そのものが、わたし自身ということになってしまう。

 おそろしい。

 寒さを感じないはずのこの体が震えてしまうほど、それはおそろしいことだった。そして同時に、ある考えが脳裏をよぎった。

 こうなったらもう、規制をやぶって、公平にすべてをぶちまけてしまおうか?

 しかしわたしは、自分のその益体もない考えを、即座に一蹴した。

 そのようなことをしても、すぐに再編集を受けて、なかったことにされてしまうのがオチだ。しかも、すでに変化してしまった部分については、影響がのこってしまう可能性がきわめて高い。

 もはや、毎週の逢瀬を維持するだけのマナにも事欠くようになってきているのに、ここに来て再編集されてしまった日には、ほんとうになすすべがなくなってしまう。

 それに、べつの懸念もあった。公平に、真相を教えたとして、こちらの願いどおりの反応をしめしてくれるのかという点だ。

 公平とすごしてきた、毎週の逢瀬のひとつひとつを、頭に思い浮かべてみた。

 幽霊であるこのわたしにたいしてすら、ろくに疑いもせずに接してくれた。あのやさしい公平が、自分のために、アレを突き放すことができるとでも?

 ――最初から、無理な計画だったのだ。あきらめてしまえ。どうせもう死んでしまった身、こんな行動になんの意味がある。

 だれとも知れないそんなささやきが、聞こえてくるようだった。

 ふと気がつくと、体がなかば雪に埋もれていた。身じろぎにともなって、氷のつぶが、白い羽毛のように宙に舞いあがっていく。

 なんとなく、ここは地獄なのかもしれないと思った。

 コキュートス、だったっけ。地下ふかくにあって、死んだ罪人が氷漬けにされている川。

 残念ながら、この場所に水は流れていないけど、そこに目をつぶれば、いかにも似つかわしい比喩だと思った。

 いっそ、このまま永遠に凍ってしまいたい。罪深い人間であるわたしには、むしろそれこそがふさわしい気がする。

「おーい、あすかぁ」

 ふいに、どこからともなく声をかけられた。

「そろそろあっち側に行く準備ができたからさ、もどろ」

 いつのまにあらわれたのか、ほんのすぐよこ、一・二歩のあたりで、声の主がこちらに片手を差し出してきていた。わたしよりもちいさな、真っ白な手。視線をあげると、彼女の銀色の髪に、帽子にも似た大量の雪がのっていた。

 うながされるままその手をとると、相手――ママはすぐに、わたしを引っぱり起こしてくれた。

「ほぉら、こんなんじゃ風邪ひくぞぉ」

 くすくすと笑いながら、ママがわたしの体にかかった雪を払いはじめた。

「風邪なんか、ひくわけないじゃん。わかってるくせに。……というか、ママだって雪まみれぇ」

 いって、こちらも彼女の頭や肩を払ってあげた。

 しばらくそんなふうにしてから、わたしはそっと、ママの頬に手を添えてみた。

「……どうかしたのん? あすか」

 くすぐったそうに、ママが赤い瞳を細めている。わたしは泣きそうな気持ちになりながら、それでも笑って、なんでもないよとだけ答えた。

 掌に、相手の体温を感じないのは、絶対零度の空のしたにいるからでも、メタンの雪をかぶっているからでもない。ママが、生きた人間ではないから。

「なあ、公平に会いにいくんだろ?」

「うん……」

 だったら、早く。そういって、ママがわたしを急かしてきた。

 わたしはママの手をにぎりなおし、そして――。

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