第百五十五話 カップル四組め
ぼんやりと、演壇をながめている。
三組めのカップルの出番はすでにおわり、いまは四組めが紹介されたところである。さきほど、僕やこころに秘密の話をしていった鏡寺さんは、なにごともなかったかのように司会をこなしていた。
例の男女ふたりについては、男のほうはわからないが、女のほうはちゃっかりと審査員席にもどっているのが見えた。観客のほとんどは、彼女がいなかったことについて、おそらく気づいてもいないだろう。
さて、現在時刻は午後八時四十分をまわったところである。コンテストが終わるのが九時半なので、最後に投票結果の発表などがあることを考えると、ちょうど折り返しである。
まず、順調といってよかった。
さしあたり、司会に呼ばれるまではヒマである。ちょうどいいので、僕はこのあとのスケジュールについて、頭のなかでおさらいをしてみることにした。
スケジュールといっても、コンテストのプログラムは、いたってシンプルなものである。
カップル一組あたりの持ち時間は、司会によるトークが最初の紹介とまとめをあわせて五分、参加者による自己アピールが五分で、おおまかに十分となる。
ただし、これはあくまでも目安であり、実際にはカラオケをやった三組めのように、持ち時間のほとんどをアピールについやす場合もあれば、その逆もある。たとえば、僕とこころは事前になにも用意していないので、十分まるまるトークの予定になっている。
いずれにしても、それらが六組なので、合計で一時間になるわけだ。そして、投票の集計および結果発表などで十五分から二十分ほど。あまった十数分は、交代などで生まれるだろうこまかいタイムロスのために、余裕としてあてられていた。
あとひとつ、サプライズコーナーというのがあり、こちらは最後の六組めが生徒会役員同士のカップルなので、その時間内におこなわれることになっていた。
なお、僕とこころは五組め、すなわちこのあとである。もっとも、だからといって、とくに緊張はしていなかった。
これでも、壇上で司会のつぎに活動しているため、客の多さにもそろそろ慣れてきたのである。それに、ほかのカップルたちを見ているかぎり、聞かれたことに答えてさえいれば、適当にいじってもらえるようなので、とりたてて心配する必要があるとは思えなかった。
懸念があるとすれば、大羽さんの存在だが、さすがの彼女も、これ以上おかしなマネはしてこないだろう。
こちらは、なにか不愉快なことをされても、しょせんは部外者なのでどうということはない。しかし、彼女はあれでも生徒会のメンバーなわけで、イベントの雰囲気が悪くなれば、本人の対外的な評価が落ちるだけである。
「これ、フリップをここに」
考えているはしから、大羽さんに呼びつけられた。ぱんぱんと手をたたき、いかにも尊大な態度である。まったく、いまいましい。
だが、内心の腹立ちはおくびにも出さず、僕は笑顔でフリップをかかえると、こころとならんで演壇に出た。
「執事さーん、こっち向いてー!」
「うおお! メイドさーん!」
女子の黄色い声と、男子の野太い声が交錯した。コンテストがはじまるまえに、鏡寺さんが言っていたとおり、このポジションはいいアピールになっているようだ。
ともあれ、声援には応えなければならない。僕は観客席にむかって、いちど執事ふうに深く一礼をした。それから、フリップを大羽さんにわたし、帰りにふたたび頭をさげた。こころはカーテンにはいる間際に、客席に手をふっていたようだった。
「まえの席の子たち、喫茶レクイエムのことを話してたよ」
定位置にもどると、こころがうれしそうに話しかけてきた。
「ああ、僕にも聞こえたよ。店に来てくれたお客さんとか、けっこう混じってるみたいだね」
うぬぼれかもしれないが、レクイエムのときのお客さんたちには、好感をもたれているような気がする。そこまででなくとも、事前に顔が売れているのは、コンテストの結果にいい影響を与えると思えた。
さらにいえば、僕とこころにとって都合のいいことは、ほかにもあった。投票の方式である。
