第百五十九話 カップル五組め 4
「ウソじゃない? あら、どうしてそう断言できるんですか? いま話題にしているのは、あなたが転校してくる以前にあったできごとですわよ?」
大羽美鳩は、こころが出てきたのが意外だったのか、一瞬、目をまるくしたようだった。しかし、すぐに表情を笑みにもどすと、質問の矛先をそちらにむけた。
「こーへいしゃんが、うさ、えっと、Uさんとキスしたことがあるのは、こころも知ってるよ。ウソじゃないっていうのは、ふたりがそういう、特別な関係じゃなかったって部分」
たいするこころは、さきほどまで大羽美鳩におどおどしていたのとは打って変わり、まったく怯んだ様子もなく反論をのべた。まさか、まえに、あすかに掴みかかろうとしたときとおなじように、感情的になってしまったのだろうか?
見た感じ、こころは表情こそ引き締まっているものの、目にはどちらかというと冷静な光が宿っているようにも思える。
「キスはするのに特別な関係じゃなかったと、あなた、そうおっしゃるわけですか? へえ、さすがに道でぶつかった相手と恋に落ちるかたは、考えることも浮世ばなれしてらっしゃいますね」
にこやかな顔で、大羽美鳩が強烈な皮肉を叩きつけてきた。とたんに、客席から笑い声があがった。
こんなに毒の強い発言なのに、受けがとれてしまうのか。そう思い、愕然としたが、どうすることもできなかった。
もちろん、大羽美鳩の言動について、やりすぎだと引いている客もいるだろうとは思う。だが、会場の反応からすると、その絶対数は、残念ながらかなりすくなそうだった。
というより、現状ではむしろ、もっとやれというような空気すら感じる。
はっきりいって、最低最悪の状況だった。楽しい思い出どころか、これでは黒歴史レベルの嫌な記憶になりかねない。なぜ、僕はこんな卑劣なことをしてくる手合いの口車にのって、うかうかとイベントに参加してしまったのか。
つい、そんなことを考えて、後悔しかけた。そこに、こころのさらなる反論の声がひびいた。
「だから、そのUさんも、Aさんも、こころの大事なお友だちなんだよ! こーへいしゃんとの関係がどうだったのかだって、ちゃんと確認してあるもん!」
言葉遣いはともかく、ふだんの彼女からは想像もつかないほどの、毅然とした態度である。僕は恋人の揺るぎのない姿勢に、しらず嘆息していた。
ああ、僕はアホか。せっかくこころがこうして弁護をしてくれているというのに、なにをひとりで腐っているのだろう。
いや、そもそも、僕とこころは恋人同士なのだ。一心同体であるべき関係なのである。それを、自分ひとりだけで大羽美鳩と討論しようとした時点で、すでにまちがっていたのかもしれない。
どうやら、またやってしまったらしい。あすかにも言われたではないか。味方とすべき人間の力を借りずに戦っても、それはただの自己満足、ひとりよがりにすぎないのである。
とにかく、いまは考えるべきである。こころが大羽美鳩と論を戦わせているあいだに、事態を打開する策を練るのだ。
「あなたって、ほんとうにお人好しですねえ。大好きなひとのことを信じたいと思う気持ちって、たしかに素晴らしいけど、うーん。なんだかわたし、同情しちゃうなあ」
いって、大羽美鳩がハンカチで涙をぬぐうしぐさをした。またしても、客席から笑いが巻きおこった。
まったく、よくもまあ口がまわるものである。観客を、たくみに乗せてもいる。いまいましいが、攻撃の対象が自分たちでさえなかったら、感心してしまいたくなるほどだった。
「ち、ちがうよ。こころがお人好しなんじゃなくて」
「あのね、あなたも女の子だからわかると思うけど、キスってすごく大切なものなの。家族相手とか、あるいはせめてほっぺたぐらいなら、挨拶で済ませられるかもしれない。でも、ただの幼なじみにくちびるでっていうのは、いくらなんでもありえないでしょう?」
まただ。さきほどから、こころがなにを言っても、ここに話が戻ってきてしまう。僕と幸が、キスをしていたのはまぎれもない事実。ならば、じつは付き合っていたに決まっているのに、そうではなかったとウソをついた。大羽美鳩の主張は、大雑把にいえばたったこれだけなのである。
つまり、ウソツキのいうことは信用できないというただ一点を、口八丁でゴリ押しするだけで、大羽美鳩は、観客を納得したような気分にさせつつあるのだ。
それは、逆にいえば、この点を崩せばなんとかなるということでもあるわけだが……。
では、いったいどうしたらいい?
まさか、いまから幸を呼んできて証言をしてもらうわけにもいかない。とっくに家に帰っているだろうし、よしんば会場にのこっていて、すぐに参加してもらえたとしても、あの大羽美鳩が相手では、のらりくらりと時間を稼がれたあげく、雰囲気だけでこちらを悪と決め付けられるのがオチだ。
ふと、鏡寺さんが、こちらを見つめていることに気づいた。なにも発言しないが、あきらかに表情を曇らせている。この状況を苦々しく感じているのだろう。このままでは、会長権限でもって、強制的に議論をおさめてしまいかねない。
くそ、まずいな。いそげ。はやく考えろ。なにか、なにかあるはずなのだ。白を黒と言いくるめられて、そのまま済ませていいはずがない。
だいたい、なぜウソをついてもいないのに、ウソツキ呼ばわりされなければならないのだ。
相手の指摘のとおり、僕と幸は、幼なじみとしては、ごく一般的とはいえない関係だったと思う。そこは認めよう。しかし、それがなんだというのだ。そもそも、ひとはみんな、おのおの違っていて当然だろうに。
かってな憶測からまちがった結論を出しておいて、それをむりやり通そうとするなど、ウソをついているのは、あきらかに大羽美鳩のほうではないか。
「わたしはねえ、常識について話しているんですよ? そんな、特別な関係じゃないのに、キスという特別な行為はしてました、なんて言われて、信じる人間がいると思います?」
なにが常識だ。なにが特別な関係だ。そんなもの、クソ食らえだ。僕と幸は……うん?
まてよ?
特別な、関係……?
そのとき、ふいに僕の脳裏にひらめくものがあった。これならなんとか、状況を立て直せるかもしれない。
だが、僕が土壇場で思いついたその策を胸に、もう一度まえに出ていこうとしたとき、すでに鏡寺さんは動きはじめていた。