第百六十一話 アピールタイム 2
「今年の春に、Uさんに告白しました。こちらが年下なので、弟のようにしか感じられないといわれました。男としては、見ることができないと。そして、交際することができない旨も、その場できっぱりと告げられました」
幸の話をすることじたいも、あまり気がすすまないことだった。
イニシャルトークだとしても、たとえばいまのクラスメイトには完全にバレバレだし、それでなくてもこの話題には、幸のプライバシーが多分に含まれているのである。不特定多数のまえで、おいそれと暴露していいことでは、そもそもないのだ。あとで、彼女には謝罪しておかなければならないだろう。
「告白したとき、Uさんは、僕の気持ちを知っていたといいました。いつ気づいたのかまでは聞いていませんが、最初にキスをしたのが十歳のときなので、そのころには、もうわかっていたのかもしれません」
いくらか、会場のざわめきがおおきくなった。『十歳?』という声が聞こえてくるところをみると、どうやら初キスの年齢におどろかれてしまったらしい。
こちらとしては、そこよりも、告白してふられたところとか、幸がこちらの気持ちをすでに知っていたところとかに反応してほしかったのだけどな。どうも、言うべきことをうまく言えているのかわからず、不安である。
もっとも、大羽美鳩のように、観客の関心をたくみにコントロールして、恣意的な結論に誘導するといった芸当は、僕にはちょっと不可能なので、考えてもしかたのないことではあるのだが。
ともあれ、ここまではまだ前置きである。いよいよ、話の核心にはいるのだ。慎重に言葉を選びつつ、僕はスピーチをつづけた。
「出会った日からずっと、Uさんは僕のことを友だちとして、大切にあつかってくれていました。いまでは、ほとんど家族とおなじような感じで接してくれてもいます。そんな彼女が、過去にキスしてくれていたのは、だからけっして恋愛感情からではありませんでした」
そこまで言ったところで、僕はいったん目をとじると、もういちど、頭のなかで語るべき内容を整理した。
そうして、たっぷり呼吸みっつぶんの時間をおいて、気持ちを落ち着かせてから、ふたたび目を開けた。
「……ある意味、それは絆のキスとでも言うべきものだったのかもしれません。ふたりの幼なじみという関係を守り、こちらの恋心と、むこうの親愛の気持ちをすりあわせるための行為だったと、僕はそう解釈しています」
すこしでも、自信がある、真実を話していると思ってもらえるように、威儀をもってそう言った。観客たちに、絶対に理解してもらいたいのが、この部分だった。
さきほどの議論において、大羽美鳩の論旨は『キスというのは恋人同士がおこなう特別な行為』という命題が大前提になっていた。すなわち『廣井公平と宇佐美幸がキスをしていた』というのが小前提になり、そこから『特別な行為をしていたふたりは恋人同士だった』という結論が導きだされるわけだが、これはいわゆる三段論法と呼ばれる論理的推論方式である。
実際には、僕と幸は恋人同士ではなかったので、これは完全にまちがった論、ありていにいえば詭弁である。ただ、小前提が事実だったのと、とくに大前提が、一見、世間的な常識と合致していたため、なかなか反論がむずかしかった。
もちろん、常識とは多数が信じているだけの、いわばかってな思いこみという側面があり、かならずしも世界の真理とまでは言い切れない部分がある。今回のことでいえば、恋仲でなくてもキスをすることがありえる関係というものを理解してもらえれば、大前提が崩れ、こちらがウソをついていたと断じる根拠が消滅することになる。
さいわいなことに、大羽美鳩は委員長については触れるていどしか追及してこなかったので、幸への疑惑さえ晴らすことができれば、それだけで話を終わらせることができた。
「ひとによっては、一方通行だろうと片思いだろうと、恋は恋だというかもしれません。だけど、僕はちがいます。交際を断られたという厳然とした事実があるのに、これを恋愛関係といってしまうのはおかしいと思います。さっき、特別ではあっても恋愛ではないと言ったのは、こういう理由があったからです」
一方的な気持ちだったという部分を、僕はことさらに強調した。
どんなふうに言葉で飾り立てても、結局は告白に失敗し、女にふられたというだけの話である。みじめな気分ではあったが、耐えるほかなかった。これも、観客にわかってもらうためなのだ。
「僕にとって、Uさんは大切な幼なじみの友だちではありますが、恋愛の対象としては、子供のころの片恋の相手でしかないのです。はじめて相思相愛の恋人になってくれたのは、いまとなりにいる彼女、こころで、そこにウソはありません」
ようやく、ひととおりの説明をおえて、僕は口をつぐんだ。さあ、どうだ。祈るような気持ちで、客席を見回してみた。
しかし、残念ながら、期待したほどの反応はえられなかった。しらず、ため息をつきそうになった。
スピーチを終えても、野次が飛んでこないところをみると、こちらが真剣に話していることは、なんとかわかってもらえたようである。だが、よくて半信半疑といった感じだった。どちらかというと、微妙に引かれているような雰囲気すらただよっている。
やはり、立て直すのは無理だったのか。僕は絶望にも似た敗北感に打ちひしがれた。
無様すぎる結果だった。
せっかくのカップルコンテストなのに、グランプリをとるどころか、恋人を満足に楽しませることもできなかったのである。そればかりか、舞台のうえで、ほかの女への気持ちを切々と語るなどという本末転倒な事態にまでおちいってしまった。
ほんとうに、僕はなにをやっているのだろう。
なさけなかった。表面上こそ、なんとか平静をよそおってはいたものの、この場にひざまずいて、がっくりとうなだれたいような気分だった。
「こーへいしゃん」
ふいに、こころがよこから声をかけてきた。
こちらの肩に、手をおいている。自分のほうを向けということだろうか。
ほとんど反射的に、相手に視線をおくると、いつのまにそうしていたのか、彼女は僕に体を寄せてきていた。
ものを考える余裕――時間的にも、精神的にも――はなかった。ただ、こころが僕の頬に手をそえて、こちらに顔を近づけてくるのを、ぼんやりと見つめていることしかできなかった。そういう場合は目をとじるという基本的なことさえ、思いつきもしなかった。
背中から肩にかけて、腕をまわされた感覚があった。そして、しっとりとしたくちびるのあたたかさと、信じがたいほど近い位置にある彼女の長い睫毛に、僕の頭は混乱した。
いったい、なにが起こっているのか。完全に固まってしまい、棒立ち状態になった僕の耳に、観客のどよめきと黄色い声がひびいてきた。