ボランティアをつのり、人力を駆使していた昨年までとちがい、今年は鏡寺さん主導のもと、インターネットを用いる方式を採用している。ランキング機能のついた特設ウェブサイトが用意されていて、観客に携帯でアクセスしてもらうのである。
サイトは不正防止のため、直前までパスワードでロックされている。再設定の手間もあり、なんども投票してもらうわけにはいかない。
そこで、例年ならカップルの交代ごとにおこなわれていた投票を、最後にまとめてやることになったのである。
この方法だと、当然、投票直前のカップルのほうが印象に残りやすくなる。僕たちは最後ではないにせよ、終わりから二番めなので、はじめのほうのひとたちにくらべれば、かなり有利になるというわけだ。
あるいは、ほんとうにグランプリを取ることができるかもしれない。もしそうなったら、うれしいことだと思った。
僕は、こころとはできるだけ、末長くつきあっていきたいと願っている。学生のあいだの遊びのつもりで交際を申しこんだわけではない。さきのことはわからないにせよ、将来にわたって添い遂げられるのなら、それに越したことはないというぐらいには考えている。
はたから見ればつまらないことかもしれないが、ここでグランプリをとれれば、祝福を受けたように感じられるのだ。僕たちふたりにとっての楽しい思い出を作ることができるのである。
おたがい人間である以上、ながく付き合っていけば、そのうち問題が出てくることもあるだろう。そういうとき、つくった思い出のひとつひとつが、絆を守ってくれると、僕は信じていた。
「わあ……」
ふと、こころがみょうに慌てていることに気づいた。演壇のカップルを見ているようだが、顔が真っ赤である。
はて、どうしたのだろう? 僕は物思いを中止して、壇上に視線をうつすことにした。
四組めのカップルは、すでにアピールタイムにはいっているようである。べつだん、なにかすごいことをしているようにも見えないが……。
「ねえ、こころ。あのひとたち、いまなにをしてるの?」
「見てなかったの? さっきからずっと、ふたりで名前を呼びあってるんだよ」
たしかに、声が聞こえる。ささやくように、祈るように、自分たちの名前を言いあっている。
壇上のふたりは、鷲鼻と丸眼鏡がトレードマークといった感じの一年生男子と、長い黒髪が特徴的な二年生女子のカップルである。いっては悪いがどちらも地味で、あまり興味がもてなかった。僕が物思いにふけっていたのも、理由のひとつはそれである。
会場が静まりかえっていた。どこか異様な緊張感がただよっていた。
意味が、よくわからなかった。
声のトーンを、あげたり下げたりはしているものの、ふたりはひたすら、おたがいの名前を呼びあっているだけである。なのに、あたかも観客の全員が、彼らの一挙手一投足を注視しているかのようですらある。
なんとも形容しがたい雰囲気が、会場をつつみこんでいた。
たっぷりとアピールタイムをつかい、ようやく気が済んだのか、ふたりは名前を呼びあうのをやめ、こんどは抱きあいはじめた。ひしという感じである。
すると、観客席の一角から、ちいさな拍手がひびきはじめた。またたくまに、その音が全体にひろがっていく。
いつしか、会場は雨のような拍手に満たされていた。
……いや、いやいやいや。なんだこりゃ。
「すばらしかったね、こーへいしゃん」
「えっ? あ、うーん。そうなのかな」
こころが、目のあたりをハンカチでぬぐっている。しかし、これのどこに泣く要素があったのかがわからない。
結局、そのごもずっと拍手は鳴りつづけ、時間になってカップルがひっこんだあとも、なかなかおさまらなかった。鏡寺さんが『感動をありがとう』などと演説をはじめ、それでようやく落ち着きをとりもどしたほどだった。
こういってはなんだが、僕ひとり置き去りにされた気分である。なにがどう感動なのか、さっぱり理解できなかったのだ。
まあ、みんながこれほど感動しているからには、きっと僕にわからないだけで、とてもすばらしいものだったのだろう。
しかたないので、僕はむりやり、そう自分を納得させることにした。